魔族討伐を終えての久しぶりの王都への帰還。王都の住民たちは熱狂的に勇者の凱旋を迎えた。大通りの沿道を埋め尽くす人々。その人たちの歓声に、にこやかな笑みを浮かべながら手を振って応える優斗。その姿はここを出て行った頃の優斗と変わらない。
素直に人々の賞賛を喜ぶ優斗の姿を見て、美理愛はこれまでの苦労が報われた気がした。彼女たちは王都に帰ってきた。勇者としての使命を見事に果たして。実際の魔王との戦いがこれからなのは美理愛も良く分かっているが、今はそれを喜びたかった。
そんな彼女の気持ちを踏みにじったのは、王城についた彼女たちを待ち構えていた、緊張した面持ちの武装した兵の姿だった。その様子は、帰還を喜んで出迎えているという雰囲気ではない。
「彼らは何なのですか?」
「師匠?」
「儂にも分かりませんな。一体全体どういうつもりなのか?」
「グラン宮廷魔法士殿!」
部隊長の階級章を付けた兵が彼女たちの前に立って、グランに声を掛けてきた。用があるのは優斗ではなくグラン。そういうことだ。
「……なんじゃ?」
「命により貴方を拘束します」
「なんじゃと? それはどういうことじゃ!?」
兵の言葉に驚くグラン。彼には拘束される覚えがない。実際は影で色々と動いているので、ないことはないのだが、ここでこのような事態が起こることなど、まったく想定していなかったのだ。
そして驚いているのはグラン本人だけではない。突然の出来事に美理愛は完全にパニックに陥っている。優斗も同じだ。ただ茫然と事の成り行きを見ているだけ。
「詳細については、後ほど別の者から説明があると思います。私の任務は貴方を拘束することだけです。手荒な真似はしたくありません。大人しく従ってもらえますか?」
「理由も聞かずに従えるか? 何故、儂がそのような目に遭わねばならんのだ?」
「詳細は別の者がと申し上げました」
「詳細は良い。拘束というからには儂に何らかの罪があると言っておるのだろう? それを教えろと言っておるのじゃ」
何も分からないまま拘束されることになっては、今後の対応を考えることが出来なくなる。とにかく理由を聞いて、拘束を回避する方法を考えようとグランは思っている。
「仕方ありません。貴方には不当に貴族を罪に貶めた疑いがかかっております。その真偽がはっきりするまでグラン殿を拘束せよ、それが、私が受けた命令です」
「貴族を不当にじゃと?」
「心当たりがございますよね?」
「そんなものはない。確かに貴族の罪を問うた。だがそれは不当と呼ばれる筋合いのものではない」
たとえ心当たりがあったとしても、それを認めるはずがない。
「そう言われましても、その様にグラン殿が訴えられているのは事実です。身の潔白は審議の場で述べてください。その機会は当然与えられるものと思います」
「しかしな……」
「これ以上の抵抗は抗命罪に問われることになります。大人しく従ったほうがご自身の為です」
「……分かった、どこに行けば良いのじゃ?」
この段階では拘束から逃れることは出来ない。兵は命令を受けただけ。権限を持っていない相手に身の潔白を訴えても、何も変わらない。グランは仕方なく、拘束を受け入れることにした。
「師匠……?」
呆然と立ち尽くすだけだった美理愛が、いよいよ拘束されるとなって口を開いた。といっても一言だけだ。
「大丈夫です。あくまでも訴えられただけであって、儂の罪が確定したわけではありませんからな。そもそも罪になるはずがない。儂は不当な事などしておらん。審議が始まれば直ぐに無実が証明される事になるじゃろう」
「そうですか……」
「ではこちらへ。勇者と聖女のお二人はこのままで。迎えの者が別に参ります」
「ああ」「……はい」
グランは周りを兵に囲まれたまま城の中に入っていった。それを見送る美理愛の頭は、まだ混乱したまま。状況が掴めないでいる。
「ねえ、美理愛。これはどういうことなんだろう?」
優斗も何がなんだか分からないまま。それはそうだ。二人にこの状況を理解出来るはずがない。
「私にも分からないわ」
「グラン師匠は何の罪を犯したのかな?」
「分からないわ。それにまだ罪を犯したと決まったわけじゃない。とにかく詳細を確認しないと」
「どうやって?」
「王に聞くのが一番でしょうけど、直ぐに会えるとは思えないわ。そうね、まずはアレックスに聞いてみましょう」
「そうだね。アレックスなら何か知っているはずだ」
グランがいなくなったとなれば、二人が頼るのはアレックスしかいない。そのアレックスがグランの拘束に関わっていることなど、二人には分かるはずがないのだ。
◆◆◆
部屋に案内されたあと、着替えだけを済ませて、すぐに優斗と美理愛の二人はアレックスに会うことにした。侍女にそれを伝えて部屋で待っているのだが、アレックスはなかなか姿を見せない。何度か侍女に催促しても、変わらない。二人はただ待つしかなかった。
会話もない。間を持たせようと口を開いてみても、会話が盛り上がるはずがなくすぐに沈黙が部屋に流れる。
シンと静まりかえった部屋の中。聞こえるのは優斗が神経質そうにテーブルを指で叩いている音だけ。それが美理愛の気持ちも苛立たせる。
その苛立ちが頂点に達しようという頃になって、ようやくアレックスが現れた。
「遅いですよ。すぐに会いたいと伝えてもらったはずです」
「すみません。グラン殿の件で話を聞きたいとのことでしたからね。何のことかすぐに分かりました。もう少し詳細が分からないか確認していたのですが、思いの外それに時間がかかりまして」
「そう。それで何か分かったのですか?」
グランの件を調べる為、と言われてはこれ以上、文句も言えない。文句を言っている時間も無駄だという思いもある。
「とりあえず、グラン殿は離れの塔に収監されたようです。貴族を拘禁するときに使う場所ですので、待遇面ではそんなに悪くはないと思いますよ。これが地下牢だとかなり厳しいものがありますからね」
「師匠には会えるのかしら?」
「直ぐには無理ですよ。でもちゃんと手続きを取れば大丈夫だと思います。さっき言った通り、待遇はそれほど悪くないはずです」
「師匠はどうしてこんな事に?」
「どうやらグラン殿の策謀がばれたようなのです」
「策謀? それって私たちにも関係ある件ですよね?」
グランの策謀とは、この国を変える為の計画。それに参加している美理愛たちにも関係のあるものだ。それが知られて、グランが拘束されたとなると、自分たちはどうなるのか。美理愛の気持ちは自分たちの心配に向いた。
「そうですけど、極一部だと思いますよ。そうでなければ、私がこうしていられるはずがありません。グラン殿より先に拘束されているはずです。私はずっと王都にいたのですからね」
アレックスのこの言葉に二人は少しホッとした。アレックスもまた関係者だ。そのアレックスが無事で、グランと自分たちがだけ罪に落とされる可能性は低い。あくまでも現時点ではそうだというだけだが。
「じゃあ、何がばれたというの?」
「私が去った後、貴族の不正を暴くというのを二度ほどやりましたね?」
「ええ。拘束にきた兵が言っていたのはやっぱりその件だったのね。でもそれに何の問題があるのかしら? あれは策謀というものではないと思うわ。ちゃんと証拠を示して――」
「策謀だったのですよ」
美理愛の声を遮って、アレックスは策謀だったと言い切った。
「どういうことですか?」
「今から説明します。ちょっと言いづらいですけどね。その不正の証拠というのが、実はグラン殿が用意したものだったようです」
「でもあれは、偶然、優斗が手に入れたものよ」
「そうだよ。不正の事実に心を痛めた人が、僕に何とか出来ないかって相談しにきたんだ」
証拠の入手にグランは絡んでいない。自分の手柄だと優斗は考えていたのだ。
「それが仕込みだったようですよ」
「仕込みというのは?」
「ユートの手に渡るようにグラン殿が仕組んだのです。わざわざそういう役割の人間を用意してね。摘発された貴族の関係者がその人間を見つけ出し、白状させた事でそれが明るみになりました。証人がいるわけですから、言い逃れは難しいでしょう」
「でも、その証人が偽物の可能性もあるわ。その貴族の関係者というのは身内を守ろうとしているのでしょう? それくらいの事をしてもおかしくない」
アレックスの説明を美理愛は簡単に受け入れられない。罪を犯したはずの貴族よりも、師匠であるグランのほうを信頼しているのは当たり前のことだ。
「……そうですね。それも含めて、これからじっくりと調べられることになると思います」
「師匠は無実になるのよね?」
「さあ……どうでしょうね?」
「アレックスはなんでそんなに落ち着いていられるの? 師匠はアレックスにとって同志でしょ?」
美理愛から見て、アレックスの反応はおかしい。アレックスにグランを心配している様子はない。それどころか彼の説明は、グランが罪に問われるのを当然だと思っているかのように聞こえる。
「えっ? 別に落ち着いてなどいませんよ」
「ごめんなさい。ちょっと失礼なことを言うようだけど、今のアレックスは師匠を心配しているように見えないわ」
「……それは逆に私が動揺しているからじゃないですか? いつ自分の所に拘束の兵が来るか……それを考えると、とても普通でいられません……」
アレックスは手を額の所で組んで俯いてしまった。アレックスの眉間によった皺。それを見て、美理愛は彼を責めるようなことを言ったことを後悔した。
「……そうね。でも、ばれたのというのがその仕込みだけなら、少なくともアレックスに非はないわ。心配しなくても大丈夫よ」
「それだけで済めばですよ。グラン殿が他のことまで話してしまっては私も同じ目に……いや、もっとひどい目に遭いますね」
「アレックスは師匠が仲間を売るといってるの? 師匠はそんな真似しないわ」
「ええ、私もそう信じてます。でも国というものは色々な専門家を抱えているものです。真実を吐かせる術に優れた者なんかもね。それにグラン殿が耐えられるか……」
アレックスが言っているのは拷問のこと。それはあり得ると美理愛は思ってしまう。人権なんてものが確立していない、元の世界よりもかなり遅れているこの世界ではそれが普通なのかもしれないなんて思っているのだ。
グランが拷問にかけられる。彼の身を案じる気持ちと共に、自分もそんな目に遭うかもしれないという恐怖が心に湧いてくる。
「僕たちはどうなるんだろう?」
優斗も美理愛を同じ事を思った。口から出てきたのは自分たちの身を心配する言葉だ。
「グラン殿が何も話さなければ問題ありません。二人は何も知らずに貴族を摘発したのですからね。知らなかったですよね?」
「当たり前です!」
「では大丈夫。でもその為には……」
「その為には?」
「……グラン殿にそれを証言してもらうこと。それとすぐに罪を認めてもらう必要があります。別に誰彼かまわず拷問にかけるわけじゃありません。素直に白状すればそんな目には遭わないでしょう」
「素直にって……証拠を優斗に渡すために人を雇ったことですよね? そんなことを師匠は隠そうとしないと思いますけど……」
この程度のことが罪になるとは美理愛は思っていない。実際にその通りだ。これだけであれば罪には問われない。
「それだけであれば私も何も心配しません」
「他に何かあるのですか?」
「不正の証拠のねつ造」
「嘘よ! 師匠はそんなことしてないわ!」
「でも、していないという証拠もないのですよ。摘発された貴族側は不正なんてしていないと言い張っています。そしてその件について徹底的に戦うと。そうなると審議は長引きます。審議が行き詰まれば、被疑者であるグラン殿を拷問にかける事になりかねませんよ?」
「仮にそうだとしても……」
仮にそうだとしても、私たちに非はない。こんな言葉が口を突いて出そうになる。グランのことよりも自分の身を考えてしまっている自分を美理愛は恥じた。
「不正のねつ造だけで事が済むと思いますか? それは少し考えが甘いと言いましょう。グラン殿が証拠をねつ造した事が明らかになれば、次は何故そんな真似をしたのかという事に追及は移ります。それに対してグラン殿がどう答えるか……」
「僕の為と答えるんだよね……?」
「優斗! 師匠はねつ造なんてしていないわ!」
「でもアレックスはそう思っているよ。グランさんは僕の為に証拠をねつ造して貴族を摘発させた。そうだよね?」
「……ええ」
優斗の問いをアレックスは肯定した。この段階になれば、無理にグランを擁護する必要はない。二人の気持ちはグランを心配することから、自分たちの保身にほぼ移っている。それがアレックスには分かる。
「アレックス、貴方が師匠に疑いを持つなんて……いったいどうして?」
「持っているのは疑いじゃなくて確信なのです。実は君たちと別れる前にグラン殿から計画書の一部をもらいました。離れ離れでの行動になるので、何かあった時の為に知っておいた方が良いだろうと言われて。今回の件を知って、その内容を確認したのですが……この件は確かに計画書に書かれていました。それが証拠です。グラン殿は貴族を陥れたのです」
「そんな? なんで師匠はそんな真似を?」
「ユートが言った通りです。ユートの為です。正確には勇者であるユートの人気取りですよ。悪い貴族をやっつける正義の味方ってところですね。平民の人気を集めるには良い策です」
「そんな言い方しないでください!」
「ミリア、今回の件はさすがにやり過ぎですよ。グラン殿は、罪もない人を無理やり犯罪者に仕立てあげたのです。それだけではありません。それに君たちを巻き込んだ。分かっているのですか? 本来、私よりも君たちのほうがグラン殿に対して怒るべきなのです。グラン殿の策謀によって君たちは無実の貴族を追い詰め、結果としてその貴族を……」
「あっ!」
美理愛は大事なことを、ようやく思い出した。不正の証拠を突きつけられて追い詰められた貴族の一人は、最後に自殺したのだった。囲っていた奴隷たちを巻き込んで。それだけではない。自分の主人を守ろうとして向かってきた部下たちも全員殺されている。
もしアレックスの話が真実であれば、罪もない人が殺されたことになる。
「じゃあ、僕は……僕は何の為にあんな事を!?」
その殺害には優斗も絡んでいる。大声をあげた優斗の視線は定まっていない。自分は無実の人を殺した。こう考えているのだ。これは戦いの後に起こしていた発作と同じ。
「僕はあんな真似をする必要はなかった! グランが僕を騙したんだ! 僕は悪くない! 僕のせいじゃない! 悪いのはグランだ!」
さらに大声で優斗は叫び始めた。そのまま暴れそうになる優斗の頭を、美理愛は無理やり押さえつけて抱きかかえる。
彼女の胸に顔をうずめたまま、尚も自分は悪くないと言い続ける優斗。そんな彼にゆっくりと話しかける。
「優斗……落ち着いて優斗。大丈夫……貴方は悪くないわ。何も悪くないから落ち着いて……」
「美理愛、僕は何てことをしてしまったんだ……」
「気にしないで。大したことじゃないわよ。ユートは何も知らなかった。知らなくてやったことだから、気に病む必要はないわ」
「でも……」
「貴方は……グランに騙されたの。悪いのはグランよ」
優斗の気持ちを宥める為に、美理愛はグランを悪者にした。深く考えてのことではないが、これは決定的だ。優斗は自分の都合の良いように思い込もうとする。もうグランは彼の中ではずっと悪者だ。
「そうだよね。僕は悪くないよね。僕が悪者なはずがない。なんたって僕は勇者だから」
「ええ、そうよ。貴方は勇者。だから落ち着いて」
「……わかった。取り乱してしまったね。ごめん、美理愛」
優斗の口から謝罪や他人を気遣う言葉が出ればもう大丈夫。それが落ち着きを取り戻した証拠なのだ。それが分かっている美理愛は、ゆっくりと優斗の頭を自分から離す。
「……今のは?」
アレックスは優斗のこういう様子を見るのは初めてだ。何が起こったのか分からずに茫然としている。そんなアレックスを見て、美理愛は焦っている。優斗のこういう姿は見せたくなかったのだ。
「優斗は少し疲れているの。魔族との戦いは辛いものばかりでしたからね。それに、考えてみれば王都に戻ったばかり。旅の疲れもあるわ。アレックス、私たちしばらくはゆっくりと休めるのでしょう?」
「えっ、まあ。すぐに出陣ってことはないと思いますよ。色々と準備も必要ですからね」
「それは良かったわ。私も優斗と同じ。心も体も疲れてます。とにかくのんびりとしたいわ。そういえば温泉なんていうのはこの世界にないのかしら? 疲れを癒すにはもってこいなのですけど」
優斗の異常さを誤魔化す為に必死の美理愛。彼女は気付いていない。この彼女の態度は、グランを嵌める側にいるアレックスをして、彼への同情を誘うものだということを。
「温泉ですか? そういえばイーストエンドで新しい温泉が湧いたなんて話がありましたね。でもさすがにそこまでは行けませんよ。往復で二ヶ月以上はかかるでしょう」
「そう。それではかえって疲れてしまうわね。もっと近場にはないのかしら?」
「少なくとも王都周辺にはないですね。ああ、でも本物の温泉ではないですけど、ちょっとした保養所があります。貴族が使うものですので、設備は充実してますよ」
「それは私たちも使えるかしら?」
「それは勇者の要請であれば大丈夫だと思いますよ」
「そう。じゃあ、そこに行きたいわ。手配をお願いできるかしら?」
「……かまいませんけど」
王都を離れる。それはつまり、グランの為に何もするつもりがないという証。美理愛の非情さをアレックスは知った。真面目そうな彼女もまた信頼するに値しない人物だと認識させた。
「ではそれについては楽しみに待つとしても、今の疲れはさすがに辛いですね。そろそろ部屋に戻って休むことにしようかしら?」
「……まだ話は終わっていませんよ」
「アレックスにお任せします。私達二人は力になれないですよね?」
「いや、でも」
「何かありますか?」
「グラン殿の説得を。早く罪を認めてくれるようにと。そうすれば拷問は回避できると思います」
謀略を成功させる上では、優斗と美理愛がグランを見捨てることは都合が良い。だが、二人にはまだグランの味方であるように装ってもらわなければアレックスは困るのだ。
「そう、分かったわ。ではその段取りもお願いします。話はそれくらいかしら? じゃあ、ユート。部屋に戻って、休みましょう。着いたばかりでさすがに疲れているでしょ?」
「そうだね」
美理愛にグランを見捨てることへの罪悪感がないわけではない。だが彼女は優斗を優先させた。自分にとってグランと優斗のどちらが大切か。深く考えるまでもなく、答えは明らかだ。だが明らかであるのは美理愛が自分の感情を優先させているから。彼女にとって答えは明らかであったとしても、その答えが正解とは限らない。
少なくともアレックス、正確にはエリザベートの謀略が成功する手助けになるという点では、それは誤った答えだ。