花の騎士団=ブルーメンリッターはゾンネンブルーメ公国領に入ってすぐの場所から、なかなか動けないでいる。魔王軍側がその位置に強力な防衛戦を敷いているのだ。
魔王軍の目的はローゼンガルテン王国主力の足止め。その間に後方ではユリアーナが率いる軍も含め、いくつかの部隊がゾンネンブルーメ公国内の町や村の占拠を進めている。
その状況についてはブルーメンリッターも分かっている。ゾンネンブルーメ公国からは頻繁に増援要請が届いている。だがそれに応えることがブルーメンリッターは出来ていない。
「……考えるのなら戦いのことにしてもらえるかな?」
いつも軍議を行っている大きなテーブルで一人考え事をしているエカードに、レオポルドが声をかけた。
「考えている」
「なら良かった。僕はてっきり、いなくなった彼女のことで悩んでいるのかと思ったよ」
「……それはお前だろ?」
ユリアーナのまさかの寝返りにレオポルドは衝撃を受けていた。ただ襲撃を受けたという点ではエカードも同じだ。
「僕はもう心の整理が出来ている。ユリアーナは敵だ……まあ、正直まだ信じられないけど、敵として目の前に現れた時は戦うことを躊躇わないよ。でもエカードは違う」
エカードの頭を悩ませている彼女はユリアーナではない。王太子に嫁ぐという、これもまたまさかの展開で戦場を離れることになったクラーラだ。
「……俺は別に」
「ここは強がるところじゃないね。泣き言を聞かされても困るか。僕には何も出来ない」
クラーラを王太子に嫁がせるのはキルシュバオム公爵の意向。レオポルドにはそれを止める力などない。
「分かっている。この話はしても意味がない。止めよう」
止める力がないのはエカードも同じ。それが出来るのであれば、クラーラはこの地を離れていない。
「そう……じゃあ、戦いの話を。まずは王都からの伝令だ」
「王都から? なんだ?」
「ラヴェンデル公国から援軍が来る。率いるのはタバートだ」
「タバートが……そうか」
個人としては力強い援軍だ。ただタバート一人が増えただけでどうにかなる戦況だとはエカードは思っていない。
「抜けた穴は完全には埋まらないだろうけど、それでもかなりマシになると思うけど?」
魔人側に寝返ったユリアーナだけではない。ウッドストックも、そしてクラーラもブルーメンリッターからいなくなっている。ユリアーナの穴は誰が加わろうと埋まるものではないが、ウッドストックとクラーラが抜けた分は補ってあまりあるとレオポルドは考えている。
「ああ……ただ、それでも魔人の防衛戦を崩せるかは分からない」
「背後からゾンネンブルーメ公国軍が攻めるという作戦は?」
「拒絶された。拠点を守るのに精一杯だそうだ」
防衛戦を構築している魔王軍の後背を突く。だがそれを行う為にゾンネンブルーメ公国軍は、いくつかの街や防衛拠点の守りを放棄して軍を集める必要がある。それが理由で受け入れてもらえなかったのだ。
「……今の状態で拠点を守っていても、守り切れないのに。どうして分からないかな?」
ゾンネンブルーメ公国の拠点は確実に魔王軍に奪われていっている。そうであれば一時的に拠点を相手に渡しても、目の前の敵を討つべきだとレオポルドは思う。そう思うからゾンネンブルーメ公国に作戦を提案したのだ。
「民を見捨てたと言われるのを恐れているのではないか?」
「そんな体面を気にしても意味はないのに。それにゾンネンブルーメは、すでに一度それを行っている」
「二度目は許されないのだろ?」
「……理解あるね? 施政者としては当然の考えってこと?」
ゾンネンブルーメ公国を擁護しているようなエカードに、少しレオポルドは驚いている。
「理解を示しているつもりはない。ただ拒絶の理由を考えただけだ。ちなみに思い付いた理由はもうひとつある。ゾンネンブルーメ公国は我が家を疑い始めている」
「……騙されることを恐れているのか。厳しいね。ゾンネンブルーメ公国軍を当てに出来なくなる」
ゾンネンブルーメ公国に疑いの目を向けられている状況では、共同作戦の実現は不可能。ますます現状の打開は難しくなってしまう。
「後背を脅かす別働隊がいるだけで変化をもたらせられるかもしれない」
「それをタバートに? そんな危険な任務を引き受けるかな?」
「いや、違う。タバートじゃない」
「タバートじゃないとすれば……エカード、それは無理だ」
エカードの頭の中に誰がいるか。それにレオポルドは気が付いた。レオポルドにとっては考えても無駄な相手だ。
「俺たちはまた誤った。リリエンベルク公国に向かうべきだったのだ」
「エカード。それは違う。僕たちが知った時にはすでに手遅れだった。選択に正しいも間違いもない」
ブルーメンリッターにリリエンベルク公国の情報が入ったのは、魔王軍に占領されたあと。レオポルドはそれを信じている。
「まだ戦っていると信じて、リリエンベルク公国に向かった者もいる」
「証拠はない。仮に証拠があったとしても、ゾンネンブルーメ公国を放っておくことは、やはり出来ないよ」
「それは……そうだな」
レオポルドの言う通りだ。魔王軍が暴れ回っているゾンネンブルーメ公国を放置しておくことは出来ない。
「目の前の戦いに集中しよう。なんとかして敵を倒して、ゾンネンブルーメ公国を救う。それが僕たちがまずやらなければいけないことだ」
「……ああ、そうだな」
魔人との戦いに勝ち、人々を救う。それが彼等の目的だ。だがそれを強く訴えていたユリアーナは、こともあろうに討たれるはずの側に寝返り、それ以外にもカロリーネ王女、ウッドストックが去って行った。
自分たちはまだ何も成し遂げていないというのに。この先、はたして成し遂げることが出来るのか。こんな思いがエカードの心に浮かんでしまう。
そんな彼を慰め、励ましてくれる人も今はいない。
◆◆◆
アイネマンシャフト王国の都、と呼ぶには何もない場所であるが、唯一の拠点であり、王であるジグルスが住む場所であるのだから、やはり王都なのだ。
その地で唯一、王都らしさを感じさせるのは周囲を囲む巨大な防壁。建物が少なく、農地ばかりのその場所を囲む防壁としては、その巨大さは異様であるが、それはジグルスなりに優先順位を付けた結果。せっかく整備した農地を敵に荒らされるわけにはいかない。そう考えた結果だ。
今、その王都に他国から来訪者が来ている。ジグルスの望まない、それでいて現れるだろうと思っていた来訪者だ。
「話を聞いているのか?」
「……ちゃんと聞いています」
「では、何とか言ったらどうだ?」
「何とかと言われても……ああ、そうですか、くらいしかありません」
「そんな言い方があるか!? 魔物を森に放ったのは貴様だろ!?」
来訪者はエルフ族のある部族の長だ。自分たちの結界近くに魔物が跋扈する事態になって、ジグルスにクレームを言いに来たのだ。
「そんな真似をした覚えはありません。魔物は自由意志で、森に暮らしているのです」
ジグルスは魔物を森に放ってなどいない。ただ鬼王軍から解放した彼等に「好きな場所で暮らせば良い」と告げただけだ。
「貴様が従えている魔物だ」
「魔物を従えている覚えもありません」
「降伏させたではないか!?」
自分の追及をことごとく否定するジグルスにエルフ族の部族長はかなりご立腹だ。
「降伏させたのではありません。戦う必要はなくなったので、自由にすれば良いとは言いましたが」
「それを従わせたと言うのだ」
「いえ、違います。従わせるという言葉の意味は」
「意味などどうでも良い! とにかく、魔物をなんとかしろ!」
また大声をあげる部族長。エルフにしてはかなり短気な性格だ。気の長いエルフでさえ苛つかせるものがジグルスにあるのかもしれないが。
「何故、それをする必要があるのですか?」
「貴様が蒔いた種だ」
「だからそれは言いがかりだと、さっきから説明しています。そもそも森に魔物がいることの何が問題なのですか? まさか、魔物が結界の中にまで入ってきているなんて言いませんよね?」
「当たり前だ。魔物ごときに破られる結界ではない」
魔物に破られるような結果であれば、何の守りにもならない。何を馬鹿なことを聞いているのだという顔で応えた部族長であるが。
「では何も問題はない。魔物は誰の物でもない森で暮らしているだけです」
「森は我等の物だ!」
「……それも違う。森は今のところ誰の物でもない。百歩譲って、お前たちが専有を許されている土地があるとしても、せいぜい結界の中だけだ」
いきなりジグルスの雰囲気が剣呑なものに変わる。エルフ族はただ結界の中に籠もっているだけ。それで森の所有権を主張する神経がジグルスには許せないのだ。
「……そんなことはない。結界周辺も我等の物だ」
その変化を感じ取って、わずかに態度を改めた部族長であるが、主張そのものを変えるつもりはない。ジグルスの言うことを完全に認めては魔物はこのままになってしまう。変えるわけにはいかないのだ。
「その周辺というのはどこまで? 見て分かる通り、我々は領土を壁で囲んでいる。森の中の領土に囲みはないが、結界が壁替わりだ」
「それは……」
「何の証もなく領土だと主張されても、受け入れることなんて出来るはずがない」
「…………」
部族長は反論が思い付かない。ジグルスの言葉は正論だ。結界以外にエルフ族が領土を主張出来るものはない。実際にエルフ族の間でも、結果の外は特定の部族の専有地ではないという認識なのだ。
「納得してもらえたみたいだ。魔物が結界を突破出来ないのであれば、貴方たちの領土は守られている。問題は何もない」
「……結界の外が誰の物でもないとして、魔物がそこを占拠するのは問題ないのか?」
「私は問題とは思っていません。彼等にも暮らす場所は必要で、その場所として誰もいない土地を選んだに過ぎないのですから」
「……エルフ族を敵に回すことになる」
理屈では通用しない。そう考えた部族長は脅しを使った。
「その表現は正しくありません。この国にもエルフ族の人がいて、すでに我々にとって敵である魔王に従っているエルフ族もいる。エルフ族と一括りにして話すのは間違いです」
「そのどちらでもないエルフ族が敵になると言っているのだ!」
「なるほど……つまり、貴方は敵ですか?」
「それは……」
脅したつもりが脅し返される羽目になる。ジグルスにとっては想定されていた展開。それに相手はまんまと嵌まったのだ。
「敵であるのなら問題の解決は話し合いではなく、剣で行われることになる。そういうことでよろしいのですね?」
「……勝てると思っているのか?」
「はい。思っています。そうでなければ、こんなことは言いません」
「……思い上がりだ」
「そうであったとしても貴方には関係ない。さて、決めて下さい。魔王に従って俺たちと戦うか、これまで通りの中立かを」
「魔王に従って?」
ジグルスの言う選択は部族長の頭にはなかったもの。答えなど返せない。
「俺たちは魔王と戦っています。その俺たちと敵対するということは魔王に従うということです」
「……魔王に従う必要などない」
「そうでしょうか? 中立を捨てたエルフ族を魔王が放っておくとは思えません。俺と同じように選択を迫ると思います。その場合は敵か味方かですけど」
「…………」
ジグルスの言葉を部族長は否定出来ない。中立を守っているエルフ族も一枚岩ではない。ジグルスに味方する者も出てくる可能性がある。
ジグルスの味方が増えるだけの状況を魔王が見過ごすか。許さないと思うのが普通だ。
「今、この場で答えは求めません。戻ってゆっくり考えれば良い。仲間との相談も必要でしょう? きっと今頃は皆、選択に迷っているでしょうから」
「そう……今頃は?」
この場で結論を出す必要がないと聞いて、ホッとした部族長であったが、すぐにジグルスの言葉のおかしさに気が付いた。
「同じ問いを貴方の仲間にも伝えています。部族長の貴方がいなければ話がまとまらないのではないですか? それぞれ好きにして良いという考えであれば、急いで帰る必要もないでしょうけど」
「……どうやって?」
「あれ? 知りませんでした? 一応、俺の体にはエルフの血が流れています。精霊の友達だっているのです」
「……そういうことか」
この説明も脅し。そう部族長は判断した。少なくともジグルスには自分たちの結界は通用しない。それを示されたのだと。
「どうします?」
「……戻る」
「そうですか。ではまた、機会があれば、お会いしましょう」
「機会があればな」
その機会がどういうものなのか、今の段階では分からない。部族長はまだ何も決断していないのだ。
去って行く部族長の背中から、すぐに視線を外して、ジグルスは仕事に取り掛かる。この地の整備状況についての確認。必要に応じて新たな方針も考えなくてはならない。それ以外にも冥夜の一族が集めた情報の確認とそれの分析も必要だ。ジグルスは忙しいのだ。
「……あんなに強気に出て良いのですか?」
だが話し合いの場にいた臣下たちが仕事の邪魔をする。問い掛けてきたのはナーナだ。
「あれくらい言っておかないと悩まない」
「悩ませることが目的なのですか?」
エルフ族を従わせることがジグルスの目的だとナーナは考えていた。
「日和見のエルフ族の相手なんてしていられない。ずっと議論を続けていれば、邪魔はされない」
「……魔物たちへの手出しも出来ない?」
中立のままでいさせるだけなら挑発する必要はない。それをあえて行った理由は魔物だとナーナは考えた。
「……さあ? そうなるかもしれないけど、それは分からない」
「敵に回る恐れはないのですか?」
「いや、敵に回るエルフだっているはずだ。ただ、数は多くないと考えている。味方になるエルフが多いという意味ではなく、決断出来るエルフが少ないだろうってこと」
森の中で暮らしているエルフは、バルドルに味方する決断が出来なかった人たち。今回も同じような結果だろうとジグルスは考えていた。
「……それでもガンド殿のような人もいるはず」
ガンドはバルドルに味方すると決めたヘルと行動を共にすることが出来なかった。それを後悔し、今この国にいる。同じような思いを抱いているエルフは他にもいるとナーナは考えている。
「それはそうだ。本来、人は誰でも自分の生き方を自分で決める権利がある。魔王に従う。この国に来る。何もしないであっても、それが自分で決めたことであればそれで良い」
定められた役柄を演じるのではなく、自分の人生を選ぶ権利が。敵味方どちらになろうとも、そうあるべきだとジグルスは考えている。自分がそうでありたいから。
「……そうですね」
味方は一人でも多い方が良いに決まっている。だがジグルスは自分や国の都合よりも、個人の意思を尊重しようとするのだ。
なぜ、わざわざ自分が不利になるかもしれない状況を許すのか。すでに仕えている人たちにも分からない。まして、今日初めて会った人に分かるはずがない。
「……ああいう王だ」
ジグルスのいる部屋を出たばかりの場所で、ガンドは苦笑いを浮かべている。
「甘いというわけではないのだろうな?」
話している相手はつい先ほどまでジグルスと話をしていたエルフの部族長だ。
「甘いと思えたか?」
「いや……バルドル殿にはない何かを感じた」
ジグルスから感じた剣呑さは、バルドルが持たなかったものだ。少なくとも部族長は、かつてバルドルに会った時、感じ取れなかった。
「ただ言うがままに動くのではなく、自分の考えを持つことを求める王に仕えるのは大変だ。だが、仕え甲斐はある。これは間違いないと思う」
「そう思えるのは、自分で決めたからだ」
部族長であっても好き勝手が出来るものではない。責任ある立場であるからこそ、自分を殺すことも多くなるのだ。彼は長くそれを強いられてきた。
「なるほど、そうかもしれないな」
どんなに大変であっても、それは自ら望んだこと。その先に自分の求める未来があるのだと思えば、いくらでも耐えられる。
「……戻る」
「そうか……また会えるな」
「……ああ、きっとな」