カロリーネ王女を乗せた馬車は街道を西へと進んでいる。ローゼンガルテン王国の王女である彼女が乗るには相応しくない、行商人が使用するような粗末な馬車だ。さらに乗っている彼女の服装も町娘が着るような粗末、というのはカロリーネ王女が普段着ている服に比べた場合の表現で、庶民としては普通の格好をしている。
何故、このようなことになっているのか。カロリーネ王女本人は分かっていない。それを知っているのは彼女の左右に座っている、これもまた普段とは違う行商人のような格好をしている王国騎士だ。カロリーネ王女が分かっているのは、どうやら自分は拉致されたのだということ。その拉致はユリアーナが裏で糸を引いているだろうということだ。
「……次の街に到着したところでお別れです」
ずっと黙ったままだった王国騎士が声を発してきた。
「お別れ……それはどういう意味なのだ?」
心の中に広がる恐怖を押し殺し、カロリーネ王女は別れの意味を尋ねた。その場で殺されるのか、もしくは別の誰かに引き渡されるのか。いずれにしても良いことではないと考えている。
「我々はずっとお側にいるわけには参りません。そこから先はご自身のお力でなんとかしてください」
「……分からん。妾は何をなんとかしなければならないのだ?」
「それも王女殿下がお決め下さい。ただ、王都に戻るという選択だけはなさらないように」
「……王都で何がある?」
騎士の説明を聞いて、ますますカロリーネ王女は状況が分からなくなった。
「……街に着くまでは話してはならないと言われております」
「ユリアーナにか?」
「……はい。そうです」
騎士は黒幕がユリアーナであることを認めた。隠しても無駄なのだ。カロリーネ王女は彼の顔を知っている。彼は花の騎士団の騎士であり、ユリアーナの部隊に所属しているのだ。
「彼女は何を企んでいる?」
「それは私たちにも分かりません。ただ……企んだのは王国が先だと聞いております」
「王国が先……?」
ローゼンガルテン王国は先に何を企んだのか。カロリーネ王女には思い当たることが一つある。
「……まさか、リリエンベルク公国に援軍を送らないことか?」
ローゼンガルテン王国はリリエンベルク公国を見捨てた。この噂はカロリーネ王女の耳にも入っている。
「それも企みの一つです」
「一つ……彼女は何を行おうとしている? 王都で何が起きるのだ!? 答えろ!?」
頭に浮かんだ可能性。それに気付いたカロリーネ王女は冷静ではいられなくなった。
「……事を起こすのはユリアーナ殿ではありません」
「彼女ではない? では……ま、まさか……キルシュバオム公爵家か?」
「…………」
カロリーネ王女の問いに騎士は沈黙で答えた。否定ではなく沈黙。それでカロリーネ王女には十分だ。
「愚かな……魔人との戦いを行っている最中に内輪もめ、いや、謀叛を起こすなど正気の沙汰ではない」
「そうしなければ生き残れないとなれば、嫌でも事を起こすしかなくなります」
「王国は……馬鹿な……」
ローゼンガルテン王国は公国を滅ぼそうなどと考えていない。この言葉をカロリーネ王女は声に出来なかった。リリエンベルク公国の現状がそれを言う気にさせなかった。
「ここまで話してはもう隠しておくことはありません。今頃はもう、花の騎士団は王都制圧に動いているはずです」
「……成功するとは限らない」
「はい。ですが成功する可能性のほうが高いと思います。王国は我々が蜂起することなどまったく考えていないでしょう。それに城を、いえ、陛下と王太子殿下を押さえればそれでこちらの勝ちです。難しい作戦ではありません」
制圧は難しくない。花の騎士団はすでに王都内部にいる。王国騎士である彼等は、限られた数であれば城のある程度のところまで自由に出入りが出来るのだ。
その限られた数で城を制圧する力が花の騎士団にはある。
「……仮に父上と兄上を捕らえたとして、そのあとはどうなる? 王国騎士団が……魔人との戦いを行っているか……」
王都近くにいた王国騎士団のほとんどが、ゾンネンブルーメ公国を抜けて王都に向かってくる魔人軍の迎撃に投入されている。王都周辺には花の騎士団に対抗出来るだけの勢力はいないのだ。
「王都の制圧について成功は間違いありません。あとは各地にいる王国騎士団を従わせることが出来れば、それで決着です」
「従うと思うのか?」
「従わざるを得ない状況にするのではありませんか?」
「どうやって?」
「それは私には分かりません。ただ、これを申し上げるのは失礼かと思いますが、王女殿下の伴侶となる方が陛下に代わって王になるという方法もございます」
「…………」
騎士の言う通りだ。その場合、現国王と王太子はその座を退くことになる、だけで済めば幸運で、命を奪われる可能性のほうが高い。さらにカロリーネ王女も命は助かるというだけで、行動の自由は奪われるだろう。
「王都に戻ってはならない理由がお分かりになりましたか?」
「……彼女は、ユリアーナは何故、妾を逃がそうとする?」
ユリアーナの意図はもう分かった。彼女はカロリーネ王女を、悪意を持って拉致したのではなく逃がそうとしているのだ。だがユリアーナが何故このような真似をするのかはカロリーネ王女には分からない。
「詳しいことは聞いておりませんが……私の勝手な考えでよろしいですか?」
「……かまわん」
「友人だからではないですか?」
「なんだと?」
「王女殿下は団の中で孤立していたユリアーナ殿に手を差し伸べて下さいました。誰も相手にしようとしないユリアーナ殿に唯一理解を示されました。それに感謝しているのだと思います」
「……友人であれば……友人であれば何故、悪事に荷担する。止めろとは言わない。妾と共に逃げれば良いのだ」
聞かされたユリアーナの想い。あくまでも騎士の考えではあるが、それを聞いたカロリーネ王女は胸が熱くなった。嬉しさだけではない。悲しみも入り交じった感情だ。
「……ユリアーナ殿にはやることがありますので」
「それは何だ?」
「分かりません。ただ、王女殿下とお会いすることはもうないだろうと……」
「……だったら、何故……何故ユリアーナはこの場にいない!? 妾に直接、別れの挨拶をしないのだ!? どうして……どうして……」
「殿下……」
カロリーネ王女の瞳からこぼれ落ちる涙。それを見て、今度は騎士が胸を熱くしている。
ユリアーナの取り巻きだった彼等。彼等にはユリアーナの気持ちが分かる。彼等もまた周りに認めてもらえなかったのだ。
自業自得ではある。だが、ユリアーナの支配力によってとはいえ、厳しい鍛錬を行うようになった彼等。それをずっと続けていた彼等に向けられる周囲の視線は変わることはなかった。彼等の変化を誰も認めようとしなかった。そんな中でカロリーネ王女だけが唯一、彼等の頑張りを見ていてくれた。それを彼等は知っている。
「……絶対とは言えませんが、ラヴェンデル公爵家は今回の件に加担していないはずです」
「それはつまり、ゾンネンブルーメは加担しているということだな?」
「はい。お逃げになるのでしたらラヴェンデル公国へ」
「……それは分かった」
逃げてどうなるのか。前途に希望はない。それでもカロリーネ王女は逃げなければならない。謀叛を起こす者たちにローゼンガルテン王国を統べる正統性を与えない為に捕まるわけにはいかないのだ。
「あと、これはお役に立つか分かりませんが、騎士団に物資を供給していた商人ですが」
「ああ、アルウィンか」
「その彼は実家を勘当されたそうです。その後、王都付近で見かけることもないと。信頼出来る筋からの情報ですので、間違いありません」
情報元は宰相だ。まず間違いない情報。
「……そうか」
実家を勘当されたアルウィンは何をしているのか。商売を止めたはずはない。カロリーネ王女はそう思う。
「お別れにはまだ早いですが、どうかご無事で」
「……その約束は出来ん。お主等にやらなければならないことがあるように、妾にもやるべきことがあるはずだ。そしてそれは隠れ潜んでいて出来ることではないだろう」
何をすべきなのかはまだ分からない。だがカロリーネ王女はただ逃げ回るだけで終わるつもりはない。
「……そうですか。では言葉を代えます。王女殿下の御身に幸運が訪れることを」
「ああ。お主たちにもな」
カロリーネ王女を逃がしたことが知られれば、彼等も無事ではいられない。これからどうするつもりか分からないが、彼等にも幸運が必要だろうとカロリーネ王女は想った。
「それは無理です。我等には疫病神がついておりますので」
「なんだ、自覚はあるのか?」
疫病神は誰かなど考えるまでもない。ユリアーナに決まっている。それを騎士が理解していることには、カロリーネ王女は少し驚いた。
「一応は。ですが……最後まで付いていこうと思います。彼女を独りぼっちにしたくありませんので」
「そうか……良いのではないか? 自分が何を為したいか、はっきりとしているというのは幸せなことだと妾は思う」
「ありがとうございます」
彼等は彼等なりに覚悟を決めている。それが本当に自分の意思なのか、ユリアーナの能力によって思い込まされているものなのかは分からない。そんなことを考えることもしていない。
そうだとしても、彼等は選択したのだ。自分たちが進む道を。
◆◆◆
花の騎士団による謀叛。それは計画通りに成功した。花の騎士団を抑えられるだけの軍事力をローゼンガルテン王国側が持たなかった、というだけではない。王国、というより国王に反旗を翻したのは花の騎士団だけではなかったのだ。ユリアーナによってほぼ完全に再支配を受けた宰相はもちろんのこと、王国騎士団長までが謀叛側に加担した。王国騎士団長については保身からだ。勝ち目のない状況で、最後まで抗うなんて気概を王国騎士団長は持ち合わせていない。自身の地位の保全と引き替えに、あっさりと国王を裏切った。
文武の頂点にいる臣下が寝返った。これにより混乱は最小限に抑えられることになった。公国を裏切るという悪事、だけでなく、多くをでっち上げられて国王は悪者にされ、謀叛側の正当性が主張された。それを主導したのは文官を束ねる宰相だ。
武のほうも王国騎士団長が各地の軍に、これまで通り指示に従うように命令を発し、多くが従うことになった。逆らったのは一部。その一部も戦場を離脱して行方を眩ませただけで、王都奪回など直接的な反抗活動は行っていない。残った指揮官の全てが納得して王国騎士団長の命令に従っているわけではない。魔人との戦いの中、分裂している場合ではないと考える指揮官が多かっただけだ。
不満を抱えながらもローゼンガルテン王国はなんとかまとまりを維持している。謀叛側としては大成功というところだろう。
「……人間というのは愚かな存在ですね」
ローズルから報告を聞いた魔王は、呆れた表情を見せている。ただ魔人側だって他人のことは言えない。すでに分裂しているのだ。
「それほど離脱した部隊は多くないようですが、それでも減少したことに間違いはありません」
「その減少の流れをさらに加速させたいところですが、手がありませんね」
ローゼンガルテン王国内部の混乱を拡大させる策。思い付いたとしても実行出来る組織がない。
「数は大きく変わらなくても指揮系統は大きく混乱している可能性があります」
「……その根拠は?」
「具体的な数まで確かめたわけではありませんが、離脱した多くは騎士階級。つまり指揮官です。ローゼンガルテン王国軍の指揮能力は落ちていると考えても良いのではないでしょうか?」
兵士はただ命令に従うだけ。上位者が誰になろうとそれは変わらない。内心では謀叛に反感を持っていても、それに逆らう力もない。ローズルが説明した通り、離脱したのは騎士たちだ。
「……その情報は誰からのものですか?」
ローズルの説明は離脱した多くが騎士階級であるという情報が正しくなければ成り立たない。その信憑性を確認する為の問いなのだが。
「それは……その……」
「……ああ、私がフェンから聞いて伝えたのでしたか」
「……はい」
「そうでしたね。忘れていました。なるほど……指揮系統の混乱ですか。それで、今回の事態にどう対応するつもりですか?」
ローゼンガルテン王国が混乱しているのであれば、当然その隙を突いて行動を起こさなければならない。その方策を魔王は尋ねた。
「再度、ゾンネンブルーメ公国に兵力を集中させ、今度は制圧の為に動くべきかと」
「ゾンネンブルーメ公国に……リリエンベルク公国はどうするつもりです?」
リリエンベルク公国の戦力を増強し、反抗勢力を討つ。それとは異なる戦術がローズルの口から出てきたことに、ヨルムンガンドは不満そうな表情を見せている。
「リリエンベルク公国内の敵勢力は守るのに精一杯で反撃する力はありません。それに、その……中途半端な接触はあまりよろしくないかと……」
下手にジグルスに接触させて、寝返りを誘発するような事態は避けたい。ローズルというより大魔将軍全体の意見だ。
「……ふむ。リリエンベルク公国では苦戦しているので、もっと楽に勝てる場所で戦いたいが本音ですか?」
「それは……」
「まあ、戦術的には間違いではないですね。ただ……」
敵の弱いところを突くのは正しい選択だ。それに文句を言うのはおかしい。それは分かっていても魔王はすぐに了承する気になれない。
「……支配地域を増やすことがもっとも大事だと思います」
魔人軍の目的は食料。収穫出来る支配地域を得ることだ。それを優先すべきだとローズルは魔王に訴えた。
「そうですね……分かりました。その作戦を認めます」
「ありがとうございます。ではすぐに実行に移すように指示します」
「ええ。そうしなさい」
魔王の許可を得て、他の大魔将軍たちに作戦の変更と、その実行を話す為にこの場を去って行くローズル。その背中を見る魔王の思考はまだ続いている。
「……どうにも腑に落ちない。変なことを企てているのではないだろうな」
許可は出したが魔王は作戦変更に納得していない。何が駄目というのではなく、なんとなく気持ちがざわつくのだ。
「……警戒しておくべきだが……やはり冥夜の一族を奪われたのは痛い」
冥夜の一族から情報を得られなくなったことは、目と耳を失ったも同じ。敵の情報だけでなく、臣下の監視もままならない。魔王はそれに苛立ちを覚えている。
全員が全員、信頼出来る相手ではない。それどころか、魔王にとっては疑うべき相手のほうが多いくらいだ。寝返りだけでなく、実力も。
疑いの気持ちが実力者を中枢から排除させ、その結果、重臣の仕事ぶりを疑う羽目になる。自業自得というものだ。
「……どこかで覚悟を決めるべき。確かにそうかもしれないな」
今の状況が良くないことは魔王も分かっている。勝つ為には自分が覚悟を定めなければならないことも。それを本気で魔王は考え始めた。
◆◆◆
魔王が忠誠心を疑い、それでいてその実力についてはもっとも信頼している一人がフェンだ。地位は抑えられているが常に重要な戦場をフェンは任されている。結果を期待されているのだ。
そんなフェンだが、今回の件については魔王の想像の域を超える結果をもたらすことになる。
「……本当に良いのか?」
「ええ。もう私の仕事は終わったわ。クーデターは成功。この先どうなるかは知らないけど」
フェンが問い掛けた相手はユリアーナ。戦場以外の場所で二人は会っている。
「そうではなくて、本当にこちらに来るつもりなのかい?」
「当たり前でしょ? それを前提とした今回の共同作戦よ。約束通り、私は魔人側につくわ」
ユリアーナは魔人側に寝返るつもりだ。その約束で簒奪計画にフェンを協力させた。魔人軍側の行動は花の騎士団を王都に呼び戻させる為の作戦だったのだ。
「……仲間だった者たちを殺せる?」
「仲間は連れてきたわ。それ以外はただの同僚。私は同じ職場で働いていただけの人に遠慮なんてしないから」
寝返るのはユリアーナだけではない。ユリアーナが率いていた部隊の騎士、取り巻きたちも同行している。ユリアーナにとって、花の騎士団には仲間と呼べる、呼ぶ気になる人はいない。
「……分かった。覚悟が決まっているのであれば良い。歓迎しよう。魔人軍にようこそ」
「こちらこそ、よろしくね」
ユリアーナは魔人側に寝返った。魔人を討つはずの主人公が寝返ったのだ。これによりゲームシナリオは完全に崩壊することになる。実際はすでに崩壊しているのかもしれないが、修正が効かなくなる決定的な出来事になるのは間違いない。