月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

悪役令嬢に恋をして 第44話 絡みあう思惑

異世界ファンタジー小説 悪役令嬢に恋をして

 城での舞踏会が終わった後、リオンとエアリエルは貧民街に顔を出し、アインたちとの再会を喜び合った。舞踏会とは異なり、賑やかで、気楽な宴を楽しんだ後は、貧民街の状況や進めている他の街への進出の状況などの打ち合わせに三日ほどを費やして、それを終えたところで領地に向かって出発した。
 そこから先も宿泊の多くは、その街の裏町ばかり。貴族が泊まるような宿屋には近づく事もなかった。根を張ろうと街に送り込まれている部下たちとの話をする為であり、舞踏会で刺激してしまった誰かが、変なことを考えるのを恐れての事だ。
 実際にそれは効果を発揮した。目的は何であれ、後を追った何組かの者たちは、リオンたちの行方を掴むことなく、虚しく引き返す事になった。
 リオンと貧民街の深い繋がりを知る者はウィンヒール侯爵夫妻くらいだ。後は辛うじて、シャルロットがはっきりとではないが、怪しい者たちとの繋がりを知ってはいるが、彼女が追っ手を放つ事などなく、余計な事を周囲に話す意思もない。
 それがたとえアーノルド王太子であっても。

 舞踏会で誰よりも衝撃を受けたのは、アーノルド王太子だった。未だ国政に携わる立場にないアーノルド王太子は、リオンの男爵位とバンドゥ領主就任の事を知らなかった。事のきっかけがアーノルド王太子である事を知っていて、あえて教えようと思う人もいない。
 事実を知る事なく、なんとなくリオンはどこかに流刑になったものだと思っていたアーノルド王太子の目の前に、いきなり男爵という爵位を持って、しかも国王主催の舞踏会という場にリオンは現れたのだ。しかも、奴隷にされたはずのエアリエルを妻として。
 それだけではない。まさかの事に固まってしまったアーノルド王太子を更に驚かせる状況が目の前で展開された。
 アーノルド王太子が物心ついた時から、ずっと塞ぎこむ事が多かった母親が、上機嫌な様子で二人の結婚を祝福している。何故そのような事になるのか、アーノルド王太子には理由が分からない。
 大いに動揺したアーノルド王太子だったが、さすがに今は、嫉妬に狂うような事はなかった。それでも釈然としない思いはあって、詳しい話を聞けないかとリオンたちを追わせたのだが、送った者たちは虚しく引き返してきた。
 アーノルド王太子にとっては、残念な事だ。

◆◆◆

 そして、もう一人。リオンたちの行方を掴めなくて、残念に思っている者が居る。こちらは明確な悪意を持っての事だ。
 エルウィンは、リオンというよりも、エアリエルの登場に大きく動揺した。奴隷に堕ちたはずのエアリエルが、末端とはいえ、貴族夫人の地位に居た。しかもその相手であるリオンは、王妃のほうから話をしたいと呼び出すような関係を持っていて、国王まで他の貴族との会話を後回しにして話しかけるような人物になっていた。貧民街出身のはずのリオンがどうしてそのような立場になれたのか、エルウィンは全く見当もついていないが、二人の存在を脅威に感じている。
 自分の立場を脅かす存在として恐れているのだ。それも、リオンとエアリエルの二人ではなく、二人の間に生まれる子供に対して。
 リオンがウィンヒール侯家の跡継ぎになる事はない。エアリエルも追放の罪がなくても女性だ。跡継ぎには成り得ない。だが、二人の間に息子が生まれたらどうか。
 目に入れても痛くないほどに溺愛していたエアリエルの子供、自分の孫をウィンヒール侯爵は放置しておくだろうか。
 それを考えるとエルウィンは、自分の将来に不安を覚えてしまう。根も葉もないデタラメだが、自分がウィンヒール侯爵の実子ではないという噂は未だに消えていない。デタラメであっても、それを利用されたらどうなるか。嘘でヴィンセントとエアリエルを失脚させたエルウィンは、それを恐れてしまう。
 何とかしなくてはならない。そう考えて、実に短絡的な考えで刺客を放ってみたが、それは失敗に終わった。そうなると刺客を放ったという事実が知られる事を恐れるようになる。
 エルウィンは嘗て、アーノルド王太子が陥った精神の泥沼にはまり込んでいた。
 とにかくエルウィンはリオンとエアリエルの夫婦を何とかしなくてはならないと思い込んでいる。そして、それをするにはバンドゥの地は、今のエルウィンには遠すぎた。

 

 

◆◆◆

 シャルロットも舞踏会でのリオンたちの登場に大いに驚いた。だがシャルロットの驚きは他の者とは違って、純粋な好意が伴う驚きだ、
 不幸のどん底に落ちたはずの二人が、実に幸せそうな雰囲気で連れ添って目の前に現れた。本来は結ばれるはずのない二人が夫婦となり、王国の王妃に祝福を受けていた。
 こんな奇跡が世の中に起こるのか。シャルロットの驚きは、感動に近いものだった。
 考えてはいけない事だと分かっていながらも、ヴィンセントの死は二人を結びつける為だったのではないかとシャルロットは思ってしまう。
 自分もあんな恋をしたい。侯家の令嬢としての立場を忘れて、シャルロットはそんな夢を胸に抱いてしまう。
 リオンのように全てを捨てて、相手を愛してくれる人を自分も愛したい。少し不器用で、鈍感だけど、相手への気遣いが細やかで。凄く冷たい、冷酷とも思える印象を与えるかと思えば、大切な人の事で人前でも涙を流せる優しさがある。
 そんな相手に出会って、自分もエアリエルのように愛されたい。
 こんな風にシャルロットは思ってしまう。リオンにもう一度会いたい。久しぶりにあったリオンは相変わらずの美貌だったが、少し男らしさが滲んできていた。
 今のリオンと話すと一体、どんな話をするのだろう?
 思わず、シャルロットの顔に思い出し笑いが浮かんでしまう。もう一度会いたい。又、シャロットの心にそんな思いが湧いた。

◆◆◆

 マリアにとって、リオンとエアリエルの登場は、大きな驚きではなかった。ゲームでは、エアリエルは地方領主に嫁ぐことになっていた。その相手がリオンだったというだけの話だ。マリアの驚きは、ストーリーの陰で小さなハッピーエンドが存在するという意外性に対するものだった。
 そしてその事実は、マリアの心にほんの少し残っていた罪悪感を綺麗に取り除いてしまう。二人が結ばれたのは自分のおかげくらいに考えてしまうのだ。
 マリアがリオンについて考えるとすれば、今からでも味方になるのかという事。
 処刑場の件はマリアには衝撃だった。自分が本気で放った魔法をリオンは片手で受け止めてみせた。いくらリオンがレアキャラだといっても、強さの桁が違い過ぎる。
 あれからマリアも、冷静に自分の力を見直して、鍛錬の時間を増やしてきた。当時よりもかなり強くなった自覚もある。
 それでも、リオンの力を求めてしまう。
 舞踏会でリオンは魔物を殲滅したと言った。この段階では大した魔物ではないとマリアには分かっているが、それでも軽々とそれをしてみせたリオンの力を、自分の戦いにも役立てて欲しいと思う。
 リオンのおかげで、魔人討伐は、いきなり王国の支援を受けて出来る事になった。これは本来のゲームと比べると、かなり有利な条件でのスタートとなる。ゲームでは魔人の存在を、周囲が認めてくれずに、仕方なく仲間たちだけで王都を飛びだして、各地を旅しながら魔物や魔人の討伐を行うところから始まる。魔物による被害が目に余るようになって初めて、それまでの討伐実績を買われて、国の支援を受けられるようになるのだ。
 だがマリアはそれに安心してはいない。逆に、有利な条件からスタートする事は、倒すべき相手のレベルも初めから高いものになる可能性があると考えている。
 果たして、そんな相手と戦えるのか。マリアの心には、舞踏会以降、ずっと不安がつきまとっていた。
 ちなみに、リオンがマリアの手帳の事を暴露したのは、あの場から逃げる為だけでなく、魔人討伐を加速させる事で、ゲームストーリーを早く終わらせようという思惑からだ。ゲームストーリーが終われば、主人公補正も消える。リオンはこう考えている。
 そんなリオンの思惑などマリアは分からない。それにマリアにとっても、ゲームストーリーを早く終わらせる事は望むところだ。魔人討伐が終われば、王太子妃としての、その先には王妃としての贅沢な暮らしが待っているのだ。
 もっと仲間が必要だ。リオンのような強力な、いや、リオンを仲間にしなければならない。マリアはそう思うようになっている。

 

 

◆◆◆

 ゲームの主要登場人物が、それぞれの思いに悩んでいるように、城内でもリオンの事で頭を悩ませている人たちが居た。
 その二人は、どちらからともなく誘うような形で、かつてリオンと話した謁見室に集まった。国王と近衛騎士団長の二人だ。リオンとエアリエルの処遇を決めた当人である二人が何故、リオンの事で頭を悩ませているかというと、かつて抱いた懸念が、リオンに再会したことで、また湧き上がってきたからだ。

「……どう思った?」

 何をと聞かなくても近衛騎士団長には分かっている。

「すっかり施政者の顔になっておりました。年下のはずですが、今は完全に逆転しておりますな」

「実務を経験している者と、そうでない者の違いはある。少し早くても、小さな事から経験させるべきだったか」

 国王のこの言葉は、アーノルド王太子だけを庇ったものではない。近衛騎士団長が抱く、リオンへの危機感を大きくしないようにという思いも含まれていた。

「今からでも遅くはありません」

「そうだな。顔は顔として実際のところはどうなのだ?」

「ご存知ないのですか?」

「あれのおかげで膿を出せたと思ったが、まだ完璧ではないようだ。バンドゥの地の事になると、妙に情報が上がってこない」

 リオンが告発した役人の不正の件は当然、国王の耳にも入っている。国王直轄地で行われていた不正に国王は激怒した。徹底的に不正役人を洗い出し、処分したつもりであったが、まだ完全ではないのか、バンドゥの地の報告は思うように国王の元に上がってこない。
 と国王は思っているが、これは勘違い。王国中央の役人は忙しい、ただでさえ忙しいところに、多くの者が処分されて更に忙しくなった。そうかといって補充も簡単に出来る事ではなく、今は辺境になど、かまけている暇はない、というのが実情だ。

「騎士団の調べでは情報も限られておりますが、それでもバンドゥの地は復興に向けて、着実に進んでいるようですな」

「具体的には?」

「盗賊討伐をまず最初に行ったようです」

「いきなり武か?」

 武を誇る者は、施政者として正しい在り方ではない。意味のない戦争は、たとえ勝っても、国力を疲弊させるだけだ。

「そう思いましたが、どうやら違っておりました。盗賊討伐で捕らえた者たちに、処罰として街道の整備や開墾を命じたようです」

「ほう。働き手の確保の為か」

「不正役人によってバンドゥの財政は破綻しておりました。タダで労働力を確保したい、という考えからの行動でしたら、大したものです」

 意図しての事かははっきりしていないと近衛騎士団長は言っている。国王のリオンへの評価をあまりに高めては、良くないと思っての事だ。リオン個人への思いは別にして、近衛騎士団長は継承についての揉め事を許すつもりはない。

「近衛騎士団長としては、どう思っているのだ?」

 だが、その誤魔化しを国王は許さなかった。

「……労働力の確保ですな」

「そう思う理由は?」

「聞く限り、罪人たちの待遇は、罪人に対するそれではありませんでした。食事はきちんと提供されております。過度な労働もありませんな。朝から晩まで働かせていますが、きちんと交代で休ませていたようです」

「……罪人どころか、好待遇ではないか」

 リオンの甘さと捉えた国王だったが、次の近衛騎士団長の話で、それが間違いであるとすぐに思い直す事になる。

「はい。ただ、これも意識しての事か分かりませんが、その待遇を知った他の盗賊たちも次々と投降してきました。恐らく今、バンドゥの地に盗賊と呼べる集団をおりませぬ」

「それを全て復興の労働力に?」

「そうです。元盗賊だけでなく、今、バンドゥの地は、領民全てで復興に向かって身を粉にして働いている状況です」

「……これは参ったな。俺よりも上ではないかと思ってきたぞ」

「さすがにそれは。実際に完璧に領民というか、臣下を押さえたわけではありません」

「……あれか、バンドゥ党だったな」

 さすがにバンドゥ六党の事は国王も知っていた。六は抜けているが。

「はい。付かず離れずといった様子のようですな。この辺は正直、細かなところまで分かりませぬ。バンドゥ六党など全く意識しておりませんでしたが、調べさせてみると、どうにも得体の知れない者たちのようですな」

 ちょっと調べるだけで、何も掴めなくてもバンドゥ六党が何かを隠そうとしている事は分かる。それがバンドゥ六党の甘さだ。見せるところは見せて、警戒心を抱かせないという事が出来ていない。

「そんな者たちがバンドゥに居るのか……」

「心配は無用かと。あの者は、そんな豪族共に比べて、何枚も上ですからな」

 結局、近衛騎士団長もリオンの事は高く評価してしまう。

「……さて、どうしたものか」

「なんとか融和を図るべきです。あの者の一方的なものでも構いません。もし事が露見しても、あの者が一言、許すという言葉を口にすれば、それで大事にはならずに済みます」

 あくまでも妥協すべきは、リオンの側と近衛騎士団長は考えている。アーノルド王太子は本人の自覚もなく、周りも気づかなかったが、実はとんでもなくプライドが高かった。それがヴィンセントとエアリエルの冤罪に結びついたと近衛騎士団長は考えていて、その推測は正しい。
 そんなアーノルド王太子が負い目を抱いた相手に謝罪するか、近衛騎士団長は疑問に思っている。謝罪どころか、逆に排除に動く可能性さえある。二人の仲を修復するには、リオンの側から負い目を消してやるしかないというのが、近衛騎士団長の考えだ。
 リオンが受け入れるはずがないとは思ってもいない。兄弟であれば分かり合えると考えているのだ。

「時が解決してくれるか?」

「……その可能性はありますが、出来る事なら、もう少し距離を縮めておきたいところですな。事実を知った時に、兄弟の情が生まれるくらいには」

「そうだな……」

 様々な思惑が絡み合い、それがリオンを縛り付けようとしている。動機は異なっても、全員の目的は同じなのだ。リオンを側に。それをこれだけの人物が考えると、それは実現する事になる。
 リオンがそれを望むどころか、強く嫌悪しているとしても。

 

 

◆◆◆

 王都の思惑など、リオンに知る術はない。少しでも早く領地に戻る事を考えて、旅路を急いでいた。そのリオンが異変に気が付いたのは領地に入ってからだ。
 王都と領地を結ぶ街道を通るのは、これで四度目になるが、過去の三度のいずれとも街道の様子は違っている。人通りが多いのだ。それも荷馬車を連ねる商人の隊列がいくつも通っている。
 こういった状況はリオンが強く望んでいた事だが、いきなりこうなる理由がリオンには分からない。まだまだ、下準備の段階のはずだった。

「エアリエル。もう少し急いで良いか?」

「ええ。平気よ」

 エアリエルの了承を得て、更に馬足を早める。
 そうして、ようやく辿り着いたカマークでリオンたちが見たのは、活気に溢れるとまではいかないまでも、それなりの行商人が街の中を行き交う姿だった。

「……どういう事だ?」

 門番の詰め所に顔を出して、リオンは事情を尋ねてみる事にした。

「あっ、ご領主様。お帰りなさいませ。長旅ご苦労様です」

 リオンの顔を見て、中に居た兵士が挨拶をしてきた。

「ただいま。どうして、こんなに人が居るのか聞きたい。理由が分かるか?」

 返しの挨拶もそこそこに、リオンは兵士に質問を投げた。

「驚きますよね?」

「ああ。街道を進んでいる途中で驚いた。それで事情を知りたくて、途中からかなり急いできた。分かる範囲で教えてくれ」

「はい。きっかけは、行商人の一隊が国境を超えてやってきた事です」

「……どうして危険な国境をわざわざ?」

 そんな事情があるのは、後ろ暗いところがある行商人だとリオンは思ったのだが、そうではなかった。

「南の街道が封鎖されているそうです。その行商人はどうしても我が国に入りたくて、北にもう一か所、国境を超えられる街道があると聞いてやってきたそうです」

「別の方は封鎖したのか。それで一気に?」

「いえ。さすがにそうは行きません。その行商人の一隊は、この街に泊まったのですが、随分と気に入ったようで。行く街々で、うちの良さを風潮して回ってくれたようです。それを聞いて、我が国の商人もこちらの街道を使った。そして満足した商人は、国境を抜けた後にわが街の話をし、それを聞いた商人が、という感じのようです」

 封鎖をあくまでもきっかけで、この街の良い評判が口コミで広がったおかげ。ではその良い評判は何によってかとなると、リオンに思いつくのは一つしかない。

「……満足したのは、あれか? フォルスの所か?」

「あそこくらいしか泊まる場所はありませんから」

「そうか……分かった、ありがとう」

 事情が分かったリオンが向かったのは、フォルスが営む宿屋。宿屋兼酒場兼賭場兼娼館だ。他にもやっているが、メインはこの四つ。
 辿り着いた目的の建物。その入り口の扉を潜った途端に。

「「「いらっしゃいませ!」」」

 従業員の声が響く。入り口のすぐ横に宿屋の受付がある。そこに整列して、客を迎えているのだ。

「あっ、リオン様。戻ったのですか?」

 入ってきたのがリオンだと気が付いて、従業員の一人が声を掛けてきた。貧民街の住人だった者で、リオンも知っている顔だ。

「ああ。今戻ったばかりだ。フォルスは居るか?」

「奥に居るので、呼んできますね」

「ありがとう」

 フォルスを呼びに従業員の一人が奥に向かった。入り口の正面が酒場兼食堂で、その奥には娼館に通じる廊下がある。従業員はそこに入っていったので、フォルスは娼館か、更にその奥の賭場に居るという事だ。
 フォルスが来るまでには少し時間が掛かると分かったリオンとエアリエルは、邪魔にならないように受付の奥に移動した。
 そうして待っている間に、一人の客が現れた。
 一斉に唱和された挨拶の声に少し戸惑った様子だ。そこに一人の従業員が近づいて、話しかける。

「お食事ですか、それともご宿泊ですか?」

「ああ、宿泊で」

「承知致しました。では受付で承ります」

「ああ」

 リオンたちの居る受付の前に客を案内して、従業員自身は受付の中に入る。宿の台帳を取り出して、宿泊数を尋ねる。客の答えは一泊だった。客に名前を書いてもらい、前金を支払ってもらう。これで宿の受付は終了だ。

「ではお部屋までご案内します。お荷物を運びますので、後ろの従業員にお預け下さい」

 こう言った途端に、もう一人の従業員が客の前に進み出てくる。

「お荷物をお預かり致します」

「あ、いや、荷物は」

「台車の上に乗せてください」

 躊躇う客に構わずに、荷物係の従業員は台車を前に出す。

「……ああ」

 言われた通りに客は、台車の上に荷物を載せた。荷物を手に持って運ぼうとすると躊躇う客も、台車に載せると言われると安心して荷物を預けるようだ。リオンが指示した事ではない。彼らで考えた工夫だろう。

「では。こちらです」

 受付をした従業員が鍵を持って先導する。その後を客、そして台車を押す従業員が続く。階段の下に辿り着いたところで、鍵は荷物係に渡され、荷物係は鍵と荷物を手に持って階段を登っていく。荷物に対して何かを言う事なく客も後に続く。残った受付をした従業員が、その客の背中に向かって、深く頭を下げている。あとは台車を押して、受付まで戻ってくるだけ。
 この従業員たちの姿を見て、リオンは目頭が熱くなった。今の接客は一朝一夕で身につくようなものではない。彼らはずっと、いつ来るかも分からない客の為に、接客の練習を続けていたのだ。その彼らの努力が今、実を結んでいる。この街の評判は、ここで働く従業員が作り上げたものだ。

「これは大将。お戻りですか」

「……ああ。さっき戻った」

「驚いたでしょう? この一月で急に客が増えました」

「そうらしいな」

「さすがは大将ですね。大将が居ると、どんな寂れた場所でも活気がある場所に生まれ変わる。この街も貧民街と同じだ」

「……俺のおかげじゃない。お前たちの努力のおかげだ。ありがとう」

 フォルスと、この場に居る従業員たちに、リオンは深く頭を下げて動かなくなった。涙が堪えられなくて、そんな顔を見られるのが恥ずかしいからだ。

「……それでも大将のおかげです。俺らは大将が居るから頑張れるんですよ」

「……それは俺の台詞だ」

 彼らの為と思うからリオンも頑張れる。リオンが頑張るのは復讐の為だけではない。自分に付いてきてくれる彼らの生活を何とか良くしたいという思いもあるのだ。
 リオンは自分の欲ではなく、他人の幸せの為に働ける施政者だった。それがこの世界で、どれほど貴重な存在か、リオンには分かっていない。
 そして分かっていないのは、王都に居る者たちも同じだ。