ブラオリーリエの戦いは、苦しい状況ながらも何とかリリエンベルク公国軍が持ちこたえているという状況だ。リーゼロッテの強力な魔道具も含めたリリエンベルク公国軍の遠距離攻撃による犠牲を恐れて、魔人軍側が慎重に動いているという点も戦いが長引いている理由の一つ。
現在、ブラオリーリエ攻めを担当しているのは鬼王軍を率いるオグル。ブラオリーリエを落として戦功を挙げたいという思いはあるが、その一方で自軍をひどく損傷させて、大魔将軍の中での立場を悪くしたくないという思いも持っている。慎重になっているのはこれが理由だ。
もともと種族間での仲間意識が乏しい魔人。大魔将軍を競わせることが、今は悪い結果となっているのだ。
ただそんなことはリリエンベルク公国軍には分からない。分かったからといって、それを利用する方法もない。今はただ目の前の戦いに勝ち続けるしかないのだ。
「……今日も攻めてくるようですね」
防壁の上で魔人軍の様子を眺めていたフェリクス。かなり離れているのだが、魔人軍の陣地から戦気を感じている。
「正直、少し休みが欲しいわね?」
「はい。兵を休ませるだけでなく、防壁の補修を行わないと……」
鬼王軍は鬼人族を中心とした部隊。鬼人といっても様々で巨人族と間違えるような巨体の部族もいる。そういった巨体の鬼人たちは、隙を見せるとリリエンベルク公国軍が放った投石を回収し、逆に投げ返してくる。その攻撃によって防壁はかなり痛んできているのだ。
リリエンベルク公国軍が耐えられているのは、ブラオリーリエの防壁があってこそ。防壁を崩され、内部への侵入を許すようなことになれば終わりだ。
「敵もそれが分かっている。休ませてくれるはずがないわ」
鬼王軍からすればどこか一カ所でも防壁を崩し、中への侵入を果たせば勝ちなのだ。慎重ではあっても攻撃の手を緩めるような真似はしない。
「どこかで判断しなければなりません」
「それは工事状況次第よ」
「そうですが……」
リリエンベルク公国南部にブラオリーリエ以上に堅牢な街はない。魔人軍と戦えるだけの拠点がないのだ。だがそれではリリエンベルク公国を守り切れない。
後方に下がっているリーゼロッテの父、マクシミリアンは自分たちがいる街の防御力を上げる為の工事を進めている。
その場所がリリエンベルク公国にとって、最後の砦となるのだ。出来ればブラオリーリエよりも堅牢な防衛拠点に作りあげたい。だがそれには当然、長い月日が必要だ。それまでブラオリーリエが耐えきれる保証はない。
「今はまだ、ただ耐えるしかないわ」
「……鍛錬は、少しずつですが確実に成果はあがっているようです」
後方では拠点の防衛力を強化するだけでなく、兵士の鍛錬も行っている。特別遊撃隊が行っていた鍛錬をベースとしたかなり厳しいものだ。それに耐え、鍛え上げられた兵士の数が増えれば戦いは楽になる。ブラオリーリエに籠城するだけでなく、他の動きも出来るかもしれないのだ。
「時の経過は必ずしも私たちにとって悪いことばかりではないわ。でもそれは私たちが、ここで耐えきってこそ」
「はい。守り抜きましょう」
「迎撃用意! 敵に接近を許さないで!」
鬼王軍が前進してくるのが見える。ブラオリーリエにおいて、もう何度目か分からなくなった防衛戦が始まる。
◆◆◆
一方で攻め寄せる側の鬼王軍。彼等もただ同じ攻撃を繰り返すだけで終わるつもりはない。ブラオリーリエ攻略に向けての戦い方は明確になった。防壁の一カ所に攻撃を集中させて、そこを打ち崩し、そこから内部に侵入して制圧を行う。この方針で、いかに効率よく、犠牲を最小限にして目的を果たすか。これを考えているのだ。
「さて、いよいよだな」
鬼王軍を率いる大魔将軍の一人、オグル。ブラオリーリエに向かって進軍する味方を眺めながら、期待を込めた言葉を口にしている。
「……もう少し時間をかけても良いと思いますが」
そのオグルの期待を否定するような言葉を返したのはグウェイ。鬼人系族の族長の一人だ。
「すでに十分、時間は費やした。事が動き出した以上は、我々もグズグズしていられないのだ」
オグルが気にしているのはリリエンベルク公国領外の戦い。フェンの進言を魔王ヨルムンガンドが受け入れて、リリエンベルク公国の外の戦況は大きく動こうとしている。他の失敗を望むほどではないが、戦功で負けたくないという思いは強いのだ。
「……先鋒が攻撃地点に到達します」
「そうか。では別働隊を動かせ」
「分かりました」
オグルの側を離れるグウェイ。別働隊の指揮を執るのはグウェイ自身なのだ。
彼が離れた場所で待機していた別働隊に合流した時には、先に前進した部隊はすでに投石、鬼王軍の場合は言葉通りの石を投げての攻撃だ、が始まっている。これまで何度も続けてきた攻撃。守るリリエンベルク公国軍からは弩が放たれてきている。
「……弩砲を前に出す! 一気に進め!」
鬼王軍も弩砲を持っている。リリエンベルク公国のそれに比べて遙かに巨大な弩砲で、これまで一度も使ってこなかったものだ。
グウェイの命令を受けた部下たちは怪力を発揮して、重い弩砲を驚くべき速さでブラオリーリエに近づけていく。
「目標地点に到達したらすぐに攻撃だ! 他の部隊を待つ必要はない!」
別道隊の攻撃は速さが勝負。普通の人では簡単には動かせない巨大な弩砲を使って速戦を行おうという、人間から見れば、常識外れの戦法だ。
「第二陣進め!」
さらにグウェイも含めた第二陣が前に進み出ていく。これもまた巨大な丸太を抱えた部隊。彼等が運んでいるのは弩砲ではない。見たままの丸太だ。
第二陣が動き出すのと、ほぼ同時に第一陣の攻撃が始まった。弩というには大きすぎる丸太がブラオリーリエの門に向かって放たれる。
「……ぶち破れ……行けぇええええ!」
放たれた巨大な弩は門に直撃、とはいかなかったが周囲の防壁を大きく震わせる。
「続け! 残りも全部撃ち込むのだ!」
残りの弩も門に向かって放たれていく。その間も第二陣が前進を続けている。弩だけで門を破れるとは鬼王軍は考えていない。破れればそれで良し。駄目でも味方の接近を邪魔させなければ良い。本命はグウェイが自ら率いている第二陣なのだ。
「覚悟を決めろ! ここまで来たら進むだけだ!」
リリエンベルク公国軍側も反撃を始めている。そうはいっても別部隊の投石攻撃を受けながらだ。反撃は分散していて、いつもの勢いはない。
この隙を突いて一気に門を破り、内部に侵入する。何度も通用する策ではないはず。グウェイはこの一度で、なんとか成功させようと考えているのだ。
「……魔法準備! タイミングをあわせろ!」
鬼人系魔人は怪力が特徴、といっても全ての鬼人族が魔法を使えないわけではない。火や風といった属性のない、ただ魔力を放出してダメージを与える魔法を使える種族はいる。力技ではあるが攻城戦にはその力技が必要なのだ。
「放てぇええええっ!!」
鬼王軍から放たれたいくつもの魔法は真っ直ぐにブラオリーリエの門に向かっていく。戦場に響く衝撃音。防壁がさきほどの巨大な弩による攻撃以上に大きく揺れた。
「……吹っ飛ばないか……だが、ダメージは与えたはずだ。突撃用意!」
防壁の対魔法防御のせいで、一気に門を吹き飛ばすまでには至らなかったが、これは想定内。弩そして魔法によって門の周囲はかなり痛んでいる。強度はかなり落ちたはずだ。
あとは特別でも何でもない手段。巨大な丸太を壊れるまで門に叩きつけるだけだ。
「行くぞ! 突――」
「左翼から騎馬隊が接近してきます!」
グウェイの突撃命令は、新手の部隊が現れたという部下の報告に遮られた。
「なんだと!?」
その報告に驚くグウェイ。これはまったく想定外の出来事だ。
「……味方です!」
「どういうことだ!?」
計画では、このタイミングで味方が現れる予定などなかったはず。何が起きているのかとグウェイが、騎馬隊が現れたという左翼に目を向けると。
「……セントール族? ……しまった! 敵だ! あれは敵だ!」
近づいてきているのはセントール族。魔王ヨルムンガンドを裏切って、ジグルスに付いたはずだ。慌てて敵であることを味方に伝えるグウェイ。
だがこの隙を見逃してくれるはずがない。
「……魔法だと!? 耐えろ!」
セントール族から放たれた光。それをわずかな時間で魔法だと見極めたグウェイは、さすがは一族の長。だが全員がグウェイのようにはいかない。
咄嗟に身構えることが出来なかった鬼人たちの何人かは、魔法をまともに喰らって地に倒れていく。セントール族からの攻撃はそれで終わらない。魔法の次は矢。狙い澄まされた矢が鬼人たちの体を次々と射貫いていく。
「……こんな……来るぞ! 突撃に備えろ!」
予想外の攻撃に戸惑うグウェイ。だが考えている時間は与えられない。セントール族はすぐ目の前に迫っているのだ。
混乱しながらも、なんとか迎撃態勢を整えようとするグウェイの部隊。
だがここでまたセントール族は思わぬ動きを見せる。目前で方向転換をして、グウェイの部隊の横をすり抜けていこうとしているのだ。
「あれは……」
先頭を駆けるセントール族のグラニはグウェイも顔見知りの相手。そのグラニの背に乗る人物にグウェイの視線は釘付けになっている。
黒一色の軍装を身に纏い、顔も目以外は全て黒い布で覆った人物。それでもグウェイはそれが誰か予想がついた。セントール族の長であるグラニがその背に乗せる人物なのだ。
「よそ見している暇はないぞ!」
「なっ!?」
突然の声が忠告した通り、よそ見をしている場合ではなかった。胸に衝撃を受けて、吹き飛ぶグウェイ。空中でなんとか体勢を整え、地面に転がることなく迎撃態勢を整えたグウェイの目の前には、これもまた知った顔がいた。
「……フレイ、貴様」
ヴェアヴォルフ族のフレイだ。
「まさかこんな最前線にお前がいるとはな」
「おかしなことではない」
「……それもそうか。俺もいつも前線で働かされていた。まあ、俺はそれが性に合っているから気にならなかったけどな」
獣王軍を率いていたテゥールは、フレイを酷使していた。グウェイも同じということだ。
「……不満がなかったのであれば何故裏切った?」
「裏切ったという意識はないな。それに最初に裏切ったのはヨルムンガンドだ。バルドル様を殺して、魔王の座を奪った」
「……そうだとしても、魔人の未来の為だ。それはお前も分かっているはずではないのか?」
バルドルのやり方では自分たちの未来は開けない。そう考えているグウェイは、魔王ヨルムンガンドの裏切りを責める気にはならない。
「俺も未来の為にジグルス様に仕えることを選んだ」
「愚かな。バルドル様の息子だというだけで、その遺産を受け継いだだけの若造に何が出来る?」
「それはお前がジグルス様を知らないからだ。まあ、分かるはずないか。俺だって最初は見誤った」
「……奴に何がある?」
フレイはジグルスの何に価値を認めているのか。グウェイにとっては、父である前魔王バルドルの七光りのおかげで、わずかな勢力を得られただけの存在なのだ。
「口では説明は難しいな。ひとつ言えるのは、お前は俺たちがジグルス様に従ったのはバルドル様の息子だからと思っているだろうが、それは違う」
「だから何が違うのだ?」
「俺たちが生きていられるのがバルドル様のおかげなのだ」
「……なんだと? どういう意味だ?」
「バルドル様に好意的な感情を持っていた。だから冥夜の一族は説得を勧め、ジグルス様は仕方なく、その進言を受け入れただけだ。俺たちの力を頼ろうなんて考えはなかったのだ」
ジグルスは説得に乗り気ではなかった。敵であった魔人を味方にすることに抵抗を感じているから。フレイもそう思っていた。だが今は微妙な違いを感じている。
「……たった一人で何が出来る?」
「さあな。俺が知っているのは、俺たちが臣下になった前提でのジグルス様の計画だけだ。だが、俺たちがいなくてもきっと別の計画を立てたのだと思う。目的も変わるか。その場合は魔人を全滅させる計画だ」
「全滅だと……?」
「魔人はジグルス様にとって両親の仇だ。リリエンベルク公国を滅ぼそうとする敵でもある。復讐とリリエンベルク公国を守ること。この二つだけを実現するのであれば、そういうことになる」
その計画がどういったものであるかなどフレイには分からない。分かっているのはジグルスであれば、それを考えてしまうだろうということだ。全滅はさすがに大袈裟な表現だが、何十年先、少なくともジグルスが健在な間は、侵攻など考えられなくなるほどの損害を魔人に与える計画を。
「……出来るはずがない」
「出来ないのは、無理だと決めつけるからだ。それにヨルムンガンドの計画だって成功する保証などない。すでに計画通りに進んでいないではないか」
「まだまだこれからだ」
「それは認める。だが目的を果たすという点では、こちらのほうが一歩進んでいる」
ジグルスは自分たちの拠点での食料生産を開始している。まだまだ始まったばかりであり、規模も小さなものだが、それでも一歩踏み出しているのだ。
「最後に勝つのは俺たちだ」
「だから決めつけるな。良いか、これは忠告だ。もし俺たちに勝機が見えたら、ヨルムンガンドの計画が失敗すると分かったらプライドなど捨てて、こちらに来い」
「なんだと?」
「今のジグルス様は味方の未来は考えていても、魔人の未来など考えていない。敵に回った種族を滅ぼすことに躊躇いの気持ちなど持たないのだ」
「お前は……」
フレイは、ただバルドスの息子だからという理由だけでジグルスに従ったのではない。ようやくグウェイにもそれが分かった。だからといって、ジグルスの側に百パーセント勝ち目があると考えているわけでもないことも。
「ヘル殿の血を引く故か、それ以外に理由があるのかは俺には分からないが、ジグルス様の内には闇がある。光と闇が混在しているのがジグルス様なのだ」
「……バルドル様とは違うか」
バルドルは光の存在だった。その彼が持つ光の対となる存在として冥夜の一族、そして黒き精霊がいたが、本人の属性はあくまでも陽だった。
その陽に多くの魔人は惹かれ、彼の下に集ったのだが、一方でその明るさに頼りなさや息苦しさを感じ、反発する者も生まれたのだ。
「この先どうなるかは分からない。どちらが正しいのかもまだ判断はつかない。それが分かるまで、とにかく死ぬな。なんとしても生きろ」
「……デタラメなことを言う。お前は敵で、こうして俺たちを攻めている」
「分かっている。だがな……」
可能な限り、無駄な殺し合いはしたくない。出来るだけ多くの人たちに未来を生きて欲しい。フレイはこれをグウェイに告げることは出来なかった。
「中途半端な説得だな。俺のように死か従属かを選ばせたほうが話が早いのに」
いつの間にかジグルスが戻ってきていたのだ。
「……この男の説得は簡単ではないので」
「説得する必要があるか?」
「……あると思っている」
「……そうか」
グウェイに視線を向けるジグルス。その視線をグウェイは正面から受け止めた。
「……フレイたちよりは受け入れやすいか。でも全員が全員美形ではないな。強面もかなりいる。怖がられそうだな」
だがジグルスの向けた視線は、それほど気合いを入れなければならないような意味はない。ただ外見を見ていただけだ。
「まっ、本人たちにその気がなければな。こちらはこれで引き上げるつもりだけど、どうする?」
「どうするとは?」
「まだ戦い続けるつもりであれば、こちらも下がるわけにはいかなくなる。まあ、止めておいたほうが良い。今日はもうブラオリーリエが落ちることはない」
「……そのようだ」
別の場所で戦っていた味方はすでに撤退している。撤退したのではなく、殲滅されたのかもしれないが、とにかく姿は見えなくなっている。
そうなればリリエンベルク公国側は門の守りに集中することが出来る。隙は失われたのだ。
それだけではない。グウェイの部隊が前線まで運んできた弩砲もかなり破壊されていた。ジグルスの部隊は弩砲に攻撃を集中させていたのだ。
そのおかげで味方の犠牲は少なく済んだのだが、それを喜ぶ気には、グウェイはなれない。
「じゃあ、今日はこれで終わりだ。また会うこともあるだろうな。敵として」
「……ああ」
「あっ、そうだ。フレイの言葉を訂正しておく。結果が見えてから寝返る相手なんて俺は信用するつもりはないからな。あとから話が違うなんて言われても困るから伝えておく。じゃあな」
その場から駆け出し、近づいてきたセントール族と合流したジグルス。それを追ったフレイとその部隊も駆ける足を速め、戦場から見る見る遠ざかっていった。
「……よく分からない男だな」
たった一度、わずかに話をしただけではジグルスを見極めることは出来ない。それだけではないのだろうとグウェイは思った。わずかな会話の中にも、ジグルスの複雑さを感じ取ったのだ。
それはもしかするとフレイの話を先に聞いていたからかもしれない。そうだとしても、この先難しい判断を求められることに変わりはない。そう思ってしまうことが、すでにジグルスの術中に、ジグルス自身にそのつもりはなくても、嵌まってしまっていることにグウェイは気が付いていない。