ゼクソン王国とウェヌス王国の同盟締結の情報は瞬く間に広がっていった。両国の王が会しての同盟だ。周囲に知られないはずがない。
ウェヌス王国にとってはその影響はほとんどないといって良いものだが、ゼクソン王国にとってはそうはいかない。グレンがゼクソン王都に戻ってすぐにアシュラム王国からの詰問の使者が訪れた。
「今回の貴国のウェヌス王国との同盟に関して、我が国としては遺憾の意を表せざるを得ません」
「そうですか」
憤懣やるかたないという様子の使者に対してグレンの方はどこ吹く風といった態度を見せている。
「そうですかではありません! 我が国と貴国は長きに渡ってウェヌス王国と対抗する為に協調関係を築いてきたのです。それを貴国は一方的に破棄した」
そのグレンの態度に声を荒げた使者であったが。
「だから?」
「だから?」
グレンの反応は使者が予定していたものではなかった。
「事実関係の確認はいい。それはこちらも分かっています。その先の話をしてもらえますか?」
「先……」
使者の目的はゼクソン王国を糾弾し謝罪させること。非を認めさせてウェヌス王国との同盟関係を解消させること。だがグレンにそのつもりがまるでなければ話は終わりだ。
「無いのですか? ただ文句を言いに来ただけであれば、用件は済んだのでは?」
「グレン王は我が国を愚弄するつもりですか?」
「そのつもりはない。ただ一つ聞かせてもらいたい」
「何ですか?」
「前回もこうやって使者を送ってきたのですか?」
「前回?」
「我が国がウェヌスと同盟を結んだのは初めてではありません。それは知っているはずでは?」
ゼクソン王国とウェヌス王国の同盟はこれで二度目。最初はグレンがゼクソン王国の捕虜となる戦いの前のことだ。その時の同盟についてグレンは使者に尋ねている。
「あれはウェヌスを策に嵌める為に」
「それは最初からではなかったのでは? 今回に限って同盟に異議を唱えにきた理由を教えて下さい」
ウェヌス王国との同盟がゼクソン王国にとって策略に変わったのは、ヴィクトリアとマリアの婚約が条件に加わってからのこと。それ以前はウェヌス王国と本気で同盟を結ぶつもりであり、アシュラム王国との密約などなかった。
そう思っていたのはヴィクトリアたちだけで、裏は最初から全てが銀鷹傭兵団の仕組んだ策略であったが。
「……そもそもグレン王は先の戦争で我が国の多くの兵を死に追いやった」
グレンがアシュラム王国から退却する際の戦いのことを使者は持ち出してきた。グレンを責める材料がこれくらいしか思いつかなかったのだ。
「その時の俺はウェヌス王国軍の所属だ。それは当然ですね。討たなければ討たれる。戦争とはそういうものです」
「そういった者を王にするゼクソン王国の意図が我が国は理解出来ません」
何とかゼクソン王国側の非を問おうとする使者だが、これは無理がある。今、王権はグレンにある。そのグレンを認めないと言っても交渉になどならない。
「つまり俺が国王代行であることをアシュラム王国は認めないと? ではどうします? 俺を討つ為に我が国に攻め込むつもりですか?」
「何と?」
結果として使者はグレンの強気な発言に驚かされることになった。
「俺は先の話を求めています。今後、アシュラム王国は我が国とどう付き合っていこうとしているのですか? 変わらぬ友好か? それとも敵対か?」
「それは友好に決まっております。しかし、貴国がウェヌスと結んだ今、それが維持されると思えません」
アシュラム王国は極めて不利な状況になる。だからこそ何とかゼクソン王国との友好を取り戻すべく使者を送ってきたのだ。使者の強い抗議は自国の弱みを見せないためでもある。
「友好の維持……元々はどのような友好関係だったのですか?」
「それは先王に聞かれよ」
「もう聞きました。我が国とアシュラム王国の間にはてっきり同盟が結ばれていると思っていた。ところが正式な条約が結ばれた記録がありません」
「そんな馬鹿な……」
グレンの説明に使者が驚きを見せている。この反応はグレンの予想からは少し外れていた。
「交易でのやり取りが活発なのかと思っていたが、そうでもない」
「…………」
「人材交流もなく、使者が訪れることも滅多にない」
「いや、そんなことは。貴国からの使者は……」
「その公式記録がない」
アシュラム王国の使者の言葉はゼクソン王国からの使者の訪問を示しているが、その記録はない。それが何を意味するのか。グレンははっきりとさせたいのだ。
「我が国は歩兵中心にアシュラム王国は騎馬を中心にした軍を育成しようという約束があったようだが、それも正式に約した書類はない」
「…………」
「教えて欲しいのです。我が国とアシュラム王国は何によって繋がっていたのですか?」
「…………」
ゼクソン王国とアシュラム王国の間にあるとされる協力関係。これは事実なのか作られたものなのか。それによってグレンも色々と考え直さなければならなくなる。
「使者殿?」
「それは……」
アシュラム王国の使者はグレンの求める答えを持っていなかった。
「お答えできないのであれば、答えられる方を遣わしてもらえますか? 我が国は反乱の始末で多くの文武官を処分しました。そのせいで国内に俺の問いに答えられる者がいません」
「……国に戻って相談致します」
「是非お願いします。使者殿のお帰りだ。案内を」
「はっ」
文官が進み出てきて使者を先導していく。謁見の間の扉が閉まったところで隣に座っていたヴィクトリアが口を開いた。
「口先だけで見事に追い返したな」
「表現が悪い。外交は話し合いで進めるものだ」
「あれが話し合いか?」
「俺のせいではない。向こうが答えを持っていないからだ」
「それはそうだが」
「リアも答えを持っていない」
「……それを言うな」
グレンの嫌味を聞いたヴィクトリアの顔に苦いものが浮かぶ。
「誤魔化したように聞こえたかもしれないけど、あれは本気だからな。色々調べてもアシュラムとの正式な繋がりはほとんど何も見えなかった。先々王はアシュラムと何をどうやって話し合っていたのだ?」
もしくは話し合っているつもりになっていたかだ。アシュラム王国がどこまで銀鷹傭兵団に侵食されているか。それ次第でゼクソン王国の状況は大きく変わる。出来ることならわずかなものであって欲しいのだが、そんな楽観的に物を考えられるグレンではない。
「アシュラムとの関係は秘匿したいとは聞いたことがある」
「その気持ちは分かるが全く意味はない。俺はウェヌスにいた時から二国は同盟関係にあると思っていた。これは俺個人ではなくてウェヌス全体の考えだ」
「そうだな……」
「この国の外交関係者は一切信用出来ない。その証拠に誰一人帰ってこないからな」
グレンが国王代理になってすぐに国外にいる外交担当者を召還した。だがそれに応えて戻ってきた者はいない。全員が銀鷹傭兵団の息の掛かった者たちだったとグレンは判断している。
「それに踊らされていたのだな」
「公式の目も耳もふさがれ、口は別のことを述べている。駄目駄目だな」
「……そこまで言わなくても」
またグレンに責められたと思って、ヴィクトリアは不満げだ。
「唯一の希望は今日の使者の反応か」
「何も答えなかっただろ?」
「つまりアシュラムには何も知らない使者を送ってくる者がいるということだ。まあわざとである可能性も否定は出来ないが」
アシュラム王国の外交において全てが銀鷹傭兵団の影響を受けているわけではないとすれば、それはゼクソン王国よりも少しはマシな状態だ。
「……なるほどな」
「そしてアシュラムには我が国の使者を騙ったか、裏切っていた外交担当か知らないが、何度も使者が行っている。それが誰か。次に来るアシュラムからの使者が手掛かりになればいいな」
「確かに」
「どちらだろうな?」
「どちらって?」
「騙している側か騙されている側か。まあどちらでも良い。いずれにしろ、それを取掛かりに何かを暴けるかもしれない」
グレンの使者への態度は挑発の意味もあった。アシュラム王国をもっと大きく動かす為のものだ。動きが出ることで浮かび上がるものもある。それを取掛かりに闇に潜んでいる者を引きずり出すつもりだ。
「お前って……」
こんな男を相手にしなければならない敵は大変だ。ヴィクトリアはこんな風に思ってしまう。それだけグレンのことを頼もしく思っているのだ。
「さてアシュラムの件はその使者を待つことになる。内政の確認をしようか」
「ああ」
「軍の再編の状況を」
「はっ」
並んでいた臣下の中からランガー将軍が一歩前に出た。今のゼクソン軍の筆頭将軍はランガー将軍が務めている。
「軍の再編そのものは完了しております。王都とカウへの物資の集結も完了。現在は軍政機能を改めて整え直しているところです」
「軍政の再構築の目途は?」
「現行の軍政を踏襲する形であれば武官の選抜と再編のみですので、間もなく完了致します」
「余剰となった人員の再配置については?」
近衛師団と十あった兵団は再編成して二師団に統合した。そうなれば軍政に関わっている武官には余剰人員が生まれてしまう。
「王都に集結させて現在適性の確認を行っております。それについてはエルンスト伯からご報告頂ければと思います」
余剰人員は不足している文官への異動を予定している。それを担当しているのは文官のトップとなったエルンスト伯爵だ。
「分かりました。それは後ですね。調練の状況は?」
「基礎調練を継続しております。現時点で定められた基準を超えた者はおよそ二割」
「二割だと!?」
声を上げたのはヴィクトリア。あまりの少なさに驚いているのだ。
「……リア。報告の途中だ」
「だが、たった二割とはどういうことだ?」
「それだけ厳しい基準にしている」
「それを銀狼兵団は?」
ヴィクトリアはグレンが率いている銀狼兵団の状況を尋ねた。国王の座を降りたとはいえ、自国の軍がルート王国のそれに劣っているという事実を悔しく思ってしまうのだ。
「残った兵士は当然、全員が水準を超えている」
「そこまで差があるのか……」
「そんなにない。銀狼兵団で残ったのは六百程だ。ゼクソン軍全体の二割と言えば二千。数であれば超えている」
「その先を行っているくせに」
今の基準はゼクソン王国の銀狼兵団であった時のもの。ルート王国軍となった後はより厳しい調練を行っていることをヴィクトリアは知っている。
「数が足りない分は質で勝負するしかない」
「質と簡単に言うが」
「じゃあ分かり易く。例えばゼクソン軍の兵一人がウェヌス軍の兵を十人倒せれば、全軍を相手にしても勝てる」
「どんな無双だ」
「理想だ」
「つまらない」
「……続けて下さい」
ヴィクトリアの反応が悪かったところで、グレンはランガー将軍に先を促した。
「全体の四割を超えたところで、水準に達した兵は基本調練に移らせようと思います」
「問題ありません。空いた駐屯地の状況は?」
「それもエルンスト伯から」
「分かりました。ではエルンスト伯、報告をお願いします」
ランガー将軍が列に戻り、代わりに反対側の列からエルンスト伯が前に出た。
「ではまずは文官の状況からですな。王都における文官の再配置は順調に進んでおります。後はさきほどランガー将軍の申した武官からの編入を残すのみとなります。ただ組織として本格に動き出すまでには、もう少し時間を頂きたいと思っております」
「それは仕方がない」
やるべきことは山ほどある。だが全てをいきなり始めることは出来ない。現状を分析し、見つかった問題の優先度をつける。まずはそこからだ。それによってまた組織を見直すこともある。
「ありがとうございます。残った武官には空きとなった駐屯地の再整備を任せるつもりでおります。ただ、どこから着手させれば宜しいものかと」
文官の仕事は国政だけではない。地方行政もある。直轄地である兵団の駐屯地を街に造り替えるのも仕事。それが終わればその街の管理運営も必要だ。
「建物にはしばらく手を付けなくて良いです。少し不便ですが、兵舎を住居として利用します。優先すべきは水路の構築。駐屯地の水の手から周辺に伸ばすか。周辺から引き込むかの調査をさせて下さい。駐屯地の水の手は水量を綿密に調べるようにと」
「はい」
「水路の計画が完了次第、耕作地の選定。駐屯地からの距離だけでなく、耕作に適しているかをきちんと確認するようして下さい。文官に知識がなければ、農民の力を借りるように」
「分かりました」
グレンのこの辺りの指示はルーテイジでの経験から来ている。街の再整備と耕作地の拡張。やることはほぼ同じなのだ。
「並行して移住希望者を募って下さい。農地として厳しい場所にある村や街の住民を優先します。そもそも豊かな土地を持っている人は移住しないだろうけど」
「それはそうですな」
「布告を出します」
「布告ですか?」
「税を滞納している人は駐屯地への移住を行なえば、滞納分の納税期限を延ばすと」
移住の決断は簡単ではない。今が苦しいといっても住み慣れた土地を離れるのは勇気がいることだ。新しい土地で成功するかなど分からないのだから。
グレンの言う布告はその決断を促す為の策だ。
「不公平になりませんか?」
「滞納の理由によります。駐屯地の開墾はこれからです。充分な収穫がある土地を持つ人たちは移住なんてしない。これは不正滞納者も同じです」
「移住してくるのは貧しい土地しか持たない者たちですか」
「そう考えています。苦労している人たちがさらに苦労しようとしている。それを不公平と思うでしょうか?」
「そうであることを知らしめる必要がありますな」
「はい。だから布告を出します。移住が許されるのは税金を払いたくても払えない人たち。そして移住先もすぐに収穫が上がるような場所ではないということを布告の中で上手く国民に伝えるのが大事ですね」
そしてこれは移住希望者が住む土地を治めている貴族に対する言い訳でもある。未納者が移住するだけであるから、領地にあがる税収に影響は与えないという。
「承知しました。ただ人手が足りませんな」
「全ての駐屯地に手を入れる必要はありません。移住希望者も初めはそれほど多くないはず。整備しても使ってくれる人がいなければ意味がない。どの駐屯地から手を付けるかはそこが豊かな耕作地になるかどうかを確かめてからですね」
「承知しました。そのように手配いたします」
「それが落ち着いたら……これはエルンスト伯に相談です」
「何ですかな?」
相談と聞いてエルンスト伯爵は少し緊張している。国王代行からの相談などただ事であるはずがない。
「……貴族の領地に王国から文官を派遣したら喜ばれますか? 嫌がられますか?」
緊張しているのはグレンも同じ。この相談はかなり踏み込んだ話なのだ。
「それはどのような名目ですかな?」
「領政の手伝い。出来れば指導と言いたい」
「……文官への給与の支払いは?」
「王国の負担。もともと支払うものですから」
「……難しいですな。普通は嫌がられます。ただ領地経営が上手くいっておらず、人を雇う余裕もない貴族家であれば受け入れるかもしれませんな」
国に監視されているような状況を望む貴族などいない。だがそれを受け入れるくらいに困窮している貴族もいないわけではない。世襲である貴族。当たり前だが代々の領主が必ず領地経営の才能があるわけではないのだ。
「じゃあ領地経営が軌道に乗ったら、その分を税として国に納めろと言ったら?」
「何と!?」
グレンの言葉にエルンスト伯爵は目を剥いて驚きを見せている。
「……その反応だと無理ですか」
エルンスト伯爵のその反応を見て、グレンは少し落ち込んでいる。予想はしていたが、簡単にはいかないとはっきりと分かったのだ。
「貴族領はそこを治める貴族家の物。そこから上がる収入を国に渡せと言うのは」
「それは分かっています。何故こんなことを言うかというと、王国を豊かにするというのは直轄地を豊かにすることです。その為に駐屯地を街に変え、耕作地を増やそうとしています」
「それは分かっております」
「でも貴族領は思いの外広い。そこから全く税が上がってこないのは痛い」
「それも分かりますが、さすがに貴族の権利を侵害するのは」
実際には貴族には様々な責務がある。国を守る為の軍を養うことなどその代表的なもの。貴族は自領から上がる税収でその地位や治める領地に見合った軍勢を揃える。それは税金を治めていると同様のことだ。
ただゼクソン王国の場合は少し事情が異なる。対外的な軍事力は守りも全て国軍が担う。貴族軍の役割は領内の治安維持くらいだ。
「貴族領が豊かになっても貴族家が豊かになるだけ。それは問題視していません。問題は領地経営を失敗し無駄になっている土地です。そこに住む領民は王国がどんなに頑張っても楽にはならない」
「……そうですな」
治める領主によって領民の豊かさは変わることは当たり前にある。このグレンの話はエルンスト伯爵も認めるものだ。
「国政がうまくいって直轄地が豊かになった。その時、そういう領民はどう思うでしょう? 不満が生まれないでしょうか? それが領内での争いに繋がらないでしょうか? そうでなくても流民となるかもしれない。そうなってしまった領民を王国が保護することも貴族の権利を侵害することになるのでは?」
「…………」
あり得ない話ではない。それが分かっているエルンスト伯爵は、だからといってグレンの考えを今ここで受け入れることも出来ないエルンスト伯爵は黙るしかなかった。
「そして、そうなった時に王国はその貴族家を潰さなければならない。そうなる前に何かをしたい」
「……王の思いは分かりました。少し考えさせてください。貴族の一人として考えてみます」
「お願いします」
グレンとしては、これはかなり思い切った発言だった。父親の二の舞になるかもしれない。そんな思いがあってもグレンは言わずにはいられなかった。
貴族は必要なのか。それを考えなければいけない立場にグレンは既に置かれてしまっているのだ。