月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

四季は大地を駆け巡る #81 期待

異世界ファンタジー小説 四季は大地を駆け巡る

 夏が生活費を節約する為に自炊することにして、随分と経つ。宿の主人が調理場を自由に使って良いと言って貰えたのは夏にとって大助かりだった。ギルドで聞いた通り、無愛想な主人であるが、他にも何かと便宜を図ってくる。良い宿を見つけることが出来たと夏は思っている。
 ただ、主人の親切はありがたいことだが、三十人分の宿代というのは馬鹿にならない。かなり相場より安いことも分かっているが、出来るだけ生活費を切り詰めたい夏たちにとって住宅費は一番の問題なのだ。

「……やはり、まだ足りません。住むとなれば家財道具も必要ですからね。それを考えるとまだまだです」
 
 ようやく恰好の貸家が見つかった。三十人で住むには狭い家だが、その辺は夏たちにとって問題にはならない。雑魚寝でもなんでも、とにかく雨漏りしない部屋で寝られればそれで幸せなのだ。
 だが、残念ながら今回は見送りだ。会計を担当しているタムがひとしきり計算して、そう結論を出した。

「そう。やっぱり、まだ稼ぎ足りないのね」

 夏も予想していた結果だ。収入のほうが当初予定通りにいっていないのだ。

「あいつらが邪魔なんだよ。俺たちの周りにまとわりつきやがって。あれがいなければもっと本気で稼げるのに」

 その原因に文句を言うジャン。イーストエンド侯爵家は彼等に見張りをつけていた。その見張りの目を警戒して、王都にいた時と同じように控えめに依頼をこなすことになっていたのだ。

「最近はいないことのほうが多いでしょ?」

 見張りの気配は感じなくなった。チャールズの考えで見張りをつけることを止めたのだが、その事情は夏たちには分からない。

「変な見張りはいないけどディアがいる。邪魔なことに変わりはない」

「……そんなこと言わないで。ディアちゃんはヒューガの大切な人なのよ?」

 困った表情を見せて、ジャンをたしなめる夏。

「でも仲間じゃないし」

 だがジャンはそれを受け入れない。クラウディアに対してこういうことを言うのはジャンだけではない。子供たちの多くが同じような考えを持っているのだ。

「仲間も同然でしょ?」

 夏としては、ヒューガの為にもクラウディアに対する不信感を払拭しておきたいところなのだが。

「じゃあ、何で一緒に住まないんだ?」

「それは……」

 事はそう簡単ではない。容易に人を信じてはいけない環境で育ってきたジャンたちだ。仲間と認める為には、そう思える何かが必要なのだ。
 その何かを得る機会を増やす為に、クラウディアには同居することを提案しているが、それは今のところ実現していない。

「ディアは貴族の人間だ。おいらたちとは違う」

「ジャン……」

 クラウディアは、そしてチャールズもなんとか子供たちと仲良くなろうとしている。だが、それはまったく上手く行っていない。たまにやって来て、話をして帰る。それは王都の貧民区を度々訪れていた美理愛やローズマリー王女と同じだ。ジャンたちにとっては余所者に過ぎない。
 夏も冬樹もこの状況には不安を感じている。ヒューガが一緒に行動するようになれば解決するのは分かっているのだが、それはいつになるか分からない。それまでにクラウディアと子供たちの間の溝が深く大きくなるような事態になれば、どうなるのか。その可能性は多いにある。仲良くなるどころか、自分たちの生活を邪魔する存在としてクラウディアは認識されてしまっているのだから。

「戻った」

 夏がクラウディアのことで悩んでいるところに、冬樹が戻ってきた。

「おっ、フー。どうだった?」

「ジャン、いい加減に兄つけてくれよ。フユキ兄、そう呼べないかね?」

「フーはフーだろ? それでどうだったんだよ?」

「……見張りは確かにいたな」

 外に出た冬樹は見張りの存在を確認した。ジャンにはあまりこの事実を伝えたくないのだが、嘘をつくわけにもいかない。他の子供たちも冬樹と同じように宿の外に出て、探っているのだ。

「何だよ、またかよ? やっぱりあいつ等は邪魔だ」

「ただ目的は俺たちじゃないかもな?」

 今回に関してはこれまでと事情が違う。冬樹はそう考えている。

「じゃあ、何だよ?」

「あれじゃないか? 午前中に来たドワーフ族」

 街にドワーフ族が現れた。しかもそのドワーフ族はこの宿屋にやってきたのだ。

「あいつらか」

「俺たちが外出しても、見張りに動きはなかった。それは……おっ、戻ったな」

「ただいま」「もう疲れた」「ゴハンは?」「メシ」「……腹減った」

 子供たちが次々と宿に戻ってきた。見張りの動きを確かめる為の陽動だったが、冬樹と同じように空振りに終わっている。

「ご飯は出来てるわよ。奥にあるから自分で持ってきて食べて」

「「「「はーい!」」」」

 こういう反応は普通の子供。実際に、特殊な環境で育っただけで、普通の子供なのだ。

「その前に。どうだった?」

「反応なし」「全然ね」「無視された」「無視」「……無反応」

「そう。冬樹の言った通りね? 目的はドワーフの人たちか……なんだろうね? 連れの人族は宿の親父と知り合いみたいだったけど」

 午前中に現れたドワーフの集団は、一階の奥の部屋に入ったきり出てこない。夏としては少し残念だ。この世界に来て、人族以外と会うのは初めてのこと。折角の機会なので交流してみたいのだ。

「さあな。とにかく俺たちに関係ないってことは分かった」

「でも宿を見張られてるのは気分の良いものじゃないわね?」

「今更だろ? これまでもずっと見張られてた」

「まあ、そうだけど」

 見張りについては、クラウディアに話してみるべきかと夏は思った。ただ、どう説明するかは悩ましいところだ。さらに子供たちに嫌われるから、とは言いにくい。

「それで? タムさん、どう? 金は足りそうか?」

「駄目ですね。見つけた貸家もいつまでも空いていないでしょう。そうなるとまた探すところからです」

「そうか……どうする? もう一段ランク上げに行くか?」

「鍛錬は平気? 長期の依頼が増えるわよ?」

「それなんだよな」

 生活費を切り詰めようとしているのは、もっと強い武具を手に入れたいから。冬樹たちの一番の目的はあくまでも強くなることだ。ドュンケルハイト大森林に向かえるくらいに。
 結局、王都にいた時と状況は何も変わっていない。ランクを上げれば依頼に拘束される期間が長くなる。それではギゼンに教わる時間が短くなってしまう。

「さて、困ったわね。どっちを優先するべきか」

「武器は先送りだな。今はまだこの辺の魔獣と戦っても納得する出来になってない。今の武器のままでも余裕で倒せるようにならないと、大森林は厳しいんじゃないかな?」

「……それもそうよね? じゃあ、これまで通り、地道にいきますか」

 武具の購入は見送り。今は鍛錬の時間を得ることを優先することに決めた。正解だ。少し良い武器を手に入れたくらいで大森林を自由に移動出来るのであれば、多くの人族が侵入を果たしているはずだ。

「ひとつ良い出物があるぞ」

「親父さん?」

 宿の主人が自分から話しかけてくるなんて珍しい。珍しいというより、夏の記憶では初めてだ。

「貸家が欲しいのだろ?」

「ええ。でも良いの? 私たちが貸家を借りるってことは、ここを出て行くってことよ?」

「問題ない」

「そう。それでその出物ってのは、どういう物件なの?」

 宿の主人が気にしないのであれば、遠慮する必要はまったくない。物件がどういうものか夏は尋ねた。
 
「まず保証金は不要」

「うそ?」

「賃料も不要」

「えっ?」

 ただで借りられる家を借家と呼ぶのだろうか。夏たちの物になるわけではないので、借家は借家だろうが。

「条件はひとつだけ。まれに訪れる者を泊めれば良い。なんの詮索もなしにな」

「……完全な訳ありね」

 まず間違いなく、かなりの訳あり物件。しかもその訳は、幽霊が出るとかの類いではない。

「まあな」

「貸主は何者なの?」

「儂の主だ」

「親父さんのご主人? 親父さんって雇われてたんだ?」

 宿のオーナーだと思っていた主人は、実は雇われ者だった。

「まあな。どうじゃ? 条件としては悪くないだろ?」

「条件はね。その好条件の理由は教えてもらえるのかしら?」

 そんな美味しい話がこの世の中にあるはずがない。何の詮索もしないで人を泊めろという条件から、夏は犯罪の匂いを感じている。

「必要か?」

「うまい話には罠がある。疑うのは当然でしょ?」

「それはそうか。ただ訳と言われてもな……主の好意じゃ」

「好意を向けられる理由が分からないわね」

「ふむ……名は出せん、その理由は分かるな?」

「まあね」

 宿の主人は外に視線を向けながらそれを告げた。外にいる者には聞かせたくない。視線はそういう意味だと夏は理解した。つまり、見張りの存在に主人も気が付いていたということだ。

「主からの伝言じゃ。これは嬢ちゃんというより、子供たちにじゃな」

「子供たち?」

「気が向いたら何時でも来い。こちらの準備は出来ている……兄より」

「「「「…………」」」」

 思い思いに食事をとっていた子供たちの動きが止まった。
 宿の主人が口にした言葉の意味。それを考えている。深く考える必要などない。彼等全員の兄は一人、ヒューガしかいないのだ。

「……ひとつ聞いて良いかしら? それを望めば子供たちは行けるの?」

 夏は主が誰かだけでなく、もう一つの言葉の意味も考えていた。

「どこかは知っているのだな?」

「ええ。そしてそこがとても危険な場所であることも知っているわ」

「……行ける。主が認めればな。主にはその力がある」

「そう……」

 準備が出来ていると伝えてきたからには、大森林で暮らせるだけの安全を確保しているのは間違いない。だがそれはどの程度のものなのか。子供たちも含めて、全員が大森林に向かっても大丈夫なものなのか夏には分からない。

「ふむ……あまり話すのは望ましくないのじゃがな。ひとつだけ言っておこう。嬢ちゃんが思っている以上に、主は力を持っている。主を主と呼ぶ者はここにいる全員の手足の指を足しても足らん」

「そう」

 これを言われても夏にはピンと来ない。食堂にいるのは十八人。その二十倍以上の人がヒューガに従っている。という説明が中途半端なのだ。

「さて貸家の契約はどうする?」

「ちょっと待って。それだと私たちが……」

(そこまででお願いします)

 突然、夏の頭の中に言葉が響いた。口調は異なっているが、宿の主人のものであることは分かる。

(不躾な真似をして申し訳ござらん。これ以上は口に出すことが憚られる故、この手段を取ることをご容赦ください。陰話は?)

 陰話は魔法による伝達。近距離でしか届かないが、間者として活動している人たちにとっては便利なものだ。そんな訓練をしていない夏には当然出来ない。

(では一方的に話させて頂きます。我等はここを放棄いたします。少々イーストエンドで目立ち過ぎました。ほとぼりが冷めるまでは、ここに立ち入ることはございません)

 ドワーフ族を迎え入れたことで、この宿とヒューガの関係はイーストエンド侯爵家に疑われる。まして夏たちが宿泊しているとなれば、それが偶然であったとしても、疑いでは終わらないはずだ。

(大森林に皆様がいらっしゃるかどうかは、あくまでも皆様の意思に任せます。それが主の意向です)

 夏の表情に苦笑いが浮かぶ。自分たちの意思を優先させようとする、相変わらずのヒューガの考え方に呆れているのだ。

(ただ私が考えまするに、そこにいるタム殿、あと数人、お仲間には内政に近い仕事が出来る方がいらっしゃいます。その方たちは早めに主の下に行って頂きたいと思います)

 内政が出来る人をヒューガは求めている。それを聞いた夏は、自分が漠然と考えていたよりも遙かにヒューガは力を持っているのだと知った。

(その辺の決定は我らがここを離れ、見張りの姿が消えた段階でお願いします。一応、言っておきます。いらっしゃる場合はそれなりのご覚悟を。主と呼んでおりましたが、ヒューガ様は正確には王でございます)

「えっ……?」

 思わず漏れる声。力を持ったどころではない。ヒューガは王になっていた。

(小さな国ですが、それでも従う民は三千ほどおります。皆さん、特にナツ様とフーユーキー様はその国で王の腹心として扱われるでしょう。そのおつもりで)

「「…………」」

 三千人の民を従える王。そして自分たちはその王の腹心。想像を超える事態に夏は、冬樹も呆然としている。

(我等は今夜には消えます。ドワーフの方たちを連れて大森林に赴くことになります。皆様へのお迎えは、そうですね。一の月が経った後であればいつでも。合図は宿の外の看板をご存知ですね? それを反対に付けてください。それを確認しましたら、こちらから接触します。よろしいですか?)

 返事は当然、諾。夏は頷くことで答えた。

「気持ちは決まったか? では契約書を用意する。ちょっと待っていろ」

「ええ……ええ、分かったわ」

 奥に引っ込んでいく宿の主人、仮初めの姿であることは分かったが、彼がヒューガの国でどういう立場かの説明は受けなかった。今の外見よりもかなり若いはずだ。頭の中に響いた声はそんな感じだった。とっくに閉まった奥の扉を見つめながら、夏はこんなことを考えている。
 皆の視線が集まっているのは分かっている。だが今はまだ何も話せない。今すぐ話したいのに。外の見張りが鬱陶しい。クラウディアに気を使って、夏はそう思わないようにしていたが、今はその気持ちが抑えられない。
 とりあえず決められた合図で、皆に「何も話すな」と指示を出す。子供たちはいつまで我慢出来るのか。夏は不安だった。自分もまた、高揚している気持ちを抑えられないのだから。

 

◆◆◆

 イーストエンド侯爵領内に入ったドワーフの集団は、真っ直ぐに中心都市であるこの街に入ってきた。入ってきたが、イーストエンド侯爵家の人が事情を尋ねる間もなく、その翌日には姿を消した。
 実際は、正確な日は分かっていない。一向に外に出て来ないドワーフ族に、しびれを切らして宿を訪れたのが翌々日。その時には既に、宿にドワーフ族の姿はなかった。
 これによってイーストエンド侯爵家は確信した。ドワーフ族の出現もヒューガが関係しているということだ。
 一体どのような手段を使って消えたのか。街にある宿からいきなり姿を消してしまったのだ。宿そのものが怪しいことは分かっている。だが、そこを捜索することにイーストエンド侯爵家、正確にはチャールズは躊躇いを覚えている。夏や冬樹以外の人たちを刺激してしまうことが分かっているのだ。

「大森林側は?」

「そこにも現れていません。張っているのがばれましたね?」

「優秀な者を使っているな。正直羨ましい」

 今回も完全に裏をかかれた。イーストエンド侯爵家の手の者を上回る部下がヒューガにいるということだ。

「それを言っては我が家の者たちが可哀そうです。彼等も力ある組織です」

「……そうだな。相手が更に上を行っているだけだ。まあ、良い。元から想定していた事態だ」

「はい」

 ドワーフ族がヒューガ絡みである可能性は考えていた。そうであれば、このように行方を眩ませてしまうだろうことも。想定内の事が起こっただけだ。

「彼らのほうは? 何か進捗はあったのか?」

「どうにも上手く行きません。ナツ殿も気にしてくれているようで、提案を受けていたようです」

「提案?」

「はい。彼らが住む宿で一緒に住んではどうかという提案です」

「ふむ……それで上手く行くのか?」

 それだけのことで物事が上手く回るのか。提案内容を聞いただけではイーストエンド侯爵には分からなかった。

「正直分かりません。ですが、貴族であるから、という垣根は払われるかもしれないと言われました」

「貴族。それが壁になっているのか?」

「それは大きいかもしれません。彼等は元貧民区の者たちです。もしかしたら貴族に良い印象を持っていないのではないかと」

 最下級の暮らしを強いられていたとなれば、国や貴族に不満を持っていてもおかしくない。貧民区ほどでなくても、不作などで厳しい暮らしが続けば、民の不満は上に向くものだ。

「だが、その彼等も元は貴族に仕える身であろう?」

 バーバ、バーバラ・フィン・スチュアートは元貴族。彼女に同行してきた人たちはかつてスチュアート家に仕えていた使用人たち、とその血を引く人たちだ。というのがイーストエンド侯爵の認識だ。

「子供たちには関係ありません。彼等は貧民区で生まれた子供たちですから」

「そうだな……良いのではないか? それでクラウと彼らの距離が縮まるのであれば」

「それが」

 イーストエンド侯爵が同居に賛成したというのに、チャールズの反応は煮え切らない。

「なんだ? 何か問題があるのか?」

「ナツ殿が少し待てと」

 状況は変わってしまった。ヒューガの下に向かえることが分かった今、その時に向けて色々と仲間内で相談することがある。その状況で宿屋に、クラウディアというよりはイーストエンド侯爵家の人間が頻繁に出入りするような事態は避けたいのだ。

「……言い出したのは、そのナツという娘なのだろ?」

「はい。そのナツ殿が待てと言うのです」

「……何か変わった様子は?」

 待てというからには理由があるはず。それが何かは今の時点では分からないが、何らかの変化があったことは間違いない。ではその変化をもたらしたものは何なのか。

「普通に接する限りは何も。ただ少し変な気もします」

「変とは?」

「ただの気のせいかもしれませんが、子供たちがそわそわしているように感じます」

 子供たちは、さすがにイーストエンド侯爵家のチャールズの前で口にすることはないが、気持ちを抑えることまでは出来ていなかった。

「……分からんな。クラウは何か言っているか?」

「いえ、何も。それで良いと思います。クラウは変な探りを入れたりしないで、普通に彼らと接していれば良いのです」

「そうか……子供というのは難しいものだな? こう思うということは、お前は素直な子だったということか。まあ、そうだったな」

「……それは喜ぶべきことですか?」

 自分が扱い易い子供であったことはチャールズも分かっている。それを言われても褒め言葉とは思えない。特に貧民区から来た子供たちを知った今はそうだ。
 子供とは思えない彼等の強かさ。良い面ばかりでないのは分かっているが、それは自分にない強さだとチャールズは感じてしまう。施政者として、ああいう強さが自分には必要なのではないかと思ってしまうのだ。

 

◆◆◆

 同居についてはなかったことになったとはいえ、それでクラウディアの足が遠のくわけではない。時間を見つけて、頻繁に宿屋に足を運んでいた。
 それを向かえる側の夏はかなり気まずい。クラウディアにヒューガから伝言があったことを伝えていないのだ。
 クラウディアについてヒューガがどう考えているか分からないことが話していない理由。そしてクラウディアの考えも分からない。あえてクラウディアの気持ちを確かめようとしない夏。結局のところ、夏もクラウディアとの間に、細くはあるが線を引いているのだ。
 それはそれとして、クラウディアと子供たちの仲を良くすることについては、何も変わりはない。そのきっかけになればと、彼女に魔法の鍛錬を任せてみた夏であったが。

「うん。すごく良くなったね?」

「当然ね」

 クラウディアに褒められても、まったく嬉しそうな表情を見せないエイプリル。特に意識してのことではない。エイプリルは誰に対してもこんな感じだ。これは問題ない。これは。

「皆、張り切っているね?」

「だって、ねえ」

「ねえ」

「ん」

 思わせぶりな視線を送るエイプリル。それにジュンとメイも応えた。

「……あれ? 何か隠しごとしているの?」

「別に。隠しごとなんてしてない。ねえ」

「ねえ」

「ん」

 また同じことの繰り返し。隠し事をしているのがバレバレだ。

「しているでしょ?」

「してないもん。ねえ」

「ねえ」

「……ん」

 メイの反応が一拍遅れた。嘘をつくのが苦手なのだ。

「……メイちゃん。何を隠しているのかな?」

「……隠してない」

「そうなの?」

「……そう」

 苦しそうなメイ。無理して嘘をついているのは親しい間柄でなくても分かる。

「本当に?」

 それを追及するクラウディア。隠し事を聞き出す相手にメイを選んだことは正しい。あくまでも隠し事を追及するという点においては。

「何よ? メイを疑ってるの?」

 案の定、ジュンが反発してきた。メイを庇っているつもりだ。

「そんなことないよ」

「でも責めてるじゃない」

「責めてなんていないよ。そんな風に思ったのならごめんね」

 ここはクラウディアが大人になって、彼女に比べれば実際に大人だが、謝罪を口にした。

「責めてないなら謝らなくて良いわ。それよりも鍛錬の続き」

「そうだね。じゃあ、次はもっと制御を厳しくね。小さくまとめて、的を確実に射抜くこと」

「よし、いくわよ……えい!」

「……うん。やっぱり上手だね。これだと教えることがなさそうだな」

 実際に彼女たち三人の能力は高い。才能がある、というだけでなくなんの先入観がないうちに魔法を学んだことも大きい。この点はクラウディアも同じだ。彼女も幼いうちに魔族から魔法を学んでいる。

「教えることがないなら、ナツ姉に教わる」

「えー、そんなこと言わないでよ?」

「だって、もっと上手くなりたいもの……ねえ」

「うん」

「メイも」

 もともと魔法の鍛錬に熱心であった彼女たちだが、ヒューガの下に行けると知った今は、さらに貪欲になっている。ヒューガの力になりたい、というよりも驚かせたい、褒めてもらいたいという気持ちからだ。

「ちょっとサボり過ぎたかな?」

「鍛錬してなかったの?」

「そうだね。ちょっと領内のお仕事が忙しくて」

 スタートは似ていたクラウディアと子供たちだが、努力という点では差が付いている。あくまでも、ここ最近はという話であるのだが、魔法を知ってからこれまでずっと努力を続けてきた子供たちにとっては大きな問題だ。

「それって貴族の仕事よね?」

「……そうだね」

「貴族のお仕事って大変なの?」

「うん。領地では色々な事が起こるから。そうじゃなくても普段からやることが沢山あるしね」

 実際に大変だ。クラウディアに正式な役はないのだが、領主修行中のチャールズを補佐する立場で働いていることで、触れる仕事の量は相当なものになっているのだ。

「そう、大変ね。ディアはその仕事が好きなの?」

「どうだろう? 嫌いではないけど、お世話になっているから、お手伝いをしないといけないって気持ちが強いかな?」

「それはヒューガ兄より大切なの?」

「えっ……?」

 まったく想定していなかった問い。クラウディアはすぐに答えを返すことが出来なかった。

「ちょっと、ジュン。何を言ってるの?」

 その反応を見て、夏が慌ててフォローに入る。

「だって、ジュンたちはヒューガ兄の為に強くなろうとしているのに、この人はそうじゃないわ」

「それは、ディアちゃんにはディアちゃんの事情があるからよ。それを知らないで文句を言うなんて、駄目でしょ?」

 その事情は何と聞かれると困ってしまうのだが、こんな言い訳しか夏は思い付かなかった。

「文句は言ってないわ。疑問に思っただけ。ヒューガ兄の為に強くなることより大事な仕事って、何かなって」

 幸いにもジュンは事情を追及してこなかった。だが納得したわけではない。

「強くなることだけがヒューガの為になるわけじゃないでしょ? ジュンは、タムさんたちは役に立たないって言うつもりなの?」

「そんなこと言ってない。でも、この人はヒューガ兄の為に何をしているの?」

「それは……」

 とうとう夏も答えに詰まってしまった。クラウディアの日常を夏は詳しく知らない。その日常の中で、ヒューガの為に何をしているかなんてことも、まったく知らない。
 ただ子供たちがクラウディアを認めようとしない理由は、少なくともその一つは、分かった。子供たちは、子供たちだけでなく夏も冬樹もヒューガの為に頑張っている。ヒューガの為に頑張ることが、仲間である証の一つなのだ。

「……ディアちゃんはヒューガにとって大切な人よ」

 夏が言えるのはこれだけだ。ヒューガの気持ちを利用するしかない。

「それは知ってるわ。でもジュンは、この人よりずっとヒューガ兄を大切に思ってるわ。エイプリルもメイも、男の子たちだって……」

 だがそれもジュンには通用しない。ヒューガがどうではなく、クラウディアがどうかを問題にしているのだ。

「ジュン。そんなこと言っちゃ駄目よ。ディアちゃんもヒューガのことは大切に想ってるの。それは一緒にいた私が良く知ってるから」

「そうなの?」

「そうよ」

「……だったら良いけど」

 ジュンは納得したわけではない。どうでも良いという気持ちから出た言葉だ。言葉で何を言っても無駄なのだ。行動で示さなければ。
 クラウディアの表情が暗い。二人の会話を聞いて、かなりショックを受けていた。

「えっと、ディアちゃん……」

「……はあ、そうだよね? 私はヒューガの為に何もしてあげていないね」

 大きく息を吐いて、自分が努力してこなかったことを認めるクラウディア。実際にその自覚はある。努力の有無は別にして、別れた時から自分が何も変わっていないことについてはクラウディアも悩んでいたのだ。

「そんなことないから。そもそもヒューガとディアちゃんの間でそんなの必要ないでしょ? 一緒にいてくれるだけで……」

「一緒にもいない。私はヒューガの下を去ったの」

「でも……それはヒューガの為でしょ?」

 別れたくて別れたわけではない。自分が側にいてはヒューガの可能性を潰してしまう。そう考えて、離れたのだ。

「そうだけど……私はヒューガに相応しい相手になる為に何もしてこなかった。別れた時から何も変わっていない」

「良いのよ、それで。ヒューガはディアちゃんが変わらないことを望んでるわ」

「そうなのかな? 私はヒューガに変わることを望んだ。でも自分は変わらないまま。それって、我が儘じゃないかな?」

 自分が思っていたことを口にするクラウディア。これまでヒューガについての悩みを相談する相手はいなかった。今も相談とは言えないが、胸に溜まっていた思いを吐き出しているのだ。

「そんなことないから……ちょっと、ジュン。貴女が変なことを言うからディアちゃんが落ち込んじゃったじゃない」

「……ごめんなさい」

 少し間が空いたがジュンは謝罪を口にした。それだけクラウディアの落ち込み様が酷いということだ。

「良いのよ、謝らなくて。ジュンちゃんの言った通り。私はヒューガの為になることを何もしていないわ。ジュンちゃんたちのほうが、よっぽど頑張ってるよね?」

「ディアちゃん。あのさ、あまり気にしないでね? ジュンって、ヒューガのこと大好きだからディアちゃんに嫉妬してるのよ」

「嫉妬なんてしてないもん!」

「良いから黙っててくれる?」

「ふん」

 ふくれっ面で横を向くジュン。分かりやすい表現だが、自らアピールする必要がある程度しか怒っていない証でもある。

「ちょっと反省。ごめんね。今日はこれで帰るね」

「ディアちゃん?」

「大丈夫。ちゃんと考えてみる。自分が何をしなければならないか……じゃあ」

 がっくりと肩を落として帰っていくクラウディア。それに同情する夏だが、これはこれで良かったのかもしれないとも思っている。今まで中途半端だったのだ。ジュンがはっきりと口にしたおかげで、クラウディアにも子供たちの想いは通じたはず。それで何かを改めてもらえたら、子供たちとの関係は良い方向に進むかもしれない。
 ただクラウディアは何を改めるべきかが夏には分からない。彼女には、何も出来ていない自覚はある。それがあって何故、これまで変わらなかったのか。
 これ以上、考えることを夏は止めにした。答えの出ない問いを繰り返して、クラウディアに対する不信が生まれるのを無意識に恐れたのだ。

「ジュン!」

 とりあえず意識をジュンに向けて、思考を転換させる夏。

「悪いことしてないもん」

「人を傷つけるのは悪いことでしょ?」

「だって……ジュンのほうがヒューガ兄の為に頑張ってるわ。今のジュンを見たら、ヒューガ兄はきっとジュンのほうが良いって言ってくれるわ」

「そんなことないから。ヒューガが大切なのはディアちゃんなの」

「そんなことあるもん! ナツ姉も嫌い!」

「もう……」

 恋愛感情と言えるかどうかは別にして、ジュンはヒューガが大好きだ。ジュンだけではない。エイプリルも、言葉にはしないがメイも同じだ。
 そんな彼女たちに、クラウディアはヒューガの隣に立つに相応しい相手と認められなければならない。面倒くさい小姑に認められる為に努力するお嫁さん状態だ。クラウディアの苦労を思って、夏は胸が痛くなる。
 とりあえず心の中で「頑張って」と呟いてみた。何の解決にもならないのは分かっているが、それくらいしか出来ない自分を夏は知っているのだ。