ローズマリー王女の婚約者、次代の王位を継ぐ者となっても正式の婚儀を終え、王への即位の儀を終わらせるまでは、アレックスは近衛第一大隊長のままだ。特にやる事は変わらない。変わった事といえば、総大将としての戦後処理で山ほどの報告書に目を通し、それをひとつひとつ承認する作業で忙しくなった事。
そして、こいつは誰だと思う人間がひっきりなしに挨拶に来ること。
その多くはかつて自分がいかにアレックスの面倒を見ていたかという事を遠回しに語っていく。当然、ほとんどの場合、アレックスに面倒を見てもらった記憶はない。
そして一番たちの悪いのが自分とアレックスが親戚だと言ってくる者達。なかには何代前の父方の兄弟の妻がなどと、そんな関係だったら世の中に沢山いるというような者まで現れた。アレックスが王になる事が決まったからには少しでもおこぼれに預かろうという連中が大半だ。そういう輩が現れるたびに、うんざりとした気持ちにアレックスはなっている。半ば人間不信に近いと言っても良いだろう。
そんな中で唯一の心の救いはアレックスを訪ねてきた両親が頼むからそんな事はやめてくれと言ってきた事。自分の息子が王になるのだ。アレックスとしては相当に喜んで訪ねてきたのだろうと思っていたが、両親は王の親になどなりたくない。自分たちにそんな立場は相応しくない、だから婚約を解消してくれ、と迫ってきた。
そう言われても、事はすでにアレックスの意思でどうこうなる話ではない。国として正式に発表されているのだ。今更、それはなしなど言えば、国の面子を潰したものとして、アレックスはおろか一族郎党、打ち首になってもおかしくない。
それをアレックスから説明されて、渋々両親は諦めたが、それでも生活を変えるつもりはないと言い切って実家に引き上げて行った。そんな欲のない両親がアレックスとしては誇らしかったのだが、考えてみれば、その欲の無さで家が貧しいのがどうにも許せなくて、自分は両親のようにはならないと決意して、上を目指していたのだった。
立場が変われば周りの人の態度は随分と変わる。そして自分の心情も変わっている事にアレックスは驚いた。そんな中で変わらない両親というものはありがいたいものだ。そうしみじみと思うアレックスであったが、違った意味で変わらない人がいる。アレックスとしてはこの人にこそ変わって欲しいと切に願っているのだが、どうやらその思いは届かないようだ。
「それで婚姻の日取りは決まったのですか?」
「いえまだです」
「何をしているのです? パルス王家の婚姻ともなればそれは盛大なものになるでしょう。色々と準備があるのです。早く決めないと困ってしまうでしょう?」
「その準備があるから中々に決められないのです。それとエリザベート様、婚姻の段取りは宮務庁長官を中心とした文官の仕事であって、私には関係ありません」
結婚の準備についてあれこれと聞かれてもアレックスは説明出来ない。すべてお任せである上に、進捗状況の詳細を説明してもらっていない。
「関係ないとは何ですか? そなたの婚姻でしょう?」
「いえ、段取りはという意味です。私はただ決められたまま動くだけです」
「つまらない男ですね。妻の為に忘れられない婚姻の儀にしてあげようとは思わないのですか? どう思いますか? ローズマリー」
婚姻の話をするという事でローズマリー王女もこの場に呼ばれている。その彼女にエリザベートは問い掛けた。
「いえ、あの母上、それをアレックスに言っても……」
ローズマリー王女にとってはかなり迷惑な事だ。
「ローズマリーの言うとおりです。私にはその権限はありません」
「おや? 今、呼び捨てにしましたね?」
「……申し訳ありません」
「別に良いのです。夫が妻を呼び捨てにするのは当たり前でしょう。でも少し焼けますね?」
「……エリザベート様」
アレックスはエリザベートが何を言いだすのかと思って、びくびくしている。二人の関係をローズマリー王女に知られたら全てお終いなのだ。それは当然、アレックスの人生の終わりを意味する。
「私にも誰か良い殿方はいませんかね?」
「はあ?」
「母上! 何を言っているのです!? 父上の喪も明けぬうちにそんな事を言うのは王の側妃として許されません!」
「……冗談です。そんな事が許されないのは妾だって分かっていますよ」
まったくの冗談でもないのだが、ローズマリー王女にここまで激しく反発されるとこう言うしかない。
「戯言でもそういう発言は控えてください」
「はあ、面倒だこと。娘の前で冗談も言えないとは」
「そう言うお立場なのです」
「お立場……それで? 妾はそなた達の婚姻の儀に参加できる立場になれそうですか?」
「それは……まだです」
婚姻の儀は王族の儀式。参加できるのは王族と高位の臣下だけになる。そしてパルス王国の王族の定義は国王本人と王妃の位にある者、そして王の子供たち。これは王妃の子供か側妃の子供であるかは問われない。前王妃である王大公妃が存命であれば、それも加わる。
つまり、側妃の身分であるエリザベートに婚姻の儀に参加する資格はない。
「そうですか……調整は続けているのですね?」
「はい。宮務庁長官が過去の前例を調べ、適切な身分がないかと検討しております」
「わかりました。吉報を待ちましょう。では婚姻の儀はそれが決まってからの事として、婚姻披露の儀は?」
「……それも私の自由に出来る事では」
「招待客の候補くらい知っているのでしょう? そなたはそれら全ての名と顔、そして経歴を覚えなければいけないのですから」
「はあ。ただ全然、固まっておりませんが」
主役の一人であるアレックスの下には招待客が一人一人挨拶に来ることになる。当然、初対面の者がほとんどだ。それでも相手の素性をいちいち聞くのは王族、そして貴族にとって非礼な事。初めて会った人とも一言二言、挨拶以外の言葉を交わすのが求められる礼儀なのだ。
教えてくれる者は側に付くことになっているが、伝えられるのは名前と立場くらい。それを聞いて、交わす言葉を考えなくてはならない。
「妾は候補を知りたいと言いました」
「まずは私の父母です」
「当然ですね」
「ただ父母は拒否しています」
「何故ですか? 息子の晴れ舞台ですよ。親としてその姿を見たいとは思わないのですか?」
「王を息子に持った覚えはないと言っています。父母は私が王になる事に反対なのです」
「そうですか……そなたの両親はどこに住んでいるのですか?」
「王都からまっすぐに西に向かったヒックスという街です」
「ヒックス? 聞いたことがありませんね」
「小さな街です。ご存じないのも当然かと思います」
「ふむ。ヒックスですね。それでそなたの両親以外は?」
「王都に駐留している貴族。爵位は問われていません。あとはパルス国内の有力商人が数人。名はまだ覚えていません。傭兵ギルド長、商業ギルドのパルス駐在員、王都の商工会長、王都の住民代表者。……そんなものでしょうか」
「国内だけですね。外国からの招待客はどうなっているのです?」
「それが決まらないのです。今決まっている招待状の送り先は、ユーロン双王国……」
「誰に送るのです?」
「それは当然ユーロン王です。実際に来るのは名代の方でしょうが」
「……そうですね、続けなさい」
もしかすると末弟王であるネロが来ることになるかもしれない。エリザベートは一瞬そう思ったが、それはありえない事だとすぐに思い直した。王の名代として任命される程の力はネロにはない。長兄か次兄のどちらかだ。
「あとはアイオン共和国王、都市国家連合の各首長、一応、レンベルク皇国にも送ります」
「一応とはどういう意味です?」
「かの国は不干渉主義です。招待状を送っても参加する事はないでしょう。それに仮に来たいと思っても、来ることは出来ません。パルスまでの道のりは戦場ですから」
「つまり東方連盟は全て不参加ですね?」
「参加する余裕はどこの国にもありません。礼儀として招待状は送りますが、そもそも何通が宛先に届く事か」
東方連盟内の争いは相変わらず混沌としている。傭兵王率いるマーセナリ王国の軍はあちらこちらで蠢動するダクセン王族を討つためにダクセン国内を東奔西走。モグラ叩きのような様相になっている。傭兵王に全てを頼っているマーセナリ王国の弱点が露呈している。
ミネルバ王国とマリ王国の戦いはややマリ王国が優勢という所でほぼ互角。だが、ほとんど潰しあいになっている。どちらが勝っても、次に来る戦いで他国に滅ぼされるのは間違いない。
そして、安定した戦いになっているのはマンセル王国とアシャンテ王国の戦い。安定しているのはあくまでもマンセル王国側から見た場合だが。
マンセル王国はダクセン王国との国境を固めた後、ゆっくりと軍をアシャンテ王国に進めた。決して急ぐことはないが、確実に拠点をひとつひとつ制圧している。拠点を落とし軍勢を入れて統治を行う。落とした拠点を確実に自国の領土に組み込んでいっているのだ。
その結果、アシャンテ王国は全く反抗の隙が見いだせない。押されるままに領土を削られていくだけ。全土の制圧には時間がかかるが、占領後の安定の早さを優先している形だ。
戦況はそれぞれだが、東方連盟内の戦いが続いている事は間違いない。招待状など送っても、戦争を放って使者を送ってくる余裕はどの国にもないだろう。
唯一アシャンテ王国は送れるものであれば送りたいところだ。このままでは国が亡びるだけ、パルス王国に支援を、支援は無理でも停戦の仲介を求めたいはずだ。だがアシャンテ王国とパルス王国の間にはマンセル王国とミネルバ王国がある。それを超えてアシャンテ王国の使者が訪れる事は不可能に近い。
「婚姻の話をしているはずが戦争の話題とは無神経な婿殿ですね」
「いや、もともとはエリザベート様が……それに私は婿では、いや婿かもしれませんが」
「おまけに細かい。本当にローズマリーの夫として相応しかったのか」
「母上! そんな事を言わないでください!」
「あらあら? ローズマリーはアレックスを庇うのですね。良い事です。夫婦とはそうでなくてはいけません。夫の悪口を言われて黙っているようでは妻として失格ですからね」
そんなエリザベートを見てアレックスは違和感を覚えている。婚姻の話をしている時に限っては、エリザベートの様子は普段とは全く違う。まったく別人を見ているようだ。夫婦のあり方をなにかと会話の中にはさみ、娘の婚姻を我が事の様に喜んでいるように見える。
もともとこの婚姻は策謀の一環。アレックスにとっては王になる為、エリザベートにとっても何か思惑があるのは間違いない。その策謀と今のエリザベートが結びつかない事がアレックスを悩ませていた。
アレックスは分かっていない。エリザベートが策謀など関係なく、本当に娘の婚姻を喜んでいる事を。自分が得られなかった幸せを娘が手にする事をどれほど強く望んでいるかを。
だが、その事にアレックスが気付くことはない。違和感を覚えた事さえ、次の瞬間には忘れてしまうのだ。
「さて、そなたとの話はこれくらいにしましょう。妾とローズマリーはドレスの打ち合わせがあります」
「わかりました。ではこれで失礼します」
「……アレックス、約束を忘れてはいけませんよ」
そう言ってにっこりとほほ笑んでアレックスを見つめるエリザベートの顔は普段のそれに戻っていた。怜悧でいて妖艶。見る者を狂わせる魔性の笑み。
やはり、この女はこの女だ。さきほどまでのエリザベートの姿はアレックスの中から完全に消え去った。今のアレックスはその笑みに狂うことはない。ただ恐怖を感じるだけなのだ。
◆◆◆
とにかく蛇の穴を脱け出した思いを感じながらアレックスは執務室に戻った。だがそこにアレックスを悩ませるもう一人の人物がいる事に気付いて、扉の所でアレックスは足を止めてしまう。
「ようやく戻ったか。お主がどこぞで遊んでいるうちに、ほれ、この通り。仕事が溜まっておるぞ。そんな所に突っ立っておらんで、とっとと仕事を片付けんか」
その人物が言うとおり、執務机の上に書類の束が積まれている。仕方なく自分の執務机に向い、一番上に積まれていた書類を手に取る。
相変わらずの魔族との戦いについての報告書だった。
「全く、そんな愚にもつかぬ報告書をよくもそんなにあげてくるものじゃな」
「見たのですか?」
「ああ、ざっと目は通させてもらった」
「いくらサウスエンド伯といえども勝手に人の書類を見るのはどうなのですか?」
ここ最近なにかとサウスエンド伯はアレックスの執務室を訪れるようになった。その意図がアレックスには分からない。エリザベートと同じ。何か企んでいるのだろうと推測するていどだ。
「いずれ儂の元にも届く報告書じゃ。先に見たとて何の問題がある?」
「それはそうですが……」
それを言われるとアレックスは文句を言えなくなる。アレックスの決裁が終われば、それはパルス王国の重臣たちに回っていく。パルス王国の重鎮であるサウスエンド伯にも当然それは回っていくのだ。
「ほれ、とっとと手を動かさんか」
「……サウスエンド伯はお暇なのですか?」
「暇なわけがあるか。儂だってパルスの国政を担う者。今のお主よりもはるかに仕事はある」
「ではこのような所で暇をつぶしている場合ではないでしょう?」
「儂はお主と違って政務に慣れておる。仕事のこなし方が違うのじゃ。心配はいらん」
「しかし私の職務が……」
「なんじゃ。邪魔だとでも言うのか? 邪魔どころかお主は儂に感謝せねばならんだろ。儂がこうしてここにいるから、お主は落ち着いて仕事が出来るのじゃぞ」
実際、サウスエンド伯の言うとおりだ。王になるアレックスの恩恵にあずかろうと執務室を訪れる者は引きも切らない。だがそのような輩も、そこにパルス重鎮であるサウスエンド伯の姿を認めると何も言えずにそそくさと引き返していくのだ。
その点では助かっていると言えば助かっているのだが。
「ほれ、見逃しておる」
アレックスとして本当の意味では落ち着けない。
「……どこですか?」
「前の頁じゃ。計算数値が間違っておったぞ」
「……確かに」
サウスエンド伯はアレックスが見ている書類を横からのぞいては、アレックスが見逃した間違いを指摘する。仕事としては助かるのだが、自分の仕事ぶりをずっと監視されているようで、とにかく落ち着かない。
まるで出来の悪い生徒が居残りをさせられているような気分になる。
「ほれ、又じゃ」
「……はい」
「……そう落ち込むな。お主がこうやってミスを犯すのは慣れていないからじゃ。見るべきところがどこかを理解出来る様になれば、こんなものはすぐに出来る様になる」
完全に先生と化しているサウスエンド伯。アレックスに嬉しいと思う気持ちがない訳ではないが、なんといっても相手は有力貴族四エンド家の一人。何か裏があるのではないかとアレックスは疑ってしまう。
実際に裏があるのだが、アレックスとこうしている時のサウスエンド伯は自身もそれを忘れているようで、必死にアレックスを仕込もうとしている。もともと面倒見の良い性格なのだ。
「そうだと良いのですが」
「時間はないぞ。お主が王になれば儂がこうしてあれやこれやいう事は出来ん。それは越権というものだ」
「……そうですね」
「お主はパルス国王になる。この大国パルスの国王にな。それに相応しい見識と能力を身につけねばならん。お主が愚かであると国が傾く、それを忘れるな」
王が愚かであることを四エンド家は望んでいるのだが、その事さえ完全に忘れて、こんな事をサウスエンド伯はアレックスに向かって言っている。
「そうは言われましても」
「確かにお主は帝王学など学んでおらん。王族ではないし、儂のような大貴族の身分でもないからな。だが王になるからにはそれを身につけねばならん。だからこそ、儂は儂の知る全てをお主に叩きこむ事にした」
「……サウスエンド伯」
「……ん? 何か違う様な……まあ、良いか。まずは心得からじゃな。実は仕事の能力なんてものはどうでも良いのじゃ」
「そうなのですか?」
「考えてもみろ。王が軍費の計算をするか? 兵の鍛錬を自ら行うか?」
「しません」
「そうじゃ。それを行う者は他にいる。その為に儂ら臣下がおるのじゃ」
「……では王の仕事とは?」
「方針を決める事。進むべき道を示すと言い換えても良い。それを実際に手を動かす臣下に示すのじゃ」
「進むべき道ですか?」
「お主は王になったらパルスをどういう国にしたい? 強い国、豊かな国、平和な国、安全な国。ちょっと漠然とした言い方だが色々ある」
「はあ。そこまでは考えていません」
「それはそうじゃな。だがやがてそれを考えなくてはならなくなる。全てを一度に実現する事など出来ん。強い国を作るには兵を多くし、その兵を鍛え、その兵たちに良い武具を与えねばならん。だがその為には多くの金を使う。豊かな国というのとは、反対方向に進むわけじゃ」
まるで子供に向けたような実に単純な説明。サウスエンド伯にしても、こんな教えを父親や帝王学を教える教師に習ったのは物心ついたすぐ後であろう。だが、そういった事を全く考えていなかったアレックスにとっては、それが丁度良かった。
「なるほど。そういう事ですか」
「進むべき道とはそういうことじゃ。レンベルク皇国は不干渉主義を取っている。それは外に向ける力をひたする内に注いでいるからじゃ。目指しているのは平和な国といったところかの。傭兵王は東方制覇に乗り出した。それもまた進むべき道じゃが。今のあれはそれに臣下がついてこなかった事を意味する」
「どういう事でしょう?」
「道ばかり先行して、その為の準備を何もしていないのじゃ。強い国とはただ兵が強ければ良いというわけではない。戦争を続けるための金を用意し、多くの将を育て、敵の情報を入手するなど、とにかく万全の体制で臨まねばならん。これはお主にも心当たりはあるじゃろ?」
サウスエンド伯がさしているのは魔族領への侵攻。敵の事を何も知らず、優れた将を揃えず、ただやみくもに攻め込んで、勝った形にはなっているが大損害を受けている。金銭面でいえばその被害は今後更に拡大するだろう。亡くなった兵への慰労金、負傷した兵への保障。そして軍を再編するにも一万以上の補充をするのだ。莫大な経費がかかる事になる。
「そうですね」
「こんな言い方をしては亡くなった兵には本当に申し訳ないが、お主はそれで学んだはずじゃ。他国を攻めるという事がどれほど危険かを。備えに備えを重ねても、更にもう一度考える。戦争を始める時はそうでなくてはならない。そもそも戦争を起こさないための努力をせねばならんだ」
「はい。よく分かります」
なんとなく流れで話したサウスエンド伯だったが、それがアレックスにどういう影響を与えたかを彼自身は気付いていない。
アレックスの中では一つの考えが生まれた。エリザベートの言う大陸制覇などというものは夢物語であり、それは却ってパルス王国を害するものだと。そしてパルス王国を害する事こそ、エリザベートの目的であるとアレックスは気付いた。
「心得に戻ろう。進むべき道を考える上で持っておかなければいけない心得がある」
「はい。何でしょう?」
「王は奉仕される者ではなく、奉仕する者であるという事」
「それは?」
「ぴんとこんか。王とは大変なものだ。暴君になれば国は亡び、名君であれば国は栄える。では暴君とは何か、名君とは何かを考えねばならん。暴君とは自己の利益の為に国に奉仕を求めるものである。国費を散財し贅沢に耽る。気に入らない者がいればそれの命を求める。民や臣下の命も国の財産だ。気に入らない国があればそれを攻めようとする。他国を攻める事の問題は言うまでもないな?」
「はい」
「では名君とは? 頭の良い者ではない。武芸に優れた者でもない。当然、戦争の上手い者など名君などではない。名君とは自己を捨てて国を優先するもの。贅沢をつつしみ、無駄な国費を使わない。気に入らないものであってもそれが国に役立つものであれば登用する。気に入らない国であっても武を使わずに外交で解決しようとする。暴君とは反対の者だ」
「……分かります」
「それが分かっていても名君になれないのが人というものだ。別にお主に限って言っているわけではない。儂もそうだ。王というのは国の頂点。そこに立って果たして自己を律することが出来るか。出来るとは言い切れん。心の中はともかく表向きは誰もが頭を垂れる。利権に与ろうと耳に良い言葉をささやく者も多いだろう。色々な誘惑が王を襲う。そういうものすべてに耐えて初めて名君となれるのだ」
「私は……」
大丈夫とは言い切れない。今は何の権限もないアレックスであるが、国王になれば違う。即位当初は何の力もないないかもしれない。だがそのままでいるつもりはアレックスにはない。国王として本来持つべき権限を持つつもりだ。
だが、その権限を得て自分は何を行うのか。誘惑に耐えられるのか。アレックスには自信がない
「自信を無くしたか? それで良いのじゃ。自分が足りない者だと思えば努力すれば良い。努力を忘れた時に初めて人は堕落するのじゃ」
「はい」
「今は名君でなくてもいずれなれば良い。たとえ成れなくてもそう成ろうとするだけで良い。それで国は、民は平穏でいられるのだ」
「…………」
アレックスの心の中に湧き上がる感動。自分が王になるのだと始めて実感した瞬間だった。
サウスエンド伯は、王は道を示さなければならないと語ったが、今日の話はアレックスに道を示すものだった。王として自分はどうあらねばならないか。少なくともアレックスはそれを考える意識を持った。
「ふむ、少し語り過ぎたな。さすがにこれはお主の邪魔じゃ。今日のところは失礼する」
「ありがとうございました」
何か裏があるはず。そんな考えはアレックスの頭の中から消え去っていた。ただ自分を教授してくれたサウスエンド伯に純粋な感謝の念を持つだけ。
その思いを表すために、いつ以来ともいえる直立不動の体勢から、部屋を出て行くサウスエンド伯に向かって深く腰を折った。
つまりアレックスは単純な男なのだ。そして策を忘れて教えに没頭するサウスエンド伯も同じようなもの。似たもの同士の子弟関係がこの日出来上がった。