月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

勇者の影で生まれた英雄 #102 同盟締結

異世界ファンタジー小説 勇者の影で生まれた英雄

 グレンのゼクソン王都滞在は二か月で終わった。
 私生活はヴィクトリアとメアリーの間を行き来するという傍目には羨ましい、グレン本人にとっては気恥ずかしさと気まずさを感じる毎日だった。ヴィクトリアとメアリーの方は王族らしく、互いの立場を尊重し合って接しているうちに理解も親しみも深まり、少しずつではあるが良い関係といえるようになっていた。それもまた、グレンにとって嬉しくはあるが女性二人に翻弄されているようにも感じる原因になる。それでも二人の妻と子供に囲まれた生活は、ぎこちなさを残しながらも、それなりに楽しい日々だった。
 問題は国王代行としての国政の方だ。
 グレンから見ても、これで良く回っていたと思う程の圧倒的な人材不足。領土が広い分、それはルート王国との比ではないくらいに深刻だった。
 銀鷹傭兵団に繋がりがあると思われる文官を一気に摘発したことの影響がないわけではないが、軍事に片寄り過ぎた組織はやはり元々人手不足だったのだ。
 この事態の解決を図る為に、グレンはゼクソン王都を早めに離れることにした。

 ゼクソン王都から西へ街道を一週間程進み、そこから三日ほど南に下った場所。そこはエルンスト伯爵であるゲルハルト・ライプニッツの領地になる。領主館があるエルスハイムは、突然の国王代行の来訪に街中が大騒ぎになっていた。
 そんな外の喧噪も領主館内にある応接室には届かない。その応接室で領主であるエルンスト伯爵はグレンを迎えていた。

「この様な場所に国王代行をお迎えするとは恐縮ですな」

 言葉ではこう言っているが、エルンスト伯爵の表情や態度はとても恐縮しているような、それではない。

「急に伺って申し訳ありませんでした。ウェヌス国境に向かうところでしたので、この機会にエルンスト伯にご挨拶をと思いまして」

「ウェヌスとの同盟交渉ですかな?」

「早耳ですね。まだ公表していないのにどうして知ったのですか?」

「国政を離れても耳を塞ぐつもりはありませんからな」

「……なるほど」

 グレンとしては、誰からそれを聞いたのか知りたかったのだが、それはエルンスト伯爵にはぐらかされた。

「同盟交渉に側妃を連れてですか」

 エルンスト伯爵は視線をメアリーに向けて、これを口にした。態度としてはかなり無礼だが、グレンもメアリーも特に咎めることはしない。

「ウェヌス王国の新王はマリアの兄ですから。会えるなら会わせてやろうと思いました」

「マリア?」

「名をゼクソン風に改めました」

「ほう……あっ、それくらい当然ですな」

 改名はゼクソンに染まろうという意思表示。それを知って緩みかけた気持ちを、エルンスト伯爵は慌てて引き締める。

「それとエルンスト伯にもご紹介をと思いまして」

「……それでしたらヴィクトリア様にお会いしたかったですな」

「ヴィクトリアでしたら王都に行けば、いくらでも会えますが?」

「…………」

 嫌味のつもりで口にした言葉を、グレンに上手く返されてエルンスト伯爵は黙り込んでしまう。

「エルンスト伯の下にも召喚状が届いているはずです。王都に上がり、ヴィクトリアに会うことは出来るはずです」

 この召喚状をエルンスト伯爵は無視しているのだ。それが、グレンがこの場所に来た理由。

「儂は国政を引退した身だ」

「先ほど耳は塞いでいないと言いました。いつでも戻る準備は出来ているのではないですか?」

「……そのつもりはない」

 エルンスト伯爵の顔がしかめられる。会話の駆け引きでグレンに押されているのをエルンスト伯爵は感じている。

「この国は国政に携わる人材が不足しています。それはご存じのはず」

「当然だ。だから召喚状を出したのであろう?」

「はい」

「それに応える者は少なくないはずだ」

「召喚状を出して、それにすぐに応える方は量の過多はそれぞれとして野心をお持ちです」

「何と……」

 グレンの説明にエルンスト伯爵は驚きを示している。どうやらグレンは自分が思っていたような人物ではない。こんな気持ちが心の中に広がっていく。

「立身出世を望んで仕事に励むことは結構です。ですが、過ぎた野心は困ります。それがこの国を乱す原因になったのですから」

「召喚状は試しか?」

「もちろん仕事を任せるに相応しいと思えば、官職に就いてもらいます。ただ要職には就けたくありません。そういう立場になる方は別に選びたいと思っております」

「召喚状に応じなかった者からか?」

「はい。ただ召喚状に応じない方にも問題がある可能性があります」

「問題とは?」

「王都に上がれない後ろめたいところがある」

 グレンは不正の可能性を示唆した。

「儂にそんなものはない!」

 それに反応するエルンスト伯爵。グレンの思っていた通りの反応だ。

「知っています。ですから、ここに真っ先に来たのです」

 エルンスト伯の怒鳴り声にも全く動じる様子を見せずにグレンはこう告げた。エルンスト伯の顔から怒気が消えて、疑問が浮かぶ。

「どういうことだ?」

「エルンスト伯のかつての仕事については、失礼ですが調べさせて頂きました」

「地味な仕事だ」

「はい。エルンスト伯の人柄が分かる様な地味で堅実な仕事ぶりでした」

「……煽てられても」

「今のゼクソンに必要なのは才覚をひけらかす方ではなく、地味な仕事でも着実にこなす方です。この国の内情はボロボロです。ですが、それは何もしなかったからです。行う必要があることを普通に行えば、この国は立て直せます」

 野心を持たず、ただ黙々と為すべきことを行う。これが出来る人材がどれだけ貴重な存在かグレンは知っている。人には大なり小なり他人に認められたいという思いがある。それを完全に押し殺すことは簡単ではない。

「立て直せる。そうなのか?」

「やるべきことをやればです」

「……それを儂にやれと?」

 グレンの話にエルンスト伯爵は心が揺れている。ほとんど他人に認められることのなかった自分の仕事ぶりをグレンは調べ、それが必要だと言っている。これもまた他人に認められたいという欲求からの感情だ。だが国王代行であるグレンに認められることに喜びを感じるのであれば悪いことではない。

「はい。それともう一つお願いがあります」

「何だ?」

「類は友を呼ぶと言います。エルンスト伯であればご存知ではないですか? 無駄な野心がなく、ゼクソン王国の発展を心底願い、私心を捨てて堅実に働いてくれる方を」

 グレンの求める人材はエルンスト伯爵だけでは足りない。とにかく多ければ多いほどいい。その人材の発掘をグレンはエルンスト伯爵に頼ろうとしている。

「紹介しろと言うのだな?」

「はい」

「儂がそれをすれば、儂に恩を感じてしまう。派閥が出来ることになるな」

「それを口にする方ですから、こうして来たのです。それをやられますか?」

「やるはずがない」

 聞くまでもない。エルンスト伯爵の答えはこの前の言葉で分かっている。

「では問題ありません。エルンスト伯は名を俺に告げるだけです。それをしたことを黙っていれば相手が恩を感じることはありません」

 それでもさらに一工夫入れるのがグレンらしさ。根本のところで他人を信用していないのだ。

「そうだな」

 エルンスト伯爵はそれに対して何も言わない。慎重であることは悪いことではない。こう思える度量がエルンスト伯爵にはある。この点でもグレンがエルンスト伯爵を選んだのは正解だ。

「勧誘はヴィクトリアが行います。ヴィクトル王にやってもらいたいのですが、まだ言葉が話せないので」

「……今のは冗談か?」

「本気ですけど?」

 ゼクソン臣民の忠誠はヴィクトルに向けるべき。これをグレンが忘れることはない。
 
「……良いだろう。才覚を期待されないのであれば、いくらでも働ける。王都に上がる」

「ありがとうございます」

「それと自分で言うのも何だが、儂が王都に上がれば続く者も出るだろう。皆、意地になっているだけなのだ。その筆頭である儂が折れたとみれば、自分もと思ってくれるはずだ。それと国に疑いを持っている者もいる。本当にこの国が変わると分かれば、そういった者も応じてくるはずだ」

「変わりますよ。そうでなければ、俺が国王代行になった意味がない」

 しがらみのないグレンだからこそ出来ることがある。この利点をグレンはゼクソン王国で活かすつもりだ。

「……良い国になりますかな?」

「それは貴方たちが為すことです」

 これがトドメ。グレンは決してゼクソン王国を、王家を蔑ろにしないと、エルンスト伯爵は思うことが出来た。

「そうですな。では、陛下。微力ながらこの身全てを持ってお仕え致します」

「よろしくお願いします」

「それと……」

 エルンスト伯爵の視線がマリアに向く。

「何かしら?」

「マリア様。ご無礼をお許しください」

「気にしていないわ。ウェヌスの王女であった私に冷たい態度を取るということは、それだけこの国を思っているという証拠よ」

「……試しましたな?」

 マリアを連れてきたのはこれを確かめる為。マリアの言葉でエルンスト伯爵にも分かった。

「俺は慎重な性格で」

 エルンスト伯爵の視線にグレンは悪戯を見つかった子供のような無邪気な笑みで応えた。それは「この方にはかなわない」。こうエルンスト伯爵に思わせてしまうような笑みだった。

 

◆◆◆

 エステスト城砦の前面の街道には、二千程のウェヌス王国騎士団が展開していた。同盟締結の為に、やってきたジョシュア王の護衛の兵たちだ。
 街道のすぐ脇には締結の場として用意された天幕が張られていて、その前にジョシュア王を筆頭にウェヌス王国の重臣たちが揃っている。
 重臣の臨席はゼクソン王国を立てる為というよりは、それぞれに思惑があってのことだ。
その中にはランカスター宰相、それに健太郎の姿まであった。
 エステスト城砦を眺める人々の目に、その門が大きく開く様子が映った。騎乗した人々が次々と門から外に出て、坂道を下ってくる。
 整列している騎士団からわずかにあがった、うめき声にも似た声は、その先頭に掲げられている銀狼の軍旗を確認してのものだ。
 麓に降りたところで城砦を出た騎馬は隊列を方陣のように変えた。中央にいるのであろうグレンの姿は、まだウェヌス側からは確認出来ない。整然と進んでくるその様子にウェヌス王国側の緊張は高まっている。
 向かって来る騎馬は五十程。しかし、エステスト城砦から攻撃されれば、二千程度の騎士団では抗う術はないのだ。
 その緊張がわずかに解けたのは、ゼクソン王国側の騎馬が前進を止めて横に展開しだした時だ。中央から進み出てきた一騎。正装とはいえ、相変わらずの黒一色に身を固めた銀髪のグレンの姿が現れた。
 そして、そのグレンに体を預けて横座りをしている、こちらは真っ白なドレスを纏ったマリアの姿も見える。
 まず先にグレンが馬から降りて、マリアに両手を差し出す。そのグレンに迷わずマリアは飛びこんでいった。グレンは、全く体重を感じさせないくらいに軽々とマリアの腰に手を添えて抱きあげると、ゆっくりとその足を地に降ろした。それに微笑みでマリアは礼を返す。
 ウェヌス王国側からまた、うめき声が漏れる。自国の美姫を奪われたという嫉妬から出たものだ。だが、その感情もすぐに異なるものに変わっていく。
 兵に差し出されたマントを肩に掛け、歩みを始めたグレン。そのすぐ斜め後ろをマリアは付き従っている。
 黒と白。銀髪と金髪。対照的な二人が歩く姿はまるで絵画から抜け出してきたようで、見る者の心を躍らせていった。

「お似合いの二人だな。我は見惚れてしまった」

 いつの間にか一人でジョシュア王が前に進み出ていた。嬉しそうな顔で、マリアに声を掛ける。

「ジョシュア陛下。ご即位おめでとうございます」

「ああ。だが、めでたいのかは分からんな」

 この先の苦難を思うとジョシュア王は即位を喜べない。

「それでも最初は祝賀で始めるべきですわ」

 ジョシュア王の気持ちはマリアにも分かっている。分かっているからこそ、祝福の言葉を贈りたかったのだ。

「そうだな。グレン王。顔を合わせるのは……そうか二度目だな。ウェヌス国王ジョシュアだ」

「顔を見るのは俺にとっては三度目です。ゼクソン国王代行グレンです」

「三度目? そんな機会はあったかな?」

「出陣式の時に一方的に見ただけです」

 しかもグレンは参列者席にいた。ジョシュア王の記憶に残るような状況ではない。

「そうか……出陣式、あれが始まりか」

 その戦いをきっかけにグレンはウェヌス王国を離れ、敵方に回った。

「俺にとっての始まりはもっと前からだと思います」

「そうか……メアリーが幸せそうで我はとても嬉しく思う」

 重くなりそうな話は避けようと、ジョシュア王はマリアとの結婚に話を変えた。

「ジョシュア陛下。私は名をマリアと改めました」

「……ゼクソンに合わせたか」

 改名の意味をジョシュア王はすぐに察した。滅多にあることではないが、こういう対応はマリアだけのことではないのだ。

「今後はそうお呼びください」

「分かった」

「それと最初にお話がございます」

「何だろう?」

「ゼクソンに連れて行った伴の者たちをお返し致しますわ。異国の地では皆も心細い思いをするでしょうから」

「……そうか。分かった。ではこれが終わったら、王都への帰還に同行させよう」

「よろしくお願いいたします」

 マリアとジョシュア王の会話を聞いているウェヌス重臣の何人かの顔が苦々しいものに変わっている。名を改め、情報収集の役目を密かに担っている伴の者を返すということは、ウェヌス王国との決別を宣言したという意味だ。

「後ろの方々は、かなり高位の方たちですか?」

 後ろにずらりと並んでいるウェヌス王国の人々。身なりから高位の者たちであることはすぐに分かる。

「ああ。ランカスター宰相を筆頭に重臣たちが揃っている」

「それはお気遣い頂いたようで。こちらは俺だけです。釣りあいませんね?」

「何の申し入れもなく来たのだ。無礼とは思わん」

「それは良かった。しかし、ウェヌス王国に仕えた時期もありましたが、ほとんどの方のお顔を知りません。あの方たちが新たに王に成られたジョシュア王を支える忠臣ですか」

「……そうだな。だが、王というのは孤独なものだ。常にそれに頼れるわけではない」

 遠まわしにジョシュア王はグレンの言葉を否定する。ジョシュア王にとって忠臣と呼べる者はその中にはいないのだ。

「……なるほど。孤独ですか。俺は帝王学など学んだことのない身です。王の心得として、肝に銘じておきます」

 ジョシュア王の気持ちはグレンにも伝わった。

「さて、では条約の話を進めよう」

「そちらは何名ですか?」

「我を除いて二名だな」

「護衛の騎士の数は?」

「三名だ」

「分かりました」

 そう言って後ろを振り返る事もせずにグレンは片腕をあげて手を拡げた。それを見て、後ろに控えていた兵たちの中から四名が進み出てくる。

「では参りましょうか?」

「ああ」

 連れだって天幕の入り口へと向かうグレンとジョシュア王。それに駆け寄ってくる者がいた。

「グレン!」

 健太郎だ。二人に近付こうとする健太郎を遮る様にグレンの後に続いていた兵が前に出る。腰の剣に手を掛けている兵を見て、健太郎は血相を変えて、また叫んだ。

「何だ、お前ら!? 勇者の僕に刃向う気か!?」

「王に近付くな。近づけばそういうことになる」

「僕は勇者だ。勝てると思っているのか?」

 変なことをするつもりは健太郎にはない。グレンと話す機会を持ちたいだけだ。だが相手に敵意剥き出しの態度に出られると、ついこんな反応を見せてしまう。

「王をお守りするのが我らの役目。相手が誰であろうと関係ない」

「なっ?」

 全く怯む様子のない兵に、健太郎の方が動揺してしまっている。そこにすかさずランカスター宰相の叱責の声が飛ぶ。

「大将軍! 控えろ!」

「えっ?」

「相手は一国の王だぞ! その名を呼び捨てにし、許しもなく近づくなど無礼ではないか!」

「でも……」

「いいから下がれ!」

「……ああ」

 不満そうな顔を見せながらも、健太郎は後ろに下がっていった。それを確認したところで兵たちも、グレンの後ろに戻る。

「……グレン王。大将軍が失礼した。許されよ」

「失礼ですが?」

「宰相を務めておりますアルビン・ランカスターです」

「そうですか。ランカスター宰相、あの者の無礼は俺もよく知っています。それで謝罪していては、頭を上げる暇がありませんよ」

「…………」

「ランカスター宰相は冗談が通じない方のようだ。言いたいのは、あの者の言動に対して私は気にしませんということです。謝罪は無用です」

「承知しました。では、天幕の中へ」

「ああ」

 そう言いながらも先に天幕に入ったのは、後ろにいた兵だ。天幕に刺客がいないかと警戒しての行動であることは明らかだが、それにウェヌス王国側が文句を言うことはない。
 逆の立場であれば同じ様にする。これも作法の一つだ。
 全員が天幕に入って左右に座る。それだけでウェヌス王国側が相当に気を遣っていることが分かる。大国であるウェヌス王国が奥の上座に並んでも、おかしくないのだ。ウェヌス王国というよりジョシュア王の気遣いだ。

「では、早速、条約書面の確認をお願いいたします」

 ウェヌス王国側の文官らしき男が紙を取り出して、ゼクソン王国側に差し出してきた。それを受け取ったのはクレインだった。クレインもまた紙を取り出して、それと受け取った書面を見比べていく。

「……追記をお願いしたい箇所がありますね」

「追記ですか?」

「移住家族に関する記述ですがね。"未成人の者"の前に"締結日時点で"を追記してください。連絡が付いた時には成人になっていましたでは、家族によって差が出ますね」

「……ランカスター宰相?」

「それもそうだ。そうしよう」

「はっ」

「後は"未成人の者、怪我や病気で"となっていますが、"未成人の者、もしくは怪我"に変えましょう。この方が分かり易いですね」

「かまわない」

 文官を間に挟むことなく、ランカスター宰相は了承を口にした。

「グレン王。僕が見たところ、事前の調整から漏れていたのはこれくらいですね。目をお通し下さい」

「ああ」

 クレインがテーブルの上で滑らせてきた書面をグレンは手に取って目を通し始める。

「グレン王は臣下にもそう呼ばせているのですか」

「ゼクソン王国の国王はヴィクトル陛下ですからね。陛下とお呼びするのはヴィクトル陛下だけですよ」

 それに答えたのはクレインだった。

「ふむ……」

 腑に落ちていない表情を見せるランカスター宰相。その反応を書面に目を通すふりをしてグレンが探っていることには気が付いていない。

「俺も特にないな」

「では、こちらで書き直させて頂きます。少々お待ち頂けますか」

 グレンの言葉を受けて、ウェヌス王国側の文官が書面を再作成し始めた。その間は待つことになるのだが、そこでランカスター宰相が真っ先に口を開いた。

「今更なのだが、一つ相談したい点があります」

「何ですか?」

「エステスト城砦ですが、共同管理というわけには参りませんか? 貴国側は良いが、ウェヌスの商人は他国の城砦を前にしては落ち着けないでしょう。それが交易の活性化を邪魔することにならないかと懸念しております」

「共同管理……両国の軍が駐屯するわけですか?」

「そうなります」

「それで両軍の交流が深まるとなれば良いですが、いざこざが起こってはどうします? 同盟の破棄どころか、再戦などとなる可能性もあります」

「そこは両国の努力ということです」

「……考えても良いですよ」

 少し考える素振りを見せて、グレンは検討の余地があることを告げた。

「本当ですか?」

「但し、エステスト城砦内の物資は一旦引き上げさせて頂きます。その上で両国が自国の駐屯部隊の分を運び入れることにする」

「それは当然です」

「ただ時間が掛かりますね。どれくらいだろう?」

 グレンは質問をクレインに向けた。

「……およそ半年というところですね」

「それくらいはかかるか。まあ交易所が出来上がるまでにはもっと掛かりそうだ。問題はないか。それでもかまいませんか?」

「構わないですが、半年もかかるのですか?」

 物資の搬出に半年もの期間が必要とはランカスター宰相には思えない。それが気になって、グレンに尋ねた。

「それは僕から。兵器の解体はいきなり出来ませんね。搬出口の確保、解体部材の置き場の確保に二か月。それから解体。すべてを同時にとはいきませんので」

「ちょっと待ってくれ。兵器の解体とはどういうことだ?」

 グレンの代わりに事情の説明をしてきたクレイン。その説明の中身に驚いてランカスター宰相は細かな説明を求めた。

「城砦内に設置してある兵器ですね」

「しかし、それは」

「エステスト城砦とはあの場所を指しているのではないですか? 弓矢は城砦とは言いませんね。物資ですね」

「いや、それはおかしい。そもそも」

「あっ、そうか。ではこうすればどうですか?」

 異議を訴えようとしたランカスター宰相を遮る様に今度はグレンが声をあげた。

「何ですか?」

「エステスト城砦を交易所にしてしまえば良いですね。兵器を取り払えば、物を置く場所は確保出来ます。搬入が大変ですが、橋を架けるか土を盛るかして、城砦までの道をなだらかにしましょう。大変な工事ですが両国の兵が協力し合えば可能です」

「…………」

 一気に述べられたグレンの言葉を受けて、ランカスター宰相は考え込んでしまった。エステスト城砦を失くしてしまうことはウェヌス王国にとっては良策だが、あまりにグレンたちの反応が早過ぎた。あらかじめ想定していたことは明らかだ。裏がある。そんな疑心暗鬼にランカスター宰相はとらわれてしまった。

「いかがですか?」

「一旦保留と致しましょう。交易所の発展は望むところですが、どこまでのものになるか正直見えません。城砦を取り壊してまでの価値があるかどうか」

「それもそうですね。別にいつでも協議出来ることです。まずは条約を結ぶこと。それが優先です」

「ええ」

 その後は特に調整する事柄もなく、文官が新たに書き上げた締結書面を確認するだけで終わった。締結書面にお互いの署名を入れて、ゼクソン王国とウェヌス王国は同盟国となった。

 

 締結が終わって天幕を出た後、グレンとジョシュア王、そしてマリアは三人だけで立ち話をしている。名目はマリアとジョシュア王の兄妹としての交流。私的なやりとりだ。

「ではマリア。元気でな」

「ええ。兄上も……頑張って」

「どこまで頑張れるものか。我の力はあまりに小さい」

 苦笑いで内心の不安をごまかそうとするジョシュア王。

「以前、トルーマン閣下に俺はこう教わりました。戦いの勝敗は負けたと思った方が負けだと」

 そのジョシュア王にグレンはかつてトルーマンに聞いた言葉を教えた。

「負けたと思った方が? そういうものなのか?」

「トルーマン閣下は戦いには士気が大切だと。それが低ければ、どれほど数が多くても勝てないと言っていました」

「士気か……」

 ジョシュア王は戦場に立ったことがない。軍事的な才能も、お世辞にもあるとはいえない。グレンの言葉が今ひとつ理解しきれなかった。

「ただ俺はこう思います。士気以前に戦う覚悟が必要だと。その覚悟が途切れることがなければ何度負け続けようと戦い続けることが出来る。戦い続けていれば、いつか勝つこともあります」

「……そうだな」

 いつか勝てる。それを信じるしかない。グレンに言われるまでもなくジョシュア王はこう思っている。

「ジョシュア王。貴方は王になった。それは戦う覚悟を持ったと思って良いですか?」

 先代が退位してジョシュアが国王になった意味。それをグレンは確認する。

「そうだ。我は戦う為に王になった。わずかでも力が増すのであればと思ったのだ。だが……わずかだったな」

 ジョシュア王の顔が歪む。国王になっても得られたものは、責任だけだった。武器といえるようなものは何もない。

「それでも覚悟を持てた貴方は弟であるエドワード大公より上です」

「我が弟より上? そのようなことは初めて言われた」

 グレンの言葉にジョシュア王は目を丸くしている。

「人の才など努力で磨かなければ光りません。使わなければないも同じです」

「……そうだな」

「決して焦らない様に。貴方に必要なのは国王でいることです。それだけでウェヌス王国の守りになるのです。それだけでも大変なことでしょうけど」

「……続ける覚悟があれば良いだけだな」

「はい。では、これでお別れです」

「そ、そうか」

 急に会話を終わらせようとするグレンに、ジョシュア王は戸惑う。ジョシュア王はもう少し話をしていたいのだ。

「握手って知っていますか?」

「……ケンがしている挨拶だな」

「はい。約束という意味もあるそうです。武器を隠し持っていないということを示し、利き腕を預けることで信頼を示す意味も。これは聖女に聞きました」

「それは聞いていなかったな」

「握手をしましょう」

「それは構わないが」

「約束の握手です。貴方が戦う覚悟を持つ限り、その覚悟が正しい方向に向かっていれば、いつか一緒に戦うことになるでしょう」

「それは……」

 ジョシュア王にウェヌス王国を簒奪から守る意思があるのであれば、ジョシュア王に野心がないのであれば、グレンは共闘出来る。ジョシュア王が戦う相手はグレンの敵でもある。ジョシュア王は守り続ければ良いのだ。敵を討ち滅ぼすのはグレンの役目だ。

「貴方と俺の同盟です。国と国ではなく二人だけの条約です」

「……ありがとう」

 国王になって初めて得た力はグレンという協力者だった。それがジョシュア王は嬉しくて仕方がない。

「礼は早いですね。その日がいつ来るかなど分かりませんし、来てもそれが良いことなのかも分かりません。それで良ければ」

「もちろんだ」

 グレンが差し伸べた手をジョシュア王はがっちりと握りしめた。もう一つの同盟がこれで結ばれることになる。この場にいる三人だけが知っている同盟だ。