イーストエンド侯爵一行は領地へ続く街道を東に向かって急いでいる。本来はこれほど急ぐ道程ではなかったのだが、今は事情が出来た。先行する集団に追いつこうとしているのだ。
それも最初はここまでとは思っていなかった。追いかけている集団には子供もいる。子供の足を考えれば、普段通りの速さで移動しても余裕で追いつけると考えていたのだ。
だがそれは間違いだった。いつまで経っても集団の姿が見えないことを不思議に思って、同行している騎士に探らせてみれば、相手は驚くほどの速さで移動していることが分かった。
このままではいつ追いつけるか分からないと考えて、イーストエンド侯爵はかなり足を速めさせることになった。
それでようやくだ。街道の先を進む一台の馬車が見えてきた。その周りをかなりの速度で進む徒歩の人たち。
「止まれ!」
前にいる騎士が、先行する馬車に向かって止まるように命じている。その声に応えて、前を行く馬車は徐々に速度を落とし、やがて止まった。
周りを駆けていた人たちは、馬車の影に隠れるように立っている。
「こちらはイースエンド侯爵家の者だ! 代表者と話がしたい!」
止まった馬車に向かって、更に声を掛ける騎士。
「代表者は誰だ!?」
騎士との問いに答える人は誰もいない。皆が戸惑ったような表情で、お互いの顔を見合っている。
「おい、誰かいないのか?」
「何の用でございますか? 我等はただ旅をしているだけございます。イーストエンド侯爵家にご迷惑をかけるような真似はしておりません」
ようやく一人の男が前に出てきた。
「お前が代表者か?」
「代表者とは違いますが、とにかく我等は旅をしているだけでございます。何卒ご容赦を」
騎士に向かって深々と頭を下げる男。
「いや、別に咎めようというのではない。代表者がいないのであれば、クラウディア様のご友人という方はどなただ?」
「クラウディア様? それはもしかして王女様でございますか? もしそうであれば知り合いなどいるはずがありません」
「……お前等は、王都の貧民区から逃れて来たのではないのか?」
まったく話が通じない。どうやら相手を間違えているのではないかと騎士は思い始めた。
「貧民区? 恐れながら、我等の装いが貧民区のそれに見えますか? それに貧民区の者たちは馬車など持っておらないでしょう?」
男は貧民区の住人であることを否定する。どうやら本当に間違えてしまったようだ、と騎士は思ったが、馬車の中でやり取りを聞いていたイーストエンド侯爵はそれでは納得しない。
騎士に任せていても埒はあかないようだと考えて、自ら対応すべく馬車を降りて彼らの下に向かった。
「侯爵様? 皆の者、控えよ!」
イーストエンド侯爵の姿を見て、慌てて騎士が控えるように周囲に命じた。
「良い。ここは街道の真ん中。こんな場所でそのような礼は不要だ」
「はっ」
「さて、私はイーストエンド侯爵本人だ。誰か私を分かる者は……いるはずがないか。ではディアはどうだ? ディアを知っている者は? それともヒューガという男のほうが良いか? ディアを連れて王都を出たヒューガを知っている者は?」
「……ふむ。どうやら本物のようじゃな」
イーストエンド侯爵の問いを受けて、新たに進み出てきた人がいた。年老いた女性と、それを隣で支える男性の二人。老婆の足取りで、彼女は目が見えていないのだとイーストエンド侯爵は分かった。
「……ご老人は?」
「そちらが探しておった代表者というやつじゃな」
「……そちらの御仁は?」
老婆もそうだが付き添っている男性も、イーストエンド侯爵は気になる。只者でないことは身から発する雰囲気で分かる。
「ん? 気になるのか? イーストエンド侯爵様は剣の腕のほうも中々のものなのじゃな?」
「若い時に少し嗜んだ程度だ。それでもその御仁が只者でないくらいは分かる」
「そうか。この者は長く儂の面倒を見てくれている者じゃ。名をギゼン・レットーと言う」
「……ギゼン・レットーだと? それは剣聖と呼ばれたギゼン・レットー殿か?」
ギゼン・レットーの名をイーストエンド侯爵は知っていた。少し嗜んだ程度でも、実際のところはかなり謙遜が入った言い方だが、普通に知っている知識だ。
「ギゼン・レットーはギゼン・レットー。それ以外の何者でもない」
「……そうなると貴女は、月の預言者ということになるな」
ギゼン・レットーを有名にしているのは剣の腕だけではない。月の預言者に仕えていて、彼女が罪に落とされたと同時に表舞台から消えたことも名を広めた、ある程度の立場にある人の間だけでだが、理由だ。
「さて仮にそうだと言ったら、どうなるのじゃ?」
「……失礼。人違いのようだ。かの人が生きているはずがない」
月の預言者バーバラ・スタンフォードはパルス王国では謀反人扱い。そうだと知っていて領地に入れるわけにはいかない。となれば知らないことにするしかない。
「ほう」
「さて、そろそろ信じていただけたかな?」
「……良いじゃろ。それにやや錆びたとはいえこの距離でギゼンが外すはずもない。何かあった時に困るのは侯の方じゃからな」
バーバの口から物騒な言葉が発せられた。それだけではない。彼女が手を挙げた途端に、街道の両側から人が姿を現した。
「なんと? 皆の者!」
近くにいた騎士が慌てて、迎撃体勢を取ろうとするが今更だ。現れた人の襲撃を防ぐ前に、イーストエンド侯爵のすぐ目の前にいるギゼンが行動を起こす。
「良い!」
「しかし?!」
「良いと言っている。相手にとっては当然の備え。それよりもそれに気付かなかったこちらの未熟さを反省しろ」
「……申し訳ございません」
イーストエンド侯爵の言う通り。伏兵に気付かなかったのは迂闊だった。相手に悪意があれば、大変なことになっていたのだから。
「反省もあとで良い。今は話を進めたい。後ろに控えていろ」
「はっ!」
「……なかなかの用心深さですが、伏兵に子供ですか?」
隠れていたのは子供たち。味方に気付かせずに隠れていたのはイーストエンド侯爵も驚きだが、戦力としては脅威にはならないと考えている。
「子供といっても、剣についてはギゼンの教えを受けておる。まだまだ未熟じゃがの。それに魔法についても中々のものらしいぞ。儂も実際に見たことがないからどの程度かは知らんがの」
「……なるほど。さて、それでクラウの知り合いというのは?」
子供たちの実力については、この先いくらでも確かめる機会はあるはず。そう考えてイーストエンド侯爵は話を進めることにした。
「今こちらに向かっている先頭の二人がそうじゃ。フーとナツという。探し人はこの二人で合っておるかの?」
「おそらくは」
探し人はフーユーキとナツ。少し違うが間違いではないだろうとイーストエンド侯爵は考えた。
「二人に何の用じゃ?」
「用があるのは二人だけではない。その前に確かめたい。目的地は私の領地と思って間違いないか?」
「間違いないの」
「……それでこの用心か?」
目的地としている場所の領主一行が現れたというのに、この用心深さ。何故ここまで警戒するのかイーストエンド侯爵は疑問に思った。
「それはそちらが悪い。イーストエンド侯爵自身がこの時期に何で王都を離れる? それを考えれば偽物と疑ってもおかしくないじゃろ?」
「私が王都を離れる理由はいずれ話すこともあるだろう。目的地が我が領地であるなら、このまま付いて来てくれるのであろう?」
話すことは他にもある。目的地が同じであれば、いつまでも立ち止まっていないで移動しながら話せば良い。それに、誰に知られても良い話だけとは限らないのだ。
「それは儂らにとっては渡りに船ということじゃからな。それにイーストエンド侯爵ご自身のお誘いじゃ。断ることなど出来んな」
「そうか。では領地まで一緒に行こう。すぐに発てるのか?」
「勿論じゃ。移動しているのを止めたのはそちらじゃろ?」
「そうだったな。馬車に同乗させてもらっても?」
「侯爵様が乗るには粗末なもの。それでも良ければ好きにしなされ」
同乗を求めるイーストエンド侯爵。その意図をバーバは理解している。
「ではそういうことで。話は聞いていたな? 私はこちらの馬車に乗る」
「一人、お付けしても?」
部下のほうは護衛役をつけようとしてくる。そういった者たちが邪魔であるので、イーストエンド侯爵はバーバたちの馬車に乗ろうとしていることを察していない、
「無用だ。それと私の馬車には子供たちに乗ってもらおう」
「それもまた無用じゃな」
「何故?」
「鍛錬にならん。旅の途中だからといって鍛錬を怠らせるほど、ギゼンは優しくないのじゃ。乗せるなら他の者を乗せてもらえるかの?」
「良いだろう。人選はそちらで決めてくれ」
イーストエンド侯爵の馬車に乗ったのは初めに馬車の周りに立っていた人たち。鍛錬の必要が、今のところ、ない人たちだ。とはいえ全員が乗れるわけではないので、交替となっている。
とにかく合流は完了。あとは領地に向かうだけだ。
「老婆のことはどのように呼べば良いのだ?」
「皆からはバーバと呼ばれておる」
「……そのままではないか?」
「別に隠す必要もないことじゃったからな。存在を忘れたのは相手の勝手じゃ」
月の預言者バーバラ・スタンフォードは領地を奪われ、名を奪われ、それでいて王国の目が届くところにいることを強要されていた。隠れるどころか、存在を示さなければならない立場だ。
「しかし、今は隠さねばならない身になったわけだ」
「それはどうかの? 今更気にする者がいるとは思えん。だからといって、自ら公言する必要もないわけじゃ」
「うむ……聞いても良いか? 何故、王都を抜け出たのだ?」
「良いと返事をする前に聞いておる。まあ、良いじゃろ。儂としてはどうでも良いのじゃがな。そうもいかん者どもが身内に出てきた。貧民区に置いておくにはもったいない者どもがな」
バーバ自身は貧民区で生を終えることをなんとも思っていない。王都を出たのはそうはいかない人々の為。そうさせたくない人々の為だ。
「……あの子供たちですな?」
「あの子供たちと、あの子供たちによって生き方を変えたいと思った者どもじゃ」
特に後者。バーバが貧民区に残っては、外に出て行けないスタンフォード家の旧臣たちの為だ。
「ほう」
「その多くも良い年じゃからな。老い先短い人生を使った最後の奉公ということになるじゃろ」
「奉公? バーバ殿は彼らに何をさせるつもりだ?」
バーバの説明の中に、イーストエンド侯爵は気になる言葉を聞いた。何故、ここで「奉公」という言葉が出てくるのか。意味があるのであれば、そうはどういう意味であるのか。
「さあな。それは儂が決めることではない」
「しかし、彼らはバーバ殿に仕える者どもだろう?」
「一度仕えたからといって、一生をその主に仕えなければいかんというものではない」
このバーバの考えは一般的ではない。仕えた主に生涯尽くすのが正しい在り方と考える人のほうが多い。だがそれでは旧臣たちの先がなくなる。バーバは旧臣たちに自由になって欲しいのだ。
「ふむ。新たな主か。それは、クラウと考えて良いのかな?」
「そうかもしれんし、そうでないかもしれん。そこまでは儂には見えん」
バーバの答えは曖昧なもの。では他にどんな可能性があるのかとなれば、イーストエンド侯爵は一つしか思い付かない。
「……では、ヒューガという男か?」
「ふむ。今のうちに話したほうが良いであろう。そのつもりじゃ。儂らが侯爵様の領地に赴くのはそこに彼女がいるからじゃ。だが彼女がいるからと言うのは正しくない。彼女がいればヒューガが現れるはず。そう思っているからじゃな。さて、これを聞いても公爵様は我等を受け入れてくれるのかな?」
仕える相手はヒューガ。そうでありながらバーバが曖昧な言い方をしたのは、ヒューガとクラウディアの関係がどうなるか分からないからだ。クラウディアがヒューガの隣に立つ身になれば、彼女に仕えることにもなる。そういうことだ。
「受け入れねばクラウが怒るであろう? それに元々仕えて欲しいと思っていたから、受け入れるつもりだったわけではない」
「それは良かった。去れと言われても、行き場所がないのでな」
「……率直に聞きたい。ヒューガとは何者なのだ? 王は何かに気付いたようだ。しかし、それは王族しか知ってはならないことと言って教えてもらえなかった。クラウも何か気付いていることがあるようだが、決して話そうとしない」
何故、多くの人々がヒューガをここまで気にするのか。特に国王が見せた反応は、イーストエンド侯爵にはどうにも気になるものだった。
「ふむ……それを儂に聞くか?」
「バーバ殿なら知っているのではないか? 月の預言者と呼ばれた貴女なら」
「その力はとうに失われておる。今の儂には見えるものは少ない」
「その少ないものでも私は知りたいのだ」
「……難しいことを言う。イーストエンド侯爵である者にはなかなかに伝えづらいことじゃ」
ヒューガに関しては本来、パルス王国の人には話すべきではない。特にイーストエンド侯爵のような力を持った存在には。
「……ヒューガの行方に心当たりがあると言っても?」
「ほう?」
「良いだろう。まずはこちらから全てを話そう。ヒューガの足取りを最後まで掴んでいるわけではない。だがクラウと別れた直後に彼が向かった先は分かっている。彼はダークエルフと共にドュンケルハイト大森林に向かった」
イーストエンド侯爵は自分が持っている情報を先に出すことにした。バーバがかなり慎重な性格であることは分かった。情報を得るには、まず信用を得ることが必要だと考えたのだ。
「ふむ。それで?」
「その先の足取りは不明だ」
「……死んだと思うておるのかな?」
「いや、彼は大森林にいるのではないかと思っている」
「何故じゃ? 大森林は人が生きるに厳しい場所。この大陸の者であれば、そんな事は分かっておるだろう? ましてやパルス貴族であれば尚更な」
「そう言いながらも貴女は彼が死んだとは思っていないだろ?」
「まあの。じゃが、儂のそれは根拠のないもんじゃ」
ヒューガが立ったのをバーバは見ている。大森林に向かったのがクラウディアと別れた直後であるなら、生き延びられる術をヒューガは得ているということだ。
「では根拠を話そう。エルフにおかしな動きがある。多くのエルフが大森林に移動している形跡がある。それだけではない。奴隷にされているエルフの多くが何者かの手によって攫われている。この場合は助け出されていると言ったほうが良いな」
「ほう、そんなことが……それをヒューガが、やっているとでも言うのか?」
「その可能性がないとは言えない。正直信じられない話だ。事はパルス国内だけでなく大陸全土で起きている。それだけのことが出来る者を、行おうとする者を私は知らない。今現在、名が知られている者の中ではな。それは逆に言えば存在を知られていない者が事を起こしているということになる。それが彼である可能性はなくはないだろう。彼の向かった先はエルフの故郷なのだ」
イーストエンド侯爵自身、これについては半信半疑であったのだがバーバと話をしていて、どうやら事実であるようだと思い始めた。ヒューガには自分が知らない何かがあるのだと。
「ふむ。もうひとつ聞いても良いかの? 何故この時期に王都を離れる?」
「……それは彼に関係あることなのか?」
「それは聞いてみないと分からん」
「……良いだろう。全て話すと言ったからな。東に不穏な動きがある。傭兵王を中心に東方連盟で争いが起きる可能性が。可能性といったが情勢からいって、ほぼ間違いない」
「それだけかの?」
「それだけでも大事だが? まあ、良い。西でもだ。ユーロンにおかしな動きがある。これはまだ確証は得ていない。しかし、仮に西でも事が起これば」
「北、東、西で戦乱が起きるか……南は?」
「今のところ落ち着いているのは南だけだ」
パルス王国南部には争乱の種がほとんどない。ドワーフ族のアイオン共和国には領土的野心はない。パルス王国側が仕掛けない限り、戦争が起きることはない。
「ふむ。三方であっても、その全てで事が起きれば、この大陸は大混乱じゃな」
「そうだな」
「……この世を混沌が覆うとき、白銀に輝く王が現れて、この世界を導くだろう」
「それはパルスに伝わる伝承だな?」
パルス王国貴族であればすぐに分かる。だがイーストエンド侯爵は、微妙な違いに気付いていない。
「いや、儂が行った予言じゃ。儂はこの予言によって罪に落とされた」
「……しかし、それは昔から」
多くの人が知っている伝承。それで地位や名を奪われるような重い罪を科せられるはずがない。
「良く聞け。儂が行った予言は勇者の出現ではない。王の出現についてじゃ」
「……白銀に輝く勇者ではなく王、か?」
「そうじゃ。元から伝わっていた伝承は確かに勇者じゃった。それなのに儂にはそれが王として見えた。さてこれはどういうことなのか? 儂への仕打ちを知っていれば分かるじゃろ?」
「……そういうことか。なるほど王族しか知ってはならない事実だな。その事実を公にしてしまったから、月の預言者は罪に落とされた」
パルス王国に伝わっていた伝承も王であったのだ。だが新たな王の出現は、既に王であるパルス王家にとってはその存在を脅かす者。受け入れるわけにはいかない。歪められたのだ。パルス王家に取って代わる存在ではなく、勇者という曖昧な存在に。
「そういうことじゃろ」
「まさか、それがヒューガだと?」
「さあな。それは分からん。今の勇者がそれかもしれん。あれは勇者ではなく王。そう考えても辻褄は合うのではないかな?」
「……王は勇者を次代の王にしようとしていた。それはあの者が勇者ではなく王であると分かっていたからか……」
国王が消極的ながらも勇者召喚を支持したのは、嫡子のいない自分の後継ぎにする為。イーストエンド侯爵もそれは気付いていた。
では国王は勇者を予言の王と考えていると言えるか。そうではないとイーストエンド侯爵は思う。元々はそう考えていたかもしれないが今は違う。国王の言葉がそれを示している。
国王はイーストエンド侯爵がいる場でこう言った。「あの男に騙された」と、そして「あの男自身気付いていないのか」とも。この言葉が意味するところは、国王はヒューガこそが予言の王だと考え直したのだ。
イーストエンド侯爵は国王の気持ちが少し分かった気がした。国王は、王になるはずの存在を自らの失敗で手放した。そして王になるはずのない存在が王になろうとしている。それを知って諦めたのだ。パルス王国の未来を。
同情はする。だが同意は出来ない。失敗したのであればやり直せば良い。イーストエンド侯爵はこう考える。方法はあるのだ。
「……ひとつだけ言っておこう」
考え込んでいるイーストエンド侯爵に向かって、バーバは声を掛けた。
「何だろう?」
「パルスに拘らないほうが良い。それに拘ると失敗するぞ」
「……しかし、私はパルス王国の貴族だ」
自分の考えを見透かしたような言葉。実際にそうなのだろうとイーストエンド侯爵は思った。目が見えなくても、見えないからこそ見えるものもある。
「だが異世界人であるヒューガにその拘りはない。同じ異世界人である勇者にもな。彼等にとってパルスという国の存続は大事にはならない」
「しかし……」
「まあ、聞け。もし預言が正しければ、ヒューガか勇者のどちらが王として立っても、この世界は混沌に覆われるということじゃ。その混沌を収めるには、新しい秩序が必要。そう思わんか?」
「……新しい秩序」
「これはパルスの貴族としての侯ではなく、民を治める施政者として考えるべきこと。儂はそう思う」
民にとって良いものであれば、新しい秩序を受け入れるべき。バーバはイーストエンド侯爵にこう言いたいのだ。
「私はイーストエンド侯爵家の家長。そしてイーストエンド家はパルスの盾。そう育てられてきた。パルス王国なくしてイーストエンド家はない」
「……なるほど。心に刻まれたものはそう簡単に変えることは出来んか?」
「そういうことだ」
イーストエンド侯爵は現秩序の代表のような存在だ。それを否定し、まったく別のものを受け入れることは容易ではない。
「では思う通りに生きれば良い」
「……良いのか? 場合によっては彼の前に立ち塞がるかもしれない。そうでなくても彼を利用しようとするかもしれない。パルス王国の為に」
「人の生き方に文句をいう権利など儂にはない。いや、何人も他人の生き方に文句は言えん」
「うむ……」
「予言などに人生を決められたくない。預言の対象かもしれないヒューガの言葉じゃ。確かにそうじゃ。預言などというものは一つの可能性を示しているにすぎん。それは儂が一番良く分かっておる」
「そうだな。だがそれを彼が言ったとなると、彼はどう生きるつもりなのだ? まさか王になどなりたくない……そうか、彼はそういう人間だった。勇者でさえ始めから拒否していたのだったな」
「そういう事じゃ」
ヒューガには権力欲などない。それは勇者という地位を自ら拒絶したことで分かる。預言などヒューガにとっては迷惑以外の何物でもない。
「……それでも彼に仕えると?」
「王という存在は民に望まれてなるそうじゃ」
「……それも彼の言葉か?」
「いや、彼らの世界では王は民によって選ばれる。全ての国というわけではないらしいが、そういう制度になっているらしい」
「民が王を選ぶ……なぜそんなことに?」
「さあ、そこまでは知らん。彼らの世界でも、昔は王は血筋によって選ばれていた。今も王族という存在はいる。だが統治はしていないそうじゃ。物事が進めばこの世界もいずれそうなるのかもしれん」
「想像出来ん。しかし、それと彼に仕えることに、どんな関係があるのだ?」
「ヒューガが嫌がるのであれば、下の者が彼を王にしてしまえば良い。選ばれて王になったという形を取れば、やつも仕方なく受け入れる可能性がある。なんといっても、彼が生まれ育った世界の制度がそうなのだからな」
「……そんなことを考えていたのか」
「前まではな。今はもうどうでも良い話じゃ」
「どうでも良い?」
バーバがこの問いに答えることはなかった。話は終わりとばかりに視線を窓の外に向けるバーバ。その意思が分かって、イーストエンド侯爵も一旦、会話を終わらせることにした。話す機会はこれから沢山あるはずなのだ。
馬車の外では冬樹と夏、そして子供たちが街道を駆け回っている。ただ走っているだけではあるが、あれも鍛錬なのだろうとイーストエンド侯爵はその光景を見て思った。そうバーバは言っていたのだ。
彼等は、老いたとはいえかつて剣聖と呼ばれたギゼン・レットーの教え子たち。その実力はいかほどのものなのか。子供だと侮るのは間違いであることは分かる。
その彼等が仕えようとしているヒューガ。その存在はパルス王国にどのような影響を与えることになるのか。パルス王国の盾である自分は、彼とどう関われば良いのか。その答えは今のイーストエンド侯爵にはまったく見えていない。
場合によってはクラウディアを悲しませることになるかもしれない。その覚悟はしておくべきだとイーストエンド侯爵は思った。