まんまとローゼンガルテン王国の実権を手に入れたキルシュバオム公爵家。だがそれを喜んでいるだけではいられない。現状は自公国と王都、そして軍事力を押さえているだけでローゼンガルテン王国全体に支配が及んでいるわけではないのだ。同盟関係であるゾンネンブルーメ公国は良いとして、他の貴族家に新体制を認めさせなければならない。それが出来て初めて、本当の意味で実権を手に入れたと言えるのだ。
ただそれはそれほど難しいものではない。圧倒的な軍事力を持つ新体制に逆らえる勢力などない。王都周辺の中小貴族はキルシュバオム公爵家から働きかけを行うまでもなく、これまでと変わらぬ忠誠を誓うと伝えてきた。問題となるのは王都から離れた場所に領地を持つ貴族家。もっといえばリリエンベルク公国とラヴェンデル公国に近い場所に領地を持つ貴族家だ。
「リリエンベルク公国周辺の貴族家は無視して構わない。臣従を誓われても困るからな」
キルシュバオム公爵家の当主であるルドルフ・マルクはリリエンベルク公国周辺の貴族については無視するつもりだ。臣従を誓われ、その上で救援を求められても何も出来ない。魔人の制圧地域を挟んでいては支配下に置いても利はないのだ。
「問題はラヴェンデル公爵家だ。使者の返答はまだないのか?」
ラヴェンデル公国を中心に反抗に出られては厄介なことになる。正面から戦って負けるとはルドルフは思っていないが、今は魔人との戦いに力を集中させたいのだ。
「まだですが、ここで反抗するという選択肢はないと思います」
ルドルフの問いに答えたのはラディウス・マルク。ルドルフの息子であり、エカードの父だ。
「積極的な反抗はな」
魔人との戦いが続いている中でラヴェンデル公国が積極的な反抗に出ることはない。だがそれにケリがついたあとはどうなるのか。ルドルフが気にしているのはそれだ。
「……魔人との戦いが終結したあとであっても、ラヴェンデル公国に勝ち目はありません」
魔人との戦争が終わればキルシュバオム公爵家、正式には依然としてローゼンガルテン王国だが、の側も軍を全て国内制圧に向けられる。戦力差を考えればラヴェンデル公国には勝ち目はない。
「逆に先延ばしにして滅ぼしてしまうのも有りか……判断が難しいな」
ラヴェンデル公国との関係はゾンネンブルーメ公国と同じ同盟のようなものになる。それをあえて行わず、滅ぼしてその領地を手に入れるという選択肢をルドルフは考えた。
だがそう都合良く行くのかという心配もある。ラヴェンデル公国を滅ぼそうとすれば、ゾンネンブルーメ公国も次は自分たちではないかと警戒心を持つ。二国が協力して反抗してくるような事態は避けたい。
「……今はまず魔人との戦いに集中すべき時かと」
運良くローゼンガルテン王国の実権を手に入れた。だが今はこれ以上の権力拡大を考える時ではなく、魔人戦争を勝つことだけに意識を集中すべきだとラディウスは考えている。あくまでも運が良かっただけだと彼は考えているのだ。
「その為にも王国を一つにまとめなくてはならないのだ。そういえば、カロリーネ王女の行方は分かったのか?」
「いえ。ですがエカードの騎士団から何人か行方不明者が出たようです」
「……その者たちが逃がしたと?」
「その可能性はあります」
正解だ。だがラディウスは思い違いをしている。行方不明になった者たち、カロリーネとそれに従う騎士たちがカロリーネ王女を逃がしたのは事実だが、一緒に逃げているわけではない。
「担ぐ者がいるか……他にも離脱した騎士がいる。それらと合流させたくはないな」
「はい。捜索の手を広げたいところですが……」
それに割く人手も惜しい。今の状況で手が空いている者などいるはずがないのだ。
「王太子殿下はどうだ?」
「大人しくしております」
「……即位は受け入れそうか?」
「受け入れるしか選択肢はないかと」
拒否しても無駄。アルベルト王太子に選択の自由は許されていない。
「王女がいればエカードに嫁がせることが出来るのに……詰めが甘いな」
当面はアルベルト王太子に形だけの即位をさせ、全ての実権はルドルフが持つという形になる。だがその先はどうするのか。
「……娘がいるな。孫か」
アルベルト王太子にマルク家の娘を嫁がせる。だがマルク家には適当な女性がいないのだ。
「探させます」
「貴族令嬢は駄目だ」
「えっ?」
「その娘の実家に野心が生まれかねない」
アルベルトとその娘の間に生まれた男の子が次期王になるかもしれない。娘の実家はそうなることを求めるだろうとルドルフは思う。政敵を作ることになってしまう。
「平民を嫁がせるおつもりですか?」
「平民ではない。嫁ぐ時にはキルシュバオム公爵家の娘だ」
「そうですが……」
キルシュバオム公爵家の養女にした上でアルベルト王太子、その時は王になっているはずだ、に嫁がせることは分かっている。だがそれでも元は平民だ。
「良い娘を探してやれ……ああ、そういえばエカードのところに一人いたな。強いだけでなく、容姿もかなり良いという話だったではないか」
「……もしかしてユリアーナのことを言っていますか?」
「そうだ。そのユリアーナだ」
「彼女は行方不明になった一人です」
「……なんだと?」
ルドルフの目が大きく開かれた。離脱した騎士の中にユリアーナがいるとは、まったく思っていなかったのだ。
「彼女と彼女の部隊にいた騎士たちが消えたのです」
「それは……大問題ではないか? その娘はかなりの実力者。エカードの騎士団の中で一番だろう?」
「はい。その通りです」
「何故だ? かなり積極的に協力していたのではなかったのか?」
今回の一件でユリアーナは大きな働きを見せている。ユリアーナがいたからこそ成功した、というところまでルドルフは分かっていないが、積極的に動いていたことは知っている。
「理由はまったく分かりませんが、いなくなったのは事実です」
「……まずいな」
「彼女に同調したのは部隊にいた騎士数人。すぐには脅威にはなりません」
「そうだとしても……なんとしても見つけ出すのだ。勢力が大きくならないうちに対処しなければならない」
カロリーネ王女という旗印とそれを支える軍事力。それが揃うことをルドルフは恐れている。それだけユリアーナの実力を評価しているということだ。
「……探させます」
「ラヴェンデル公爵に釘をさしておく必要があるな。少々強気に出るべきか」
さらにラヴェンデル公国がカロリーネ王女を担ぎ上げるようになればどうなるか。負けることはない。だが苦戦は覚悟しなければならないとルドルフは思う。
「エカードの騎士団はすぐに出撃出来るのか?」
「準備は進めているはずです」
「必ず勝つように、いや、圧勝するように伝えろ」
ユリアーナという実力者がいなくなったのであれば、その代わりが必要だ。そしてそれはエカードでなければならない。キルシュバオム公爵家から英雄を出さなければならないとルドルフは考えている。
「伝えておきます」
伝えるだけであれば簡単だ。だが魔人軍との戦いで圧勝なんてものはあり得ないとラディウスは思う。
果たしてローゼンガルテン王国の実権を手に入れたのは運が良かったのか。不運を背負ってしまったのでがないかという思いが、ラディウスの頭によぎった。
◆◆◆
ローゼンガルテン王国騎士団からの離脱者はまだ止まったわけではない。それは花の騎士団においてもだ。ただその理由は少し違っている。キルシュバオム公爵家の謀叛を受け入れられないからではなく、ユリアーナのあとを追うのでもない。きっかけにはなったかもしれないが、直接の理由は別にある。
「ウッドくん、もっと慎重に考えたほうが良いわ」
「考えたよ。考えて考えて、やっと決めたんだ」
花の騎士団を離れようとしているのはウッドストック。その彼をクラーラは引き止めようとしている。
「気持ちは分かるけど、今騎士団を離れたら変に疑われるわ」
キルシュバオム公爵家に叛意がある。そう思われることをクラーラは心配している。
「今離れないで、いつ離れるのかな? 今回の一件があってからリリエンベルク公国については一切話題に上らなくなっている。救援に行くことなんて誰も考えていない」
「それは……今はまだ動けないだけよ」
「じゃあ、いつ動ける? 結局また騎士団は魔人との戦いに投入されるみたいだ。ゾンネンブルーメ公国の戦いが終わるまでリリエンベルク公国には行けない。それじゃあ手遅れになるよ」
リリエンベルク公国内の戦いの様子はまったく分からない。だがゾンネンブルーメ公国よりも早く魔人の侵攻を許したリリエンベルク公国が、ゾンネンブルーメ公国での戦いが終わるまで保つなんて考えるのは間違っているとウッドストックは思う。
「……こんなこと言うのは悪いけど、ウッドくん一人が行っても事態は変わらないわ」
「だから行かなくても良い? 僕はそんな風には考えられない」
ウッドストックだって自分の力だけでなんとかなるなんて思っていない。それでも行かないではいられないのだ。
「魔人との戦いはリリエンベルク公国内が全てではないわ。他の場所で戦って勝利することも、リリエンベルク公国を救うことになるはずよ」
「……クラーラさんは頭が良い。そして冷静だ」
「えっ……?」
「でも僕は違う。人よりも少し力があるだけで、愚図でノロマで馬鹿だ。そんな僕にジグルスさんは自信を与えてくれた。リーゼロッテ様はこの人の為に頑張ろうと思わせてくれた。同じ戦うなら僕は二人と一緒に戦いたい」
自分が今あるのは二人のおかげ。ウッドストックはそう考えている。恩を感じている、というだけではない。二人と共に戦っている自分が好きなのだ。
「……危険よ。それに……もう、あれかも……」
手遅れという言葉を声にするのは、さすがに躊躇われた。
「学院にいた時、ジグルスさんは力を持っていたかな?」
「えっ?」
「エカード様に立ち向かっていたジグルスさんは戦う力を持っていたと思う?」
ジグルスはリーゼロッテの為に公爵家のエカードに正面から逆らってみせた。ただ刃向かっただけではない。勝ちと言える、これは見方によるが、結果を得ていたのだ。
「そうだけど……戦争は学生時代の喧嘩とは違うわ」
「そうじゃないよ。ジグルスさんは力を持っていた。勝てる力を持っていて、その力を最大限に活かして、さらに力を得たのさ」
ジグルスはまったく勝ち目のない争いを行っていたのではない。勝つ術を持っていた。ウッドストックはそう考えている。
「だから今も生きていると言うの?」
「生きている。生きて、リーゼロッテ様と戦っている。僕はそう思う」
「でも……そうであれば尚更、ウッドくんが行かなくても……」
クラーラとしてはウッドストックをリリエンベルク公国に行かせたくない。残って一緒に戦って欲しいのだ。
「クラーラさんは勘違いをしている」
「私は何を勘違いしているの?」
「僕がリリエンベルク公国に行くのは我が儘だ。僕はエカード様ではなく、ジグルスさんとリーゼロッテ様と一緒に戦いたいからリリエンベルク公国に行くんだ」
「ウッドくん……」
自分の我が儘を理由にされてしまうと、クラーラもどう説得すれば良いのか分からなくなる。我が儘を言うのは止めて、では引き止められるはずがない。
「……俺では駄目か?」
「えっ……あっ……エ、エカード様……」
割り込んできたのはエカード。まさかの登場にウッドストックは顔を青ざめさせている。
「……怯えるな。怒ってはいない。ただ俺とジグルスでは何が違うのかを知りたいだけだ」
「それは……」
「何を言われても怒らない。いや、話してくれたら出て行くのを認めても良い」
「エカード様!?」
エカードの言葉にクラーラが声をあげる。ウッドストックが花の騎士団を離れることを認めて欲しくないのだ。
「……エカード様は何の為に戦おうとしているのですか?」
そんなクラーラを気にすることなく、ウッドストックは話し始めた。騎士団を離れることを正式に認めてくれるというのだ。話さないという選択はない。
「……この国を平和にする為」
「その為にどんな力を得ましたか?」
「……共に戦う仲間を得た」
「それはどのようにしてですか?」
「どのように……」
答えに詰まるエカード。仲間を集めた方法を聞かれても、どう説明すれば良いのかすぐに思い付かない。それぞれ事情は違う。レオポルドたちのように従属貴族家の子弟であった人たち、クラーラやウッドストックのように学院で合流した人もいる。
だがウッドストックが問うているのはそういうことではない。
「ジグルスさんは味方になって欲しい人、協力して欲しい人、一人一人と丁寧に話をしていました。リーゼロッテ様に背いた人たちに対しても、最初から諦めることはしなかった。エカード様はどうでした? ジグルスさんと同じようにしなくても人は集まってきたのではないですか?」
「それは……」
ウッドストックの言う通り。何の苦労もしていないとまでは思わないが、ジグルスと違っていたのは間違いない。
「エカード様は初めから持っている人で、多くの人に認められています。僕のように持たない人間、自分の価値を信じられない人間の気持ちは分かりません」
「…………」
「エカード様が駄目だと言っているわけではないのです。恵まれていると羨む気持ちも、以前はありましたけど今は消えています。ただ僕は同じ命を懸けて戦うのであれば、自分の想いを理解してくれる人と一緒でいたい。そう思っているだけです」
戦いの中で命を落とすことだってある。その時に後悔の思いを残したくない。死の恐怖を消し去ることは出来なくても、命を惜しまない戦いが出来るだけの理由が欲しい。ウッドストックにとってはそれが自分の想いを理解してくれる仲間と戦うことなのだ。
「そうか……」
ウッドストックがそんな想いを抱いていたなんてエカードは知らなかった。知ろうとしてこなかったことを思い知らされた。
「あ、あの、落ち込まないでください。エカード様の周りには同じような優秀な人がいます。レオポルド様がそうですし、クラーラさんもそうです。そういった人たちがエカード様の側で戦うべきだと僕は思います」
「私はウッドくんと戦いたいの! ずっと側にいたいの!」
「えっ……?」
「側にいたいの……ずっと……死ぬまでずっと……」
ウッドストックに残って欲しいはクラーラの我が儘だ。話を聞いてウッドストックの気持ちは少し理解出来た。それでもクラーラは去って欲しくなかった。
「……ありがとう。でも僕は行くよ」
「じゃあ、私も行くわ」
ウッドストックの気持ちが変わらないのであれば、自分が付いていく。クラーラはそう決めた、のだが。
「……クラーラさん。その気持ちは凄く嬉しいけど、僕は貴方には残って欲しい。残って、出来ることなら戦争から離れて欲しい。死んで欲しくない」
「ウッドくん……」
「リリエンベルク公国に向かう僕が言えるのはここまで。クラーラさん、幸せになって」
リリエンベルク公国が危険な場所であることは分かっている。生きて帰れない可能性のほうが高いことも。そんな戦場にクラーラを連れて行くわけにはいかない。待っていてなんて言葉を残すこともしてはいけない。
「私は……」
「エカード様。クラーラさんをお願いします。出来たら安全な場所で暮らせるようにしてあげてください……いえ、お任せします」
「……俺はなんと答えれば良い?」
クラーラの気持ちが誰にあるのか知ってしまったエカードは、どう返して良いか分からない。クラーラが自分に何を求めるのか。何も求められないだろうと思ってしまう。
「分かった、と」
「そうか……分かった。任せろ」
「お願いします」
ウッドストックは、これまでエカードが見たことのなかった満面の笑みを浮かべると、そのまま背中を向けて歩き出した。
「ウッドくん!」
その背中を追おうとするクラーラ。
「行くな!」
「その命令は聞けません」
「命令ではない。これは……ただの男としての言葉だ。俺の為に行くなと言っているわけでは……そういう気持ちがあることは否定しないが、それよりも、ウッドストックの想いに応えてやって欲しい。彼は君の無事を望んでいる」
「…………」
クラーラの両の瞳からは涙が溢れている。それでも彼女はウッドストックのあとを追う足を止めた。エカードは今、何を言ったのか。それを考えようとする頭が、体の動きを止めたのだ。