月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

勇者の影で生まれた英雄 #69 勇者への宣戦布告

異世界ファンタジー小説 勇者の影で生まれた英雄

 戦況はゼクソン軍の有利に進んでいる。
 被害を最小限に抑えたいゼクソン軍は無理をしない形で戦いを進めているが、それでもウェヌス軍は少しずつ戦線を後退させていっている。
 必ずしもゼクソン軍に押し込まれているだけではない。後軍が崩壊して、補給を受けられないウェヌス先軍は、自ら国境まで下がろうとしているのだ。
 逆にゼクソン軍は、それを許さない様にウェヌス軍が下がれば、前に出て距離を詰めるという形で一気の撤退を許さない様に戦っていた。
 その日の戦いが終わり、軍議の為に各兵団長が本営に集まった。

「ウェヌス軍の物資は確実に減っております。弓矢による攻撃がかなり減ったことがそれを示しているのではないかと」

「そうだな」

 いつもの様にシュナイダー将軍が状況を報告し、ゼークト将軍がそれに応える形だ。

「ただ国境までは既に十日の距離にあります。このまま後退を許しては、ウェヌス軍は犠牲覚悟で撤退に入る可能性が出てきます」

「……それは仕方がないだろう。数はかなり減らしたと思うが」

「騎士団千、国軍兵士二千は減らしたものと思われます」

「二割以上。充分に勝利と言える状況だ。しかも騎士団は半分に減らした」

「それでも全体の数では、ようやく我が軍が上になった程度です。勝利ではあっても、充分な勝利と言えるでしょうか?」

「……まだウェヌスは諦めないか?」

 ウェヌス王国が侵攻を諦めるだけの戦果が、ゼクソン軍には求められている。二割という数はそれに充分な戦果ではないかとゼークト将軍は考えていた。

「ウェヌス騎士団は諦めても、勇者軍は諦めないのではないかと」

「なるほど。ウェヌス軍が一枚岩でないことは、我が方に不利益までもたらすのか」

「その様です」

「その言い方だと銀狼の意見か?」

「はい。伝令が来ました」

「それを伝えに?」

「いえ。決戦を挑む気があるか、ないかを聞きに」

 国境まで十日。先軍に壊滅的なダメージを与えるには、今のような戦い方だけは無理だ。

「どう答えたのだ?」

「検討中と」

「そうか。さすがの銀狼も焦りが出て来たようだな。勇者軍の動向は?」

「国境の手前。辺境軍の駐屯地に既に入っていると思われます」

「確か、国境まで三、四日程だったな。つまり二週間ほどでウェヌス軍は一万の増援を得ることになるわけだ。なんだ、結論は出ているではないか」

「……明日、一気に攻勢をかける。これでよろしいですね?」

 シュナイダー将軍の問いに将軍たちは大きく頷くことで同意を示した。ウェヌス先軍との戦いはいよいよ決戦の日を迎えることになる。

◇◇◇

 戦場全体を兵士たちの雄叫びが覆っていた。
 今日を決戦の日と定めたゼクソン軍は、ウェヌス軍に対して全面攻勢をかけた。兵団を次々と入れ替える形で、切れ目なくウェヌス軍に波状攻撃をかけていく。
 これまでとは異なる勢いに序盤こそ混乱したウェヌス軍であったが、何とか守勢を固めて、ゼクソン軍の猛攻に耐えている状況だ。
 今日のゼクソン軍の陣形は兵団を縦一列に並べたもの。兵団ごとに戦っては後備に下がる。それを繰り返していた。
 そこにはゼクソン軍における唯一の騎馬部隊である狼牙は参加していない。狼牙兵団は本営のすぐ脇に陣取って、突撃の機会を待っていた。

「いざとなると、さすがに堅いね」

 まだ攻め時は先と思っているのか、狼牙兵団のランガー将軍は本営に来ていた。

「そうですね。これだけ攻めても崩れないとは」

 ランガー将軍の相手をしているのはシュナイダー将軍。本陣のシュナイダー将軍も出番はない。

「ここまで優勢に進めて来られたのは、我が国に運があったということか」

「運? それは違います。今の状況はグレン殿が作ったのです」

 ランガー将軍の言葉をシュナイダー将軍は否定したが。

「それが運だよ」

「……ランガー将軍は知らないのです」

「何をかな?」

「グレン殿の才能は戦場の武勇だけではありません」

「ほう」

「間者を使ってウェヌス騎士団と勇者軍の対立を深める為に工作をしました。勇者軍の駐屯地では、騎士団が成り上がりの勇者軍を蔑視しているという噂を流し、王都では勇者軍は、騎士団を自分達に従うものだと軽視しているという噂を広めました」

「なるほど……」

「アシュラムには外交で協力要請を行いました」

「それは知っている」

「軍を出さなくて良いから、ウェヌス国境を脅かして欲しいと。こちらの戦況が有利であれば国境を越えて欲しいと」

「……こちらから、それを?」

 軍を出さなくて良いとゼクソン王国側から伝えたことを、ランガー将軍は初めて知った。

「そうです。他にも色々ありますが。全てグレン殿から出た策です」

「そうか……他にもというのは?」

「全ては私も知りません。最後の方は知らされませんでしたから」

「…………」

 シュナイダー将軍が知らないままに、物事が進められた。この事実にランガー将軍は驚いた。ゼクソン国王がシュナイダー将軍よりグレンを信頼している証とも受け取れるからだ。

「グレン殿は一武将としてだけでなく、そういった方面でも優れた能力があるのです」

「それが私の言った運だよ」

「えっ?」

「銀狼がウェヌス王国ではなく我が国にいて、しかもウェヌスを敵として戦ってくれる。これが運じゃなくて何だろう? もし、銀狼がウェヌス軍にいたらと考えると正直震えがくるね」

「……確かに」

 味方であれば頼もしい相手は、敵に回れば恐ろしい存在に変わる。そしてグレンは本来、敵方の人間なのだ。

「この幸運を活かさなければならない。この戦いは、その最後の機会かもしれないのだから」

「はい……」

「それと一つ忠告をしておこう」

「何でしょうか?」

「嫉妬はしない様に」

「……はい?」

 思いがけない忠告に、シュナイダー将軍は呆気にとられた。

「間違っても銀狼に対して嫉妬心など抱かない様に」

 ランガー将軍は本気で忠告している。

「……そんな気持ちは持っておりません」

「なら良い。嫉妬するくらいなら憧れたほうが良いね。銀狼はシュナイダー将軍の手本となる者だ」

「私などでは」

「全てで並べとは言わない。でも、軍を統べる将としては学び、身に付けなければいけないことがある」

「それは何でしょうか?」

「……まずは見ることだ。銀狼兵団が現れた」

「なっ!?」

 ランガー将軍が指差す先には、黒色の兵団旗を靡かせて進んでくる銀狼兵団の姿があった。
 両軍がぶつかり合う前線より、更にウェヌス軍側の側面。そこに軍勢を留めて銀狼兵団は隊列を整えはじめた。
 向かって行くウェヌス軍の部隊はない。それどころか離れた場所からでもウェヌス軍全体に動揺が広がっていくのが見て取れた。
 それと正反対に勢いを増したのは、ゼクソン軍。猛牛兵団はここが勝負所とばかりに突撃隊形に軍を整えはじめている。

「あれが将だ」

「……将」

「現れただけで敵は怯え、味方は鼓舞される。敵に銀狼兵団がいては勝てない、ウェヌスの兵はそう思っているだろうね。そして我が軍の兵たちは、銀狼兵団がいる限り必ず勝てると信じている」

「…………」

 ランガー将軍のいう将はただの将ではない。そして今の自分は、その将には遠く及ばないとシュナイダー将軍は知った。

「ゼクソン王国軍の頂点に立つシュナイダー将軍は、ああならなければならない」

「…………」

 ランガー将軍のいう通り、シュナイダー将軍は立場上はゼクソン王国軍のトップなのだ。だが、それが形だけのものであることをシュナイダー将軍は分かっている。

「さて、銀狼が現れたからには出番が近そうだ。自軍に戻るよ」

「はい」

「……最後にもうひとつ。これは慰める為だから、罪に問わないでくれるかな?」

「……はい。約束します」

「銀狼に嫉妬するだけ無駄。彼はゼクソンには残らないよ」

「それは知っております」

「勇者がどうではなく、ゼクソン王国では銀狼は納まらない。彼が陛下の臣で納まるとは思えない」

「なっ!?」

 ゼクソン国王にはグレンを従わせる器量がない。ランガー将軍はこう言っている。まさかの発言にシュナイダー将軍は驚いた。

「少々不敬だけど、約束だから処罰は勘弁してくれ。言いたいのは、そんな存在に嫉妬するのは馬鹿げているということ。じゃあ、私は行く。全軍での突撃になるかもしれない。そのつもりで」

「……はい」

 茫然とランガー将軍が去って行く姿をシュナイダー将軍は見送っている。
 その間に、銀狼兵団はというと――ウェヌス軍の本陣に向かって一直線に進んでいた。さすがにそれを黙って見ているはずはない。本陣を守っていたウェヌス騎士団と、国軍の一大隊が向かって来る銀狼兵団に対して迎撃体勢を取っている。
 それにウェヌス軍の本陣が気を取られている間に、正面では猛牛兵団が、ウェヌス軍の陣全体が揺れたかと思うような勢いで前線にぶつかっていった
 更にゼクソン本営から狼牙がほぼ全力の勢いで騎馬を駆けさせて前に出ていき、そのままの勢いでウェヌス軍の側面を切り裂いて行く。
 それだけでは終わらない。
 狼牙の攻撃で乱れたウェヌス軍の側面に回り込んで攻め寄せていく猛虎。逆からは飛隼兵団。そして更に、いつの間にか移動していた傭兵団の集団が銀狼兵団の反対側から、ウェヌス軍の本陣に向かって進んでいった。

「群狼……?」

 思わずこんな呟きがシュナイダーの口から洩れる。
 かつて対抗演習でみた銀狼兵団の戦いに似た状況が、何倍もの規模で展開されていた。陣形をずたずたに裂かれて、みるみる統制を失っていくウェヌス軍。
 そこに止めの一撃が振り下ろされる。

『武器を置け! 降伏しろ!』

 万を超える兵たちの叫び声を物ともせずに、戦場に朗々とグレンの声が響き渡った。

『ジョナサン・コールマン将軍は討ち取った! 武器を置け! 降伏しろ!』

 その声になお一層、ウェヌス軍の兵士の間に動揺が広がっていく。

『降伏しなければ殲滅する! 死にたくなければ武器を置け!』

 これが止めだった。ウェヌス軍の兵士たちは次々と武器を放り投げて、その場にしゃがみ込んでいった。

『ゼクソン軍! 降伏した兵に手を出すな! 手を出した兵は敵とみなす!』

 更にゼクソン軍をも制する号令が響き渡る。戦場の熱気は一気に冷めて、戦いは終息していった。

 

◆◆◆

 ゼクソンとの国境近くにあるエステスト城塞。
 その前方にある街道をゼクソン方面から来た国軍兵士の軍装をまとった兵士たちが力無く歩いていた。隊列も何もない数百名の兵士が長い列を作って進んでいる。
 仲間の肩を借りて歩いている兵の姿も少なくない。誰が見ても敗残兵の群れにしか見えない。
 その先頭を遮る様に現れたのはエステスト城砦から出てきた中隊。

「……地方軍? 何故、地方軍がここにいるのだ?」

 現れた兵士の軍装をみて、先頭を進んでいた騎士が疑問の声をあげた。

「はっ。命によりエステスト城塞に入りました」

「理由を聞いているのだ」

「詳細な命令内容は自分には分かりませんが、ほぼ間違いなく辺境軍の代わりだと思います」

「……辺境軍はどうした?」

「ゼクソンに侵攻してすぐに奇襲を受けてかなりの被害を出したと聞いております」

「やはり、そうか。後軍との連絡が取れない。補給も来ない、おかしいと思っていたのだ」

 兵士の報告を受けて、騎士は納得した様子をみせている。

「あの、失礼ですが貴方は?」

「ああ。私は二○二大隊、大隊長代行のラルク・ヘイル百人将だ」

「はっ。……代行とは?」

「大隊長であったミール千人将は討たれた。それでコールマン将軍の命により私が大隊を率いている」

「そうでしたか……」

 大隊長の戦死という事実は、ゼクソン王国との戦いの凄惨さを示している。

「東方辺境師団のウィリアムズ将軍にお会いした。案内してもらえるか?」

「ウィリアムズ将軍は討たれております」

「何だと!? そんな馬鹿な! 私でもその勇名を知っている方だぞ!」

「逃げ延びてきた兵が伝えてきました。事実です」

「……そうか。ではエステスト城塞の責任者は誰が務めているのだ?」

「はい。東部方面軍のライル軍将です」

「地方軍の軍将の名を聞いてもな。顔も知らない。まあ良い。とにかくそのライルとやらのもとへ案内してくれ」

「……はい」

 兵士の顔にやや不満気な色が浮かぶ。地方軍を軽視するような騎士の発言に少し頭に来ているのだ。

「ああ。それと後ろに続く兵を。出来れば馬か荷車で運んでもらえると助かる。怪我人も多い上に、ろくに食事もとれずに撤退してきたのだ」

「……分かりました。すぐに手配いたします」

 だが、その不満気な顔もすぐに憂いを帯びたものに変わる。侵攻軍の悲惨な状況を思ってのことだ。

「頼む」

「その、戦闘の結果は?」

「見れば分かるだろう? 大敗だ。それも……果たしてどれだけの部隊がここまで辿り着けるか」

「……そうでしたか。それは大変でした」

 辺境軍の敗戦に続いて、騎士団率いる中央軍まで大敗を喫した。これを知った兵士の心に不安が広がっている。

「今はそれを嘆いても仕方がない。退却してくる部隊の収容と追ってくるかもしれないゼクソン軍に備えなければならない。兵の搬送を急いでくれ。ゼクソンはいつ現れるか分からない」

「はっ!」

◆◆◆

 エステスト城塞の会議室で向かい合っているのは、ヘイル百人将とライル軍将。同じ将と付いていても軍将は平民であり、それも国軍の中隊長よりも軍内での地位は低い。
 当然、上座にはヘイル百人将が座っていた。

「そうですか。大敗ですか」

「本陣に攻め込まれた後はもう退却するのに精一杯だった。情けない限りだ」

「お気を落とされない様に」

「……分かっている。気落ちしている時間はないのだ」

「ゼクソンは攻めてきますか?」

「領内から出てまで戦う気があるかは分からない。だが、ゼクソンにしてみれば大勝の後だ。その勢いに乗じて。そう考えてもおかしくはない」

「そうですか……」

 ゼクソン軍が進出してくれば、このエステスト城塞が戦場になる。難攻不落とされているエステスト城塞であっても、やはり不安は消えない。

「勇者直轄軍は今どこにいるのだろう? てっきり、ここにいるものと思っていた」

「後方のエスブロック城塞にいます」

「ようやく? 遅すぎないか」

「駐屯地に入ったのは、数日前のはずです」

「それでも遅い。いや、それよりも何故、進軍してこない?」

「分かりません」

「……我らを見捨てたわけか。それの何が、勇者だ!」

 ヘイル百人将は怒りを抑えきれない様子で、拳でテーブルを強く叩いた。それに怯えたのはライル軍将だ。大きく目を見開いて、言葉を失くしている。

「……すまん。君しかいないところで怒っても仕方がないな」

「いえ」

「辺境軍で退却してきた者はどれほどいるのだろう?」

「二百程です」

「たったそれだけなのか?」

「かなり執拗に追撃を受けたそうです。実際はもう少しいますが、怪我が酷過ぎて後方に下がりました」

「そうか……そういう容赦のない戦い方だからな、ゼクソンは。この城砦の収容人員は二千だと記憶しているが合っているか?」

「はい。それくらいです」

「我が大隊と併せて千百という所か。後からくる大隊を合わせれば何とかというところだな」

「留まるのですか?」

 ヘイル百人将の言葉はこれを示している。

「代わりに戦ってくれるなら喜んで後方に下がるが?」

「それは……」

「すまん。ほとんど八つ当たりだな。更に酷いことを言わせてもらえば、地方軍ではいくら城砦を守るだけとはいえ不安がある。申し訳ないが、ここは任せて欲しい」

「それはもちろん」

 ゼクソン軍が攻めてくるとなれば。この言葉はアイル軍将にとっては渡りに船だ。二つ返事で了承を口にした。

「物資はどれくらいあるのだろう?」

「実はまだ確認し切れておりません。ただ、この場所は、半年は籠城出来るだけの備えをしていると聞きました」

「……そんなに籠城するようでは、負け戦だな。つまり充分あると言うことだ」

「ご武運を」

「ありがとう。駐屯地に戻ったら勇者への戦況報告を頼む。ゼクソンが攻めてくるかもしれないとも伝えて欲しい」

「はい」

「それと運があれば、退却してくる部隊は多くなるはずだ。この場所では収容しきれない。そういった部隊は後方に引き下げるので、それの受け入れも頼むと」

「お任せください。他には?」

「……いや、それくらいだ。では兵を纏めくれ。それと辺境軍の者と話をしたい。城砦の説明を聞きたいからな」

「分かりました。すぐに手配致します」

「頼む」

 地方軍、東方方面軍が兵をまとめて、エステスト城砦を出たのは、それから二刻後だ。その間に城砦内の確認をし、主要な場所の見張りや担当は退却してきた兵に代わっていった。
 地方軍が隊列を組んで、後方にある駐屯地に向かっていく。
 その姿が芥子粒くらいになった時――エステスト城塞に掲げられていたウェヌス国旗と東方辺境師団旗は新たな旗に変わった。ゼクソン国旗と銀狼兵団旗に。
 エステスト城砦はグレン率いる銀狼兵団の手に落ちた。

 

◆◆◆

 エステスト城塞の後方にあるエスブロック城塞。その城塞にある兵舎は今、勇者直轄軍の本営となっていた。
 兵舎の一室。夜も更けて明かりを消した部屋のベッドで健太郎は眠りについていた。その眠りを覚ます、扉を叩く大きな音が部屋に響く。

「ケン様! 起きてください! 至急お話ししたいことがあります!」

「…………」

「ケン大将軍! 起きてください!」

「……勇者様、呼んでおります」
 
 部屋に流れたのは健太郎ではなく、女性の声だ。

「ん……もう何だよ。気持ち良く寝ていたのに」

「急ぎのようですが」

「ケン大将軍!」

「起きてる! ちょっと待って!」

 扉の外から聞こえてくる声に、健太郎は大声で答えた。

「……大会議室に皆集まっております。急ぎいらっしゃってください」

「ああ、分かった……ああ、もう」

 不機嫌な声を挙げながら、健太郎はベッドから身を起こした。
 布団がめくりあがり、隣に寝ている女性の白い裸体が暗がりの中でうっすらと浮かび上がった。

「……御着替えをお手伝いいたします」

 ベッドの横に置いてあったガウンを纏って立ち上がったのはフローレンスだ。

「ああ、お願い」

 同じく裸体のまま床に降りた健太郎に、フローレンスは下着を履かせ、騎士服を着させていく。お互いにすっかり慣れた様子だ。
 もうこういう関係になって半年以上経つ。それも当然だろう。

「じゃあ、行ってくる。先に寝ていて良いから」

「……はい」

 フローレンスを部屋に残して部屋を出る健太郎。会議室に向かうとそこには勇者直轄軍の上層部の人間が全て集まっていた。

「はあ、それで何? こんな夜中に急ぎの用なんて」

「エステスト城砦の守備についていた地方軍から報告が入りました」

「先にいった軍が全滅でもしたの?」

「はい。その様です」

「えっ!? 本気で言ってる!?」

 冗談で言ったつもりの言葉に同意されたことで、健太郎は一気に目が覚めたようだ。

「全滅となったかまでは分かりません。しかし、壊滅的な状況になっているのは確かなようです」

「……馬鹿だよな。僕を無視して抜け駆けなんてするから」

「はい。そう思います。しかし、状況としては最悪と言って良いものです」

「そうだね。でも大丈夫。最後には勝つよ。何と言ってもまだ僕の軍は戦っていないからね。ここから僕の活躍で一気に逆転だ」

「…………」

 健太郎にとってはウェヌス先軍の敗北も、この後の自分の活躍を引き立てる為のものという意識しかない。それなりに衝撃を受けている勇者軍の者達に、さすがにこの楽観的な発言は受け入れられなかった。

「何? 疑っているのかい?」

「……いえ。勝つことは疑っておりません。ただ」

「ただ、何?」

「エステスト城塞がゼクソン軍に奪われたようです」

「……何それ? そこまで負けちゃっているの?」

「はい」

「城攻めか。やったことないな」

「ただの城攻めではありません。エステスト城塞はゼクソン国境の守りの要。難攻不落とまで言われている城塞です」

「そんなに凄いの?」

「はい。まず城塞の麓は急な傾斜でふさがれております。城塞の前に辿り着くには、その傾斜をジグザグに削って造られた道を通らねばなりません。それもそれほど広くない道で、大軍が一気に進める幅ではありません」

「近づくのも難しいのか……じゃあ、無視すれば? そこを無視してゼクソンを攻めてしまう」

「城塞には多くの兵器が備えられております。投石機、投射機など。突破出来ないことはないでしょうが、かなりの犠牲を覚悟しなければなりません。それに後方に敵を残していくのは……」

 後背を脅かされては落ち着いて戦えない。補給の問題が出てくるのも明らかだ。

「じゃあ、兵糧攻め。いつかは兵糧も切れるよね? それまで囲んで待っているのは?」

「半年はもつ物資が蓄えられているはずです」

「半年? そんなにあるの?」

「守りの要ですから。ゼクソン全軍に攻められても耐えられる。そういう備えなのです」

「……水の手を絶つ」

 健太郎は城攻めで思いつく方法をとにかく口に出してみる。

「その備えもされております」

 健太郎で思いつくようなことは当然、対策が為されている。

「何かないの? 自分たちの城砦だったのだから、弱点とか知っているよね?」

「その弱点を、長い年月をかけて、消していったから難攻不落と言うのです」

「……ちょっと待った。じゃあ、何故、ゼクソンに落とされたのかな?」

 難攻不落であるならば、何故、ゼクソンに落とされたのか。この疑問がわくのは当然だ。

「我が軍の将に偽装していたそうです。味方だと思って城砦内に入れた。守りは任せろと言われて地方軍は疑うことなく城砦を出ました」

「全然気が付かなかったの?」

「はい。気が付いたのは敵から教えられてです。残っていた辺境軍の兵が敵からの伝言を携えて来て、それでようやく分かったと」

「……馬鹿だ。その地方軍の人、処分した方が良いよ」

 健太郎に言われなくても処分はされることになる。騙されて城塞を奪われたなど、これ以上ないというほどの大失態だ。

「そうですが、少し同情すべき点もあります」

「何が?」

「エステスト城砦を占拠したのはゼクソンの銀狼兵団という部隊で、元ウェヌスの軍人が率いております。我が軍のことを良く知っているわけですから、不自然さを感じなかったとしても仕方ありません」

「元ウェヌスの軍人。つまり裏切り者ってこと?」

「そうなります」

「許せないな。国を裏切るなんて」

 裏切らせた原因が自分にあるなんて、健太郎は思ってもいない。この先の説明を聞くまでは。

「ケン様もよく御存じの男です」

「えっ?」

「グレン・タカソン。銀狼兵団を率いているのはケン様付の騎士であった男です」

「…………」

 裏切り者がグレンであることが分かった健太郎は、大きく目を見開いたまま固まってしまった。

「ケン様?」

「……嘘だよね?」

「嘘ではありません。そのグレンからの伝言も預かっております」

「……何?」

「少々あれですが、そのまま言葉にさせて頂きます」

「あ、ああ」

「殺してやるから、さっさと攻めに来い。フローラの命を奪ったお前を俺は決して許さない」

「…………」

「伝言はこれだけです」

「…………」

「ケン様?」

「僕はしていない……僕はフローラを殺してない! 誤解だ! 違うんだ、グレン! 僕は殺してない!」

 会議室に健太郎の叫び声が響き渡る。
 その取り乱した健太郎を、周りの者たちはただ茫然と見つめることしか出来なかった。