月に一度、傭兵ギルド本部に送られてくる営業報告の資料。各支部から送られてきたそれに、ギルド長は順番に目を通している。常であれば、大まかな数字と特別に報告されてきた事項のみを確認して終わる作業に、今回は朝からかかりっきりだ。それも自分一人ではない、本部の職員も数人作業に当たらせていて、それだけの時間がかかっているのだ。そうなるには当然、理由がある。
「先月の状況はどうだった?」
「特頼の数はほとんどありません。どうやら今月に入ってからの状況のようです」
「特頼以外についてはどうだ?」
「普段の月と大きな変化はありません」
「そうか」
「特頼」とは貴族などの重要顧客から特別に受ける依頼のことだ。依頼内容は公に出来ないものがほとんどであり、受けた依頼はギルドからの指名により担当する傭兵が選ばれる。秘匿性も達成難易度も通常の依頼とは桁違いであるからだ。
当然、それに見合った高報酬となるので依頼数は少ないのだが、今月に入って、その特頼の数が急に増えている。こんな事態はギルド長が知る限り初めてだった。
「依頼の分布は?」
「東方連盟加盟国の支部がほとんどです。それ以外の支部は例月に比べて特別な変化はありません。あえて言えばパルス王国東部でやや増えている程度ですね」
「依頼内容はまとめ終わったか?」
「はい。ほとんどが同じ依頼です」
「盗賊からの護衛依頼だな?」
依頼内容についてはギルド長もすでにいくつか確認済みだ。他の依頼もそれと同じ内容だと部下は報告してきた。
「それ以外の依頼は例月と変わりありません。でも珍しいですね? 盗賊からの護衛が特頼で来るなんて」
「ああ、そうだな」
「特頼」で多いのは誘拐の解決やある種、特別な情報の収集が多い。護衛もないことはないが、護衛対象は要人だ。いずれも秘匿性を求めてのもので、盗賊からの護衛を「特頼」で行うことなど普通はあり得ない。
「盗賊からの護衛任務そのものが特頼以外でも、少しですが増えているような気がしますね」
「ふむ」
「やばい盗賊が東方で積極的に活動を始めたってことですね。そうなるといずれ盗賊討伐の依頼が来ることになります。でも特頼で依頼しなければいけない盗賊ってどんな盗賊なのでしょう?」
「さあ、どうだろう?」
「やばい」のは盗賊ではなくて依頼主のほうだ。手元にある依頼主の一覧。ギルド長はこの情報については部下に公にしていない。
その中には「こんな奴がギルドに依頼を」と思わせる名前が何人か含まれている。いずれも不正な奴隷取引の疑いがある人物。疑いがあるというより真っ黒だ。その者たちが闇で盗賊と取引を行っているのは、ある程度の立場にある人にとっては周知の事実。それを苦々しく思っている人もいれば、便利だと喜んでいる人もいる。ギルド長は前者だ。
「依頼の達成率は?」
「まだ受けて間もないものがほとんどですので、何とも言えませんが、分かっている範囲では全て失敗に終わっています」
「本当に? それは不味いだろ? ギルドの信頼はガタ落ちじゃないか?」
まさかの報告を聞いて、他のギルド員が声をあげた。
「そうですね。討伐依頼が早くくることを願ったほうが良いですね」
ギルド員たちはギルド長の気持ちも知らないで、勝手なことを話している。彼らにしてみれば当然の感想だ。ギルド長が、それに文句を言うわけにはいかない。
「ギルド長、どうしますか?」
「依頼以外でギルドは動かん」
「それはそうですが……」
「ただし、それらしい依頼が来たら、すぐに本部に上がる手配だけはしておいてくれ。関連しそうなものは全てギルドからの指名依頼にしたほうが良いだろう」
信頼出来る傭兵だけに任せることで、情報秘匿を図る。ギルド長はこう考えた。
「そうですね。至急各支部に通達を出しておきます」
「よろしく頼む。大体の事情は分かった。ご苦労だったな。通常の業務に戻ってくれ」
「「はい!」」
「ああ、カイン、ひとつ頼みがある。ちょっと残ってくれ」
「……はい」
ギルド長に名指しされたカイン以外の全てのギルド員が執務室を出て行った。カインはギルド長の副官。そう思えるような態度は普段は取っていない。副官である事を他のギルド員には隠しているからだ。
「珍しいですね? 皆のいる前で私だけに声を掛けるなんて」
他の者が執務室から離れたことを確認して、カインが口を開いた。
「ああ、ちょっとな」
「それで頼み……いえ、命令は?」
「彼等を集めておいてくれ」
「……まさか盗賊相手に彼等を使うおつもりですか? それ程の相手だと?」
カインが言う彼等とはギルド兵。ギルド長の直轄の部下であり、ギルドよりもギルド長個人に忠誠を誓う者たちだ。そんな、ギルド長にとって虎の子のギルド兵を使うことにカインは驚いている。
「うむ。ちょっと違う。まだ確証はないが討伐対象になる相手が訳有りの可能性があるのだ」
「ただ討伐するだけではないという事ですか?」
「そうなる可能性が高い」
「分かりました。どの程度を集めますか?」
「十人」
「そんな数を? 半分を当てることになりますが?」
たった十人で、とはカインは考えない。ギルド兵とはそれだけの実力者たちなのだ。
「情報収集にあたってもらう可能性が高い。それと依頼の数からいって、かなり分散して事にあたってもらうことにもなる」
「……分かりました。場所は東方連盟の各支部に散らしておけば良いですか?」
「ああ。場合によっては討伐依頼の前、護衛依頼を受けてもらう可能性もある。ただし……」
「失敗しろということですね?」
「無理にとは言わん。あくまでも相手を見極めるのを優先させろということだ」
「分かりました。ただちに手配します」
カインが部屋を出て行ったところでギルド長は大きく息を吐く。今の事態を引き起こしているのは間違いなくヒューガだと彼は考えている。力を蓄えるまでは大人しくしているはずだったのに、まだ二年と少し。たったそれだけしか経っていないうちに行動を開始したことに呆れているのだ。
失敗した依頼で襲ってきた賊の数は五人から十人となっている。複数個所で事が起こっているのを考えると全体の数は、その数倍というところ。それだけの人数を集める力は持ったということだろうが、貴族や奴隷商人を敵に回すには全然足りないとギルド長は考えている。足りるはずがない、これが千人であっても十分ではないはずなのだ。
少し痛い目にあわせて引き下がらせる。ギルド長はそう考えて、ギルド兵を使うことにした。まだ早い、いやもう十分という日など来ないのだ。それを分からせてやるのが二人の為だと。
◆◆◆
イーストエンド侯爵の館。その執務室が最近のクラウディアの居場所だ。
ギルドの依頼を受ける事はイーストエンド侯爵、リチャード伯父に禁止された。それにクラウディアは不満を持っている。危険な目に遭ったのは自分のせいではなく、ろくにこの辺りの事情を調べずに依頼を受けた新参の傭兵たちのせい。そう思っているのだ。
それは事実であり、依頼からなんとか無事に戻ってからも自らの失敗を認めない彼等の態度もまた酷いものだった。だがそれに文句を言っても状況は変わらない。ギルドの仕事が出来なくなったクラウディアは、仕方なく侯爵領の仕事の手伝いをしている。
「クラウ様、お疲れでしたらもう結構ですよ」
「全然疲れてないよ。それにチャールズさん、そのクラウ様と呼ぶのは、いい加減に止めて。私はもう王女じゃないの。血縁があるというだけで、ここに居候させてもらっている身よ。本当は私の方がチャールズ様って言わなくちゃいけないのよ」
「しかしクラウ様は……」
「チャールズ様、私の話を聞いてくださいますか?」
「いや、私などに様付は……」
「じゃあ、私のこともクラウ様なんて呼ぶのは止めて。クラウでいいの。私とチャールズさんは従兄妹でしょ?」
「……わかりました。クラウ、これからはそう呼ばせて頂きます」
クラウディアに強く言われて、チャールズは愛称で呼ぶことを受け入れた。
「敬語も」
だがクラウディアはさらに敬語までやめるように要求してきた。
「……そう呼ぶ」
「それで良いわ」
「退屈じゃないか? こんな事務仕事ばかりで」
「そう思うなら外に出て仕事させて欲しいな」
「それは父が許しません」
「……敬語」
「ああ……父が許さないよ。それに出会った魔獣はいまだに見つかっていないからね。クラウを危険な目にあわせるわけにはいかない」
突然現れた強力な魔獣がどこに消えたのかは未だに分かっていない。分からない以上は、危険はなくなったと判断出来ないのだ。
「まだ見つかっていないの?」
侯爵家だけでなくギルドも捜索を行っているはず。それで発見出来ないことをクラウディアは不思議に思った。
「あれ以来、まったく目撃情報がない。結構な数の捜索隊を出したけど、なんの痕跡もないんだよね。そもそも何であんな魔獣が現れたのか……相当強かったんだよね?」
「まともに戦っていないけど、魔法は全然効かなかった。魔法が通用しないと私には辛いわ」
「剣もほとんど通用しなかったみたいだ。そうなると倒す手立てが思いつかない。そういう意味では現れないでいてくれることは助かると言えば助かるけど」
「解決になっていないわ」
「そういう事。いつ現れるかに怯えて、人々は過ごす事になる。まったく困ったものだ」
「そうね。でもそれ以外では、概ね良好よね?」
イーストエンド侯爵領の統治は実に堅実でうまく行われているとクラウディアは思う。今のところは数字で見ているだけだが、どの報告書も領地が豊かであることを証明している。イーストエンド侯爵はさすがに有力貴族派の筆頭と呼ばれるに相応しい実力を持った人。それが彼女にも良く分かる。
話を聞く限りは他の辺境を任されている貴族たちも同じような経営をしている。そうなるとその貴族たちと上手くやれていない父親、国王は何をやっているのだろうと疑問が湧いてしまう。
国政を任せるに相応しい人たちであるなら任せていても問題ない。クラウディアはそう思うのだ。
「そうですね……」
ただクラウディアの問いに対するチャールズの答えは煮え切らないものだった。
「あれ? 何かあったの? 私、何か見逃したかしら?」
「いえ、問題というわけでは。ただちょっと変わった事件が最近起きててね」
「何? あっ、私が聞いて良い内容じゃないのかな?」
「いや、全然大丈夫。これがその中身。いくつか同じ報告があがってきてる」
チャールズがクラウディアに渡した報告書。そこに書いてあるのは、エルフの目撃証言だった。それも一人二人じゃない。見た人も見られたエルフも何人もいる。
イーストエンド侯爵領はドュンケルハイト大森林に近い。だがそれだけが原因であれば、これまでもあったことであるはずで、チャールズが不思議に思うはずがない。
「珍しいの?」
「そうだね。エルフが人里に現れるなんて、滅多にないことだと思う。ましてや複数のエルフが現れるなんて……」
「何か問題が起きてるの?」
「いや、移動している姿を遠くから見ただけ。接触したものは今のところいない。そのエルフたちが問題を起こしたって話もない」
「そう……」
「ただ気になるのは、その中に人族らしき姿があったってことかな」
「人族?」
チャールズの言葉にクラウディアは少し胸が高鳴った。エルフに何かが起きている。その原因がヒューガだと思うのは考え過ぎか。
「……ヒューガ殿ではないと思うよ。それらしい特徴の人がいたとは報告されてない」
だがチャールズはすぐに彼女の期待を否定した。確証のない状況で余計な期待を持たせたくないという気持ちからだ。
「そう……えっと、それのどこに問題があるのかな?」
「可能性としてはその人族が奴隷商人であることだね」
「ああ、そういうことね」
エルフはその美しい外見から奴隷としての価値が高い。ただこの国では、他国でもだが、無理やり奴隷にすることは禁じられている。そしてエルフが自ら人族の奴隷になるなんてことはあり得ない。エルフの奴隷というのはほとんどが不正な手段で奴隷にされていることをクラウディアも知っている。
「……ただ、エルフたちに無理やり連れて行かれている感じはなかったみたいだよ。拘束されている様子は全くなし。人族はどちらかと言えば先導しているように見えたらしい」
「そうなの?」
「そう。だからあんまり積極的に手出ししていない。あまりに続くようなら、一度確認しておく必要性はあると思ってるけどね。今のところはまだ様子見」
「そっか」
「……確認させようか?」
「えっ? でも問題はないと思っているのでしょ?」
「でもエルフが移動しているんだよ? 目的地が大森林である可能性がある。大森林はヒューガ殿が最後に向かった場所だ。何か関係あると思うのが普通だよ」
「そうね」
一度は否定しておいて、またチャールズは期待を持たせるようなことを口にしてしまう。クラウディアを喜ばせたいという思いと落胆させたくないという思いが、彼の中で混ざり合っているのだ。
「ヒューガ殿の足取りは結局、今も掴めていない。唯一の手がかりは一緒にいたのがエルフだということ。可能性がないわけじゃないと思うけどな」
「でも……」
「気を遣う必要はない。クラウの為なら人を動かすくらいなんでもないよ」
「……お願いしても良い?」
「自分でいかないの?」
「今の私が会っても……今の私じゃあ、何の為に別れたか分からないわ」
自分は何も変わっていない。別れた時と同じ、何の力も得ていないとクラウディアは考えている。会いたいと思いながらも、何も変わっていない自分を恥じる気持ちがあるのだ。
「……そう。わかった。じゃあ、巡廻の兵を出すことにするよ」
「ごめんね」
「全然。クラウの為だから」
◆◆◆
クラウディアとチャールズが領内で起きた出来事へのヒューガの介入について確認を得られていない一方で、はっきりと事実を把握した人々もいる。
日もすっかり暮れて今日の仕事は終わり。一人、部屋で考えごとをしているグレゴリー大隊長のところへアインがやってきた。手に酒瓶を持って。
「大隊長! ご所望の酒です!」
「……誰が酒を持ってこいと言った?」
「でも、必要でしょ?」
「……まあな」
東の国境の砦に来てから、もう二年が過ぎた。今のところ、何も問題はない。ただただ巡廻と鍛錬を繰り返す日々。そんな退屈な日々に変化をもたらしたのは、また彼奴だった。
「さてと、今は二人っきりです。何の心配もなく話せますね?」
「まあな」
「アレ、間違いないですよね?」
持ってきた酒瓶の中身をグラスに移しながら、アインがいきなり本題に入ってきた。グレゴリー大隊長はそのうちの片方を受け取り、中身の半分を飲み干す。ややきつめの酒が喉に痛い。
「まったく……あいつは何をしてるんだ?」
「一応、少し調べましたけど聞きます?」
「勿論だ」
「追っていたのは東方連盟の加盟国にいる貴族の手の者です。といってもこちらの推測ですがね。名を明かすことはしませんでした。でも身なりといい、言葉遣いといい、貴族なのは間違いないと思います。あんまり性質の良い者には思えませんでしたけどね」
「ふむ。それが何で奴を追っていたのだ?」
「奴隷を盗まれたみたいですよ」
「奴隷を盗んだだと!?」
これだけでグレゴリー大隊長はヒューガが何を始めたのか分かった。かつて可能性として考えていたことが現実になったのだ。
「いやぁ、まさかこんなことを始めるとは。あの件があったから、もしかしたらと思ってましたけどね」
「それは俺もだ。だが、そんなことをすればどうなるか分かるだろう? あいつはお尋ね者になるつもりか?」
奴隷は契約主の所有物。それを奪えば窃盗、犯罪行為だ。普通の場合は。
「それはどうでしょう?」
「ん? どういう意味だ?」
「盗んだのはあまり表沙汰に出来ない奴隷じゃないかと」
「ほう。何でそれが分かる?」
「ちょっと探ってみました。奴隷が盗まれたのなら、それは盗難だ。こちらでも届出を出しておくから詳細を教えろってね」
「聞けたのか?」
「いえ、それは自分たちでやるから不要だと言いました。そうは言ってもね、彼らにパルス国内まで手配を伸ばすことは簡単には出来ないはずですよ。それをするには、こっちは丁度良い伝手です。こっちから手配をしてやるって言っているのに、それを断るなんて、怪しすぎるでしょう?」
「ふむ。そうだな」
不正に入手した奴隷であれば、罪に問われるのは自分たちも一緒。表沙汰に出来るものではない。そして不正に手に入れた奴隷となれば、それは恐らくエルフだ。
今日の出来事をグレゴリー大隊長は思い出してみる。遠目で見た時は自分たちに呪いをかけたエルフだと思ったのだが、それは間違いで、なんとヒューガ本人だった。銀髪の髪、背もかなり伸びていたので最初は気付けなかったのだが、追われている最中に、自分に向かって暢気に手を振ってきた姿を見て、グレゴリー大隊長も気付いたのだ。
そのあとは、追ってくる者たちを一人で蹴散らして、林の中に消えて行った。グレゴリー大隊長たちが手出しをする隙など少しもない。もう自分では敵わないくらいにヒューガは強くなったと感じた。
「ヒューガの行方は分かりません。恐らくどこかで仲間と合流したものと思われますが」
「仲間がいたのか?」
「そのようです。数はわかりませんがね。あれは囮になったんだと思いますよ。そもそも逃がした奴隷らしき者も一緒にいなかったでしょ? 追っていた者達の装備の状況からいって、現場から追ってきたわけではないですね。あれはどこかで待ち伏せしていたんだと思います。ヒューガのことだから、待ち伏せが分かっていて仲間を逃がすために、わざとそこに突っ込んだんじゃないですか?」
「だろうな。あいつはそういう馬鹿だ」
(我が主を馬鹿呼ばわりするのは止めて頂きたい)
「誰だ!?」
突然宙から降ってきたような声が聞こえた。この感覚はかつて出会った魔族の時と近い感覚。それに気付いたグレゴリー大隊長とアインの体は緊張で強ばってしまう。
(姿を見せない無礼はお許し願おう。拙者はそういう身なれば。危害を加えるつもりはござらん。主からの言伝を持ってきただけでござる)
この話を聞いて以前の魔族ではないことが分かった。声も言葉遣いも全然違う。それでも二人は緊張を解くことが出来ない。以前会った魔族ではなくても、同種のものである可能性はあるのだ。
「……主と言うのはヒューガの事か?」
(ええ)
「そうか。あいつも部下を持つ身か。それで言伝というのは?」
(不用意に手を振ってすまないと。関係を疑われることはなかったか、主は心配しておりました)
「それは問題ない。相手はまったく気付いていないようだ」
(そうですか。ではそう主に伝えます)
「ひとつ聞いていいか? ヒューガは何をしようとしているのだ?」
(それを知る必要はござるか? 拙者は主にお二人を消すことを進言しました。主は受け入れてくれませんでしたが……)
秘密を知った者を野放しには出来ない。当然の判断だ。ここで自分たちの対応に問題があれば、この相手は独断でも消そうとする。グレゴリー大隊長はそう感じた。
それに対して、不思議と恐れは湧かなかった。ヒューガは良い部下を得た。そんな思いのほうが強かったのだ。
「俺たちが他言することはない。それが出来ないことはヒューガと一緒にいるエルフが知っているはずだ」
グレゴリー大隊長とアインにはセレネとの契約がある。その契約によって、今日の出来事にヒューガが関わっているという事実は、他言出来ないのだ。
(主と一緒にいるエルフ……)
「知らんのか? 銀髪のエルフだ」
(なるほど……まあ、良いでしょう。その言葉、信じましょう)
二人とセレネの契約については知らない。だがそれで取り敢えずは納得することにした。もともとヒューガから手出しはするなと言われているのだ。今の段階では強引に行動を起こす必要性は感じられない。
「何をしているかは?」
(知っても、お二人が困るだけでござる。それに主がここに姿を現すことはもうござらん。忘れなされ)
「そうなのか?」
(……当面は)
「そうか……ではヒューガに伝えてくれ。元気で、そしてあまり無茶をするなと」
(……後ろのほうは伝えるだけ無駄でござるな)
この言葉でさらにグレゴリー大隊長に対する信用が、完全ではないが、深まった。
「そうか。大変だな。無茶をする主に仕えるのは」
(それも我等が主に仕える理由のひとつでござる)
「馬鹿な主を放っておけんか?」
(肯定は主に失礼でござるが、否定もしませぬ……これ以上は無駄に主を待たせるだけでござるな。では、失礼)
「失礼」の言葉とともに気配が消えた。ヒューガと関わるとこんなことばかりだ。なんとも言えない得体の知れない者と出会うことになる。
ただ今日の相手はまだ少し人間味があったとグレゴリー大隊長は感じた。少なくとも冗談も通じる。もっとも、以前出会った魔族のヴラドも冗談は通じる。ただ、二人との出会いはそういう状況でなかっただけだ。
「飲み直しますか?」
「飲み直しというほど飲んでないわ」
「……あいつ、もしかすると、とんでもない奴になってるかもしれませんね?」
「そうだな。あんな部下がいるくらいだ」
「心配するだけ無駄ですかね。ヒューガが事を起こすからには勝算があるはずです。それに……」
「勝算などなくても、ヒューガであればそれを突破していくか? お前、ヒューガに仕えたらどうだ? ずいぶんと信頼しているようだ」
「俺は大隊長に付いて行きますよ。大隊長が行くならどこにでも……」
それがたとえ大森林であっても。この言葉はアインも声にしなかった。声にする必要もないが。
「……思わせぶりなことを言うな。その可能性はない」
「それでもヒューガは現れた。この広い大陸で俺たちの目の前に。仕える云々は別にしても、縁はまだ続いているってことですよ」
「まあ、そうだな。悪縁のような気もするが……まあそれも良いか」
別れて二度と会うはずがないと思っていたヒューガが現れた。まるで自分のことを覚えているかと確かめる様に。それが縁ではなくて何であろう。だがその縁はグレゴリー大隊長とアインをどこに連れて行くのか。
楽しみなような、恐ろしいような。出来ることなら、敵としての縁ではないことをグレゴリー大隊長は願う。あれは敵に回してはいけない種類の人間だ。生き延びる為に鍛えてきた彼の勘がそう告げている。