アシュラム王国の使者を迎えた後は重要案件の進捗を確認する為の重臣会議。このようなイベントがなくてもグレンの毎日は忙しい。個別案件についてもグレンは一つ一つ状況を細かく確認している。時間がいくらあっても、体がいくつあっても足りないような状況だ。
そんな毎日であるのだが、今日に限っては、グレンは会議が終わるとすぐに仕事を切り上げてマリアの部屋に向かった。ヴィクトリアも一緒だ。
「ちょっと早まったかな?」
「早まったどころじゃない。俺は聞いていて冷や冷やした」
こんな会話をしながら部屋に入ってきた二人を怪訝な顔でマリアは迎えた。
「何かあったのかしら?」
「マリア、聞いてくれ。グレンの奴、会議の席でとんでもないことを言い出した」
マリアの問いにヴィクトリアが答える。とにかくこの話をしたくてヴィクトリアはマリアの部屋に付いてきたのだ。
「とんでもないことって何かしら?」
「貴族から税金が取れないかなんて、貴族であるエルンスト伯に向かって言った」
「えっ!?」
ヴィクトリアの説明を聞いて、マリアが驚きを見せている。
「ああ……そういう反応か」
そのマリアの反応を見て、また少しグレンは落ち込んだ様子を見せている。自分の考えは常識から外れている。分かっていたことだが、ここまでの反応を見せられるとは思っていなかったのだ。
「当たり前だわ。どうしてそんなことを言ったの?」
「貴族領って国から見たら死んでいる土地だ。それってどうかと思って」
「そうかもしれないけど、貴族領はその王国が貴族に与えるのよ。与えるということはもう国の物ではないわ」
「でも貴族領の領民も国民だ」
「……どういう意味かしら?」
グレンのその言葉を聞いて、ただ税収を増やそうというだけの話ではないのだとマリアにも分かった。
「国民の暮らしを良くしたい。それは国が豊かになるからだから全てが善意ではないけど、その恩恵を受けられない国民がいるってどうだろう?」
「……そういうことね」
豊かな貴族領もあれば貧しい貴族領もある。公には認めたくはないが圧政を敷いているような貴族も中にはいる。国民とひとまとめにしていてもその境遇が様々であることをマリアも知っている。
「同じ国民で不公平がある。もちろん国政が悪くて領政が良ければ逆になるけど、俺は国政を良くする立場だからな」
「難しいわ。国と貴族ってどこでも大なり小なり利害が対立しているものよ。それを解消するなんて簡単ではないわ」
貴族の領政に問題があれば国は介入出来る。爵位や領地を剥奪する権限が国王にはあるのだ。だが実際にそれをしてしまえば他の貴族の警戒を生む。次は自分の番ではないかと恐れて、それで良い領政を心がけるのであれば良いが必ずしもそうはならない。叛意を持つ者も出るだろう。
「分かっている。でもどうしても納得できないことがある」
「何かしら?」
「国が貴族に領地を与えるのは、貴族の忠誠を得る為だ」
「そうね。それに感謝して貴族は国に尽くすのよ」
「尽くすのか? 何代も続くうちに与えられている待遇を当然の権利と思って忠誠は薄れ、逆に国と対立していく。国にとって領地を与えることに何の利もない」
その代表的な貴族がウェヌス王国のランカスター侯爵家だ。ランカスター侯爵家は力があるから野心が露わになっているだけで、他にも裏では国に背いている貴族はいる。ゼクソン王国にもいるはずだ。
「……現実はそうね」
「何百年、もっとか。そういう制度だからな。勇者の世界ってどうやって変わったんだろう?」
異世界では貴族制がなく、全ての人々が平等な世界だとグレンは聞いている。どうやってそれを実現したのか聞くべきだと後悔していたグレンだが。
「反乱よ」
「はっ?」
聞く価値はなかったとマリアが教えてくれた。
「貴族ではなく民衆が反乱を起こしたの。王家は潰され、貴族家も潰され、そうして民衆が実権を握ったらしいわ。それが他の国にも波及していって世界全体が変わったらしいわ」
「……あの野郎。そんな過激な世界を優れているなんて言っていたのか」
民衆が国王や貴族を倒す。グレンにはそれは想像も出来ない混沌とした世界に思える。
「それ程の混乱が起きないと変わらなかったってことよ」
「でも新たな王や貴族は生まれなかったのか」
これもグレンには不思議だ。国王を討ち、国を制圧したのであれば、その勢力の指導者が、その国の支配者になるのが普通と考えてしまう。
「その辺は分からないわ」
「貴族に成りたくないと思ったのかな? 何故だろう?」
「平民の方が良いからだろ?」
ここでヴィクトリアが口を挟んできた。何でもいいから話に加わりたかっただけだったのだが。
「当たり前のことを言うな。……あっ、でもそう思わせれば良いのか」
結果としてグレンへの助言になった。
「どうやって?」
「話としては簡単。平民が豊かになれば良い」
「簡単過ぎるだろ!」
「でも、そういうことだ。貴族でいるよりも平民の方が良い暮らしが出来る。そう思わせるようになれば」
必ずしもそれだけでは貴族になりたくないとは思わないかもしれない。それでもその先には多くの人に貴族制が不要という考えが生まれる可能性は見える。
「まあ、それくらいの考えの方が良いか。貴族から税金なんて言うよりはな」
「リア。そもそもお前がちゃんとしていれば、俺が悩む必要はないのだからな」
「それを言うのは卑怯だ」
「……少し卑怯か。しがらみのない俺だから大胆なことが出来るわけだからな」
「そうだ」
グレンには保険がある。自分が失敗したと思えば、ヴィクトルに代わればいいというものだ。それを保険と考えるのはグレンくらいだが。
「基本は良い国を造る。色々悩んでもそれは絶対に変わらない。エルンスト伯が何か言ってきてくれたら、この件はそれで終わりだな」
「そうしろ。今のこの国は期待と不安が半々だ。貴族の件を持ち出せば不安に一気に傾くからな」
「……たまに王なのだな」
「たまにと言うな」
「だって……」
「グレン? どうし……」
何か言い掛けたまま動きを止めたグレン。それを不思議に思って声を掛けたヴィクトリアをグレンは手の平を向けることで制した。
天井に視線を向けて何かを探る様子を見せると、椅子から立ち上がって腰の剣をゆっくりと抜く。さすがにその行動でヴィクトリアとマリアにも何が起こったのか分かって、息をひそめて動かないでいた。
「お待ちくだされ。害意はありませぬ」
ふいに天井から降ってきた声。その言葉に眉をひそめながらグレンは声のした方向を探り、二人を庇うような位置に立つ。
「我が主はジョシュア陛下でございまする」
相手はウェヌス国王の配下であると名乗ってきた。
「……それを信じろと?」
だが言葉だけで信用出来るはずがない。
「証はこれから説明いたしまする」
「話してみろ」
グレンは、とりあえず話を聞いてみることにした。本当にジョシュア国王の配下であるのであれば重要な用件があるに違いない。それを聞かずに追い返すわけにはいかない。
「主は子供の頃、一度だけマリア様を泣かせたことがあります」
「はっ?」
「その理由を伝えれば証になると」
「……言ってみろ」
恐らくは他の者が知らない話。証としては信用出来るとグレンは考えて説明を続けるように言ったのだが。
「ま、待って!」
「えっ?」
制止の声をあげたマリア。それに驚いて、天井を警戒しながらもグレンが後ろを向くと、マリアは顔を真っ赤に染めていた。
「どうした?」
「理由を話されるのはちょっと……」
「でもジョシュア王の手の者かの証拠だと。二人しか知らないことなのだろ?」
「ええ……」
「じゃあ、証拠になる。言ってみろ」
マリアは何を気にしているのかと思いながらも、グレンは証を得ることを優先した。
「では。股に付いていないことをおかしいと言われてです」
「……えっと」
「子供の頃、マリア様は主の下半身を見て変な物が付いているとからかいました。しかし、主が弟君にも付いているので。おかしいのはマリア様だと反論し」
「あっ、良い。もう分かった……本当?」
「……ええ」
顔を赤く染めながらもマリアは相手の説明が事実だと認めた。これで天井に潜んでいる者はジョシュア国王の配下であることが証明された。
「何故、ジョシュア王の下半身を見ることに?」
「それ必要かしら?」
調子に乗ったグレンにマリアの冷たい視線が突き刺さる。
「……必要ないです。では用件を聞こう」
「主はこう申された。父に譲られた力だが我にはその使い道が分からない。グレン王であればうまく使えるだろう。グレン王の指示に従えと」
「……本当か?」
相手が話したジョシュア国王からの伝言。それはグレンにとって耳を疑うものだった。
「それ故に来ました」
「間者だよな?」
「その類で」
「……この部屋によく来られたな。それなりに防ぐ手立てを講じたはずだが」
城の奥。とくにヴィクトリアとマリアの部屋は防諜を徹底しているつもりだった。その最も守りが堅いはずの場所にジョシュア国王の間者は侵入している。
「仕掛けは中々のもの。しかし肝心の人が。発見しても殺すことが出来なければ意味はありませぬ」
「殺したのか?」
「気絶させただけ」
「殺さないでおけるだけの技量の差か。もしかして、ゼクソンの先々王を暗殺したのは」
「我らは暗殺を禁じられておりまする」
軽い冗談のつもりだったグレンなのだが、返ってきたのは意外な答えだった。暗殺を行わないという制約を持つ間者。あえてそのような制約を課す理由がグレンは気になった。
「ジョシュア王、ではないか。ウェヌスの先王、もっと前の主か」
「いえ。祖が定めた掟でございまする」
「そ?」
「我らの集団を生み出した御方」
「剣術の開祖みたいなものか? 何故、間者なのに暗殺を禁じた?」
「暗殺で世の中は良くはならない。その方の御言葉です」
「へえ」
相手が話す祖はそれを言うだけの見識を持った人物だったのだとグレンは考えた。
世の中を良くするという言葉が出るということはそれを志していたということだ。その人物が間者集団を作ったということをグレンは不思議にも思う。
「これ以上は」
「分かった。指示に従うようにということだが、条件は?」
「全てに従えと」
「……ジョシュア王は愚者と聞いていたけど、とんでもない大物だな。そこまで人を信頼出来るのか」
自らの間者を他者に、それも他国の国王代行であるグレンに自由に使わせようとする。他者にそれほどの信頼を向けられる人物をグレンは愚者であるとは思わない。お人好しなんて言葉で収まるものではないのだ。
「主はそう申されたが、我らは主の命を優先させまする」
「それはそうだ。早速頼んでも良いか?」
「もちろん」
「アシュラムを探って欲しい。国王、重臣たち、アシュラムの上層部が何を考えているか。それと銀鷹傭兵団の関係者が誰か。出来るか?」
これはシャドウの手の者にも探らせていることだ。今もっとも必要な情報であるというだけでなく、得られた情報を比較すれば本当に相手が自分の命令に従っているか確かめることも出来る。グレンにはジョシュア国王とは違い、他者を無条件に信じる器量はない。
「最後の問いは無用でございまする。ただやれと」
「そうか。では調べろ」
「御意」
「報告は? また忍び込むのか?」
「一人、くノ一をお側に置かせて頂ければ」
「クノイチ?」
グレンの初めて聞く言葉だった。
「女。侍女でも側女でも立場は何でも構いませぬ」
「ソバメ?」
これもそう。相手からはグレンの知らない言葉が次々と出て来る。これは父親が使っていた異世界の言葉を不思議に思われることが多かったグレンにとって初めて経験する感覚だった。
「夜のお相手を」
「侍女で」
マリアとヴィクトリアがいる今、側女でとは言えない。必要ともしていないが。
「ご自由に。マリア様の侍女として現れます。名は……カスミを名乗ります。その後の名は適当に」
「ああ。お前は何と?」
「ヤツで」
「ヤツ……そういうことね」
カスミもヤツも偽名だ。ヤツと名乗った相手もそれを隠すつもりはない。
「グレン王はどうお呼びすれば? 主とは呼べませぬ」
「グレンでも何でも」
「……狼(ロウ)様でも?」
「構わないけど、ロウって?」
「銀狼と呼ばれていると。それに狼は……いえ、銀狼の狼(ロウ)で」
「……分かった」
狼(ロウ)という呼び名には何か意味がある。こう思ったグレンだが、それを問うことはやめておいた。色々と秘密が多そうな相手だと分かっているからだ。
「では狼様。我はこれにて」
「ああ」
それっきり、天井からは何も聞こえなくなった。しばらく呆然といった様子で天井を眺めていたグレンは、マリアの方を振り返って口を開いた。
「ウェヌスはああいう者を抱えていたのか?」
「間者くらいはいるわ。グレンも知っているでしょ?」
「あれ、普通の間者じゃないと思う」
「では何?」
「……話すのは止めておく。俺の想像だし、あまり詮索しては行けない存在みたいだ」
「そう」
それからしばらくして、城内は密かに大混乱となる。王城への侵入を許したシャドウは侵入者の行方と目的を全力で部下に調べさせる一方で、グレンの下に現れて土下座しそうな勢いで謝罪を繰り返していた。
そのシャドウにグレンが告げたのはただ一言。部下を鍛え直せ。それだけだった。