ヒューガはタムに言われたことへの気持ちの整理がつかないままに、セレネに会うことになった。タムが語った「外に目を向けるべき」の外は、ドュンケルハイト大森林の外のこと。セレネたち西の拠点に住む人たちのことではないのだが、仲間を増やすという点では、ヒューガにとって同じことだ。
セレネが面会を求める理由が合流の申し入れであることは分かっている。それに対して、どう答えるか。ヒューガの心は決まらない。
「どうしたの? 何だか元気がないわね」
「そうか? そう見えるとしたら考え事をしてるせいだな」
「何を考えているのよ?」
自分との面会中に考え事。それをしれっと口にするヒューガに、セレネは呆れている。
「仲間を増やすことについて」
「何、それ? 私が何を言いに来たか分かっていて、それで考えているの?」
自分の申し出を、話を切り出す前から考えていたというのであれば、セレネも理解出来る。残念ながらそうではないが。
「ちょっと違う。でも、やっぱりその話なんだ?」
「ええ、今日こそは認めてもらおうと思って。西の拠点の全てのエルフの望みよ。私たちを臣下として認めて欲しい」
「なあ、どうして俺の臣下になりたいんだ? 精霊のことか?」
ヒューガには何故、西の拠点の人々が臣従しようと考えるのかが分からない。すでに合流している人たちからは、それを望む強い意志を感じた。魔獣に襲われる危険を冒してでも、ヒューガに会おうとしたのだ。
だがセレネの下に残った人たちは、そうではない。自分に反発心を持っていた人たちだと、ヒューガは考えている。
「それもあるけど、それだけじゃないわね。なんて言うんだろ? 目的を与えてくれるからかしらね?」
「目的?」
「そう。生きることで精一杯だった私たちの前に、貴方は目的というものを見せてくれたわ。やっぱり、ただ生きるだけじゃ辛いのよ。ただ生きるだけよりも死ぬ目的があったほうが、人生っていうのは充実するのかしらね?」
「そんなものかな?」
それを周囲に示したはずのヒューガには分からない。セレネの言う「ただ生きる」という感覚が彼には理解出来ないのだ。
「そんなものよ。特にエルフにとってはね。エルフが長命なのは知っているでしょ? でも、長く生きるってのも大変なのよ。ある程度の年齢になって成長が止まってしまうと、あとはただ死ぬのを待っているだけ。そう考える人もいるわ」
セレネの話は少し誇張されているが、長い年月を、それも変化のない長い年月を過ごす中で、生きることに飽きてしまう人は確かにいる。
「……少し分かる気がした。でも俺、そんな立派なもの見せたか?」
「見せたわね。大森林を立て直し、多くのエルフを救った。これが立派じゃなくて、何なのよ?」
「……まあ、そうか」
成功する自信などヒューガにはなかった。それでもやらなければならないと考え、実行に移してみたら、思っていた以上の成果を上げられただけだ。それを不可能が可能にしたということであれば、セレネの言う通りかもしれないとヒューガも思う。
「それで? 認めてくれるの?」
「別に良いけど……」
断る理由が見つからない。そうであれば認めるしかない。そんなヒューガの内心の思いが、思いっきり返事に表れている。
「あのね、私もそれなりの覚悟を決めてきたのよ。もう少し、ちゃんと受け入れてくれない?」
「そうだな……西の拠点の全ての者を、アイントラハト王国の国民として認める。アイントラハト王、ヒューガ・アルベリヒ・ケーニヒの名において約束する」
それらしい台詞で、ヒューガは西の拠点の人々をアイントラハト王国に受け入れることを約束した。畏まった態度は相変わらず苦手なのだが、相手のほうがこれを望むことや、こういった態度を見せたほうが気が楽である場合もあることは知った。
「……はぁ、やっとね。よろしくお願いします。ヒューガ王」
「ああ。セレは」
「セレネで良いわ。貴方は私の王だわ。それに、名を隠す意味はそもそもないから」
「……分かった。セレネには変わらず西の拠点のまとめ役をお願いする。管理の方法やこちらの状況は、明日の会議で説明させる。とりあえず、最初の仕事は名簿の作成だな」
まずは西の拠点に暮らす人たちのことを知らなければならない。それには名簿が必要だ。
「出来ているわ。カルポに教えてもらっていたから。鍛錬もしていたつもりだけど、やっぱり差があるみたいね? ジュニアコースだっけ? そこから始めることになるわ」
カルポとはこの日に向けての話し合いが、ずっと行われていた。西の拠点の併合を否定していたのはヒューガだけなのだ。
「セレネは違うだろ?」
「一応、傭兵ギルドのAランクだから。でも個人の武勇だからね。軍人としは素人も同然よ」
「傭兵の仕事はしなかったんだ? 傭兵って、依頼としての傭兵な」
「出来なかったわよ。外に出れば、私はダークエルフ扱いだからね?」
不吉なダークエルフを味方に迎えようなんて雇い主はいない。傭兵仲間も一緒に仕事をすることを敬遠してくらいだ。
「そうか。でも、それでランクA? 何をしてたんだ? とんでもない魔獣を倒したとか?」
一人仕事でAランクまで上がれたことをヒューガは不思議に思った。高位ランクになれば、それだけ依頼は難しいものになる。一人で達成するのは難しい依頼が多いのだ。
だからといって簡単な依頼ばかりをこなしていては、ギルドランクは上がらない。
「そういえば昔話をしていなかったわね? 私は長い間、サイモンとパーティーを組んでいたわ。まだサイモンが一介の傭兵だった頃ね。サイモンは知っているでしょ?」
「ギルド長だろ? へえ、それはびっくりだ」
ギルド長にも傭兵としての現役時代があった。当たり前のことだが、セレネと共に行動していたとなるとヒューガには驚きだ。
「今は年をとったけど、サイモンも強かったのよ。あのまま行けば、Sランクまで届いたかも」
「Sランク? そこまでには見えなかった」
ギルド長には何度も会っているが、そこまでの実力者には見えなかった。自分が未熟だったからだとヒューガは思ったが、そういうことではない。
「怪我をしたからね。それで傭兵としての仕事は諦めて、誘われるままにギルド職員として働くことになった。それだけの実力者だったから、傭兵からの信望もあるし、意外にも事務仕事も得意だったのよね。あれよあれよという間に、出世してギルド長にまでなったわ」
「なるほどね。でも、二人パーティーでAランクか。やっぱ凄いな」
「貴方に褒められてもね。それくらいの実力は貴方もあるでしょ?」
ヒューガの実力はセレネよりも上だ。今もヒューガが傭兵ギルドで働いていれば、とっくにAランクになっているとセレネは思う。傭兵を続けていれば今ほど強くならなかったはずなので、実現しない可能性だ。
「……測る術がない。それに何度も死にそうになった。あの相手が全部Sランクってことはないだろ?」
「死にそう? ああ、外に出た時ね。Aランクといっても幅が広いから。Aランクの一番上と下ではCランクとFランクの差があると思っても良いくらいだわ」
「そこまでの差が?」
素人と一人前の傭兵の実力差と同じ。それがひとつランク内に固まっている意味がヒューガには分からない。
「簡単にSランクに出来ないからよ。つまりSランクってのは、それだけ化け物ってこと」
「傭兵王がSランクだったな。あと何人くらいいるんだ?」
「さあ? Sランクって公にされていないから。三人しかいないとか十人はいるとか色々な噂が流れていたわ」
「どうして公にされてないんだ?」
Aランクまでの傭兵は調べようと思えば調べられる。ギルドに出入りしていれば、そこで働いている傭兵の情報は耳に入るものなのだ。Sランクだけが秘密にされている理由がヒューガは気になった。
「いくつか理由はあるみたいね。ひとつは特定の国に勧誘されないように。Sランクが何人も集まる国が出来たら、力の均衡が崩れてしまうわ」
「それは分かるな」
「あとは公にしないことで、Aランク傭兵を押さえ込むという意味もあると聞いたわ。Aランクまでいけば、かなりの実力者。思い上がる者も出てくるでしょ? でも、いざとなれば自分よりも強い者が出てくると思わせれば、牽制になる」
「本当に牽制になるのかな?」
思い上がるような人物は、自分の実力を過信している。Sランクにも勝てると思うのではないかとヒューガは考えた。
「そう考える人がいるってことは、効果があるってことだわ。そして一番大きな理由は、変わり者が多いからって話よ」
「変わり者って……どんな理由だよ、それ?」
「Sランクになるなんて変人よ。ただひたすら強さを追及するだけで、他に一切興味がないとかね。Sランクまであがるともう、ギルドでの目標はなくなるわ。あとはどこかに籠って、ひたすら鍛錬に打ち込むくらいしかない。公にしないというより出来ないのね。行方不明だから」
Aランクまで行けば、稼いだ金で贅沢な暮らしを楽しめる。そうであるのに、命を危険に晒して、高ポイントの依頼を受け続けるなど、セレネには変人としか思えない。
「……大森林に籠っている奴もいるのかな?」
純粋な強さを求めて鍛錬を行うのであれば、ドュンケルハイト大森林は最高の場所だ。
「いるかもしれないわ。でも、そういう者は弱い者には興味はない。私たちの目につくところにはいないわね。いるとしたら北の半島あたりかしらね……さすがにそれはないか」
「そうか。セレネだったら知ってるか。北の拠点が見つかった。あれは何の為の拠点なんだ?」
Sランク傭兵が北にいる可能性を否定するセレネは、そこに何がいるか知っているのだ。
「ああ、そうよね。扉を開いていれば見つかるわね。私にも、はっきりしたことは分からない。なんとなく聞いた覚えがあるのは、神獣の住まう場所とか、神の領域とか。とにかく神域って扱い。半島には訳なく立ち入ってはならないことになっているわ」
「神域……」
思っていたのとは違っていた。北の魔獣、セレネの話通りであれば神獣は、恐怖を感じさせる存在だ。だがそれは恐れではなく、畏れだったのかもしれない。ヒューガはそう思った。
「北の拠点は境界線。そこまでがエルフの立ち入りが許された場所ってことよ」
「北の拠点を使うのは問題ないんだな?」
「まあ、逆に言えば、そこまでは入って良いってことだからね」
「良かった。いやぁ、拠点に入ること事態が禁忌に当たることだったらどうしようかと思った」
大森林の掟には従わなければならない。それを破って、アイントラハト王国の存続はないとヒューガは考えている。
「それは大丈夫。私も行ったことあるから。あんな場所だからSランクでもどうかなと思うわ。大森林には、いないんじゃないかしら?」
「鍛えるにはもってこいだけどな」
北にいないのであれば、大森林にSランク傭兵はまずいない。他のエリアであれば、ルナたちが見つけるはずなのだ。よほど隠蔽能力に優れているのであれば話は別だが、それでもヴラドを超えるとはヒューガには思えない。
「もうひとつの噂があるわ。Sランクはいないって噂」
「はあ?」
ここまで話をしてきて、オチが「いない」というのはヒューガには納得出来ない。
「だって、Sランクで所在が明らかなのは傭兵王だけだわ。そしてそれも今となっては真実であるか証明できない。ギルドから抹消されているからね。まあ、サイモンは知っているでしょうけど、さすがにそれは話さないわね」
Sランクは傭兵ギルドにとって最高機密。キルド長であるサイモンが話すはずがない。
「だよな。でも案外、それが真実なような気がしてきた。Aランクの更に上があると思わせて働かせ続ける。Aランクまで行けば、金に困らないからな、あとは名誉欲を刺激するわけだ。そうなると、世に隠れた達人なんていないか」
「何よ、それ?」
「最初の話。自ら仲間を増やすことを考えろと言われた。俺の気持ちは別にして、人手不足なのは確かだ。考えてみようとも思ったんだけど、そもそも大森林に来ようなんて思うのは特殊な人だろ?」
ヒューガがその気になっても、勧誘する対象はそう簡単にはその気にならない。流刑地、実際は処刑地、であるドュンケルハイト大森林に来ようなんて人族はまずいない。
「エルフ以外で自ら来ようなんて人は、自殺志願者くらいね」
「だろ? それにこっちもどこかの国のひも付きじゃあ困る。世を捨てたような人が一番望ましいんだ」
「そうね……中立という意味では傭兵ギルドも中立よ。国に関係なく、仕事をしている人は大勢いるわ」
「傭兵はな……」
国に関係なく仕事をしているからといって、それだけで信用出来るわけではない。ギルドが規則に厳しい組織なので問題は起こすことは少ないが、金の為であれば何でもする、なんて傭兵は大勢いるのだ。
「傭兵以外にもいるわよ。ギルドの職員」
「安定した仕事を捨てて、ここに? そんな奇特な人いるか?」
「求めているのは、その奇特な人でしょ?」
「確かに……」
外の世界で何をしていようと関係ない。全てを捨てて、もしくは失って、大森林に来ても良いと思う人を探すだけだ。
「駄目元で聞いてみれば?」
「誰に?」
「サイモンに決まっているでしょ? 求人募集よ。公には出来ないけどね」
「……公じゃなくても出来ないだろ?」
傭兵ギルドの長であるサイモンに、引き抜きの相談をする。普通に考えれば非常識な申し入れであり、相手が受け入れるはずがない。
「それはやってみないと。私の名前で聞いてあげるわ。王への初めての奉仕ね」
「誰の名前でも同じだろ?」
「それは……まあ、私とサイモンの仲だから」
「うわっ、意味深……もしかして、そういう関係?」
セレネとサイモンのまさかの関係を疑うヒューガ。二人で行動している期間が長ければ、そういうこともあるかもしれないと思った。
「昔の話よ。それにそれだけの関係じゃないから」
セレネはあっさりとサイモンとの関係を認めた。セレネにとっては隠すようなことではないのだ。
「それにしても……まあ、良いか。どうせ駄目元だからな。どうすれば良いんだ?」
「書簡を送る。特別な暗号付でね」
「そんなのも決めてあるんだ」
「サイモンと別れたあとの私は傭兵ギルドの間者でもあったからね。それだけじゃないっていうのはそういう意味よ」
「そう来たか」
私的な書簡を交わす為の暗号ではない。他の、ギルド職員であっても知られてはならない情報を伝える為に用意したものだ。
「そうでもしないと、ダークエルフと呼ばれる私が外で生活出来るわけないじゃない。普通の依頼なんて受けられないわ」
「納得。じゃあ、頼む」
「ええ、お任せください。我等が王の為ですわ」
「気持ち悪い」
「……慣れて。私も慣れるから」
畏まった態度はセレネも苦手だ。そういう態度をとらなければならない相手は、これまでいなかったのだ。
「頑張る……ついでに、ひとつ頼めるか?」
「何を?」
「ギルド長に伝言。頼みごとだけじゃあ悪いからな。情報をひとつ提供しておこうと思って」
少しでもサイモンに協力する気にさせる為。ダメ元と言いながらも、いざ実行するとなれば実現可能性を高める努力を怠らない。この件に限らず、ヒューガはそうなのだ。
「……ろくでもない情報なのでしょうね? わざわざ伝えておこうなんて思うくらいだから」
「事実ならな。ちゃんと調べたわけじゃないから確証はない。でもギルド長の立場であれば、警戒しておいたほうが良いと思う」
「……何かしら?」
想像していた以上に、深刻な問題を含む情報。ヒューガの説明を聞いて、セレネはそう思った。
「東方連盟内のギルドがおかしい。傭兵王に取り込まれている可能性がある。傭兵だけじゃない。おそらく、ギルド職員も含めてだ」
「……嘘でしょ?」
傭兵であれば、金で転ぶ可能性をセレネも否定しない。だが厳しい審査をクリアするなどして、職員になった人たちにそれはあり得ない。セレネはそう考えている。
「確証はないって言っただろ? これが事実かどうか調べるのはギルド長の仕事だ。俺が伝えるのは状況とそれに基づく推測だけ。詳しい内容は紙にまとめるから、それを送ってくれれば良い」
「私にも聞かせて」
「ああ、何からかな……きっかけからか。東方連盟内の盗賊については、一時期かなり接触してたから、割と詳しい。でも、その盗賊集団のほとんどは東方連盟から追い払われている。じゃあ、今活動している盗賊集団ってどこから来たのか。どうしてその盗賊集団は他に追いやられることはないんだ? こんな疑問からだ」
「そんなことから?」
盗賊の話から、何をどのようにすれが傭兵ギルドに繋がるのか。セレネにはまったく分からない。
「ギルドには討伐依頼が出ていた。でもその依頼の多くは失敗。しかも大勢死んでいる。それを知れば、その原因も気になる。調べてみれば全て依頼情報の誤り。依頼内容より遙かに多い盗賊と出くわしたことになってる。偶然が重なったとは思えない。じゃあ、何故?」
「……依頼内容に嘘が混じっていた」
「その可能性が高い。じゃあ、誰が? 依頼主の嘘が続いて、ギルドが何の対処もしないなんてある?」
ギルドは傭兵を大切にする。依頼内容の誤りで傭兵を死なせてしまうなど、あってはならないミスだ。しかもそれが重なるなど、許されるはずがない。
「嘘は依頼主ではなくギルドが混ぜた。そういうことね。でも、どうしてそんな真似をするの?」
「これ以上は推測じゃなくて想像になる。何の根拠もないから」
「想像でも良いわ。教えて」
根拠など必要ない。可能性として考えられる全てをサイモンに伝えるべきだとセレネは考えた。
「乗っ取りかな?」
「……ギルドを? 今更、そんなことをして何の意味があるの? 傭兵王は自らギルドを飛び出したのよ?」
「何の為にと聞かれても……邪魔だからだろ? 少なくとも傭兵王にとってギルドは潜在的な敵対勢力だ。傭兵王がこの先、大陸全土を制覇しようとした時に、ギルドが中立を捨てて裏切り者である傭兵王を邪魔する可能性がある」
「傭兵ギルドはそんな真似しないわよ」
そんなことで傭兵ギルドは中立を捨てたりしない。一度、それを捨ててしまえば、二度と各国から信用されなくなる。
「でも傭兵王にはそれが信じられない。だって自分は欲の為に裏切ったんだからな。自分がそうなら他人だって同じ。そう思うのが普通だ」
「……貴方は成功すると思っているの? その乗っ取り」
「分からない。形としては成功するかもしれない。でも、ギルドのシステムって乗っ取れるのか?」
「システム?」
「ギルドカードの仕組み。支店間での情報共有、伝達の仕組み。それが使えなければ、ギルドなんて機能しない。支部の乗っ取りなんてただの枝葉だ。切り捨ててしまえば良い」
支店を奪ったからといって、それに何の意味もない。傭兵ギルドの価値は、全国的な組織運営を可能にするシステムにあるとヒューガは考えているのだ。
「そんなわけにはいかないわよ。でも、それを考えるのはサイモンね。すぐに伝えるわ」
情報の中身はかなり深刻なもの。だが最後までヒューガの話を聞いたことで、セレネの心配はかなり薄れた。ヒューガは推測通りに事が起きても問題ないと考えている。それが分かったからだ。
◆◆◆
セレネとの話をかなり脱線させてしまったヒューガだが、何故か仲間を集めることに対して、前向きになれた気がした。西の拠点の人々の受け入れを、渋々であっても認めたことが、結果として心の壁を一つ乗り越えさせた。そういうことだ。
ただセレネが自ら請け負った傭兵ギルド職員への勧誘に関しては、成果は期待出来ない。今は元々計画にあった東方連盟での求人に力を入れるくらいしかない。
あえて新しい動きを始めるとすれば、それは情報収集。東方連盟だけでなく他の地域でも、実力があっても不遇な人がいないかの情報を集めることくらいだ。
ヒューガはその役目を商業部門に任せることに決めた。情報収集の為だけに諜報部門の人たちを各地に飛ばすわけにはいかない。諜報部門もまた人手不足なのだ。商業部門であれば商売を行う中で、ついでに行えば良い。
ついで、と考えている時点で、ヒューガはまだ積極的ではないのだが、それでも一歩踏み出したのは間違いない。
「主」
「ああ、今日はハンゾウさんか。丁度良かった」
定期的な諜報部門との情報交換。ヒューガはこれを一人の時に行うことにしている。忍びが、たとえ味方であろうとも、表に出て顔を晒すわけにはいかない。これはハンゾウたちの希望でもある。
「何かあったでござるか?」
「ちょっと相談があった」
「何でござる?」
「人材を集める」
「東方連盟については、すでに当たっているでござるが?」
人材集めはすでに始めているつもりだ。実際に、まだ成果をヒューガに報告出来ていないだけで、始まっている。
「それは引き続き頼む……良さそうな人はいたのか?」
まずはこれまでの成果を確認するところから。ヒューガの側からハンゾウに報告を求めた。
「何人かは。ただ候補を絞っただけで、その者たちが同意してくれる保証がござらん」
「それは分かってる。候補者というのはどういう人?」
「ダクセンの将軍がひとり。部下からの人望が厚く、忠誠心も高いとの評判です。軍の指揮も中々のものかと」
「良さそうな人だけど、承諾してもらえそうもないな」
簡単な説明ではあるが、かなり良い人材。それだけ確保は難しいとヒューガは思う。特に忠誠心が高いとなれば、他国へ仕官を求めるような真似はしない可能性が高い。
「命さえ助かれば可能性はあるでござる」
「そうなのか?」
だがハンゾウは、戦争で亡くなることがなければアイントラハト王国に来てくれる可能性はあると考えている。ヒューガにとっては驚きだ。
「この人物の忠誠は高いのですが、王のほうは彼を疎んじているでござる。諫言するのを臣下の使命のように考えている人物で、それが王に嫌われたようでござるな。現在はマンセルとの国境で兵を率いて砦を守っているでござる」
「……ダクセンの戦況は?」
「既に王都を囲まれています。落ちるのも時間の問題でござるな。問題はその将軍が、国に殉じる覚悟で玉砕戦を挑む可能性があることでござる」
劣勢の状況で優秀な将軍を国境に追いやる。ヒューガには理解出来ない考えだ。そんな仕打ちを受けてもその将軍は国に殉ずる覚悟を持っている。しかもハンゾウは玉砕戦と言った。
「兵がその玉砕戦に付いて行くと考えているのか?」
「それだけの人物ということでござる。逆に言えば、将軍さえ説得出来れば一緒にいる兵も行動を共にするでござる」
候補者としては理想的だ。彼一人を説得することで多くの人材を得ることが出来る可能性がある。説得に成功すればの話ではあるが。
「名は?」
「カール・マック」
「分かった。無理はしなくて良いけど、命を救うために出来るだけのことをしてくれ。あとは?」
それだけの人材を、むざむざと死なすわけにはいかない。危険が伴うが諜報部門を介入させることに決めた。
「マリの文官でござる。ユリウス・マザリヌスと言います」
「文官にまで手を伸ばしたのか?」
軍人の評判は、それも将軍クラスとなれば、一般庶民からでも話は聞ける。だが文官をそうはいかない。誰が何を行い、どういう成果をあげたかなど城外の人たちは知るはずがない。ハンゾウたちはかなり深く踏み込んで情報収集を行ったはずだ。
「やりすぎでござったか?」
「いや、逆。良くやってくれた。その人物は?」
「官位は低いでござる。ただ優秀さは認められているでござるな」
「……官位の低い理由は?」
優秀であるのに官位は低い。当然、それには理由があるはずで、その内容によっては、接触は無用なものとなる。優秀であればそれで全てが許されるわけではないのだ。
「一言で言えば毒舌。口が悪うござる」
「それだけで?」
「上司であろうと何であろうと遠慮がないようでござる」
この世界には滅多にいない文官だ。上下関係を無視する文官など国が、国王が許さない。実力主義は身分制度や王制の否定と同じなのだ。
「性格は? 口も性格も同じだと、周りと上手くやっていけないだろ?」
「清廉潔白。その毒舌からは想像できないような性格でござる。まあ、そういう性格であるので周りのやり方が気に入らなくて口から文句が出る。そういうことだと判断したでござる」
ハンゾウは周りのほうが腐っているのだと判断している。
「……可能性は?」
「半々。官職というものに嫌気がさしていたところで国が亡ぶのが見えた。この機会に隠棲をと考えている様でござるな」
「そんな年齢なのか?」
「若いでござる。もともと清貧な生活をしている人物なので、地位や金には興味がないようでござる」
「分かった。他にいるか?」
毒舌とは結びつかない人物像。だがハンゾウたちが調べた結果そうなのであれば、それが事実なのだ。口の悪さなどどうでも良いと思える清廉さを持つ人物だ。採用候補として問題はないとヒューガは判断した。
「あと一人、アンシャンテで探っているでござる。ただ情報を掴みきれていないでござる」
「今のところ、三人か」
「申し訳ござらん」
「いや、これだけいることに驚いている。滅びようとしている国にそれぞれ優秀な人物がいた。いずれも不遇だってのが納得だけどな。滅びるべくして滅びるってことか……あっ、これはハンゾウさんには悪かったな」
ハンゾウたちの祖国ミネルバ王国も滅亡している。滅びるにはそうなる理由があるなどと言ってしまっては、ハンゾウの心を傷つけてしまうとヒューガは思った。
「いえ、主の言うとおりでござる」
ハンゾウはまったく気にしていない。実際にミネルバ王国が滅びたのには理由がある。他国によって滅ぼされたのではなく、自ら滅びたのだとハンゾウは考えている。
「東方連盟は以上だな。相談というのはこれを大陸全体に広げて欲しいと言う事だ」
「全体でござるか?」
「急がなくていい。まずは商業部門の繋がりを利用して噂を集めてくれ。求める情報はさっきの三人と同じ。優秀なのに不遇な人。野にいる人物も含めて。どちらかと言えばそちらを優先だな。どこかの国に属していては接触が難しいから」
「噂でよろしいのでござるか……それであれば大して負担でござらん。かしこまったでござる」
商業部門といってもほとんどの人員は間者。内容に関係なく、噂話には常に耳を傾けている。
「他に報告事項はあるか?」
「大森林の監視が更に強化されました」
「はあ? 何故そこまでこだわる? そんなことに注力している場合じゃないだろ」
イーストエンド侯爵家の考えがヒューガは理解出来ない。魔族との戦いは最終的には勝つ。パルスの国王が魔王の真実を知っている以上、それは動かない。だが戦いが長引けば、それだけパルス王国も傷を負う。傭兵王が期待している結果だ。パルス王国にとって重要なのは東。東方連盟内の戦いを注視するべきで、大森林に目を向けている場合ではないとヒューガは思う。
「分かりませぬ。ただ数ではござらん。統制が強化されたでござるな」
「活動に支障は?」
「我等の出入りは問題ござらん。ただ人員の入れ替え時には陽動が必要でござるな。まだまだパルスの間者に技量で劣る者がいるでござる。普通にやっては相手の目を誤魔化せられませぬ」
まだアイントラハト王国の間者として一人前にはほど遠い人たちがいる。そういう人たちに鍛錬の機会を与える為に人員の入れ替えを行っているのだ。
「次はいつだったか?」
「三か月後でござる。時がある故、状況は変化する可能性もござるが、備えはしておきまする」
「ああ、頼む」
「報告は以上でござる」
「ああ、そうだ。鍛錬をギゼンさんにお願いした。恐らく先生の鍛錬にも劣らない厳しさだと思う。東方連盟の人材確保の件が済んだら、情報部門のメンバーは当面鍛錬に集中させる。そのつもりでいてくれ」
「……大丈夫でござるか?」
外で活動している情報部門の間者を引き上げれば、当然、情報収集が疎かになる。それが問題にならないか、ハンゾウは心配だ。
「商業部門に頼る。今後は通常の情報収集は商業部門のネットワークで事足りるくらいにしたい。その為であれば確保した資金をいくら使っても良い。そう指示してくれ」
「なるほど。かしこまりました」
商業部門は各地に拠点を構えるだけでなく、行商の人員も増加させている。あちこち動き回っても怪しまれない、間者が偽装するには最適な職業だ。その人員には拠点間を繋ぐ役割も持たせている。
そのネットワークを拡張して行けば、通常の情報収集は十分に可能だとハンゾウも判断した。
ヒューガの指示を理解したところで、ハンゾウが姿を消す。ここからは一人の時間だ。そう思った途端に、自分の意識が深い思考の中に潜り込んでいくのをヒューガは感じた。