月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

四季は大地を駆け巡る #67 種まき

異世界ファンタジー小説 四季は大地を駆け巡る

 都市連盟の南の外れにある街。そこにある商業ギルドは閑散としている。商業ギルドの職員は忙しい毎日を過ごしているのが一般的であるのだが、この場所は例外だ。
 ドワーフの国であるアイオン共和国との国境であるというだけで商業ギルドの支店が設けてあるのだが、そのアイオン共和国との商売のほとんどは、もっと西にあるパルス王国との国境の街で行われている。この街に流れてくるのは、わずかな物資のみ。当然、それを求める商人などまずいない。
 街そのものに活気があるとは言えないこの場所で彼は商業ギルドの職員として働いている。不満はない。ギルドの仕事に追われるよりも、他のことで時間を使うのが彼の望みだからだ。
 そんな彼のところに、今日は珍しく客がやってきた。いかにも商人という風体の男。奇特な商人だ。その男を見た彼の感想だ。

「商業ギルドに登録したいのですけど、ここで受け付けてもらえるのですか?」

「ああ、ここが受付だ。でも珍しいな。新規の登録だなんて」

 この街で商売など成り立たない。すぐに商売を行うことはなくても、ついでに登録しておこうと考える商人はいないことはないが、それも他の街での話。わざわざ南の外れのこの街までやってきて登録しようなんて商人はいないのだ。

「そうなのですか? 商売を始める人なんて私の他にもいるでしょう?」

「それはもっと大都市での話。こんな外れの街で新しい商売を始めようなんて奇特な人間は滅多にいないよ」

「私は奇特な人間ですか?」

「それはそうだろう? こんな小さな街じゃあ、稼ぐのは難しい。もっと大きな街のほうが良いと思うな」

 これは彼の良心からの言葉だ。成績だけを考えれば、登録者は多いほうが良い。といっても一人増えただけでは高評価を得られるはずもないが。

「でも大きな街だと競争相手も多いのでしょう?」

「まあそうだな。なんだ、自信がないのか?」

「ええ、小さな商いからですから。商業ギルドにも初めての登録です」

「えっ? そうなのか? まったく一からって事か……大丈夫か? そんなんで」

 商売は簡単ではない。以前、働いていた別の街にある商業ギルドで、彼は失敗した人を大勢見て、知っている。

「運良く商いが当たったので元手はあります。その元手を使って、ちゃんと商人としてやっていこうと思いましてね」

「おい、それは……」

「まずいでしょうか?」

「まあな。闇で商売したってことだろ?」

 どこの商業ギルドにも登録していない状態で商売を行えば、それは闇商売だ。本来は許されるものではない。

「まあ。でも商売というほどの中身じゃないです。知り合い同士の間での物のやりとりの仲介をしただけです。ただその謝礼がけっこう大きくて。それとその知り合いに、これからも続けられないかと言われましてね」

「なるほど。確かに闇商いと呼ぶには微妙だな」

 知り合い同士での物のやりとりとなると商売というより運送だ。運送も商売のひとつではあるが、ただ物を運ぶというだけであれば、傭兵ギルドでも受けている。しかもこの男の言い方だと、ずっとやっていたようには聞こえない。

「登録出来ないですか?」

「一度だけなんだよな?」

「はい。知り合いに頼まれて一度やっただけです」

「じゃあ、いいだろう」

 男の言葉を信じて、登録を受け入れることにした。別に闇商売を、それも罪に問われるか分からない微妙な件を摘発しても彼に利はない。そんなことで時間を取られたくないのだ。

「本当ですか? ありがとうございます」

「じゃあ、登録手続きに入るか。登録申請は?」

「はい。分かる部分は一通り書きました。これです」

「手際が良いな。どれ、見せてももらおうか。扱う品物は穀物、武具。武具? おい穀物だけじゃなく、武器も扱うのか?」

 武器は仕入れ先も売り先も限られている。商売を始めたばかりの商人が取り扱えるとは思えない。

「穀物が主ですけど、一応」

「いや、何でも書いておけば良いってもんじゃないだろ?」

「でも知り合いの伝手でドワーフとの商いが少し出来ます。登録しておいた方が良いでしょ?」

「そうなのか? それが出来るのであれば確かにそうだな。もしかして商いはこの街で出来るのか?」

 仕入れ先があるのであれば、登録するのは当然のこと。ドワーフと伝手があるというのは意外であるが、それが事実であれば問題ない。

「はい。その予定です。それもあってこの街を選んだのです」

「ほう。それはギルドにとっても良いことだ。分かった。あとは……奴隷?」

「はい。奴隷も登録しておこうと思いまして」

「いや、それはないだろ? 武具はまだ良いとしても奴隷って」

 奴隷はそれこそ仕入れ先が限られる。それだけでなく、この街には買い手などいないはずなのだ。

「何でも屋みたいなのをやりたいのです」

「何でも屋?」

「そうです。一から始めるのですからね。他店との差別化は必要じゃないですか? 私が目指すのは最終的にはこの店に来れば何でも手に入る。そんな店です」

「夢が大きくて結構だけど、登録品目毎に毎月の登録料が取られるのは分かっているか?」

 わざわざ登録品目を絞るのは、これが理由だ。この世界の商人の多くは専売。武具屋、馬屋、米屋、酒屋など単一の、実際は一種類というわけではないが、商品を取り扱っているのがほとんどなのでそれでも困らないのだ。
 滅多に行われないが、登録料を高額にすることで新規参入を阻むことも出来る。商業ギルドが商人をコントロールする為の武器の一つでもある。

「はい。ですので少しずつ品目を増やしながら、それでいて軌道にのったものを残していく。そんな感じでやるつもりです」

「そんなんで大丈夫かね? まあ最終的に決めるのはアンタだけど……でも奴隷商はお勧めしないな」

「何故ですか?」

「奴隷商が頻繁に盗賊に襲われているって噂は?」

 これは世間一般にはそんなに広まっている話ではない。だが彼はそれを知っている。それを知る伝手が、彼にはあるのだ。

「知っています」

「知っていたのか? それも驚きだが知っていてやろうとしているのか?」

「ちょっと違います。知っているからやろうとしているのです」

「どういう事だ?」

「この噂知っていますか? それは貴族がやらせているって噂。噂によると、その貴族は理不尽に奴隷にされた人を助けようとしているらしいです」

「そんな噂が? それは初めて聞いた」

 これについては彼の耳には届いていなかった。パルス王国の王都周辺から広がり始めたばかりの噂だ。距離的にこの土地に届くまでには時間がかかる。

「パルスの方ではかなり広まっていますよ」

「でも相手が貴族だろうと何だろうと襲われる危険があるのに変わりはないだろ?」

「抵抗するからですよ」

「はっ?」

「実はもうひとつ噂があります。こっちの方はあまり知られていませんね。襲っている盗賊はこう言っているそうです。死にたくなければそういった奴隷を集めるのに協力しろと。それをすれば殺さないって」

「そんなの信じられるのか? 大体集めてどうするんだよ?」

「買い取ってもらいます。正規の値段で。それも貴族の希望のようですよ。本音は手荒な真似はしたくないって事らしいですね。でも協力者は何人も必要ないでしょ? つまり早い者勝ちです」

「ほう」

 まさか初めてギルドに登録しようという男が、このような情報を持っているとは。情報を得たからこそ登録しようと考えたのだろうと彼は思う。ようやくこの男が、きちんと考えて商売を始めようとしているのだと思えた。

「ちょっと命がけですけど、うまくすれば上得意が付くことになります。だってその貴族は奴隷にされている理由が理不尽なものであれば、どんな奴隷でも買い取るみたいですから。こんな言い方はあれですけど、商品の質は問わないってことです」

「それは本当か?」

 彼の目の色が分かる。男がもたらした情報は、彼にとっては美味しい情報。まとまった金を手に入れる絶好の機会を得られるかもしれないのだ。

「あくまでも噂ですけど、私はそれに賭けたいと思ってます」

「……奴隷はどうやって仕入れるつもりなんだ?」

「それなんですよね、問題は。いい仕入先紹介してもらえませんか?」

「勿論だ。それが商業ギルドの仕事だからな」

「でも理不尽な理由で奴隷にされた者ですよ」

「……非合法な奴隷ということだろ?」

 やや躊躇いながらも彼はこれを口にした。商業ギルドの職員が、非合法奴隷を仕入れる方法を知っているなんてことは、おかしなことなのだ。

「……私がそれに答えられるはずないじゃないですか。そもそも商業ギルド職員の貴方に話すことではなかったですね。すみません。出来たら忘れてください。なんだったら奴隷は一旦外して登録します。仕入先の伝手がないんじゃどうしようもありませんからね」

 男は彼の言ったことのおかしさに気付いていない様子を見せる。しかも奴隷を扱うのは見送るなんてことまで言ってきてしまう。

「……仮にあるとしたら?」

 それでは彼は困るのだ。

「それは是非紹介して欲しいですね」

「ちょっと高くなるかもしれない」

「……もしかして本当にあるのですか? そうですね。ちょっと高いくらいは仕方ないですけど、私の手元資金にも限りがありますからね。出来高とかって有りですかね?」

「……まあ有りじゃないかな」

 考えた振りをしてみせたが彼の答えは初めから決まっている。この話を失うわけにはいかないのだ。

「割合は?」

「四割」

「それじゃあ儲けがないどころか損するでしょ? 買い手の貴族に対して値段を釣り上げるような真似をしたら、私が殺されます。上乗せはほとんど出来ません」

「三割では?」

 これもふっかけている。機会を逃したくないが、得られた機会で最大限の利益を得たい。彼は普段の雰囲気からは想像出来ないくらいに強欲なのだ。

「……誤解しているようだから言っておきますけど、そういった奴隷の相場は暴落しますよ? だって所有してたら命の危険に晒されるわけですからね。死にたくない人は急いで手放そうとするでしょう。それを買い取ろうなんてのは命を張って賭けに出ようとしてる私みたいな人間だけです」

「そういうことか……」

 男の話を聞いて、舞い上がっていた彼の気持ちが一気に沈んだ。大金を手に入れるどころではない。小遣い稼ぎの副業は成り立たなくなってしまう可能性が高いのだ。
 後悔が彼の胸に広がっていく。良い副業を手に入れたと思って調子に乗ったのが大間違いだった。だが後悔しても使ってしまった金は戻ってこない。

「やっと分かってくれましたか? 今回の件は命を張った者御だけが利益を得られるんです。それ以外の人は命を金で買うことになります。実際に金を出すと言っているのじゃありません。損をしても早く売れって意味です。少しでも金を手に入れたほうがましでしょ?」

「……そうだな」

「そう言っている私も、伝手が出来るかはわかりませんけどね。でもとりあえず奴隷を集めないことには話にならない。ただ、それが難しい。多ければ多いほど接触してくる可能性は高くなるでしょう。でも多すぎたら失敗した時は借金で首をくくる、まあその前に殺されていますね」

「……ああ」

「ひとつ策は考えたんですけどうまくいくかどうか」

「策?」

「私が積極的にそういう奴隷を集めている。実際に集まっているという噂を先に流すのです。本当に取引をするのはあくまでも、上手くいったあとということにして」

「ほう」

「ただ、こういう噂をどう流すかですね。大っぴらにしては私が先に役人に捕まってしまいます。奴隷商人や取引先との間で密やかにっていうのが理想ですけどね。これまたその伝手が……」

「……やってやろうか?」

 男はそれなりに覚悟を決めている。引く気はないと判断して、彼は隠し事を止めることにした。すでにほとんど隠せていないが。

「さっきからやけに乗り気ですけど、貴方はギルド職員ですよね?」

「まあな」

「裏の仕事があるってことですか?」

「今更、隠しても仕方ないだろ? それに俺もそっちの話は散々聞いた。あまり公に出来ない話をな」

 罪に問われる時は一緒。彼は男を脅しているつもりだ。まったく意味はないのだが。

「……そうですね。それで? 貴方は何が出来るのですか?」

「何でもやってやるよ。奴隷の仲介も噂の件も」

「へえ、そこまで出来るんですか? 手を伸ばせる範囲は?」

「その気になれば連合全体だな」

「すごいですね。いや、それを聞いたら是非お願いしたいですね。じゃあこういうのはどうですか? 貴方は仲介する中で出来るだけ安くさせる。相場とその値切った価格の差の六割が貴方の取り分です」

「そんなに?」

 沈んでいた彼の気持ちがまた舞い上がる。非合法奴隷の相場は暴落する。安く買い叩くのは難しくないはずだ。それを相場で売ればどれくらいの値段になるのか。どれだけの数を仕入れられるかによるが、相当な金額になるのは間違いない。その六割が彼の取り分になるのだ。

「伝手の無い私は、ただ貴方の情報を待つだけですからね。働く人が多く取り分をもらうべきでしょう。その代わり」

「……その代わり?」

「噂を広めるとかはタダでお願いしますよ?」

「なんだ、そんな事か。それくらいかまわない」

「では契約成立ですね。契約書なんて残せませんけど」

「それはそうだ」

「さて契約が済んだところで、貴方が真っ先にやらなければいけないことがあります」

「真っ先にやること?」

「早く私の登録を済ませてもらえませんか?」

「おお、すまない! すぐにやるよ。申請書は問題ない。あとは俺が書類を本部に送るだけだ。それとここで認可した時点であんたはすでに商業ギルドの一員だからな。登録証はこれ。すぐに印章を打つから待ってろ」

 申請書に認可印を押して封筒に入れる。それを本部宛ての書類入れにいれた後は、登録証に同じ印章の認可印を専用の機械で打ち込む。それで作業は完了だ。

「よしこれだ。商業ギルドへ、ようこそ。良い商売が出来ると良いな」

「ええ、よろしくお願いします」

 登録証を受け取った男はうれしそうにギルドを出て行った。それを見送る彼も嬉しそうだ。短い時間の間に気持ちは天国と地獄を言ったり来たりだったが、最後は天国で落ち着いたようだ。
 あとは実際の行動に移すだけ。グズグズしてはいられない。この情報が他に広まる前に稼げるだけ稼いでおかなければならない。そう考えた彼はこれから先、忙しく働くことになる。楽をして稼ぐことを望んでいたことなど忘れたかのように。

 

◆◆◆

 商業ギルドへの登録を終えて、店を開く予定の建物に向かう。大通り沿いの小さな建物。ギルドからは大して距離は離れていない。すぐそこと言って良いくらいの位置にある。
 そもそもこの街自体がそれほど大きな街ではない。大通りといっても並んでいる商店の数は数えるほど、同じ物を売る店はない。ここに割り込むことになるのだ。
 建物の裏口から中に入ると、仲間が先に戻っていた。

「首尾は上々ってところか?」

「ああ全く問題ない。いきなり網にかかるとは運が良かったな」

「運かどうかは別にして、この街に店を開けるのは良いことだ。ここはアイオンとの国境に近い。しばらくは重宝するな」

「ああ」

 奴隷を確保してから移送経路に乗せる必要がある。アイオン経由は西からのもっとも安全な経路だ。その入り口に拠点を持てたことは、仲間の言うとおり、今後を考えれば大きい。

「しかし、これでお前も三十人の雇い人を抱える旦那様ってわけだ」

「ちゃかすな。形だけだ。しかし、本当に大丈夫なのかな?」

「この連合全体で一日にいくつの商業ギルドへの登録があると思ってるんだ? 書類なんてひとつひとつじっくりと確認出来ない。仮に確認されても、元々どっかで商売やっていたくらいに思うだけだ」

「そうだな」

 商業ギルドに提出した登録申請の裏面には三十もの奉公人の名前が記されている。それに職員の彼は気付いていない。これから商売を始めようなんて男に何故三十人もの奉公人がいるのか、気付かれれば不思議に思われただろうが、考えていた言い訳を使う必要もなかった。彼は自分の稼ぎをどうするかで頭が一杯だったのだ。
 とにかくこれで三十一人が商人という表の顔で活動できる。あとは各地に支店という名の忍び宿を増やして、裏の活動拠点として使う。
 商業ギルドというのは何とも便利なものだ。別の商業ギルドの登録情報を共有している為に、別のギルドで登録されている者であれば一から登録するよりも甘い審査で支店の許可を受けられる。
 聞いてみれば簡単な話。実際、同じような方法を使っている商人は大勢いるだろう。審査の甘い、もしくはギルド員を買収して登録を行い、他の街に活動を広げる。
 それを商人でもない彼等の主、ヒューガは思い付いた。
 ヒューガは彼等にとって不思議な存在だ。そもそも今回の件がそう。最終的には奴隷を正式に買い取る方法に変更するとは聞かされていたが、まさか奴隷商人そのものになるとは思わなかった。その方が効率が良く、買い取りを行っている者の素性を調べられる心配もないという話だったが、それだけではなかった。
 商人という表の身分をどさくさに紛れて入手し、彼等の活動をし易くする。そしてもうひとつ追加された命令は実際に商売を始めろだった。たしかに彼等、元リバティー王国の間者であった彼等は、その商売の為の情報収集を生業にしていた。
 ただ情報を集めるのは得意であっても、商売をした事はない。失敗は許されているが、それでも不安は消えない。

「……どうした。黙りこくって」

「新しい主のことを考えてた」

「そうか……今回の件を考えるとずいぶんと頭の良い方のようだ」

「それだけではないだろ? 自ら体を張ることも出来る。そして強い」

 彼等はヒューガと共に襲撃に参加している。その時にヒューガの強さを見せられていた。

「ああ。本人は全然満足していないみたいだがな」

「そうなのか?」

「一度そういう言葉を聞いた。素直にすごいと褒めただけのつもりだったのだけどな。もっと強い人は大勢いる。満足したらそこで終わり。そう言っていた」

「そうか……ハンゾウたちもそうだな」

「ああ。主と同じ気持ちを持っている……なあ、俺達は彼らに追いつけるかな?」

 かつての同僚たち。だがその同僚たちは離れている間に、遙かに先に進んでいた。

「追いつかなければまずいだろう」

「そうだな。そう考えると早く鍛錬に入りたいものだ」

 差をつけられたことを悔やむ気持ちは、ないわけではないが、それほど強くはない。それよりも期待のほうが大きい。ハンゾウたちが天性の才を持っていたわけではないことを彼等は知っている。
 自分たちも出来る。ハンゾウたちはそんな可能性を彼等に見せたのだ。

「そう言えるのは始める前くらいらしいぞ。実際始まったら死んだほうがまし。そう思うくらい厳しいようだ」

「……それでもだ。主に庇われながら任務をこなす間者がどこにいる? 俺はもうあんな悔しい思いはしたくない」

「俺もだ」

 ハンゾウたち、そしてヒューガは彼等に悔しい思いもさせている。ヒューガはハンゾウたちに対して、時に死地に向かわせるような命令を平気で発する。だが彼等が求めるのもその言葉。それこそが主の信頼の証と分かっているのだ。
 自分の為に死んでくれ。いつかヒューガにそう言われるようにならなければならない。

「最初にハンゾウたちに話を聞いた時は半信半疑だったが、俺たちは良い選択をしたな」

「ああ、聞いた話以上の方だ。この短い期間でこの人の為に死にたい。そう思える主なのだからな」

「それはそう思うだろよ。お前その短い期間でなんど主に命を助けられた?」

「数え切れん。お前もだろ?」

「ああ、一度の任務で何度死んだと思ったか。そう考えると凄い人であるとともに困った人でもあるな」

 命の恩人。それだけが彼等がヒューガに忠誠を向ける、大きなウェイトを占めているのは確かだが、理由ではない。

「ああ、間者を助ける為に命を危険に晒すような方だからな」

「なんとかしなくてはならん」

 ヒューガの無鉄砲さ。時に周りを困らせる言動が、彼等に「この人は俺たちがなんとかしなければ」と思わせるのだ。

「その方法は簡単だ。俺たちが強くなればいい」

「結局それだな。ドュンケルハイト大森林に戻れるのはいつ頃だろう?」

「最低でも半年後だろう。主たちのユーロンでの仕事が終われば、外に出るのは交替制になると聞いている。鍛錬とこの商売を行うものでな」

「そうか……」

「今は任務だけを考えたほうが良い。まだ基盤が出来ただけ。本当の活動はこれからだ」

「そうだな」

 強くなりたいという思いを一旦、心の奥に押し込める。焦ってはいけない。彼等の活動はまだ種をまいたにすぎないのだから。その種を確実に育てることがヒューガ、アイントラハトにとって何よりも必要なこと。奴隷の解放、活動拠点の拡大、実際の商売。それが大きく実を結んだ時、ヒューガはアイントラハトはどこまで行くのだろうか。