この数か月、パルス王国は激動の時を迎えている。時に悲痛が、時に歓喜がパルス王国に住む人々の間を駆け巡った。
最初に届いたのは訃報。ノースエンド伯が魔族との戦いで戦死したというものだ。事情を知っている者にとってそれはにわかには信じがたいものだった。ノースエンド伯は魔族との戦いには実際には参加していない。そのノースエンド伯が何故、戦死するのか。
疑われたのは新貴族派による陰謀。戦いのどさくさに紛れて、有力貴族の四強の一人であるノースエンド伯を亡き者にしたのではないかという事。だがその疑いは戦況の詳細が届いたことで消えた。パルス王国軍の危地を救うために、ノースエンド伯は独断で兵を率いて前線に突入したのだ。
それが前線からの報告だけであれば、疑いは残ったであろう。だが、ノースエンド伯の代わりにノースエンド伯領に入っていたサウスエンド伯が事実である事を有力貴族派の面々に伝えてきた。サウスエンド伯の報告を疑う者はいない。それにより陰謀説は完全に消えた。
それでもエンド家の一角の戦死。それがパルス王国軍を守る為とはいえ、伯と親しい関係にあった者、そして伯の人柄を知る多くの国民にとって悲報である事に変わりはない。
だが、少なくとも国民にはそれを悲しむ時間はあまり与えられなかった。
魔族との戦の勝利の報。魔王の首を取って侵攻軍が帰ってくる。その事実は悲しんでいたパルス国民を一気にその悲しみから引き揚げた。
歓喜に包まれる王都。誰もが侵攻軍の到着とともに行われるであろう凱旋の宴を想像して気分を高揚させていた。実際にその準備に入ったものも多くいたであろう。
だが王都への帰還を先行する侵攻軍の一部が間もなく王都に到着するであろう、そのわずか数日前に、信じられない事態が起こった。
パルス国王 ジョージ・フレドリック・パルス死去。享年四十六才。早すぎる死である。そしてあまりにもタイミングの良すぎる死である。
これが陰謀だと思わなかったものは事情を知らない国民と極々一部の無知な貴族だけ。問題はそれが誰によるものかという事だ。
有力貴族派の四強であるエンド家は全て王都を離れている。それ故に怪しいと思う者も多い。いや、そうではない。エンド家が暗殺に関わっているのであれば、国権の掌握の為に必ず王都にいるはずだ。そんな風に考える者も多くいた。
真実を知っているのはエンド家とそれに関わった者たち。その一人であるイーストエンド侯爵は、王都を離れた領地で、今後の対応を話し合っていた。
「まさか本当にやるなんて……」
信じられないという様子でイーストエンド公爵家嫡男であるチャールズが言葉を発した。彼がこの言葉を発するのは会議が始まって何度目だろう。だが、誰も咎める者はいない。多くの者がチャールズと同じ気持ちでいるのだ。
「何度同じ言葉を呟いても事実は変わらん。いい加減に気持ちを落ち着かせろ」
唯一それを咎める事が出来るのはイーストエンド侯爵その人だけ。
「しかし、王の暗殺ですよ? しかもこんな時期に」
「こんな時期だからこそだ。今後の展開を言ってみろ」
チャールズに出来る限り、自分の考えを述べさせるのがイーストエンド侯爵のいつものやり方。それも将来イーストエンド家を担うチャールズへの教育のつもりだ。
「……ローズマリー王女の即位。そして近衛第一大隊長のアレックスとの婚約発表ですね」
「まあ、そうだな」
「でも、そんな事が出来るのですか? 国王の喪に服さずに、そんな風に物事を進める事が許されるとは思いません」
「だからこの時期だからなのだ。その理由をあげて見ろ」
国王が亡くなれば最低でも一年は喪に服するのが王族としての義務。国としてもそうだ。一年間は賑やかな宴などはたとえそれがどんなものであれ、行われる事はない。
例年行われている各種の祭りはそのほとんどが中止。唯一許される豊作を祈る祭りは、にぎやかな祭りから厳かな儀式へとその様相を変えて行われることになる。
だがイーストエンド侯爵はこの時期だから喪に服すことはしないで済むと言う。
「……東方および西方の不穏な情勢。それを理由に喪に服している場合ではないと理由づける事です」
「それだけか?」
「魔族との戦いの継続。魔王を討ったとはいえ、魔族を滅ぼしたわけではありません。今もパルスは戦争状態にあります。その状況ではいち早く、国権を固める事が優先されるという理由です」
「その通りだ。そして恐らく王の遺言がそれの後押しをする」
「遺言があるのですか?」
「あるであろう。それが本物であるとの保証はないがな」
「王の遺言の偽造ですか?」
「いいか。女狐についたのは宮務庁長官だ。宮務庁長官の役目は何だ?」
「奥を含む宮中全体の管理です」
「そして王は宮中で亡くなられた。立ち合ったのは宮務庁長官とその息のかかった者。そして女狐自身もいたかもしれんな」
「女狐、いえエリザベート様も王の臨終の立ち合いを……」
「おい、しゃんとしろ。王の死に立ち会ったのではない。王の暗殺に立ち会った。いや、手を下したのだ」
エンド四家から見れば、今回の件は王の側妃であるエリザベート・フォスターの陰謀である事は明白だ。自分たちが行った事ではない。それであれば他にそんな真似をする者はいない。
「我々はどうするのですか?」
「それを今話し合っているのだ。今回の事態にあたってイーストエンド侯爵家としてどう対処するのか。それはひいてはエンド家全体でどうするのかという事になる」
「父上のお考えは?」
「それを先に述べては意見が出ないだろ? 私は最後だ。まずはお前から案を言ってみろ」
「私ですか……エリザベート様の不正を糾弾し、正しい道に戻すのが一番だと」
「正しい道とは何だ?」
「それは……」
チャールズはそれに答える事が出来なかった。ただ視線をわずかに自分の隣に座るクラウディアに向けたのみ。そのクラウディアは黒い喪服に身を包み、沈痛な面持ちで座っている。何か深く考えているのか、チャールズの視線にも気付いた様子はない。
「やはり、ここはクラディア様の出番かと」
チャールズが言葉に出来ないそれをイーストエンド侯爵家の家宰が口にした。
自分の名前が出た事に反応したのか、クラウはわずかに肩を揺らしたが、口をつぐんだまま何も言おうとはしなかった。
「それが正しい道か?」
「正しいか正しくないかは関係ございません。エリザベート様のやりようを許さないのであれば他に道がないだけでございます」
エリザベートを否定するという事はローズマリー王女の即位を否定する事。だが、パルスにはローズマリー王女以外に王位継承権保持者はいない。
唯一の対抗馬は元第一王女であり、王位継承権第一位であったクラウディアのみ。
「そうだな。だがそれを行えばどうなる?」
「内戦が起こります。新貴族派、国軍も敵に回るかもしれません。ですがエンド家の総力をあげれば勝てない戦ではございません」
家宰の言葉に侯爵領軍をまとめている軍担当者も大きく頷いている。エンド家の領地軍はどれもパルス国内での最精鋭。対抗できるのは国軍の中でも限られた部隊だ。それだけの自信はあるのだ。
「だが内戦は長引くぞ。それに落とさなければいけないのはパルス王都だ。王都の民を戦いに巻き込んで、こちらの正当性は認められるだろうか?」
「……王都だけでなく、内戦が起きれば全国民の怒りは避けられません」
「では、その案は取れない。正確に言えば最後の最後。どうにもならなくなった時の手段にしかならない」
「では認めるのですか? ローズマリー王女の即位。いえ、アレックスの即位を」
王位継承権を持っているのはローズマリー王女だが、パルスで女王が即位した例はない。パルスだけではない。どの国でもそうだ。この世界では女性の地位はまだまだ低い。例外はエルフ族と魔族だけだ。特に魔族は討たれた魔王は女性だった。もっとも魔族に正式には王という地位はないが。
女王の即位が認められないとなれば、夫であるアレックスがパルス国王という事になる。
「アレックスが即位する事の弊害を考えろ」
「王の器ではない事です」
「パルス王国としては問題だな。だが我等にとってはどうだ?」
「望むところです」
王が無能であれば相対的に臣下の力が増すことになる。そしてパルス王国の場合、その力を増す臣下とはエンド四家ということになる。
「ではパルス王国としての問題をどう解決するかだな」
「まったく問題ありません。国政は四エンド家で十分に回していけます」
「実務としてはそうだな。だが問題はある。会議の議決数では我等に勝ち目はない。内政だけであれば問題ないがな」
「つまり問題なのは誰が王という事ではなく、それを担いでいる者にあると?」
「そうだ。アレックスが一人で王だなんだと威張ってみても我等にとっては何ほどの事はない。それはイーストエンド家の歴史の中でこれまでもあった事だ」
エンド四家は大森林の悲劇以降、力を持った四家を蹴落とそうとする王との政争を続けてきた。そしてそれに勝ち続けてきたから今のエンド四家があるのだ。王との政争はこれが初めてというわけではない。これまでもそれが当たり前に行われてきたのだ。
「問題はエリザベート様でございますね?」
「そうだ。あの女狐の力を削がなくてはならない。あの女狐が余計な真似をしなければ誰が王であってもパルスは安泰。そう思って良いと私は思う」
「余計な真似というのは? 父上はエリザベート様が何をすると考えているのですか?」
「女狐にパルスを思う気持ちなどない。思いがあるとすればそれは恨みであろう。あれが大切に思っているのは祖国であるユーロン双王国だ。ユーロン双王国の利益の為にパルスを犠牲にする。あれがやるのはそういう事であろう」
「祖国への思いはわかりますが、パルスへの恨みですか?」
「……それについては我等の責任もある。一番の問題は王だがな。エリザベートが嫁いできたのは、ソフィアとの間になかなか子が出来なかったからだ。王であるからには世継ぎを持たねばならん。エリザベートは世継ぎを生む為にパルスに来た」
「でもクラウがいます」
「クラウとローズマリー王女の年齢を考えてみろ。わすかにクラウが早いだけだ。だがそれが問題だった。クラウが少し前に生まれ、自分の子も娘であった事でエリザベートの役目は終わった。身ごもった時にすでに気付いていたであろうがな。王はソフィアにかかりっきりで、同じ身重のエリザベートを一切顧みる事はなかった。少なくともその時期だけは私もエリザベートに同情したな。早産であろうとソフィアより一日でも早く子を産みたい。それが駄目だとなったらなんとしても男の子を。それが彼女の存在意義を残す術だった」
「そんな……?」
ここでクラウが初めて口を開いた。幼かったクラウディアには知る由もない事実。クラウディアが知っていたのは、エリザベートに自分が嫌われているという事だけだった。それを恨んだこともあったが、事実を知っていればどうだったのだろう。嫌われるだけの理由がある。少なくともそれは理解出来たであろう。
「同情はほどほどに。さすがにその後を聞けば同情の気持ちは薄れる。クラウの誘拐を喜び、ソフィアの死を喜んだ。クラウを誘拐されて落ち込んでいたソフィアに対し、見えない所でその責任を責め立てていたという噂もある。ソフィアが亡くなって、いよいよ自分の出番と暗躍を始めたが、それは我らが全て押さえた。確実に四エンド家は恨まれているな」
「そうですか」
それを聞いてもクラウディアのエリザベートへの同情の気持ちはそれ程薄まっていない。何故なら、周りに存在を認められない辛さをクラウディアも知っているからだ。
魔族に誘拐されて城に戻ったあとのクラウディアがそうだった。誘拐されていた時の事を怪しまれ、魔族との関係を疑われ、誰もクラウディアと関わろうとしなかった。父である王もそんなクラウディアを放っておいた。
一人、城の奥で過ごす日々。その寂しさを紛らわすために図書館の本を読み漁り、気を紛らわせていた。だが、それがずっと続いていたらどうなっていただろう。周りを恨み、エリザベートと同じようになったのではないか。氷結の王女と呼ばれた無表情の仮面の下には、確かに周りを恨む暗い感情があった。それをクラウディア自身は分かっている。
自分がエリザベートのようにならなくて済んだのは、ヒューガが城から助け出してくれたから。それを思うと、改めてヒューガへの感謝の気持ちが強くなった。
「方針は決まったな。アレックスの即位は邪魔しない。だがエリザベートの影響力は確実に削らなければならない。これに異議のある者?」
「「「「…………」」」」
「ではまず取るべき対応だ。宮務庁長官、司法庁長官、商務庁長官。この三人の調査は進んでいるか?」
「宮務庁長官を除けば、概ねは。司法庁長官は息子の品行にかなり問題があります。犯罪に問われて当然の所業もかなりあります。また司法庁長官がそれを握りつぶした事実もあります。恐らくはその事実を掴まれて、脅されているものと思います」
「では、脅し返せ。言うことを聞かなければ失脚させていい。後任に相応しい者は押さえてあるか?」
「すでに」
「ではやれ。商務庁長官は?」
「借金です。そしてそれを補うために国の金を着服しています。商人を使って巧妙に隠していましたが、すでに証拠は掴んでおります」
「では同様に。宮務庁長官は掴めんか……いや、それはもう良いな。王の暗殺に手を貸したのであれば、もうこちらに戻る事は出来ん。失脚させるだけの材料を掴め」
「しかし彼は宮中から出る事はほとんどありません。なかなか難しいのではないでしょうか?」
「そうか……だがそうなるとますます何を掴まれたのか分からんな?」
「ひとつ可能性があります。ただ決定的な証拠が見つかりません」
「何だ?」
「色です」
「あの年でか? しかも……なるほどそういう事か。女狐は手段を選ばずという事だな」
「はい。中身はともかくとして、あの方は……」
エリザベートの別称は女狐だけではない。淫魔以上の淫魔、こんな侮蔑としても酷すぎる呼び名もある。それを使う者は滅多にいない。どんなに軽蔑していても、それを言うほうが自分を貶めているような気分になるからだ。
エリザベートは淫魔のように相手の好みに合わせて姿を変える必要はない。そんな事をしなくても全ての男を狂わすような色香を持っているのだ。そんな女と毎日接していてはどんな男でも狂う。宮務庁長官は年甲斐もなくそれに狂わされたのだ。
「宮中の女官を探れ。必ず誰かは知っているはずだ。それでなくてはいくら宮務庁長官といえども、エリザベートの寝所まで行けるわけがない」
「はい。それはもう手を付けていますが、一層力を入れさせます」
「確たる証拠を掴みたいものだな。それが出来れば一気に女狐の力を削げる。奴のやった事は王への背信だ。たとえ王の死後であってもそれは許されることではない」
「はい。必ず」
「もうひとつご指示を」
「……何だ?」
発言をしたのは間者の束ねを担当している者。だが以前の一件以来、やや侯爵との間は気まずい雰囲気が残ったままだ。
「ひとつ疑問があります。かの人は何故そういう事実を掴めたのでしょう? 奥にいて知れる事ではありません」
「……独自の間者がいるというのか?」
「まず間違いなく」
「いつの間にそんなものを……それをどうする?」
「それのご指示を。探るだけにとどめるか、潰すか」
「潰せ。あの女の立場は娘が王妃になろうと王になろうと元王の側妃であるに過ぎん。耳目を失えば表に手出し出来る事は限られてくるだろう」
たとえ娘が王になろうと自身が王妃の立場になかった限り、元側妃以上の立場になる事は出来ない。パルス王国における王妃という立場はそれ程重いもの。それ故にソフィア王妃が亡くなられた後も、亡き王はエリザベートを王妃にする事はなかったと想像できる。
彼女はあくまでも裏の存在であり続けなければならない。問題は裏から表を操るだけの力があるかどうか。それを失くせば今まで通り、ただ奥でひっそりと暮らすだけの存在になる。それが彼女にとってどんなに辛い事であるのか、この国の男には理解できない。女性の地位はそれだけ低いのだ。
この中で唯一、エリザベートへの同情を持ち続けているのは女性であるクラウディアのみ。だがそのクラウがエリザベートにしてやれることは何もない。ただ、じっと事の成り行きを見つめているしかないのだ。
「王都での活動となるとそれなりの手が必要になります」
「……大森林の監視を止めろ。今はそれどころではない」
「分かりました」
「事を急ぐ。今のままではノースエンド伯領が没収されるような事態になっても防ぐ手はない。今のままでは多数決で押し切られるだけだからな。期限は魔族戦での論功勲功が始まるまでだ。日はないぞ」
「「「「はっ」」」」
「一応聞いておこう。大森林に動きはあったか?」
話に一区切りついたと考えたイーストエンド侯爵は間者の長に大森林についてこれまで分かったことを確認した。
「大きな動きはありません。以前、ご報告した商人が荷を運びこんでいるくらいです」
「あれか……荷の内容は掴めたか?」
「食糧がほとんどです」
「食糧? 大森林で食糧が必要になるのか?」
「内部の情報は掴めておりません」
「潜り込ませたものがいたはずだが?」
イーストエンド侯爵はただ監視させていただけではない。大森林内部に人を送って情報を得ることも試みていた。
「……戻ってきました」
「それで情報がないのか?」
「分かった事は二つ。ひとつは奴隷にされていたエルフたちは南の拠点と呼ばれる場所に送り込まれます。そこでしばらく療養する事になっております」
「他にも拠点があるという事だな?」
「はい。ですがそれが何カ所あるのかは分かりませんでした」
「もうひとつは?」
「エルフを間者として使う事は出来ないという事です」
イーストエンド侯爵が送り込んだのはエルフだ。エルフであれば大森林の中に潜り込める。当然の考えではあるが、長はそれを否定した。
「何故だ?」
「ご存じの通り、送り込んだエルフはこちらで奴隷の身から解放してやった者です。それによって恩を売り、間者の役目を引き受けさせたのですが、戻ってきたそのエルフはもう出来ないと申しました」
「理由は?」
「周りの仲間です。自分よりもはるかにひどい境遇だった者が多くいたそうです。その仲間に対して、王は親身になって面倒を見ている。死ぬと思っていた仲間が何人も助かっていくのを見ていると、とても王を裏切る気にはなれないと」
「王と言ったのか?」
ヒューガのことをエルフが王と呼ぶ。ある程度予想されていたことだが、そういう存在になったことをイーストエンド侯爵は知った。
「はい。その者はヒューガ殿を王として慕っております。これではもう間者など出来るはずがありません」
「別の者を送ってはどうだ?」
「それも無理です。その者が言うには王は彼女が間者である事を知っていたようです。自らが間者である事を告白した時に、驚きもせず『大丈夫なのか』と言われたと」
「『大丈夫なのか』とはどういう意味だ?」
「何か弱みを握られているのではないかと心配されたようです。人質とかそういう類のものを心配した様子だったと言っております」
「……そうか。だが別の者でも駄目だという理由にはならんな」
「知っていたという事実が問題なのです。なんらかの方法で知る術があるのではないかと」
「何であるのかは分からないのだな?」
「これは想像に過ぎませんが精霊ではないかと思っています」
「精霊?」
「はい。エルフと精霊の結びつきは強いです。でもその精霊たちもヒューガ殿を王と認めているようです。自分が結んでいるエルフに不穏なものがあれば、それをヒューガ殿に伝えてもおかしくありません」
この推測は少し正しくない。精霊たちは自分が結んでいる相手の事を告げ口するような真似はしない。精霊たちの優しさがそれをさせないのだ。
だが、そんな事に全く遠慮しない精霊が一人、一集団いる。ルナたちだ。ルナたちにとってヒューガは絶対的な存在。彼に危害を及ぼそうとするものを決して認めない。そして精霊たちにとってルナたちはヒューガ以上の存在なのだ。自分たちの頂点に立つエレメンタル。その更に上に立つ精霊として。
「人族を送り込むことは出来ないだろうな?」
「何度か試みればもしや。その程度の確率です」
「失敗すれば?」
「殺されるでしょう。エルフだから殺されずに済んだのだと考えます」
これも間違いだ。エルフ族であってもヒューガは殺すことを躊躇しない。送り込まれたエルフが無事であったのは、彼女は南の拠点にいただけで、アイントラハト王国に何ら悪影響を及ぼしていないこと。そして自ら間者であることを告白したからだ。
「わかった。その送り込んだエルフはどうした?」
「返しました」
「なんだと!?」
「返さなければ、その場で自裁しただけです。そうなればヒューガ殿の恨みを買う、そこまでいかなくても信頼は失くしたでしょう」
「……分かった。他には?」
「大森林についてはありません」
「大森林については?」
思わせぶりな言い方。間者としてはあるまじき言葉だ。要件をはっきりと簡潔に。それが間者のあるべき報告の仕方。だがこの場合、あえてそういう言い方をした。報告の正確性に自信がないから、そして不明確な報告をイーストエンド侯爵が嫌う事を理解しているからだ。
主の信頼なくして間者は働けない。そしてその信頼が揺らいでいる事実が間者として相応しくない話し方をさせているのだ。
「確たる情報はまだ届いておりません」
更に念を押す。
「かまわん。話せ」
「はい。魔族侵攻軍が甚大な被害を受けた可能性があります」
「城を落としたのだ。被害があるのは当然だろう」
「魔王城を落としたあとの話です。直後という情報もあります。アレックス殿の帰還軍にはそういった形跡は全く見られませんので、それが離脱した後ではないかと推測します」
「つまり、魔王を討ったあとか……どの程度の被害だ?」
「確認した時点で半分以下です。数にしておよそ一万数千減っております。もっとも侵攻時の被害も含めてとなりますので、この件で受けた被害の正確なところは分かりません。また、合流してくる兵がまだいると考えればそこまでの被害にはならない可能性もあります」
「それでも四割の被害。それでは勝てたとは言えん……」
被害が二割を超えれば、それは負け戦。四割は全滅に等しい。生き残った兵がまだまとまっている事が奇跡に近いのだが、それは戦地が魔族領である事が関係している。
生き残った兵は南下する以外に逃げ場はない。そして半島である魔族領はパルス王国に近づくにつれ、その半島の付け根は徐々に幅が狭くなってくる。必然的に逃げる兵はまとまってくるわけだ。
「それと」
「まだあるのか?」
「勇者と聖女の姿が確認できません。天幕に籠もったままの可能性はありますので、戦死したと断定は出来ませんが」
「……最悪の事態は想定しよう。パルス王国軍の三分の一が失われたわけだな。被害数としては大森林の悲劇とほぼ同数か。そして勇者と聖女も失った。ノースエンド伯領軍の被害は五百だったな。そして伯自身か」
これからさらに戦乱が広がるというこの時期に大森林の悲劇と同等かそれ以上になるかもしれない損害。軍の立て直しは急務だ。
「王都に戻らなければならんな。軍部の馬鹿共に任せていては何をするか分からん。ましてや被害を隠しているのは軍部だ。各エンド家に伝令を頼む」
「勝手に戻って良いのですか?」
王都に戻るというイーストエンド侯爵にチャールズが問い掛けた。
「誰の許可を得るのだ? 許可を得るべき王はいない」
「……そうですね」
「直ぐに出立の準備を!」
「「「ははっ!」」」