大陸西部のユーロン双王国で万の軍勢が集まっての戦いが行われてから数ヶ月後。その反対側である大陸の東部で、他国に知られることのない小さな戦闘が始まろうとしていた。
東側に陣を構えているのは、レンベルク帝国八方将の一人であるゼムが率いる三千を先鋒に総勢六千の軍。それに対するのはアイントラハト王国軍二千。
アイントラハト王国が初めて軍を動かして、他国との戦いに臨むことになった。何故このような事態になったのか。時は一月前に溯る――
全体会議の場で、定例の報告が終わったあとに、ヒューガは一つの情報を皆に告げた。
「東方が騒がしい? それってどういうこと」
「ハンゾウさん、説明してあげて」
夏の問いに対してヒューガは、ハンゾウに詳細を説明するように求めた。
「はっ。レンベルク帝国が大森林の東方外縁に兵を出しているでござる」
「……目的は?」
レンベルク帝国の存在は知っていても、このような事態になることを夏は想定していなかった。同じく国境を接している国であっても、夏の意識は良く知っている西のパルス王国だけに向いていたのだ。
「何かを探っているような雰囲気でござる。兵などの会話からの推測ですが、大森林奥地への侵入を試みているようでござるな」
「その目的は分からないの?」
「現時点では確たるものはございませぬ。ただ、これは想像に過ぎませんが、物資不足で窮しているのではないかと」
「……戦争の影響ね?」
東方は争乱が続いていて全体的に物資が不足している。争いには参加していないレンベルク帝国もその影響を受けているのだと夏は考えた。
「それもありますが、マーセナリー王国が意図的に封鎖をしている様子もござる」
「経済封鎖ってやつね。なかなか頭が良いのね。つまりマーセナリーは既にレンベルクを攻める準備に入ってるってことね?」
「そのようで」
「マンセルはそれに加担しておるのか?」
新たな質問はグランから発せられた。
「今のところ、その様子はございませぬ。その必要もないでしょう。レンベルクと国境を接しているのはマーセナリーと旧ダクセンのみでござる」
「そうか……それはレンベルクとしては困るじゃろうな。物流を止められたわけだ」
レンベルク帝国は他国不干渉。そうはいっても完全に鎖国しているわけではない。自給できる物資には限りがある。当然、自国で賄えない物資は他国との交易に頼ることになる。その交易の邪魔をマーセナリー王国は行っているのだ。
「蓄えも底をつきつつある。そういうことと推測しているでござる」
「そうなるとレンベルクがどれを求めているかじゃな。マーセナリーを迂回した交易路の確保か、物資そのものを大森林に求めているのか」
「……両方の可能性もありまする」
「そうじゃな。さて、どうするべきか?」
「外縁であれば気にすることはないけど、さらに内部へ侵入されるのは困るわ。東の拠点が発見されるかもしれないから」
大森林東部は狩猟場であり、鍛錬の場でもある。そこで主に活動しているのはエアルたち。エアルにしてみれば、当然、侵入は許したくない。
「そうなると追い払うことになる。戦争になる可能性があるな」
いつかはこういう日が来るかもしれないとは考えていたヒューガだが、時期も相手も想定外だ。
「……相手の数は?」
「三千ほどと聞いている」
「勝てない数ではないわね」
それだけの鍛錬を行っていると言う自負がエアルにはある。
「三千だけならな。その三千を追い払えば次は倍でくるかもしれない」
「レンベルクってどれくらいの軍がいるの?」
「俺が知っている限りだと常備軍三万五千。間違ってたら、誰か指摘して」
「間違いではないが、自分から補足をしよう。レンベルク帝国の軍は八方将と呼ばれる八人の将に率いられていて、各将の下に三千の兵がいる。そしてそれ以外に皇帝直轄の兵が一万。これが常備軍。先ほど三千と言っていたので、いずれかの方将の指揮下にある兵が現れたということだな」
補足したのはカール・マック。彼は元ダクセン王国の将軍だ。国境を接しているレンベルク帝国の情報は、当たり前に知っている。
「方将というのは?」
「東西南北とそれぞれの間を指している。レンベルク帝国の王都は国の中心にあって、そこから見た方角で軍の名を決めている」
「……北や東にもいるんだ」
レンベルク帝国の他国との国境は大森林に接する西以外では南のみ。そうであるのに別方面にも軍を置くのは無駄ではないかとヒューガは思った。
「実際には各方角に配置されているわけではない。これは帝国の成り立ちに関係するのだ。レンベルクはいくつもの部族の集合体で、かつては反乱や部族同士での争いが頻発していた。そういった争いに対応する為に軍を八方に配置していたのだ。八方将、八方軍という呼称はその頃の名残に過ぎない」
「今は、それはない?」
「それを完全に収めたのがレンベルク皇帝。レンベルクの君主は王ではなく皇帝を名乗っている。それは各部族に王がいて、皇帝はそれを纏める者という位置づけだからだ」
それぞれの部族を尊重した上で一つの国としてまとめる。難しい面もあるが、自尊心の強かった各部族を一つにまとめる為に選択された方策だ。
「なるほどな……それで将軍から見て、レンベルクが大森林に向ける兵の最大数はどれくらいだと思う?」
「一万二千というところか。マーセナリー王国への備えが必要なはずだが、逆にそれ以外は警戒する必要がないとも言える」
「……さすがに厳しいな。まともに戦うのは無理か」
「それはどうだろう?」
レンベルク帝国が尚武の国といっても、ダクセン王国の将軍であった自分が率いる部隊はそれに互角に戦えるくらいの強さはあるという自信があったのだ。
だがその自信は、アイントラハト王国で木端微塵に砕けた。自分の兵が弱いのではなく、アイントラハト王国の兵が異常に強いのだ。カール・マックはそう考えている。
「……さすがに六倍だ。やっぱ無理だろ?」
「まあ、無理をする必要はないだろうな。そうなると王はどうする?」
「外交だな」
「外交相手としてレンベルクが認めるだろうか?」
「認めさせなければいけない。ある意味、これは絶好の機会だ。アイントラハトを国として成り立たせる為のな」
アイントラハト王国は自称にすぎない。アイオン共和国との間には国交といえるようなものはあるが、それだけだ。国としての権利を主張するには、大陸の全ての国にアイントラハト王国を認めさせる必要があるのだ。
ヒューガはそれをパルス王国に求めようとしたが、時期尚早だと判断した。
その点でレンベルク帝国は絶好の相手。国として認めても、レンベルク帝国はアイントラハト王国への干渉は行わないはず。それでいて東方の強国として他国が認める実力がある。
「難しい交渉になるであろうな」
「そうだな。それを行うとすれば……」
「ヒューガは駄目だからね」
すかさず夏がヒューガに釘を差す。王自らが危険な交渉の場に出るということ以外に、ヒューガが出て行くと事が大きくなるという懸念もあるのだ。そして、それはここにいる全員が共感するところ。全員が夏の言葉に大きく頷いた。
「……信用ないな、俺って。そうなると……グランさんか」
「……儂で良いのか?」
「グランさんが良ければ。一国の外交担当だからな。客将というわけにはいかない」
「では、正式に?」
「ああ、正式に俺に仕えてもらいたい。良いか?」
「勿論じゃ。このグラン、ヒューガ王に我が忠誠の全てを捧げよう」
グランは急いで席を立つと、ヒューガの前に跪いて宣誓を行った。
「アイントラハト国王ヒューガ・アルベリヒ・ケーニヒの名に置いて、グランをアイントラハト王国の正式な国民として、俺の臣下として認めよう。その上で、グランにレンベルク帝国との外交に関する全権を与える」
「ははっ! 必ずや、陛下のご期待に応えてみせます!」
「ということで、これはもういらないな」
グランの首に手を伸ばすヒューガ。その手には薄い鉄の板があった。グランにずっとつけられていた魔封じの首輪だ。
「……これも外せるのですか」
「原理は同じだから。これは隷属の首輪の劣化版のいったものだから簡単だ」
「ようやく信頼してもらえたということですな?」
「信頼は前からしていた。俺がこれをそのままにしていたのはグランさんには魔法なんてないほうが良いと思ったから。筆頭宮廷魔法士なんて肩書がなくてもグランさんはこの国に必要な人。それを認めさせる意味もあったかな」
これは嘘、とまでは言えないが説明が省かれている。グランにとって他人に誇るべきは魔法の力。ヒューガはそれを失ったグランがどう生きようとするか確かめたかったのだ。ヒューガの見た限り、グランに魔法に対する未練は一切ない。魔法を使える人への嫉妬もない。それを感じたからこそ、ヒューガはグランに魔法を返してやろうと思ったのだ。
「陛下……」
「さて、方針を聞こう。まずは何をすれば良い?」
「……戦いは覚悟してくだされ。相手に認めさせるには力を示す必要がありますのじゃ」
「一度の戦いでだな」
「その通り。一度の戦いで相手にそれ以上の戦いを怯ませる勝ち方をせねばなりません」
交渉は対等な立場で。その為には相手に侮らせないだけの力を示す必要がある。
「それは、これから全員で考えよう。あとは?」
「今、大森林に現れている兵と戦う必要がありますな。相手に話を聞かせる必要がありますからの」
「捕虜が必要ということだな……エアル、出来るか?」
「大森林の中でならね。そこに引き込む策はソンブにお願いするわ」
「お任せください」
「では、まずはそれからだ。いつから?」
「明後日にでも」
「じゃあ、それで」
アイントラハト王国の動きは速い。ソンブはハンゾウや東で偵察を行っていたエアルの配下の者たちの話を聞くと、すぐに策を考え、エアルはそれを実行に移した。
結果、兵を率いていたゼムとその配下の将を生け捕りにし、捕虜にしたゼム一人を連れて、グランはレンベルク帝国の帝都に向かって発っていった。
◆◆◆
レンベルク帝国の帝都は領土のほぼ中心にある。ドュンケルハイト大森林からは、およそ一カ月。その旅程をさして問題なくグランは終えて、帝都に辿り着いた。問題といえば、捕虜であるゼムがギャアギャア騒がしかったことと、何度も逃げだそうとしたくらいだ。
そのゼムも今は解放されている。ゼムにはグランの来訪をレンベルク皇帝に伝えてもらわなければならないからだ。
たいして待つこともなく、グランが泊まる宿にレンベルク帝国から使いがやってきた。もっとも、その歓迎は手荒なものだ。グランは体を拘束され、罪人のような体で城に連れて行かれた。そしてそのままの状態で、レンベルク帝国の重臣と思われる人々の前に引き出されている。
両肩を無理やりに押さえつけられ、その場に跪かされているグラン。だがその視線はしっかりと目の前に座る人物に向けられている。レンベルク帝国皇帝ジークフリート・レンベルクその人だ。
遅れてきて玉座に座ったレンベルク皇帝が軽くうなずくと、横に並んだ重臣と思われる人物がグランに向かって声を掛けてきた。
「名はグランで間違いないな?」
「その通りじゃ。儂の名はアイントラハト王国のグラン」
「……アイントラハト王国などという国は聞いたことがない」
「それはそうじゃろ。これまで我が国は他国と公に交わることはなかった。初耳であっても不思議はない」
「……まあ、良い。それでお前の仲間が我が国の兵に危害を加えたと言うのは本当か?」
レンベルク帝国にとってこの場は外交ではなく罪人を詰問する場。グランに対する礼儀などない。
「危害……それはどういう意味かの?」
「我が兵を襲い、不当に拘束した。こういう意味だ」
「それはいいがかりじゃな」
「認めないつもりか?」
「そちらの兵が不当に我が国の領土に立ち入った。国境を侵すものがあれば、それを取り締まるのは国として当然のこと。不当なのはそちらの方じゃな」
グランのほうは、当たり前だが、アイントラハト王国の非を一切認めるつもりはない。駆け引きもあるが、国境侵害を咎めるつもりで話をしている。
「詭弁だな。大森林との間に国境などない。少なくとも我が国はそんなものを認めていない」
「ほう。それはいつからじゃ?」
「ずっと昔からだ」
「それはあり得ん。ドュンケルハイト大森林には遙か昔から国はあった。それこそレンベルク帝国が出来る遙か前からじゃ。国があれば国境はある」
エルフの国の歴史は古い。この大陸に現存する中では最古の国なのだ。といってもそのエルフの国もすでに滅びているのだが、グランにその点を正直に話すつもりは、今はない。
「……そんな国を我が国は認めていない」
「そちらが認めようと認めまいと国はある。では聞くが、マーセナリー王国をこの国は認めておるのか?」
「それは……ない」
レンベルク帝国はマーセナリー王国を国として認めていない。特別な意図があってのことではない。傭兵王による簒奪を、現時点で公式に認めているのは、同盟もしくは協定関係にあるマンセル王国とマリ王国だけなのだ。
「それでもマーセナリー王国は国である。それは揺るぎのない事実じゃ」
「だから大森林にある国も国として認めろと?」
「そういうことじゃな」
「小賢しい。大森林に住まう蛮族風情がどこでそんな知識を身につけた?」
「蛮族……それをそちらが言うか? レンベルク帝国はその蛮族の集まりじゃろ?」
「なんだと!」
グランの発言を受けて、周囲から怒りの声が湧き上がる。
「レンベルク帝国はいくつもの部族の集合体。その部族は他国からは蛮族と呼ばれておったはずじゃがな?」
「貴様、我が国を侮辱するのか!?」
レンベルク帝国の民にとって、これは大きなコンプレックスである。大陸の北東の端にあるレンベルク帝国であるが、元々そこは遠い昔に迫害を受けて、中央から追われた少数民族が逃げ込んだ場所であったのだ。
「事実を言ったまでじゃ。儂に侮辱など出来るはずがない。我等が王は人を種族や生まれ、境遇などで差別することをお許しにならん。たかが部族程度の話など、我が国では誰も気にせんわ」
「なんと……」
「さて、そろそろ国として認める気になったかの? それであればこの戒めを解いてもらいたいのじゃが。一国の使者に無礼であると思わんか? これこそ、部族など関係なく、蛮族の所業というやつじゃ」
「貴様……」
「よい。その戒めを解いてやれ」
玉座から、穏やかであるが威厳に満ちた声が響く。
「皇帝陛下……かしこまりました」
じっと黙って話を聞いていたレンベルク皇帝の指示により、グランの戒めは解かれた。軽く腕をさすりながら立ち上がるグラン。
「レンベルク皇帝陛下にはご機嫌麗しゅうに。アイントラハト国王ヒューガ・アルベリヒ・ケーニヒの臣、グランと申します」
そのまま、パルス流ではあるが、礼儀に即した挨拶を皇帝に向かって行った。
「今になって挨拶か」
「拘束されたまま正式な名乗りを行っては、我が王の威厳を損ないますのでな」
「なるほど……グランと申したな。そちは大森林では長いのか?」
「まだ三年にも満たない年月でございます」
「その前はどこにいた?」
「パルスにおりました」
「やはり、そちはパルス王国筆頭宮廷魔法士のグランか」
大陸の外れにあるといっても、そうであるからこそ中央の情報収集を怠るわけにはいかない。大国パルス王国の重臣であったグランの名をレンベルク皇帝は知っていた。
「かつてはそう名乗っておりましたな」
「今は違うと?」
「先ほどの名乗りが今の儂の全てでございます。我が忠誠は唯一、アイントラハト国王のみに捧げております」
レンベルク皇帝がパルス王国の関与を疑っていることに気が付いて、わざわざグランはヒューガへの忠誠を口にした。
「そうか……忠誠の向け先を変えたのはパルスへの恨みからかな?」
グランがパルス王国を追放されたことについてもレンベルク皇帝の頭に入っていた。公示された情報であるので簡単に入手出来るものではあるが、重臣の情報までレンベルク皇帝の耳に入っているという事実にはグランは少し驚いている。
「恨み……逆ですな。儂はパルスに感謝しております」
「何故だ? そちを罪に落とし、流刑に処したのはパルスであろう?」
「そのおかげで真に仕えるべき王に会えましたからな。あのままパルスに残っていては、儂の一生はくだらないもので終わっていたでしょう」
「パルスで仕えることがくだらないことか?」
「今に比べれば遙かに」
「ほう。何が違うのだ?」
話の流れがグランにとって都合の良いものになっている。レンベルク皇帝の反応もだ。皇帝は明らかにアイントラハト王国に強い興味を持ち始めている。
「王が違いますな」
「もう少し具体的に言ってもらえんか?」
「……王には一切の偏見がございません。それ故、王は誰であろうとその者にあった仕事を与えてくれます」
「実力主義か。しかしパルスも、力ある貴族が幅を利かせているといえ、実力のない者が高い地位に就くことはないのではないか?」
少なくとも四エンド家の当主は、その地位に相応しく優秀であることをレンベルク皇帝は知っている。
「そこが違いますな。パルスも今にして思えば、皇帝陛下のおっしゃる通りじゃった。実力がない者が不似合の地位にいたわけではない。じゃが、ヒューガ王はそれの更に上を行っておりますな」
「上とは?」
「パルスの実力主義は実力のある者には良いかもしれません。ですが実力のない者にはいかがかな? そもそもレンベルク皇帝は実力とは何だと思われますか?」
「……その職に相応しい能力であろう?」
「はい。それを我が王は忠実に実践しようとされておりますのじゃ。わが国の文官には、ただ書類を運ぶだけ、ただ言付けを伝えるだけの者がおります」
「ふむ。我が国にも似たような者はいるな」
伝令係や雑用を行う者はレンベルク帝国に限らず、どの国にもいる。それをあえてグランが持ち出す理由がレンベルク皇帝は分からない。
「その者に対し、皇帝陛下はどのように接しておられますか?」
「接して……あまり意識したことはないな」
「我が王は違います。その職に任命するにあたり、こうおっしゃいました。お前の実直さは誰にも負けないものだ。お前の仕事は俺や他の人の言葉をその実直さでもって、一字一句違えずに正確に伝えること。それは他の誰にも出来ないことだと」
「ほう」
「その者はその仕事に誇りを持っております。そして我が王は信頼の証として、その者に国の機密といって良い内容を平気で伝えます。これを誰にだけ伝えろと指示して」
「ふむ……」
グランの声が徐々に高まっている。それは真に自分の王を誇りに思って語っているからこその熱意。そうレンベルク皇帝は受け取った。
「ヒューガ王の考え方はこうです。これが出来ないから他の仕事に就かすのではない。これしか出来ないのであれば、それが最も活かされる仕事に就かせれば良い」
「なるほど。なかなかの人物のようだ。だが何故そこまで気を遣う。それをしなくても国は成り立つだろう?」
「融和、それは我が国の目指すものですからな。その為には偏見の種は出来るだけ排除しなければならない。我が王は先ほど言ったような者たちを通じてこう示しているのです。全ての人は等しく他人から評価されるべきだと」
「ふむ。融和は多部族の集合体である我が国の国是でもある。しかしな……」
明らかに自国のやり方とは異なる。そこまでの必要性をレンベルク皇帝が感じたことは一度もなかった。
「対象が異なりますからな。レンベルク帝国は多部族とはいえ、種族とすれば人族しかおりません。一方で我が国は多種族の国。求めるものが必然的に高くなりまする」
「多種族……人族とエルフ族か」
「それに魔族とドワーフ族もおります。正確には他にも」
「なんだと?」
グランの説明に驚きを見せるレンベルク皇帝。
「皇帝陛下が驚かれたのは魔族についてですな?」
「当たり前であろう。魔族との共存など出来るはずがない」
魔族は敵。人族共通のこの認識はレンベルク帝国でも変わらない。
「それは恐れながら魔族の認識が誤っているからです。魔族とは多種族の総称に過ぎない。それが我が国ではすでに認識されております」
「魔族にも色々ある……いや、確かにそうだな。魔族とひとくくりに呼んでいるが、姿形は様々だ」
「そういうことです。魔族は少数種族の集合体。少数である故に他種族に迫害され、追い詰められて魔族領に集まったのです。それはエルフ族も同じこと。人族に迫害を受け、各地で苦しんでおりました。滅亡寸前、そう言っても良い状態でしたな」
種族と部族の違いはあるがレンベルク帝国も同じようなもの。魔族への敵意を薄れさせようと考えてグランはこういう言い方をしている。
「今は違う様な良い方だな?」
「我が王によって救われましたからな。エルフ族は大森林で生き返っております」
「……その国に人族も魔族もいる。エルフ族も大きく変わったのだな」
「おそらく皇帝陛下は勘違いをなされておりますな。我が王はエルフ族ではなく人族。人族でありながらエルフ族に強く求められて王になったのです」
「なんと? そのような人物が……」
エルフ族が自ら求めて王として祭り上げる人族。そんな人族がどこにいたのか。何故、そのような人物が大森林にいるのか。レンベルク皇帝には事情がまったく分からない。
「王はまだ若く、大森林の王になる前はまったくの無名の存在。貴国だけでなく他国でもその力を知る者は片手で数えるほどしかおりませぬ」
「ふむ……要件を聞こう。ただ捕虜を引き渡しにきたのではないのであろう?」
レンベルク皇帝はアイントラハト王国を交渉相手として認めた。外交官としてここまではグランは成功している。
「はい。我が王はレンベルク帝国との間での協定を望んでおります」
「協定の中身は?」
「まずは国境不可侵。ドュンケルハイト大森林は我が国の領土ですからな。そこに無断で立ち入るような真似は止めて頂きたい」
「まずは……他にもあるのか?」
国境不可侵まではレンベルク皇帝にも予想が出来ていたこと。だがそれ以上、アイントラハト王国に何を求めるものがあるのかが分からない。
「通商協定を。我が国は貴国との間で交易を行う用意があります。これは直接取引だけではなく、他地域の商人との仲介も含みます」
「他地域とは?」
「たとえばパルスで仕入れた物を、大森林を通して貴国に届けるなどですな」
「……なるほど。我が国の現状を知っての提案だな」
「貴国にとっては利になることですな」
マーセナリー王国によって物流を制限されているレンベルク帝国にとっては、大森林という別のルートを確保できることは魅力的だ。レンベルク皇帝としては、このまま受け入れる選択肢もあるのだが。
「協定の前提は大森林をひとつの国として認めることだ」
「その通りですな」
「国とは何か?」
「守るべき民がいて、守るべき土地がある。そして……」
レンベルク皇帝が求める答えをグランは分かっている。あえて言葉を区切ってみせた。
「そして?」
「それらを守る力を持つことです」
「では、その力を示してもらおう。それなくして我が国がドュンケルハイト大森林を国として認めることはない」
「その方法は?」
「武。レンベルク帝国は尚武の国だ。帝国の民に認めて欲しければ友好国として相応しい武を示してもらおう」
「わかりました。では、すぐに戻って我が王に伝えましょう。時期は二か月後、場所はゼム殿が駐屯していた場所がよろしいでしょう。ちょうど平原が広がっておりました」
予定通りの展開。グランはあらかじめ決めていた時期と戦場を説明した。
「……それは我が国の国内ではないか?」
「大森林の中では貴国に勝ち目はございません。例え数万の兵を揃えようとも。パルス王国における大森林の悲劇をご存じでしょうな?」
「……知っている」
「では、儂はこれで国に戻ります。貴国の捕虜は数日後には解放されるでしょう」
「うむ」
「二か月後にお会いしましょう」
「ああ。誰かグラン殿をお送りしろ」
「はっ!」
控えていた兵の先導でグランが大広間を出て行く。それを見届けた後、最初にグランと問答をしていた重臣がレンベルク皇帝に話しかけた。
「よろしいのですか? 無理に戦う必要はないように思いますが」
協定の条件はレンベルク帝国にとって文句のないものだ。もともと大森林への領土的な野心などない。求めていたのは物流ルート。それをアイントラハト王国は提供してくれると言っている。
「まあな。だが、少し試してみたくなった」
「何をでしょうか?」
「あのグランが忠誠を捧げる王のことをだ」
「話を聞く限りは優れた王という印象でしたが」
「ああ、自分の若い頃を思い出した。理想に燃えていた頃をな」
「それはまた……」
自分が思っていた以上の高評価。それには重臣も驚いた。
「だが理想だけでは国は保てない。今のうちに挫折を覚えたほうが良いであろう」
「獅子は我が子を千尋の谷に落とす、ですか。ずいぶんと買っているのですね?」
「我が子な。それに相応しい者であれば面白いのだが」
「皇帝陛下……」
レンベルク皇帝の言葉の意味。それを考えた重臣の顔に驚きが広がっていく。
「二か月後だ。時はないぞ。ゼム、虜囚の汚名返上の機会をやろう。解放された兵とともに準備を進めろ」
「はっ!」
「お主もじゃ。アステイユ」
「私もですか?」
他にも重臣が居並ぶ中でレンベルク皇帝に真っ先に声を掛け、会話を続けていたアステイユは重臣筆頭といえる立場。アイントラハト王国の国王に対するレンベルク皇帝の強い興味を、このことでも重臣たちは思い知ることになった。
「そうだ。そして儂も出る。直卒から二千を選抜せよ」
さらにレンベルク皇帝は自らも参加すると言ってきた。
「総勢八千になります」
とてもアイントラハト王国に勝ち目はない。それどころか戦いにもならないのではないかとアステイユは思った。
「万は切っておる。大森林の中であれば、数万でも守れると言ったのだ。外でもこれくらいはいけるだろう」
「……はっ!」
半月程で準備を終えると、レンベルク帝国軍は合戦の場に向かって出発していった。
レンベルク帝国軍に翻る皇帝旗。皇帝が親征を行うなど、ここ何十年もなかったことだ。それでも帝都の民に動揺はない。必ず勝つ。それが尚武の国に生まれ育った民の自信。