ヨルムンガンドから命じられて、彼、ヴィリにとっては依頼を受けて、リリエンベルク公国征服作戦に参戦したものの結果は彼が考えていたようなものにはならなかった。
アイネマンシャフト王国を奇襲したオグル率いる鬼王軍は壊滅。その多くが捕虜となった。ただ、これについては問題ない。鬼王軍の奇襲は陽動。ブラオリーリエからアイネマンシャフト王国の目を逸らし、襲撃の邪魔をさせない為に利用しただけだ。オグルを騙して。
問題は本命であるブラオリーリエ襲撃も失敗に終わったこと。しかもその被害は甚大だ。目を逸らすどころかアイネマンシャフト王国軍は襲撃を事前に察知し、ブラオリーリエで待ち構えていた。何故それが可能だったのかといえば、深く考えるまでもない。冥夜の一族の情報収集能力がヴィリの配下のそれを上回っていたのだ。
「……貴様等がもっと優秀であれば、俺はとっくに魔王になっていたか。それを忘れていた俺の失敗だな」
「申し訳ございません」
ヴィリの前で平伏しているのはブラオリーリエ襲撃作戦の生き残り。ヴィリの血統に代々仕える『暗晦の一族』の者たちだ。
魔族にも貴族のような存在がいる。人族には想像も出来ないほど遙か遠い昔から続く血統の持ち主がそれであり、バルドルやヨルムンガンドもその一人だ。
多くの部族や種族に分かれている魔族において、それは主従関係を強いるようなものではないのだが、例外が暗晦の一族や冥夜の一族など、長い年月その血統に仕え続ける一族だ。
「それで? 損害の回復はいつくらいに出来る?」
「……なにぶん、かなりの被害でありますので」
絶対に失敗は許されないという命令を受けて、暗晦の一族は戦闘要員のほぼ全てを戦いに投入した。そうであるからこそ、ジグルスも壊滅させる絶好の機会ととらえて罠を張ったのだ。
結果はジグルスの思惑通り。ただでさえ最前線で活動し続けていた冥夜の一族とそうではない暗晦の一族では力の差があったのだが、今や対抗する力は無に等しくなった。
「急ぎ、里から人を呼び寄せろ。次の戦いまで、長く時を空けるわけにはいかない」
「恐れながら、里に残している者たちには未熟な者も多く、どこまでヴィリ様のご期待に沿えるか……」
そうであるから里、彼等の本拠地に残しているのだ。
「……無理は承知だ。今回は俺が頂点に駆け上る絶好の機会。それを無にするわけにはいかない。なんとかしろ」
「ヴィリ様はヨルムンガンドに誑かされておりませんか?」
「なんだと?」
ヴィリの表情に怒気が浮かんだ。配下の忠告を自分への侮辱と受け取ってしまったのだ。
「い、いえ……ヨルムンガンドは前魔王をだまし討ちにして、その座を奪うような狡猾な男です。油断はならないかと」
「それくらいは分かっている。奴が俺を利用しようとしていることもだ。だが俺は逆に奴を利用する。利用して頂点に立つ為の踏み台にしてやる」
「……その為にも事は慎重に運ばなければなりません。共倒れこそヨルムンガンドの望むところでしょう」
「そうだな……自由に動かせる兵がいないのは問題だな。バルドルの息子に従う軍勢は万を超えた。正面から戦いを挑むには最低でも一軍は必要だ」
ヴァリが闇王軍から引き抜いてきたのは、およそ千。それだけの数では正面から戦えないので、暗晦の一族を使った奇襲作戦を選んだのだ。だがそれも失敗。新たな戦いを考えるには一軍一万、実際はもっとだが、が必要だ。
「……ヨルムンガンドに求めるか。奴に頼み事をするのは癪に障るが、この場合は仕方がない」
軍勢を握っているのは魔王ヨルムンガンド。兵を求めるにはヨルムンガンドに頼むしかない。もちろんヴァリに人望、または他を従わせる力があれば別だが、そういう人物にヨルムンガンドがリリエンベルク公国攻略を任せるはずがない。
「俺はヨルムンガンドの所に行く。お前等は組織の立て直しを進めておけ」
「「「はっ」」」
とにかく兵がいなくては何も始められない。ヴァリはヨルムンガンドの所に向かうのを最優先と考えて、打ち合わせを打ち切って、この場を離れていった。
「……本当に里から人を呼ぶのか?」
その姿が完全に消えたところで暗晦の一族の一人が口を開いた。
「ヴァリ様のご命令だ。呼ばないわけにはいかない」
「残っているのは女子供ばかりだ」
「大人だって残っている」
「年寄りや怪我人を戦わせるつもりか? 冥夜の一族相手だ」
大人の多くは年齢による衰えや若くても大怪我を負って戦うことが出来なくなった人々。その彼等を呼び寄せても戦力にはならない。まして冥夜の一族相手では、ただ死者を増やすだけだ。
「他に何がある?」
「……冥夜の一族は自ら仕える相手を選んだそうだ」
「ジグルスはバルドル様の息子だ。血統に従っただけではないか」
ジグルスはバルドルの血を引く唯一の存在。冥夜の一族が仕えるのは当たり前のことだ。
「そうではない。彼等はジグルスの為人を見極めた上で、自分たちから主になって欲しいと頼んだ。それをなんとか受け入れてもらえて、仕えることになったのだ」
「……過程が違うだけで、結果は変わらない」
「俺たちは自ら主を選んでいない」
「……お前、自分が何を言っているか分かっているのか?」
暗晦の一族は数え切れないほどの世代に渡ってヴァリの血統に仕えていた。それが当たり前であり、一族の義務なのだ。その義務を捨てることは、暗晦の一族の祖先を裏切ることにもなる。
「分かっている。分かっているが、このままでは一族が滅びてしまう。それでも良いのか?」
「そうさせない為に我等は身を粉にして働くのだ」
「その結果、生まれた犠牲は一族の為になっているか? 今回の戦いでどれだけの仲間を失った? それに対してヴァリ様はなんと言った?」
「……それでも我等に選択肢はない。ヴァリ様に背けば、我等一族が生きる場所はなくなる」
裏切りはヴァリだけでなく、他のヴァリと同じ上位魔人も許さない。それを許しては、自分に従う配下も同じように裏切るかもしれない。そうさせない為に裏切り者にはこれ以上ない厳しい処置、一族皆殺しが待っている。
「……ひとつだけある。裏切っても生きられる場所が」
「お前……誑かされたのはお前か!? ジグルスの狡猾さは分かっているはずだ!」
「分かっている! 狡猾な一方で懐に入った者には慈悲の心を見せることも!」
「二人とも声が大きい! 誰がどこで話を聞いているか分からないのだぞ!」
大声で言い合いを始めた二人を、すかさずもう一人が制止する。裏切りを考えていたと知られるだけでも殺されるかもしれない。少なくとも積極的な一人が消されるのは間違いない。
「……すぐに結論が出せるなんて俺も思っていない。だが考えるべきだ。一族の、子供たちの未来を守る為には何をするべきかを」
「…………」
「我等は影の存在だ。その影が生き残るには光が必要だ。今の我等に生かしてくれる輝く存在はいるか?」
「……もう良い。言いたいことは分かった。分かったが、俺は同意出来ない。そもそも俺たちだけの考えでどうにかなることでもない」
「その通りだ。一族の歴史を変えるのだからな」
歴史と呼ぶに相応しい長きに渡って上位魔人に一族は仕えてきた。それを終わらせることに恐れはある。長きに渡って存続してきた一族の歴史を終わらせる結果になる可能性もあるのだ。今の時点ではその可能性のほうが高い。
そうであるのにジグルスに救いを求めるのは、彼が歴史を変えようとしているから。一族の歴史以上に長く続く種族間の対立をもしかすると止めてしまうかもしれない。そう思わせるものがあるからだ。
◆◆◆
リリエンベルク公国の行政はブラオリーリエの南、グラスルーツで行われている。行政といってもかつてのようなものではない。ブラオリーリエは兵士以外に住民はおらず、完全な軍事都市。その軍事のほとんどはリーゼロッテとその側近たちの仕事だ。公国としての行政を行う範囲はグラスルーツとその周辺のみ、それと諸外国との交易くらいだ。
今、その行政の長はリーゼロッテの兄ヨアヒムが担っている。マクシミリアンの生死が明らかでないので、ヨアヒムは無位無官の身だが、そんなことは関係ない。ローゼンガルテン王国の承認がなくてもヨアヒムが今、リリエンベルク公国のトップなのだ。
「おめでとう。こうなる予感はしていたけど、一気に結婚まで行くとは。君、思っていたよりもやるね?」
その公国の長に祝福されているジグルスはやや戸惑い気味だ。こんな調子で祝福される状況ではないはずなのだ。
「……もしかして知っていました?」
「君が何者か、ということであれば知っていた。私にここを任せるにあたって父上が話してくれたからね」
「マクシミリアン様が……先代から聞いていたのかな?」
ジグルスの秘密を知っている人物は先代のリリエンベルク公爵。ジグルスの母を受け入れたのは先代なので知っているのは当然のこと。跡継ぎであるマクシミリアンはヨアヒムと同じように父親から聞いたのだとジグルスは考えた。
マクシミリアンに秘密を漏らしたアルウィンにとってはラッキーなことだ。
「君の素性は知っている。その上で私は君と妹の結婚を祝福する」
「それは兄として?」
兄として妹の幸せを喜ぶ、ということであれば分かる。
「兄としてもグラスルーツを守る立場としても……肩書きがないのは面倒だね。まあ、当面はリリエンベルク公爵代行とでも名乗っておくのが良いかな?」
だがヨアヒムは公人としても二人の結婚を祝福しているのだ。
「リリエンベルク公爵代行としてであれば、容認出来ることではないと思いますが?」
「リリエンベルク公爵代行を名乗るのはそのほうが都合が良いと思うから。私の忠誠はとっくにローゼンガルテン王国から離れている」
「……都合が良いというのは?」
「君はもう分かっているはずだ。でも、そうだね。私の口から語るべき内容だ。リリエンベルク公国として管理出来るのはここグラスルーツだけで精一杯。北に手を伸ばす力はない」
グラスルーツより北は任せる。ローゼンガルテン王国が状況を確認しに来ることがあっても、まず間違いなくあると想定して、知らぬ存ぜぬで通すということだ。それは結果、ローゼンガルテン王国の手をグラスルーツで止めることになる。もちろん、ローゼンガルテン王国による本格的な奪回作戦が始まれば別だが、それはまだ先の話だ。
「なるほど……」
ヨアヒムの話を聞いたジグルスの視線がリーゼロッテに向けられた。ジグルスは彼女から兄は軍事が苦手なだけでそれ以外は優秀だと聞かされていた。今の話を聞いて、それに納得したのだ。
「いくつか確認したいのだけど良いかな?」
「もちろんです」
「魔王軍を完全に追い払うことは可能かな?」
「短期間にということであれば無理です。今はまとまった戦力はいない状況ですが、それはゾンネンブルーメ公国に戦力を集中させているから。こちらが本格的な奪回に動けば、すぐにその軍が移動してくるはずです」
全軍がリリエンベルク公国に移動してくるようであれば、かなり厳しい状況になる。領土奪回どころではなく、防戦が精一杯だ。
「そうか……魔王軍がさらに北に向かう可能性があるかな? 理想としてはそれほど多くない数で」
「それを防ぐことで北の三国に恩を売る、ということですか……悪くはありませんが、戦線の拡大は戦う立場としては望ましくありません。数の少ないこちらが戦力を分散すれば、敵に有利になります」
「やっぱり軍事については私は駄目だね。では交易の拡大は?」
ヨアヒムとしては北の三国との関係はもっと密にしたい。それもリリエンベルク公国とではなく、アイネマンシャフト王国と三国の関係を。
「……自国の守りを優先したいところですが……そうですね。素材を提供して頂けるのでしたら、なんとか」
三国には魔族のみが保有する知識を使った魔道具を提供している。拠点防衛に役立つ魔法攻撃防御の魔道具などがその代表的なものだ。そういったものをさらに提供することで恩を売る。それは試みるべきだとジグルスも思った。
「素材は三国から買おう。その素材を使って作った魔道具を売る」
ここでアルウィンが会話に入ってきた。交易の話であるので、意見を述べるのは当たり前だが。
「売るのか? それで恩を売ったことになるか?」
アルウィンの提案をジグルスは疑問に感じた。利益を得ては、実際には利益なしでも金を払わせては恩を売れないと思っている。
「無償提供というのは本当に困窮している時、それも一時であれば良いけど、ずっと続くと逆に関係を悪くする可能性があると俺は思う。素材を提供してもらったことにこちらも感謝する。安くはしても代金はきっちりと貰う。そうして初めて対等な立場になれるのではないか?」
北の三国は小国であるがローゼンガルテン王国の一部であるリリエンベルク公国よりも、国力は関係なく、格は上。まして国とも呼べない小さなアイネマンシャフト王国では外交が成り立つことさえ異例だ。
そんな相手に一方的に頭を下げさせる。感謝はしていても、プライドを傷つけられていると感じる相手もいるかもしれない。アルウィンはそれを恐れているのだ。
「恩の押し売りは逆に反発心を生むか……それはあるかもな」
「小国とはいえ相手は国の頂点、そうでなくても重臣ばかりだ。頭を下げるなんて慣れないことを長くさせておくべきじゃない。交渉は俺が進める。任せろ」
「ああ、もちろん」
交易は以前からアルウィンに任せている。これからもそれを続けるだけだ。
「まだまだ力を蓄える時か……といっても手持ちは限られている」
ジグルスとリーゼロッテの結婚は大きな転換点。ヨアヒムはそう考えているのだが、まだ大きな動きが出来る状態ではないことをジグルスと話して、知らされた。
だが国力を増すにもその基となる民の数は決まっている。
「手持ちは限られていますが、まだまだ活用出来ていません。軍事についてももっと質を高めることが出来るはずです。やれることはやりきれないほどあります」
ジグルスは今の状況でもまだまだ国力はあげられると考えている。アイネマンシャフト王国は立ち上がったばかり。まだまだやること、やれることは沢山あるのだ。
「そう。心強いね……と言える立場ではないか。君は王で、私はただの人だ。もっと私は畏まるべきだね?」
「その心配は無用です。うちには臣下のくせにもっと馴れ馴れしい奴等が山ほどいますから」
ジグルスに臣下たちの多くは滅多に敬語を使わない。といっても彼等の資質だけの問題ではなく、ジグルスもそれを望まないからだ。
「……しばらくは公には無関係を装う。でも私たちの目指す先は同じだ。いつか堂々とアイネマンシャフト王国を訪れることが出来る日が来ると信じている」
「その日の為に出来る全てを行います」
「……それとこれは私人として。妹を頼む。幸せにして欲しい」
「はい……命にかけて誓います」
この日、旧リリエンベルク公国は目的を一つにした。その目的を達成する為に彼等は、自分が為すべきことを行う。必ずその日が来ると信じて。