地下通路を進み、奥に進むとすでに魔人が待ち構えていた。いつもの事だ。何らかの方法で、グランフラム王国側の動向を監視しているのだ。
前に進み出たのは、マリアとアーノルド王太子、そしてエルウィンだった。マリアの希望を受け入れてのことだ。
カシスたちが魔人を倒すことなど、あり得ないとマリアは思っているが、万一がある。これでマリアにとっての一般キャラであるカシスたちが魔人を倒すような事態になれば、道化のままでゲームが終わる事になる。それはマリアには絶対に有ってはならない事だ。
アーノルド王太子とエルウィンの魔法の詠唱が響く。今はもう魔人も邪魔することさえしない。マリアの魔法では、自分たちは倒せないと見切っているのだ。
実際に放たれた魔法は、ゴランの体を赤く輝かせるだけで、溶かすまでには至っていない。では柔らかくなった体を剣で絶とうにも、もう一人の魔人バロンがそれの邪魔をする。近づくだけで気を失うような毒を発する相手に、剣で戦って勝てるはずがないのだ。
その毒を防ぐには、体を凍らせる事。今度はアーノルド王太子とランスロットの魔法が融合される。火と水の組み合わせ、リオンのそれと同じだ。
魔法を受けてバロンの体が凍りつく。あとはその体を凍ったまま打ち砕く、だけなのだが、当然、それはゴランが邪魔をする。バロンの体から放たれた冷気がゴランの体を冷やし、元の硬さを取り戻す。
これで降り出しに戻るだ。
魔人にとって、究極魔法フュージョンは天敵のような魔法だったはずが、今の状況は全く逆。鉄のゴランと毒のバロンの組み合わせは、マリアの究極魔法フュージョンの天敵と化している。
「ねえ、魔法で戦うなら、私の出番も作ってもらえるかしら?」
実は魔人との戦いで、シャルロットは全く出番がない。フュージョンの組み合わせの対象にされていないのだ。
「仕方ないでしょ? 土属性との組み合わせで攻撃魔法がないの」
「……使えない」
「何ですって?」
「実際に使えないでしょ!? 勇者なら、さっさと魔人を倒しなさいよ!」
バンドゥの話を聞いて、シャルロットも大いに動揺していた。出番がない戦いなど放っておいて、一人でも飛び出して行きたい気持ちなのだ。その思いが、今、ここで爆発してしまっていた。
「うおおおおおおおおっ!!」
低く唸るような雄叫びが、突然周囲に響き渡った。唸り声の主はカシスだ。
防備を全て外し、上半身は肌まで見せた状態で、剣を上段に構えたまま、雄叫びをあげていた。
「我が剣の真髄は攻めに有り。故に我に守りは不要。ただ敵を討つことだけに、この一身を捧げん」
まるで魔法の詠唱のような言葉を紡ぐカシス。
「リオン・フレイが臣、赤のカシス・ロート! 参るっ!」
カシスの体が、人々の視界から消え、次の瞬間には、その剣は、魔人ゴランに振り下ろされていた。
「なっ、何だと!?」
ゴランが驚きの声をあげる。だが、カシスの剣が、ゴランの体を切り裂いた訳ではない。やはり硬い金属音が響くだけに終わる。だが、カシスの攻撃は止まらない。
振るう剣は一筋の光となり、やがて閃光に変わる。
「こっ、この野郎!」
切り裂くまでには至らなくても、ゴランにダメージは与えているようだ。だが、ゴランを攻めれば、バロンが出てくる。この二人の連携によって、マリアたちは倒す決め手を得られないでいたのだ。
「我が剣の真髄は速さに有り。神速こそ我が生命。ただその域に届く為に、我はこの一身を捧げん」
モヒートの声。カシスと同様に一瞬で姿を消したモヒートは、ゴランを攻めるカシスに襲いかかろうとするバロンの腕を切り落とした。
「ぎっ、ぎぁああああああっ!」
腕から吹き出す血を周囲に撒き散らしながら、バロンがもがいている。
「馬鹿な!? 死ぬつもりか!?」
傷を負わせた。だが、バロンの体は毒だ。その血を浴びれば、それは毒をまともに浴びたと同じなのだ。
だが、モヒートはその場に倒れる事なく、それどころか、姿を捉えきれない程の速さで動き続けている。見切る力のない人々には、ただ風切音が聞こえるだけだろう。
「……あれは?」
カシスとモヒートの戦いを見て、アーノルド王太子も呆然としている。ずっと一緒に戦ってきたが、こんな彼らを見るのは初めてだった。彼らの動きは常人のそれを超えている。彼らも又、魔人だ、と言われても信じてしまうくらいだ。
「内気功、でしょうか?」
アーノルド王太子の呟きに総指揮官が答えた。
「それは何だ?」
「体の中にある気を使って、常人を超える力を得る技。そう聞いております。自分は使えませんが、近衛騎士団長が使い手です」
「初めて聞いた。あれ程の技を教えないで隠していたのか」
「かなり体に負担がかかる技と聞いております。それをあんな勢いで使って、彼らは平気なのでしょうか?」
平気ではない。だからカシスたちはこれまでの戦いで一度も使っていないのだ。バンドゥ各党に伝わる奥義、を超えて、これは禁忌の技だ。体内の気、つまり魔力を限界まで燃やして、身体能力を高める魔法なのだ。
バンドゥ四党に同じような禁忌の技があった。これが四党の根が同じであったことを証明していた。
「……平気とかの問題ではないな」
体の負担がどうこう以前に、カシスとモヒートはボロボロになっている。ゴランの魔法攻撃を受けて、何本もの鉄の棒に貫かれながら、それでも剣を振り続けるカシス。
モヒートも毒にやられてきたのだろう。瞬間的には視界から消える動きを見せるものの、その間隔は徐々に伸び、制止する時間が出来てきている。表情もかなり苦しげだ。
「さて、そろそろ儂の番じゃな」
彼らが命を賭しても、魔人を倒すことは叶わなかった。多くの者がそう思った時、アペロールが動いた。
「キール!」
振り返る事なく、アペロールはキールの名を呼んだ。
「……はい」
「バンドゥの地を……リオン様を頼む!」
「……お任せ下さい」
アペロールの背に向かって、キールは腰に挿してある剣を立てる。そのまま少し刀を出して鞘に戻した。刃と鍔が当たり、金属音が響く。バンドゥの武人の間での約束の証、金打(きんちょう)という儀式だ。
「……我が剣の真髄は力。我が求めるは一撃必殺の奥義なり。故に我は、この一振りに一身を捧げん!」
詠唱の声が終わっても、アペロールはすぐに動かなかった。剣を天に向かって真っ直ぐに掲げ、彫像のように動かないでいるアペロール。その体から立ち昇る闘気が、陽炎のように揺らめいている。
「リオン・フレイが臣、アペロール・ケルプ……いざ、参る!」
ズンという衝撃音と残像を残して、アペロールは姿を消した。その場から発した閃光が空を切り裂き、ゴランの体をすり抜けたように見える。
「……ば……か」
ゴランの体が中心から真っ二つに割れて倒れていく。
「今だ! 魔法を!」
キールの声を受けて、アーノルド王太子とランスロットの詠唱が重なる。更にマリアの声がそれに続いた。ゴランを倒してしまえば、バロンにフュージョンから逃れる術はない。
体から流れる血とともに、バロンの体は氷像と化した。
更にバロンを襲ったのは、地面から伸びる幾本もの土の柱。それに打ち砕かれたバロンは、粉々になって崩れ落ちていった。
「……やったのか?」
「やったわ。私たち、魔人を倒したのよ! 世界は救われたのよ!」
マリアの喜びの声が、徐々に後ろにいる騎士兵団の者たちにも伝わっていき、歓喜の声が広がっていく。一月にも及び長い戦いに終止符がうたれたのだ。多くの者が何も為すことなく過ごしていたとしても、それでも無事に家に戻れるという喜びは、押さえられるものではない。
喜びの声は、地下道が震えているのではないかと錯覚するくらいの、大音響に変わっていった。
その喧騒の中、バンドゥの者たちは沈痛な表情で、一列に並んで祈りを捧げていた。彼らの前に並ぶのはカシス、モヒート、アペロールの三人の遺体だ。三人が禁忌の技を発した以上、全員がこうなる事は分かっていた。
分かっていても、彼らの死を悔やむ気持ちは、ほんのわずかも薄れるものではない。
「……ごめんなさい。私にもっと力があれば。魔人を倒す事が出来ていれば」
シャルロットも、歓喜の輪に入ることなく、カシスたちの追悼の列に並んでいた。その目からは涙が溢れて止まらない。自分の力のなさが、又、リオンを悲しませる事態になってしまった事が悔しくて仕方がないのだ。
「バンドゥを出た時から戦場での死は決めていました。気にしないでください」
そんなシャルロットにキールが声を掛ける。
「……リオンくんが悲しむ。又、彼は大切な人を失ってしまったわ」
「そうですね。死ぬなと言われていたのですけど。やはり、我らはリオン様の期待に……応える事が……」
慰めるつもりのキールも、ここで堪えきれなくなった。三人の無念の思いがキールにはよく分かる。
最初は死ぬつもりだった。だが、リオンの言葉を聞いて、全員が生きる道を望んだ。リオンの臣として、少しでも長く同じ時を過ごすことを望んだのだ。だが、その願いが叶えられる事はなかった。
彼らが残した言葉。「リオン・フレイの臣」は彼らの最後の意地だ。リオンにまだ認められていなくても、自称であろうと、リオンの臣として死んでいきたい。そんな思いから出たのだと、同じ気持ちを持つキールには分かっている。
「……本当に、これで終わりなのか?」
「ブラヴォド殿、それは、どういう意味ですか?」
「いや、意味というか……」
ただ漠然とした不安。これをブラヴォドが感じ取ったのは、間者という闇の稼業で生きる者が持つ、独特の勘というものなのだろうか。
「シャルロット殿?」
その勘をキールは信じた。
「私には分からない。アーノルド様!」
キールの不安はシャルロットにも伝わり、アーノルド王太子に確認する為の行動を取らせた。本当は、マリアに確認すべきなのだろうが、もうシャルロットはマリアの言うことは全て信じる気になれなくなっている。
勝利を祝う者たちの応対に追われていたアーノルド王太子だったが、シャルロットの呼び掛けに応えて、近づいてきた。
「……どうした?」
三人の遺体を見て、アーノルド王太子の顔が歪む。真っ先に、彼らの死を悼む時間を持てなかった自分を悔やんでいるのだ。
「アーノルド様、魔人との戦いは何をもって終わりと判断出来るのですか?」
「……何?」
「たしかに魔人は倒しました。でも、これで本当にバンドゥの魔物の脅威は去ったのでしょうか?」
「それは、いや、待て」
シャルロットに改めて問われて、アーノルド王太子の頭にも疑問が湧いた。ここは魔人の本拠地のはずだが、まだ本拠地である事を確かめられていない。その証拠となる存在がいないのだ。
「魔物はどこにいるのですか? この場所には何十万という魔物が居るはずです」
同じことをシャルロットも考えた。魔物は地下に隠れていたはず。その魔物は、この場所に到着した日を最後に見ていない。
「……マリア! 魔物はどこに居るのだ!?」
「えっ!?」
「地下に潜んでいるはずの、魔物の大軍はどこに居るのだ!?」
「この先の広大な地下空洞に居る! 後は、その巨大な空洞を崩して埋めてしまえば良いの! それこそシャルロットさんの出番ね!」
「この先だ! 急ぐぞ!」
「えっ!? どこに行くの!? 大量の魔物が居るのよ! 危険よ!」
マリアの忠告など、アーノルド王太子たちは聞く気はない。その危険な魔物を確認しなければならないのだ。魔人が何度も出入りしていた扉の奥に、アーノルド王太子たちは進む。
そして、辿り着いた地下空洞。そこは、ただただ広大な空間が広がっているだけの、何も、何者も居ない場所だった。
「……何も居ない」
「いえ、何かは居たようです。地面に何のものか分からない足跡が大量に残っています」
アーノルド王太子が灯した炎によって照らされた地面には、確かにキールの言うとおり、足跡が残っている。足跡だけではない。生物の反応がない広大な空間でありながら、明らかに獣臭のような匂いが漂っている。
魔物はここに居た。確かにここは本拠地だった。だが、居たはずの魔物はどこに行ったのか。王都の襲撃に向かった可能性はある。だが、この場に居る誰も、こんな風には思っていない。
この場に居た魔物はバンドゥ領に居るのだ。
「罠、いや、囮か」
「恐らくは……」
「本命はバンドゥ、いや、リオンだな。俺は何て馬鹿なのだ」
「敵の策略が巧妙だったのです」
本拠地を囮に使う。策としてはかなり大胆なものだ。嵌ったとしても仕方ない所はあるだろう。
「敵の気持ちになってみれば、すぐ分かったのだ。魔人どもにとっての最大の敵は、最大の邪魔者は誰か。その排除に動くのは戦略の基本だ」
「バンドゥは……」
「すぐにバンドゥに向かう! 間に合うか、間に合わないかは今は考える必要はない! とにかく動く事だ!」
「はっ」
アーノルド王太子から話を聞かされて、戦勝気分も吹き飛んだ王国騎士兵団は、速やかに撤収に入った。廃城からバンドゥまで、軍の行軍では、どれ程急いでも一月半は掛かる。それでも向かわない訳にはいかなかった。
◆◆◆
決戦場の本命だったバンドゥの状況は、アーノルド王太子たちが考えているよりも遥かに過酷なものだった。
投石器、バリスタの為に用意していた石や矢は全て撃ち尽くした。それで遠距離攻撃の手段は、リオンとエアリエルの魔法だけになった。威力としては投石器なとを超えるものだが、永遠に撃ち続けられるものでもなく、魔物は外壁の周囲を囲む堀のすぐ向こうまで接近するようになった。距離が近づけば、数の力は威力を増す。魔物から放たれる魔法の脅威は強まり、その時点でリオンは外壁をほぼ放棄。突撃部隊である近衛兵団を除く全ての兵を内壁の中に入れて、普通の領民と同じ生活に戻した。
領民の混乱を押さえる為と、最終手段としての一か八かの包囲突破の時に備えて、英気を養ってもらう為だ。死を前に覚悟を決めてもらう為が、正しいのかもしれないが。
だが、そんな状況も、今となっては、大した事ではないと思える。何といっても、今、目の前に居る敵は、戦う気力を奪われしまう程、絶望的な存在なのだ。根源的な恐怖、それを感じさせる何かが、魔物の大軍の中央で、ゆっくりと姿を現していた。
「……あ、あれは、何だ?」
この問いに答えられる者など居ない。問いを発したリオンも、答えを求めた訳ではない。ただ、何か話してでもいなければ、このままへたり込んで、動けなくなってしまいそうなのだ。
魔物、ではない。魔人、でもない。それは、どれほど醜悪であっても、この世界の生物であれば持っている何かを持っていない。見た目ではなく、何かが嫌悪感を抱かせる。何かが恐怖心を感じさせる。この世の中に存在してはいけない何かなのだ。
「まさか……魔神なのか……」
まさか、という言葉を使っているが、リオンはそうであると確信している。今の世界からかけ離れた存在。目の前の存在は、そういう表現がピッタリだ。
「バッドエンド……あの女、失敗したのか? それとも……」
自分が失敗させたのか。リオンは言葉にはしなかったが、そう考えている事は仕草で分かる。出来るものなら、このまま掻きむしってしまいたい。そんな雰囲気でリオンの手は、自分の両目に当てられている。
不吉な証であるオッドアイ。今の状況はこいつのせいだと。
「リオン……それは違うわ」
そんなリオンの考えを、エアリエルは否定する。
「でも、これじゃあ、全員死ぬ事になる」
魔神復活のバッドエンド。それはグランフラム王国の滅亡を意味する。そういう設定のはずなのだ。
「それはリオンの責任ではないわ。それに死ぬなんて決まっていない。リオンが守ってくれるわよね?」
「エアリエル……」
「リオン、貴方の瞳はとても綺麗だわ。私は、その瞳に出会えて幸せよ。悲しい事が有っても、やっぱり私はリオンに出会えて幸せなの」
リオンの瞳をじっと見つめているエアリエル。綺麗、初めて会った時も、その後も何度もエアリエルが口にした言葉。それがリオンの心を何度も救ってきていた。
「ありがとう」
「自分もそうです!」
「……マーキュリー?」
「リオン様がバンドゥに来てくれて、本当に良かったと思っています! リオン様はバンドゥの人々を幸せにしてくれました! この土地に住む全員が、リオン様に出会えた事を感謝しています!」
「……あ、ありがとう」
エアリエルの言葉がリオンを救い、マーキュリーの言葉が、リオンに力を与える。人の為に行動するリオンに、恐れるものはないのだ。
「戦いに出るのであれば、お供いたします。ちなみに自分も貴方に出会えて感謝しております。貴方が認めようと、認めまいと、自分は貴方の近衛になる為に、今まで生きてきたのです」
「……勝手にしろ。後悔するなよ? さすがに、あれは倒せるとは言えない。立ち向かっても、待っているのは間違いなく死だ」
「戦いに命を賭けるのが騎士というもの。自分は近衛騎士です。今更、死など恐れません」
「そうか。じゃあ、付いて来い」
「御意」
恭しくリオンに向かって、騎士の礼を返すソル。慌てて、マーキュリーがそのソルの真似をする。そして、他の近衛兵団の者たちもだ。
「では出陣だ! 敵は魔神! 恐れるな! 魔神に一太刀入れる事だけを考えろ!」
「「「おおっ!!」」」
気合い充分の様子で、出撃準備に入る近衛兵団。
だが、彼らは分かっている。どれだけ気合いを入れようと、自分たちには、魔神なんて化物を倒すことなど出来ないことを。自分たちの役割は、唯一、倒せる可能性のあるリオンを、自分の命を盾にしてでも、魔物の大軍を突破させて魔神の前に向かわせる事だと。
これまで以上の絶望的な戦いが始まる。