結局、国王に押し切られる形で、メリカ王国に最大限の損失を与えるという目的の作戦をリオンは考えさせられた。考えなければ、別の者に考えさせた上で、リオンも作戦に参加させるという、脅しのような言葉を国王に告げられたのが決め手だった。
自分に自信があるわけではないが、そんな作戦を出来ると平気で言える自信家が考える作戦になど関わりたくないという思いの方が強かった。
そこからは早かった。元々リオンは国王の求める作戦案を検討し、それを実現するのは困難だと考えたから、堅実な防衛策を提案したのだ。
考えていた素案を提示して、そのリスクを回避する為の方策とそれに必要な様々な事を要求して、それを国王が受け入れた事で、作戦会議の初期段階は終了した。
今は、リオンが要求した事の準備に王国が追われている最中で、リオン本人はほとんど何もする事がない。マリアの証言から、王国の侵攻まで、準備をするに十分な期間があると分かった事も余裕を与えている。
リオンにとって残った大きな問題は、どうやら作戦の実行段階まで、それも作戦指揮の立場で駆りだされそうになっている事だ。
もちろん周囲の反発は大きい。だが、では代わりに自分がと言う者がいない。リオンの作戦は、リオンにしか出来ない。嘗て、ソルが評した状況に、今回もなっている。
リオンが指揮を取ることに反発している者たちは、懸命に別の作戦を考えているが、今のところ、採用される様な作戦案は上がってきていない。リオンにとっても残念な事だ。
「さて、行くぞ」
「ええ。いつでもどうぞ」
「……参る!」
時間が出来たリオンが何をしているかというと、自己の鍛錬だ。それも今は、王都でしか出来ない鍛錬、キールとの立ち会い稽古だ。
一気にキールの懐に飛び込むリオン。それをキールは足さばきだけで躱そうとする。だが、リオンはそれを許さない。キールの動きに合わせるように、体を寄せていく。
そこから、一気に剣を振り上げる。だが、その攻撃は剣を合わせる事で、キールに防がれた。それでも。
「……これは」
キールは酷く驚いている。久しぶりの立ち会いだが、リオンは格段の成長を見せていた。以前は、キールが本気になれば、剣を使う必要もなく、全ての攻めを躱せたのだ。
「ちょっとは上達しただろ?」
「どうやってここまで?」
「足さばきを徹底的に研究した。各党の奥義は全て足さばきにある。だから、その共通点を見つけて、それ以外を省く事で、逆に全ての利点を得られないかと思って、試している」
「貴方という人は」
「まだ驚くのは早い。これからが本番だ」
「では、こちらも全力でお相手しましょう」
「参る!」
又、一気にリオンが間合いを詰めてくる。この動きだけで、キールには驚きだ。特別に早いとか、何かが凄いと感じる訳ではない。ただスッと、実に自然に近づいてくるのだ。それがどれほど凄い事かキールには分かっている。
リオンがやって見せている事を極限まで突き詰めて、一切の無駄な動きを排除する事がブラウ流剣術の奥義。しかも、過去に到達した者が数える程しかいない奥義だ。
リオンは独学で、その極地の一端に足を掛けようとしている。その才能には驚くしかない。
だからといって、キールは負けるつもりはない。リオンよりもずっと長く、その極地に向かって鍛錬をしてきたのだ。まだ、その経験の差は十分にある。
しばらくは頑張っていたリオンだったが、ついにキールの足さばきを追いきれなくなって体勢を崩してしまう。その隙を見逃すキールではない。がら空きになったリオンの脇腹に剣を打ち込んだ。
「うげっ!」
脇腹に受けた衝撃にリオンは堪らず膝をついてしまった。
「まだまだ。負けるわけには参りません」
「……痛ってえ。ああ、久しぶりだ」
負けたというのに、リオンの顔には笑みが浮かんでいる。悔しくない訳ではないのだが、超えるべき壁として、キールが居続けてくる事が何となく嬉しいのだ。
「その言い方ですと、マーキュリーはもう勝てなくなっているのですか?」
「そこまでじゃない。でも、マーキュリーには、ここまで酷い隙を見せる事はなくなったな」
「そうですか。青の党の次期党首としてはもっと頑張ってもらわないとなりませんね」
「頑張っては居る。ただ頑張る方向を変えただけだ」
「方向とは?」
「騎馬の小部隊を指揮させたら、既にキールよりも上かもしれない。更に率いる数を増やしていけば、かなり優秀な部隊指揮官になれると思うな。同世代の近衛騎士には勝ってみせた」
ソルに勝った事がマーキュリーの意識を騎馬隊の指揮に傾けている。リオンに褒められたのが嬉しかったのだ。
「……そうでしたか。一人の武人としてではなく、指揮官の道を」
「それは大袈裟だ。色々な事を試みているというのが正しい。たまたま今は騎馬隊の指揮に夢中になっているだけだと思う」
「それでも、夢中になれるものが出来ただけ良い」
「まあ。でも色々な事が出来るのは、それを許される時間があるからだ」
「それは……」
リオンの言葉の意味をキールは分かっている。何も語ることなく、リオンから離れたはずだったのに、リオンは自分の気持ちを分かっていた。それがキールには堪らなく嬉しくも、辛くもある
「バンドゥはまだお前たちの世代を必要としている。これからますます必要になるはずだ」
「……我らには領政など出来ません」
「自ら何かをしなくても重しにはなれる。今はまだ勢いだけで物事が進められる。だが、やがてそうはいかなくなる。物事が出来上がっていけば、良くなっていけば、逆に様々な不満が生まれるものだ。それを押さえる事は若さでは出来ない」
金がない、仕事がない、食べられない。以前、バンドゥの領民が持つ不満は、これだけだった。だが、今は仕事が出来て収入が生まれた。食べるものにも困らない。それで不満は消えるかといえばそうではない。人の欲求とは、一つ満足すれば、次はそれ以上を求めるものだ。そして、欲求は徐々に多様化していく。そうなると完全に不満を消すことはほぼ不可能になる。リオンはこう考えている。
「リオン様が居れば、それで大丈夫だと思います」
リオンには人を従わせる力がある。キールはそれを知っている。
「……では何もしなくても良い。何の役に立つ必要もない。だから死ぬな。生きてバンドゥに帰って来い。それが俺の望みだ」
「リオン様……」
理屈では説得は無理だと悟ったリオンは、真っ直ぐに気持ちだけを伝えてきた。キールにとって、こんな事は初めてだ。
「俺は別に他人を役に立つ、立たないで区別しているつもりはないからな。元々、人嫌いなだけだ。仕方ないだろ? そういう育ち方をしたのだから」
照れくさそうに話すリオン。リオンが滅多に見せない甘えたような態度に、キールの心は完全に解けてしまった。
「……ええ。それは知っています。リオン様が……人を好きな事は」
人が嫌いなくせに、人を信じたい。人を信じたいが、裏切られるのが怖くて、それで又、人が嫌いになるのが嫌で、リオンは人を近づけようとしない。
散々に考えた結果、キールが出したリオン評だ。
「……嫌いって言ったつもりだけど。とにかく、無駄に死ぬことは許さない。他の奴らにも伝えておけ」
「はい。必ず」
◆◆◆
マリアとは違う目的で、物事を企んでいる者がいる。誰あろうグランフラム王国の国王だ。しかも、それを隠しているつもりで隠せていない。
大陸の覇権を争う相手であるメリカ王国との戦いを、リオンに任せようなどという考えは、何らかの策謀の類と思われるのが当然の異例な処置だ。実際に、リオンに何があるのか調べようと動き出した者たちは多い。
そのほとんどは、貧民街の厚い壁に阻まれて、何も掴むことなく終えている。それは王国にとって幸いだった。
だが状況は良いものではない。冗談めかして、国王の隠し子ではないか、などと言い出す者も居るのだ。それが真実であるとも知らずに。
今の状況をもっとも憂いているのは近衛騎士団長だ。そして、国王にリオンの件で諫言出来る唯一の人物でもある。
「何を考えているのですかな?」
「……メリカ王国にこれ以上ない損害を与える事だ」
近衛騎士団長の質問の意味を分かっていて、国王はわざと答えをはぐらかしている。それでは後ろめたい事があると自ら明かしているも同じだ。
「惚けないで頂きたい。私が尋ねているのが、フレイ子爵の事だと分かっているはずですな」
「同じ事だ。作戦を考えた者が指揮を取る。それがもっとも確実だ」
「フレイ子爵の立場で数万の軍の指揮など任せるわけには参りません」
子爵という身分以前に、リオンは軍籍にない。一兵卒といえども王国騎士兵団を率いる資格はないのだ。
「総大将は別に立てる。リオンは作戦参謀として指揮を執るのだ」
国王はあくまでもリオンに指揮を執らせようとしている。その理由が近衛騎士団長には分からない。これ以上、リオンが目立って良いことなど何もないのだ。
「変な噂話が城内に流れております」
「噂話?」
「フレイ子爵は、実は陛下の隠し子ではないとかという噂です」
「…………」
近衛騎士団長の話を聞いて、国王は絶句した。この反応から、国王がリオンを王族として引き立てようとしているわけではないと、近衛騎士団長は分かった。まずは一安心だ。
そうなると先の話をする為に、国王の気持ちを解さなければならない。
「根拠がある噂ではなく、ただ面白可笑しく話されているだけです」
「……なんだ。脅かすな」
近衛騎士団長の思惑通り、国王の緊張が一気に解けた。ただ、それが又、近衛騎士団長には気に入らない。
「安心しないで頂きたい。このような話が出る事が問題なのです」
「それは分かっている」
「いえ、陛下は分かっておりませんな。陛下の隠し子の存在が何故、面白いのか。笑い者にされているのは、誰だとお思いですかな?」
「笑い者? なぜ、そのような事になる?」
「なります。優れた隠し子が居るとなれば、それと比較される者が必要になります。それは誰になりますかな?」
考えるまでもない。他に国王の息子は一人しかいないのだ。
「……まさか、アーノルドか」
「そのまさかです」
嘗て英明さを称えられていたアーノルド王太子。国王はその頃の話しか知らなかった。それは仕方のない事だ。褒め言葉を耳に入れる者は多くても、批判をわざわざ国王に向かって話す者は居ない。
居るとすれば、近衛騎士団長だが、近衛騎士団長本人は、アーノルド王太子を今でも優れた王太子だと思っており、そんな近衛騎士団長にも悪口を聞かせる者はいない。
今回、ようやく、今現在のアーノルド王太子に対する周囲の評価が近衛騎士団長の耳に入ったのだ。
「何故、アーノルドがそのような事に」
アーノルド王太子への周囲の評価がそこまで落ちる理由が国王には思いつかない。
「きっかけもフレイ子爵ですな。まあ、王太子殿下の自業自得と言ってしまえばそれまでですが」
「……ヴィンセント・ウッドヴィルの件か」
「はい。どうやら、吟遊詩人の歌にまでなっているようですな。悲劇の侯子とその忠臣、今の奥方との身分違いの恋の話と合わさって、大層な人気だとか。その物語に悪役の王子が出て来ます。架空の人物となっておりますが、それを信じる者などおりません」
「そんな事で?」
「たかが吟遊詩人の歌と馬鹿には出来ません。民衆の間ではかなり広まっているようです。言っておきますが、民衆とは王都住民だけの話ではありませんからな」
吟遊詩人は一つ所にずっと留まっている訳ではない。あちこち旅をして、人々に歌を聞かせて稼いでいるのだ。王都での流行歌となれば、自然とリクエストが多くなる。こうして、ヴィンセントとリオンの話は国中に広まっていた。
「それは……不味いな」
「ちなみに最新の話は、殺された主の名誉回復を誓った忠臣が、英雄になるまでの話らしいですな」
「……おい?」
さすがに国王も不自然さに気がついた。確かにリオンは吟遊詩人に歌われておかしくない生き方をしている。だが、何度も主人公として取り上げられ、それが国中に広がるとなると、さすがに作為を感じる。元々、ヴィンセントの件は、国としては情報統制を図っていたのだ。
「はっきりした事は分かりません。ただ意図的に流されている可能性はあります。そして、それを行うとなると」
「リオンが一番怪しいと。奴はそんな力も持っているのか」
「バンドゥ領主という事だけが、フレイ子爵の力ではないようですな。では他にどんな力がとなると、分からない。無いのではなく、調べさせないだけの力があるのだと考えております」
リオンは裏社会との繋がりを徹底的に隠している。フォルスを初め、何人かとは定期的に会ってはいるが、表向きは全員、商人となっており、実際にカマークではその様に振る舞わせている。カマークでリオンの部下として働いている者たちも怪しげな商人との付き合いがあるとは思っているが、裏社会におけるリオンの部下とまでは分かっていない。
親密さを一番知っているのは、実はカシスだったりするのだが、物理的にも、信頼度としても、リオンとの距離が遠すぎて、調べる側は重視していなかった。
だが、防諜を徹底し過ぎれば、それは逆にそれが必要な何かがあるのだと知らしめる事になる。ここまでの事を、ようやく近衛騎士団長は掴んだのだ。
「……止めさせなければならないが、それと今回の件は関係がないな」
「フレイ子爵の名声があがれば、その分、王太子殿下の立場が悪くなります」
「だから、それは噂を流すことを止めさせれば良い。そもそも二人の仲を修復出来れば全く問題にはならない。それを望んでいるのは近衛騎士団長ではないか?」
関係修復がうまく行っていない事を国王は知っている。それでこれを言うのだから、アーノルド王太子の評判よりも、リオンに指揮を執らせる事が国王は大事なのだ。
「……何故、そこまでフレイ子爵の指揮に拘るのですかな?」
探るようなやり方では本音は引き出せないと悟った近衛騎士団長は、真っ直ぐに尋ねる事にした。
「それが一番、成果が上がると思っているからだ」
「フレイ子爵も言っておりました。無理して戦わなくても、メリカ王国に攻める隙を見せなければ良いと。私もそう思っております」
「それではメリカ王国の力は変わらない。ここで完膚なきまでに叩きのめす事が出来れば……」
国王は先を続けなかったが、近衛騎士団長には何を言おうとしたか分かった。そして、リオンの指揮に拘る理由も。
「覇権を求められますか?」
「……求めて何が悪い? 俺はまだ働き盛りだ」
いつの間にか国王には野心が生まれていたのだ。大陸の覇権をグランフラム王国に。これは代々の国王が望んできた事だ。それを自分の手で実現したいと国王は思っている。
その気持ちを責める事は出来ない。それが、ずっと国王が願ってきた事であるならば。近衛騎士団長はそうではない事を知っている。
現国王は自分の凡才を知っていて、グランフラム王国の悲願達成は、自分とは出来が違うアーノルド王太子に任せるつもりだったはずなのだ。
それが、ここに来て気が変わった。リオンの存在が変えたのだ。
「フレイ子爵を……」
この先を近衛騎士団長は口に出来ない。リオンを従わせる力が国王にはあるのか、臣下としてこんな事は問えない。
「あれは俺の子だ」
言葉にしなくても近衛騎士団長が何を言いたいのか国王には分かっていた。それがこの答えだ。
「それを本人に告げるわけには参りません。それでフレイ子爵は王国の為に本気で働きますかな?」
「ここまで成果はあげてきた」
「それは王国の為ではなく、ヴィンセント・ウッドヴィルの名誉を回復する為ですな。フレイ子爵は今も尚、ヴィンセントの為に行動をしているのです」
「……本人にだけ真実を伝えれば良い」
「それで野心が生まれたら? 今、周囲の評価がどうなっているか、先ほど、説明したばかりですな」
「それは……」
「お気持ちは分かります。しかしながら、陛下には何卒、将来に渡っての王国の安泰をお考えください」
国王にこう告げて、近衛騎士団長は深々と頭を下げた。野心は捨てろ。次代に任せて何もするな。言葉を悪くすればこういう事だ。酷い事を言っている自覚が近衛騎士団長にある。
「……俺はそんなに駄目な王か?」
「治世においては陛下は間違いなく名君と呼ばれる御方です」
「そうか……」
リオンという英雄を生み出した、これからの時代は間違いなく乱世になる。凡才である国王もこれくらいは分かっている。
――メリカ王国侵攻に対する迎撃軍が王都を出立したのは、それから四ヶ月後の事だ。総大将の任命式も出陣式も何もなく、目立たないように少人数に分かれて、何日も掛けて王都を出て行く迎撃軍。
迎撃軍はそれだけではない。それよりもずっと前から、魔物討伐の名目で、かなりの数の部隊が各地に散っていた。その各部隊が、これも小部隊で、定められた時期に南下を始めている。
来るべき決戦の日に向かって、所定の配置に陣取る為に。
ゲームにおいては、ナレーションだけの裏イベントに過ぎないグランフラム王国対メリカ王国の戦いの火蓋がいよいよ切られることになる。
リオン・フレイの名を大陸中に轟かせる為に。