オクス王国のアレックス王子との対面が終わったあと、リオンはしばらく黙り込んでいた。短い対談の中にも気になる情報がいくつもあった。色々と考えるべき事があるのだ。
その中で一番気になったのは魔物がグランフラム王国にしか現れていない可能性。もし事実であるなら、そこから更に、様々な可能性が広がっていく事になる。
「他国の魔物の状況を王都は掴んでいるのか?」
しばらくして、リオンがソルに問いかけてきた。考えを進めるのに、追加の情報が必要になったのだ。
「そういう情報は自分の耳には入らない」
「……使えないな。こんな重要な情報も知らないなんて」
「他国の情報だ。一近衛騎士に必要な情報ではない」
「それによって戦争が起こるかもしれないのに?」
「何だと?」
ソルの顔がわずかにしかめられた。リオンの発言に驚いての事ではない。同じ話を聞いていて、自分にこの発想が生まれなかった事が悔しいのだ。
「この国だけが魔人の対応に追われている。決して少なくない軍が魔物討伐に駆りだされていて、手薄になっている場所もある。それを他国が見逃すと? この国の周りには友好的な国しかいないのか?」
「……いや、そのような事はない」
友好的な国どころか、メリカ王国は仮想敵国であり、オスク王国、ハシウ王国も従属国ではあっても、喜んでその立場に居るはずがない。その他の国もそうだ。グランフラム王国の力は恐れているが、それと同時に、その豊かさを妬んでもいる。そういう国々が行動を起こすとすれば、今は絶好の機会だ。
「しかし、そうなるとすれば、あの女は知っているはずだな」
魔人討伐に追われている間に、他国の侵略を受ける。このような事態になるとすれば、マリアは情報を知っているはずだ。その危機から王国を救うのは、マリアになるはずなのだから。
「まあ、知っているからと言って、話すとは限らないか」
「それはどういう事だ?」
リオンは独り言のつもりだったのだが、ソルは聞き流しはしなかった。戦争が起こるかもしれないという大事な話から始まっているのだ。当然だろう。
「……あの女が誰かは?」
「マリア・テオドール。他にそういう呼び方をする女性はいないだろ?」
「まあ。ただ、そこまで分かっていても、俺の言っている事は分からないのか?」
「……悔しいがな」
ここは、言葉通りに悔しいが、認めざるを得ない。ソルには全く理解出来ていなかった。
「普通はそうだな。分かると言われたら、性格を疑うところだった」
ソルの正直な言葉に対するリオンの返事は意外なものだった。ソルには意味の分からない事が増えただけだが。
「どういう事かきちんと説明してくれ」
「あの女は、魔人討伐の未来を知っている。これは良いよな?」
「ああ」
「そうであるのに、あの女は、それを変えようとしない」
「……変える必要があるのか?」
最後は魔人は全て倒される定め。それを変える必要性をソルは感じない。
「どこまで知っているかによる。魔物はどこから現れるか? 魔人はどこに居るのか? お前は、あの女が答えを知っているとは思わないのか?」
「……そういう事か」
魔物と魔人の本拠地は謎のままだ。だが、魔人との最後の戦いまで知っているのであれば、本拠地を知っている可能性はある。マリアはこれまでも、どこに魔物が現れるかを知っていて、その通りに戦いが起こっているのだから。
「下手に変えて結末が異なるものになってしまう恐れはある。だから、先回りをしないのだと言われれば、非難は出来ない。でも理由はそれだけかな?」
「……違うのだろうな」
魔人戦で続けて活躍したリオンを排除するという行為は、明らかにリオンにこれ以上の功名をあげさせない為だ。
そう考える者が誰かとなると、本来の魔神討伐の主役であるマリアの名も浮かんでくる。マリアだけの意思でそれが出来たとはソルは思わないが、関係している可能性は充分にある。
それはマリアの優先順位が、魔人の被害を押さえるよりも、自分が活躍する事にあると示していた。
「断言はしないけど、あの女が犠牲を気にしない人間なのは間違いない。あの女は主人公が自分でなくては我慢が出来ない。戦いで活躍する事と主人公である事は違うと分かっていない」
この世界の真実に近い事をリオンは話しているが、この話がそうであるなどと、誰も分かるはずがない。ゲームという存在をこの世界の人々は知らないのだ。リオンの主人公という言葉から、発想が繋がる事はない。
「彼女の知識は微妙にズレを見せている。それが大問題になる事はないのか?」
過去二回の戦いの状況は、マリアにとって誤算だった。その事実をソルは知っている。マリアが自分の立身に重きを置いている事はまだ許せる。だが、その為の行動によって、王国に危機が訪れるようでは困るのだ。
「それか……それは難しいな」
ソルの懸念はリオンも、少し内容が違うが、持っていた。序盤からどうして大量の魔物が、強い魔物が現れるのか。主人公の成長に合わせて敵も強くなっていくという、ゲームの常識とのズレを感じていた。
「原因は思いつかないのか?」
「思いつかない……まあ、そうかな」
本当は一つの可能性は思いついている。主人公の強さに合わせて、敵の強さが決まっているという可能性だ。マリアは初めから王国の支援を受けており、それなりの軍勢を揃えて、戦いに望んでいる。リオンの力で勝ったようになっているが、犠牲を無視すれば、リオンが居なくても勝てたはずだ。ゲームとして考えれば、ただの作業にはならず、それなりに戦いを楽しめる、適切な戦力差と言えなくもない。
ただ、これを説明する事は不可能だ。
「そうか。そうなると、次の戦いが心配だな」
「ああ。余計な事をしようとしているみたいだからな」
「余計な事?」
「軍をいくつもの部隊に分けての並行防衛戦」
「何だと?」
前回の戦いでリオンが試みた戦い方であり、ソルが天才にしか出来ないと評したものだ。
「次の戦いは、わざわざ面倒な戦いをする必要なんてないのにな。まあ、あの女が大変な思いをするだけなら良いけど」
「良くはない! 彼女に出来るはずがないであろう?」
「どうして?」
「あれは天才にしか出来ない作戦だ」
「俺やったけど?」
「それは……お前が天才だからだ」
リオンを面と向かって褒める事には、抵抗があるソルだった。
「煽てても何も出ないからな」
「謙遜は嫌味だ。少なくとも俺には同じ事は出来ない」
「……地道に計算すればできると思うけど」
「計算?」
あの作戦を展開にするには、広域の地図を頭の中に広げて、いくつもの部隊の動きを正確にトレースする能力が必要とソルは考えている。限定された戦場で、それを出来る者は居る。ソル自身も完璧とはいえないが、ある程度は出来るのだ。だが、リオンのやった事はそれを桁違いに拡大したもの、とソルは思っていたのだが。
「三角形の二辺の長さが分かれば、もう一辺の長さも分かる。これは良いな?」
「はっ?」
ソルは分かっていないのだが、リオンは話を先に進めてしまう。
「A部隊とB部隊を結ぶ線を仮にX辺として、A部隊は目的地Cへと進み、B部隊からは目的地Cに向かって伝令が出る。A部隊の出発地から目的地Cまでの距離をY辺、伝令が進んできた距離をZ辺として……あっ、これ一つの例だから。これ以外にも……」
「ちょっと待て! 全然、意味が分からない!」
分かるはずがない。近衛騎士に必要な知識ではないのだ。学んでいたとしても、リオンの説明では理解出来るとは思えない。
「……こういうの知らないのか。でも、あの女は俺以上に知っているはずだ。だから同じ事が出来る」
「どうして、それが分かる?」
「学院での成績を知っている。俺が知る限り、ずっと次席だ」
これは嘘だ。異世界で学んだ知識があるからマリアにも出来るとリオンは思っている。
そしてこれは、とんでもない勘違いだ。ちょっと数学が出来るからといって、リオンのような真似は出来ない。やったとしても、元の数値が正確ではないのだから、必ずズレが生まれる。
リオンにはこのズレを感覚的に修正する能力があったから出来たのだ。結局は、ソルが考えていたような、常人を超える能力だ。
「……そうだとしても無駄な事なのだろう?」
ソルも感覚的にリオンの勘違いに気がついた。気がついたのだが、本人が全く分かっていないのだから、指摘しても仕方がないと、話を変える事にした。
「無駄だろうな。前回やったのは、別働隊の数が限られていたからだ。そもそも数が十分に揃っている本隊でやる事じゃない。集結前の魔物を狙うなら、無理して動きまわらないで魔物の出現予測地点に部隊を展開しておけばそれで済む」
「……予想以上に数が多ければ?」
「引けば良い。全体を下げることで、分散している部隊を集結させて、数の劣勢を消し去る。それでも駄目なら数の劣勢を設備で補う。城に篭っての防衛戦だ」
「……定石だな」
リオンの作戦はなんら目新しいものではない。犠牲を最小限にする事を重視した場合の常識的な戦術だ。
「魔物相手だからって特別な事をする必要なんてない。勝つ方法なんて、ある程度決まっている、と俺は思っている。その方法を失敗なくやる事が一番良いはずだ」
「確かに」
リオンは奇策を好むタイプなのだと思っていたら、この発言だ。話を聞けば聞くほど、リオンの本質がソルには分からなくなってしまう。
「ただ、それをすると、勝ったのは軍になって、あの女ではなくなる。それが嫌なのかもしれない」
「そうか。しかし、よく調べているな。もしかして伝令も残したままなのか?」
「残しては居る。でも伝えてきたのは王太子殿下と、シャルロットさんだ」
「はっ?」
「何故か詳細を記した書状が送られてきた。しかも意見まで求められている。届くのに一ヶ月以上、返信にも同じか、それ以上は掛かるだろうから、戦いなんて終わっているはずだ。意味ないと思わないか?」
「その次の戦いの参考にしたいのではないか?」
シャルロットはともかく、アーノルド王太子の意図はソルには分かる。自分と同じ目的だ。リオンの戦い方をアーノルド王太子も学ぼうとしているのだ。
「……意味が分からない。そんな事、考えている暇があったら、他にやる事があるだろうに」
「今は魔人討伐が何よりも大切ではないのか?」
「次代の王が? この国は王太子が自ら戦いに出なければならない程、人材不足なのか?」
「それは……違うと思うが」
「まあ、国王陛下が居るのだから、問題ないのだろうけどな。あとは面倒事に巻き込まれない事を祈るだけだ」
「面倒事?」
「惚けているのか? それとも本当に分かっていないのか?」
「……恐らくは後者だ」
何の話をしているのかさえ、ソルは分かっていない。ただ、これはソルの頭が回っていない訳ではなく、リオンに対する本人とソルの評価の違いのせいだ。
「嘘だろ? オクス王国の王子は何をしに来たと思っている?」
「それはさすがに分かる。引き抜きだな」
「……はい?」
ソルの答えは、リオンが考えていたものとは違っていた。それも、リオンの全く想定外の答えだった。
「お前を自国に引き抜こうとしている。その為の探りではないのか? あの王子の友好を求めては本気だ。ただ相手はお前個人だが」
「……偵察だろ?」
「それも含めてだ。バンドゥの状況を確かめることがお前の手腕を知る事に繋がる」
「俺がオクス王国に行くはずがない」
「それは他人には分からない。お前の境遇や、王太子殿下への態度を知れば、可能性はあると思うほうが普通だ」
「……俺を引き抜いてどうする?」
この自己評価の低さが、リオンに引き抜きという可能性を思いつかせない。
「それこそ惚けているのか、だな。国を富ませ、軍を強くして、オクス王国が何をするかが、お前に分からないはずがない」
「国と領地は違う。それに、それが出来たとして何年後の話だ? グランフラム王国を攻めるなら今だ。単独では無理だろうけど、メリカ王国あたりと共同で攻めれば、十分に勝ち目はある」
「簡単には王国は落ちない」
「そうかな? うまくやれば、少なくとも王都は落ちると思うけどな。魔物は国境付近で暴れている。そのせいで、王国の中央はかなり手薄な状態だ。しかもメリカ王国と接する南東部、特に南部だな、そこは魔物の襲撃の被害が大きかったせいで臆病になったのか、軍を重要拠点に集中させてしまっていて守りが点になっている。この点を避けて、一気に王都まで大軍を到達させる事が出来れば、王都は落とせるかもしれない。それこそ部隊を細分化しての行軍訓練が役に立つ」
リオンの説明を聞いているソルは、完全に呆れ返っている。他国に魔物が現れていないという事実はさっき聞いたばかりなのだ。それで、こんな策を考えついている事には驚くよりも呆れるしか無い。しかも、南部の防衛状況まで何故かリオンは知っている。
リオンが疑っているお目付け役という立場は、案外、真実ではないかと思ってしまうくらいだ。
「……他には?」
「何が?」
「王都を落とす策だ。他にも考えているのだろ?」
「考えていない。今の策があれば考える必要なんてないだろ?」
「では、その詳細を記して王都に報告しろ」
「どうして?」
「対策を立ててもらう為だ! 何もしなければ王都が落ちてしまうではないか!?」
「…………」
リオンの表情が、子供のような膨れっ面に変わっている。ソルに対してではなく、自分の失敗に気付いての事だ。
「不満なのか?」
「……別に」
ソルの問いかけに拗ねた様子で、そっぽを向くリオン。子供じみた態度だが、これも又、リオンだ。年令だけを考えれば、まだまだ子供である事に間違いはないのだから。
この子供の頭の中から、王都を落とすという、とんでもない策が生まれてくる。ソルは、リオンの危うさというものを感じていた。
◆◆◆
王都への報告を半ば無理やりにソルに書かされた事で、リオンはすっかりへそを曲げて、政務を切り上げてしまった。そんな状態になったリオンの相手を出来るのは、エアリエルしかいない。
「あの野郎。無理やり、あんなもの書かせやがって」
「まだ拗ねているの? あれはリオンが口を滑らせたのが悪いわ」
「それは分かっている。俺が納得しないのは、思いつき程度の策を、偉そうに進言させられた事だ。実現するには、まだまだ、考える事は一杯あったのに」
考える事がリオンの楽しみ。それを中途半端に終わらされた事が気に入らないのだ。
「その実現出来る策を王都になんて送ったら、どう思われるかしら?」
良い報告だと褒められるはずがない。どうしてここまでの事を考えたのかと警戒心を抱かせるだけだ。
「……確かに」
「それにメリカ王国に王都を取られたら、私たちの出番がなくなるわ」
「それはないな。王都を占領されても、どうせ、奪回作戦か何かのイベントが起こるだけだ」
「そうね。でも、その奪回作戦のイベントの為に、多くの人が犠牲になるわ。王都には貧民街があるのよ?」
「……そうだった」
貧民街の住民はリオンの守るべき者たち。復讐を優先して犠牲にして良い人達ではない。
「良かったわね。ソルに感謝しないと」
「どうしてアイツに?」
「王国が対策を取れば、貧民街を守れるわ。つまり報告するように進言したソルのおかげ」
「……そうかもしれないけど」
エアリエルの言葉を聞いても、リオンは納得出来ていない様子だ。この反応が、エアリエルには気になる。リオンも、ソルもお互いに相手に対して、妙な反感を抱いてるように感じるのだ。
「リオンは彼の事をどう思っているのかしら?」
「はい?」
「能力とかよ。例えば、部下として考えた場合に、彼はどう?」
「……優秀ではある。でもそれだけだ。あの男からは、何かを為そうという熱が感じられない。それでは、何の役にも立たない」
「それは、きっと仕えるべき相手を失ったせいだわ。彼にとって何か為そうと思える相手がいないのよ」
「もう随分前の話だ。いつまでも引きずる事じゃない」
やはり、ソルに対してのリオンの評価は厳しい。その理由がエアリエルには分からない。
「それだけ強い忠誠を向けていたのよ。それは評価しないの?」
リオンがヴィンセントに向けていた忠誠も同じ。エアリエルから見て、リオンとソルの相性は悪いようには思えない。
「会ったこともない相手に? その感覚は俺には理解出来ない」
「会った事はないけど、生まれる前から、本人は仕えているつもりだったらしいわ」
「……どういう事?」
「王妃殿下が身籠っている時から、彼は足繁く通っていたらしいわ。生まれる前に万一があってはいけないって」
「……馬鹿なのか?」
「真面目なの。彼自身もまだ子供で、とにかく、使命感に燃えていたそうよ。生まれてくる日を心待ちにして、毎日毎日、王妃殿下の元に通い続けた。そうであったのに、いざ生まれたその時に、彼はその場に居なかった」
「どうして?」
「相当な難産だったらしくて、生まれるまでかなり時間が掛かったらしいわ。ずっと起きて待っていたのに、朝方になって、ついウトウトしてしまった。生まれてきた赤ん坊が誘拐されたのは、彼が寝室に運ばれている間だった。彼はその事に責任を感じているの」
残ったのは王妃と産婆だけになった。そして、生まれた赤ん坊がオッドアイである事を知った王妃は、城の人間が誰も居ない事を幸いとして、産婆に頼み込んで外に連れ去ってもらった。この事実を当然ソルは知らない。
自分が眠気に負けなければ誘拐される事はなかった、子供ながらにソルは責任を感じてしまった。子供であったからこそ、そう思い込んでしまったのかもしれない。
「じゃあ、その王女を探し出せば良い。それをしないで悔やんでいて、何も先に進まない」
「……そんな簡単に言っては可哀想だわ」
「エアリエルはアイツに甘いな。見つけ出すのが困難なのは、俺だって分かっている。でも、やってみなければ出来るはずがない」
「そうだけど……」
「本当に深い忠誠を向けるべき相手であれば、案外、自然と出会えるものだ。俺とヴィンセント様が出会ったように」
「そうね……」
リオンとソルの出会いを自然と言えるのか、エアリエルには判断が付かない。はっきりと、そう思える出会いが二人には必要だったのかと、エアリエルは少し思った。
リオンが貧民街なんて場所で出会うはずがないヴィンセントと出会ったような運命的な出会いが。それを願っても、今更、叶えられる事はない。二人はもう出会ってしまっているのだ。