月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

勇者の影で生まれた英雄 #78 止まらない歩み

異世界ファンタジー小説 勇者の影で生まれた英雄

 グレンの行動は止まらない。それはローズでさえ呆れるほどの動きだった。
 ストーケンドから離れた山中。周りを銀狼兵団に囲まれて、跪いて震えている大勢の盗賊たちに向かって、グレンは厳しい視線を向けていた。

「さて、お前らの選択肢は二つだ。俺に従うか、死ぬか。どちらかを選べ」

「……従う」

 グレンの問いに、一番前で跪いている男が悔しそうに答えてきた。

「お前に聞いてない。俺は全員に聞いているのだ」

「しかし、頭(かしら)は俺で」

「それも今この瞬間にそうでなくなった。それともお前、俺に従う気がないのか?」

「……いや、従う」

 従わないと言えば、どうなるかは明らかだ。盗賊団の頭に選択肢はない。

「では頭(かしら)は誰だ?」

「貴方です」

「そうだ。さて、従う奴は右。死にたい奴は左に寄れ」

 こう言われて左に寄る人などいない。全員が慌てて右側に集まっていった。

「全員が従うと。ふむ、ではもう一つの選択肢をやろう。俺に従わずに真っ当な暮らしに戻りたい奴は左に寄れ」

 これにも左に寄る者はいない。従わないとは逆らうこと。殺されることになると考えているのだ。

「いないのか? 殺される心配は無用だ。俺は嫌々盗賊なんてやっている奴に用はない。そんな軟弱な奴は不要なのだ。従うといっても、俺が役に立たないと思った奴は始末するからな。これが助かる最後の機会かもしれないぞ?」

 あまりに理不尽なグレンの言葉に盗賊たちの中に動揺が広がる。普通に聞けば、グレンが気に入らなければ殺される。そう思える内容だ。

「早くしろよ。俺は気が短いからな。ぐずぐずしていると面倒なので全員殺っちまうぞ」

 さらにグレンの脅しが続く。もう盗賊たちは何が何だか分からなくなってきていた。どちらにいることが助かる道なのか理解出来ないのだ。やがて覚悟を決めたのか、何人かが左に場所を移した。そうなると、それに釣られる人も出てくる。

「もう良いか? こちら側は盗賊稼業を続ける。こっちは足を洗うのだな。では、足を洗う奴。盗賊を止めて何をするのか言ってみろ」

「「「なっ?」」」

 言われた通りに、左に寄ったからといって、それで解放されるわけではなかった。

「足を洗っても食って行かなきゃならないだろ? どうやって食っていく気か言ってみろ。じゃあ、まずはお前!」

「…………」

 グレンに指名された男は何も言えずに、黙り込んでしまった。

「無いのか? じゃあ、足を洗うは嘘か? お前、俺に嘘をついたのだな」

「い、いえ。田舎に戻って畑仕事に戻ります!」

 グレンを怒らせてはマズイと思って、男は慌てて答えを叫んだ。

「……そんな経験あるのか?」

「あります! ちゃんと働いていたんだ。でも食っていけなくなって、それで盗賊に」

「じゃあ、やっぱり食っていけないだろ?」

「それは……」

「お前保留。じゃあ、後ろのお前」

 一人目の確認を終えて、グレンは次の男を指名した。

「……家を継ぎます」

「家? 継ぐような立派な家なのか?」

「小さな商家を」

「あっ、じゃあ身代金貰おうか」

「あっ、いや、小さな商家で、そんな身代金なんて払える家じゃあ」

 身代金を取ると言われて、男は焦っている。身代金の要求に困っているのか、要求されると嘘がばれるからなのか。

「駄目。貰う。次」

 どちらかは、要求してみれば分かることだ。グレンの質問は次の盗賊に移る。

「家を継ぎます」

「お前も身代金?」

「違います! 小さな工場で……ちょっとした雑貨を作っているだけの……」

 これも本当かは分からない。分からなければ試してみれば良いだけだ。

「お前、何か作れるのか?」

「……ちょっとした物であれば」

「じゃあ、作れ」

「えっ?」

「今作れ、すぐ作れ。それで本当かどうか判断する」

「……道具が」

 男は道具を要求してきた。

「何がいる?」

「ノミは絶対にないと。それとカンナやトンカチも欲しい」

「……なるほど。じゃあ、後で作ってもらおう。次」

 その道具で何が作れるかはグレンには分からない。ただ、それらしくあるので、一旦は受け入れることにした。
 そして、次の盗賊の答えは。

「……何もありません」

「はあ?」

「家族もいないし、手に職もなくて」

「どうやって食っていく気だ?」

「それは……何か考えて」

「……当然、保留」

 こんな感じで、グレンは一人ずつの話を聞いて行く。当然、殺す気などあるはずがない。手に職を持っている人がいないか確かめる為だ。
 それを一通り終えたところで、グレンは質問をする先を変えた。

「こいつらは足を洗いたいと言っている。この中でこいつらの中の誰かに乱暴された女。いるなら手を挙げろ」

 グレンは攫われた女性たちに向かって尋ねている。
 今のところ、女性たちにとってグレンは新たに現れた盗賊に過ぎない。怯えてばかりで中々反応を見せなかったが、それでも何度か聞くうちに一人が手を挙げた。

「誰だ。指差してみろ」

 その女性がまっすぐに一人の男を指差した。商家を継ぐと言っていた男だ。

「事実か?」

 女性の告発があったところで、グレンは指差された男に向かって事実かを尋ねる。

「それは……」

「なんだ、お前? そんなことも出来ない根性なしなのか?」

「いえ、しました。きっちりとやってやりました」

「そうか。じゃあ、お前、すっかり盗賊じゃないか。今更、足を洗うなんて言うな。お前が足を洗うのは認めない」

「……はい」

 グレンに言われて、男は渋々、右に移動した。

「他には?」

 また何人かが手を挙げた。相手は誰かを尋ねてみれば、右側に固まっている盗賊たちだった。

「じゃあ、このままで。あっ、そうだ。この中で馬を扱える奴いるか? 馬丁とか、牧場の経験がある奴」

 さすがに反応する者はいなかった。これでグレンの試験は終了となる。

「よし、じゃあ、さっき保留にした奴らと女は頂いていく。残った奴らは……死ね」

「「「なっ!!」」」

「盗賊を、それも根っからの盗賊を俺が許すはずないだろ? まあ、少しは真っ当な奴も混じっているかもしれないが、運がなかったと諦めろ」

「ふざけるな!」

「……あのな。いきなり殺さなかっただけだろ? お前らは負けたんだ。諦めろ」

「止めろ! 止めてくれ! 助けてくれ!」

 盗賊たちは次々と銀狼兵団の兵士に殺されていく。残酷なやり方だが盗賊は盗賊。ウェヌス王国軍時代でも任務となれば、同じことをするのだ。兵士たちには盗賊を殺すことに抵抗はない。
 盗賊の始末は兵士たちに任せて、グレンはまずは女性たちに向かい合った。

「自分の家に帰りたい人?」

 誰も手を挙げる人はいない。盗賊に攫われた後に助け出されても、どのような境遇が待っているかを一般の女性たちは大抵が知っている。

「では死にたい人……と以前は聞いていたが、今は悪いが殺してはやれない。生きてもらう」

「……生きる場所なんて」

 一人の女性が小さく呟いた。最初に乱暴されたと告白した女性だ。

「その場所を用意する。そこで住んでみないか? 仕事は今のところ、畑仕事くらいしかない。住む家は用意しよう。収穫があがるまでの最低限の食料も提供する」

「そんなうまい話が」

「もちろん、条件がある。出来るだけ街造りを手伝って欲しい。それと兵たちの面倒も。あっ、変な意味じゃなくて普通に給仕とか、兵舎の掃除とかだから。もし無理やりそういうことを強要する奴がいたら俺に言ってくれ。その相手を必ず処罰する」

 今のストーケンドには人手が幾らあっても足りない。手に職があるなしに関わらず、とにかく労働力を確保する必要があるのだ。

「……ほんとに?」

「ああ。でも、そちらの気持ちでそういう関係になるのはかまわない。恋愛は自由だ」

「私達なんて」

「そういう風に自分を卑下することは止めて欲しい。綺麗事だとは分かっているが、それでも堂々と生きて欲しい。かつて、俺は貴女たちと同じ境遇の女性たちの命を絶ったことがある。その時はそれが正しいのだと思っていたが、やはり間違いだ。人は生きられるなら生きるべきだ。先にある幸せを信じて」

「…………」

「とりあえずは街まで付いて来てください。そこで生活してみて、それから考えても良いはずです」

 声には出さないが、女性たちの間に拒否する空気はない。それを見てとって、次にグレンは足を洗うと言った盗賊たちのいる方に向いた。

「何をさせたいか何となく分かっただろ? 食い物と寝床は用意するから、死ぬ心配はない。下手なことを考えなければな。但し生活は不自由なものになる。俺はまだお前達を信用していないからだ。同意も取らないから。これは強制だ。お前たちが盗賊であったことは事実。どう扱われようと文句は言えないはずだ」

 男達には反応を探ることもしない。言いたいことを言って終わりだ。盗賊たちの始末を終え、アジトから奪うものは奪い、グレンは兵団と共にストーケンドへと帰還していく。
 こんな風に荒っぽく、それでいて地道に人材の収集に努めるグレンだった。

◆◆◆

 盗賊のアジトを襲撃した程度ではローズが呆れることはない。それとは別にローズを驚かせ、かなり激怒させる行動をグレンは起こしていた。
 盗賊討伐を終えて、ちょっと寄り道と言って兵団と別れたグレン。
 ――それから一か月後。グレンは突然の来訪者に驚いて固まってしまっている男の前で、ご機嫌な様子で座っていた。

「親父さん、そろそろ正気に戻ってもらえませんか?」

 ここはウェヌス王国の王都。裏町の親父さんの組織のアジトである建物の一室だ。

「お前……自分の立場が分かっているのか?」

「立場?」

「ウェヌス軍の天敵、最悪の裏切り者、銀狼兵団のグレン。この噂は王都にも届いているぞ」

 戦場でのグレンの活躍は、ウェヌス王国の王都でも噂になっていた。ウェヌス王国側では、その活躍は当然、全て悪評となる。

「そのことですか。でも、そろそろ講和がまとまる頃ではないですか?」

「そうらしいが、それでもお前が手に届く場所にいれば放って置かないだろうが」

 ウェヌス王国が、目的は何であろうと、たった一人で王都に現れたグレンを放っておくわけがない。これくらいは親父さんでも分かる。

「多分平気です。外壁の門を潜ってしまえば、後は裏町まで人目に付かずに来るなんて簡単です。それに髪を染めるだけで印象違うみたいなので」

 今回もグレンは銀髪を茶色に染めている。それでも親父さんのように小さい頃から知っている相手には、ひと目で見破られてしまうのだが。

「そうだとしても……しかし、やらかしたな」

「失敗です。俺の目的はあくまでも勇者の抹殺ですから」

「それを企むとは思っていたが、まさか、ゼクソン側で戦うとは思わなかった」

 親父さんは、グレンが勇者を恨んでいることを知っていた。復讐を考えるだろうことも。それでも、それを戦争の中で行うとは、裏社会の人間である親父さんには想像出来なかった。親父さんの頭では、復讐となれば暗殺が真っ先に思い浮かぶのだ。

「自然とそうなって。それに一番の近道でしたから。まあ、それは済んだことです。今日はお願いがあってきました」

「…………」

「何ですか?」

「どうせ、ロクなことではないな?」

 ウェヌス王国にとっての危険人物が裏社会の自分に頼み事となれば、親父さんには不穏なものしか感じられない。

「そうでもありません。お願いというのは、東方に一つ拠点を持ってもらえないかということです」

「拠点?」

「それが無理であれば、口が堅く、金儲けの為なら何でもする商人を紹介してください。信頼できる人が良いですね」

 グレンが求めたのは商売相手。ストーケンドを相手に、それを秘したまま商売してくれる相手だ。この条件に合致する相手として考えたのが親父さん。もしくは親父さんが伝手を持つ闇商人だった。

「そういう商人が信頼できるか」

「金儲けが出来れば、それを優先するということです。ああ、でも騙すような人は駄目か。こちらは商売なんて素人ですから」

「……何をするつもりだ?」

 事が商売の話となると、親父さんも乗り気になる。少々危険でも金儲けのネタを自ら手放す気にはなれない。

「純粋に商売です。こちらは日用品から武器まで何でも仕入れたい。それとこちらの物を買って貰いたい」

「ふむ。何を売るのだ?」

「それが今一で。農作物、毛皮、肉、わずかばかりの鉄鉱石。その程度ですね。何か売れる物がないかの助言も欲しいくらいです」

「大した商売ではないな。だが武器もか」

「国軍の横流し品で良いです。まだまだ流れていますよね?」

 戦争で軍事物資は大量に流通している。そのような状況の中では、不正も活発になるものだ。

「そのようだな。なるほどな。売る物の方が多い。取引相手としては美味しい相手だ」

「美味しいと言われるこちらは堪りませんが、実際そうです」

「……少し時間をくれ。その話はうちで受けたい。こっちも商売に本腰を入れたいところなのだ。裏町の稼ぎだけでは厳しくなってきたからな」

 軍は大きく人を減らしている。戦争の犠牲者だけでなく、勇者軍も王都を離れているのだ。それは裏町の歓楽街の景気にも影響を与えていた。

「それは構いません。こちらも物を売れるようになるのは、ずっと先のことです」

「拠点と言ったが場所は?」

「場所的には……エスブロック要塞って知っていますか?」

「ああ、なんとなく。確か、東の軍事拠点だったな」

「その近くに、といっても数日離れた場所になるでしょうけど、用意します」

「もしかして、ゼクソンにいないのか?」

 拠点がウェヌス王国内であることで、親父さんはようやく気付いた。そもそもゼクソン王国の軍人のままであれば、グレンがこんな商売相手を求めるはずはないのだ。

「もうゼクソンは離れました」

「そうだったのか。今は何処にいるのだ?」

「それはまだ言えません。全然、準備が整わなくて。危険を冒して王都に来たのだって、少し焦りがあるからです」

「そうか……この先はどうする?」

 商売を始めるとなれば、何度も話し合いを行う必要がある。グレンがその度に王都に来るとは親父さんには思えなかった。その通りだ。

「誰か代わりを寄越します。ローズの使い、これを合言葉代わりにしましょう」

「おっ、一緒にいるのか?」

「はい」

 親父さんはローズを知っている。ローズがグレンの恋人であることも。

「もしかして、そろそろか?」

「そろそろって何が?」

「結婚だ、結婚。もう何年付き合っている? ローズだって若くないだろ?」

「……やっぱそうですかね?」

 グレンとローズがいつから付き合っていたのかは、本人たちもはっきりしていないが、出会ってから、もう五年以上になる。

「あまり待たせるな。お嬢の喪も明けたのだ。考えても良い頃だと思うぞ」

「そうですね……ただ、きっかけがなくて」

「きっかけというのは作るものだ」

「そうなのですけど……なんというか」

 ローズとの関係を一歩進めるには、色々と気持ちを整理しなければならない。過ごした時間の長さ、今一緒にいるからだけでは、かえってローズに申し訳ないと思ってしまう。

「何を悩んでいるか分からんが、ちゃんと考えてはいるのだな?」

「はい」

「……見られないのだろうな」

「花嫁姿ですか? それが決まったとしても、難しいですね」

「彼女の花嫁姿も気になるが、俺が言っているのは、嫁を貰うお前の姿だ。残念だが心の中で祝っておく。幸せになれよ」

 親父さんにとっては、フローラと同じで、グレンも息子のようなものだ。十三歳で王都に出てきたグレンが成長する姿を、親父さんはずっと見てきたのだ。

「幸せになれるかは分かりません。どうも、色々と厄介事を背負う人生みたいで」

「それと結婚生活は別だ」

「別?」

「夫婦は喜びも悲しみも共に。だがな、暮らしが苦しいといって、それで夫婦の間が不幸であるわけではない。どんなに辛いことがあっても、それとは関係なく、夫婦とは幸せでいられるものだ」

 親父さんからグレンへ贈られた言葉。

「……それは勉強になりました。そういう考え方も出来るのか」

 それはグレンの心に響くものがあった。苦労を掛けるのが分かっていて、共にいることが正しいのか。それを悩んでいるところがグレンにはある。親父さんの言葉はそんなグレンには新鮮だった。

「頭ではない。心で思うことだ。そう思える相手と結婚しろということだな」

「……はい」

 そして、この言葉も。苦労を苦労と思わないでいられる相手。グレンもそう思える相手。これをグレンは自分の心に問うことになる。

 

◆◆◆

 親父さんの有難い話を聞いた後、更にグレンは別の場所を訪れた。これはグレンにとっては駄目で元々くらいの気持ち。親父さんとの話で王都での用事は終わったようなものだった。

「……大胆だな」

 グレンの目の前に座るのは武具職人のザットだ。ザットもやはり、突然現れたグレンに驚いている。

「それほどでも。剣と鎧兜、大変役に立ちました。おかげで戦いの中で生き残れたと言っても良いくらいです」

「お世辞は要らん。鎧はさすがになしか。では剣を出せ」

「はい?」

「ろくに手入れもしていないのだろ? 見てやるから、さっさと出せ」

「あっ、お願いします」

 腰に差していた剣を抜いて、グレンはザットに差し出した。それを手に取って、じっくりと眺め始めるザット。やがて、その口から小さなうめき声が漏れる。

「何人斬った?」

「数え切れない程です」

「三桁はいったのだろうな?」

「それは軽くいっていると思います」

 ウェヌス王国軍として、ゼクソン王国軍としての両方の戦いを合わせれば、軽く百単位の敵をグレンは斬っている。

「ふむ……呆れる程の良い腕だな」

「そうですか? そう言われると嬉しいですね」

「鎧を打った後がほとんど見えん。全てを斬ったということだ」

「剣が斬れるからです」

 実際にザットの剣の斬れ味は凄まじい。ザットが作った剣と鎧のおかげで生き残れたというグレンの言葉は、お世辞ではない。

「下手が振れば。斬れる剣も打つ剣になる。まあ、それでも三桁の敵を斬ったのだ。少し痛んでいるな。研ぎを入れてくる。ちょっと待っていろ」

「あの、あまり長居は」

「研ぐだけだ。一晩もかかる話ではない」

「……はい」

 実際にグレンが恐れたほど、長い時間を待つ必要はなかった。それでも一刻をグレンは為すこともなく工房で待ち続けていた。それでも短いと思うのは、剣や鎧を作るときは、その何倍もの時間を待たされた経験があるからだ。

「……輝きが違う」

 研ぎが終わった剣を見てグレンは驚いた。知らず知らずの間に痛んでいたのだと、はっきりと分かった。

「血糊などがつきにくい特殊な金属なのだが、それでもさすがにな」

「貴重な金属だったのですね? 自分は何も知らなくて」

「貴重かどうかは使う者が判断することだ。同じ剣を使っても斬れない者は斬れない。そんな剣を貴重とは言わない」

「はい……」

  無口で無愛想なザットはこういう話になると途端に雄弁になる。何度会ってもグレンは慣れない。

「剣の手入れに来たわけではないのだな?」

「はい。少々無理なお願いを。断られるのが分かっていて来たのですけど」

「良いから言ってみろ」

「どなたか一人、連れて行かせてもらえないでしょうか?」

「何?」

「武具職人がいなくて。そういう人がいないと、いずれ武器が使い物にならなくなるのではないかと。それに新しい武具の制作も」

 職人の不足が、ストーケンドにとって今一番の重要な問題だ。逆に職人がいてくれれば、ストーケンドの復興が一気に進む手応えをグレンは感じてる。

「……ゼクソンに来いと?」

「いえ、もうゼクソンにはいません」

「ん? お主一人の為ではないのだろ?」
 
 グレンが自分一人の為に武具職人を抱えようなんて考えるはずがないとザットは思っている。それでゼクソン王国にいないのであれば、誰とどこにいるのかという疑問が湧く。

「はい。兵士は六百ほど、もう少し増えるかもしれません」

「部隊を抱えたままゼクソンを離れたのか?」

「まあ、そうなります」

「それだけの兵をどうやって?」

「養うかですか? その為に色々とやっていて、王都に来たのもその為です」

「しかし、一体全体どこに?」

 六百もの兵士がまとまっていられる場所など限られている。それがウェヌス王国に敵対したグレンの部隊となると、ザットには全く思い当たる場所がない。

「それは……ちょっと今は言えません」

「それを知らなければ人は送れん。儂が弟子を出す気になってもすぐには出来ん。取り掛かっている仕事もあるし、ここから出すからには教えておきたいこともあるからな」

「……それ時間がかかりそうですね?」

 職人としてのザットに妥協は一切ない。そのザットが教えておくことがあるとなると、それを身に付けるのに、どれだけの時間が必要なのかとグレンは考えてしまう。

「悪いが、その点で妥協する気はない」

「……分かりました。でも誰にも……なんて心配は無用ですね?」

「ああ」

「ストーケンド、ストークと言ったほうが良いのかな? そこにいます」

「……お前。どうしてそこに?」

 グレンの説明を聞いたザットは、大きく目を見開いて、驚きを示している。

「伝手があって。今はそこで色々と働いています」

「しかし、あそこは」

「エイトフォリウム帝国の都であった場所。知っているのですね?」

 ザットの反応はこういうことだ。

「ああ。伝手とは?」

「それは……言って良いのかな? まあ、ここまで話せば同じか。ローズと会ったことはありましたね」

「……ああ、一度、工房にきた女か。あれがどうした?」

「ローズの本名はソフィア・ローズ・セントフォーリアで」

「皇家の血筋ではないか!?」

 ザットが知っているのは、グレンが思っていた以上のことだった。

「……詳しいですね?」

 武具職人であるザットが何故、エイトフォリウム帝国について、ここまで知っているのか。グレンはかなり不思議に思っている。

「……知り合いが」

「エイトフォリウムにですか?」

「そうなる」

「もしかして……」

「……何だ?」

「俺の父にストークに行くように薦めたのは貴方ですか? 仲良かったのですよね? トルーマン閣下に聞きました」

「…………」

 ザットの目が更に大きく見開かれた。信じられないものを見る様な目で、グレンを見詰めている。

「あの?」

「……今、何と?」

「俺の父にストークに行くように」

「父とは!?」

「あれ? トルーマン閣下に聞いていませんか?」

「あれとはもう何年も会っておらん」

「ああ、父のことで喧嘩をしたのでしたね」

 グレンは、トルーマン前元帥と父親の話をした時に、ザットとの仲違いの件も聞いていた。

「やはり……お前の父親はジンなのだな?」

「はい。ジン・タカノが俺の父親です」

「……何と言うことだ。こんな巡りあわせがあるのか。そうだ! ではジンもいるのか!?」

「いえ、父は亡くなりました」

「亡くなった……?」

「正確には殺されたですね」

「何と!? それはウェヌスにか!?」

 真っ先にこの言葉が出てくるザットは、やはり父親と親しかったのだとグレンは思った。一武具職人の耳に、勇者と国との諍いの話など自然に入ってくるはずがない。

「ウェヌスか、ウェヌスと繋がりのある者か。それを調べるのも俺がやりたいことです」

「調べてどうする?」

「場合によっては復讐を」

「それはウェヌス相手に」

「もうウェヌスと戦う覚悟は出来ています。実際に戦いました」

「そうだな……しかし、ゼクソンを離れたのであろう?」

 ゼクソン王国の支援はない。それでどうやって戦うのかザットには想像出来なかった。

「それでも戦います」

「……そうか」

「それにウェヌスと戦うと言っても、ウェヌス全てと戦うわけではないと思います」

「ん?」

「これは調べがついていませんので詳しいことは。調べたいのですが、ストーケンドを何とかするので今は手一杯で」

「ふむ……もしかして」

「はい」

「帝国を復活させるのか?」

 ストーケンドの復興を目指しているとなると、事情を知っている者の頭には自然とこれが浮かんでくる。

「まさか。復活はあり得ません。帝国を名乗ることに何の意味もありません」

「そうだな」

「どこまで背負うべきか、それを今考えています。もう随分考えていますが、未だに結論が出ません」

「……そうか」

 簡単に結論が出るものではない。ザットもそれは良く分かってる。

「話せるのは、こんなところですね」

「分かった。人は出す。道案内も不要だ。場所は分かっている」

「本当ですか!?」

「ああ、約束する。ただ、少し時間を貰う。色々とやらねばならないことがある」

「ああ……でも誰か来て頂けるだけで助かります」

 職人が一人増えれば、それだけストーケンドの復興は加速する。とにかく約束してもらえたのは有難いことだ。

「運命を信じるか?」

「……それがあるとしてもその道は一つではないと信じています」

「そうか。そうだな。それは正しい」

「はい」

 グレンにとって大収穫となったザットとの再会。それを終えたことで、ストーケンドの為の仕事は終わり。あと残っているのは個人的な用件。それを済ます為に、グレンはザットの作業場を後にした。