近衛騎士ソル・アリステスはいつになく緊張していた。理由は明確。今、ソルの目の前に居るのは、自分の組織の頂点である近衛騎士団長と、全ての近衛騎士が忠誠を捧げるべき相手、国王陛下なのだ。
平騎士である自分がどうしてこの場に居るのか、はソルも分かっている。ニガータでの戦いの報告を求められての事だ。だが、その相手が国王直々であり、しかも、近衛騎士団長を含めて、この場に三人しかいない理由が分からなかった。
「お主の戦況報告は見た。中々良く書かれている」
ソルが緊張しているのを見て取って、差し障りのない話から、近衛騎士団長は始めた。
「はっ。ありがとうございます」
「最後の文章は、報告書に記すにはどうかと思うがな」
「最後の、でありますか?」
「天才にのみ可能な作戦で凡人が真似して良いものではない」
「……事実、そう思いました」
「かなり細く分析されていた。もう少し手を入れれば戦術教本になるのではと思うくらいだったがな」
ソルの戦況報告は、実際の魔物との戦いよりも、それに至るまでの別働隊の行動に重きを置いていた。リオンが試みた幾つもの部隊を広範囲に動かす部隊行動と、それに必要な伝令部隊の運用についてだ。
「お褒めいただいて光栄です。だからこそ、最後の一文は必要と考えました」
ソルの発言は、自分の戦況報告の記述は、人が真似できると錯覚してしまう程、見事に書かれている、と自分で認めているようなものだ。
「ふむ。では、お主は真似出来るのか?」
近衛騎士団長は、こういうソルの自信は嫌いではない。それが許されるだけの力を持っていると思っている。だから、埋もれさせたくないと考えているのだ。
「出来ます、と言いたいところですが、いくつか条件があります」
「ほう。お主が条件を出すか」
「近衛騎士団では実行出来ないと思われますので」
「……条件とは?」
近衛は王国における最高の軍隊組織という自負が近衛騎士団長にはある。ソルの発言は少々不快だった。
「一つは伝令部隊。いえ、諜報部隊を動かす必要があります」
「伝令ではなく、諜報部隊。つまり、リオンが使ったのは、そういう存在だと言うのだな?」
「はっ。実際にどうなのかは正直、自分には分かりません。ただ昼夜を問わずに動き続ける彼らは、普通の騎士や兵とは思えず、そういった動きが出来る組織を自分は諜報部しか知りません」
「そうか……」
近衛騎士団長の視線が国王に向いた。笑っているような困っているような複雑な視線だ。実際に近衛騎士団長の感情は二つが入り混じっている。辺境領主の身で、リオンがそんな組織を抱えている事実が、いかにもリオンらしいという呆れと、そこまでの力をという恐れの二つの気持ちだ。
「もう一つは、全部隊に対する絶対的な命令権。ただこれは私の立場では難しいと思います。仮に権限を与えられても、それに反発する者も出てくるでしょう。それでは駄目なのです」
「……リオンは違うと?」
「あれを権限と言ってよいか分かりません。ただ領主だからという事ではなく、逆らえない、逆らう気にはなれない何かがあるように思えます」
「何か……ふむ」
人を従わせる力、それをリオンが持っていることは、近衛騎士団長は知っていた。だが、すでにその力を周囲に及ぼしているとは思っていなかった。覇気というものは、立場や年令とともに成長するものだ。リオンは領主ではあるが、まだ若い。侮る者が居るのが普通だが、ソルの話はそうでないと言っている。
「それが揃った上で、周囲の地図を地形までも含めて、頭の中に思い浮かべ、そこに部隊を置いて、一刻後、二刻後という時間の経過による変化を捉える能力が必要になります。更にずれを修正する為に、どこにどういった指示を出すべきか計算する能力も」
「……それをお主も出来るのだな?」
「はい。但し、それはやり方を知っているからです。一からそれを考えつけたか分かりません」
「それをリオンは一から考えた。リオンの方が上だと認めているのか?」
「悔しいですが。あの作戦は彼にとって、思いつきの一つを試みたに過ぎません。これが駄目なら別の方法を考える。彼はこう言っていました」
「そうか……」
軍事の天才という者は存在する。それはどれ程の経験を積んだ者であっても超える事が出来ない絶対的な才能だ。近衛騎士団長はそれを知っている。
仮にリオンがその天才だとしたら。結局、近衛騎士団長、そして国王の悩みは、いつものところに戻る事になる。
「そのリオン・フレイをお主はどう思った?」
「彼の能力であれば、先程からご説明している通り、かなり優秀だと思います」
「それは聞きたい事は違うと分かっていての説明だな」
「それは……」
図星だ。リオンの考えている事の不穏さをソルは知っている。だが、それを、例え国王相手でも話す気には、ソルはなれなかった。そう考えるリオンの気持ちも又、知ってしまったから
「率直な意見を聞きたい。仮にリオン・フレイに不審なところがあっても、問題とはしない。そもそも、あれに問題がある事は分かっているからな」
「そうですか……」
近衛騎士団長の言葉にも、ソルはすぐに何かを話すことをしなかった。
「俺が約束すると言ったらどうだ?」
「陛下……」
「お前から聞いた話で、決してリオン・フレイを罰するような真似はしない。この先もだ。この国の王として、約束しよう」
「……はい」
さすがにこれで何も話さないわけにはいかない。これに逆らうことは近衛としての自分を否定する事になってしまう。
「ただ、彼を表す言葉は思い浮かびません。いえ、思い浮かぶのですが、それが矛盾していて、正しいのかが分からないのです」
「構わん。思い浮かぶ言葉を言ってみろ」
「はっ……他人を寄せ付けない、人に対する不信感は相当なものです。これは彼の育ちが影響していると聞きました」
「貧民街か……」
「詳しい事は聞けませんでしたが、相当酷い境遇だったようです。ただ、こうも言われました。それでも彼は信用出来る人を求めた。それが……」
「ヴィンセント・ウッドヴィルか」
「はい。ごく限られた者には気を許し、そうなると彼はもう別人の様な親しみを見せます。本当に同じ人かと思うくらいに。周囲もそんな彼が愛しくて堪らないという様子で」
「ん? それは、いつの話だ?」
まるで見てきた事のようにソルは話している。それが近衛騎士団長は気になった。
「王都に戻った日の事です。ご存じなかったのですか?」
「……何があったのだ?」
近衛騎士団長にはソルの言っている話が何の事か分からない。国王に視線を向けても同じだった。
「凱旋式として、本隊も含めた全軍で隊列を整えて、王都に入城しました」
「それは知っている。驚くほどの盛り上がりだったと聞いた」
「はい。正直、自分も心が震えました」
「心が震えた。お主が?」
どこか自分が知っている話と違う。ソルの言葉に近衛騎士団長はそう感じた。
「これは口にして良いか少し悩みますが、いずれ知ることになるでしょうから。英雄の誕生、その瞬間に立ち会ったと思ってしまいました」
「……それは、王太子殿下でも、マリアという小娘でもないな」
「はっ? どうして王太子殿下が、あっ、いえ、失礼致しました」
自分の言葉は、アーノルド王太子が英雄に相応しくないと言っているのだと気付いて、ソルは慌てて話を止めた。
「今の言葉は聞かなかった事にする。それよりも一から話してもらえるか? 正しくは何があった?」
「……はい」
近衛騎士団長が何を気にしているのか、ソルには分からないが、話せと言われたからには、話すだけだ。王都に帰還した日の事をソルは最初から話し始めた。
――凱旋式を行うという通達は、翌日には王都に入るという所で届いた。それが王都からではなく、本隊からの伝令であった事に、リオンが苦笑いをしていたのをソルは覚えている。ソルの話を聞いた近衛騎士団長も苦笑いだ。話の裏がこれだけで見えた気がしている。
凱旋式を行うという事で、リオンたち、別働隊は本隊の到着を待つことになった。その事を不満そうにしていたリオンだったが、それも最初だけで、すぐにその時間を何に使おうかと、色々と考えを巡らせ始める。実際に何を考え、何をしていたかの全てをソルは知っているわけではないが、リオンがとにかく忙しくしている事だけは分かった。ソルのほうは、リオンほど多くの事はない。ただ見習い騎士たちの鍛錬に時間を使い続けた。ソルとしては有意義な時間だった。
個人の武において、バンドゥ領軍はかなりの手練が揃っている。部隊運動、騎馬に限っての話だが、も学ぶべき点は多くあった。
本隊が到着するまで、一週間もの日数を必要としたが、全く気にならない程の充実した時間を過ごした。リオンも文句をあまり言っていなかったので、ほぼ同様だったと思える。
問題は本隊が到着してからだ。遅れの一週間は何の為だったのかと疑うくらいに、本隊の装いは、凱旋式に相応しいというべきか、整っていた。鎧兜はピカピカに磨かれて、馬にも儀礼用の装いを施されている。
それだけではない。本隊は更に彩りを添えようと、バンドゥ領軍を本隊に貸してほしいと言ってきた。バンドゥ領軍の四色の鎧が、王家と三侯家にピッタリだと言うのだ。それはそうだろう。赤青黄緑は、この世界の素となる四元素の色。バンドゥ党もそれになぞらえての色に決っているのだ。
てっきり文句を言うものとソルは思っていたが、リオンは全く気にする様子はなく、それを了承した。結果、別働隊は、見習い騎士部隊を残すだけになり、凱旋式の主役は、本隊に奪われる事になる、はずだった。
だが実際の凱旋式は、多くの者の予想外の展開を見せる事になった。
アーノルド王太子と三侯家の三人、マリアはランスロットと一緒だ、がそれぞれの色の鎧を纏った部隊を率いて、並んで進む。その後ろを王国騎士兵団の綺羅びやかな軍列が続く。通りの両側に並んだ王都の者たちは、その華やかな様子に大喜びだ。住民たちの歓声が響き、凱旋式はそれなりの盛り上がりを見せていた。
その空気を一変させたのは、軍列の最後を進んでいた別働隊だった。住民たちの歓声は別働隊の姿を見た途端にピタリと止んだ。
漆黒の体躯に、額から伸びる一本の角。明らかに馬ではない、その異形の獣に悠然とまたがるリオンとエアリエル。エアリエルは、軍隊には不似合いな白いドレスを纏い、横座りしている。そのエアリエルを抱きしめるように支えているリオンは、エアリエルと正反対に漆黒の装い。唯一、まとっているマントの裏地の赤が、風になびくたびに、見え隠れしていて、それが妙に映えて見える。
さらにその後ろに、白銀の軽鎧と白いマント纏い、槍を片手に進む、知る者が居れば、ワルキューレの集団と錯覚するような女性たちが続く。エアリエルの近衛侍女である白の党の女性たちだ。その横には、リオンと同じ漆黒の衣装で、顔まで覆い隠している集団。黒の党の面々が並ぶ。
まるでお伽話の世界から飛び出してきたような異様な集団。住民たちは、その不思議な雰囲気に引きこまれて、言葉を失くしてしまっていた。
歓声など一つもあがらない。そうであるのに、全員の視線がリオンたちに釘付けになっている。リオンたちが通りすぎても、住民たちは何かにとりつかれたように、その後を追いかけてきた。じっと黙ったままで。
それが破られたのは、沿道から上がった歓声によってだった。
最初、ソルはそれが誰を呼んでいるのか分からなかった。それはそうだ。沿道から掛けられた声は『大将』、『姐さん』なのだ。
だが、その声が掛けられた途端に、それまでリオンが纏っていた重苦しい雰囲気が消えた。周囲をキョロキョロと眺めて、声の出処を見つけ出すと、魔獣、ナイトメアの背の上に器用に立ち上がって、満面の笑顔を向けて、右腕を宙に突き上げた。
その瞬間――ソルは空気が震えるのを感じた。
何かの呪縛から解き放たれたかのように、ずっと沈黙していた住人たちが一斉に声にならない声をあげたのだ。やがて、それはリオンの名を呼ぶ声に変わり、勝利の万歳がそれに続く。リオンたちの周りは、一気に熱狂に包まれた。
その状況で動いたのは、最初に声を掛けた住民たち。ソルは知らないが、貧民街の者たちだ。リオンとエアリエルの側に駆け寄った貧民街の者たちは、二人の活躍を称え、苦労を労う。その彼らの声に応えたつもりか、リオンはナイトメアの上から彼らの輪の中に飛び込んでいった。リオンのその行為に又、周囲から大きな歓声があがる。
そのままその場で、はしゃいだ様子で貧民街の者たちと語り合っているリオン。いつの間にかエアリエルもナイトメアから降りて、その輪の中に入っている。
だが、その状態が長く続くと周囲の者が黙っていられなくなった。二人の姿が見えなくなったと文句を言い出し、それに貧民街の者たちが応酬する。
このまま大混乱になるかと思ったところで、周囲の雰囲気が悪くなった事を気にしたリオンが、またナイトメアの上に昇って拳を突き上げる。それで又、周囲は大喜びだ。
もう先に進む本隊など気にする人はいない。凱旋式の主役は、完全にリオンのものとなった。
住民たちは戦況など何も知らないはず。そうであるのに、誰が本当の主役か、自然と見つけ出したのだ。
「むう……」
ソルの話を聞き終えた近衛騎士団長は二つの意味で唸るしかなかった。一つは、この事実が自分と国王に隠されていた事。それはまず間違いなく、リオンへの嫉妬からだ。そもそも凱旋式のやり方が、リオンから戦功を奪おうという姑息さを感じさせる。活躍も過ぎればそういう者も出てくると思っていたが、あまりにも動きが早過ぎる。
そしてもう一つが、ソルが言葉にした英雄の誕生。それを自分自身も感じてしまった事に対してだ。英雄の誕生は施政に関わる者にとって決して喜ばしい事ではない。英雄が生まれる所には必ず、既存の何かの破壊が生まれる。未来にとって善でも、現在を生きる施政者にとっては、自分たちの今を破壊する悪であるかもしれないのだ。
「何故、彼を参戦させるのですか?」
近衛騎士団長の考えを感じ取ったソルは、気になっている事を尋ねてみた。リオンの事を恐れるなら、活躍の場を与えなければ良いとソルは思っている。
「参戦させる事が目的ではない。確執を少しでも減らしたいだけだ」
誰とは言わなくても、相手は明らかだ。
「そういう事でしたか。わずかでよろしければ、効果もあると思います。実際に話はするようにはなりました。しかし、それだけの事です」
「意味はないと言うのか?」
「彼の行動は未だに嘗ての主の為です。彼が、これだけの活躍をした理由もそうです。自分が有名になる事で人々にこう思わせたいそうです。ヴィンセント・ウッドヴィルはあのリオン・フレイの主だった人物だと」
「……そんな想いが」
「一方で夫人はこう言っていました。リオンは戦いたくて戦っているわけではない。それなのに、周りは勝利の責任を彼に押し付けていると」
「そうか……」
その押し付けている一人は自分であると思って、近衛騎士団長は胸が傷んだ。
「彼を恐れるのであれば、彼を利用しようとしなければ良いのではありませんか? 確かに恨みは消えないかもしれません。しかし、中央に彼を引き込んでも、やはり恨みは消えるとは思えません。それどころか、一部の者たちとの確執は深まる一方です」
リオンに対する周囲の嫉妬。ソルもその存在に気が付いている。そうなる事も当然だとも思っている。リオンからは、他人に好かれたいという感情や、良く見られたいという思いが感じられない。それだけであれば良いのだが、その結果として、リオンは周りの反発を恐れないで行動をしてしまうのだ。
「……参考にしよう」
「まだ彼を戦いに?」
「それは決めていない。だが、俺はこう思っている。英雄とは、作られるものではなく生まれるものだと。時代が英雄を必要としているのであれば、それは誰にも止められないのだ」
「……確かに」
「話は以上だ。下がって良い」
「はっ」
国王と近衛騎士団長に礼をして、ソルは部屋を出て行った。残った国王と近衛騎士団長は、苦い顔だ。リオンの話になるといつも二人はこうなってしまう。
「英雄か……」
「まだ分かりませんな。戦功をあげただけの者であれば、数えきれない程、存在します」
「とぼけるな。それを言うお前自身がリオンを英雄の器だと考えているではないか」
「……アーノルド王太子が使いこなすことが出来れば」
国王の言葉を肯定する言葉を、近衛騎士団長は口にした。
「英雄を使いこなす名君か。そうあって欲しいものだ。今分かるのは、まだ時間が必要だという事だな」
アーノルド王太子の成長を待つというだけでなく、自分の代に英雄になってもらっては困るのだ。現国王が使いこなせるかどうかの問題ではない、先代の時の英雄など、目障り以外の何者でもない。二人の関係をそうしてはいけないのだ。
「戦いから遠ざける必要がありますな」
「無駄だと言ったのは自分ではないか?」
「そうだとしても、やれる事はやるべきです」
「ふむ……恩賞は子爵位と報奨金というところか」
ただ戦いから遠ざけるだけでなく、リオンがこれ以上、力を持つことを避けようという考えだ。子爵位など何の力にもならない。報奨金も、所詮は一時のもの。領地を増やす事と比べれば、微々たるものだ。
「妬んでいる者どもはどうされますか? 力を押さえるのは結構ですが、それで潰されてしまっては困りますな」
「……ちょっと空気を抜いて、あとは手柄を立てさせてやれば良い。命を狙っている者まではいないのであろう?」
「どうですかな? そこまでの調べは出来ておりませぬ」
「……万一があると?」
「それも分かりません。ただ、英雄の最期は、それを妬む者、成り代わろうという者の裏切りによってというのが、歴史の常識ではありませんかな?」
「おい?」
「冗談です。ソルにはもっともらしく言いましたが、英雄という存在など見たことがありませぬ。リオンがそうだと言われても、正直ピンと来ませんな」
「確かにな。ただ警戒は必要か。それは任せる。どうせ何か考えているのであろう?」
「御意」
引っ張りだしたり、押し戻したりと、リオンにとっては迷惑な話だ。一国の王と近衛騎士団長が、これだけ揺れるのは、リオンの事を掴めきれていないからだ。
彼らは安心を求めているのだ。リオンの忠誠が間違いなく王国に向いているという確信を得たいのだ。それが叶えられない事など知りもせずに。
王族として、近衛として生きてきた彼らには、貧民街に育った者には王国の国民などという意識がない事など分からないのだ。