ゼクソン国王と約束した物資は、半月もしないうちにエステスト城塞に届いた。ウェヌス王国との戦いの為に用意され、前線に近い猛牛兵団駐屯地に置かれていたものを運んできたのだ。
城塞まで物資を運んできたのはゼークト将軍率いる猛虎兵団だった。猛虎兵団がそのまま、エステスト城塞に駐屯することになる。
城塞に備え付けられている兵器の取り扱いを含めて、様々な引き継ぎを終え、銀狼兵団がエステスト城塞を出てゼクソン王国へと向かったのは、それから五日後。銀狼兵団にとっての対ウェヌス王国戦は、これをもって完全に終結を迎えた。
国境を越え、三日程経ったところで、グレンは全兵士を集めて話を始めた。
「今まで付いて来てくれてありがとう。自分がここまで出来たのは全て皆のおかげだ」
グレンはこの場所からゼクソンを離れるつもりなのだ。
「戦いで亡くなってしまった人たちにも御礼を言う。そして、生きて帰してやれなかったことを謝罪する。ありがとう。そして本当に申し訳ない」
兵たちの間から、わずかにすすり泣く声が聞こえてくる。大活躍した銀狼兵団ではあっても、やはり戦いの犠牲者が出るのは避けられないのだ。
「まだ王都へ戻るまでには一月はあるが銀狼兵団はここで解散する。出来ることなら、この兵団にいた皆が敵味方に別れる様な事態にはなって欲しくない。だが、それを望むのは無理だろう」
銀狼兵団はそのほとんどが元ウェヌス王国軍であるが、ゼクソン王国の人間も少なからずいる。捕虜の返還で国に戻れば、多くの兵士が国軍に復帰することになるはず。そうなれば、遠くない先に敵味方として戦うことがないとは言えないのだ。
「その時は自身の信念に基づいて行動して欲しい。母国の為に剣を取るのも、戦いに反対することも勇気だ。どのような結果になっても後悔しないように、自分の信念に基づいて行動して欲しい。分かったな!」
「「「おおっ!!」」」
「では……銀狼兵団、解散!!」
「「「おおっ!!」」」
一斉に剣を振りあげて応える兵士たち。それをしばらく見詰めていたグレンではあったが、やがて馬首を南に向けて、ゆっくりと進み出した。
ウェヌス王国辺境軍を奇襲する為に使った山道、それを使って目的地へ向かう為だ。
それに続くのは戻る場所のない、そして、国へ戻る意志のない五十名程の兵士。その兵士が荷車を引いてグレンの後に続く、はずだったのだが。
「……お前達、何している?」
あまりに後ろから聞こえる馬の音が多いと気が付いたグレンが後ろを振り返ると、そこには銀狼兵団の半数を超える兵士が続いていた。
「銀狼兵団は解散となりましたので、後はどこへ行こうと自由かと」
それに応えてきたのはセインだった。その周りにはポールもカイルもミルコもいる。
「……どういう意味?」
「団長、ではないですね。グレン様に付いて行きます」
「……ウェヌスに帰らないつもりか?」
「はい。帰りません」
「駄目だ! 帰れ!」
「グレン様は自分の信念に従って行動しろと言いました。自分は自分の信念に従って、グレン様に付いて行きます」
「実家はどうするつもりだ!?」
「実家ではもう自分は死んだと思っているでしょう。問題ありません」
「……どうして?」
全く聞く耳を持たない様子のセインにグレンは戸惑いを覚えた。
「前に申し上げたはずです。自分は英雄となったグレン様の背中を追い続けたいのです。そして、いつか自分も英雄と呼ばれる活躍をしたいのです」
「馬鹿か? そんな野心を持っていては身を滅ぼす」
「自分一人であれば、そうでしょう。グレン様は驥尾に付すという言葉をご存知ですか?」
「知らない」
「優れた人に付いて行けば、能力以上のことが出来るという意味です。自分はグレン様に付いていくことで名を挙げたいのです」
「他の人たちも?」
「せっかく、今回の戦いで大活躍したのに、それを無しにしろとは。それはあんまりです」
ポールが珍しく少しおどけた感じで、こう告げてきた。それにカイルも続く。
「そうですよ。銀狼兵団にいた。それだけでも誇れると思います。それを無かったことにしろとは」
「自分はただグレン様の背を追いたいのです。近くにいて、その生き様を見続けたいのです」
「あっ、その台詞良いな。自分も同じです」
「もちろん、自分も」
「当然、自分も」
そして、最後のミルコの言葉に、他の人たちも次々と同調していく。理由は何であれば、グレンに付いて行く。そういう意志を示していた。
「……国と戦うかもしれないのだ」
「すでにウェヌスという大国と戦っております。それを続けるだけです」
「だが、次はゼクソンの支援などない」
「最初から当てにしておりません。それに他者に頼らずに戦ってこそ、自分の価値はあがります」
「……お前ら、馬鹿だ」
求めるものは名声。だが、その名声を得られる可能性など、グレンにはないに等しいと思える。
「馬鹿なくらいでないと、大事は成せないと思います」
「何を言っても聞く気はないのだな?」
「グレン様のご命令であれば、命も捨てて見せますが、この件に関しては一切聞くつもりはありません」
「じゃあ、勝手にしろ」
「はっ、勝手に致します。おい! グレン様の許可がおりたぞ!」
「「「おおっ!!」」」
セインの言葉に後ろに続く兵士たちも雄叫びをあげる。さすがのグレンもそれを見て、体が震えた。それは感動でもあり、自分が背負ったものへの畏れでもであった。
「……じゃあ、行くか」
「そう言えば目的地は?」
「ローズたちの本拠地。すでにローズたちは先に行って待っているはずだ」
ポールの問いに、グレンはこれから向かう先を答えた
「ローズさんも。それは当然ですね。しかし……」
「何だ?」
「こちらを選んで正解でした」
ポールの顔がにやけている。ローズに会えることが嬉しいのだ。
「……ローズは渡さないからな」
「分かっております。自分はグレン様に恋焦がれているローズさんに憧れているのです」
「……馬鹿か」
「さあ、行きましょう! 新生銀狼兵団、出発!!」
「「「おおっ!!」」」
グレンを先頭に、六百程の兵士たちが後に続いて行く。
意気揚々と南方に行進を始めた兵士たち。その兵士たちを、残った者たちは寂しそうな表情で見送っていた。特にジャスティンとダニエルの顔は、今にも泣きそうになっている。
「許されたようだな」
「ああ」
「良いのか? 誰よりも団長を慕っていたのはジャスティン、お前じゃないか」
「……俺にはまだ守るべき人がウェヌスにいる」
「姉か。お前もシスコンを自認していたな」
「それに、ウェヌスにいるからこそ、やれることがある」
ウェヌス王国に戻るのは、家族の為ではあるが、それだけが理由ではない。ジャスティンたちには、グレンから任された仕事もあった。
「そうだな……本音を言って良いか?」
「何だ?」
「俺は黒幕という存在がいて欲しいと思っているのだ。それでウェヌスが揺れることになっても」
「……実は俺も。それがいてくれれば」
「団長とともに戦えるかもしれない」
「ああ」
「戻ろう。戻って、俺達は為すべき事をしよう」
付いていくことを選んだ人。残る決断をした人。どちらの思いにも違いはない。グレンは必ず何かを為す。その何かは必ず良い結果をもたらしてくれる。こう信じているのだ。
◆◆◆
グレンたちの道案内はゼクソン王国内の盗賊だった。目的地がローズたちのアジトである以上は、最後までではない。ゼクソン王国の領地を抜け、しばらく進んだところで、待ち受けていたローズの仲間と交替となった。
「……また何かあったら声を掛けてくれ」
「はっ?」
盗賊の言葉にグレンは驚いている。
「何を驚く?」
「もう二度と顔を見たくないと言われると思った」
「ああ……それはだって」
「何?」
なんとなく煮え切らない態度の盗賊。そんな態度を見せられると、グレンも何があるのかと気になってしまう。
「……もしかして、どこに向かっているのか知らないのか?」
「仲間のアジト」
「アジトって……」
さらに思わせぶりな態度まで盗賊は見せてくる。
「何? 何か知っているのか?」
「……知っているが教えるのは止めておく。直接見られないのは残念だが、お前が驚くのを想像するだけで楽しそうだ」
「何だ、それ?」
「とにかく。何かあれば声を掛けてくれ。あくまでも出来る範囲でだが、協力はする」
「……分かった。その気持ちは嬉しいから、素直に受け取っておく」
協力者がいるのは良いことだ。たとえ、それが盗賊であっても。
「じゃあな」
「ああ、ありがとう」
こんな意味ありげな盗賊からの別れの言葉を受けて、更に山中の道を進んでいくグレンたち一行。案内に出てきた人に聞けば、盗賊の言ったことは分かるのだが、グレンは聞こうとしなかった。盗賊がそこまで言うなら、驚いてみようという好奇心からだ。
そして山中を進むこと半月後。ようやく山道を抜けて、開けた場所に出たところで、グレンは、グレンだけではなく銀狼兵団の全員が目の前の景色に言葉を失った。
「……あれがアジト?」
「あの、アジトというか。お城です。エイトフォリウム帝国の最後の都。ストーケンドです」
「ですよね」
周囲を深い山々に囲まれた盆地。その盆地に遠くから見ても、所々の城壁が崩れていて、古ぼけた城砦都市があった。だが、痛んでいても城砦都市であることに変わりはない。
「さあ、行きましょう。ここまで来れば、帝都の方でもこちらを確認しているはずです。待たせてはいけません」
「あ、ああ」
まだ驚きから完全に立ち直っていない兵士たちを伴って、グレンは城砦に向かって進んだ。
徐々に近付く城壁。崩れた城塞は、戦争などが原因ではなく、ただ古くなって崩れているのだと分かってきた。
ようやく辿り着いた城門前。グレンたちが何かする間もなく、ゆっくりと中から城門が開いた。
そこに立っていたのはローズたちだ。
「お疲れ。随分と大人数ね」
「まあ。えっと……皇女殿下とでも呼ぼうか?」
古ぼけているとはいえ、かつての帝国の都。その主であった皇帝家の血を引いているローズだ。
「馬鹿。だったら君は何なのよ?」
「俺?」
「皇帝陛下とでもお呼びしましょうか? 私の大切な旦那様」
「それはちょっと」
「でしょ? さあ、入って。準備は整えていた……つもりだったけど、まさかこんなに来るなんて」
ローズが聞いていた同行者は五十人ほど。それが目の間にいるのは十倍の人数だ。
「入れない?」
「そんなわけないでしょ? 片づけられていないだけよ」
「じゃあ平気だ。自分達でやるから」
「そうして。じゃあ、とりあえずお城に案内するわね」
「あ、ああ」
ローズたちに先導されて城門を潜り、大通りを進むグレンたちは注目の的だった。
大通りの両側には多くの人たちがいて、進んでくるグレンたちを指差しては、何かを話している。その数は、百や二百ではない。
「……ちんけな盗賊もどきって言っていなかったか?」
「外に出ているのは、そんな程度よ」
「ここに残っている人たちは?」
「故国再興なんて関係なく残っている人たち。国が滅びた時に、行き場のなかった人たちね」
「どれくらいの数が?」
「……正確には。千は越えていると思うわよ」
「まあ街にしては小規模な方か。大きな村程度だな。でも、どうやって暮らしている?」
「周辺には田畑があるからね。自給自足の質素な暮らしよ」
「……滅ぼされたって」
エイトフォリウム帝国はウェヌス王国に滅ぼされたとグレンは聞いていた。だが、その滅ぼされたはずの帝国の都が、わずかとはいえ国民の暮らしが、今も残っていることをグレンは不思議に思った。
「滅ぼされたわよ。でも、わざわざお城を跡かたもなく崩すなんてことはしないわよね? それに、ここは辺鄙な場所だから、ウェヌスの民がわざわざ移住して来ることもないし」
「確かに……奪う物を奪って、あとは放置ってことか」
「そういう感じね」
「……元々はどれくらいの人が住んでいたか知っている?」
「正確には知らない。万は軽く越えていたと思うけど」
かつては大陸を統べていた帝国の都だ。ウェヌス王国に追い払われた後のこととはいえ、それなりの人数はいたはずだ。街の規模もそれくらいの人数が住めるだけのものがある。
「それくらいの人が暮らす力はあるわけだ」
「でも、周囲の土地は荒れ果てているわよ。それを耕す人が……いたわね」
労働力不足はすでに解消していた。五百人もの兵士がいるのだ。
「力仕事は得意だと思う」
「そうね。じゃあ、自分たちが食べるくらいは頑張ってもらおうかしらね?」
「そうだな」
こんな会話を続けているうちに、グレンたちは城に辿り着いた。グレンの知るウェヌス王都の王城に比べれば、かなり小ぶりで城というよりは屋敷と言った方が相応しい造りになっている。
「城?」
「……あのね、ここはウェヌスが用意した場所なの。堅牢なお城なんて建てるわけないでしょ?」
「ああ、そうか。何かあっても、すぐに落とせるようにか」
「そういうことよ」
大きな扉が開いて人が出てくる。迎えに出てきた執事だった。グレンが名前を知らない人も何人か一緒にいる。
「改めまして自己紹介をブレンダン・ロータスと申します」
執事が進み出てきて本名を名乗ってきた。
「はい。よろしくお願いします」
「お疲れでしょうが、もう一仕事お願いします。馬については、横に馬場があります。厩舎には入りきりませんので、馬場に放してくださって結構です」
「馬場はあるのですか?」
「軍事用ではなく趣味の為のものです」
「馬が趣味?」
「一応は皇帝であったわけですから。少々、優雅というか、実用とはかけ離れた趣味をお持ちだったのです」
「はあ」
なぜ、馬が優雅な趣味なのかグレンには分からなかった。
「兵の方々の宿舎はまとまってはご用意出来ません。帝都内にあります、空いている建物を自由に使ってください。場所は彼らに案内させます」
ブレンダンは、一緒に迎えに出てきた者たちを指し示した。
「ああ、どうも。じゃあ、馬を放したら一旦解散だな。じゃあ、まずは馬場に」
「グレン殿の馬はこちらでお預かりします」
「あっ、はい」
「グレン殿の部屋はこの中に用意してあります」
「はあ」
自分だけが特別待遇を受けるような状況が、グレンは気に入らない。
「……ご自身の立場を少し自覚されてはいかがですか? グレン殿にはこの城に住む資格、というより義務があります」
「義務?」
「その辺をお話したいので、城に入ってください。まずはお部屋にご案内します」
「……分かりました」
「お付の方は?」
「……今は良いです。ポール、セイン、カイル、ミルコ。今日は皆と同じ場所で休んでくれ」
「「「はっ」」」
四人とも不満を全く見せることなく、馬を引いて馬場に向かっていた。
一般兵との間に出来るだけ格差を作りたくない。グレンのそういった気持ちを四人はとっくに分かっている。そして、恐らくは遠くなっていくだろうグレンと兵士との距離を繋ぐ役目を自分達が果たさなければならないことも。
◆◆◆
通された部屋で休憩を取ることもなく、グレンはローズたちが待っている場所へ案内された。連れてこられたのは、かなりの広さの会議室。
そこにグレンの知らない顔も含めて、多くの者が待っていた。
その一人一人を執事が紹介していく。帝国の遺臣。それも、それなりの地位にあった者たち、もしくはその子供たちだった。
全員の紹介を終えたところで、立ち上がったのは宰相。ハーバード・ペリウィンクルが本名だった。
「まずはご無事の帰還をお喜び申し上げます」
「ありがとうございます」
「正直、予想以上のご活躍に戸惑っております」
「……そうですか」
これまでとは違う丁寧な物言いにグレンも戸惑っている。それよりも気になっているのは、グレンの正面の上座に座り、不機嫌さをあからさまにして、そっぽを向いているローズの姿だった
「我らも早々にゼクソン王国を離れましたので、現在の状況までは存じ上げておりません。それでも、ゼクソン王国の民の間にグレン殿が率いる銀狼兵団の噂がかなり広がっておりました」
「……はい」
「……遠回しの話は止めましょうか?」
「そうして頂いたほうが」
「分かりました。ただ、まだ少し遠回りさせて頂きます。この場所については?」
「案内してくれた人からエイトフォリウム帝国の都であったとだけ」
「はい。ここがエイトフォリウム帝国の最後の都です。ストーケンドと呼んでおりますが、これは自嘲の意味で呼んでいる名です」
「自嘲ですか?」
「ストーク。これが帝国の都の名でございます。ストークの終わり。ストークのエンドをもじった呼び名です」
「ああ、なるほど」
この場所に移った時に、帝国は終わりを迎えていた。それは当人たちも分かっていたのだ。
「ここに住む者は子供も含めて、千三百を超える程です。帝都の周囲にわずかではありますが、田畑がありまして、そこからあがる生産物で自給自足をしております」
「それは少し聞きました」
「はい。それ以外は何もありません。そして、そのわずかな収穫もまれに襲ってくる盗賊に奪い取られることもあります」
「盗賊が……まあ、そうでしょうね。この場所を乗っ取られていないのが不思議なくらいです」
「わずかな農作物以外は奪う物もない場所でございます。それと本拠としては良いにしても、盗賊稼業をするには少々不便でもあります」
「それでも……」
これだけの規模の街だ。その本拠にしようとする盗賊がいないのが不思議だった。
「言いにくいのですが、盗賊にも盗賊のルールがございます。その一つが、お互いの本拠地を奪わないこと。本拠地には家族を住まわせていますので、そこを脅かされるような真似は、お互いに避けたいのです」
「そういうことですか……」
ハーバードの説明は、周囲の盗賊にこの場所が本拠地と見なされていることを意味する。盗賊稼業に身を落とすようになったきっかけは、案外これも関係しているのかとグレンは思った。
「その様な場所にグレン殿は多くの兵士を連れて参られた」
「……すみません。どうしても付いて来るというので」
「いえ、それは構いません。話はここからが本題です」
「はい」
「我らがお聞きしたいのはグレン殿の覚悟でございます」
「覚悟?」
「この場所を復興させるおつもりはありますか?」
「はっ!?」
グレンのこの反応だけで、覚悟などないと分かる。ただ、これには勘違いも含まれている。
「今申し上げた復興は帝国ではなく、都としてのこの場所の復興です」
「あ、ああ」
「仮にも一国の都であったこの地は、その気になり、それなりの労力をかければ、数万の民を養えるだけの力があります」
「……ですが簡単にはいかないのでは?」
それが出来ないから、今の状況があるのではないかと、グレンは思っている。
「山々に囲まれた地で、その恵みを受けて水は豊か、土は肥えております。盆地には今はあちこち壊れておりますが、水路が張り巡らされており、田畑を蘇らせることは不可能ではありません」
「…………」
ハーバードの説明が事実であれば、グレンが思っていたよりも遥かに恵まれた土地ということになる。
「周りの山々も自然豊かで、狩猟などで食糧を得ることも可能です」
「何故、ウェヌスはここを放置したままに?」
土地としては悪いものではない。それどころか一定の収穫が見込める良い土地だ。それを何故、ウェヌス王国が放置したままでいるのかが、グレンには分からない。
「実を言えば、ウェヌスには帝国を滅ぼしたという意識はないのです。ただ魔導技術を奪いにきただけ」
「では滅びたと言っていたのは?」
「帝国自らが国であることを諦めてしまったのです。我らはそれに納得出来なかった者たちです」
「しかし皇帝陛下がいたのでは?」
「皇帝陛下御一人で国は動きません。周りが諦め、民が諦めてしまえば国は国として成り立たないのです」
「……そうですね」
それを諦めさせないようにするのが、皇帝の、重臣たちの役目ではないかとグレンは思ったが、これは口にしないでおいた。
「復興なさいますか?」
「それは出来るのであれば。そもそも自分達の食い扶持は何とかしなければいけないわけですから」
グレンには他人の住処に居候する身という思いがある。出来るだけ迷惑を掛けないようにしたい。
「それをどこまでおやりになられるおつもりですか? 我らが聞きたいのはそこでございます」
「……どうしてですか?」
ハーバードの問いに、グレンの心には嫌な予感が広がっていく。
「我らはこう思っております。グレン殿はやるとなれば、徹底的にそれを行うだろうと。そうなると、この地は活気にあふれた、豊かな土地になります」
「そうなれば良いなとは思います」
どうなるかなど今は全く分からない。それをハーバードは必ずそうなると話していることにグレンは違和感を覚える。
「そうなれば、民は希望を持ちます。その希望を背負う御覚悟がございますか?」
「民の希望を背負う、ですか?」
「まっすぐに申し上げます。この都が嘗ての活気を取り戻せば、民はその先に帝国の復興を夢見ます。それもグレン殿の下での復興を」
「…………」
結局、この話になった。ハーバードが求めているのはやはり、帝国復興へ向けてのグレンの覚悟なのだ。
「皇帝とは申しません。それでも民はグレン殿を王として崇めるかもしれません」
「まさか……」
「もちろん、可能性の話であって、現実にそうなるかは分かりません」
「なるはずがありません」
二千人程度で国を名乗ることに、グレンは意味を見いだせない。それ以前に王になるつもりがない。
「しかし、グレン殿はウェヌス王国との戦いで活躍を見せ、ゼクソン王国内では英雄視する者も少なくありません。そのような人物が現れたのです」
「それをここに住む人たちが知ることはないのでは?」
このような場所だ。自然に伝わってくるはずがない。
「そしてグレン殿はソフィア様の想い人でもあります」
グレンの問いを無視して、ハーバードはローズとの関係についても言ってきた。
「それは……」
「だからといって我らがグレン殿に何かを強いるつもりはございません。それについては、ソフィア様の為にも誤解なきようにお願いいたします」
「はい……」
強いるつもりはないと言っているが、覚悟を求められるというのはそういうことだ。
「ですが、我らは約束出来ても、自然に沸き起こる民の想いを抑えることは出来ません。それが現実のものとなった時にグレン殿はどうなさいますか?」
「…………」
こんな問いに答えられるはずがない。ハーバードが言うような事態は、グレンには想像も出来ない。
「すぐにお答えを頂けるとは思っておりません。戦争で疲れた体をしばらくは休められると良い。その時間の中で考えて頂きたい」
「……はい」
一度動き出した歯車は、止まることなくグレンを動かしていく。本人の意志など無視して。
ようやく一区切りついたウェヌス王国との戦い。新たな戦いに踏み出すつもりだったグレンの目の前に思わぬ壁が立ちふさがった。
そして、それは壁ではなく、昇るべき階段の一段に過ぎないのかもしれない。