月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

四季は大地を駆け巡る #98 新魔王誕生

異世界ファンタジー小説 四季は大地を駆け巡る

 美理愛が優斗に付き従って辿り着いたのは魔王城の奥にある一室。そこは魔王を抱えた魔将が出てきた部屋だ。
 廊下には二体の死体が折り重なったまま、置き去りにされていた。それを気にすることなく、優斗は横を通り過ぎ奥の部屋に入っていく。
 部屋の真ん中には大きな天蓋付のベッドが置いてあった。

「いやぁ、良かった。やっと寝室が見つかった。ベッドの上で休めそうだね?」

「……私はちょっと気が進まないわ」

 美理愛は目の前のベッドで寝ることには抵抗がある。状況的にここを使っていたのは魔王である可能性が高いのだ。

「そうかい? 寝心地は良さそうだよ」

 優斗はベッドに腰掛けてクッションを確かめるように、軽く上下動を行っている。確かに柔らかそうではあるが。

「それ多分、魔王が使っていたものでしょ?」

「そうだね。状況的にはそれが有力だ……あれはどういうことだったんだろう?」

「何が?」

「魔王は死んでいたよね? あれはアレックスがやったこととは思えない。アレックスが来たときには魔王は既に死んでいた。そう考えるのが正しい」

「そうね」

 優斗の考えに間違いはないと美理愛も思う。魔王城の城門で自死した魔将。もうすぐ魔王の側に行くと言っていた。それはあの時点ですでに魔王が死んでいた証。魔将は魔王に殉じたのだ。

「魔将の二人は魔王に殉じたって感じだね。ちょっと意外だ。魔族にもそういう感情があるんだね」

「……魔族は魔力の強い一種族でしかない」

「何それ?」

「ある人が教えてくれたのよ。この世界には宗教がない。だから悪魔なんて概念はないはずだって」

「……そう言えばそうだね。宗教ってこの世界に来てから聞いたことがない。でもそれと魔族に何の関係があるんだい?」

「だから魔族の魔は悪魔の魔ではない。ただ魔力が他種族に比べて強いからそう呼ばれているだけだって……」

「……ミリアは僕が罪もない種族を滅ぼそうとしたって言っているのかい?」

「…………」

 優斗から発せられる圧力が高まった。美理愛の言葉が気に入らなかったのだ。それを受けた美理愛は少しショックを受けている。圧力に怯えているのではない。優斗が自分にまで威圧を向けてきたことが悲しいのだ。

「……そうなのかもしれない。でも僕は騙されていたんだ。悪いのは僕じゃない」

「そうね」

 美理愛の反応を見てか、優斗は彼女の意見を受け入れた。といっても自分の非を認めるわけではない。

「でも、そうだとしたら何故パルスは魔族を攻めたんだろう?」

「領土欲じゃないかって」

「領土欲? 魔族の領土を取って何か意味があるのかな?」

「さあ? でも私たちの知らない何らかの価値があるのかもしれないわ」

「僕たちの知らない何か……僕たちは知らないことだらけだね?」

「そうね」

 それが間違い。この世界のことをもっと知っておくべきだった。このような事態になって美理愛はより一層そう思うようになった。

「ねえ。それ、誰に聞いたんだい?」

 優斗の目がじっと美理愛を見つめている。

「一緒にきた三人よ」

 その目の奥にある何かが怖くて、美理愛は個人の名前をぼかして答えた。

「ああ、彼等か……よく気付いたね?」

「そういう知識に詳しいようね。勉強をしないでそういうことばかりに興味を持っていたんじゃない?」

「……そっか。そうなると彼等を手放したのは痛いな。確かパルスにいるんだよね?」

「……そうだと思うけど、私も随分と会っていないから。優斗は彼らの噂を聞いている?」

 美理愛は優斗に事実を話せない。話してはいけないという思いが湧いてきてしまう。

「いや、気にしてなかったから。そう思うと彼等には悪いことをしたね? 生きることにも苦労しているだろうな」

「そうね。彼等は私たちと違って力ない存在だから」

 また美理愛は嘘をついた。彼等は、少なくとも日向は力ない存在ではないことを彼女は知っている。彼はこの世界で生きる力を手に入れている。

「……でも、そのおかげでこんな目に遭わなくて済んだとも言えるね」

「皮肉ね?」

「そうだね」

 自嘲気味な笑みを浮かべる優斗。

「ねえ、私達も彼等と同じように――」

「それは出来ないよ」

 美理愛は最後まで言葉を続けることが出来なかった。誰も知らない所で、二人きりで暮らしたい。その想いは優斗には通じない。

「どうして?」

「このままではいられない。僕を騙し、傷つけ、嘲笑った奴らに復讐しないと」

「でも、相手はこの大陸でも最大の国よ? 国を相手にたった二人で立ち向かっても敵わないわ」

「何か方法があるはずだ。美理愛も考えてみて」

「そんなこと言われても」

 そんな策が思い付くはずがない。美理愛は復讐など望んでいないのだ。美理愛が考えるのは、どうすれば優斗に復讐を諦めさせることが出来るか。それもすぐに良い案が浮かぶものではない。
 じっと黙ってそれぞれの思考に沈む二人――

「誰の許しを得てそこに座っているのだ?」

 その沈黙を破る声。とっさに身構えた優斗たちの前に現れたのは。

「魔将だな?」

「……誰かと思えば勇者か。もう一度聞く、誰の許しを得て魔王様のベッドに座っている?」

「魔王は死んだ。死んだ者の使っていたものをどうしようが勝手だろ?」

「……ふむ。確かにそうだな。俺らしくもない。まだ感傷に浸っていたようだ。それは良いがこんな所で何をしている?」

 あっさりと魔王のベッドを使うことを受け入れる魔将。もともとそういう性質なのだ。

「君こそ。敗残の将がこんな所で何をしているんだい?」

「敗残の将だと? 愚かな。自分たちが勝たせてもらった事にも気付いていないのか?」

「勝たせてもらっただと?」

「そうであろう。こちらが戦いを止めたのは魔王様がお亡くなりになられたからだ。そうでなければ、お前等はこの城を見る事も出来なかったであろうよ」

 パルス王国が勝ったのではない。魔王の死によって魔族側が戦いを放棄していたのだ。ただ、そうなることを想定してパルス王国は戦っていたのだから、やはり勝利はパルス王国のものと言えなくもないが。

「……何故だ? 何故そんな真似をした?」

「魔王様が亡くなられたからだ。魔王様がいなくなれば魔族は一枚岩ではいられん。戦いを止める事は最初から決まっていた」

「魔王は何で死んだんだ?」

「……お主、何も知らないのだな?」

「何だと?」

 呆れ顔で自分の無知を指摘する相手に、優斗は怒気を露わにした。無知である自覚はすでに持っているが、それを他人から指摘されるのは許せないのだ。

「なるほどな。ヴラドが報告していた通りか。勇者はパルスに良い様に使われているだけ。真実など何も知らん」

「……それ以上、僕たちを侮辱したら殺す!」

 さらなる嘲りに優斗の怒りは高まる。

「それも良いだろう。お主、強いのだろうな? 俺は強い者にしか興味はない」

「やってみれば分かる!」

「優斗! 今更そんなことをしても無駄よ!」

 今更、魔将と戦うことに何の意味もない。魔族との戦いはパルス王国貴族の私利私欲の為。そこに優斗が求める正義などないのだ。

「何故、勇者が魔族との戦いを止める?」

 魔将も戦いを欲している。制止する美理愛に不満そうだ。

「私たちは真実を知りました。魔族との戦いに大義などありません」

「なんだ、知っていたのだな。では魔王様が何で死んだかなど聞いてくるな」

「病気という可能性もあります」

 この言葉はちょっとした賭け。美理愛は何もかも知っているわけではない。魔王の死の真実を知る為に魔将を引っかけようとしている。

「病気だとしても寿命と変わらん。年齢を考えろ。魔王様の年齢は正確なところは俺も知らんが、召喚された時には二十歳は超えていたはずだ。お前ら人間の中では確か大往生と言うのだろう?」

「えっ……?」

 魔将の言葉に動揺を見せる優斗。

「今、召喚と言いましたね?」

 美理愛にとってはある程度予想していた答え。魔将はまんまと美理愛が望む答えを返してくれた。

「……はめられたか。別にかまわんがな。知らなかったのであれば教えてやろう。魔王様はお前等と同じ召喚された異世界人だ。どうだ、真実を知った気分は? お前等は勇者などとおだてられていたが、お前等が討とうとしていたのは同じ境遇の異世界人だ」

「……何故、その人が魔王に?」

「召喚はされたが魔王様は勇者と認められなかった。兆しがないという理由でな」

「印ですか……」

 白銀の印のことだと美理愛は理解した。自分たちにはあったそれが魔王にはなかった。その違いだと。

「それで城を追い出された。まあ魔王様にとっては、ありがたいことだったようだ。自由にこの世界で暮らしていける。そう思っていた」

「自由を望んでいたのに魔王になったのですか?」

「我等に会ってしまったからだ。魔族であるということだけで、我等は人族から迫害を受けていた。力ある者であれば抵抗も出来る。だがまだ未熟な我等は抵抗する術もなく、人族に殺されるところだった。そこを助けてくれたのが魔王様だ」

「魔族が迫害ですって?」

 また美理愛が知らない新しい事実が出てきた。知りたくなかった事実だ。

「人族とはそういうものであろう? 魔族だけでなくエルフ族も迫害されている。他種族を認めようとしないのは人族の性だ」

「……それで?」

 エルフ族の境遇については少し美理愛は知っている。ヒューガが連れていたエルフ族の女性たち。それと同じような目に魔族も遭っているのだとすれば。美理愛の心に暗い影が広がっていく。

「魔族を救うには力が必要。魔王様は我等と共に魔族をまとめ上げた。完全にとはいかなかったが、それでもパルス一国に対抗できるくらいの力は手に入れた」

「……もし、それが事実なら」

 じっと黙って話を聞いていた優斗が口を開いてきた。

「事実だ。俺に嘘をつかなければならない理由はない」

「そうだとすれば……悪いのはパルスということか?」

「当たり前だ」

「僕たちは一体……」

 何の為に戦っていたのか。自らの側に正義はない。異種族の迫害に力を貸していただけ。そんな事実は優斗にとって、あってはならないことだ。

「今更だな。後悔先に立たずというやつだ。お前らの世界の諺というものであろう?」

 ヒューガが告げた「覚悟をしておけ」という言葉。その意味がようやく美理愛にも分かった。分かると共に、ヒューガを恨む気持ちも湧いてくる。もっとはっきりと真実を伝えてくれたら。
 仮にヒューガがそうしていたとしても、美理愛には何も変えられなかっただろうが、わずかでも責任を他に押しつけたいのだ。

「許さない……僕は絶対に許さない。ふざけるな! 何故、僕がこんな目に遭わなければならないんだっ!!」

 責任を他に押しつけたいのは優斗も同じ。美理愛よりも遙かに強くそれを求めている。縋るべき正義は自らにはなかった。勇者として振る舞っていたつもりが実はピエロを演じさせられていた。
 優斗の視線が宙を泳いでいる。心が完全に壊れてしまったのかもしれない。そんな風に美理愛は思った。それでも良いとも。
 あとはもうこの世界のどこかで二人でひっそりと生きるだけ。それが自分たちに残された幸せだと。

 

「……なんとも情けない。勝手にやってろ」

 優斗の様子を見て、呆れて部屋を出て行こうとする魔将。

「ちょっと待て!」

「……なんだ? 勝手にこの世を嘆いていろ。もともと俺は魔王様を弔うために来ただけだ」

「君はパルスを恨んでいないのかい?」

「恨んでいないな。魔王様は寿命で亡くなられた。別にパルスに殺されたわけではない」

「……では他の魔族は?」

「程度の差はあっても同じだ。魔族に同族意識などない。魔王様がいなくなれば各自がてんでバラバラに生きるだけだ」

 魔王の死に対してパルス王国に怒りを向け、復讐を果たそうとまとまるのであれば、戦いを止めることなどしていない。そうはならないから魔族は負けた形になったのだ。

「それでまた人族に迫害を受けるのかい?」

「迫害されたくなれば強くなれば良いだけだ」

「それで本当に良いのかい?」

「お前はさっきから何を言いたいのだ?」

 魔将にとっては意味のない問いばかりを繰り返している優斗。時間の無駄使いとしか思えない。

「一緒にパルスと戦おう」

「それはお前の復讐の為であろう? 俺が手を貸すことではない」

「どうしても駄目か?」

「……契約として良いものであれば考えても良い。魔族とはそういう存在だ」

 少し考えて魔将はこの答えを返した。まさかの共闘の可能性はあるのだ。

「契約?」

「そうだ。俺の手助けが欲しければ契約を結べ。もっともその契約は俺が契約しても良いと思えるようなものでなければ成り立たんがな」

「……そんなものに意味があるのか?」

 契約と言われても優斗にはピンとこない。優斗の心の中の暗く熱い思いは、契約という事務的な言葉と結びつかないのだ。

「契約以上に意味があるものとは何だ? この世界では契約は絶対の意味を持つ。その理もお前は知らないのか?」

「……僕を馬鹿にするな」

「馬鹿にされたと怒る前に自分の無知を反省しろ」

「……ではどんな契約だったら協力してくれる?」

 侮られたこと、勝手にそう感じているだけだが、への怒りは押さえ込んで、優斗は契約について話を進めることにした。復讐の協力者が得られるかもしれない機会だ。逃すわけにはいかない。

「最初から相手に手の内をさらすはずがないだろう? まずはそちらが条件を出せ」

「パルスをいや、人族を滅ぼすために力を貸せ」

「優斗!」

 思っていた以上に要求に思わず美理愛は声をあげた。

「美理愛は黙ってて! どうだ?」

「具体的でない。どのようなことを望むのだ?」

「一緒に戦うこと」

「……無理だな。たった三人で人族を滅ぼせるか。そんな契約は成り立たない」

 実現不可能なことを契約しても意味はない。たんに契約当事者を縛るだけのものになるだけだ。

「では仲間を集え。魔族の生き残りがいるだろ? それを仲間にする」

「ふむ。だが無理だな。種族をひとつ滅ぼすなどは簡単に実現出来ん」

「……パルスという国を滅ぼす。これではどうだ?」

 怒りのままに口にしただけで、人族を絶滅させるなど優斗も現実的ではないと思っている。契約実現の為に条件を緩めることとした。あくまでも優斗の基準でだが。

「可能性はなくはない。だが滅ぼすことを約束は出来んな。俺が出来るのは、あくまでもそうなるように支援するということだ」

「それでかまわない。では契約成立か?」

「支援の代償は何だ? 何も示されていない。タダ働きする気は俺にはない」

 契約である以上、役務に対する報酬は必要。その報酬内容の説明を魔将は求めてきた。

「……何を望む?」

「手の内をさらすつもりはない。そもそもお前は何を持っている? 話の流れから言ってパルスを離れたのであろう? つまり、お前には何も残っていない」

「……僕の命を」

 優斗は全てはパルス王国から与えられていた。自分の物は身ひとつ。その唯一のものを報酬にしようとしたのだが。

「くだらん。そんな物に興味はない」

 与えられる側が満足するものでなければ意味がない。

「……僕には何もない」

「であろうな。ふむ、惜しかったな。こちらとしてはあと一歩で結んでも良かった。もちろん、こちらの条件を飲んだ上で、更にだがな」

「その条件とは?」

「戦いだ。血沸き胸躍るような戦いを望んでいた。まあこれはパルスと戦うとなれば必然的に起こるかもしれん」

 魔将が第一に求めるのは戦い。それも好敵手を相手にした戦士としての心を満足させる戦いだ。

「貴方は戦いを止めたのでしょう?」

 戦いを求める心は、美理愛にはまったく理解出来ない。

「くだらん戦いだからだ。パルスにはもっと精強な軍がいる。ノースエンド伯は残念だった。あの程度の手勢ではなく、もっと多くの軍勢を引き連れて来てくれれば、楽しい戦いが出来たであろうに」

「戦闘狂ね」

「ああ、そうだ。強さの証明こそ、我が生きる道だからな」

「それだけでは足りないのかい?」

 何も差し出すものを持たない優斗としては戦いだけで満足してもらいたい。そんな都合の良いことを考えたのだが。

「別にお前に協力しなくても戦争は出来る」

「……そういうことか」

 優斗に協力しなくてもパルス王国と戦うことは出来る。何の制約もない自分自身がやりたい戦いが。魔将が求めるのは戦いの内容であって、勝利ではないのだ。

「そうだ。だからお前は代償を差し出さねばならん。でもお前にはそれがない。命以外の代償がな」

「……もうひとつある」

「では勿体つけていないで、その条件を言え」

「…………」

 だが優斗はすぐにそれを口に出来ない。

「ないのか?」

「……美理愛を」

「何だと?」

「美理愛を自由にして良い」

 自分が契約の代償。そう言われているのに美理愛は何も言わない。あまりの衝撃で声が出せないのだ。

「美理愛は僕にとって自分の命と同じ存在だ。それを差し出す」

 この優斗の言葉を喜んで良いのか。契約の話なしにこの言葉を告げられれば嬉しいだろう。だがそうではないのだ。美理愛は代償として魔将のものになる。それは奴隷と何が違うのか。

「……女はそれで良いのか?」

「私は……」

「美理愛、お願いだ。僕には美理愛しかないんだ。もう他には何もないんだ」

 美理愛の腕にすがりつく優斗。まるで自分は借金の肩に売られる女。そんな思いが美理愛の頭に浮かぶ。

「……分かったわ。私が契約の代償ね」

 心を占める絶望。その暗い思いに流されて、美理愛は自分の人生を諦めてしまう。これまでと同じだ。考え、決断することをしていない。

「ふむ。まあ良いだろう。あとは解除条件だな。ひとつ、お前が死んだ時」

「ああ、当然だ」

「ひとつ、お前がパルスを滅ぼすことを諦めた時」

「それはあり得ない」

「そうなった場合だ。ひとつ、お前が戦いを意図的に避けたとき」

「なんだ、それは?」

 魔将が言う条件の意味が優斗には分からない。

「俺が望むのは戦場だ。それを提供できなければ契約は無効になる」

「……そういうことであれば」

 求めるものを与えられないのであれば、契約は成立しない。優斗は納得した。少々、納得していなくても拒絶は出来ない。彼には他にパルス王国と戦う力を得る術がないのだ。

「最後は女が代償としての役割を放棄した時。これは自ら死を選ぶのも含まれるからな?」

「ああ、かまわない」

「……お前の台詞ではない。まあ、契約当事者はお前か。以上だな」

 ちらりと美理愛に視線を向けた魔将。彼女に拒絶の意思がないと見て、契約条件の確認を終えた。

「こっちにばかり条件がありすぎないか?」

「俺は魔族だ。契約を破るような真似をすれば、その存在が消え失せる。俺のほうが縛りは強い。それがさっき言ったこの世界の理だ。魔法の力は契約の力。それに頼る存在であればあるほど、この世の契約に縛られるのだ」

「そうか」

「その点、人族はそれが希薄だ。だから平気で裏切れる。それが強みでもあるのだがな……お前はどうなのだろうな? 異世界人であり、魔力の強いお前は」

「それは……」

 魔力の強さが契約に縛られる強さと比例するのであれば、優斗も魔族と同じである可能性がある。そう思ってしまった時点で、魔将の牽制は成功だ。優斗は安易に裏切りなど出来なくなる。

「試すことはお勧めしない。さて、では契約の時だ」

「……何をすれば良い?」

「たいしたことではない。この石の上に血を垂らせ」

「石?」

「誓約石という。これそのものに、たいした意味はない。これはあくまで仲介役だ。エルフの場合は精霊を仲介にするが、精霊との結びのない魔族はこの誓約石を使う」

「わかった」

 優斗は言われた通りに、剣で指先を軽く斬り、流れ出た血を石の上に一滴垂らした。同じように魔族もそれを行う。
何かを呟く魔族。優斗には分からない言葉だ。
 その呟き声が止むと同時に誓約石が眩い光を放つ。その光に包まれる優斗と魔将の二人。

「我が名はライアン。誓約の証として汝に我が名を預けよう。同じように言え」

「我が名は優斗。誓約の証として汝に我が名を預けよう」

(誓約は成った)

 天から振ってきたかのように聞こえた声。これで契約は成立だ。魔将が言った通り、たいしたことのない簡単な儀式。それで美理愛は奴隷に堕ちた。

 

「これで良い。では早速だが、これからの事を話すぞ」

「もう?」

「……本気でパルスを倒す気があるのか?」

「もちろんだ」

「では時間が無駄に出来ないのは分かるだろ? 確実に味方になると約束出来るのは俺の配下の者たちだけだ。それ以外の者についても説得はするが保証は出来ん」

「それでどれくらい集まる?」

「三百」

「たったそれだけ?」

 期待していたよりも遙かに少ない数。落胆の気持ちが優斗の顔に表れている。

「その『たった』に散々苦しめられていたのはどこの軍だ?」

「そうだけど……」

 パルス王国を滅ぼそうと考えているのだ。三百で実現出来るとは優斗は思えない。

「あとは死んだ二人の配下だった者たちだな。彼等は行く宛がない。取り込める可能性は十分にある。それを全て取り込めれば単純に数は三倍になる」

「もう一人いたはずだ」

 魔将は四人。ライアンは自分を含めて三人の配下についてしか話していない。意識してのことだ。

「あいつは無理だ。やれと言われれば試みてもいいが、成功は約束しない」

 残る一人、ヴラドがパルス王国攻めに協力するはずがない。クラウディアはパルス王国のイーストエンド侯爵家にいるのだ。

「やってくれ」

「手荒な事になる可能性があるのだが……まあ良い。雇い主の命令だからな。だがそれが成功しても足りん。守るならまだしも攻めるのだ」

 自領で防衛戦を行うのではない。パルス王国の領土に攻め込むのだ。地の利は敵にある。

「じゃあ、どうする?」

「目の前に丁度、兵がいる。勇者とやらの威光であれは取り込めんのか?」

 パルス王国の兵士たちだ。数を揃えられるのであれば、誰でも良い。ライアンはそう考えている。

「彼等は人族だよ。滅ぼすべき相手の力を借りるわけにはいかない」

「滅ぼす約束はしてない。それを忘れるな。ではどうする?」

「……他にも迫害を受けている種族がいるだろう? それを取り込もう」

「エルフ族か……」

「それは駄目よ!」

「何が駄目なんだい?」

 思わず声をあげてしまった美理愛。その説明を優斗に求められたが、話せることではない。ヒューガがエルフを保護しようとしているから、なんてことを言えば優斗はムキになってそれを実現しようとする。それが分かるからだ。

「エルフは……各地に散らばっていると聞いたわ」

「それの何が問題なんだい?」

「どうやって彼等を集めるの? 各地の森林の奥深くにいる彼等を。仮にそれをやると決めたとしても移動はどうするの? エルフの集団が大勢移動していたら目立ってしまうわ」

「ほう」

 小さな声を漏らし、意味ありげな視線を美理愛に向けるライアン。それを見て彼女は自分が隠そうとしている事実をライアンが知っている可能性を考えた。

「……でもな」

「こちらとしてもエルフは諦めてもらいたいな」

「何故だい?」

「魔族とエルフの間には相互不可侵条約が結ばれている。エルフに干渉すればそれに関わった魔族は……この先は言わなくても分かるだろ?」

「面倒だな。では他に……そうか、ドワーフ族だ」

「ドワーフ族は国を持っている。その国を奪うというのか?」

 ドワーフ族は魔族とは異なり結束力が強い。個人的に他国で鍛冶師として働いている人は居ても、アイオン共和国以外でまとまって暮らしているドワーフ族はいないのだ。

「パルスより強いのかい?」

「……強いとは言えんな。武器は良い物を持っているが、ドワーフは長く戦いを経験していない」

 基礎体力では人族よりもドワーフ族は上だ。だが長く戦争を経験していないドワーフ族は、戦術においては確実に人族に劣っている。

「ではそこを僕の国にしよう。その為の兵は魔族だけで十分かい?」

「それは戦い方によるだろう。どれほど大軍であっても愚かな戦い方をすれば、犠牲者を増やすだけだ」

「それは経験している。分かった。どう戦うかはじっくり考えよう」

 パルス王国軍はライアンの言う愚かな戦い方を行った。それをあっさりと認めた優斗の気持ちは、すでにパルス王国軍を敵としている。

「ふむ。では魔族の件は俺に任せろ。それまではどうする? ここで待っているか?」

「……ねえ、ひとつ相談があるのだけど?」

「何だ?」

「僕たちだけで表にいるパルス軍を殲滅出来るかい?」

 笑みを浮かべてこれを言う優斗。

「……やろうと思えばな。それをしてどうする?」

「彼らに教えてあげようと思ってね。新たな魔王の誕生を」

「魔王を名乗るか……まあ、良いだろう。魔族にとって魔王なんて呼称に何の意味もない。好きにしろ」

「では新魔王のデビュー戦だ。美理愛、準備を」

「……私は」

 外にいる兵士たちは味方であった人たち。パルス王国に裏切られたからといって、殺すことへの抵抗を感じないわけではない。

「忘れるな。この女は俺の物だ。お前が自由に命令できるわけではない」

「……ちぇっ」

「外の軍など俺の手の者とお前がいれば十分だ。勇者の、いや元勇者で今は魔王か。その力を思う存分に発揮するんだな」

「いいだろう。じゃあ、行こうか」

 美理愛の参加に拘ることなく、優斗は嬉々として部屋を出て行った。無邪気さと狂気が混同した姿。これまでも美理愛はそんな優斗を見てきたが、彼が魔王を宣言したあとでは、いかにも魔王らしい雰囲気だと感じてしまう。ただ魔力が強い人たちの王、ではなく悪の王としての魔王の雰囲気だと。

「貸しふたつだ。いや、エルフの件はこっちも助かったか。あれには下手に手を出さんほうが良さそうだからな。では貸しはひとつだ。次までに覚悟をしておけ。罪もない人を殺す覚悟をな」

 部屋を出るときにライアンが美理愛に残していった言葉。
 これから罪もない人を殺す戦いが始まる。だがすでに美理愛たちは魔族に対して同じことを行っている。魔族にも罪はなかった。その罪のない人を美理愛は殺しているのだ。
 いっそのこと、自分も優斗のように狂ってしまえば良い。そうなればきっと楽になれるはず。こんなことを美理愛は考えてしまう。