グレンが訪れたのはゼクソン国内にある採掘場の一つ。
グレンも捕虜になった後、働いていた場所だ。監督官の指示により集まった捕虜たち、そしてウェヌス軍とは関係のない犯罪者たちを前にしてグレンはゆっくりと話を始めた。
「ゼクソンの客将として働くことになった」
このグレンの言葉に捕虜たちの間からうめき声があがった。捕虜たちの多くは、グレンもまた、ウェヌス王国の人間であったことを当然知っているのだ。
うめき声のほとんどは裏切りを知っての非難を込めたもの。だが、その中にはわずかなりとも事情を知っている者たちの悲しみの色も含まれていた。
「客将として軍を率い勇者を討つ」
捕虜たちのざわめき声が益々高まっていく。
「今日ここに来たのは、俺の軍に参加してくれる者たちを募る為だ。希望者はいるか?」
誰も答えるはずがない。グレンの下で戦うということは自分もまた、ウェヌス王国を裏切るということだ。ウェヌス王国に関わりのない犯罪者にとっても、勇者相手に戦うことへの恐怖心が答えを出すことを躊躇わせていた。
「条件を言う。兵となった者には、ただちに自由が与えられる。捕虜であった者にはゼクソン国民と同等の権利が与えられる。罪を犯して、この場所にいる者は罪が無かったものになる。当然、兵としての手当も支払われる」
又、ざわめきが広がっていく。今度のざわめきは主に犯罪者たちからだ。思っていた以上の厚遇に気持ちがかなり揺れている。
「兵役は俺の復讐が終わるまで。もしくはゼクソン王国がウェヌス王国と戦う意志を失くすまでだ。それまで生きていられれば後は自由。ゼクソン王国の国民として残るも良し、ウェヌス王国に戻ることも自由だ」
「……それは守られるのですか?」
ようやく口を開く者が現れた。ジャスティンだ。
「ゼクソン国王が約束している。そもそもゼクソン王国がウェヌス王国と戦う意志を失くすということは、何らかの講和か結ばれるか、臣従という形になるかのいずれかだ。ゼクソンから捕虜の返還を申し入れることになると思う」
「それであれば、自分たちはその日を待っていれば良いのではないですか?」
「そうかもしれない。だが、その日が来るのはいつのことか」
「どういう意味ですか?」
「ウェヌス王国からは未だに捕虜についての交渉の申し入れがないそうだ」
「……それは、おかしなことなのでしょうか?」
捕虜の返還交渉がどういう形で行われるのかジャスティンは知らない。グレンの言葉をどう受け取って良いのか分からなかった。
「分からん。だが、捕虜がいると分かっていて、放置しているのは事実だな」
「いずれ奪い返すというつもりなのではないのですか?」
「その前に死んでしまうかもしれないのに?」
「…………」
捕虜になったばかりの頃の、辛く厳しい労働を思い出して、ジャスティンは黙ってしまう。当時はいつか必ず死ぬと思いながら日々を過ごしていたのだ。
「脅すようで気が引けるから初めに話をしなかった。騎士であればともかくとして、兵士を取り戻す為にウェヌス王国は必死になるだろうか? ウェヌス王国とはそんなに兵士に優しい国だったか?」
「それは……」
そうでないことはウェヌス王国軍にいた者であれば、ほとんどが知っている。
「騎士であるお前に聞いても仕方がないな。前回の戦い以前から、ここにいる者は?」
グレンの問い掛けに数人の男が手を挙げてきた。そのうちの一人にグレンは視線を向けて、口を開く。
「何年?」
グレンが問うまでもなく痩せこけた男の体が、捕虜生活の長い年月を示していた。
「もう十年以上になる」
「そうですか。よく生きていましたね?」
「運が良かっただけだ。それと……あんたのお蔭だ」
「俺?」
「もう駄目だと思っていた。もう限界だと思っていた。だが、あんたが来て、この場所は変わった。俺が今も生きているのは、あんたのお蔭だ」
「……そんなことはありません」
「本当はあんたの力になりたい。だが、今の俺には剣を持つ力もないのだ……すまない」
「いえ。その気持ちだけで十分です」
「すまない……」
力無く俯く男。辺りを重苦しい沈黙が包んでいく。それぞれが思いを巡らす中で、その沈黙を破ったのは、手を挙げた別の男だった。
「……俺はまだ戦える。だから、俺はあんたに付いて行く」
「誘っておいてあれですが、本当に良いのですか? 敵はウェヌス王国です」
「自分を見捨てた国に忠誠なんてない。それに俺が仕えるのはゼクソンじゃなく、俺の命の恩人であるあんたにだ」
「そうですか……ありがとうございます」
助けてくれた恩を返すため。裏切りの後ろめたさを薄めるための口実であることは明らかだ。だが今はこの口実が必要だった。
「俺もまだ戦える。だから俺も連れて行ってくれ」
そして又、別の男が声を上げる。それに釣られて、また別の男も。そしてグレンの前に八人の捕虜が集まった。
「……勇者に勝てるのか?」
続けて問いを投げかけてきたのは、捕虜ではなかった。
「勝つ為の算段をします。そうとしか言えません」
「お前は強いのか?」
「どうでしょう? ただ持っている力を全て使って戦うだけです」
「全てですか?」
ここでセインが話に割り込んできた。
「……そうだが?」
「ちなみに、ゼクソンが戦意を喪失した場合。教官はどうされるのですか?」
「……ゼクソンの力を借りずに復讐する方法を考える」
「つまり、戦い続けると」
「それが復讐というものでは?」
「確かに……では、自分も教官に付いて行きます」
「はっ?」
「自分も教官と共に戦います」
「おい、それは抜け駆けだ。教官、自分もご一緒します」
セインの言葉に更にカイルまでが同調してきた。そうなると後の者もそれに続くことになる。グレンの従卒だった六人全員が前に出てきた。
「……お前ら見習いとはいえ騎士だろ?」
「ウェヌス王国では。その国に見捨てられては、もう騎士などとは名乗れません」
「実家はどうするつもりだ?」
「それは……忘れます」
少し躊躇いを見せたが、それでもセインは家族を捨てると言った。
「本気か?」
「ちゃんと考えた結果です。しっかりした理由もあります」
「……ちなみに理由とは?」
「一つは自分達もフローラの仇討をしたいということ。勇者が仇であるのなら、それを討ちたいと思う気持ちは教官と同じです」
「……後は?」
「教官に命を救われました。捕虜とはいえ、自分たちの命があるのは教官のおかげです。教官がいなければ自分たちは、戦いの中で死んでいたでしょう」
従者たちにとってもグレンは命の恩人なのだ。従者たちではない。前回の戦いで捕虜になった全員にとって、グレンは命の恩人といえる存在だった。
「たまたまだ」
「あれをたまたまと言うのですか? 少なくとも自分はそう思えません。そして何より、あの教官とは戦いたくありません。仮にウェヌス王国に戻ることが出来ても、教官を敵として戦うことになっては、せっかく助かった命を自ら捨てる様なものです」
「戦うと決まったわけでは」
「そして、自分だけかもしれませんが、一番の理由があります」
セインにはグレンに付いていきたい特別な理由があるのだ。
「まだあるのか?」
「以前、トルーマン元帥閣下は教官をこう評しました。ウェヌス王国の枠組みの中にいる間はまだ良い。だが、それを外れた教官は何を為してしまうのか分からないと。軍に留められなくても決して教官を敵に回してはいけないと」
「…………」
トルーマン元帥がこんなことを話していたとグレンは初めて知った。勇者親衛隊の騎士と揉め事を起こして、グレンが独房に入れられていた時の話だ。
「ある意味、元帥閣下の言葉に従っているわけです。全く問題ありません」
「こじつけだろ?」
「そうですが自分にも野心があります。英雄になりたいという野心です。それへの近道は英雄である教官の背中を追い続けることだと自分は思っています。これが自分にとって教官に従う最大の理由です」
「……もしかして、最初から決めていたのか?」
「はい。ただ教官がゼクソン王国という枠組みに収まるつもりであれば、従うつもりはありませんでした」
「なるほど。だが前提が間違っている。俺は英雄などではない」
セインの気持ちは嬉しいが、英雄と呼ばれることに抵抗がある。否定の言葉を口にしたグレンだったが。
「もう諦めてはいかがですか?」
「諦める?」
「少なくとも教官には全てを捨てても付いて行きたいと思わせる何かがあります。それを認めないことは、自分のこの想いを否定するものです」
セインにたしなめられることになった。
「……英雄ではなく、梟雄かもしれない」
「それでもただの人でないことに違いはありません」
「そうなるか」
「なります」
「……分かった。では俺に付いて来い」
「「「はっ!」」」
元従卒たちがグレンへの同行を選択したことが流れを一気に決めた。見習いとはいえ騎士である元従卒たちがグレンに付く道を選んだことで、ウェヌス王国への裏切りという気持ちは薄れ、この場に残ることへの不安、グレンと戦うことへの恐れが兵たちの気持ちの中で上回ることになった。
元第二軍の兵を中心とした三百がグレンに従うことを選んだのだ。それだけではない。犯罪者としてここに送られた者たちも百名程がグレンに従うことを選んだ。ここで死を待つよりは、母国を裏切ってでも戦いたくないと皆が言うグレンに賭ける。こういう気持ちだ。
募兵は上手く行ったとはいえ、まだ四百だ。すぐさま次の採掘場にグレンは向かうことにした。その隣では、監視役として付いて来たシュナイダー将軍が複雑な顔をして馬を進めていた。
全くそれを気にすることなく歩いていたグレンは、しばらく進んだところで、シュナイダーではなく、すぐ後ろを歩いていたシャスティンたちに話しかけた。
「別に付いて来なくて平気だぞ?」
「何を今更。自分たちはもう決めたのです」
「……もしかして本気だったのか?」
ジャスティンの返事を聞いて、グレンは驚いた表情を見せている。
「はい?」
「いや、兵を乗せる為に話を合わせたのだと思っていた」
「……あの?」
「気付いてなかったのか。大きな声では言えないけど、十年って嘘だからな」
声をひそめて、グレンは説明を始めた。
「……あの捕虜の話ですか?」
「そう。採掘場って、そんなに長生き出来る程、良い環境じゃなかったみたいだ。俺達が辛くはあったが、耐えられたのは作業者が一気に増えたからだな」
グレンたちも辛い思いをしたつもりだったが、本来の採掘場の厳しさは、それ以上だった。遥かに人数が少なかったせいで、それこそ全く休む間もなく、過酷な労働を強いられていたのだ。
「つまり……」
「あれは作り話。捕虜に先々の不安を感じさせる為と、俺に恩を感じさせる為の」
「……騙したのですか?」
「まあ。でもいつか体を壊すかもしれないのは嘘じゃない。問題は、それと戦争で死ぬのと、どちらが早いかってことだな」
「教官……」
感動さえ覚えていた採掘場でのやり取りは作り話だった。ジャスティンはすっかり呆れ顔だ。
「英雄よりは梟雄のほうだろ? だから無理して付いて来る必要はないから」
「……何故、それを話すのですか?」
「兵士が敵国に付こうが、大した問題にはならないと思う。せいぜい一定期間の収監と軍籍剥奪だろうな。だが騎士は違う。騎士に求められるのは何よりも忠誠心だからな。だから、お前たちは止めておいた方が良い。そういうことだ」
一般兵であれば、無理やり戦わされたとでも言っておけば、さすがに無罪とはならないが、命まで奪われることはない。グレンはこう考えていた。一応はゼクソン王国ではどうかと確認した上でのことだ。
「……それを捨てて教官に付いていこうと思っているのですけど」
セインはグレンの話を聞いても、気持ちが変わらない様子だ。
「でもな。俺が思うにゼクソンがウェヌスと戦えるのはせいぜい一回だと思う。決着は長くて二年以内だな」
「そんな短い間なのですか? それで目的を達成できない場合は?」
「当然、ゼクソンを出て戦うことになる。さすがにそれには付いて来られないだろ? 国の後ろ盾のない、ただの反乱勢力ってやつだからな」
「それでも教官は戦うのですね?」
「当然。きっちりと落とし前は付けないとな」
「……では、それにも付いて行きます」
こんな話を聞いてもセインの心は揺るがなかった。
「何故?」
「言いましたよね? 自分は教官の背中を追いたいのです。恐らく時代に名を残すだろう教官と共に歩きたいのです。そう決めたのです」
セインが求めるのは名声だ。それがどれだけ困難なことであっても、諦めないと決めている。もちろんグレンという存在があって、その将来がセインの中で描けているからこその決断だ。
「……そうか。物好きだな。そう思わない?」
「はっ?」
いきなり話しを振られたシュナイダーは何を答えれば良いのか、とっさには反応出来なかった。
「騎士ってそういう気持ちもあるのですか? 時代に名を残したっていうの?」
「まあ。今の時代はともかく昔はそういうこともあったのではないかと。国に背いて、義理の為に戦った騎士の話なども聞いたことがあります」
「……なるほど。それもまた、騎士か」
「そういうこともあるだろうと」
「じゃあ、良いか。好きにしろ。いてもらえると助かるからな」
「「「はっ」」」
これで従者たちが付いて来ることは確定。グレンも去られるよりは付いてきてもらった方が嬉しいし、助かる。グレンのほうからしつこく断る必要はない。
「しかし、グレン殿。次はどうするのだ? 又、同じように仕込みを入れるのか?」
シュナイダーが次の場所での方策を尋ねてきた。
「次はいらないと思いますけど」
「そうなのか?」
「この後に行く採掘場は、待遇はかなり酷いのですよね?」
「……まあ」
シュナイダーの声が小さくなる。捕虜に対する厳しすぎる待遇は、シュナイダーの恥じるところだった。
「では、すでに命の危険を感じている者もいるはずです。そこから抜け出せるのだから、割と簡単に付いて来ると思いますね」
「国を裏切る罪悪感はどうするのだ?」
「もう三百が裏切っています。この人数を見て、まだそんなことを気にしますかね?」
「……そういうことか」
捕虜を躊躇させるのはウェヌス王国を裏切るという点だけ。そのハードルが低くなればまず募兵に応じることになる。死ぬよりはマシなのだ。
「一番勧誘が難しそうな場所を最初に選びました。一番楽をしているはずの場所と言っても良いかな。それが祖国と戦うことを選んだのですから。後の方の勧誘は容易だと思う」
「……梟雄とはよく言ったものだ」
「役立たずよりはマシでは? 少なくとも、ゼクソンを勝たせる為に俺は働くわけですから」
「たった一回だ」
グレンの話をシュナイダーは聞いていた。
「それ以上にゼクソンが戦えるなら、数増やしても構いませんけど?」
グレンが一度で終わらせたいわけではない。ゼクソン王国がそれ以上は無理だとグレンは考えているのだ。
「戦えないと言うのか?」
「無理ではないですか? 同じ千の犠牲を出したとしても、ウェヌスとゼクソンではその重みが違います。千が五百で済んでもそう。元の国力が違い過ぎます」
消耗戦になればゼクソン王国は間違いなく負ける。これはシュナイダーも否定出来ない。
「……では、どうすると言うのだ?」
「その、たった一度で勇者を討ち、ウェヌスにゼクソンとは戦いたくないと思わせる」
「どうやって?」
「それはこれからですよ。どんなに短くても半年以上ある。それまでには何か思いつくと思いますね」
「それで思いつかなかったらどうするつもりだ?」
グレンを責めるような言い方をするシュナイダーだが、これはお門違いというものだ。
「ゼクソンは本当に戦う気があるのですか?」
「何?」
「前回の戦いを終えてから何も考えていないのですか?」
「それは……」
全くとは言わない。だが具体的に何をと問われれば、答えられない程度の検討だ。
「だとすれば、その一戦でさえ難しそうです。……自軍だけで勝つ方法ですか。これは中々大変そうな課題です」
「そのようなことが出来ると思うのか?」
「やるのです。その為に俺は少々詐欺まがいのことをしても仲間を集ったのですよ?」
「そうか……」
結局、グレンは他の採掘場でも兵を募ることに成功した。その数、千百。数としてはゼクソンの兵団の定員を超える兵を揃えて見せた。
◆◆◆
ゼクソン城内の会議室では、各将が集まって軍議を行っていた。軍議といっても最初に話題に上がったのは、グレン率いる銀狼兵団の状況の確認だ。
「あの男は連れてこなかったのか?」
この会議にグレンは参加していない。
「はい。今は手が離せないと申しておりました」
「そうか……何をしているのだ?」
「駐屯地に入ってからは、兵に三日の休養を与えました」
「何だと? それのどこが忙しいのだ?」
ゼクソン国王の表情に怒りの色が浮かぶ。相変わらず、短気で怒りっぽい。
「本人は実際に忙しく働いております。まずは三日の休養の間に全兵士の情報を集めて、いくつかの部隊に分けました。それからは部隊毎の調練内容の策定。必要な備品の洗い出し。駐屯地内での仕事の分担などを纏めておりました」
「一人でやっているのか?」
「いえ。若い騎士見習いに手伝いをさせております。見習いにしては、中々に仕事が出来るように見えました」
見習い騎士の身でありながら、あくまでも検証とはいえ、行軍計画の策定をさせられていたという事実をシュナイダーは知らない。
「そうか。それで?」
「四日目からは調練に入っております」
「どのような調練を行っているのだ?」
「ただ走っております」
「走っているだけなのか?」
「はい。それも、それ程きついものには見えませんでした」
「……ウェヌス軍の調練とはその様なものなのか?」
ただ走るだけで軍が強くなるとはゼクソン国王には思えない。シュナイダーの説明に不満そうな顔を見せている。
「まさか。もっと厳しいものであるはずです」
「では、何故?」
「休養ではないでしょうか?」
「何だと?」
「採掘場での労働はそれだけきついものだということです。徐々に体を慣らすようにしているのだと思います」
まずは衰えた体力の回復。これはシュナイダーにも理解出来る。
「ふむ。思ったよりも慎重なのだな。そうなるとモノになるのはずっと先になるな」
「そう思います」
「……間に合わないか」
ウェヌス王国がいつ攻めてくるか分からない。それはそれほど遠い未来ではないはずだ。
「陛下、あの様な者に期待するのが無理なのでございます。いない者として、ウェヌスとの戦いを考えるべきだと自分は思います」
割り込んできたのは、猛牛兵団のグスタフ・ゲイラー将軍だった。その言葉に周りの何人かも深く頷いている。
「……ふむ」
「いかがいたしますか?」
「シュナイダーもそう思うのか?」
問い掛けてきたシュナイダーも、グレンの兵団は無用だと思っているのだとゼクソン国王は受け取った。ただこれは早とちりだ。
「いえ。私の場合は別の事情があります」
「何だ?」
「グレン殿から物資の調達を依頼されております。それに応えてよろしいでしょうか? 切り捨てるのであれば、無駄な出費となってしまいます」
「……要求は?」
「馬を二百頭」
「馬? それも二百頭だと? ウェヌスの兵士は馬を扱えるのか?」
「それはないと思うのですが」
馬に乗って戦うのは騎士のみ。これはゼクソン王国でも常識だ。
「では何故、必要なのだ?」
「続きをお聞きになれば分かります」
「では続きを言え」
「はっ。弓を二百。矢もそれに合わせた相当数をとの要求です。槍を二百、大盾も二百。丸太、俵など四百。材料となる木や藁でも良いと」
「……分からん。どういうことだ?」
続きを聞けば分かるとシュナイダーは言ったが、ゼクソン国王は分からなかった。
「自軍内に歩兵だけでなく騎馬、弓兵、槍兵を持とうということではないかと考えます」
「……つまり?」
「他軍と連携して戦うつもりはない」
「「「なんだと!?」」」
「ふざけるな!」「自分を何様だと思っているのだ!」「陛下! あのような者は!」
それに色めきたったのは他の将軍たちだ。自分たちを無視するようなグレンに怒りを感じて口々に文句を言い始めた。
「落ち着け! 静かにしろ!」
ゼクソン国王の怒声に口を閉じた将軍たちではあるが、怒りが治まったわけではない。顔を真っ赤にして、まだ何か言いたそうにしている。
「本当にそうなのか?」
「恐らくは。兵を集めに行った時にそのようなことを口にしておりました」
「なんと……」
「ただ少し擁護させて頂ければ、理由は我が国にもあります」
「……その理由とは?」
「この先の戦い方をまだ考えていないのかと言われました。そうであれば、自軍だけで勝つ方法を考えなければいけないと」
「そうか……」
どちらの為の戦いなのか。グレンの話を聞いているとゼクソン国王は分からなくなる。グレンの真剣さに、自分も含めて自国の者たちは遠く及ばないと思えてしまう。
「陛下! そうかではございません! 今から、正にそれを考えようというところではありませんか。それも知らずに勝手な事をあの男は言っているのです!」
「あの男は、それを遅いと思っているのではないのか? 前の戦いが勝ちに終わった後、すぐに考えるべきだったと」
「それは……そうかもしれませんが」
これについては、さすが否定は出来ない。
「あの男は? 何かを考えているのか?」
「それは分かりません。考えている風ではありますが、恐らくはそれを話すことはないでしょう」
「何故だ?」
「信用されておりません」
「……情報が漏れると考えているのか?」
「そういうことだと思います」
シュナイダーの言葉に、又、将軍たちから不満そうなうめき声が漏れる。
「分からんな。そのような行動を取れば周りの反感を買うことくらい、あの男であれば分かりそうなものだが」
ゼクソン王国の将軍たちのグレンに対する感情はどんどん悪化している。これは共に戦う上で良いことでは決してない。
「それによって被る不利益より守るべきものがあるということではないかと」
「それは見当がつかないのか?」
「はい。ただウェヌスとの戦いは一度だけとも申しておりました。その一回で、勇者を討ち、ウェヌスに二度とゼクソンとは戦いたくないと思わせなければならない。その策を考える必要があると」
「一度……」
またシュナイダーの口を通じてグレンから、ゼクソン国王が思ってもいなかった言葉が語られた。
「ゼクソンには何度もウェヌスと戦う力はないと」
「もう我慢ならん! あやつは今すぐに切り捨てるべきだ!」
「しかし!」
「何だ!?」
「それは間違いではありません」
「何だと?」
「これもグレン殿が言っていた言葉です。もし、自分がウェヌスの軍を率いる立場であれば、今すぐに我が国に攻め込むそうです。それも前回の様に二万なんて軍勢は送らない。辺境軍の数千の兵で国境を越えると」
「数千の軍勢など、すぐに蹴散らしてくれる」
「はい。しかし、それを何度も繰り返されたらどうなりますか?」
「その度に跳ね返してくれる」
「それでも続けられたら?」
「……どういう意味だ?」
「ウェヌスが数千の軍で百回、国境を越えて攻め込んできたら、我が軍は、いえ、我が国の国庫はどうなりますか?」
「国庫だと……」
「軍を動かすには金が必要になります。兵の消耗戦さえする必要はない。ゼクソン軍を何度も動かして国庫を空にすれば、それでウェヌスは勝てるとグレン殿は申しておりました。百回は大げさに言いました。それが十回であっても」
「では奥深くに引き込んでから」
「ウェヌス軍が奥深くまで来なければ? ただ西方の領土を奪われるだけです」
「……卑怯な」
「そうかもしれません。しかし、負けてからそう言っても何の解決にもなりません」
「……ウェヌスがそれをしないのは何故だ?」
「大国の矜持ではないかと。それと凝り固まった役割分担とも申しておりました。他国への侵攻は国軍中央が担う、そんなくだらない拘りがあるから、つまらない負けを経験するのだと」
「……だが、そのおかげで助かっているのだな」
「そうなります」
「しかし、いつそれをウェヌスが改めるか。勇者であれば、そのような拘りはないのではないか?」
「はい。ウェヌスがその手段を選ぶ可能性はあります。しかし、その数千の侵攻を一兵団ではじき返す事が出来るとしたらどうでしょう?」
「それをやろうと言うのか?」
「分かりません。ただグレン殿が、自分が考え付いた事に、何の策も講じないとは私には思えません」
「その為の馬や弓か」
「いえ、それはおまけであくまでも勇者を討つ為でしょう。大将軍となった勇者は本陣にいるはずです。それを討つには歩兵だけでは届きません」
「……なるほど。良いだろう、物資の支給を許す」
「はい。ただ要求は他にもありまして……」
「何だ?」
「それが……」
「はっきりしろ!」
「犯罪者であった者の家族を呼び寄せて欲しいと。もちろん希望者だけで構わないそうです」
「駐屯地とはそういうものではない」
「兵たちにとっては暮らしの場です。そこに家族がいないのはおかしいと」
「ふむ」
「それと」
「まだあるのか?」
「家族を呼ぶからには様々な店が必要だと。小さな商家で良いので誘致して欲しいと」
「それは?」
「兵たちとその家族にとって普通の街にしたいという事です」
「特例を認めろと?」
「確かに特例ですが、銀狼兵団の兵士は他の兵団とは違い駐屯地の外に出る事は許されません。休暇があっても、家族に会う事は出来ないのですから、特別扱いとまでは言えないと思います」
「……まあ、良いだろう」
「では許可を出します。店の方もよろしいですか?」
「……良い」
「では、適当に」
「……何かあるのか?」
「様々な店と言われましたので」
「どういう事だ?」
「その……兵にとっての娯楽と申しますか、何と申しますか」
「はっきりと言え!」
「はっ! つまり女性のいる店を用意しろと」
「…………」
「説明が必要でしょうか?」
「……いらん。この話はもう良い。次の議題に移れ」
「はい……」
なんとなく気まずい雰囲気の中、議題は次に移って行った。もっとも気まずい雰囲気はそのままで、ゼクソン国王はずっと不機嫌なままだ。
そんな中では活発な意見など出るはずもなく、その日の軍議はたいして実になる議論もなく終わる事となった。