ウェヌス王国王都での用事を全て済ませてグレンはストーケンドに戻った。グレンにとっては収穫が多い、と全てを例えられるわけではないが、とにかく行って良かったと思える結果だった。
得られた結果と、気持ちが少し整理されたことに満足してストーケンドに戻ったグレン。だが、そこで待っていたのは。
「君は何を考えているの!?」
鬼のような、この世界に鬼はいないが、形相をしたローズだった。
「えっ? 怒ってる?」
「当たり前でしょ! 一人でウェヌス王都に行くなんて! 何かあったらどうするの!?」
「……いや、でも、これまでも戦争とか」
危険度では戦争のほうがはるかに上。それについて何も言わなかったローズが、今回酷く怒っていることにグレンは驚いている。
「そういう事じゃないの! 戦争だってなんだって私は心配なの! でも、君を信じて待っているの!」
「……今回は?」
「どうして何も話しくれなかったの!? 私にだって覚悟を決める時間が必要なの!」
「あっ、そうか……」
何であっても心配であることには変わりはない。それをローズは耐えていただけだ。
「心配なの。君を失いたくないの。こんな事を言うのは駄目だって分かってるけど……」
ローズの声の調子が一気に落ちる。瞳に涙を溜めて、じっとグレンを見つめるローズ。
そのローズをグレンは抱きしめて、耳元で囁いた。
「心配かけてごめん。今回はどうしても一人で行動したくて」
「どうして?」
「気持ちの整理をつけたかった。一人になって誰にも邪魔されずにじっくりと考えてみたかった。ケジメというのかな……フローラのお墓に行って、別れを告げてきた」
「そう……」
フローラの話になるとローズは怒れなくなる。まして別れを告げるなんてことは、そんな風に考えることさえ、簡単ではないと分かっている。
「それで……えっと色々と人の話も聞けて……いや、それが理由ではなくて……自分で考えた結果であるわけで……」
途端にたどたどしくなるグレン。
「ちょっと。どうしたの?」
その変化の理由がローズには分からない。
「とりあえず、これを受け取って欲しい」
ローズと少し距離をとって、グレンはポケットから小さな箱を差し出した。
「……何?」
「贈り物」
「本当に!?」
グレンから贈り物を貰うなど、ローズには初めての経験。嬉しさよりも驚きが先に来た。
「王都で買った。気に入ってくれれば良いけど」
「君が送ってくれた物なら何でも気に入るよ。それで中身は何なの?」
「……指輪」
少し躊躇いながら、グレンは贈り物が何かを告げた。
「なんか、らしくない。どうしたの?」
贈り物というだけで驚きなのに、さらに物が装飾品だと知って、ローズは戸惑う。
「えっと、聖女に前に聞いて」
「どうしてここで聖女が出てくるのよ?」
贈り物を貰えるなんて嬉しい場面で、別の女性、しかも結衣が出てきたことにローズは不満げだ。
「その……異世界では……その……」
「何?」
「結婚を申し込む時は指輪を送るらしい!」
一気にこれを告げて、グレンは指輪の入った箱をまっすぐにローズに突き出した。
「……はい? 今、なんて?」
「だから……俺と結婚して下さい」
「……冗談?」
「冗談じゃない。本気だから」
「本当に良いの?」
とても嬉しくはある。だがそれよりもローズは信じられないという気持ちのほうが強い。グレンのことは好きだが、結婚という結果はまったく期待していなかったのだ。
「俺がお願いしているのだけど。もう一度言う。俺と結婚してくれますか?」
「……はい。喜んで」
ローズの返事はこれ以外にない。グレンの本心が実際にはどうであろうと、グレンが許してくれる限り、ローズは隣に居続けると決めている。
「……ありがとう。良かった」
「良かったって。グレン、私はずっと君に夢中だよ」
「俺も。俺も君に夢中だ。ローズは何があっても俺の隣にいてくれると信じられるから」
「グレン……」
ローズにとって何よりも嬉しい言葉。自分の想いは確かにグレンに届いていた。ようやくローズは、心からグレンの結婚の申し出を喜ぶことが出来た。
そしてまた、二人はお互いをきつく抱きしめ合う。偶然の出会い、そして過ちのように始まった二人の恋は、こうして成就することになった。
ただ、二人の歩みはこれで終わりではない。ここから始まるのだ。結婚生活だけではなく、色々なことが。
◆◆◆
早速、次の日に事が動き出す。グレンの帰還を待ち構えていたかの様に、ストーケンドに来訪者がやってきた。訪れたのはゼクソン王国の盗賊団の首領だ。
場所は大会議室。多くの人に囲まれるようにして座っている首領は緊張を隠せないでいる。
「いやぁ、別れる時に思わせぶりな台詞を言われたけど、まさか本当に訪ねてくるとは思わなかった」
「まあ」
そんな首領の緊張を解そうと、グレンはおどけた調子で話し掛けた。それでも首領の緊張が解ける様子はない。
「それで? いきなり何か協力してくれるのか?」
「それが……」
「何? 用があるから来たのだろ? 遠慮しないで話してくれ」
「実は頼みがあってきた」
話を促すグレンにようやく覚悟を決めたようで、首領はこれを口にした。
「協力をするじゃなくて、協力を頼みにか……今、結構忙しいのだけど」
「それは分かっている」
「出来るかどうかは分からないけど話は聞こう。頼みというのは?」
「盗賊稼業から足を洗いたいと思ってんだ」
「……それ俺に報告が必要か?」
足を洗いたければ勝手にそうすれば良い。グレンの許可など必要はない。
「足を洗いたいけど、昔住んでた村はもうねえ。暮らす方法がねえんだ」
もちろん、首領も許可を取りにきたわけではない。今後のことを相談したくてきたのだ。
「まさか援助? ウェヌス軍の物資は結構な量だったはずだけど」
盗賊団には物資の一部を、協力の謝礼として渡している。一部といっても元が多いので、しばらくは盗賊などしなくても暮らせる量であったはずだ。
「そうじゃなくて……ここに住まわせてもらえねえか?」
「はい?」
「この場所で俺達を受け入れてもらえねえか?」
「本気?」
「本気だ」
首領の真剣な目を見て、グレンも表情を改めた。笑みを消して厳しい目で首領を見詰めて口を開く。
「……何故、足を洗いたいと思ったか聞かせてもらえるか?」
知り合いだからといって、甘くするつもりはグレンにはない。新しい人が増えるのは大歓迎だが、それで秩序が乱れるようでは全てが駄目になってしまう。
「元々、やりたくてやっていたわけじゃねえ。貧しい村だったのに何年か不作が続いて、それで食っていけなくなって盗賊になった」
「良くある話だ。でも、それを止めたいと」
「討伐で酷い目にあった」
「それは仕方がない。でもお前のところは、怪我はさせても殺さなかったはずだ」
人殺しの経験を積むための盗賊討伐だったのだが、全てを問答無用で殺していたわけではない。抵抗しない相手には、それなりの対処法を選んだ。そして、この首領のところはその抵抗の少ない相手だった。だからこそ協力をさせ、物資も渡したのだ。
「捕らわれた奴らは駐屯地に連れて行かれ」
「返しただろ?」
「久しぶりに普通の暮らしをしちまった」
「ああ……そっちか」
酷い目にあったからではなく、普通の暮らしを思い出したというのが足を洗うきっかけだった。
「拘束とかしなかったのだな」
「人手が足りないから色々と手伝ってもらおうと思って」
「その手伝いで昔の暮らしを思い出しちまった。それを思い出しちまったら、もう盗賊なんて出来ねえ」
「それは分かるけど、どうしてわざわざここに?」
盗賊を止めたいという気持ちがあるなら、普通に暮らせばいい。数年は暮らせる物資もある。じっくりと腰を落ち着けて、やり直せばいいとグレンは思う。
「土地がねえ。いや、住んでた村でとは思ったんだ。だが、そこに戻れば捕まっちまう。村ごと盗賊になったことなんてばれてるだろうからな」
「ここには空いている土地はあるけど、一から始めなければならない」
「それはゼクソンでも同じ。何年も放置した畑なんて、いちから開墾するのと同じだ」
「そうか……」
普通の暮らし、農民に戻るには土地が必要。その土地を求めて、首領はストーケンドで暮らしたいのだ。理由としては納得だ。
「だったら新しい場所でやり直したい。そう思うのが普通じゃねえか?」
「盗賊をしていた事がばれれば、白い目で見られると思う」
グレンの気持ちは決まっている。あとは盗賊側に本気でやり直す覚悟があるかだ。
「それは覚悟してる。それが無くなる様に真面目に働くつもりだ。やり直すってぇのはそういうことじゃねえか?」
「そうだな……ちなみに何人?」
「ざっと百ってとこだな」
「はっ? そんなにいたか?」
首領の言った数は、銀狼兵団が討伐に向かった時とは、ずいぶんと違っていた。そんな大規模な盗賊団ではなかったはずなのだ。
「わりい。知り合いにも声を掛けちまった」
「……俺たちに殺された奴らの仲間じゃないのか?」
さすがに恨みを抱いている盗賊を受け入れる気にはならない。
「信頼できる奴だけに声を掛けたつもりだ」
「……まあ、俺は良いけど」
自分を見つめる首領の真剣な目を、グレンは信じることにした。
「グレン殿!」
堪らず声を上げたのはハーバードだった。
「何か?」
「盗賊を受け入れるなどと! その様なことを簡単に認めるものではございません!」
「人のことを言える立場でしたか?」
怒鳴り声をあげたハーバードに対し、グレンは冷めた目を向けている。
「……それは?」
「貴方たちも同じですよね? 反乱とは名ばかり。やっていたことは盗賊です。自分たちはやっていないなんて言わないでください。盗賊行為を認めていたということは、盗賊をしていたと同じです」
「…………」
グレンに反論の余地のない言葉を返されて、誰も何も言えなくなった。
「はい。決定。ここで受け入れるから、いつでも仲間を連れて来い」
「すまねえ!」
「その代わり真面目に働くように。ここで盗賊みたいな真似をしたら容赦なく処罰するからな」
「勿論だ! 俺らは真っ当になりてえんだ!」
「じゃあ、それで。ああ、名簿とか用意は……無理か」
盗賊だ。字が書ける者がいることの方が珍しい。それが出来れば、恐らくは盗賊などしなくても働き口はある。
「字は書けねえな」
案の定、首領でも字は書けなかった。
「じゃあ、来てからで良い。戸籍みたいの作るからな」
「戸籍?」
民にとって戸籍は、単に税金の額を決める為のものだ。家に何人の大人がいるかで税額は変わってしまう。
「心配するな。ちゃんと収穫が上がる様になるまで税なんて取らないから。あっ、でもな」
「何だ?」
「ウェヌス軍の物資の一部を差し出して貰えるか? 食糧はいらない。武具とかだけだ。それで移住を認めたことにする」
「それはかまわない」
真面目に働くと決めたのだ。武具など必要ない。売って金にするという手もあるが、売り先を間違えて、事が露呈すれば面倒なことになると分かっている。
「悪いな。一度渡したものを取り上げて。人が集まるのは望むところだけど、流民に大量に来られてもな。まだ、そんな余裕はないから」
無条件で土地を渡してくれる。そんな風に思われては困る。人が増えるのは歓迎だが、配分出来る資源には制限があるのだ。
「それはそうだな。分かった」
「では、そういうことで」
「ああ」
移住先が決まって、足取りも軽く会議室を出て行く首領の姿を見るグレンは浮かない顔をしていた。移住はグレンにとって喜ぶべきことだ。元農民の百人が移住してくれることは、この場所にとって大きい。
農業指導を頼んだ結果、分かったことは残っていた住民が手に職を持たない、つまり、もともとは農作業も猟もしたことが無い貴族の類だったという事実だ。
全くの無能とは言わないが国政というものがなくなったこの場所に、彼らの知識や経験を活かす仕事はない。
本来の農民がこの場所に来てくれる事は嬉しい。だがグレンの悩みは元貴族であり、元からここにいる住民たちが特権意識を持たないかということ。そうなれば、この場所はグレンの思う形にはならなくなる。
じっと考え込んでいるグレン。その気持ちを察したのは、やはりローズだった。
「心配?」
「まあ。動き出したばかりのこの場所で、いきなり住民間の対立なんて起こったらな。それでもう先は一気に暗くなる」
「そうね」
「そうならない方法を考えないと」
「一つ案があるけど?」
珍しくローズはこの手の話で、ただ聞いているだけでなく提案をしてきた。
「本当に?」
「新しい国を造るのよ」
「はっ?」
それもグレンが驚くほどの提案だ。
「帝国は滅びたの。もう二度と蘇ることはないのよ。だから帝国時代の身分なんて何の意味も持たない。この場所はグレン。君の国よ。君が国を建てるの」
「ローズ……」
ローズが建国を積極的に勧めてくるとは思わなかった。これがグレンの気持ちを後押しした。同じ解決方法はグレンも考えていた。ただ、それを実行するのに抵抗があっただけだ。
「君に一つ謝らなければならないわね。私の全ては君のもの。そう思っていたけど、渡せないものが出来た」
「渡せないもの?」
「セントフォーリア家。この家名、そして皇家の血筋は渡せない。私は、それを捨てて、君の奥さんになる」
「そんなものは最初から求めていない」
二人の出会いは、国軍の落ちこぼれ小隊の隊長と盗賊に囚われていた村娘。ローズの村娘は嘘だと分かっていても、もっと悪い盗賊の一味だ。
「グレン。今日からは私はソフィア・タカノ。そう名乗るわね?」
「ローズも捨てるのか?」
「ローズは祖母の名なの。だから、それも捨てて、私はただのソフィアになるのよ。ただのソフィアがタカノ家にお嫁に行くの。だから、ソフィア・タカノ」
「ああ、それだけど」
ローズの話を聞いたグレンは何故か渋い顔をしている。
「何?」
「俺はタカノの姓を捨てたい。勇者の血筋なんて真っ平御免だ」
捨てたいのは勇者の血筋だけなのか。他にあったとしてもグレンが口にすることはない。
「あら? じゃあ、どうする?」
「一つ考えていたのがある。実を言うと国の名として」
グレンはここまで考えていた。ここまで考えていて、それを積極的に進めないところがグレンの不思議さだ。思考ばかりが遠く先まで進んでいて、それに本人が付いて行けていない。
「早過ぎ。でも何?」
「ルート。根という意味だったはず」
「それ、繋がっているわよ?」
「でも葉(フォリウム)はない。そして花を捨て、茎(ストーク)を捨て、残ったのは根。でも根があれば、地面にしっかりと根を張れれば、また綺麗な花を咲かせるかもしれない」
「何か良いかも。じゃあ、私はソフィア・ルート。君はグレン・ルート。国名はルート王国ね」
「そうなるな。つまり俺は簒奪者か?」
エイトフォリウム帝国は滅び、帝都ストーケンドはグレンの国のものになる。この時点で他国が何かを言ってくることは決してないが、それでも簒奪と言われればその通りだ。
「そして私は恋に狂って全てを捨てた愚かな皇女」
「愚かって……まあ良いか。悪名なんて最初から覚悟している」
「じゃあ、決まりね」
グレンとローズ改めソフィアが話をどんどん先に進めていく中、周りの人達は唖然として、ただそれを見詰めていた。それでもようやくハーバードが口を開く。
「ソフィア様。それは……」
「結婚のこと?」
「それもあります」
「昨日したの。グレンが結婚して欲しいと言ってくれて。私に断る理由なんてないから、即決」
「そうでしたか。それは喜ばしいことですが……国は?」
「今言った通りよ。ここは新しい国になるの。貴方たちも考えて。ハーバード、貴方はエイトフォリウムで宰相だったからといって、ルート王国で同じ地位に就けるわけではないわよ。同じ地位に就きたければ、それに相応しい才覚をグレンに、王に示して見せなさい」
例外はない。これを示すことが肝心だ。それにハーバードは利用され、そうであることを本人も分かっている。
「……畏まりました。グレン殿を迎えた時に何となくこうなるような予感はしておりました。そして自分が宰相に相応しいのか、それをずっと問うておりました。今、覚悟は固まりました。私は一文官として、一から仕えさせて頂きたいと思います」
「私にではなく、それは王に言いなさい」
「陛下、お許し頂けますでしょうか?」
畏まった態度でグレンに願い出てくるハーバード。
「もちろん。でも一文官はないですね。国なんていっても国政にたずさわる人なんていない。だから、それぞれがやれることをやる。それぞれが宰相くらいのつもりでやって下さい」
「はっ」
「他の人達は? 不満な方は遠慮なく言ってください。これは脅しではなく、本心です。俺は国を造ると決めました。そうするからには、一度何もかもなくして、その上で一から始めたい。これは俺の我が儘です。だから出て行きたい人には、それなりの保証をします」
「そのような問い掛けは無用でございます。ご主人様。私には執事の仕事以外に取り柄はございません。そして御仕えしたいと思うのは、ソフィア様と貴方様でございます。変わらず、この場所で御仕えすることをお許しください」
ハーバードに続いてブレンダン・ロータスも引き続き執事として仕えることを申し出てきた。
「もちろん。ではよろしく。ロータスさん」
「ブレンダンとお呼びください。それが主人である貴方様にとってもケジメです」
「分かった。あとの方は?」
「私は騎士などと名乗っても騎士に相応しい技量は何も持ちません。それでも、ここで御仕えしたい。自分に何が出来るか、ここで見つけさせて頂きたいと思っております。このような私でもお仕え出来ますでしょうか?」
騎士、クラーク・フロックスも続く。
「それでかまいません。国も人も一から始めるのです。それで良いと思います」
「はっ!」
そして残りの人たちも自分の思いを告げて、グレンに仕えることを申し出てきた。その全てをグレンは許し、ここに国とはとても呼べない小さな小さな王国が誕生した。
大陸動乱から百年以上が経ち、その時代以来の新しい王国の誕生は、誰にも知られることなく、ひっそりと行われた。
◆◆◆
ルート王国の建国を決めてから、ソフィアは精力的に住民たちの間を動きまわった。
自分の想いを正直に告げ、帝国の再興が二度とないことを告げ、グレンを王として立て、新たな国を造ることを一人一人に丁寧に説明していく。
不満があれば聞き、出来る限りの答えを返す。望みがあれば聞き、それを国王であるグレンに必ず伝えると約束していく。
そんなソフィアの尽力のおかげで大きな混乱もなく、出て行く者もなく、ルート王国の建国は認められていった。
実際には住民たちにとって、帝国などどうでも良いのだ。自分が寄る国が出来るのであれば、何でも良いというのが本音。
不満があるとすれば貴族という地位が二度と戻らないということ。だが、それも結局は自分の才覚次第であり。そもそも貴族になっても何の恩恵もないとのことで、受け入れられていった。
これは亡国を経験したことも影響している。国が亡ぶ中で責任ある地位にあることは、民の非難の的となり、それなりに辛い経験だったのだ。
結局、恐れていた混乱は何もなく、名ばかりとはいえ新しい国が生まれたという喜びが、これもまた、名を改めたルート王国の都ルーテイジに更なる活気を生み出していた。
「さて名ばかりの国とはいえ、少しは国の体裁は整えなければならない」
グレンを上座に据えての会議。ルート王国にとっては初めての重臣会議と言って良い。
「まずは法律」
「時代のものについては少々知識がございますが?」
発言したのはハーバード・ペリウィンクル。一文官からと言っていても何だかんだで、この中では一番博識でもあり、能力も高い。
「……最初からそれは不要だと思います。最初は簡単なもので」
「そうなりますと」
「人を殺してはいけない。人を傷つけてはいけない。人の物を盗んではいけない。国の設備や建物を壊してはいけない。後は何かありますか?」
「はっ?」
ハーバードの知識では、グレンの言ったことは法律といえるものではない。
「簡単なもの」
「いや、ですが、それだけでは」
「この程度で良いです。この国の人には財産らしい財産はない。争いの種は、ほとんどないと言って良い。ああ、人を差別してはいけない。人を脅してはいけないも加えましょう」
「あの……」
追加されたものも、改めて法律として定めるようなものかという内容だ。
「こんな感じで考えて下さい」
「……難しいものにしてしまいそうです」
「子供でも分かるもの。そうやって考えれば良いのでは? 何故それを求めるかの理由を言いましょうか?」
「はい」
「俺は国の法律なんて知らなかった。俺だけじゃない。庶民はほとんど知らない。国は知らせることをしないし、知らせてきても難しくて分からない。そのくせ、その法律で庶民は罪に落とされる。そんな法律はおかしい」
新たな法律が出来ると国中に伝えられる。だが、その方法は町や村に立て看板のようなものを立てて伝えられるくらいだ。そんなことをしても民の多くは字が読めない。村のような小さな集まりであれば、読める人が教えるという方法もあるが、大きな町ではそうはいかない。都会の住民ほど、法律を知らなかったりするのだ。
「……民の為の法ですか」
「この国に貴族はいない。法律は自然とそうなります」
「なるほど」
そもそも貴族を罰する法律は、民のそれに比べて、かなり少ない。それもおかしな話なのだが、これはグレンの知らないことだ。
「細かいところは裁判ってことに。それほど数はないはずです」
「分かりました」
「次に金。税について。徴集は無理なので労働で支払ってもらいます」
ルート王国の民には金を稼ぐ手段がないのだ。農作物も余剰が生まれるほどにはなっていない。
「それはどのような労働なのですか?」
「開墾。採掘、設備工事」
「もうやっております」
グレンがあげた作業はすでに担当を決めて行われている。
「そう。それが税。ちゃんと税を払っている。そう思ってもらって欲しい。その労働の成果がいずれ、それぞれの財産になる。ただ成果の配分をどうするか」
土木工事などの国家事業に労働力として参加することが税金になる。これはどこの国でも当たり前にやられている。だが、グレンはそれによって国に貢献しているという思いを持ってもらうことを重要視している。
「配分とは?」
「考えているのは、共同作業にして、そこから上がった利を配分するというもの。農作業はそれぞれで良いけど、採掘とかの作業はそうしたい。採掘した物を売って得られた利益。それを作業した人に等分する」
「……採掘作業を職業にするのですか?」
楽な仕事ではない。多くは罪人や他国の捕虜の仕事だ。それを普通の職業にグレンはしようとしている。
「そういうことです。本当は農作業もそうしたい。でも、すでに田畑を持っている人がいますからね」
「しかし、言っては何ですが働き者と怠け者で」
「そう。それが問題。それを評価する人が必要になる。それと農作業も採掘作業も同じような報酬にしたい。そうでないと、どちらかに片寄ってしまいます」
「……難しいですね」
労働を対価に換算するのは難しい。一人一人の成果が見えるものであれば良いのだが、共同作業となると、きちんとした仕組みを作らないと出来ることではない。
「報酬は調整出来ます。問題は評価。軍のようにしてみましょうか?」
「軍?」
「小隊長とか中隊長とか。責任者を決めて、その人が働きを評価する」
「不正が」
「それを監視。きりがないか。とりあえずやってみましょう。表向き税を取らない間は少々の不満は押さえられるでしょう。不都合があれば徐々に変えていけば良い。これを考えるのは……誰?」
かなり面倒な仕事だ。グレンには正解を出せる自信はない。
「私がこれを考えます。法律を別の者に」
ハーバードが立候補してきた。このメンバーでは、これしかない。
「じゃあ、そうしよう。法律は……ああ、エドガーさん」
「私!?」
いきなり名指しされたのは住民代表として会議に参加しているエドガー・サクラメンだ。
「そんなに驚かなくても。元は文官か何かですよね? 民の法律は民の代表者である貴方に考えてもらいます。一人で考えなくても他の人に相談してもらってかまいません。それに案なので、それほど難しく考えずに」
「……分かりました。やってみます」
「さて、後は。教育か」
「はっ?」
税金の次が教育。この順番がハーバードには意外だった。
「子供たちの遊びの時間を削るのは可哀想だけど、やっぱり教育は必要です。最低限の字の読み書き、計算は出来るようになってもらいたい」
「しかし、今はそれどころでは」
「教育は国の基だって勇者か聖女が言っていました。それは間違っていない。そして大国ウェヌスでは難しくても、ここでなら無償で出来ます。教える人は文字と算術くらいならいくらでもいますよね? 農作業とか厳しくなったお年寄りが良いかな?」
基礎学問に関しては、ルート王国は人材に困らない。年配の人たちの多くが元貴族、文官なのだから当然だ。
「……確かに出来ます。それは移住した者たちにもですね?」
「はい。毎日半刻でも良いから、そういう時間を作ることにしましょう。この国は内を固める国。出来るだけ人材は引き込みたいですが、そう簡単にはいきません。だから今いる人たちを育てて行かなければいけない。将来的には文官や将官も育てる教育を始める。それの第一歩です」
「分かりました。それの準備は……クラーク、君がやれ」
「私ですか?」
騎士を目指していたクラークだ。ハーバードの指名に驚いている。
「騎士が無理なら文官。とりあえずは勉強だと思ってやってみたらどうかな?」
「……分かりました」
何か出来ることを。こういって、この国に仕えることにしたクラークだ。自信がないからといって断るわけにはいかない。
「水路と道の整備関係は引き続き軍で行う。ただ割り振りを変えて。そろそろ調練に重きをおかなければいけない頃だ」
「はっ。では進捗を確認して上で見直した工程を提出致します」
これはあっさりと終わった。軍関係の打ち合わせは毎日のように行っているのだ。
「それと外交というか、外向きの仕事の担当を決めたい。顔が一切割れていなくて、計算が達者で交渉が得意な人?」
「もう少し仕事内容を」
「商売です。国で言うと交易ですか。その窓口、といっても相手は闇商人です」
「信用出来るのですか?」
「お世話になった人だから。悪党だけど信用は出来ます」
裏町の親父さんは結局、自らの組織で受けることを決めた。相手がグレンとあって、他人に任せることに抵抗があったのだ。
「それはまた……」
「当面はもっぱら買う方です。安く仕入れる交渉が主ですね。あと危険が伴います。決してこの国がそれをしていると知られてはいけない。慎重な人が良いな」
「ふむ……アール」
「はい。私が担当します」
「アールさんはそういうの得意なのですか?」
ハーバードの推薦はグレンには意外だった。
「本来は諜報が専門なのですが」
「そうだったのか。やっぱりそういう人はいたんだ」
「組織のない一人働きではたかが知れております。それに帝国では働く場もなく鈍らで、間者とは名乗れません」
「そう。ちょっと残念。じゃあ交易をお願いします。この先のことは後で教えます」
親父さんのところとの交易は機密事項。連絡の取り方も多くの人が知る必要のないことだ。こういう面でアールは適任かもしれない。技術は拙くても、心得は他の人よりあるはずだ。
「とりあえずこれくらいですか? 何かありますか?」
「はい」
ハーバードが手を挙げてきた。
「どうぞ」
「陛下と王妃様の結婚の儀はいかが致しましょうか?」
「はい?」
「それなりのことをした方がよろしいかと思います」
「ああ、それは良いです」
「何と!? 何故ですか?」
結婚式は不要と言うグレンに、ハーバードは驚きの表情で理由を尋ねてきた。
「俺とソフィアは平民として結婚しました。結婚した後に王になり、王妃になった。だから結婚の儀なんて不要」
「しかし、それでは民が」
「平気だと思います。挨拶は普段からしていますし、そういうのって国を盛り上げるお祭りみたいなものだと思う。今のルート王国はそんなことをしなくても充分に盛り上がっています。無駄遣いになりますよ」
「……そうですか」
国政に携わる者としてはグレンの話は納得出来る。だが一個人としては、ハーバードは落ち込まざるを得ない。
「子供の頃からソフィアを知っている皆さんとは内々でちょっとしたお祝いをやりましょう。形式的なものよりも、そのほうが俺もソフィアも嬉しい」
「……そうですね。我らもそうです」
個人として祝うことはハーバードにとっても望むところだ。
「じゃあ、それは執事さん、じゃない、ブレンダンに頼んでおきます。内々のことなので執事であるブレンダンの仕事です」
「はい。お願いいたします」
「では、今日のところはこれで解散。皆さん、頑張ってください」
「「「はっ!」」」
小さな国は一歩ずつ歩み始めた。