カマークの城の会議室。到着してすぐに近衛騎士団長は、そこに通された。一息付く前も与えられない慌ただしさだが、近衛騎士団長にも文句はない。事態の収拾を急ぎたいのは、近衛騎士団長の方なのだ。
通された会議室には、極限られた人数だけが集められていた。当たり前だが、この中で近衛騎士団長が知った顔は、リオンとエアリエルを除けば、ソルくらいだ。
「随分、のんびりとしたご到着で」
リオンの第一声は、こんな言葉からだ。
「のんびりと言われるような旅程ではない。通常よりもかなり早く到着したつもりだ」
実際に、かなり急いで近衛騎士団長は、カマークまでやってきた。通常の半分とまではいかなかったが、それに近い、通常に比べれば驚くほど短い日数だ。
「ここに来るという判断が遅いって事」
「……それは、お前が何を考えているか示さないからだ」
「それは反省している。買いかぶりすぎたな。こちらが下手に動かなくても分かると思っていた」
「分かるか。今も分かっておらん。どうして、ここまで事態を大きくした?」
組織の長二人の処分とはいえ、リオンが伝えてきた事であれば、国王はそれに対して必要な処置を取った。リオンが、そう思えるくらいの信頼感は示していたと近衛騎士団長は思っている。
「……なるほどな。やっぱり分かっていない」
「だからそう言っておる」
「違う。俺が言っているのは、収め方ではなくて、今回の事態そのもの。それは何だと思っている?」
「……王国の重鎮がお前を裏切った、ではないのか?」
リオンの聞き方から、近衛騎士団長は、すでにこれが間違いだと気付いている。ただ、何をどう間違えているか、全く検討がついていない。
「裏切り者は居る。ただ、それが誰に対する裏切りかという事が、この場合は問題だ」
「……お前ではなく、陛下を?」
メリカ王国を利する行為を図っていた。近衛騎士団長が思い付いたのはこれだ。
「そうであれば、俺がこんな無茶するはずがない」
「おい?」
「一応、言っておくけど確たる証拠はない。確信もない。だから、俺もはっきりと行動を示せなかった」
「……説明を進めろ」
今の状況で行動を示していないとリオンが言う事態とはどういう事なのか。近衛騎士団長の内心には不安が広がっていた。
「じゃあ、話す。信じられない話だけど一応は最後まで聞いて欲しい。オリビア様も」
「な、何だと!?」
いきなりリオンの口から飛び出てきた名に、近衛騎士団長は驚きの声をあげた。
「何を驚いている? 居るのは知っていただろ?」
それを言ったリオンの方が涼しい顔だ。
「それはそうだが……この場に居る理由は?」
ここで話すことはグランフラム王国の国内問題だ。それを他国の、それも敵国の王女の前で話すなど近衛騎士団長には受け入れがたい。
「話を聞けば分かる。ただ、どこから話すかな……まずは紹介からか」
「紹介って……」
「必要だろ? この爺は、グランフラム王国の近衛騎士団長だ。名前は……そういえば聞いた覚えがない」
「……フレデリック・ドーソン。このような形でお会いする事になるとは思ってもおりませんでしたが、オリビア王女殿下には、どうぞお見知り置きを」
文句を言いながらも、近衛騎士団長は立ち上がって丁寧に挨拶をする。何といっても近衛騎士団長だ。こういった儀礼はきちんとしている。
「メリカ王国、第二王女オリビア・クロックフォードです。よろしく。隣は、私の近衛であるユーリ・スチュワート」
「ユーリ・スチュワートと申します。高名なフレデリック・ドーソン殿にお会いすることが出来て感激しております」
オリビア王女の紹介を受けて、ユーリも挨拶をする。リオンがメリカ王国の使者を迎え入れたと聞いて、ユーリもカマークを訪れていたのだ。オリビア王女という餌で、リオンによって引き寄せられたが、正しい状況である。
「後はマーキュリーとヴィーナス。それぞれ、俺とエアリエルの近衛だな」
「お前の近衛だと?」
リオンの側にソルを置いておきたい近衛騎士団長としては、いささか気になる紹介だ。
「一応は領主だ。近衛を名乗る者が居てもいいだろ?」
近衛騎士団長の気持ちなど知らないリオンは、この反応を、自分の身分で近衛をつけている事に文句があるのだと誤解した。
「それはそうだが」
「他家の人事に文句を言うな。紹介が終わったからには、本題に戻るからな」
「……ああ」
確かにバンドゥ子爵家の人事に文句を言える立場ではない。それにリオンが近衛だと認める人物だ。若くても、それなりの何かがあるのだと、近衛騎士団長は考えた。
実際にどうであるかは、後で確かめれば良い事だ。今は本題を片付けるのが先だ。
「さて、裏切り者の存在。それが何に対する裏切りかって事だったな」
「ああ、そうだ」
「話す前に確認したい。もし、俺が分散した兵をまとめて、メリカ王国を経由して逃げなければどうなっていたと思う?」
「……逃げた?」
「そう。俺は別にメリカ王国に攻め入ったつもりはない。そこしか逃げ場がないと思ったから、逃げただけだ。オリビア様の居た本営を攻めたのは、逃げ道を造る事と指揮系統を乱す事で、逃げやすくなると思ったから」
「だが、お前は初めからメリカ王国に攻め入るつもりだったのではないか?」
「だから逃げる準備。一応、かなり嫌われている自覚はある。戦場のどさくさに紛れてなんて、よくある話だ」
歴史小説などでは。こんな小さな懸念でも、万全な態勢を取ろうとするのがリオンの恐ろしさだったりする。もっとも、この場合は、リオンは少し嘘を付いている。裏切りを警戒していたのは事実だが、バンドゥ領軍とハシウ王国を動かしたのは、オクス王国がバンドゥに攻め込む隙を与えない為だ。そして、この場でそれを話さないのは、オクス王国の裏切りをグランフラム王国に知らせない為。
「……ふむ」
そんな事は近衛騎士団長には分からない。それに今は、この件について長々と話している時でもない。
「さて、逃げないで居るとどうなった?」
「指揮命令を受けられない状況では、多くの部隊が混乱の中で、メリカ王国軍に討ち取られる事になったであろうな」
「それから? 迎撃軍はどう動いた?」
「南下したメリカ王国軍を追って、我軍も動いた。メリカ王国も又、その後背を我が国の迎撃軍に襲われ、大きな被害を出した」
「それは聞いている。俺が知りたいのは、迎撃軍はいつの時点で動いたかって事。それが俺の考えの裏付けになる」
「……いつ動いた?」
近衛騎士団長は、リオンの問いの意味がまだ分かっていない。
「どうして、俺がメリカ王国の本営を落とした事を知った? その当時、グランフラム王国の情報網はまったく機能していなかったはずだ。仮に何らかの事で知ったとして、それから南下させて間に合ったのか? 本営陥落の情報は距離的にメリカ王国軍の方が早く入手しているはずなのに」
「確かに……」
時系列の誤認。よほど細かく、正確な情報を入手しなければ、両軍の行動を正確に並べるなど困難だ。ただでさえそうであるのに、今回は、正確であるはずの自軍の情報さえ怪しいとなれば、それを信じる方が間違っている。近衛騎士団長も時系列の矛盾には気付いていたのだ。ただ、リオン襲撃が目的だと考えていた事で、広い範囲を疑うことを見落としていた。
「……結局、お前は何だと思っているのだ?」
「裏切り者の目的は一人でも多く人を殺す事。死ぬのは誰でも良いんだ。人間であれば」
「……何だと?」
リオンの言葉の意味を近衛騎士団長は理解した。理解したが、とても信じられる事ではない。一方で、オリビア王女たちは、リオンが何を言いたいのか分かっておらず、腑に落ちない顔をしている。その様子を見てリオンは、オリビア王女に向かって話を始めた。
「オリビア様は、魔物が何故、人を襲うと思いますか?」
「それは、そういう存在だからではないですか? 魔獣が人を襲うのと同じ」
魔物が活動していないメリカ王国の人間であるオリビア王女に思いつくのはこれくらいだ。仮に魔物が活動していても、マリアがいなければ、魔人の存在も、その目的も知ることは出来ない。
「魔物だけが暴れているのであればそうかもしれません。ですが、魔物は魔人と呼ばれる者に操られて人を襲っているのです」
「魔人というのは?」
「詳しい事は俺も分かりません。ただ、魔人の目的は、彼らにとっての神である魔神を復活させる事だそうです」
「……魔人の神。そんな存在が居るのですか?」
オリビア王女はお伽話でもそんな存在を聞いたことがない。いきなりこんな話をされても、今ひとつピンと来ていない。
「それも分かりません。ですが、魔人は存在すると信じて行動している。さて、ここで疑問が生まれます」
「疑問ですか?」
「はい。その魔神を復活させようとして行動しているはずの魔人たちですが、やっている事は魔物を使って、人々を襲っているだけです。おかしいと思いませんか?」
「……えっと、ごめんなさい。分からない」
「封印されているなら、その封印の鍵を解くとか、壊すとかそういう行動があるべきだと俺は思います」
「……そうね」
同意はしているが、やはりオリビア王女はピンときていない。リオンがこういう事を考えるのは、ゲームやファンタジー小説の知識があるからだ。そういう文化がないこの世界の人には中々生まれない発想だ。
「でも、魔人はそういう行動をしていない」
リオンが断言しているのは、マリアがそれを防ぐ行動をとっていないからだ。ゲームの主人公であるマリアも、魔物の襲撃を防ぐ行動しか行っていない。魔人が封印解除に動くというイベントはこれまで発生していないのだ。もちろん、この先にあるのかもしれないが、今の時点では、リオンはその可能性を排除して考える事にしている。
「それにより、魔物に人を殺させるという行為が、魔人の目的である魔神復活に結びつく行動なのだという可能性が高くなります。これはどういう行為だと思いますか?」
「……まさか、生け贄ですか?」
「おっ、さすが」
「大陸南部に伝わる古代神の伝承にそんな話があると聞いたことがあります」
「そうでしたか。事実かは分かりませんが、俺はそう考えています。魔神復活の為には、多くの人の命、生け贄が必要で、その為に魔物に人を襲わせている。さて、ではもう一つ質問を。多くの人の命を奪うという事であれば、別に魔物を使わなくても出来ると思いませんか?」
「……まさか」
ようやくオリビア王女にも分かった。それはとても信じられない事だが、もし事実であればメリカ王国にとって重要な事だ。驚きながらも、オリビア王女は頭の中で、冷静にその影響を計算している。
「周辺国にこの事実を知らせて、グランフラム王国を共同で討とう、なんて考えないで下さいね? それをすれば、メリカ王国も大変な事になりますから」
リオンはすかさず、オリビア王女に釘を刺す。この場合は、好意の忠告だ。
「我が国が大変?」
「今回の戦いは、メリカ王国が主導です。つまり、それを進言した者が居るはずです。その人はメリカ王国でどのような地位に居る人ですか? 結構な地位ではありませんか?」
「それは……」
オリビア王女の反応は、リオンの推測が事実であると示している。今回の件はリオンの言う通り、ある高位の人物が国王に進言した作戦計画に基づいているのだ。
「当たりですか……だとすれば、その人の事を疑ったほうが良いと思います。その人は果たして、本当にメリカ王国の為を思って、本当に勝てると思って、侵攻作戦を進言したのでしょうか?」
「……その人物が魔人だと言うのですか?」
「それは断言しません。ただ騙されただけの可能性もありますから。グランフラム王国の軍務の上層部が裏切りを約束している。それが信じられる証拠もある。だから行動に移した」
「…………」
リオンの言う通りだった。それによって、自国の人物は騙されただけなのだと、安心する事にはならない。オリビア王女には、リオンの言葉の信憑性が増せば、それだけ裏切り者、魔人の存在が事実だと信じられるようになる。
「さて、俺の考えを少しは信じて頂けましたか?」
「……ええ」
「それは良かった。あとはご自身で事実関係を調べてください。ただ事は慎重に進めるように。奴らの目的は、結局は人殺しです。それが誰であれ、人の命を奪うことに躊躇いはないでしょう」
「分かりました」
「さて、オリビア様の手伝いをするのがお前の役目だ。すでに怪しい奴には目星が付いているだろうな?」
リオンの問いはオリビア王女の斜め後ろに立つユーリに向いた。
「……その為に、自分に色々と探らせたのだろ?」
オリビア王女を人質?に取られて、ユーリはリオンの命令を幾つも受けている。その理由が今、分かった。
リオンは自分の考えを裏付ける為の、情報収集をユーリに行わせていたのだ。
ユーリは言うことを聞いている振りをしながら、重要な情報はぼかしていたつもりだったが、リオンはそれを見透かしていて、しかも限られた情報から事実を掴んでいる。だからこそ、オリビア王女にこの件を話したのだとも分かった。
「この件については、両国は協力し合うべきだと思います。まあ、出来なくても問題はありませんが、邪魔をしたり、利用するような真似は止めた方が良いと思います」
「ええ。私もそう思います」
魔人の脅威を取り除くまで。こんな期限付きではあるが、オリビア王女はリオンの言葉に同意した。
「では、お引き止めする理由はなくなりましたので、自国にお戻りください」
「えっ?」
「お戻りは急いだ方が良いと思いますので、メリカ王国に帰るのに必要な物があれば、こちらで手配致します」
「……良いのですか?」
リオンが本気で自分を返すつもりなのは、前から分かっている。オリビア王女の問いはリオンではなく、近衛騎士団長に向けられたものだ。
「……儂は知らない事にさせてもらいます。ただ、今の状況では引き止めておく方が問題だと個人的には思えますな。もちろん、自国に戻って、事実を明らかにし、魔人なり、その協力者を取り除く事。お互いに確かにそれが出来たとなるまでは、協力を惜しまぬ事が条件ではありますが」
「それについては、メリカ王国王女として確かにお約束します」
「ふむ。その御言葉を信じさせて頂きます。さてと、それで肝心の我が国はどうするのだ?」
メリカ王国の事はメリカ王国に任せるだけ。近衛騎士団長が知りたいのは、グランフラム王国の対応をどう進めるかだ。
「今まで考えていたんじゃないのか?」
「考えてはいた。だが、このような事実を、いきなり聞かされて考えなどすぐに浮かぶか」
「そのいきなりも、そっちの責任だ。バンドゥよりも、よっぽど調査能力があるはずなのに、これまで何もしてこないなんて。本当は俺の方が情報を聞きたいところだった」
「それはお前の責任だ」
「はあ?」
「お前が動けば、全ての人の目はお前に集まる。他の事など見えなくなるくらいにな。そろそろ、自分がどれほどのものか、自覚したらどうなのだ?」
近衛騎士団長の言葉に、周囲の者たちも頷いて、同意を示している。納得していないのは、本人であるリオンくらいだ。
「それは責任転嫁ってやつだな。しかし……魔神かどうかは別にして、どこまで気付かれたと思う?」
「王太子殿下が疑っている事は間違いなく気付かれているな」
「王太子?」
「……敬称をつけんか」
近衛騎士団長は苦笑いだが、横で聞いているオリビア王女のほうがハラハラしてしまっている。一子爵が、自分の事を敬称も付けずに呼んでいることが王太子に知られれば、それで、その者のメリカ王国での将来はなくなる。ただ、ここまで考えたところで、メリカ王国にとっては良いことかと思い直したが。
「王太子殿下。どうして、王太子殿下が?」
「討伐軍の派遣を押し止めるのに、随分と遣りあった。そのやり取りの中で、疑いの気配が出ていたからな」
「余計な事を」
「わざとだ。裏切りを示唆する事で、物事を動かそうとしたのだ。ある意味では、お前の意図を一番、汲み取っているといえる」
「結果として物事が動いてなければ、それは邪魔になるだけだ。とっくに証拠隠滅に動いているだろうな」
「それは魔神である事のか? そもそも魔人である証拠などあるのか?」
「例えば、魔神像が飾ってあるとか……ないな。有ったとしても簡単に見つかる場所じゃない」
真剣に話しているわけではない。魔人である証拠とは何で、どうやったら入手出来るか、リオンはずっと考えていた。それでも、良い考えが浮かばないので、動けないでいたのだ。
「……どうする?」
「あの女は? 魔人を見分ける方法を知らないのか?」
魔人について、誰よりも詳しいのはマリアのはずだ。
「魔人の話など今、初めて聞いたのだ。確かめてなどいない」
「……期待は出来ないな。一緒に居て分からないのだからな。まあ、分かっていて、知らない振りをしているはあるか」
マリアは主人公として、それに相応しい功績を上げたい、というより、とにかく人々に称えられたいという思いだけで、行動している。自分が活躍出来る最大の機会まで、情報を隠すなど平気で行うだろう。
リオンはマリアのそういう考え方を知っている。
「思いつく手はないのか?」
「無くはない。ただバクチに近いやり方なので、実行に移すのを躊躇っていただけだ」
「それしかないのであれば、やるしかあるまい」
じっくりと考えている時間はない。こうしている間にも、ターゲットは何か行動を起こしている可能性があるのだ。そう考えた近衛騎士団長だったが。
「簡単に言うな。失敗すれば、俺は殺人、よくて殺人未遂で処罰される。死刑になるかもしれない」
「……そういう事か」
リオンが躊躇う一か八かが、どういう事か分かった。
「それでもやるしかない。それはもう話し合って決めている」
「なるほど……では、失敗した時は一緒に死んでやる事にしよう」
「……簡単に言うな」
この日から数日後。オリビア王女一行がメリカ王国に発つのを見送ってすぐにリオンは王都に向かった。同行者は、近衛騎士団長とソル率いる近衛騎士たちだけだ。バンドゥの者は誰もいない。不在の間に、バンドゥに対して何らかの行動を起された場合の備えという事で、エアリエルたちは領地に残る事になった。
それが王都で何かあっても、自分は死なせたくないという思いから来ている事をエアリエルは知っている。だからこそ、大人しく領地に残ることを選んだ。リオンの願う通りに生きる為ではなく、何かあった時には、その復讐の為に行動を起こしてから死ぬ為に。
これを分からせる事で、リオンの命を奪うことを王国に躊躇わせる為に。