王都にある墓地。多くの木々が立ち並ぶ、その一本の影でグレンはじっと息を潜めて立っている。フローラのお墓参り。恐らくはこれが最後になるはずの、最後にしようと心に決めて、今日ここにやってきていた。
フローラが好きだった花。それを手に入れて、別れの挨拶を告げようとやってきてみれば、少し傷んではいるものの、グレンが買ってきたのと同じ花がフローラの墓石に添えられていた。何日か前に、誰かが墓参りに来ていたのだと、それで分かる。
それが誰であるのか。グレンの心にある可能性が浮かぶ。前回、ここに来た時に墓参りに訪れていた人の姿が。
気持ちを整理する為にこの場所に来たはずが、グレンの心は大きく波打つことになる。その動揺が人の気配を感じたことで、さらに大きくなる。
墓地の入り口に現れた人影。ぴんと伸びた背筋。規則正しい足音。グレンが心に描いていた人の姿ではない。だが、その人にかなり近い人。ミス・コレットだった。
現れたミス・コレットはまっすぐにフローラの墓に向かって、歩いてくる。手にはグレンが持ってきたのと同じ花。フローラの好きな花だ。
木の陰に隠れてその様子を見ているグレン。その花を見て、自分の失敗に気が付いた。墓石の花は、すでに自分が持ってきた新しいものに替えているのだ。
だが墓石の前に来たミス・コレットは、それを気にする様子もなく、自分が持ってきた花を横に置く。
膝を折って中腰になり、黙祷するミス・コレット。
「無茶なことをするものです」
前を向いたままのミス・コレットの口から声がもれた。
「ご自分の立場というものを分かっているのですか?」
続いて発せられた問い。もう間違いない。自分に向けられたものだと分かって、グレンは木の陰から足を踏み出した。
「……気づいていたのですか?」
「いえ。貴方が来ているから、ここに来たのです」
「えっ?」
王都に来ていたことが知られていた。まさかのことにグレンは驚いた。
「近くの家の者にお願いしておきました。このお墓をお参りする人がいたら、連絡が欲しいと」
「……そうでしたか。それは何の為に?」
自分の用心が足りなかった。それをグレンは知った。だがミス・コレットがそれをさせた理由が分からない。
「メアリー様は時折、この場所を訪れております」
「……はい」
先に添えられていた花。それはやはり、思っていた人の心遣いだった。
「貴方に会わせるわけにはまいりません」
「…………」
ミス・コレットが見張らせていたのは自分とメアリー王女を会わせない為。それを知って、グレンは胸が痛んだ。ミス・コレットは正しい。この国を裏切った自分が、この国の王女と会うことなど許されるはずがない。グレンもそう思う。
「随分前にここを訪れた時も、先に同じ花が置かれていました。その時のメアリー様はかなり憔悴していて、その時は疑問に思うことなどなかったようですけど、後になって気が付いたようです」
「それで……?」
「貴方が生きているかもしれない。生きているのであれば、またこのお墓を訪れるに違いない。そう考えたのではないでしょうか?」
「……俺がゼクソンにいることは」
グレンはゼクソン王国にいた。そこでウェヌス王国と戦っていた。それを知らないはずがない。
「もちろん知っております。それでもここを訪れるのを止められませんでした。最初は罪の意識が理由と思っておりました。貴方の妹さんの死に酷く傷ついておりましたから」
「はい……」
グレンもそれを知っている。憔悴しきったメアリー王女をその目で見ている。
「でも違うと分かりました。この場所を訪れる前のメアリー様の緊張した様子に、私は途中から気が付きました」
まず会えることなどない。そうであっても、可能性が限りなくゼロであっても、無ではない。そのわずかな可能性にメアリー王女は期待していた。
「……本当は会わせてさしあげたい。メアリー様の願いを叶えてあげたい。でも……それをしてはならないのです」
目に涙をためて、これを言うミス・コレット。公私の間で、ミス・コレットの心も揺れ続けていたのだ。
「あの方は……この国の王女なのです。この国の人々を、たくさんの人々を殺した貴方とは、相容れない存在なのです」
「……はい。分かっています」
「どうして……どうして、こんなことを!? どうしてメアリー様を苦しめるようなことをしたのですか!?」
堪えきれない思いに、ミス・コレットはとうとう大声で叫び始めた。どうしてメアリー王女を裏切るような真似をしたのか。ミス・コレットから見れば、グレンの行動はそういうことなのだ。
「……申し訳ありません」
ミス・コレットにグレンは謝罪しか返すことが出来ない。フローラの為。これは何の言い訳にもならない。
「ここは貴方の妹さんのお墓ですが、それでも言わせて下さい。もう二度と、ここには現れないで下さい」
「……はい。そのつもりです」
「……では、さようなら」
「……さようなら」
一つ大きく深呼吸をして気持ちを落ち着けると、ミス・コレットは出口に向かって歩いて行った。ピンと伸びた背中。隙のない歩み。つき先ほど、激高したのが嘘のよう。いつものミス・コレットだ。
もうこの場所には来られない。再会を期待してもいけない。思っていた形とは違うが、これもまた一つのケジメ。
そういうことなのだと、グレンは受け入れた。
◆◆◆
エドワード大公は、大公という身分に相応しくない質素な暮らしをしている。
領地からあがる税収は少ないが、大公家の多くはウェヌス王国からの援助を受けて、それなりに贅沢な暮らしをしているものだが、エドワード大公はそうではない。
極限られた数の侍女と従者しかいない大公屋敷。それであれば、領地からの税収だけで充分。ゆっくりと流れる時間の中で、穏やかな暮らしを楽しむことは出来る。
この日も中庭に出て、いつもの様にお茶を楽しんでいる。自然そのままの、季節によって装いを変える中庭は、毎日眺めていても飽きることはない。
ただ今日は庭の眺めを楽しむだけにここに座っているわけではない。エドワード大公は来客を迎えていた。トルーマンだ。
「初めまして。私はローラです。この屋敷で侍女をしています」
「……初めまして?」
現れたフローラに驚いていたトルーマン。さらに挨拶の言葉に戸惑うことになった。
「えっと……お会いしてましたか?」
トルーマンの反応にフローラも戸惑う。
「いや、初めてだよ。トルーマンは君の美しさに驚いているだけさ」
すかさずエドワード大公が場を取り繕おうとする。
「いやだ。そんなことはないわ」
「そうだよ。それより、お茶のお代わりをもらえるかな? 少し後でいいから」
「ええ。じゃあ、入れてくるわ」
少し席を外してくれという意味。エドワード大公の言葉を正しく理解して、フローラは屋敷の中に入っていく。わずかに引きずる足は、自殺を試みた時の怪我の後遺症だ。
「……どういうことですかな?」
事情を尋ねてくるトルーマン。フローラが生きていたことなど、今始めて知ったのだ。
「彼女は記憶を失っている」
「……なるほど。それは分かりました」
フローラの挨拶の理由がトルーマンにも分かった。自分に会った記憶がないのであれば、当然の挨拶だ。だが彼がエドワード大公に尋ねたいのはそのことではない。
「何故、生きていることを隠していたのですか?」
「生きていると分かれば、また彼女は囚われの身になる。あの時の私には彼女を守る力はなかったからね。だから亡くなったことにした」
地面に倒れていたフローラが生きていると分かった時、エドワード大公が行ったのは偽装だった。背格好の似た女性の遺体を探し、それを焼き、焼身自殺に見せかけた。
よく調べれば、それが別人であることなどすぐに分かっただろうが、混乱の中で誰もそれを為すことなく、速やかにエドワード大公の手配で遺体は埋葬された。
そのままフローラを奥に隠し、大公領への出発の時に同行させて、ここでの暮らしが始まったのだ。
「……そのせいで多くの兵士が亡くなりました」
フローラが生きていたのであれば、グレンがウェヌス王国の敵に回ることはなかった。ゼクソン王国との戦いで、これほどの犠牲を出すことはなかったはずだ。
「それは申し訳ないと思っている。でも、彼がゼクソン王国の将になって戦うなんて想像出来なかった」
「それはそうですが……それでも……」
途中からでもグレンに伝えることが出来ていたなら。ウェヌス王国の被害はもっと少なくて済んだ。フローラが暮らす国に、グレンが剣を向けるはずがないのだ。
「……本当に申し訳ない。私は彼女に言えなかった。君の兄はこの国の多くの人を死に追いやった反逆者だなんて」
「……そうですか」
「それに彼女の存在が知られれば、必ず国は利用しようとする。そうではないか?」
「……はい。そうなるでしょうな」
フローラはグレンに対して、これ以上ない人質だ。フローラの為であれば裏切り者の汚名を背負ったまま、ウェヌス王国に戻ることさえするだろう。
そしてそれだけではないことを、トルーマンは知っている。
「私も悩んだ。だが足に怪我を負い、記憶を失ってしまった彼女に、これ以上、辛い思いをさせたくなかった」
「この先はどうするのですかな?」
「この先?」
「我が国はゼクソン王国と講和を結びます。条件はどのようなものになるか、今はまだ分かりませんが、戦争が終わることは間違いない」
「……ああ、そうだね」
トルーマンが何を聞いているのか。この時点でエドワード大公は分かってしまった。
「そうであってもグレンは、我が国と戦おうとするでしょう」
「何だって?」
「グレンにとって復讐はまだ終わっておりません。ゼクソン王国が戦うのを止めるのであれば、また別の場所で我が国と戦おうとするでしょう」
「…………」
それを止めさせる方法が一つある。フローラは生きているとグレンに知らせることだ。だが、これをエドワード大公は口にしようとしない。
「……恐らくはランカスターを滅ぼすまで」
「えっ?」
「奴とは交渉の席で顔を合わせました。その場で復讐を続けていくことと、ランカスターの話を聞きました。こちら側が質問され、ランカスターの名を出したが正しいですな」
「……彼はランカスターの何を?」
「今、王家に成り代われる力がある貴族家はどこかと聞かれました」
「なるほど」
そう問われれば、エドワード大公もランカスター侯爵家だと答える。問題は何故、グレンがそんな質問をしたかだ。
「ランカスターについては色々と調べてみました。疑わしいところは山ほど。しかし、それは改めて調べるまでもないことでしたな」
「そうだね」
ランカスター侯爵家が怪しい動きをしていることなど、周知の事実。簒奪を企んでいると思える相手なのだ。
「そこで銀鷹傭兵団についても調べてみました」
「何故、傭兵団を?」
「グレンの父親はジン・タカノ。元勇者であり銀鷹傭兵団の団長でもありました」
「……そんな話は聞いていない」
驚きに目を見張っているエドワード大公。トルーマンがその事実を隠したことを責めるような口調だ。
「奴と秘密を守る約束をしました。銀鷹傭兵団の団長の息子だなんて知られたら、危険ですからな」
「……それは彼女もだね」
「はい。養女とはいえ、関係者ですからな」
「そんな秘密があったとは……」
「いえ、本当の秘密はまだこれからです」
トルーマンはまだ本題を話していない。グレンの両親のことなど調べるまでもなく、知っていたことなのだ。
「……あと何があるのかな?」
「父親の素性は分かっておりました。では母親は何者なのか。ウェヌス王国を追われたジンとどこで知り合い、結婚し、傭兵団を結成することになったのか。これを調べました」
「どうして?」
「ランカスターとの関係が出てこないかと思ってです。グレンが口にするからには何かがあるのです。それも奴にとって大事な何かが」
「復讐。妹の復讐相手は勇者。そうなると……彼は孤児だったね?」
グレンの大事は復讐。フローラとは別の復讐があるのだとエドワード大公は考えた。
「はい。両親は何者かに殺されております」
トルーマンと同じ考えだ。
「その犯人がランカスター侯爵家」
「それについての確証はありません。いくら調べても関係性は見つかりませんでした」
「では何が?」
両親とランカスター侯爵家の繋がりが分からなかったのであれば何が分かったのか。それが本当の秘密のはずだ。
「母親は優れた魔導の使い手で、仲間内から『深窓の魔女』という異名で呼ばれていたことが分かりました」
「魔導の使い手だって?」
「その力があるから副団長という地位にあったのでしょう。問題はこの『深窓の魔女』という異名です。同じ異名が意外な資料から見つかりました。エイトフォリウム帝国の資料です」
「……どういうことだ? もったいぶらずに一気に説明して貰えないか?」
ここでエイトフォリウム帝国が出てくる、エドワード大公には話の繋がりが全く分からない。
「母親はエイトフォリウム帝国の出身です。その存在はある筋の関係者には有名で、帝国が優れた魔導を秘匿していると疑った原因となりました。それを奪う為に我が国は兵を送ったくらいです。といっても戦争とはいえないような小規模部隊です」
「……結果は?」
「魔導を秘匿していたのではなく天才がいたのだと、あとになって分かりました。そしてその天才の確保に動いたのですが、その時にはすでに姿を消しておりました。恐らくは、ジンと共に逃げたのでしょう」
「魔導の天才が母親……」
「エイトフォリウム帝国出身者を探し出して、当時のことを聞き出しました。詳しいことを知っている者は見つかりませんでしたが、まず間違いないと思われます」
その詳しい者の一人にはザットも該当するのだが、トルーマンは彼に聞こうとは考えなかった。ザットの出身をトルーマンは知らない。知っていて、それを聞いてもザットは話さないだろうが。
「さてここで疑問が一つ」
「だからもったいぶらないでくれ」
中々、本題を話そうとしないトルーマンにエドワード大公は焦れている。
「いえ。これはもったいぶらせて頂きます。エドワード様にとっても大事なことかもしれないのです」
「私にとって?」
「はい。妹は養女です。逃亡の身である両親はどこで養女なんて引き取ったのでしょう?」
「……エイトフォリウム帝国から逃げる時だというのか?」
「いつどこでを考えると時期がずれているようです。しかし、彼女の出身がそうである可能性はあると思います」
「だからといって、それが何だ?」
フローラはエイトフォリウム帝国出身。驚かなくはないが、それほど重大なことではない。グレンの両親の素性のほうがずっと驚きだ。
「ここからはもっと徹底した調査をしなければ真実に辿り着けません、いえ、もしかしたらグレンに聞けばすぐに分かるかもしれませんが」
「……だから、その真実を話してくれるか?」
「フローラとは古の女神の名だそうです。そのような名を名乗るのは恐れ多いことのようで、エイトフォリウム帝国出身の女性で女神の名を許されるのは皇家の血筋だけのようですな」
「……なんだって?」
「もし彼女がエイトフォリウム帝国出身であるなら、そういうことです」
「フローラが……」
エイトフォリウム帝国の皇家の血筋。これには「それが何だ?」とはエドワード大公も言えなかった。
「この事実がそれを悪用しようとする存在に知られた時、エドワード様は守れますか? その力がございますか?」
守れない。その前提でトルーマンはこれを聞いている。だから早くグレンに生きていることを知らせ、引き取らせるべきだと考えている。
「……この件を知っているのは?」
「極限られた信頼出来る者だけに調べさせました。だからこそ、ここまでしか調べられなかったとも言えます」
ウェヌス王国の力を本格的に使えば、確実に真実に辿り着ける。だがそれは出来ない。
「決して情報をもらさないようにと。それと……グレンの居場所は?」
「分かりません」
分かっているのであれば、トルーマンはそこに行っている。グレンに聞くのが、真実に辿り着く一番早い方法のはずなのだ。
「そうか……この件については、少し考える時間をもらえないか?」
「それは、かまいませんが」
「色々と考えてみる。陛下のことも」
「……そうですか。それは良いことだと思います」
ウェヌス王国はその国力を大きく損ねている。さらにランカスター侯爵家という不穏な勢力を内に抱えてもいる。
この状況を愚者といわれた国王で乗り切れるのかトルーマンは不安だ。エドワード大公が国王と和解し、ウェヌス王国の為に共に働く状況になれば、それほど良いことはないと思う。この件が、そのきっかけになれば、わざわざ訪れた甲斐があったというものだ。