ヒューガは気を失った夏と冬樹の二人が用意していた部屋に運ばれたのを確認した後、バーバが待っている部屋に向かった。
待っていたのはバーバとギゼン、ともうひとりはタム。顔を知っているだけでヒューガは話したことがない。バーバが必要だと考えて同席させたのだ。
「待たせたな」
「いや、たいして待っておらん」
「その人は? 顔は見たことあるけど、話すのは初めてのはずだ」
「タムという。かつて儂の家の執事をしておった。庶務についてはそこそこ知識があるはずじゃ。一番役に立つと思ったので同席させた」
「タムと申します。よろしくお願いいたします」
「よろしく」
ヒューガに向かって一礼するタム。とても貧民区で暮らしていたとは思えない礼儀正しい身のこなし。こんな人がいたことをヒューガは知らなかった。
「しかし、立ったのは見えておったが、本当に王になったのじゃな?」
「まあ、成り行きで。最初は十三人だった。それが今では二千九百三十八人だ。グランさんを入れれば、二千九百三十九人だな」
「……細かいの」
「名簿を作って間もないから、言ってみたかった」
ようやく正確な人数が把握出来た。といってもその数字は今はまだ何にも使われていない。
「まったく……ナツとフーはどうしたのじゃ?」
「寝てる。しばらくは目を覚まさないな。冬樹は、俺の経験だと一週間は寝てると思う。夏は鍛錬を続けていれば、もう少し早いかもしれない」
「……それはまた。何かしたのか?」
一週間も寝続けているなど普通ではない。何故、そのようなことになったのかバーバはヒューガに尋ねた。
「精霊と結んでもらった。夏は風の精霊であるシルフ。冬樹は水の精霊であるウィンディーネとだ」
「ほう。精霊魔法まで使えるようになるのか?」
夏と冬樹に精霊魔法を身につけさせる為とバーバは考えたのだが、これは間違いだ。
「目的はちょっと違う。二人の為じゃなくて、精霊たちの為だ。簡単に説明すると、この大森林が自然豊かなのは精霊たちのおかげ。そして精霊たちは結ぶことで相手の力を利用出来るようになって、より力を発揮出来る。ただちょっと火と土の精霊の力が強くなりすぎてバランス、調和といったほうが分かるか。調和が崩れそうになってたんだ」
「……四属性の力を均衡に保つためか?」
「そう。どれかひとつが強いってのも自然には良くないらしい。二人に結んでもらったのはその為だ」
自然の成長、循環において四属性にはそれぞれ役割がある。どれか一つが突出して強くなってしまうとバランスが崩れ、自然を豊かにするどころか破壊する作用を引き起こしてしまう場合もある。
「なるほどの。つまり二人は魔力切れを起こしておるのじゃな?」
「そう。精霊たちがある程度、力を貯めこむまではそれが続く」
「……面白いの。精霊の存在がそこまで大切なものだとは知らんかった」
精霊の存在は知っていても、その役割まではバーバは知らなかった。いくら博識であっても人族の身では分からないことが、この世界には沢山ある。
「だろうな。エルフも忘れていたようなことだ。ここにいれば他にも面白い話が出てくると思う。この場所は不思議な場所だ」
「そうか……まあ、それはおいおい聞くとしよう。それで、人手が足りんと聞いた。儂らは何をすれば良いのじゃ?」
「それが一杯あり過ぎて。いや、それだけじゃなくて何をしなければいけないか、全てを把握している自信がない。バーバさんは領地を持っていたから、その辺を知らないかと思って」
やることは沢山ある。だがそれよりも問題なのは、やらなければならないことが分からないことだ。事を始めることが出来なければ、終わることはないのだ。
「それは儂よりもタムじゃな。儂は実務を行っていたわけではない。領内の政務など任せっきりじゃった」
「そっか。じゃあタムさんに教えてもらおう」
「はい。私で分かることであれば。ただ全てを一度にお話しても意味がないと思います。まずはここの現状を教えていただけますか?」
「そうだな。とりあえず衣食住の整備を優先している。といっても衣は少し優先度が低い。まず食について。本来、大森林は豊かな場所なのだが、パルスとの戦いでその豊かさは失われた。それが回復するまで、回復しても乱獲すれば自然を壊すことになるので、生産力をあげることを急いでいる。幸いにも畑仕事そのものについては良く知ってる人がいるから順調だけど、耕作面積がまだ狭いので狩猟に頼らざるを得ない。そこが難しいんだよな。耕作面積を増やすには木を切り倒して畑を広げなければならない。でもそれをやりすぎると自然を壊すことになる」
この問題はすぐに解決するものではない。一切、自然を破壊することなく人工的な耕作地を増やすことは出来ない。では自然の恵みだけに頼れば良いのかとなると、それも違うようにヒューガは感じている。食料供給の安定という点で不安を感じるのだ。それだけではない。自然の恵みは精霊の力。それに頼り切りで良いのかという思いもある。
「自然にかなり気を遣われてるのですね?」
「ああ。初めに教えておく。この大森林は精霊たちの物だと考えてくれ。俺たちはそこを借りているだけ。だから本来の持ち主が困るような真似は絶対にしてはいけない」
「人族である私には中々その発想は難しいですね。優先事項として心に留めておきます」
これまで存在を意識することもなかった精霊。その精霊を優先して物事を考えるというのは難しいことだ。だが、それが王の方針であれば、それに沿った方策を考えるのが臣下というものだ。
「頼む。狩猟についても同じ。狩り過ぎてはいけない。今現在の問題は狩れる対象に制限があること。特定の獣や魔獣ばかりを狩っていてはその種を絶やすことになってしまう」
「制限ですか……それはどういう理由で?」
「理由は簡単。狩の対象が強いんだよ。人数が増えたことで必要量は増えた。でもそれに十分な数を確保できる人材の質が低い。だから倒せる魔獣が限られてしまう」
他の獣や魔獣も狩れるものであれば狩りたいのだ。だが相手が強すぎてそれが出来ない。
「ふむ。それは私の出番だな」
黙って話を聞いていたギゼンが口を開いた。解決策は強くなること。それであればギゼンが出番だと思うのは当然のことだ。
「いや、ギゼンさんには別にやってもらいたいことがある」
「別に? 私は剣以外では役に立たんが」
「その剣を教える対象が別ってこと。この国には情報収集を担当をしている人たちがいる。普段は外で仕事をしているけど、定期的に鍛錬の為に大森林に戻ってくる。その人たちを鍛えて欲しい。正確には、その中からこれはと思う人を選んで、だな」
今現在、情報部門と商業部門に大きな差はない。あくまでもアイントラハト国の基準でだが、忍びと呼ぶには力不足なのだ。 ハンゾウたち十人だけでは負担が重すぎるとヒューガは考えているので、情報部門全体の底上げを図りたいのだ。
「ふむ……しかし、それで強くなれるかな?」
「ギゼンさんの見込んだ人は任務から外して鍛錬に集中させる。外の情報は今のところ限られたもので十分だからな。人数を縮小するつもりだ」
「……情報収集担当ということは間者だな」
「この国では忍びと呼んでる」
「シノビ? まさか……」
忍びという言葉を聞いてギゼンの顔色が変わった。これにはヒューガのほうが驚きだ。忍びという言葉は、この世界の言葉ではないはずなのだ。
「忍びを知ってるんだ?」
「我が流派に伝わる、いや伝わると言って良いものか……表には出来んものだ。流派としての体面を考えればな」
「どういう意味?」
「ヤギ流には表と裏がある。我が流派の教えは人殺しの技。しかし、それでも表に出ているのは剣術の範囲に収めてある。裏は殺す為には手段を選ばん。飛び道具や他の道具の使用術などもあり、その技をシノビの術という」
「……裏柳生?」
「そうだ。裏ヤギ流という」
なんとなく頭に浮かんだ言葉をそのまま口に出しだだけなのだが、それがギゼンの知る流派の名だった。微妙に違うところは冬樹の名前と同じように上手く伝わらなかったのか、いつの間にか変化してしまったか。いずれにしても異世界人が伝えたものだろうとヒューガは思った。
「ちなみにそれを人に教えることは?」
「……それを望むか?」
「どう使うかだな……殺す術が分かれば、生き残る術も増えるだろ。お願いする」
「……分かった。しかし耐えられるかな?」
ヒューガは裏ヤギ流の危険性を理解している。そう考えてギゼンは教えることを引き受けた。
「少なくとも十人は平気だと思う。死んだほうがマシと思う様な鍛錬を経験してるから。問題は他の人たちだな……それは試してみないと分からないけど、出来るだけのことはしてほしい」
ヴラドの鍛錬も普通はとても耐えられないもの。それをハンゾウたちは耐えきった。決して他よりも飛び抜けた才能を持っているとは言えなかったハンゾウたちは、気持ちでそれを乗り越えたのだ。他の人も無理と決めつけることは出来ない。
「子供たちの鍛錬も続けるつもりだが?」
「それは構わない。一緒にやるか別々にするかはギゼンさんに任す」
「王はどうするのだ?」
「参加したいけど、しばらくは無理だな。手が空かない。なんかどんどん差を付けられるよな」
いくら時間があっても足りないくらいに忙しいヒューガは、自己の鍛錬時間を削ることで、他の仕事をこなしている。
「……いや、強くなっただろ?」
「前に比べれば。でもまだまだだ。何度も死ぬところだった」
「死線をそれだけ潜ったということだ。厳しい実戦はなによりの鍛錬でもある」
ギゼンには、ヒューガはかなり強くなったと感じられる。それは命を賭した実戦を何度も経験した結果。ヒューガの話でそれが分かった。
「それでもな……まあ、早く政務を軌道にのせて鍛錬の時間を作れるように頑張る」
「ああ、楽しみにしている」
「さて、話が脱線したな。タムさん悪い」
「いえ、かまいません。今の話もまた大事ですから」
タムとしてはとにかく全ての状況を知りたい。鍛錬や情報部門について興味があるのではなく、ヒューガが直接関わっていることについて知りたいのだ。
「えっと、食は話したから住だな。拠点としては三か所ある。この都と東と南。都はその呼び名の通り、この国の中心。東は狩猟と生産の一部、鍛錬場でもあるな。南は、今は療養所の役割が大きい」
「療養所ですか?」
「そう。奴隷にされていたエルフたちがいる。体ではなく心の傷をいやす為の療養所だ。リリス族が担当するようになって、状況はかなり改善してるので今後は他の機能も持たすつもりだ。彼女たちの社会復帰の場としての意味もある」
精神的にある程度立ち直ったあとは普通の生活、あくまでもここでの普通であるが、に慣れることを始める。南の拠点にその最初の場所を作ろうと考えているのだ。
「……そうですか。そういえばリリス族というのは? 私の知識にそういった種族はないのですが」
「説明は一度しかしない。彼女たちは元淫魔族だ。訳あって淫魔族を離れることになって、新たな種族名を付けた。彼女たちは淫魔ではなくリリス。それを忘れないで欲しい」
「つまり魔族……エルフ族に魔族、人族が共存する場所ですか。これは大変そうですね?」
人族とそれ以外の種族は、外の世界では敵対する関係。それが共に暮らしているという状況は、話で聞いただけでは信じられない。
「そう。長期的にはそれが一番の課題だ。種族の垣根ってのを何とかして消し去りたい。でもそれは徐々にやっていくしかない」
「もう一人いたじゃろ。あれは何者じゃ?」
「ああ、ブロンテースね。はっきりとは分からない。もしかしたらブロンテースも別の世界から来たのかもしれないな。俺たちと同じ世界の可能性もあるけど、そうだとしても時代は何千年も違うはずだ」
「ほう。製造部門とか言っておったな?」
プロンテースの外見はヒューガたちと明らかに異なる。そのプロンテースも同じ異世界人の可能性があると聞いて、バーバはこの世界の魔族と似たような存在なのかと考えた。
「鍛冶が得意なんだ。ドワーフ族に神と崇められていたようだな。本人の意思を無視してだけど。そうだ。言ってなかったけど、ドワーフ族もいるから。この国の人ではなくて、ブロンテースに会うために来ている」
「ドワーフ族もですか……全ての種族が勢ぞろいですね?」
「それはどうかな? どうもこの世界の種族っていい加減な気がする。特に魔族。リリス族は元々自分たちを魔族とは呼んでいない。魔族というのはいくつもの種族をひとくくりにして呼んでるんじゃないかと思ってる。そういう意味では魔獣もそう。獣よりも亜人と言った方が良いのも大勢いるだろ? あれはあれで一つの種族なんじゃないかな?」
「……オークとかゴブリンとかですか」
さすがに人族と並ぶ別種族と考えることにはタムも抵抗を感じている。
「あれを獣というのはおかしいだろ? 知性が低いから獣と呼んでいるのだとしても、オークやゴブリンには例外がいる。まっ、この話は良いか。また脱線したな。もうひとつ拠点について言っておかなくてはならない。西にもエルフ族が暮らす拠点がある。これは俺の国とは別の国だ。本来のエルフの国の流れをくむものと言っても良いかな」
セレネたちが暮らす拠点のことだ。ヒューガが考えるエルフの国としての正統性の根拠は、セレネの血筋。それもアイントラハト国がエルフの国ではないことを言いたいだけだ。
「敵対しておるのか?」
「いや。敵対はしていない。最低限の協力関係は結んでいるつもり」
「ほとんど接点はなしか」
「どうして分かる?」
セレネとは戻ってきてからも会っていない。大森林を発つ前の関係が、あまり良いものではなかったので、ヒューガからコンタクトを取ることはしていないのだ。
「お主が最低限というからには本当に最低限なのじゃろ? そういうところは変わっておらんようじゃな」
「まあ、そういう性分だからな。あとは外の話だな。商売を始めている。まだまだ規模は小さいけど今のところは順調だ。ただ問題は、そこで手に入れた物資を大森林に運び込めないってことだ。物流経路が今は途絶えてる」
「何故じゃ?」
「多くの荷を運ぶと目立つからな。口としては南と西だけど、南は戦争が始まって物騒。西は監視が厳しくなった。外で活動させている者たちをその目に晒したくない」
大森林の南側は東方連盟。戦時の、友好関係もない国の領土内で物資を運びたくない。西はパルス王国、イーストエンド侯爵領だ。イーストエンド侯爵家は明確にヒューガとその仲間たちをターゲットにして監視を行っている。張られている網の中に自ら突っ込むことはない。
「東は?」
「レンベルクには商業拠点を持ってない。レンベルク側も結局、東方連盟内で戦争が始まれば物流は閉ざされるだろうから、意味はないと思った」
「なるほどの。それで結局、何をすれば良いのじゃ? 具体的になったのはギゼンだけじゃ」
「だから他にやることがないかを聞きたいんだ」
分かっていることは自分たちで進めている。ヒューガが心配しているのは、それで漏れがないかだ。
「とりあえず、私の当面の仕事は分かりました」
「そうなのか?」
今の話だけでタムは自分の仕事が分かったと言う。さすがはバーバが推薦した人物だ、とヒューガは思ったのだが。
「王のスケジュール管理です。先ほどから聞いておりますと陛下は何でもご自身でやろうとしているように思えます。それでは体が持ちませんし、臣下も育ちません。任せるところは任せる。それをお教えするのが私の役目です」
「……反論出来ない」
タムの言う通り、ヒューガは全てのことに何らかの形で関わろうとしている。自分も含めて素人集団だという思いがあるので、心配なのだ。
「ふむ。そうじゃな。タムが仕事の様子を見て、人手が足りてなさそうな所に人を配置していけば良いじゃろ。戦いに関してはギゼンしかおらんが、それ以外であれば、一流とは言えないまでも、それなりに皆、仕事は出来るはずじゃ。それで良いな?」
「……任せる」
現状が良くないことはヒューガも分かっている。上手く行くかは分からないが、ここは任せることにした。タムの言う通り、任せなければ組織として成長しないのだ。
「では早速、これからのスケジュールを確認させてください」
「ああ。えっと、このあとが軍の鍛錬の視察」
「それはどのくらいの頻度で行われているものですか?」
「毎日に近いかな?」
「……続けてください」
これだけでタムの表情には苦いものが浮かんでいる。
「東の拠点に入って、狩の成果や備蓄状況を確認したあと、権兵衛さんとシェリルさんに畑の状況の確認。東の様子を見て回る。南の拠点に移って、療養所の様子を見て、それからサキと今後の相談」
軍の視察を終えたあとは全て拠点を見て回る。それぞれの拠点では、責任者と話すだけでなく他に何か問題が発生していないか様子を見て回っているのだ。
「……どうぞ」
「戻ってからグランさんと数字の取りまとめと問題点を話し合って」
「……はい」
「それが終わったら忍びの報告を聞いて、何か対応が必要であればそれを指示」
「それで終わりですか?」
「ああ、あとはルナたち、あっ、ルナって精霊な。その報告を聞いたり、自分の鍛錬をするくらいだ」
「明日は?」
「えっ、まだ話すの? 朝起きて自分の鍛錬。エアルとカルポとグランさんと打ち合わせ。ブロンテースの所に行って仕事の状況の確認。学校に顔を出すついでに、都の復興状況を確認。あとは今日とだいたい一緒」
つまり、ヒューガは毎日ほぼ全ての主要人物と話をしている。移動だけであれば、扉があるので拠点を回ることに時間は取られない。
「なるほど……今のが日課ですね? それ以外の仕事はどうされているのですか?」
「寝る前にやる」
「終わらなければ?」
「終わるまでやる」
「……さて、何が問題でしょう?」
呆れ顔のタム。勤勉であることは良いことだと思うが、さすがにこれはやり過ぎだと思っている。
「あれ? 問題あったか?」
「あると思いますね。まずは何故、王自らが動くのです?」
「口で聞いたほうが早いから」
「……何故です?」
これについては正しいとタムは思えない。直接、話を聞くことが本当に効率的であるなら、どこでもそういう形になっているはずだ。だがそうはなっていない。
「エルフって報告書とか苦手みたいなんだ。作るのに時間がかかる」
これはヒューガも最近になって知ったこと。口伝が基本のエルフ族は私的、公的に関わらず文章を作成する習慣がない。長老など極一部の人を除いて、全員が苦手なのだ。
「はあ……それだけですか?」
「あとは顔を見せたほうが喜ぶから」
「それは間違っていませんね。そうなると問題は、報告書とスケジュールの組み方ですね。それを直していきましょう」
「どういう風に?」
「まず報告書については、私たちの中から何人か選んで作成させるように致します。その作成した報告書を王にお届けしますので、それで確認してください」
「……それだと現場と距離が出来ないか?」
儀礼的なものを排除したのと同じ。臣下となった人々と距離が生まれてしまうのをヒューガは嫌がっている。自ら足を運ぶのには、この理由もあるのだ。
「現場に行くことは続けて下さい。ただし、報告書の内容に目を通してから行くようにスケジュールを組み直します。その場で聞いて、考えてでは問題が出る可能性もありますし、王の負担が大きすぎます。それに部門横断で対処すべき課題があった時に話し合う場がありません」
「一応、定例会議はある」
「小さな問題で、且つすぐに決められるような問題です。二部門だけで速やかに解決できる問題はすぐに解決したほうがよろしいでしょう? 先に報告内容を確認しておけば、その必要があるかないか分かります。必要な人たちに集まるように指示してから、王もその場に向かえば良いのです」
「……確かに。でもその調整も大変そうだ。直前で変わったりするだろ?」
「それが執事である私や他の者の役目です。お任せください」
大領主や王のスケジュール管理は大変な仕事だ。そうであるからほぼ専任でそれを行う人が必要になる。タムはその専門家なのだ。
「分かった。任せる」
「そうは言っても、実際に変えるのは数日様子を見てからに致します。案が出来ましたら王の裁可を頂き、皆様にお伝えする。そういった段取りでよろしいですか?」
「ああ、かまわない」
こういった慎重さはヒューガが好むものだ。おそらく、人族のやり方はエルフ族には馴染まないものが少なくない。無理にそれを押し通すようなやり方は軋轢を生じさせてしまう可能性がある。
「それを行っている間に他の者のやるべきことも見つかるでしょう。ではこれから早速」
「えっ?」
「と言いたいところですが、こちらに到着したばかり。他の者と色々話をしておこうと思います。陛下から伺った話も伝えておかなければなりませんので」
「……そうだな」
気が利く、というのはこういう人のことを言うのだろうとヒューガは思った。タムはこの短い時間でヒューガの信頼を得ることに成功したのだ。本当に信頼までは届かなくても、そこに至る一歩は踏みだせた。
「覚悟をしておくのじゃな。タムは主人を甘やかすような執事ではない。指導は厳しいぞ」
「望むところだ。ところで、バーバさんはやりたいことないのか?」
「儂か。たいして役には立つことはないな。預言の力がなければ、ただの世間知らずな貴族の令嬢じゃったからの」
「令嬢って……じゃあ、先生でもやる?」
「先生?」
「学校があるって言っただろ? 今は二人しか先生がいない。教えているのは人としての心得、今はエルフとしての心得か。あとは文字とか計算とか」
今の教育は道徳的な教えを大切にしている。もしこの先、エルフ族以外の子供が増えることになっても、その方針は変わらない。自然を、それを育む精霊を大事にすることなどの教えから、多種族への偏見を無くすことや融和の大切さなどに内容が変わるだけだ。
「……まあ、文字と計算くらいは出来るな」
「じゃあ、決まり。あとで長老の二人を紹介するから、その二人に具体的な話は聞いて……なんか年寄ばっかりだな。まあ、良いか。亀の甲より年の功って言うしな。先生としては丁度いいかも」
「なんじゃ、それは?」
その年の功を持つバーバも、異世界のことわざは知らない。
「年長者の知恵や技術は大切にしろって意味」
「……年寄扱いは納得いかんが、まあそうじゃな」
「あっ、たしかにバーバさんは若いか」
「なんじゃ、急に?」
「だって、エルフの長老たちは百年以上は生きてるんだから、それに比べれば若いだろ?」
「エルフと比較するな!」
「……若いって言ったのに」
アイントラハト王国に揃うべき人たちが揃った。そんな感覚をヒューガは感じている。運命という言葉は嫌いだが、夏と冬樹、それに貧民区で出会った人々との関係はそれを感じさせるものだ。
叶えられる自信などまったくなかった約束を果たすことが出来た。まったく想像していなかった、奇跡のような形で。
だがまだ守っていない約束が残っている。約束と言えるものかは微妙ではあるが。それでもいつかその日が来るかもしれない。夏や冬樹たちと今日の日を迎えたように。
まだまだだとヒューガは思う。まだ堂々と胸を張れるような国になっていない。この国はまだこれからなのだ。