月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

勇者の影で生まれた英雄 #65 疑惑

異世界ファンタジー小説 勇者の影で生まれた英雄

 グレンの住居は駐屯地にある兵団長用の居館だ。将軍向けに用意されたものであるだけに、かなり大きな建物となっている。そこにローズと仲間たち全員が同居している。
 その建物の一室でグレンはお茶の時間を楽しんでいた。とはいっても手元の書類を眺めながら。こうした時間を取っているのは自分の休憩のためではなく、ローズとの時間を過ごすためなのだ。

「どう? 少しは様になってきた?」

「それは誰のこと? 元ウェヌス国軍の兵たちであれば、一段階目としては、かなり形になってきた。ただそれ以外はまだこれからだな」

「それ以外には彼等も含まれるのよね?」

 ローズの仲間、臣下というべき人たちも全員ではないが調練に参加している。先祖を辿れば、エイトフォリウム皇国の騎士階級であった人たちだ。

「当然。そもそも彼らに求めるものは、兵士たちよりもずっと上だからな」

 騎士と兵士では求めるものが違う。個人の武勇だけでなく、部隊の指揮能力なども必要になってくる。他にも身につけなければならない沢山のことがあるのだ。

「そうよね。一応は近衛みたいな立場になるのよね?」

「近衛ね。言ったら悪いけど、彼らの実力では守ってもらう必要はないな」

 祖先を辿れば騎士階級だというだけで、彼らは騎士として育ってきたわけではない。個の実力でも、捕虜であった兵士たちに劣るくらいだ。

「まあ、そうね。でも、そのくらいの気持ちでいてもらわないと」

 そうでなければ連れてきた意味がないという思いがローズにはある。

「まずはジャスティンたちに並ぶことだな。それも遠い先な気がするけど」

「……何が足りないの?」

「経験かな? 死地に落ちた経験がない」

「死地?」

 体力でも剣の技量でも、ほぼ全ての面でジャスティンたちのほうが上だ。だが、グレンは経験をあげた。

「ジャスティンたちも、捕虜になっていた国軍の兵士たちも、前回の戦いで死の恐怖を経験しているからな。強くなろうという覚悟が違う。これは元罪人であった人たちもそう。採掘場に戻されれば死んでしまうと思って必死だ」

 体力や剣の技量は、努力でいくらでも高められるとグレンは思っている。騎士たちに足りないのは、その努力だ。

「……甘いってことね」

「要はそういうことだな。ただ口で言っても理解出来ることじゃないから。それが難しいところだ」

「実戦の経験が必要なのね?」

「ウェヌスとの戦いには出せないかもしれない。実戦経験がいきなりそれでは経験どころか、それで命を落としてしまいそうだ」

「そう……」

 自分の仲間たちが役に立ちそうもないと知って、ローズは少し落ち込んでいる。

「では、私のほうから言い聞かせておきましょう」

 二人の会話に入ってきたのは執事だ。グレンとローズの二人にとっては、ただの邪魔者でしかない。駐屯地に来て、この執事のおかげで二人は一度も体を重ねることが出来ていないのだ。

「……では伝えてきて頂けますか?」

「いえ、それは明日でも良いでしょう」

「そうですか……」

 執事を部屋から追い出す作戦はあっけなく失敗に終わった。

「ねえ、執事。何度も言っているけど、たまにはグレンと二人きりにしてよ。ただでさえグレンは忙しくて二人の時間がないのに」

「私にご遠慮なく。どうぞ会話をお楽しみ下さい」

「貴方に遠慮しろと言っているの」

「私は一向に気になりません。さあ、どうぞ」

「……この爺」

 ローズが何を言っても執事は堪えない。こんなやり取りがずっと続いていた。

「姫。そのような言葉遣いは、いかがかと思います」

「……もう、嫌」

 これに関しては決して引く気のない執事だった。

「そう言えば、銀鷹傭兵団から何か接触はありましたか?」

「特にはございません。この場所は部外者が自由に出入り出来る場所ではございませんから」

「そうですか。無理に接触を図るつもりはないわけだ」

 執事たちと銀鷹傭兵団には以前から接点がある。それを使って接触を図ってくるとグレンは思っていたのだが、今のところはないようだ。

「ねえ。銀鷹傭兵団がそんなに気になるの? はっきりと断ったのよね?」

「まあ。でも最後に、また会おうなんて言っていたからな。それが気になって」

「一度だけでも話を聞いてみれば? 一応は昔馴染みで、落ち込んでもいたのよね?」

「演技でなければ」

「そんなに嫌い?」

「嫌い。もっとも今はそれだけじゃないけど」

 フローラの件での恨み。これだけがグレンが銀鷹傭兵団を避ける理由ではない。

「……何かあった?」

「説明出来る段階までは来ていない」

「あっ、ひどい。私には隠し事はなしって約束したのに」

「ローズに隠し事をするつもりはない」

「じゃあ……」

 グレンとローズの視線が執事に集まった。さすがに執事もその視線を受けて気まずそうだ。それでも執事は譲らない。

「私は姫の不利益になるようなことは決して致しません」

「今しているわよ」

 この場にいることがローズにとって不利益だ。

「何のことですか?」

「二人きりにしてくれない。とんでもない不利益なのだけど?」

「それは別です。とにかく、これ以外では致しません」

「……だって?」

 何を言っても執事がこの場を離れることはない。とっくに分かっていたことだが、改めてそれを確認したところで、ローズはグレンに話を振った。
 ローズは執事を信じている。後はグレンがどう思うかだ。

「……じゃあ、こちらから質問を」

「どうぞ」

「俺の父親が銀鷹傭兵団を作った。これって本当なのですか?」

「改めて聞かれると間違いなくそうだとは申し上げられません。そういう話を聞いたというだけです。ただジン殿が団長であったことは間違いないと思います。ご自身でそう名乗りましたので」

 グレンの父親が団長であったことは事実だと分かった。だが、グレンが一番知りたいことは不明のままだ。

「そうですか。では次の質問です。副団長って誰でしたか?」

「副団長。それは御母上であるセシル殿だったのではないですか? セシル殿の銀髪と姓のタカから名付けたのだと思っておりました」

「……母親とは断言できないわけか。では今の団長は?」

「ガル殿だと思いますが、はっきりと聞いたわけではありません」

「……なるほど、おっさんが団長か」

 ガルというのは謁見の場で会った、小さいころに何度も家に遊びに来ていた男だ。

「何か気になることがございますか?」

「おっさん、俺達がウェヌスの王都でどんな暮らしをしているか知らないようでした」

「……なるほど」

 グレンの説明を聞いて、執事の表情が曇る。

「ちょっと。私にも分かる様に説明してよ」

 ここでローズが割り込んできた。二人の会話の内容が分からなかったのだ。

「団長と思える様な立場のおっさんが何で知らない? しかも全く知らないわけではなかった。恐らくは、ちゃんと暮らしていると思い込んでいたんじゃないかな」

「誰かが嘘を吹き込んでいたってこと?」

「その可能性があるってこと。では次。これは恐らく分からないと思いますけど」

「何でしょう?」

「銀鷹傭兵団って、実際はかなりの人員がいるのですよね? 特に戦闘要員ではなく、諜報要員のほうは」

「そういう噂ですね。ただ団の全体像を知っている者は極限られた者だけのようです」

「その組織を維持する資金源は何ですか?」

 組織が大きければ大きいほど、組織を維持するためのコストも大きくなる。銀鷹傭兵団がどうやってそれを確保しているのか、グレンは疑問に思っている。

「……分かりません。有志の集まりだと思っておりましたので考えたこともありませんでした」

「有志の集まりでも生活費は必要ですよね? そんな活動に時間を割いていたら、生活費を稼ぐ時間も削られるはずです」

「そうですね」

 傭兵団が稼ぐ金という可能性を執事は口にしなかった。それだけでは、どれだけの人数がいるのか分からないような巨大組織を養えるはずがないとすぐに分かる。

「ちなみに皆さんは?」

「主な資金源は帝国の遺産でした。ウェヌスが奪ったのは魔導の類であって、財宝にはそれほど執着しませんでしたから」

「それも尽きて、とうとう本格的な盗賊稼業と」

 遺産が今も潤沢に残っているのであれば、盗賊稼業など行う必要はない。ウェヌス王国を混乱させるのが目的であれば、もっとやることはあるとグレンは思っている。

「…………」

「すみません。余談でした。これも不明なままか。これ以上は難しいかな?」

「ねえ、そろそろ本題を話して。銀鷹傭兵団には何があるの?」

 ローズが焦れて、説明を求めてきた。

「……これは推測も推測で何の証拠もないことだ」

「ええ」

「だからと言って、調べることも出来ないし、しない方が良いと思う」

「いいから、話しなさいよ!」

「前置きだよ。俺の父親はかなりの人間不信だったと言いましたね?」

 またグレンは執事に質問を向けた。

「はい。グレン殿はジン殿に似たのですね」

「……それは余計です。しかも、ウェヌス王国に目の仇にされる傭兵団の団長だった」

「目の仇にしたが正しいかと」

「お互い様ってことです。その父親が人からの貰い物に簡単に手を付けるでしょうか? 相手は近所の人かも知れません。でも、その近所の人とあまり接触しないように子供の俺達は言われていたのですよ?」

 ただでさえ疑り深く、その上、大国ウェヌスに命を狙われているだろうグレンの父親が、毒見もしないで、他人から貰ったものを口にするか。グレンはこれを疑問に思っている。

「……もしかして、とんでもないことを考えられていますか?」

「もっと、とんでもないことを考えています」

「それは?」

「ローズの父親は病死しました。その翌年に俺の両親は暗殺されました。更にその翌年にゼクソンの先王も若くして病死されたそうです」

「…………」

 グレンの説明に執事は大きく目を見開いたまま、固まってしまった。そうなるだけの衝撃的な内容だった。

「ちょっと、グレン?」

「偶然も重なれば、それは必然。ちょっと意味が違うか」

「全員が暗殺されたと言っているの?」

「どうだろう? 残念ながら、それを確かめる術はない」

 あくまでもグレンの仮説だ。だがこの仮説をグレンは証明しようとしている。

「……でも誰が?」

「俺の話を聞いていたか?」

「……銀鷹傭兵団」

 これまでの話の流れを考えれば、こういう答えになる。

「俺の父親はもちろん、ローズの御父上にも接点はあった。そしてゼクソン王国ともそれなりの繋がりがあるようだ。だから謁見の場になんていられたのだろうな」

 亡くなった全員と銀鷹傭兵団は接点があった。決め手にはならない些細なことだが、それでも状況証拠の一つではある。

「本当にとんでもない話よ。でも、どうして銀鷹傭兵団がそんなことをするのよ?」

「最上の策略は相手に策略に嵌められたと気付かせないこと」

「……分かんない」

「今は話せない。推測ばかりだし、それを話したからと言って何が出来るわけじゃないし、やるべきでない。あえて言えば、銀鷹傭兵団には気を許すな。そういうことだな」

「……そうする」

「念押しするけど、間違っても探るような真似はするなよ。噂が事実だとすれば、とてつもなく大きい、それでいて実態が見えない組織だ。そんな組織に睨まれたらただでは済まない」

「分かった」

 グレンたちの力など無いに等しい。そうだからグレンはゼクソン王国に寄宿するような形で、ウェヌス王国と戦おうとしているのだ。

「絶対だからな。俺はもう大切な人を失うような経験はしたくない」

 さらに念を押すグレン。これを言われては、ローズは決して勝手なことは出来ない。

「……分かってる」

「じゃあ、お茶入れてきて」

「はい?」

「話し過ぎて喉が渇いた。熱いのが良いな」

「……分かった。執事は?」

「では私も熱いお茶を」

「……入れてくれないんだ」

「たまには姫の入れられた茶を所望したいと思いまして」

 さりげなく執事を追い出そうとしたローズの企みは失敗に終わった。

「もう分かった。じゃあ、入れて来るわね」

「お願い」

 不満そうな口調で話していてもローズの足取りは軽い。グレンの為に何かをするのが嬉しいのだ。ローズの出て行った部屋で、グレンと執事は二人きりになった。

「それで何か?」

 グレンが執事に尋ねる。グレンは執事と二人きりになる為にローズにお茶を頼んだ。追い出されたのはローズだった。

「察しがよろしいですね?」

 二人きりで話すのは執事が望んだことだ。

「そんな目で見られたら誰だって分かります。聞きたいことはもっと詳しい話?」

「はい」

「……まあ、良いか。執事さんは信用することにします」

「それは光栄です」

「そうでもありません。執事さんが思っているほど、俺は人を信用しないわけじゃない」

「他には?」

「ローズは言うまでもないですね。元従卒たちの六人もそう。そして執事さんだな。ウェヌスのトルーマン元帥もそうだったけど、今は信用出来ない。あの人は何よりもウェヌス王国大事だから」

「かなり少ないと思いますが?」

 執事にしてみれば今、グレンの話した信用出来る人の数は少ない。

「そうかな? 今、名を挙げた人に裏切られても、俺は笑って諦めることが出来る。それくらい信用しているつもりですけど」

「深さが違うというわけですか。確かにお父上とは違うかもしれませんね」

「そんなに疑り深かった?」

「疑り深いというか、心の奥底で常に人を恨んでいたように感じました。それは悲しいことだと思います」

「そうでしたか……」

 常に暗い表情で、滅多に声を開くこともなかった父親。そんな父親と執事の言葉が重なるのが、グレンには少し辛かった。

「これも勝手な推測ですけど、裏切られることに怯えていたのかもしれません」

「そうかもしれません。でも、それでは何も出来ません。人との関わりを断って、山にでも籠るしかないですね」

「そう考えますか……そうだと私も思います。さて、それでお話は聞かせて頂けるのですか?」

「実は話せることはありません。自分の中でも考えが纏まっていなくて。ただローズについて心配していることは話しておきます」

「姫ですか?」

 ここでローズの話になるとは執事は思っていなかった。かなり不安を感じているようで、やや顔が青ざめている。

「もし、とてつもない野望を持った人間がいて、一国の王に成りたいと思っていたら何を求めると思いますか?」

「……力ですか?」

「言葉足らずでした。力も金も持っていることにします。それで王に成れるでしょうか?」

「……名声、いえ、血筋という答えを求めているのですね?」

 二百年前の内乱の時代であればまだしも、今の時代では王になるには、それを周囲が認める正統性が必要になる。王の正統性となればそれは血統だ。

「そうです。今は力があれば王になれるという時代ではないと思います。国を奪っても正統性を理由に周囲から袋叩きにされるだけでしょう」

「はい。そう思います」

「セントフォーリア家の血筋はもってこいではないですか? 亡国の復興を名目に正統性を主張出来ます。しかも帝国を滅ぼすことには抵抗を覚える国もいるでしょう」

「……姫を妻とすることでそれを得る」

「はい」

「つまり、フローラ様でも……それを実行しようとしたと?」

「それは分かりません。フローラを求めたのか、ある段階でローズに切り替えたのか。その逆かもしれません。どちらでも良いと考えていたのかもしれません。その辺はまだ論理的に説明出来ません。だから空想です」

「そうなるとグレン殿も」

 万が一、この空想が事実であれば二人と関係が深いグレンが放っておかれるはずがない。

「邪魔者として消そうとするか、逆に取り込んでしまおうとするか。どちらでしょう?」

「……恐ろしいことを考えるものです」

「事実であれば」

「いえ、貴方です」

「俺?」

「よくもまあ、このようなことに思いが至るものです。人が見えないものが見える貴方は何者なのですか?」

「……見ようとしないから見えないのだと思います。俺は疑り深くて臆病なので、ちょっとしたことでも気になってしまいます。そのちょっとしたことを積み上げているだけです」

 ちょっとした矛盾、不自然な偶然、そんな色々なことをグレンは記憶にとどめて、それを繋ぎ合わせている。今こうして執事と話している時もそうだ。執事の言葉に矛盾を感じていれば、グレンはこのことは話さなかっただろう。

「そうだとしても。いえ、この話は結構です。それよりも、もし万が一それが事実だとしたら……」

「全力で守ります」

「……王に成れる力がある相手でもですか?」

「忘れたのですか? 俺は大国ウェヌスを相手に戦おうとしているのですよ?」

「そうでした。しかし……姫の為にもそれが出来るのですね?」

「当然です」

 グレンがウェヌス王国と戦うのはフローラの敵討ちのためだ。だが今グレンは。ローズを守るためにも、誰が相手であっても戦うと執事に告げた。

「……分かりました。では聞きたいことは聞けたようですので、私はこれで失礼します」

「えっ? 良いのですか?」

 部屋を出ていくという執事にグレンは驚いている。

「……何を良いと聞いているのか分かりませんが、一つだけこちらからもお話を」

「はい」

「私もグレン殿を信用することに致します。貴方は人をたやすく信じない、平気で人を利用できる人だ。姫も利用されているのではないかと疑っておりました。でも、どうやらそれは私の勘違いでした」

「もちろんです」

「ですから、私は失礼します」

「はい!」

 久しぶりにローズと二人きりになれると思って、グレンはつい声が大きくなってしまう。これが失敗だった。

「……もう一つ」

「あっ、はい」

「先ほどのお話ですが、分かっておられますか?」

「何でしょう?」

「エイトフォリウム帝国の次代皇帝に最も近い位置にいるのは、貴方自身だということを」

「……はっ?」

「姫とこのままの関係を続けるのであればそうなります。国があるかどうかは別にして、それでも遺臣たちにとって貴方は皇帝になります」

「…………」

「これをお忘れなく。では、ごゆっくり」

 最後に大きな釘をグレンに突き刺して、執事は部屋を出て行った。執事は、グレンは実態があろうがなかろうが、皇帝なんて称号を嫌がることを知っているのだ。
 思わぬ攻撃にさらされて、茫然としているグレン。
 そこに何も知らないローズが戻ってきた。

「あれ? 執事は?」

「……失礼するって」

「本当!?」

 二人きりだと知って、ローズの表情が一気に明るくなる。

「ああ」

「お茶飲む? それとも、私? なんてね」

「…………」

 グレンのほうはまだ執事が残した言葉のダメージを引きずっていた。

「……ちょっと乗ってよ。私が馬鹿みたいでしょ?」

「悪い。ちょっと執事さんに思わぬところを突かれて」

「へえ、珍しい。……でも、久しぶりの二人きりね」

 執事がグレンに何をしたかなど、今のローズにはどうでも良かった。久しぶりの二人の時間を楽しむのが最優先だ。

「ああ」

「ちょっと? 嬉しくないの?」

 ローズ自身が凄く喜んでいる分、グレンの反応には不満を覚えてしまう。

「いや、ちょっと時間をくれ。動揺を収める時間が」

「何それ?」

「いや、行動するべきか、ここは我慢か」

「えっ? 何を言っているの? 久しぶりに二人きりで部屋にいるのよ?」

「それは分かっている。分かっているけど、しかし」

「……そんな我慢しても無駄」

 我慢なんて選択肢はローズの中には存在しない。行動あるのみだ。グレンに体を寄せて、耳元でささやく。

「抵抗は無駄よ……君は私の体に夢中なんだから」

「あっ……獣が」

 ローズの台詞でグレンの中の獣が目を覚ます。

「さあ、グレン、私を愛して」

「……愛します!」

 そして、グレンは自分の中に住む獣の本能に負けた。二人にとっての久しぶりの逢瀬は夜が更けるまで続いて行った。

 

◆◆◆

 翌日。久しぶりに獣の本能を十分に発散させたグレンは朝からご機嫌だった。もっともご機嫌な理由はそれだけではない。
 昼食を終えて、午後の調練開始の時間。グレンは休みの班を除く兵団の兵士全員を集めて話しを始めた。

「調練の内容を変える。今日からは午後は兵種訓練となる」

「「「おおっ!」」」

 ずっと体力作りや素振りなどの基礎訓練ばかりをやってきた兵にとっては、嬉しい報告だ。

「騎馬、弓、槍、そして従来通りの剣の訓練を二班ずつに分かれて行う。残りの一班は歩兵としての集団行動訓練だ」

「「「おお!」」」

「まずは馬に乗れる人、手を挙げろ。熟練している必要はない。とりあえず乗れるで十分だ」

 それに応えて手を挙げたのは、二十人に満たなかった。

「じゃあ、前に出て。次、弓を扱える人? これも練度は問わない。使い方を知っている程度で良い」

 これには二百近くが手をあげた。元ウェヌス国軍兵士たちだ。

「弓多いな。じゃあ、手を挙げた人、前に」

 ぞろぞろと二百人が前に出てきた。

「馬、九人ずつ並んで。その後ろに弓が使える人、並んで」

「団長?」

 グレンの指示に疑問の声を上げてきたのはジャスティンだった。

「何だ?」

「あのどういう意味ですか?」

「何が? 質問はもっと具体的に」

「整列の意味を教えて頂けますか?」

「班分け。それぞれの班に馬に乗れる人と、弓を使える人を振り分ける」

「……纏めるのではないのですか?」

「それじゃあ教えられないだろ?」

「……以前、王都で団長は兵種調練はもっと特化してやらせるべきだと言っていませんでしたか?」

「減点一。王都ではなく、ウェヌス王都な。ここでは王都はゼクソン王国の王都だ」

「……申し訳ありません。しかし、質問については?」

「それは時間がある時にやることだ。次回の戦争は精鋭を育成するまで待ってくれない」

「精鋭を育成するのでなければ、何の為に」

「そうか。それの説明が必要だな。この兵団はあくまでも歩兵だ。敵との正面きっての戦いは歩兵として戦うことになる。これは良いな?」

「はい」

「騎馬、弓はちょっとしたおまけだ」

「おまけ?」

「騎馬は移動速度をあげる為。弓はそれを活かした奇襲の為だ」

「……槍は?」

「槍は対騎馬部隊対策。これはおまけではない。本格的に身に付けてもらう。別に槍の達人に成れと言うことじゃない。集団での槍の使い方を身に付けるだけだ」

「……そういうことですか」

 グレンはウェヌス王国との戦いに特化した調練を行おうとしている。それがジャスティンには分かった。

「何年も続ければもっと進化させられるけど、それは無理だ。だから、馬、弓の目標は低く設定する。騎馬は全力で駆けさせられるようになるまで。弓は大体の場所に集めることが出来るようになるのが目標だ」

「そういった戦い方を考えておられるわけですか」

「無駄なことをする時間はない。具体的な活用法を考えた上での調練だ」

「分かりました」

「ああ、六人は馬を教えることに専念してくれ」

「自分の鍛錬は?」

「空いている時間にやれ」

「……そうだと思いました」

「よし、じゃあ残りの者も並べ。班分けが完了したら、すぐに始めるからな」

「「「はっ!」」」

 この日から又、兵士たちはこれまでとは違う過酷な調練に挑むことになる。銀狼兵団は着実にグレンの思う姿へと形を変えていく。