舞踏会の会場となった城内の大広間には、綺羅びやかな衣装に身を固めた大勢の人たちが集まっている。会場の広さ、そこに集う列席者の数、料理の豪華さ等など、王国学院の行事とはどれも桁違いだ。
それはそうだろう。これは本物の、それも国王主催の舞踏会なのだ。
各地に魔物が出没するこの時期に華やかな行事を開催するというのには、多少の議論があったものの、今のところは大きな被害は出ていない事、そして、国の行事の自粛は事態の深刻さを国民に感じさせ、人々の心を不安にさせてしまうという意見が最終的には通り、こうして例年と同じように開催される事となった。
この舞踏会は恒例行事。王国内のかなりの貴族が参加する舞踏会で、貴族の令嬢たちは、この日の為に随分前から準備をしている。中止とは言い辛いという事情もある。
とにかく舞踏会は開かれ、多くの貴族たちが、それなりに楽しい一時を過ごしている。もちろん国王主催の、上位貴族のほとんどが集まる会である、ただ歓談しているだけで済むはずがない。大広間の奥の玉座に座る国王の前には、多くの人たちが挨拶の為に並んでおり、それが終わった人も、関係の深い上位貴族の席に行き、何やら話をしている。ただの歓談とは言えないような話も中にはある。貴族にとって舞踏会は他家との外交の場でもあるのだ。
もっとも、そんな風になっているのは会場の上座、奥の方だけだ。入り口近くの末席に居るのは、辛うじて参加が許された下位貴族たち。国王への謁見の機会など与えられるはずもなく、上座に設けられているダンスの場に出るわけにもいかず、ただ会場の雰囲気を味わうくらいしか出来ない。
せめて豪華な食事を楽しもうと思っても。
「リオン。そんな風に食事ばかりしているのは品がないわ」
こんな風に怒られてしまう。
「でも、食べるくらいしかやる事がない。俺、酒飲めないし」
「会話を楽しむのよ」
「誰と? 貴族の末端の男爵、それも新米男爵と話そうなんて人はいない」
「そうね……知り合いなんていないわね」
元侯家の一員だったエアリエルが周囲を見渡してみても、顔見知りは誰もいない。そもそもエアリエルの顔見知りが末席になど居るはずがないのだ。
誰かが話しかけてくる様子は一切ない。では自分たちからという気持ちもない。他家と仲良くする必要は、今のところ、リオンたちにはなかった。
「もう引き上げるか? 出席したという記録は残した」
「両陛下が退席するまでは駄目よ」
国王や王妃よりも先に会を離れる事は無礼とされる。退席しようにも、外に出してもらえない。
「はあ。どうして、こんな事で呼ぶかな。往復するだけで二ヶ月だ」
周囲の人たちが聞けば、目を剥くような事を平気で口にするリオン。国王主催の舞踏会の参加者名簿に名を連ねるというだけで名誉なのだ。末席に居る者にとっては、退屈な会ではあっても、喜ばしい事なのだ。
「そうだとしても断るわけにはいかないわ」
「まあ」
王都から届いたまさかの舞踏会の招待状、それも王妃直々の招待状だった。領地を離れたくないリオンであったが、さすがに断る事は出来なかった。そもそも招待状と呼んでいるが出欠を確認するものではない。招待状が出された時点で参加は決定、招待状というよりは召喚状と呼ぶべきものだ。
「でも退屈だ」
「そうね」
リオンの台詞に、無礼と思いながらもエアリエルも同意した。
これほど退屈な会はエアリエルにとって初めての事だ。まだ幼いエアリエルが参加した舞踏会であるから、このような本格的なものではなかったが、侯爵家の令嬢として上座も上座に位置していたエアリエルにとって舞踏会の場は、次々と現れる人々と会話を交わし、ダンスの相手をし、と休む間もない忙しい場所だった。
今のように誰からも相手にされないという状況は経験した事がない。
ただ本当に退屈であれば、誰でも良いから話しかければ良いのだ。それで状況は一気に変わることになる。今の状況は学院の食堂と同じ。周囲に居る人たちの意識は、リオンとエアリエルの二人に集まっていた。
黒一色に所々銀糸を編み込んだだけの騎士服を着たリオン。すっきりしたシルエットの淡く薄い緑色のドレスを着たエアリエル。
豪華とは程遠い服装の二人であるが、何を着ていようと二人の美貌が周囲の注目を集めずにはおかない。そうでありながら二人が纏う雰囲気が、軽々しく二人に話しかける事を周囲に許さなかった。
そんな周囲を、更に驚かす出来事が起こる。
「フレイ男爵で間違いはございませんか?」
不意に現れた侍女が、リオンに声を掛けてきた。侍女といっても、そこそこ年配のその女性の佇まいは、使用人とは思えない威厳を感じさせた。
「はい。そうですけど?」
「王妃殿下がお呼びでございます。ご同行願います」
「……はい?」
リオン以上に周囲が侍女の言葉に驚き、目を剥いているのだが、彼女はそんな周りの人々には目もくれずに、リオンに向かって言葉を続けた。
「少しお話がしたいと仰っております。奥方様も是非にとの事です」
「……そうですか」
リオンの視線がエアリエルに向く。王妃の居る場所は国王の隣。その王妃の場所へ向かうという事は、多くの上位貴族の前を通って行くことになる。エアリエルの顔を知る者も多いはずだ。
嘗ての侯家の令嬢が、地方領主の男爵夫人になったと知れば、蔑みの目で見る者も出てくるだろう。
リオンはそれを心配したのだが、エアリエルは軽く頷く事で同行を了承した。エアリエルにとって、リオンの妻という地位は恥ずべき事ではなく誇るべきものだ。政略結婚ではなく、心から愛する人と結ばれる事が出来たのだから。
「では、失礼ですが、前を進ませて頂きます」
リオンにこう告げて、迎えの侍女は前に進み出ていく。リオンとエアリエルは、その後を追った。
◆◆◆
迎えに来た侍女は、それなりの地位にある人だったようで、上座に近づけば近づくほど前を遮る者は居なくなり、容易に進めるようになった。上位貴族に道を空けさせるだけの力を侍女が持っているという事だとリオンは理解した。
ただ進むのは楽になったのだが、両脇からジロジロと眺められるのは、あまり気分が良いものではない。
すっかり慣れていたはずの周囲の視線が妙に煩わしい。どうしてかと考えてみると、領地に着いてから、こういった視線をあまり向けられていなかった事に、リオンはここで初めて気がついた。
そしていよいよ玉座とその隣に座る王妃の姿が見えてきた。それと同時に周囲から呻き声に似た声が漏れ始める。
玉座の近くに居るのは、上位貴族の中でも更に上位の者たち。エアリエルの事を知っている者たちは多い。
奴隷にされたはずのエアリエルがどうして、この場所に居るのか。彼らは当然こんな疑問を持っている。そして、エアリエルだけでなく、リオンをも良く知る者たちに至っては、あまりの驚きに固まってしまっている。
リオンとエアリエルは、その固まっている者たちには一切視線を向ける事なく、真っ直ぐに王妃の下に向かった。
そういった者たちの視線を嫌ったというよりは、その中に交じる温かい視線、ウィンヒール侯爵夫妻の視線を意識しての事だ。
エアリエルの侯家からの追放処分は消えたわけではない。ウィンヒール侯家との繋がりを思わせるような素振りを見せるわけにはいかなかった。
「フレイ!」
リオンの姿を見つけた王妃が、大声で名を呼んできた。リオンからすれば、姓なのだが。
その声を受けて、少し足を速めてリオンたちは王妃の前に進み出た。
「……ご無沙汰しております王妃殿下。お呼びと伺い参上致しました」
王妃のリオンを呼ぶ声で、すっかり注目が集まってしまっている。リオンがこんな挨拶をする頃には、周囲の者たちは、一体何が始まるのかと興味津々で耳をすましていた。
「ええ、久しぶりですね。元気そうで何よりです。随分と背が伸びましたね?」
「はい。ようやく人並みの身長になれそうです」
「まあ。もしかして小柄な事を気にしていたの?」
リオンの言い方に王妃は楽しそうに笑みを浮かべている。母子関係を隠さねばならない事を忘れているかのようだ。
「それは少しは。男は小さいよりも大きい方が宜しいかと思います」
「子供にはいつまでも小さく居て欲しいわ」
王妃殿下は実際に隠すことを忘れていた。
「はい?」
「あっ、あれよ、貴方と初めて出会った時は、本当に子供ように小さかったから。その印象が強くて」
「そうですか。自分では、もう大人のつもりで居たのですが」
「今はすっかり大人ね。妻を娶ったのは聞いていたけど」
王妃の視線がエアリエルに向いた。後ろに控えていたエアリエルだったが、挨拶をしようと、リオンの隣に進み出てきた
「初めまして、王妃殿下。エアリエル・フレイと申します」
「初めましてと挨拶するのね?」
「はい。私はフレイ男爵の妻であって、それ以外の何者でもありません」
「そう。こうなるとは思っていたけど、こうして並んでいると本当にお似合いの二人ね。遅くなったけど、結婚おめでとう」
「ありがとうございます」
王妃から祝福の言葉をもらえたエアリエルは、嬉しそうに笑みを浮かべて、横に立つリオンに視線を向ける。
だが、その視線はすぐに王妃に戻った。エアリエルらしくもなく、無遠慮に王妃の顔を見つめ、そして又、リオンの横顔へ視線を移す。
エアリエルは気付いてしまった。リオンの横顔が王妃のそれとそっくりである事に。青い瞳の色も、まるで、そのまま移したかのように、色合いや輝きが同じである事に。
「エアリエル。私は貴女たちの結婚を、この国の王妃として、心より祝福するわ」
再度、与えられた祝福の言葉。だが今回のそれがただの祝福ではないことが、エアリエルには分かった。伝えたかったのは、王妃として。そういう事だ。
「はい。夫と共に、臣として、王妃殿下のご好意に応えたいと思いますわ」
王妃が伝えたかった事は、確かに伝わった。エアリエルはそう返事をした。
「ええ。期待しているわ」
「では、王妃殿下。我々はこれで」
王妃の気持ちなど知らないリオンは、急いで、この場から離れようとしている。
「そう……」
ここで引き止める事はさすがに王妃も出来ない。リオンはあくまでも一男爵。王妃と直接言葉を交わすことさえ異例なのだ。
「ああ、ちょっと待ってくれ」
リオンを引き止めたのは国王のほうだった。事もあろうに国王は、別の者との会話を途中で切り上げて、リオンの前にやってきた。これはもう、異例も異例だ。
「……何でしょうか?」
余計な注目はリオンの望むところではない。戸惑いをわざと隠さずに、リオンは返事をした。
「まあ、そう嫌がるな。大事な話だ」
リオンの態度も、それを軽く許す国王にも、周囲の人たちは混乱している。二人とも周囲を気にしているくせに、こうやって注目を集めてしまう。これも親子の証拠なのだろうか。
「もしかして、魔物の件ですか?」
「さすがに察しが良いな。その通りだ。最初に現れたのはお前の所のようなので、話を聞きたかった」
「という事は他の場所にも現れたわけですか。被害は?」
「大きな被害はない。だが無視は出来ない。どうするべきか、お前の意見を聞きたかった」
この国王の発言も驚きだ。一男爵に国王が意見を求めるなど、常識ではあり得ない。
「私の意見ですか……」
リオンはすぐに答えを返さなかった。何か意見を言っても良いことは何もない。万一、国王に採用されるような事になれば最悪だ。国政を担っている者は他にいるのだ。今、リオンに意見を求めている事さえ、良くは思われないだろう。
「私よりも、他の方に意見を聞くべきです」
リオンの結論は、面倒事は他人に任せるというものだった。
「何だと?」
自分の問いを拒否されたと思って、国王に怒気が浮かぶ。そんな国王の反応を気にする様子もなくリオンは話を続ける。怒気を収めるには、説明を続けたほうが早いと考えての事だ。
「その方は私などよりも、はるかに魔物の事を知っていて、何をすべきかを知っているはずです」
「……そのような者が居るのか?」
リオンの思惑通りに、国王は話に食いついた。
「はい。この場所に居ます」
「この場所に? それは誰だ?」
国王に誰かを問われて、初めてリオンはずっと避けていた方向に視線を向けた。アーノルド王太子たちが集まっている場所だ。
「あそこに居るマリア・セオドール嬢です」
リオンの指が真っ直ぐに、アーノルド王太子の隣に居たマリアに向けられた。
「……ちょっと待て。お前は何を言っているのだ?」
「私は嘗て、罪を犯しました。処刑場を襲撃するという罪だけではなく、ずっと小さな罪も」
「だから、何を言っているのだ?」
「マリア嬢の大事にしている手帳を盗み見た事があります。最初の一頁、それも一部ですが」
これは嘘だ。リオンは手帳に書かれていた多くの情報を盗み見ている。だだ、そんな事は分かるはずがない。それにマリアだって迂闊に文句は言えない。中身を知られれば、マリアもかなり困ることになるからだ。
「……それが何だ?」
「魔人という文字が書かれていました。この先、どんな出来事が起こるかも」
「何だと?」
「その時は何でそんな事が書かれているのか分かりませんでした。お伽話が好きなんて、女性にしては珍しいな程度です」
「今はどうだと言うのだ?」
「今はこう思っています。彼女は魔物の、それを操っている魔人という存在を知っていた。もしかしたら、彼女は伝説の勇者のような存在ではないか、と」
周囲が一気に喧騒に包まれた。馬鹿な事を言うなとリオンを罵っている者、伝説の勇者の再来に驚いて騒いでいる者、真実を知ろうとマリアに問いを投げている者。
リオンの投げた爆弾は見事に破裂した。
「静まれ! 静まらんか! 陛下の御前だぞ!」
大声で叫んでいるのは近衛騎士団長だ。周囲を黙らせようと叫びながら、リオンに向かって、何とも言えない視線を向けている。こうなる事が分かっていて、リオンが発言したと考えているのだ。
近衛騎士団長の叱責の声によって、なんとか周囲が落ち着きを取り戻したところで、国王が口を開いた。
「リオンの話は事実か?」
この問いかけはマリアに向けてのものだ。
「それは……」
「魔人の出現を知っているのか?」
「それは……はい」
「どうすれば良いかも?」
「魔人は私が、仲間たちと共に倒します。それが私の使命です」
リオンによって振られた事だというのに、何も考える事なくマリアは肯定していく。自分が魔人討伐に向かうのは決定事項。今の場面はそのためのイベントだと思っているのだ。
「伝説の勇者というのは?」
「その伝説の勇者とは何ですか?」
「異世界人なのか?」
「あっ……」
まさか、異世界人であるかを問われるとはマリアも思っていなかった。マリアの反応は、完全に図星をさされた者のそれだ。
「そうだったのか……仲間というのは、そこに居る?」
「はい。私と共に戦ってくれる仲間です。他にもいます」
「アーノルドも必要なのか?」
「アーノルド様は、仲間の中でも大切な人です」
マリアは男としてこう言ったのだが、国王はアーノルド王太子の力が必要なのだと受け取った。アーノルド王太子の個人の武勇は国王もよく知っている。魔人との戦いにその力を必要とするのは、当たり前の事だ。
「分かった。では明日にでも今後の対策を相談しよう」
「はい、分かりました」
これでマリアの活動は公に認められ自由に行動が出来るようになる。主人公マリアの活躍の始まりだ。ゲームであれば。
「さて……おい? フレイ男爵は?」
「もう帰ったわ。こんなに注目を浴びると居づらいからって」
国王の問いに王妃が不機嫌そうに答えた。
「それを許したのか?」
「ええ。だって実際に、周囲から酷い言葉を投げられていたわ」
「あいつ……」
王妃が許しを与えたとなると、国王も咎める事は出来ない。もともと先に帰った事を咎めるつもりはない。自分だけが、まんまと逃げ出した狡さに怒っているのだ。
こうなるとマリアの話も怪しく思えてくるが、マリア本人が認めているのだ。それは事実なのだと国王は判断した。
うまくマリアに魔物の事を押し付けて逃げ出したリオンだったが、これで国王が諦めるはずがない。何よりも、世界がリオンという存在を物語から手放すはずがなかった。