月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

四季は大地を駆け巡る #68 残酷な運命

異世界ファンタジー小説 四季は大地を駆け巡る

 ネロは地下室へ続く長い階段を降りている。彼一人ではない。彼と淫魔の間に出来た子供たちも一緒だ。
 子供たちを母親に会わせてやろうなんて優しさから連れてきたわけではない。そんなことが出来るはずがない。子供たちの母親は鎖に繋がれているのだ。そんな姿を見せるわけにはいかない。そうでなくても子供たちに会った母親たちは、それを喜ぶだけではなく、ネロへの恨み言を吐き出すだろう。わざわざ子供たちに嫌われることを行う必要はない。
 子供たちは連れてきたのは、客がいるからだ。招かざる客が現れたと、地下室への入り口を見張らせていた子供から報告があった。
 その客の姿は今のところ見えない。だが子供たちの緊張している様子から、何かがあるのは間違いない。人ならぬ血を引いている、この表現が正しいかは微妙だが、子供たちはネロでは感じ取れないものを感じ取れるのだ。
 だがそれは、そんな子供たちでも客の隠れている場所が特定出来ないということ。ただの盗賊ではない。ネロは自分も地下室に降りてきたことを後悔した。侵入者の始末など子供たちに任せておけば良いのだ。
 そう考えて引き替えそうとしたネロの視界に、上から降ってくる何かが見えた。完全な不意打ちにネロは避けることも出来ずに、ただ目をつむって固まるだけ。

「…………」

「少しくらい抵抗してくれないと殺しづらいんだけど?」

 正面から聞こえてきた声。恐る恐るネロが目を開けると、そこには黒装束に身を固めた男が立っていた。顔を覆っている布のすきまから見える目が琥珀色に光っている。

「誰?」

「……誰って言われても答えられない。この恰好見れば想像つくだろ?」

「盗賊だね?」

「正解」

「何を盗みにきたんだい? 地下には財宝なんて無いけど」

 ただの当然であるはずがない。それでもネロは男の言葉を否定することなく、話を合わせた。会話が途切れたら殺されるかもしれない。そんな思いからだ。それだけでもないが。

「目的は財宝じゃない、というよりは目的のものはなかったな」

「もう探り終わったんだね?」

「ああ」

 地下室を探れば、捕らえられている淫魔たちを見つけたはず。だが盗賊の反応はネロの思うようなものではなかった。ただの盗賊ではないと分かっていても、相手の得体の知れなさに心に恐れが湧いてくる。

「何故、殺さない?」

「さっき言っただろ。少しは抵抗してもらわないと殺しづらいって」

「そう。甘いんだね」

「よく言われる」

 勇者と似た類なのかもしれないとネロは考えた。実力はあっても人を殺すことに躊躇いを覚えるタイプ。
 それを美点とはネロは思わない。言葉にした通り、甘さだと思う。それも致命的な甘さだ、と考えたネロのほうが甘かった。

「えっ?」

 正面の男が持っていた剣が翻ったと思った瞬間、すぐ隣にいた子供が、体から血を噴いて倒れた。
 ネロが盗賊と普通に会話していたのは、隙を探る為の時間稼ぎ。隙を見せた瞬間に子供たちに殺させようと考えていたのだが、それは失敗に終わった。

「出来たら一緒にいるガキどもに大人しくするように言ってもらえるか? 子供を殺すのはあまり気分の良いものじゃない」

「……でも躊躇わなかった」

「ん? 躊躇うはずないだろ? そいつは俺を殺そうと向かってきた。自分や仲間を殺そうとする相手に手加減するほど俺は強くない」

「……強いんだね?」

 殺すことを躊躇わなかっただけではない。隙を突いたはずの子供より、盗賊の剣は速かったのだ。

「話し聞いてたか? 俺は強くない」

「でも僕に比べればずっと強い。いいね。才能があるんだ」

「馬鹿にしてるのか?」

「はい?」

 盗賊の問いに戸惑うネロ。確かに心から褒めているわけではない。皮肉も込めているが、馬鹿にしているつもりはネロにはなかった。

「褒めたつもりだけど……?」

「才能があるなんて褒め言葉じゃないだろ? 才能なんてのは親にただでもらうものだ。中にはもらえない人もいるか。あえて言うなら、運が良かったね、だな」

「……面白いこと言うね、君」

 才能を持つ相手に「運が良かったね」なんて言っても、嫌味にしか聞こえない。もしくは負け惜しみ。どちらにしても褒め言葉とはほど遠い。

「そうか? 普通だと思うけど」

「普通じゃないでしょ? じゃあ、君はなんて言われたら喜ぶんだい?」

「……頑張ったね、かな? それは自分の努力を認める言葉だ。自分がやった事を褒められるのはやっぱり嬉しいな」

「そう……僕はそんな言葉を言われたことないな。僕は剣も魔法もまったく才能がない。いくら頑張っても認めてなんてもらえなかったな」

「……頑張らなかったのか?」

「頑張ったつもりだ。才能がない僕は人よりも頑張らなければいけなかったからね」

 ネロもただ才能のなさを嘆いていただけではない。上の兄に追いつこうと努力していた時期もある。だがそれは結果として表れず、無駄な努力に終わった。

「じゃあ、悪いのは周りの人間だな。残念だったな。お前の周りには良い人間がいなかったようだ」

「……どうしてそういう話になるんだい?」

「頑張ったんだろ? 成果が出るかどうかは別の問題だ。頑張ったという事実を認めてあげられない周りの人間が悪い」

 褒めるのは努力の結果だけではない。努力していた過程も、それこそを褒めるべきだ。

「……君、面白いね、もう少し話したいんだけど時間あるかな?」

 そんなことを言う人にネロは生まれて初めて出会った。殺されるかもしれないという恐怖よりも、相手に対する興味のほうが強くなった。

「お前、俺が何者か忘れてないか?」

「……そうだけど……結局、何を盗りにきたんだい?」

「奴隷」

「……ここには奴隷はいない。これは嘘じゃない」

 淫魔たちをどう表現するか。それを考えて少し躊躇ったネロだが、結局は奴隷はいないと断言した。

「そうか。まあ実際そうみたいだからな。じゃあ引き上げるか」

 ネロの言葉をそのまま受け入れて、この場を去ろうとする相手。

「ちょっと待って!」

「何?」

「地下室。彼女たちを見たんだよね?」

 捕らえられていた淫魔たちを盗賊は発見したはず。その事実をどう捉えているか確かめておきたかった。事が公になれば、ネロは終わりだ。父王がネロを放っておくはずがない。

「あっ、気付いてた?」

「……えっと」

 相手の反応はネロには全く読めない。

「あれならもう逃がした。目的と違うから放っておこうかと思ったんだけど、さすがにあれはな……目的の奴隷と同じような感じだから見るに見かねて」

「そう……」

「返せと言われても返さないぞ。俺は盗賊だからな」

「そんなことは言わない。それで彼女たちをどうするつもり?」

 返せと言っても無駄、というだけでなく、その必要がないのだ。

「……決めてない。でも静かな所で余生を送ってもらいたいかな。もうすぐ死ぬよな? それも全員」

「そうだね。長くないと思う」

 淫魔たちは全員が限界に達している。子供を産むどころか孕んだ途端に死んでしまうような状態だ。何もしなくても死んでしまう者もいるとネロは考えている。

「ああ、でも生き延びたらお前に復讐しにくるかもしれない」

「それは覚悟している。問題ないね」

「そうか……じゃあ、これでお互いに用はないな」

「……もう少し話さないか?」

 ネロはこれで終わりにしたくない。この男と話しているのが、何故か楽しいのだ。

「はあ? だから俺は盗賊だって……」

「でも何も盗っていかないんだよね?」

「あれは盗ったということだろ」

「いずれここで死んでしまうはずだった。それを盗られても僕には何の問題もない」

「まあ。何を話したいんだ?」

 ネロが本当にただ話したがっているだけなんて分からない。引き止める口実ではないかと疑っているのだ。

「色々。あまり話相手がいないんだ」

「確かに使用人の数は少ないみたいだな。調べた時に思ってた。貴族にしては質素な暮らしだ。こんな所に本当に奴隷なんているのかってな」

「貴族じゃない」

「そうなのか? じゃあお前も使用人……のはずないな。かなり立派な恰好だ」

「王だからね」

「はあ!?」

 ここがユーロン王国の末弟王の城であることは知っていても、話している相手が本人であるとは思っていなかった。この辺りは少し調査不足だ。
 これは子供たちの存在による影響。事前に奥深く忍び込むことを躊躇わせたのだ。

「やっと君のほうを驚かすことが出来た。ずっと驚かされてたから、ちょっとすっきりした。僕はユーロン王家の三兄弟の末っ子。ユーロン双王国はさすがに知っているよね? 兄弟は身分としては全員が王。つまり僕も王」

「そうなのか……」

「僕自身のことも含めて、少し話をしないか?」

「……条件がある。ひとつはこの子供たちを同席させないこと。その代わり、俺も部下を同席させない。話をする部屋の周りにこの子供たちも含めて、誰も置かないこと。但し俺の部下は一人だけ隣の部屋にいさせてもらう。条件は五分じゃない。それでもいいか?」

「いいけど……部下がいたんだ?」

 危害を加えるつもりはないので、条件はどうもで良い。だが盗賊が一人でないことに、ネロはまったく気付いていなかった。

「全てを晒したら危険だろ?」

「確かにそうだね。そうか、そういう意味では僕は失敗だね」

 ネロは子供たちを全員と一緒に行動していた。手勢を全て晒した状態だったのだ。

「ああ、それと配置。何人かは後ろに残しておくべきだったな。そんなんだから俺に後ろを取られる」

「今度から気を付ける。条件は全て飲む。話す部屋も君が決めていいよ」

「へえ、そこまで気を遣うか」

「お客さんだからね」

「心遣いに感謝する。じゃあ上に行くか」

「前を歩いた方がいいね」

「その通り」

 

 地下室から出た所で盗賊は迷わず一つの部屋を選んだ。二階にある裏庭に面した角の部屋。窓は大きく、その窓から見えるのは一本の木だけ。
 何か理由があるのだろうとネロは思ったが、具体的なことまでは分からない。考える必要性も感じない。話をすることが大事なのだ。
 その部屋にあった小さなテーブルに二人は向かい合って座った。

「とりあえず、さっきの続きからだね。僕は王家の人間だ。身分としてはユーロンの王の一人。といっても権限なんてないに等しい。任されている狭い領地の範囲内。それも絶対的な権限を持ってるわけじゃない。ユーロン双王国全体は父王が権限を持っている。そういう意味では僕の権限は大国パロスの貴族よりも小さいだろうね」

 ネロの言う通り、パロス王国の大貴族、四エンド家はネロよりも大きな領地を持ち、強い権限を持っている。

「知識としては知ってたけど、こう聞くとやっぱり歪んでるな。なんでそんな制度を取ってるんだ? 内乱の種になるだけだろ?」

「そう歪んでる。元々がおかしいんだ……こういう話に興味ある?」

 盗賊が政治の話に興味があるのか。ネロはそれを心配したが、その心配は無用だ。

「すごくあるな」

「じゃあ話そう。事は百年以上前、パルスが危機に瀕した時にさかのぼる。パルスの危機は知っている?」

「大森林に侵攻して痛い目にあったってやつか?」

「よく知っているね。君、やっぱりただの……まあ、君が誰でも関係ないけどね。そのパルスの危機に乗じた国のひとつがユーロン王国。これは略称じゃない」

「双王国ではない?」

「そう。その時はまだ王国。その前までユーロン王国は強国パルスに押されて、その領土をどんどん削られていたんだ。でもパルスの大森林での失敗はそれを押し戻す絶好の機会となった。ユーロン王国は全軍をあげてパルスに侵攻した。その時に活躍したのが当時の王子二人。その二人の活躍は素晴らしかった。どっちの功績が優れていると誰にも判断が付かないくらいに」

 このユーロン王国の侵攻がパルス王国を弱体化させた、といっても最盛期に比べての話だが、直接的な原因だ。西方攻略で大きく後退したパルス王国の大陸制覇は、振り出しに戻ることになった。

「それで双王国?」

「ちょっと早い」

「あっ、悪い」

「その影響はあったけどね。当時の王は既に老齢。王子二人のどちらかに後を譲りたかった。でも二人の評価は同じ。臣下の支持は真っ二つに分かれていた。おまけに王子同士がお互いの功績を称えあい、相手こそが王に相応しいと譲らなかった」

「それちょっと気持ち悪いな」

 玉座を争うのではなく譲り合う。それを良いこととは捉えず、気持ち悪いと盗賊は表現した。

「そう思う? それは正しいよ。理由があったんだ。パルスの領土を削ったといっても滅ぼしたわけじゃない。ある線で侵攻は完全に防がれた。その侵攻を防いだのが今のパルスのウエストエンド侯爵家だけどそれはいいね。パルスの国力はいずれ回復する。その時にパルスの侵攻を防ぐ自信が二人にはなかったんだ。だから王になんてなりたくなかった」

 ユーロン双王国において救国の英雄と称えられる二人だが、実際にはそれは過大評価だということだ。あえて過大評価することも必要だったのだろうが。

「それでお互いが王になった。責任を分散する為に」

「そう」

「全然問題の解決になってない。王になったからには分散どころかお互いが重い責任を負うだけだろ?」

「そうだよね。でもそうなっちゃったんだ」

「それは何代前の話なんだ?」

「先先代だね」

「次の代にも続いたことが驚きだな」

 どう考えても問題のある王制。それが何故、次の代にも続いたのか。これもまた愚かな理由だ。

「それにも理由がある。王族の僕としてはちょっと恥ずかしい理由。ユーロンは双王国になった。でもその後、結局パルスは攻めてこない。それが分かると二つに分かれているのが馬鹿馬鹿しくなった。国を一つにしたい。でも真っ向から戦うわけにはいかない。取れる方法は?」

「……暗殺?」

「正解。お互いがお互いを暗殺しようとして結局それは弟王の勝ち。でもその弟王には度胸がなかった。暗殺したことなんて気にせずに堂々と王でいる度胸がね。そこで弟王は形だけ二人の息子に王の座を譲った。新しい形の双王国の出来上がりってわけさ。息子を双王国の王にしておいて実権は父親が握る。今の形と一緒さ」

「なんとも凄いな。その二人の息子の王は?」

「それを僕に言わせる? その片方は一応、僕の父親なんだけど」

 次の代にも同じことが起き、同じ決定を生き残った王は行った。

「歴史は繰り返すだな」

「……へえ、格言だね」

「まあ。でも今度の息子は三兄弟だったと」

「そう。だから僕も王。形だけのね」

 兄弟が何人であっても父王が実権を全て握り、息子たちは全員が王を名乗る。それが双王国の政治体制なのだ。

「まったく意味がないな。それでどうするんだ? 歴史が繰り返されれば兄弟で殺し合いだろ?」

「そう。でも僕には勝てる見込みがない。領地は小さい、家臣も少ない」

「でも真っ先に狙われないんじゃないか?」

「えっ?」

「だって、一番力がないんだろ? じゃあ後回しにされる可能性が高い。末弟なんだよな。じゃあ、まずは兄王二人が争いを始めるわけだ」

 二人の兄も父と同じくネロのことは軽視している。玉座を競い合う相手として見なしていた。実際にネロにはなんの力もない。奪うべき力がない相手と争う必要はない。

「でもそれが終われば僕の番だ」

「……そこは上手くやるしかないだろ? 少なくとも上の二人はお前に対して油断している。付け入る隙はあるはずだ。たとえば……どちらかに付く。自分には野心なんてない。それを証明する為にも協力するって感じだな」

「信用しないよ」

「でも利用しようとするかもしれないだろ?」

 信用される必要などない。利用出来ると思わせることが出来れば、それで十分だ。

「……あえて利用されろって言っているの?」

「そうだ。利用されているのが分かって利用されるってのは、相手を利用していることと同じ。それに利用されるってことは前に出ることになる。陰に隠れて裏から見ている奴より、前に出ている奴のほうが全体の状況はよく分かる。もっとも前に出過ぎては駄目だけどな。そうなってしまうと視界が狭まってしまう。その辺の加減は難しいかもしれない」

「……そうだね」

 盗賊が考えつくことではない。それどころか、自分の想像を遙かに超える存在なのかもしれないとネロは思った。

「そしてこれの利点は、敵が一人に絞られるってこと。利用されている間は利用している相手を気にする必要がない。二方向から守るよりは楽だろ? さらに利点がある。敵が一人に絞られた時を真っ先に知ることが出来る。これは当然だよな。自分がやるんだから。利用しているつもりの奴が、それを知るまでの時間がそいつの隙になる。そこを狙うわけだ。ただじっとしているよりは悪い選択ではないと思う」

「……すごいね。たったこれだけの時間でそんなことが思いつくんだ」

「まあ、頭は少し良いほうだ」

「……それは才能だよね?」

 相手から初めて自分の才能を認めるような言葉が聞けた。ネロにとっては嬉しいことではない。

「そうだな。でも便利だと思ったけど感謝したことはない。俺はこの才能のおかげで両親を不幸にした。これのせいで母親は死んだ。父親は生きているけど、小さい時に別れて以来会ってない。才能なんてそんなものだ」

「……そうか、だから君は、才能を褒められたくないんだね?」

「そうだな。これが一番大きな理由かもしれない」

 才能を嫌う理由は自分の両親を不幸にしたからだと分かった。才能を持たないネロはそのことで悩み苦しんだ。一方で才能を持った彼もそのことで親を不幸にした。
 才能なんてそんなもの。出来ることなら、もっと早くこれを知りたかったとネロは強く思った。

「参考にさせてもらうよ」

「本気か? 実際には口にするほど簡単じゃないぞ。相手が一人だといってもそんな簡単に暗殺なんて出来るわけじゃない。利用している相手をうまく油断させ続けなくてはならない。うまくいく保証なんてない」

「でも、じっとしているよりはましでしょ?」

 実際にはすでにネロは動いている。これまでの会話は、それが正しいことか疑問を持たせることになってしまったが、もう止められない。そうであれば少しでも聞いた話を活かすしかない。

「まあ、そうかもしれないけどな」

「もうひとつ教えてもらっても良いかな?」

「答えられることなら」

「もしパルスと戦ったとしたら勝てるかな?」

 さすがにこれの答えは出ないだろうとネロは思っている。それでも、もしかしたらと思わせるものがあるのだ。

「質問が曖昧。ユーロンの国力って昔より上がってるのか?」

「上がっているけどパルスはそれ以上だね」

「じゃあ無理だろ。ウエストエンドも突破出来ないってことだ」

「……侵略してきたのを追い出すことは?」

「…………それは三兄弟が協力してか?」

 盗賊の琥珀色の瞳がじっとネロを見つめている。ネロが考えていることを相手が知っているはずがない。だが彼の質問は、まるでそれを知っているのかとネロに思わせるものだ。
 動揺が隠せない。その瞳に見つめられると、なんだか心を見透かされているようにネロは感じてしまう。

「……僕一人で」

「兵数は?」

「信頼できるのは三百かな? それ以外は……千くらいはいると思う」

 子供たちを含め子飼いといえる兵数で三百。それ以外は、王妃の座に惹かれてネロにすり寄ってきている貴族家の兵力をかき集めてだ。たった千三百。相手の答えは分かっている、はずだった。

「練度」

「……これから鍛える」

「普通に考えれば無理だな。その信頼できる三百って、本当に信頼できるのか?」

「裏切ることはないと思う」

「……ちょっと足りない。迷わず命を捨ててくれるくらいじゃないと」

「それが出来たら出来るのかい?」

 相手の言葉は可能性を感じさせるもの。何を根拠にそう考えるのか、ネロは気になった。

「どうだろ? でも何年かかってもやり遂げる。そう思って続けていれば出来るかもな」

「それって精神論だよね?」

「そうだけど……まあ良いか。もう会うことはないだろう。俺たちはなんとか出来そうだぞ。俺たちがやっているのは、大陸全土で不当に奴隷にされた人たちの解放」

「大陸全土?」

「そう。そしてそれに携わってる俺の仲間は二百、信頼できるのはその内の百だ。正直初めは本当に出来るか自信はなかったけど、やってみたら何とかなるものだ。少なくともお前には俺より多くの部下がいる。やる事は違っても出来ないとは言い切れないだろ?」

「……やっぱりただの盗賊じゃなかったね?」

 大陸全土の非合法奴隷の解放。そんなことは盗賊に出来るものではない。では何者であれば出来るのかと考えても、ネロは思い付かない。

「やってる事は盗賊だ」

「でも盗賊がやる事じゃないね?」

「でも盗賊だな。ただ俺とお前にはやる事以外にも違いがある。俺の信頼できる仲間は恐らく、俺が死ねといえば死んでくれる。そういう仲間が必要だと思う」

「……僕には無理そうだ」

 そこまで臣下の信頼を集める自身はネロにはまったくない。そうであるから、親子という関係性を求めたのだ。

「信頼できるのが三百って言わなかったか? その信頼を高めて行けばいい」

「僕は人が苦手なんだ。人から蔑まれる事が多かったから」

「それは俺と一緒だ」

「……でも、君には死んでくれる仲間がいるんだろ?」

「それはここ数年の話。その前まではひとりぼっちで粋がっていた。仲間なんて作ろうとしないで周りは全て敵。そんな風に考えていたかな」

「そう……でも仲間が出来た。良い人たちに巡り合えたってことかな?」

 自分と相手の差。それは運だとネロは思った。そう思いたかった。興味を持って、自ら話す時間を求めた相手だが、その相手もやはり自分の持たないものを持っていた。どうしても嫉妬の心が湧いてしまう。

「それもあるけどそれだけじゃない。結局、仲間が出来るか、敵が出来るかってのは本人の問題のような気がする。本人に覚悟があるかどうか」

「覚悟って?」

「人を信じる覚悟? 人に裏切られてもかまわないって覚悟かな? ちょっと違うか。うまく説明出来ないな。俺もなんとなくだから……人を傷つけ、人に傷つけられる覚悟が一番近いかな?」

「えっと、よく分からない」

「俺もうまく説明出来ない。でも人と接していればそういうことは起きる。前までの俺は信用して傷つけられるのが嫌だから、人に頼って傷つけるのが嫌だから、そんな理由で壁を作ってたんだと思う」

「……なんとなく分かった気がする」

 人に傷つけられるのが恐い。だから人と接したくない。この気持ちはネロも同じだ。彼と自分の差は、その恐れを乗り越えたかどうか。運ではなく覚悟の差。これにはネロも納得だ。

「まあ、俺がどうこういうことじゃないか。理由は人それぞれ、それをどうするかも本人が決めることだ。さて、さすがにもう帰ろうと思う。いつまでも部下を待たせるわけにはいかない」

「そう……ねえ、僕と友達になってくれないかな?」

「友達? これを言うのは何回目だ? 俺が何者か覚えてる?」

「盗賊。でも人と話をしてこんな楽しい時間を過ごしたのは久しぶりなんだ。もう十年以上こんなことなかった。だから友達になりたい」

「……無理だな。友達にはなれない」

「そう……」

 友達を求めたのは、言葉にして求めたのは生まれて初めてのこと。だがそれは拒絶されてしまった。

「別にお前が嫌だってんじゃないからな。俺はこんなだから名前を明かすことは出来ない。名を明かせない相手に友達なんて言えないだろ? それに、ここに来ることはもうないと思う。まだまだやる事があるからな。仮に来ることが出来るようになったとしても、それは何年も先の話だ。友達といっても何も出来ない」

「僕はそれでもかまわないけど。君の名前はいいよ。僕の名はネロだ」

「ネロ? 王でネロ……皇帝じゃないだけましか。あっ、でも善政もしてたんだったかな? でも最後が良くないな……でも歴史なんてのは……」

 ネロの名前を聞いて、相手は訳の分からないことを呟き始めた。ネロという名の皇帝を、歴史上の人物として彼は知っているのだ。この世界とは違う世界の歴史で。

「まあ、それは良いか。友達になるって話の前に、ひとつ聞きたいことがある」

「何?」

「地下にいたのは? 魔族っぽいのはわかる。なんで彼女たちを監禁していた?」

 ネロにとってもっとも聞かれたくなかったこと。あれを許す人などいるはずがない。それはネロにも分かっている。では誤魔化すか。

「……彼女たちは淫魔。彼女たちには僕の子供を産ませていた。無理やり……」

 ネロは正直に話すことを選んだ。誤魔化しても相手はすぐそれを見抜く。嘘をつく相手を友達になんてしてくれるはずがない。

「淫魔なのか……なんでそんなことを?」

「信用できる味方がほしくて……子供は親を裏切らないかなって……」

「裏切るだろ? 親だといっても許せないことはある」

「そうだね……」

「罪深い事をしたな」

「そうだね……」

「お前は子供に殺されるかもしれない。お前が殺されるのは自業自得だけど、子供を親殺しにさせるのはちょっとな……」

「そうか。気付いていなかった。自分だけが覚悟していればいいと思っていたけど……」

 そうではないと気付かされた。自分を殺した子供たちに親殺しの罪を背負わせることになるなんて、まったく考えていなかった。

「友達の件は保留」

「……そうだよね?」

「お前がその子供たちと本当の信頼関係を築けたと思えるまでな。別に今、真実を話す必要はない。今話してもただ傷つけるだけだと思う。大切に育てるんだな。いつか自分を殺すかもしれない子供たちを。それが罪滅ぼしになるかは分からない。それを判断するのは俺でもお前でもない。子供たちだ」

「……そう。ありがとう」

 ネロの口から御礼の言葉が溢れ出た。自分が犯した罪は消えることはない。自分が死ぬ他には。ネロはこう考えていたが、それは間違いだった。
 罪が消えることがないのは変わらない。だが、それでも許してくれる存在が出来る可能性がある。唯一信頼する妹のエリザベート以外に。それを教えてくれる言葉だと感じたのだ。

「何で礼を言われるんだ? とりあえずこの話の結論はずっと先の話だな。でも……淫魔って子供生めるんだ?」

「それが……何故か僕の子供は産めるみたいなんだ」

「……それがお前の才能か」

「才能? こんなの才能って言わないよ」

「でも持って生まれたものなんだから才能の一種だろ? ただお前はその才能を間違った使い方をした。ちゃんと好きな人だけだったら良かったんだけどな」

 才能に良し悪しはない。持って生まれたもの全てが才能であり、その良し悪しはそれをどう使うかで決まるのだ。

「淫魔を好きにって……」

「魔族だって人だ。人同士で好きになれないわけじゃない」

「君って……」

 魔族を人と言い切る。好きになれると言う彼。この世界の常識からかけ離れた考えを持つ彼だからこそ。何故そのような考えを持てるのかはまったく分からないが、それでもネロは少しだけ相手を理解出来た気がした。

「まあ、そんなことを言いたいわけじゃない。俺が言いたいのは才能を持っていてもそれは必ずしも人を幸せにするものじゃないってこと。それをどう生かすか、その努力が必要だ……さっきから俺、説教くさい爺みたいだな。偉そうに言える年じゃないのに」

「そうだね。でも僕よりも経験があるのは確かのようだ」

「そうか? どう見ても俺のほうが若い」

「……僕、若く見られるほうだけど? 言葉遣いもこんなだし」

「それでも十才くらいは違うだろ。俺……あれ何才だっけ。十七? いや十八になったのか?」

「……たしかに十才以上、違うね。なんかもう驚く気にもなれない。でもありがとう。年なんて関係ない。君の話はすごく僕の為になった。ちょっと考えてみるよ」

 実際は十才どころではない。ネロはエリザベートの兄なのだ。ローズマリーという彼と年の変わらない娘を持つエリザベートの。

「そうか。じゃあ、またいつかだな」

「そうだね。またいつか」

 ネロの返事が終わらないうちに、盗賊は彼の目の前から一瞬で姿を消した。
 彼が消えた後、窓から入ってきた風がネロの顔をなでる。あわてて窓に近づき外をのぞいて見たが、もう相手の姿は影も形もなかった。
 彼に出会えた喜びと、別れた悲しみがネロの胸に同居している。自分を理解し、自分の過ちを正してくれるかもしれない存在がこの世にいた喜び。運命が何故もっと早く彼を自分に会わせてくれなかったのだろうという悲しみ。
 計画は動き出している。もうネロには止められない。