月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

四季は大地を駆け巡る #80 建国の苦労

異世界ファンタジー小説 四季は大地を駆け巡る

 グランはドュンケルハイト大森林に入ってすぐにエルフの集団に捕まった。ゆっくりと大森林の景色を眺める時間もない。あっという間の拘束だった。
 ただそれはグランにとって悪いことではない。少なくとも、魔獣に襲われて死ぬという結末は免れた。あくまでも現時点ではという話で、この先どうなるかは分からないが。
 グランはパルス王国の人間。エルフたちにとってパルスの者が恨みの対象であろうことは分かっている。処刑する為に捕えたのだとも考えられる。そうだとしてもグランにはどうしようもない。審判の時をただ待っているしかないのだ。
 その審判の日が訪れた。監禁されていた部屋から、わざわざ目隠しをして連れ出されたことで、グランはそう考えた。
 両脇を抱えられて廊下を歩くグラン。どこを歩いているかなどまったく分からなかった。ただ連れてこられた場所が、執務室の類いであることは、聞こえてきた会話で分かった。

「あれ、もう来ちゃったのか?」

「すみません。早過ぎましたか?」

「……ああ、こっちが遅れているだけだな。ちょっとそこの椅子で待ってもらってくれ」

「はっ」

 聞こえてきた会話の口調からは敵意は感じられない。だからといってグランは安心しない。彼の身分は、元とはいえパルス王国の筆頭宮廷魔法士。裁判の席であっても、身分ある被告には、それなりの敬意が示されるのは普通のことだと知っている。それと罰の軽重は関係ないことも。

「書いてある内容は分かった。それで長はどう思う? 長から見て、書いてある内容に問題はないか?」

「そうですな……概ねは」

「概ねなんて言うってことは事実とは異なる点があるのだろ? 今回のこれは、それぞれの処遇を決める大事な決定だ。ちゃんと説明してくれ」

 どうやら自分以外にも裁定を下される者がいる。会話を聞いてグランはそう思った……勘違いだ。

「失礼しました。そうですな……まずはこの者ですな。本人の申告は狩猟が得意となっていますが、私が見る限り、それほどでもありません」

「そうなのか? 希望の仕事もそっち関係になってるな……長から見て適職は?」

「農作業でしょうな」

「やっぱり……こういう人、多いな」

「エルフにとっては狩猟に長けているというのは自慢ですからな。一方で農作業はあまり自慢出来るものではありません」

 ここまでの話を聞くと、グランも自分の勘違いに気付く。ただそうなると何の話をしているのかが気になった。

「……その意識を変える必要があるわけか。それはまた大きな課題だな?」

「そうですな」

「あとは?」

「この者は逆ですな。狩猟が得意なはずです」

「それなのに農作業を希望?」

「争いを好まない穏やかな性格の者です」

「そういうことか……じゃあ、仕方がない。性格も適正のひとつだ。他には?」

「以上です」

 話が終わろうとしている。仕事の割り振りを決めようとしていることはグランにも分かった。

「じゃあ、えっと……明後日の午後まで空いてないのか。空いていないのだから仕方ないな。明後日の午後に全員と面談するから、ここに集まるように言っておいて」

「全員とですか?」

「そう。希望に沿わない仕事に就いてもらう人もいるからな。ちゃんと納得してもらわないと」

「分かりました」

 会話の一方は長と呼ばれていた。だが明らかに長のほうが立場は下だ。なんらの組織、恐らくはエルフ族の集団の長に命令する立場の人物は何者なのか。
 ひとつの可能性を考えて、グランは緊張してきた。エルフの王に直接会うことになるかもしれないのだ。

「ああ、もう。目隠しを取っていいぞ」

「はっ」

 指示に従って、グランの後ろにいたエルフが目隠しを外す。真っ先に彼の目に入ったのは奥の執務机に座って、書類に目を通している男。銀色の髪ということはダークエルフ……とグランは考えたのだが、言うまでもなくこれも勘違いだ。

「ちょっと待っていてくれ。これに目を通してから」

 執務机の男は、書類を見るのに下を向いたまま、声を掛けてきた。内容から自分に向けての言葉だろうとグランは判断して、返事をする。

「……はい」

「あっ、先に名前を聞いておこう」

「儂はギランと申します」

「ギランさんね。悪いな、ちょっと忙しくて。失礼かと思うけど、このまま話を続けさせてくれ。首輪はしてるんだよな?」

「はい。儂は長年、魔族に囚われていました。これは魔族につけられた首輪です」

 最初の問いは首輪について。それに対してグランは、用意していた答えを返した。

「魔族?」

 だが相手が悪い。質問を行った相手、ヒューガは魔族がそんな真似をするはずがないと考えているのだ。
 相手は嘘をついたと考えて、顔を上げたヒューガ。それでようやく相手が何者か気付いた。

「あれ? グランさんじゃないか?」

「……まさか?」

 相手が自分の知る人物だと分かったのはグランも同じ。

「久しぶりだな……こんな所で何を?」

「小僧こそ何をして……なっ!?」

 グランの首筋にピタリと当てられた剣。その刃の感触に、グランは言葉を続けられなくなった。

「ああ、良いよ。その人は知り合いだ」

「お仲間ですか?」

「仲間ではないな」

「では王に対する無礼を許すわけにはまいりません」

 ヒューガがこういったことに寛容であることを、側で仕えている人たちは知っている。その分、自分たちが厳しく律しなければ考えている人が多く、このエルフもその一人だ。
 勝手に自分の職は王城守護、近衛騎士のようなものだと考えているから尚更だ。

「ち、ちょっと待て。小僧が王じゃと?」

「控えろ!」

 怒声と同時に、グランの首に腕を回して引き寄せ、剣先を顔に近づけたエルフ。

「ひっ!」

 すぐ目の前に迫った剣先を見て、グランが声をあげた。

「とりあえず剣は収めろ。それじゃあ、話が出来ない」

「……王の命であれば」

 はっきりと剣を収めろと命じられれば従わないわけにはいかない。元々、本気でグランを殺めようとしていたわけではない。脅しが効けばそれで目的は果たしているのだ。

「それと、この人を捕えた時の様子が分かる人を連れてきてくれ」

「私です。エアル様から王がお聞きになることもあるだろうと言われておりましたので」

「そうか。気が利くな。じゃあ、話を聞こうか。パルス筆頭宮廷魔法士がこんな所で何をしている?」

「パルス王国!?」

 グランがパルス王国の人間だと知って、声をあげたエルフ。エルフ族のパルス王国への感情が、これで分かる。元々、グランやヒューガにも分かっていたことだが、それがはっきりと示された。

「……いちいち反応しないでくれるか? 話が進まない」

「失礼しました」

「さて、グランさん。説明してもらえるかな?」

「……流罪になった」

 相手がヒューガでは用意していた想定問答は使えない。グランは正直に話すことになった。

「流罪? 何の罪で?」

「貴族の不正を摘発した。その行為そのものが不正とされたのじゃ」

「……策がばれた?」

「まあ、そうじゃな。不正の証拠を勇者に渡すということについては、確かに工作はした」

 これについてはグランも認めるところだ。これ以外は認めるものがない。

「それだけで流罪? ちょっと重すぎるだろ?」

「その証拠も儂がでっち上げたことにされたのじゃ。罪もない貴族を不正に陥れた。それが儂の罪じゃ」

「なるほどね。逆に策に嵌められたのか」

「そうじゃな……」

 何気ない言葉だが、これが一番グランを傷つける。策謀に自信を持っていた分、逆に自分が嵌められたという事実はグランのプライドを刺激するのだ。

「その証拠は? グランさんが策にはめられたと言う証拠」

「それがあれば儂はここにはおらん」

「それはそうか。でもそれじゃあ、グランさんが策略の為に、ここに送り込まれたという可能性を否定できない」

「……そうじゃな」

 グランは正直に事実を話しているが、ヒューガはそれをそのまま受け取らなかった。それについては、自分の知るヒューガであればそうだろうと思うグランだが、間者と疑われることについては想定外。ヒューガに会って、少し安堵していた気持ちが、一気に強ばった。

「この人を捕えた時の様子を教えてくれ」

「はっ。この者は西の洞窟を通って大森林に入ってきました。流刑者を送り込むときに使う洞窟です」

「ああ、知ってる」

「一人で入ってきたのは間違いありません。大森林の外縁に到着した所で、この者はそこに座り込んでじっとしておりました」

「じっと……理由は?」

 ヒューガの視線がグランに向く。

「魔獣に殺されるのを待っておった。ジタバタしてもどうにもならんからな。魔獣が現れるまで何もせず、ノンビリと最後の時を過ごそうと考えたのだ」

「……魔法は?」

「この首輪がある。これは魔封じの首輪といって、付けられた者の魔法を封じる力がある」

「確かめていいか?」

「はっ?」

 グランの了承を待たずに、ヒューガは席を立って近づき、首輪を探り始めた。探るといっても首輪に手を当てているだけ。グランには何をしているのか分からない。

「……隷属の首輪じゃないな。魔力の動きからいって魔法を封じられているのは本当か……」

「分かるのか?」

「まあ。話の辻褄はあってる。でもこれだけじゃな。完全に信用するわけにはいかないか」

「…………」

 疑いを解く術をグランは持っていない。ヒューガの言葉を受けて、不安が強まった。

「一応、希望を聞いておこう。死にたいのであれば外に出してやる。それとも生きて刑期を終えたいか? 流刑ってことは、一応は年数とか決まってるんだろ?」

「三年じゃ」

「……本当にあるんだ? 大森林に年単位の刑期を設定しても意味ないだろうに……まあ良い。どうする?」

「どうでも良い」

 どうすると聞かれても答えなどない。ドュンケルハイト大森林で生きる力などグランは持っていないのだ。

「投げやりだな」

「どうせ、死ぬのだ。投げやりにもなる」

「……じゃあ、生き残れる選択肢を与えようか?」

「なんだと?」

「ここで働く。グランさんはパルスの国政に携わりたかったんだろ? そうであれば自信はあるんだよな? 国の内政の仕事」

「それは……まあ……」

 正面から自信があるだろ、と聞かれると少し戸惑う気持ちも湧いてくる。だが国政で手腕を発揮したかったのは事実だ。

「よし。じゃあ、手伝ってもらおう。期限は三年間。刑期を終えたら好きにすればいい。あと首輪はそのままな。まだ信用したわけじゃないから」

「ち、ちょっと待て。お主は何を言っておるのじゃ?」

「さっき聞いただろ? 俺はこの国の王。人手不足なんだよな。国の内政なんて出来る人いないから」

 猫の手も借りたい。そんな状況であったところに、猫よりも遙かにマシと思われる手があったのだ。使わないという選択肢はない。

「それを儂に手伝えと? 儂はパルスの人間じゃ」

「でもそのパルスに捨てられた。流刑なんて言っても捨てられたと一緒だろ? 大森林ってのは、そういう場所だ」

「……はっきりと言うな」

 故国に捨てられた。これもまた、プライドとは別のものだが、傷つく事実だ。

「でも、そういうことだ。期間限定の雇用契約だから権限は限定させてもらう。三年の間、何もしないでいるよりはマシだろ?」

「……本気なのか?」

「本気。よし、決まり。仕事の報酬は三年間の命の保証。ただし、勝手に本人が無茶をして命を危険に晒した場合はこの限りではない。あと休日は週一日。あと何か条件あるか?」

 雇用条件を説明しているつもりのヒューガ。いきなりそんな説明をされても、グランには何を話しているのかすぐには理解出来ないが、仕事をさせようというのが本気であることだけは分かった。

「……その命の保証とはどういう意味じゃ」

「結界の中にいる限りは魔獣に襲われることはない。まあ、この城にずっといれば良いだけか。あとは食料の提供。そんなものだな。生きていくのに困らない程度の生活は保障するって話だ」

「城?」

「ここ。パルスと同じに考えるなよ。それよりはずっと小さい。でもまあ城だ」

「ふむ……しかし、お主が王とは」

 今更ながら、ヒューガが王になっているという事実に驚いているグラン。パルス王国とは比べものにならないような小国であることは分かっている。それでも王、しかもエルフが仕える王なのだ。

「そういうことになった。つまり、仮初とはいえ、グランさんは俺に仕えることになるな」

「……王たる者がそう簡単に人を信じて良いのか?」

「簡単に? そうだったか?」

「儂を雇うというのはそういうことじゃろ?」

「それは間違い。信用はしてない。でもグランさんは何も出来ない。俺を害することも出来ないし、ここから自由に出ることも出来ない。何も出来ない相手に、信用するしないは関係ない。そんなことを気にするよりも、今は人手の確保が大事だってだけだ」

 簡単に人を信用するヒューガではない。ましてグランは、ある程度知っていることで尚更、信用ならない相手だ。だがそれは問題にならない。この場所でグランがヒューガに害を及ぼすことなど出来ないのだ。

「何も出来ない?」

「これ、脅しじゃないから。何の制約もなく自由に活動できるのは俺の勢力範囲外。それは大森林そのものだ。魔獣の襲撃から生き残れるのなら、自由を得られるけどな」

 ルナたちが張った結界はもともとヒューガを守る為のものであり、他の人たちはヒューガが守ろうと考えるから守られるのだ。結界内でヒューガに害を及ぼそうとすればすぐに知られ、結界から外されることになる。

「……そこまでの力を持っておるのか」

「俺の力じゃない。仲間たちの力だ」

「それでもだ……国と言ったな。民の数は?」

「確認中だけど、三千前後だな」

 グランが考えていた通りの小国。だが三千の民が従っているという事実は、やはりグランを驚かせるものだ。ヒューガは徒手空拳の状態から、そこまでの力を得たのだから。

「……お主、何者だ?」

「俺か? 俺はヒューガ・アルベリヒ・ケーニヒ。アイントラハト国の王だ」

「……良いじゃろ。これからの三年間、王に仕えよう」

 堂々と王と名乗ったヒューガが、グランは妙に眩しかった。その王に仕えると応えた自分が妙に誇らしかった。パルス王国の国政に比べれば小さな仕事だ。それでも、死ぬ前にわずかでも望みは叶ったのだ。

 

 ――と思ったグランであったが。

「ええ? 何でこんな数字になるわけ?」

 その小さな仕事で、仕える王にこんな言い方をされる羽目になった。

「何でって……計算した結果じゃ」

「これって一人当たりの食糧の量ってどこから取ったんだ?」

「パルスでの一人当たりの……」

「だからだろ? この国はパルスと違う。そんな贅沢は出来ないんだよ。これじゃあ、この数字を見た途端に破たんしちゃうだろ?」

「じゃが、基礎となる数値が……」

 計算しようにもアイントラハト国には基礎となる数値がない。過去の記録が残っていないので、パルス王国のそれを参考にした、という言い訳なのだが。

「あるよ。ここ数か月の食糧の消費量の記録があっただろ? それを人数辺りで割って出して」

「そんなものが?」

 グランの知らない資料があった。

「カルポに用意してもらった。あったよな?」

「はい。えっと、ああ、これですね」

 ヒューガに言われて、カルポは手持ちの資料から該当のものをグランに手渡した。

「それそれ。それを基に計算し直して」

「ああ」

「権兵衛さんからの予測生産量の数字は?」

「権兵衛?」

「あっ、名前を持たないから勝手に呼んでる。生産部門の責任者の人」

「ああ、あれか……しかしあれは数値になっておらん」

 生まれた時から奴隷であった権兵衛。きちんとした教育を受けていないので、グランが求める数字を示すことが出来ないのだ。
 さらに極度の人嫌いという性格が、意思疎通を阻害している。

「権兵衛さん、計算できないから。それを数値化するのがこっちの仕事だろ?」

「あれを? あんな曖昧な言葉を数値にするのか?」

「そうしないと外から調達しなければならない量が算出出来ない。あまり目立った輸送は出来ないから調達は最小限にしないと。その為には自給できる量を正確に把握する必要がある。それくらい分かるよな?」

「……ああ」

 量と質、どちらとも違う苦労がこの国の仕事にはある。だがこれはグランが可哀想だ。パルス王国の国政を経験していても、ヒューガの要求にはすぐに応えられないだろう。

「じゃあ、お願い。エアル、狩猟の数は?」

「大体まとまったけど……」

「狩り過ぎになってない?」

「それはまだ計算出来てないわよ。というかどうやって計算するの?」

 算出で苦労しているのはエアルも同じ。内政に関わる全ての人が苦労しているというのが正しい。誰もやったことがないことをやっているのだ。

「狩猟後の保存期間の目安は?」

「それは大体出来上がったわ。腐らせたり、無駄にしないようにすれば良いんでしょ?」

「それもあるけど、狩り過ぎたら魔獣そのものが減ってしまう。それの確認」

「それはまだまだ無理よ。この大森林にどれだけの魔獣がいると思うの?」

 魔獣の種類を把握するだけでは済まない。その上で繁殖能力がどれくらいかも調べなければならないのだ。何年も地道な調査をして、初めて調べられることだ。

「……それはそうか。でも狩場周辺にいる魔獣の数くらいは把握したいな。斥侯訓練を兼ねて、兵を出す回数を増やしてくれ。まずはそこからだ」

「分かったわ」

「カルポ、木の実とかも同じだからな。一箇所で取り過ぎたら、そこ駄目になっちゃから」

「はい。調べさせてます」

「あとは……やっぱり、人手足りないな」

 足りるはずがない。現状それぞれが抱えている課題だけでも手一杯のところに、こうしてヒューガは次々と新たな課題を思い付いてしまう。さらにその内容も、その多くが詳細な数字を求めるものだ。
 はたしてパルス王国は、ここまで細かくやっていたのかとグランは疑問に思い始めている。もしそうでないのであれば、多くの無駄が発生していたはず。その無駄が民の負担になるのだ。

「ねえ、もう、呼んだら?」

「呼ぶ? ああ、二人のことか……でも夏と冬樹も内政なんて出来ないぞ?」

 ここで夏と冬樹の名が出てきた。グランも知っている名だ。その二人をドュンケルハイト大森林に呼ぶことをエアルは提案した。増やせる手は増やすべき。今の状況では当然の考えだ。

「計算は出来るでしょ?」

「……冬樹は怪しいな」

「でもその分、鍛錬は行けるんじゃない?」

「そうかも。でもな、向こうの都合もあるしな」

「気を遣い過ぎのように感じるけどな。声だけは掛けておきなさいよ。来られるようになったらすぐに動けるように」

「……確かに。じゃあ、そうする」

 声を掛けるだけであれば、遠慮は必要ない。それに受け入れる準備が出来ていることを伝えておくのは必要だとヒューガも考えた。

「はい。あとはなんだっけ?」

「学校」

「ああ、それね……ねえ、それ本当に急ぎなの?」

 今この状況で学校作りを優先する必要があるのか。問いを発したエアルだけでなく全員の疑問だ。

「教育は国の基本。正確には教育によって育つ人がだな。これは急がないと。将来的に格差が出るほうが問題だ」

 国の基は人。ヒューガは事ある毎にこれを話している。これが中々、理解されないのだ。それはそうだろう。大国であるパルス王国にいたグランでさえ、こういう考えは持っていなかったのだから。
 このヒューガの考えに対して、政治を少し分かっているグランは他の人が感じない衝撃を受けている。国は、王は民の為にある。民のことを考えて国を変えようしていたグランでもそんな考えは持っていなかったのだ。

「場所は確保しました。ただ先生の数が足りません。今のところは元長老のお二人だけです」

「それでも良い。始めてくれ。とにかく始めることが大切だ。足踏みしている余裕はこの国にはない」

「分かりました」

 未経験者ばかりのこの国で、失敗を恐れていては何も出来なくなる。失敗もまた経験。そう割り切ることにヒューガはしている。

「あと診療所は?」

「順調です。全ての者が初期段階は乗り越えたと言って良い状態です。リリス族の人たちのおかげでしょうか? 明らかに彼女たちが関わるようになってから回復が早くなっているように思えます」

「ああ……まあ、そうかな」

 カルポの推測は正しい。そうであることをヒューガは知っていた。

「……何かご存じなのですか?」

「彼女たちはその道にかけては、やっぱり優れてるってことだな」

「あの、それって……」

「あっ、性的な意味じゃない。言葉は悪いけど、人の心を誑し込むってこと? 気持ちの中に入り込むのが上手いみたいだ。多分、種族としての能力も使ってるんだろうけどな」

 精を絞る為に、対象の心を捕らえて拒むことをさせない。そんな能力がリリス族にはある。心を操る能力を治療に活かしているのだ。

「はあ、なんとなく分かりました……あとあと問題にはならないですよね?」

「ないと思うけど? そこは彼女たちの言葉を信じる」

 精を搾り取られた人もずっと心を囚われたままではいない。悪影響を及ぼすことはないとヒューガは聞いている。

「……まあ、とにかく、そういう状況です。あとは社会復帰ですね。徐々に普段の、他の人たちと同じ生活に戻ってもらうことです。これを乗り越えられれば、療養所の件は解決ですね」

「まだだ。まだ西から到着する予定のエルフたちがいる」

 奴隷解放は終わったわけではない。力での奪回を止めただけで、奴隷商人となった仲間の活動は続いている。

「……そうでした。数はどれくらいになりそうですか?」

「まだ把握出来ていない。でも商人の多くいる場所ということで奴隷として捕えられたものはかなりいるようだ。ただ幸いなのは、売られる前だと比較的傷は浅いということかな。それも、奴隷商人の扱い次第という面はあるけど」

 この事実もグランを多いに驚かせた。大陸にいる奴隷にされた全てのエルフを解放する。実現不可能と思われるそれをヒューガたちは実行し、驚くべき成果をあげている。
 これがどれだけ凄いことか。もし実現する方法を考えろと命じられても、自分には考えられないだろうとグランは思った。頭が良い悪いではなく、必ず成功させるという強い意志が必要なのだ。
 それを思った時、グランはパルス王国の国政を握るという目的が、とても小さなものであるように感じた。

「とにかく受け入れのほうは問題ありません」

「そうか。受け入れと言えば、ドワーフがこちらに向かってる頃だな?」

「ドワーフ?」

 エルフだけでなく、魔族もこの国にいることをグランは知った。そこにさらにドワーフ族だ。

「ああ、グランさんは知らないか。ドワーフ族を何人か、ここに迎え入れる予定だ」

「それはこの国の民としてですかな?」

「いや、一時的なものだ。ブロンテースには会ったよな? 彼に会いにくる。どうやらドワーフ族にとってブロンテースは神だったらしい」

「神……神を迎えにですかな?」

 神と言われてもグランにはピンとこない。神という概念は知っているが、崇める神を持たない人族の彼には具体的なイメージが湧かないのだ。

「それは分からない。ブロンテースが行くと言えばそうなるだろうけど、それはないな」

「なぜですかな?」

「ブロンテースには自分が神という自覚がない。ドワーフの神殿は彼にとっては監獄と同じだ。もちろんドワーフ側に閉じ込めていたって認識はない。立派な神殿を作って崇めていたつもりだったのだろうけど」

「なるほど……しかし、そうするとドワーフ族はただ会うためにはるばる移動してくることになりますな?」

 プロンテースに戻る気がないのであればドワーフ族は無駄足を踏むことになる。そうグランは思ったのだが。

「ああ、それはドワーフ族も理解している。彼等にはプロンテースから鍛冶を学ぶという目的もある」

「ドワーフ族が鍛冶を学ぶ?」

「だってプロンテースは鍛冶の神だ。教えを乞いたいと思うだろ。やっぱり」

「まあ、そうですな。学ぶとなると、それなりの期間が必要になりますな?」

「そうなるだろうな」

 ドワーフ族はそれなりの期間、この国に滞在することになる。それが一時的なものとはいえ、アイントラハト国に全種族が集うことになるのだ。

「全種族が揃うことになるわね?」

「まあな」

「目的通りね?」

「全然。とりあえず一カ所にいるってだけだ。融和と言うにはほど遠い」

 ただ集まっただけでは、ヒューガが望む国の形にはならない。まだ始まりにもなっていない。

「そうなの?」

「ああ、問題は集まった後だ。今はエルフが大半だから問題が起こってないと言えるんだ。これが同じような数になれば、種族毎の派閥が出来る。派閥が出来れば争いになる。それをなんとかして防がなければならない」

「どうやって?」

「教育もそのひとつ。こんなことは一世代で出来るものじゃない。出来たばかりの国だから一世代目は逆に問題ないかもな。一緒に大変な思いをして国を造ったという共有できる想いがある。でも次の世代では、それも薄れるかもしれない。だから教育を急がなきゃならない。種族間で争うことがどんなに馬鹿げたことか。それを徹底的に次の世代に教えるんだ」

「なるほどね」

 何故、ヒューガが教育を重視し、学校の設立を急ぐのか。ようやくエアルにも理解出来た。必要性をある程度は感じていたグランも、この考えを聞いて、より一層理解が深まった。

「でも本当は人族にこそ教育が必要なんだけどな。今この国に次世代の人族を担う者はいない」

「そうね。でも人族にこそ教育が必要ってどうして?」

「一番短命だから。エルフは長老と言える人が長くそれを伝えることが出来る。でも人族はその間も代替わりを繰り返す。まして建国期の記憶を誰も持っていないとなると、種族間で意識の差が大きくなってしまう」

 ただでさえ排他的な性質を持つ人族だ。さらに一番意識が低いとなれば、融和なんてものは実現しない。それはこの世界の歴史が示している。

「……確かに問題ね」

「人族はほとんど任務で外に出てる。ここで暮らす人族を増やしたいけど……当てがない」

 望んでドュンケルハイト大森林で暮らそうなんて人族はいない。この場所に流れてくるのは罪人か、ハンゾウたちのようにやむにやまれぬ事情があってやってくる人たちくらい。それも滅多にいるものではない。数を増やしたくても増やせないのだ。

「王は東方同盟の状況は知っておりますかな?」

「争いが始まりそうってことか?」

「知っておりましたか」

「まあ、情報としては入ってきてる」

 集めようとして集めた情報ではない。奴隷解放の為に大陸中に人を配置していれば、自然に入ってくる情報ものだ。それだけ東方の動きが大きくなっているという証だ。

「国が亡びれば行き場を失くした者が出る。その者達を呼ぶわけにはいきませんのか?」

 グランは、ハンゾウたちのように行き場を失った人たちを積極的に引き入れることを考えた。

「そうだけど……早過ぎないか?」

「早い?」

 だがその提案に対して、ヒューガは否定的な反応をみせる。

「それを行えば、この国の存在がばれる可能性がある。いやエルフならともかく、人族が大勢、大森林に向かったとなれば間違いなく調べようとする者も出てくるだろ? 外の世界に知られるには、この国はまだ立ち上がったばかりだ。なんの備えも出来ていない」

 外の世界から人材を集めることはヒューガも考えていた。だが、それにはリスクが伴う。今はそのリスクを負えないと判断していたのだ。

「……なるほど。ヒューガ王の言うとおりですな」

「でも、何にもしないのもあれか……これはと思える人物がいれば、接触を考えたほうが良いな。どうするかは相手次第ということで」

「大丈夫なの?」

「ここを辿られない程度の情報にとどめる。既に滅んだ国の残党ってことにしてもらおう」

「それって……そうね」

 ハンゾウたちであればそれが出来る。実際に亡国の残党であったハンゾウたちだ。今、何をしているかさえ誤魔化せば、あとは真実を話しても問題ない。

「まっ、それは上手く行けばラッキーくらいの話だ。今はとにかく飯の心配だな。続けよう」

「ええ」「はい!」「ふむ」