月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

四季は大地を駆け巡る #76 戦いが始まる

異世界ファンタジー小説 四季は大地を駆け巡る

 ヒューガから詳しい事情を聞かされた美理愛は、頼み事を聞くことにした。奴隷にされていたエルフを助ける為、しかもそれがかなり命懸けの行動だと知ってしまっては、美理愛が断れるはずがない。それが分かっているからヒューガは美理愛にお願いしたのだ。
 美理愛はパルス王国軍の野営地から少し離れた場所でヒューガと並んで、彼の連れという人たちが現れるのを待っていた。
 やがて見えてきた集団。彼女が思っていた以上に人数は多い。

「あんなにいたの?」

「全員が奴隷だったわけじゃない。森の中の集落で隠れ住んでいたエルフも一緒だ。集落にいる事自体が安全じゃないからな。もっと安全な場所に移ることを勧めた」

「それは何処なの?」

「さすがにそれは言えないな。知らない方が良いこともある」

「そう……」

 集団が美理愛の目の前までやって来た。様々な色の髪。美理愛はエルフ族を見るのは初めてだ。
 どのエルフも端正な顔立ちをしている。だがそれ故に彼女たちは奴隷として狙われる。これを思うと美理愛は何とも複雑な気持ちになる。

「後ろの貴族共が気付きだした。出来たら、後ろを向いて、睨みを効かせておいて欲しいな」

「そうね……なんて、そんな言葉に騙されないわよ。貴方がそういうことを言う時は、私を騙そうとしている時でしょ?」

 美理愛は後ろを向く振りをして、すぐに視線をエルフの集団に戻した。その目に入ってきたのは、人族に背負われたエルフの姿。骨と皮だけになった痩せ細った体。生きていると思えないその悲惨な姿に息を呑むことになる。

「騙そうとしたのは事実だけど……あれは見ないほうが良かっただろ?」

「……あれは?」

「隷属の首輪をされたエルフの多くがああなる。放っておけばやがて死ぬ。あの姿を見れば、言わなくても分かるか」

「助かるの?」

「助ける」

「そう……」

 ヒューガがどういうつもりで「助ける」と断言したのか美理愛には分からない。自信があるからとは思えなかった。美理愛の目にはとても助かるようには見えないのだ。

「ああ、マジで面倒そうな奴がきた。たしかアレックスだっけ?」

「えっ?」

 アレックスの名が出たことで、美理愛は思考から意識を引き戻された。ヒューガの言う通り、野営地からアレックスがこちらに向かってきていた。
 不機嫌であることは、離れていても分かる。

「ミリア、あれはどういうことです?」

「どういうことって……アレックス、何を怒っているの?」

 突然現れたエルフの集団に驚くのは分かる。だがそれでアレックスが怒る理由は美理愛には分からなかった。

「あれです。あのエルフどもは何ですか?」

「あれは――」

「俺の連れだ。ちょっと行くところがあってな。通してもらってる」

 アレックスの問いに答えようとした美理愛を遮って、ヒューガが話に割り込んできた。

「君は……」

「日向くんよ」

「……ああ、君ですか……説明してもらえますかね? あのエルフどもは何ですか?」

 何故、こんなところにヒューガがいるのか。驚いたアレックスであったが、質問の内容は変わらない。求める答えは同じはずなのだ。

「何ですかと聞かれてもな。エルフ族以外の何に見える?」

「そうではありません。あれは何処から来たのですか?」

「西のほうの森」

「それだけでは分かりません。何処の何という森ですか?」

「そんなの説明出来るわけないだろ? 西のほうにあるいくつもの森だ。そもそも何でそんなことを聞く?」

 これを聞くヒューガには理由は分かっている。分かっているからこそ、あえて聞いたのだ。

「……パルス国内でいくつかの貴族が奴隷を奪われました。あれはその奴隷ですよね?」

「何のこと? 俺はユーロンから来た。パルス国内で何があったかなんて知らない」

「惚けるのですか?」

「惚けているつもりはない。事実を言っているだけだ。そっちこそ、あのエルフたちが奴隷だっていう証拠でもあるのか? あるならまずはそれを示せよ」

「そんなものは調べれば……」

 分かるかもしれない。だがそれを口にするのをアレックスは思いとどまった。

「どうやって調べる? まさかここに奴隷の顔が分かる人がいるはずないよな? もしいるとすれば、そいつは犯罪者だ。まずはそいつを捕まえるんだな」

 実際にいた場合、それは新貴族の中に不正に奴隷を囲っていた人物がいたということ。その可能性を考えて、美理愛はアレックスに疑わしげな視線を向ける。

「……そんな者はいません」

 アレックスの口から出てきたのは否定の言葉。

「じゃあ、証拠ってのは?」

「……そんなものはどうでも良いから、とにかく来てもらいましょうか。あのエルフどもも一緒に」

 証拠は示せない。それでもアレックスは、強引にヒューガとエルフを拘束しようとしてきた。

「断る。証拠を示せないお前の言うことを何故、聞かなければならない?」

「私はこの軍の総大将です」

「兵士じゃない俺には命令を効く義務はない」

「では、力づくで」

「アレックス! えっ……?」

 アレックスが剣を抜こうとしたのが見えた美理愛は、咄嗟に止めようと声をあげたのだが、その必要はなかった。アレックスは剣を抜いていない。抜けなかったというのが正しい。それより先にヒューガの剣が、アレックスの首元に突き付けられたのだ。

「力づくというのは?」

「剣を抜くとは物騒ですね」

「そっちが抜こうとしたからだろ? もしかしてそれで抜けなかったことをごまかそうとしているのか? 無駄だ。ちゃんと見えてた」

 その上でヒューガは自らも剣を抜いた。それでこの結果だ。アレックスとしては認めたくない。

「……こんな真似をして」

「それはこっちの台詞だ。文句があるなら通すところを通して言ってくれ」

「……何です? その通すところというのは?」

「ユーロンの末弟王ネロに話をしてもらえるか? 俺はそこから来ている」

 ネロに会っているのは嘘ではない。だが、ネロに話を通すことに意味はない。エルフ解放とネロにはまったく関係はないのだ。

「ユーロンの末弟王? どうして君が?」

「頼まれたからな。余生を落ち着いた場所で過ごさせてやってくれと言われた。俺はそこに向かって移動しているんだ」

 これを行ったのはネロではなくヒューガ。しかもエルフではなく、淫魔に対しての言葉だ。

「その証拠は?」

「だからユーロンに行って、聞いて来いと言ってる」

「でたらめを」

「でたらめかどうかは話を聞きに行けば分かる」

「……良いでしょう。確認しますから、それまで君たちにはここにいてもらいます」

 ヒューガがネロの話を出したのは、アレックスに拘束を諦める口実を与える為だったのだが、それは無駄になった。

「それに従う必要は俺にはない。それとも、もう一度力づくってのを試してみるか?」

 そうであれば仕方がない。ヒューガも穏便に事を済ませることを諦めた。
 覚悟を決めたヒューガに、美理愛と話をしていた時のおどけた様子はない。当事者ではない美理愛が、隣に立っているだけでも感じる覇気のようなもの。それを真正面から受け止める羽目になったアレックスは……正面から受け止めるどころか、視線を逸らしている。

「……分かりましたよ」

「何が分かったんだ?」

「勝手にどこへでも行けということですよ」

「その前にお前がどっかに行ってくれないか?」

「……良いでしょう」

 アレックスは数歩後ずさりすると、回れ右をするように後ろを向いて野営地に戻って行った。美理愛にとって、まさかの光景だ。ただこれで済むとも思えなかった。

「……大丈夫かしら?」

「さあな。でもある程度、先に進んでしまえば、あとはどうとでもなる。こっちは逃げるだけだからな」

 集団はかなり先まで進んでいる。まだはっきりと視認できる距離であるが、もう少し先に進むことが出来れば、逃げ切れる自信がヒューガにはある。

「……ひとつ聞いて良いか?」

「何かしら?」

「プリンスは、あのアレックスに比べてどれくらい強くなった?」

「今は優斗が負けるなんて考えられないわ。十回やれば十回、優斗の勝ちよ」

 美理愛がこう言い切れるくらいの差が二人にはついている。

「百回では?」

「……同じだと思うわ。剣術が専門でない私が見ても、格の違いが分かるくらいですもの」

「そうか。じゃあ平気かもな。まだあんなレベルでフラフラしているようなら、今すぐここから逃げろと言わなければいけないところだった」

「どうして?」

「魔族に知り合いがいる。その人は俺よりも遙かに強い。しかもその人は魔族の中で一番じゃないらしい。あの程度の力量で立ち向かったら瞬殺だな」

 師匠であるヴラドに自分はまだ遠く及ばないとヒューガは考えている。そのヒューガに劣るアレックスでは剣を合わせることも出来ないはずだ。

「魔族に知り合いですって?」

 美理愛にとってはアレックスや優斗の実力以上にこれが気になった。

「ああ、剣術の先生だな。だった人か。過去形」

「貴方って人は……どうして魔族になんて知り合いがいるのよ?」

「これも気が付いてないか。なあ、本当に大丈夫か?」

 ヒューガの顔に苦笑いが浮かぶ。とっくに分かっていたことではあるが、あまりにも無知な美理愛に呆れているのだ。

「今度は何? 私は何を分かっていないのかしら?」

「この世界に宗教がないことは?」

「……そうね。そういえば聞いたことがないわ」

「俺も絶対にないとは言えない。でも一般的でないのは確かだな。宗教がないってことは、この世界に天使や悪魔の概念はないということだ」

「……だから何?」

「考えるのを諦めてないか? 悪魔を知らないってことは、魔族の魔は悪魔の魔じゃない。魔力もしくは魔法の魔なんだと思う。つまり魔族ってのは、ただ他種族よりも魔力が強いからそう呼ばれているだけ。そう思わないか?」

「そうね。でも、それが……まさか魔族は悪じゃないって言っているの?」

「そう言ってる」

 ようやくヒューガが言いたいことが美理愛に通じた。ただ、その反応もまたヒューガを呆れさせるものだ。少しは察していると思っていたのだ。

「じゃあ、私たちはどうして……?」

「それはもう話しただろ? 魔族の領土を奪うため。これは魔王討伐戦じゃなくて、パルスによる魔族領への侵略戦争だ」

「そんな……貴女は私たちが騙されていると言っているのね?」

「……どうだろ? 魔王討伐だと思っているのは他にもいると思うけど……少なくともパルスの国民は魔族を脅威だと感じている。それはそっちの方がよく分かっているだろ?」

 これはヒューガの本心ではない。騙したパルス王国が悪いのではない。何も考えていない、それでいて戦争に参加しているほうが悪いのだ。そもそもパルス王国は、魔王を絶対的な悪だと説明していたのかもヒューガは疑問に思っている。

「そうね。私たちが会った多くの民は魔族討伐を喜んでくれていたわ」

「だったら必ずしも騙されてるとは言えないな。魔族から見ればパルスのほうから攻めてきているということになるわけだけど、お前たち二人はパルス側の人間だ。パルスの為に働くって約束したんだからな。パルスはお前達が約束した事をやってもらってるだけ。自分たちの脅威を取り除くっていう仕事をな」

「そうかもしれないけど……なんだか釈然としないわ」

 魔王が絶対の悪でないのであれば、自分たちもまた絶対の正義ではない。それが美理愛は納得いかないのだ。

「それは自分たちの責任。もっと物事をちゃんと見てから決めなかったのが悪い」

「……だから貴方は断ったのね? 魔王との戦いを」

「あの時はそこまで考えてない。何も知らない状態で魔王を倒します、なんて言うほうが俺にとっては驚きだった。倒せる確証なんてどこにもないのに」

「……確かにそうよね」

 今も魔王を倒せるのかどうかは分かっていない。魔族側の実力を何も把握していないのだ。

「まあ、こんなことを言っておいてなんだけど、戦いの最中に変に悩まないようにしろよ。そんなことしてたら死ぬぞ?」

「……そうね。ありがとう」

 厳しいことを、美理愛がそう感じているだけだが、言われるが、その一方でこんな助言もヒューガは与えてくれる。やはり自分たちの側にいて欲しかった。こう美理愛は思ってしまう。

「礼を言われるところか? それに俺としてはパルスが苦戦して諦めてくれれば良いと思ってる。同郷の人間に死なれるのは気分悪いからこんなこと言ったけど、パルスの戦いを応援してるわけじゃない」

「そうよね。知り合いがいるものね」

「あと、もう一つだな。魔王もただ魔族の王という意味。それ以上の意味はない」

「それってどういうことなの?」

「俺が言えるのはここまで。あとは、ゆっくりと考えてくれ。覚悟はちゃんとしておけよ。さて、俺そろそろ行くわ。皆の姿が見えなくなった」

「ちょっと!? 待ちなさい!」

 何の意味もなくヒューガがこんなことを言い出すはずがない。あえて全てを伝えてくれないことが、事の重要さを美理愛に感じさせた。

「何?」

「その覚悟ってどういう意味なの?」

「それは俺の口からは言えない。言えるのは自分の行動に責任を持てってことと、何があったとしても揺らがない強い気持ちを持てってことかな?」

「……そう」

 言えないというからにはヒューガはこれ以上は何も言わない。与えられた言葉から想像するしかない。

「ということで……あれ? やっぱりいたか……なあ、ここは戦場だから気を付けろよ」

「ええ」

「……あと、あまりプリンスとイチャイチャして周りを困らせないように気を付けろよ」

「……そんなことしていないわ」

「あれっ? でもプリンセスはけっこうアレなんだろ?」

「……アレって何よ?」

 話がおかしな方向に進んでいる。アレの意味は気になるが、その一方で言われたくないという思いもある。つまり、心当たりがあるのだ。

「困らせてるんだろ? そっちのほうでは……」

「……困らせてなんていないわ」

「でも……実はけっこうアレだって言っていたけどな。意外だったとも言ってたな」

「……聞いたの?」

「……まあ」

「それは誤解よ。私はユートが初めて。男性経験なんてなかったの。でもユートとそうなると嬉しくて、夢中になると乱れ……嫌だ、何を言わせるの!」

 ニヤニヤと嬉しそうな笑みを浮かべて美理愛を見つめているヒューガ。それを見て、美理愛はまんまと自分が嵌められたことに気が付いた。
 怒り、ではなく自分が口にした言葉が恥ずかしくて、美理愛の顔は朱に染まっている。

「いやあ、まさかこんなバレバレの嘘で引っかかるとは。しかも実に刺激的な告白だ。もしかして気にしてたのか? 良いんじゃないか? 男はそういう意外性を喜ぶものだ。生真面目な女が夜になるとすごく乱れるって」

「お願いだから言わないで!」

「うん、その恥じらいがまた良いな。首の下まで真っ赤だ。残念だな。この姿を写真に撮って、売ったら元の世界で大儲けだったな」

「……変態」

「何とでも言え。よし、これで目的は完全に果たした。今度こそ行くわ。また機会があったら会おう」

「もう二度と顔を見せないで」

「たまにはいいだろ? こういう扱いも……扱い? なんか、自分で言って変態みたいに思えてきた。今度会うとしたら普通にしよう」

「……そうして」

「出来たら敵じゃない状況で」

「それは……余計な一言よ」

 ヒューガは敵になる可能性。それを気付かされて、美理愛の気持ちは重くなる。余計な一言は本心からの言葉だ。
 恥ずかしい思いをさせられたが、それでも楽しい時間だった。楽しいと思っている自分に美理愛は気付いた。美理愛のことはあんな風にからかう相手は他にいない。
 ここ最近は、優斗と共に過ごす時間でもここまで楽しい思いをしたことはなかった。気難しい優斗の相手は、いくら好きという感情があっても、疲れるものなのだ。
 ヒューガとの時間はそんな暗い思いを吹き飛ばしてくれた。それに美理愛は少し驚いている。

 

◆◆◆

 美理愛と別れたヒューガは仲間のあとを追いかけている。そう離れていないと思っていたのだが、それは間違いだった。すでに仲間たちは視認出来る距離にいない。
 美理愛への悪ふざけが過ぎた。ヒューガの顔に苦笑いが浮かぶ。彼女がどうなろうが知ったことではない。これは事実であるが、ひどく疲れた様子の彼女を目の当たりにして、つい余計なことをしてしまった。
 それに対する美理愛の反応は、泣いたり笑ったり怒ったり。なんとも忙しいものだった。それは精神的に不安定であるからなのか。そこまではヒューガには分からない。分かったのはつんと澄ました様子の美理愛を辱めるのは意外と面白いということ。もし次があったら、その時は何をしてやろうか。

(……疲れているのは俺のほうか?)

 本来、無関心であるはずの相手にこんなことを思う自分のほうが疲れているのかしれないとヒューガは考えた。緊張を解くのはまだ早い。大森林に到着するまでは何があるか分からないのだ。

「……やっぱり、いたか」

 気合いを入れ直したヒューガの感覚に触れる人がいた。良く知っている感覚だ。

「良く気づきましたね? 鍛錬の成果ですか?」

「まあ、先生のおかげってやつだな」

 潜んでいたのはヴラド。彼が近くにいるのは分かっていた。

「ここまでは教えていないと思いますけどね。さては実戦を経験しましたね?」

「ああ、勝手な真似をして悪い。でも強くなるまで待つわけにはいかなくてな」

「そうですか……まあ、かまいません。何をするかは自分で決めることですからね」

 大森林を離れた今のヴラドに、文句を言う資格はない。そうでなくても弟子が為すべきことを為そうとしているのに、文句を言うヴラドではない。

「ここまで出て来てるってことは、始めるのか?」

「もう始めていますよ」

「ああ、斥侯の襲撃ってやつからだな?」

「知っていましたか」

「知っていたというか、盛んに斥候が出てたけど、最前線であの人数はないなと思ってた。あんな数じゃあ個別に消してくださいって言っているようなものだろ? 最戦線だと威力偵察とかするものだとも思ってたしな」

 パルス王国の斥候の様子についてはヒューガは詳しく知っている。気付かれないように通過する方法はないかとずっと探っていたのだ。

「威力偵察?」

「それなりの部隊を使って戦闘を行うことで、相手の情報を入手するって感じかな。戦争は素人だから分かってるのは言葉だけだ」

「なるほど。次がそんな感じですね。それなりの数を出してくるでしょう」

 送り出した斥候が戻ってこないのであれば、その次は簡単には討たれないだけの数に増やしてくる。当たり前にあることだ。

「どうする気?」

「どうしましょう?」

「俺に聞く? 放っておくってのも手だけど」

「偵察をですか?」

 意外な提案。ヒューガらしいと思って、ヴラドの表情にわずかに笑みが浮かんだ。

「放っておけば相手に情報は入らない。それに前に出てくるだろ?」

「前に出させろと?」

「時間がないかと思って」

「まあ、早く済むに越したことはありませんね。でも数で押されるとこちらは辛いという問題もあります」

 速戦は望むところではあるが、数の差をどう攻略するかの問題がある。魔族にとって人族と戦う上で常にあり、それでいて絶対の解決策がない問題だ。

「でもこの位置じゃあ後方拠点と近すぎ。もう少し離さないと先生の出番が来ないんじゃないか?」

「はあ。それで素人なんて言わないでください。私がどうしてここにいるのか分かっているのですね?」

「後方攪乱。先生は間者だから、そういう役目だろ? メインは輸送部隊の襲撃だと思った。その為には輸送距離はもう少し長くさせたいところだな」

「それを聖女には?」

「話すわけないだろ? 俺が魔族びいきだってのは話したけどな」

 色々と話をしているようで、きっちりと線は引かれている。ヒューガにとって、優斗や自分がそういう存在であることを美理愛は分かっていない。

「何と言っていました?」

「聞いていなかったのか?」

「野営地ですよ? さすがにそれくらいの備えはされています。魔法士部隊も相当配置されているみたいですしね」

 間者の侵入については、まして魔族相手の戦いとあって、かなり厳しい警戒がなされている。ヴラドほどの手練れであっても難しいくらいの備えだ。

「まあ魔族が相手だからな。それを先に潰すってのは?」

「なかなか。人族の魔法士をなめてはいけません。特に守りに関しては、人族のほうが上と言っても良いくらいです」

「そうなんだ?」

「種族としての得手不得手というところですかね? 人族というのは守りに強い。それが魔法にも現れているのですよ」

「なるほどね。それでプリンセス、聖女の話だっけ。少しショックを受けてたかな。魔族は悪。まだそんな風に思ってたみたいだからな」

「そうですか……」

 ヴラドはヒューガのように呆れることはない。美理愛はそういう感情を抱く相手ではないのだ。

「もしかして付け入る隙になるか考えてる?」

「まあ」

 無知であるのであればそれを理由する。ヴラドにとって美理愛、聖女はそういう存在。一人の人として見てはいない。

「……どうだろ? 聖女はいけるかもしれない。でも勇者がな」

「駄目ですか?」

「魔族の討伐を止めたら勇者は勇者じゃなくなる。ちやほやされる事もなくなるわけだ。それを良しと出来るかな? そんな親しくないから、判断はつかない。分かるのは、聖女は自分の考えと違っても勇者に付いて行くってことだな」

 優斗にとって魔族は悪でなくてはならない。事実がどうかなど関係ない。そう考えるとヒューガは思っている。

「そういう関係なのですね?」

「これも利用しようとしてる?」

「恋する女を利用しても痛い目に合うのはこちらです。予測できない行動をしますからね」

「そういう考え方もあるわけか」

 何かあってもからかうだけで終わっておこう。ヒューガはそう考えた。

「ヒューガ、遅いのです」

 ヴラドとの会話を楽しんでいたところにルナが割り込んできた。あまりにヒューガの合流が遅いので文句を言いに来たのだ。

「おや、ルナちゃんじゃないですか?」

「先生、お久しぶりなのです」

 ヒューガ相手であれば遠話でも届くのに、わざわざ姿を現したのはルナもヴラドに会いたかったからだ。

「……なんだか口調が変わりましたね?」

「個性が欲しいんだって。ディアとルナは違う。それをはっきりさせたいらしい。別に同じに思ってないのにな」

「おやおや、ルナちゃんも大人になりましたね?」

「敬語は大人への第一歩なのです」

「そしてヒューガくんは相変わらず鈍感」

 ルナが口調は変えてクラウディアとの違いを出そうとしているのはヤキモチから。それにどうやらヒューガは気付いていないとヴラドは見抜いた。

「……何だ、それ? それでルナ、追っ手は?」

「十人なのです」

 アレックスが送り込んだと思われるパルス国の間者の数だ。アレックスの指示がなくても、怪しい集団が移動しているのを見逃すはずがない。

「思ったより少なかったな。殺ったのか?」

「二人残しているのです。ヒューガの指示待ちなのです」

「そうか……別に聞きたいことはないな。先生いるか?」

 ヒューガにはパルス王国軍に従軍している間者に用はない。あとを付けて来られなければ、それで良いのだ。

「そうですね。貰っておきましょう。情報は少しでも多いほうが良いですから」

「じゃあ、取りに来てくれ」

「……それは手の者に任せても良いですか?」

「かまわないけど? 何か始めるのか?」

「ええ、ちょっと嫌がらせを」

 ヴラドはただヒューガに会うためにここにいたわけではない。任務で来ていたところに、たまたまヒューガが現れたので、顔を見ようと近づいただけだ。

「そうか。じゃあ、俺は邪魔だな。仲間の所に行く」

「はい。ではお元気で」

「先生も。悔いのないように」

「もちろんです」

「あっ、あとアイントラハトだから」

「何ですか、それは?」

 いきなり「アイントラハト」などと言われても、何のことはヴラドには分からない。

「俺たちの国の名前。意味は融和。種族、生まれ、境遇、全てのものに関係なく、皆が一つになって造る国。それが俺たちの国だ」

「……そうですか。良い名前です」

「種族に関係なくだからな。それを忘れないでくれ」

「……ええ、覚えておきますよ」

「じゃあ」

「それでは」

 最後の挨拶を交わすと、ヴラドはいつもの様に一瞬で姿を消した。
 仲間のところへ向かおうとするヒューガに聞こえてきたのは、いくつもの爆裂音。嫌がらせにしては大規模だ。
 戦争が始まっている。それを聞いてヒューガは実感した。