月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

勇者の影で生まれた英雄 #59 代役

異世界ファンタジー小説 勇者の影で生まれた英雄

 ここ最近ずっと健太郎のイライラは止まらない。自慢気に異世界の知識をひけらかしてみても、そのほとんどを金が掛かるという理由で否定されてしまう。大将軍という地位に就き、軍の頂点に立ったと聞かされているのに、結局は自分の思ったようには物事が進まないという状況がどうにも我慢ならなかった。
 こういう時の健太郎の相談相手、愚痴を言う相手は結衣だ。最近は決して良い関係とは言えない二人だが、元の世界に関わることでは他に共感出来る相手はいないのだ。

「……この世界って何なのだろう?」

「何が?」

「元の世界のほうが優れているのに、全然それを認めようとしない」

「……認めないじゃなくて出来ないのよ。ちゃんと考えてみなさいよ。この世界は中世のヨーロッパって感じよね?」

「まあ」

 実際の中世ヨーロッパがどの様だったか実は分かっていないのだが、頭の中の勝手なイメージと比べると、健太郎もそう思える。

「その時代に大砲や爆弾があった?」

「……あったと思うけど?」

 中世がどこからどこまでの時代を指しているのか分からないが、そうだと思われる時代の戦争に大砲が出てきた記憶が健太郎にはある。漫画か小説の記憶であろうが。

「あれ?」

「あったよ。間違いない」

「じゃあ、もう少し前。日本の戦国時代……もあったわね。じゃあ、室町時代」

「火薬は知らないけど鉄砲はないな」

「その時代だと思えば良いのよ」

 中世ヨーロッパだったはずが、日本の室町時代になってしまった。どうでも良いことだ。

「そういう遅れた時代だからこそ異世界の知識を取り込んで、技術を発展させていけば良いじゃないか」

 その技術、文明が発展しすぎて今のこの世界がある、というのは健太郎たちには分かるはずもない。

「そうだけど火薬の作り方なんて知らないでしょ?」

「まあ」

「もっと昔の技術を伝えれば良いのよ。それなら、この世界でも実現出来るはずよ」

 この世界で実現出来る、それでいて今はない技術。そういったものは当然あるはずだ。

「何だろう? ……投石器」

「何それ?」

「大きな石を投げる装置」

「……また、そういう」

 これは結衣の間違い。投石器はこの世界にもある。つまり健太郎の勘違いでもある。

「でもかなり昔からあったと思うけど。材料は木だな。バネの部分は何だろう? 竹とかかな? 梃子だったかな?」

「木製なら出来そうね。何に使うの?」

「戦争」

「それくらい分かるわよ。戦いでどう使うのと聞いているの」

「城攻めかな? 小さな石を多く飛ばせば野戦でも使えそうだ」

「……よく分からない。でも、出来そうなら作れば」

「作れないよ」

「作ってもらえばと言っているの。そういう役割の人いるわよね?」

「そう言えば工兵隊とかないな」

 今度は工兵隊だ。健太郎は思いついたことを話しているだけなので、こんなことになってしまう。そもそも自分の頭の中だけで考えないで、この世界でそういった知識を持った人と相談すれば良いのだが、それも思いつかない。

「何それ?」

「穴を掘ったり」

「穴を掘る人なんて必要なの?」

「塹壕。防御陣地だよ。戦いのこと知らないなら口出すなよ」

「アドバイスしているのよ。防御陣地くらい分かるわよ。二百三高地でしょ?」

 どうしていきなり二百三高地が出てくるのか分からないが、陣地であることは間違いではない。

「……そうか、ああいうのを……コンクリートなんてないよな?」

「でも建物も城壁も石で出来ているわよ」

「……そうか同じだな。防御陣地も出来るな」

「ほら。そういうことなのよ。現代の知識は駄目でも、昔の知識は活かせるのよ。そういう物を考えて行けば良いじゃない」

「そうだね。そうなると忍者だな」

「……どうしてそうなる?」

 武器の話からいきなり忍者が出てきた。こういう健太郎の感覚は結衣には、いつまで経っても理解出来ない。

「情報は大切だろ? 敵を知り己を知れば百戦危うからずってね」

「何それ?」

「孫子」

「……中国の人ね」

 正解。ただこれは全く自慢にはならない。
 
「孫子知らないの? 孫子の兵法書って有名だけど? 風林火山は?」

「馬鹿にしないで。武田信玄でしょ?」

「そう。それだって孫子だ。武田信玄は孫子の兵法を学んだから強かったんだ」

 孫子の兵法を学んだのは武田信玄だけではないと思うが、完全に間違いとまではいえないのだろう。どうでも良い話だ。

「じゃあ、その通りに戦いなさいよ」

「……細かい中身までは知らない」

 孫子の名は知っていても、兵法書の中身を読んだわけではない。例え読んだことがあったとしても、それだけで戦争に強くなれるわけではない。

「どうしてそうかな?」

「高校生で孫子を熟知している奴がいたら会ってみたいよ。そんな奴いるはずがない」

「そうよね。所詮は高校生だものね」

 これが結論になる。異世界の知識を知っていると偉ぶってみても、実用的な知識はほとんどない。あったとしても、どれがそうなのか分かっていない。

「……もっと勉強しておけば良かったな」

「数学は役に立ちそうよ」

「掛け算割り算くらいだろ? 他の公式なんて何の役にも立たない」

 公式を覚えていても、それをどういう場面で使うかが健太郎には分からない。

「他の教科もそうね。化学とかもっと真面目にやっておけば役に立ったかしら?」

「それも材料が揃えられない」

 仮に揃ったとしてもそこから何を生み出せるというのか。ただ、言われたことをなぞるだけの経験しかない自分には何も出来ないと健太郎は分かっている。

「……そうね。普通科ってもしかして、この世界では役立たず?」

「そうかも。逆に農業科なんて、すごく役立ちそうだ」

 役に立つとすれば、より専門的な知識。上っ面の学問はこの世界では何の役にも立ちそうにない。
 冷静に考えればこうなることは分かる。だが、それでは困るのだ。

「……不味いわね」

 健太郎ではなく結衣の方が。

「何が?」

「私の存在価値よ」

「回復魔法があるじゃないか」

「戦場に行けと言うの?」

「それは……」

 行けと健太郎は言いたのだが、結衣の聞き方では口に出来なかった。

「街のお医者さんって儲かるかしら?」

「怪我人の治療で? そんなに怪我人っているのか?」

 回復魔法で治せるのは怪我だけだ。風邪などの病気は直せない。

「知らない」

「そもそも医者にかかる習慣あるのかな? 昔って庶民は病院になんて行けなかったと思うけど」

 そうだとしても、庶民が気軽に治療に訪れることが出来るくらいに安価にすれば良いのだ。ただ金儲けを出来るかを前提で考えると、この発想は出てこない。

「……そうね。駄目か」

 それは結衣も同じ。

「目指せ王妃じゃなかったっけ?」

「だって、あの男の奥さんって、やっぱりどうかなって。たまに話に付き合って、贈り物を貰えればそれで十分よ」

 悪女であることを結衣は受け入れてしまっている。これには健太郎も驚きだ。

「結衣って、そんな性格だった? もっと真面目で、どちらかと言うと堅物なイメージが」

「……分かっているわよ。自分が凄く嫌な女になっているのはね。軽蔑していた女たちと同じ。男に媚び売って貢がせて、でも本命は別に作る。最低よね」

 自分がいけないことをしている自覚は結衣にはある。自覚があって行っているのであれば、余計に性質が悪いとも言える。

「それが分かっていて」

「だって、この世界って自分で主張していかないと何もしてくれないし、何も手に入らないじゃない」

「そうかな?」

「健太郎は男だから分からないのよ。この世界では女性の地位は低いの。仕事と言えば、侍女とか小間使い程度。後は子供を産む道具ね」

「それは言い過ぎじゃないか?」

 実際はそれほど言い過ぎではない。この世界では女性の地位は低いのだ。これは男であり勇者であるという価値を持つ健太郎では意識して見ていないと気付けないことだ。

「そういう感じよ。私だって聖女なんて呼ばれているけど、寄ってくる男はイヤラシイ目で見てくる男ばかり」

 これに関してはグレンの従者たちが男好きという噂を広めたせいなのだが、この事実に未だに結衣は気が付いていない。

「……それは知らない」

「元の世界では学校でも成績は良かったのよ?」

「それは知っている。良かったどころじゃないだろ? 常に十位以内には入ってた」

「部活でだって」

「まあ」

「でもこの世界ではそんなの誰も認めてくれない。役に立たない。役に立つのは外見だけね」

 その外見で結衣はかなり美味しい思いをしているはずなのだが、それでは満足していない。能力を認められたい結衣は、外見で得られるものでは満足出来ないのだ。

「自分で言うか?」

「……モテたほうだと思うけど」

「それも知ってる」

「その外見だけで認められて王妃になっても、ただ奥でじっとしているだけ。王妃様なんて見たことないじゃない」

「確かに」

 王妃が活躍するのは社交の場だ。そういった場に出て行かない結衣たちでは、王妃と出会う機会はなかった。ただ、これを知っても結衣は納得しないだろう。結衣が望んでいるのは物語の主人公かヒロインの立場なのだから。

「そんな生活嫌よ。私だって、この世界で活躍したいのよ」

「良い案が思いつかないな。こういう時にグレンがいてくれたら良いのに」

「……もう死んだ」

「分かってる。でも何だろう。色々な助言をくれる軍師みたいな人が必要だな」

「マークは?」

「そんなに優秀かな?」

 頼りにし、多くのことを任せながらも健太郎はマークの能力に満足していない。健太郎の頭の中にある軍師は、歴史上の人物か小説の登場人物がもとになっているので評価基準が高いのだ。

「そうね。そういう人も探してみたら? 隠れた逸材なんていそうじゃない?」

「そうか。そうだな。身分制度でガチガチな世界だと、才能を認めてもらえない人材が埋もれているって良くあるな。諸葛孔明みたいな在野の人を見つけ出して、臣下にするって、いかにもって感じだ」

「そうね……諸葛孔明って?」

「三国志も知らないの!?」

 結衣の問いに健太郎は大いに驚いている。

「知らない」

「劉備は? 関羽、張飛は?」

「……聞いたことがあるような」

 恐らくは気のせいだろう。三国志を分からなくて、その登場人物を知っているとは思えない。

「結衣って歴史に興味がないんだ?」

「歴女じゃないし」

「いや、常識だろ?」

「常識じゃないし」

「……結衣って趣味は? そう言えば付き合い長いけど、こういうこと聞いたことがなかった」

「ゲームかな?」

「意外。あれ? でもだったら歴史シミュレーションとか。そうじゃなくても無双系とかで知らない?」

 三国志を題材にしたゲームは沢山ある。健太郎はそれを知っていた。

「……そういうゲームはしない」

「じゃあ、どういうゲームを?」

「……恋愛系とか?」

「……嘘だろ?」

 自分でモテると言い切っている結衣が、どうして恋愛ゲームが好きなのか。現実でモテていた健太郎には理解出来ない。

「悪かったわね! どうせ、私は二次元でしか恋愛出来ない女よ!」

 健太郎の反応に結衣はキレ気味に文句を言ってくる。自分の中にも少し恥じる気持ちがあるせいだ。

「なあ、もしかして」

「何よ?」

「……経験なし?」

「…………」

 こういうことには健太郎も頭が回る。図星をさされて結衣は黙ってしまった。

「無いんだ。へえ、あんなにモテていたのに」

「うるさい」

「俺達って、もう二十歳超えたよね?」

「うるさい」

「それで……」

 わざとらしく笑いを堪える素振りを見せている健太郎。結衣を揶揄うネタを見つけられて、実に嬉しそうだ。

「うるさいな。良いじゃない。こうなったら私は結婚するまで守るわよ」

「その方が良いことだと思うけど」

「良い男がいないのよ。いたら私だって、ちょっとはその気になったかも」

「グレンってそういうことについては堅かったんだ」

「はあ? あれは、女好きよ」

 女好き呼ばわりされればグレンは否定するだろう。女性にだらしないという言うべきだ。どう違うかは微妙過ぎて本人以外は分からないだろうが。

「ああ、ローズさんね。そう言えばローズさんって何をしているのかな?」

 グレンの女性関係で健太郎に思い浮かぶのはローズくらいだった。

「……今度はローズさん? 止めなさいよ」

 結衣の表情が真剣なものに変わった。

「馬鹿言うな。フローラのことを伝えなくて良いのかなと思っただけだ」

「そうね……今度行ってみましょうか? 久しぶりの外出ね」

「そうだね」

「何、着て行こうかな? あっ、買い物もしたいわね」

 何の為に外出をするのかということは、もう結衣の頭の中からは消えているようだ。

「……目的が」

「ついでよ。ついで。よし、そうと決まれば、服選びに戻ろうっと」

「今日じゃないけど」

「分かっているわよ。女の子ってこういうものなの」

「そっ。じゃあ、又、明日」

「ええ。じゃあね」

 足取りも軽く健太郎の部屋を出て行く結衣。その背中を見ながら健太郎は小さくため息をついた。

「結衣って僕よりも逞しいな。僕と違って気楽な立場だからかな? 何だか話していると疲れる」

 こんな独り言を呟きながら、健太郎はベッドに寝転んだ。責任を負っているようなことを言っても何もしない。それが健太郎だった。
 ぼんやりと天井を見詰めている健太郎の耳に扉を叩く音が聞こえる。

「どうぞ」

 ベッドに寝転びながら、それに返事をした。

「失礼致します。お茶をお持ち致しました」

「お茶? ああ、じゃあ脇のテーブルに置いておいて」

「はい」

 部屋に入ってきて、ベッドの横に近付く侍女の影。テーブルに茶碗を置く音が健太郎に聞こえた。視界に侍女の長い髪がちらりと映る。綺麗な金髪だ。
 目だけを動かして侍女を見る健太郎。その横顔を見た瞬間に、慌てて上体を起こして侍女に声を掛ける。

「君は?」

「はい。新しく担当になりました」

 青い瞳を健太郎に向けて侍女が答える。その顔から健太郎は目を離せなくなった。あざやか金髪、青い瞳、白い肌。そして整った顔立ち。

「似ているね?」

「えっ?」

「僕の愛した人に似ている」

「……そうですか」

 健太郎は侍女の容姿にフローラを重ねた。グレンが見れば、似ても似つかない全くの別人だと言うのであろうが、健太郎には十分だった。

「名前は?」

「フローレンスと申します」

「……名前まで」

 面影だけでなく名前まで似ていることに健太郎は驚いている。

「あの……」

「ずっと、僕の担当に?」

「そう申しつかっております」

「そう。じゃあ、よろしく」

 真っ直ぐにフローレンスと名乗った侍女に健太郎は手を差し出す。それをフローレンスは戸惑いの目で見ていた。

「あっ、握手。異世界の挨拶だよ」

「……それで?」

「手を握り合うのさ」

「手を、ですか?」

「そう。さあ、手を出して」

「……はい」

 躊躇いながらも健太郎に向かって手を伸ばすフローレンス。その手を遠慮なく健太郎は強く握りしめた。

「あっ……」

「痛かった?」

「いえ。男性と手をつなぐというのは」

 そう話す侍女の首筋は恥じらいで赤く染まっていた。それを見て、ますます健太郎はフローレンスに見惚れてしまう。

「……あの、手はいつまで?」

「あっ、ごめん」

 フローレンスに言われて健太郎は渋々といった様子で握っていた手を離した。

「それでは失礼いたします」

「少し話をしないか?」

「仕事がまだ残っております」

「……そう。でも僕の担当だからまた会えるよね?」

「はい。毎日お会いすることになるかと」

「そうか。じゃあ、今度ゆっくり話をしよう」

「はい」

「じゃあ」

「失礼いたします」

 健太郎に背中を向けてフローレンスは扉に向かう。振り返って一礼するとそれで部屋を出て行った。

「運命だな。これは運命だよ。失ってしまった大切な人に似た女性、それも名前まで似た女性と巡り合うなんて、これは運命に違いない」

 嬉しそうに独り言を呟く健太郎。
 物語であればそうかもしれないが、現実ではこんな偶然はなかなかあるものではない。さすがは勇者……ということでは当然ない。

 健太郎の部屋を出たフローレンスに一人の騎士が近づいていた。

「どうだった?」

「……手を握られました」

「ほう。手が早いな。初対面でそれか」

「挨拶だと」

「口実だな。だが簡単に許すなよ。しっかりと気持ちを奪って、体を与えるのはそれからだ」

「私は!」

 騎士の露骨な台詞に思わずフローレンスは声をあげる

「逆らえる立場か? お前が逆らえば家族がどうなると思う? 返せない借金を抱えて苦しんでいる家族は?」

「…………」

「売春宿に売り飛ばされなかっただけ感謝しろ。少なくとも相手は一人で良いのだからな」

「…………」

「分かったのか!?」

「……はい」

 フローレンスは騎士に逆らえない。心の中では何を思っていようと、言う通りにするしかないのだ。

「勇者になんて勿体ない女なのだが仕方がない。良いか。勇者に取り入ることが出来れば金だって手に入る。そうなれば借金も返せてお前も自由の身になれる」

「はい」

「それまでは我らの言うことを聞け。逆らうことは許さん。それと、くれぐれもボロは出すなよ」

「これから行儀作法を……」

「言葉遣いもだ。慣れるまではあまり話すな」

「はい……」

 健太郎を誑し込む為に用意された女。それがフローレンスだった。

 

◆◆◆

 ――そして今日はいよいよ結衣たちの外出の日。幸いにも天気にも恵まれていて、絶好のお出掛け日和だ。
 この日を楽しみにしていた結衣は上機嫌……のはずだったのだが。

「誰、その女?」

 城門のところで健太郎と待ち合わせしていた結衣の第一声はこれだった。

「侍女のフローレンス」

「はあ? 貴方何を考えているの!?」

 健太郎の答えを聞いて、結衣は呆れた声を出した。

「何って?」

「フローラが死んだからって、代わりの女性を仕立てあげてどうするのよ? しかもフローレンスなんて中途半端に似た名前」

「代わりなんて失礼なことを言うな! フローレンスはフローレンス! フローラとは違う!」

 結衣の言葉に健太郎は文句を言ってくる。こんなことを言われても、結衣は更に呆れるばかりだ。

「変心、早過ぎ」

「何だよ? フローレンスは僕の侍女だから、それで同行してもらうだけだ」

「僕の侍女。いつから、健太郎は個人の侍女を持つようになったのよ?」

 健太郎の願望から出た言葉を結衣は聞き逃さなかった。

「僕を担当してくれる侍女」

「……もう良い。勝手にすれば」

「勝手にする。じゃあ、行こうか」

 振り返ってフローレンスに話し掛ける健太郎。すっかり気分はデートだ。

「もしかしてお邪魔かしら?」

「……そうじゃないって。行くよ」

「はぁい。おまけも付いて行きまぁす。買い物したいからね」

「勝手にしろ」

 結衣との口げんかはあっても、健太郎は上機嫌だ。後ろを振り返りながら、盛んにフローレンスに話しかけている。

「前見ないと危ないわよ」

 呆れ顔でそれを見ながら、注意する結衣。

「フローレンス。隣に来なよ。話しづらいから」

「私は侍女ですので。並ぶのはちょっと」

「僕はそんなこと気にしないよ。大丈夫だから」

「でも、私が」

「平気、平気」

「でも……」

 困った顔で健太郎の誘いを断り続けるフローレンス。それを見かねて結衣が助け舟を出した。

「健太郎。並んでいるところを見られて罰せられるのはその人よ。貴方はその人を困らせたいの?」

「……面倒だな。でも、仕方がないか」

 なんとか諦めた健太郎の様子を見て、フローレンスは健太郎に気付かれない程度に小さく結衣にお辞儀をした。小さく手を振って結衣もそれに応える。

「さてと、ここを曲がるのよね?」

「そうだっけ?」

「道順覚えていないの?」

「聞けば良いかと思って」

「……じゃあ、近くにいてもらいなさいよ。ねえ!」

 結衣が呼んだのは、少し離れた位置で護衛に付いていた騎士だ。さすがに三人だけで外に出ることを許されない。遠巻きに騎士たちが護衛に付いていた。
 呼ばれた騎士が駆け寄ってくる。

「何か?」

「ここを曲がれば良いのよね?」

「ああ。はい、ここを曲がって突き当りを右。すぐに左です。そこからは道幅もかなり狭くなりますので……あの、側にいた方が良いと思うのですが?」

 これから向かう先は王都の中でもっとも治安が悪い場所だ。護衛する立場としては万一がないように近くにいたいところだ。

「そうよね。ごめんなさい。良いわよ」

「はっ」

 結衣の許可を得て、騎士たちが近づいてくる。後は前後左右を囲むようにして道を進んだ。徐々に細くなっていく道。周りの雰囲気も怪しくなっていく。

「よくもまあ、こんなところに住んでいたわよね?」

「まあ」

「私は無理。怖くて一歩も外に出られないわね。フローレンスだったっけ? 貴女も恐いでしょ?」

「えっ? あっ、はい」

「そうよね。何だか落ち着かない感じだものね」

 実際のところは、フローレンスにとって裏町は恐い場所ではない。フローレンスが怯えているのは知った顔に出会わないかだ。フローレンスも元は裏町の人間なのだ。

「下がってください」

 前を歩く騎士が警戒の声をあげた。それに反応して周りの騎士も、健太郎も腰の剣を抜く。
 先にいたのは、腰をかがめた姿勢で近づいてくる男だった。

「何者だ!」

「この街の人間です」

「通るのであれば、さっさと行け」

 通りすがりの者だと思って、騎士の顔に安堵が浮かぶ。だが、これはわずかな間だ。

「いえ、実は騎士様にお話がございまして」

「……何だ?」

 自分たちに用事があるという男。また騎士の顔に、先ほど以上の緊張の色が広がっていく。

「この先を進むのはご容赦頂けませんか?」

「何だと?」

「問題が起これば困るのは我らの方ですので」

「別に問題など起こさん。知り合いに会うだけだ」

 男が何故、このようなことを言ってくるのか、騎士にはさっぱり分からない。

「裏町に知り合いがいらっしゃるので?」

「勇者様と聖女様のお知り合いだ」

「……やはり、そうでしたか。ご様子からそうではないかと思っておりました。では尚更、ご勘弁を」

 男が本当に用があるのは健太郎と結衣だ。いきなり二人に話し掛けなかったのは、騎士に護衛されるような身分の人に声を掛けて、無礼を咎められるのを恐れてのことだった。

「どういうことだ?」

「フローラ。この名前をご存じのはずです」

「フローラを知っているのか?」

 フローラの名を聞いて、健太郎が声を上げた。

「それはもう。裏町でお嬢を知らない者はいないと言っても良いでしょう」

「知り合いなのか?」

「知り合いという程、親しくはありません。逆に言えばお嬢は誰とも親しいと言えます」

 深い付き合いではない。それでも裏町の人たちは、誰もがフローラが愛しくて堪らなかった。

「そう。それで、どうして僕たちは先に進んではいけないのかな?」

「これは勇者様には大変言いづらいのですが……」

「構わないから教えて」

「……皆に恨まれております」

「えっ!?」

 男の言葉に健太郎は驚きの声をあげた。自分が何をしたか、フローラがどれだけ裏町で愛されていたかを、健太郎は分かっていない。

「裏町の人間はお嬢を追い詰めて殺した勇者様を恨んでおります」

「ぼ、僕はそんなことはしていない」

 今、健太郎は初めてそれを知ることになる。

「真実は知りません。でも、そう思っているのです。勇者様や騎士様に何かする程、我らは無謀ではありませんが、分別を知らない者がいないとも限りません。ですから、この先に進むのはご遠慮いただきたい」

「僕はやってない!」

「しかしですな。懸命に止めるローズに乱暴を働き、お嬢を連れ去ったのは事実です。裏町の者は自らの目でそれを見ているのです」

「そんな馬鹿な!?」

 勇者親衛隊の騎士たちが仕出かしたこと。これも今、初めて健太郎は知った。

「自分もお嬢のことが大好きでした。正直、勇者様のことは恨んでおります。しかし……裏町はもう騒動はこりごりです。静かに暮らしたいのです。何卒、裏町に入ることは止めてください」

「そんな……」

「お願いいたします!」

 男は道を塞ぐように地面に土下座して叫んでいる。それに手を出すことは、さすがに騎士たちも出来なかった。茫然とただ見ているだけだ。

「……帰ろうよ」

 結衣が健太郎に声を掛ける。

「僕は何もしてない」

「それは知っているわよ。でも、それを一人一人に説明するわけにもいかないでしょ?」

「でも僕はやってない」

「それはお城の人は全員が分かっているわよ。お城の中のことはこの街の人には分からないわ。なんだか知らない噂に尾ひれが付いたのよ」

 どちらに真実があるか。これを結衣は考えようとしていない。この場合はわざとだ。真実を突き止めても良いことなどないと結衣は何となく感じている。

「でも……」

「もう戻ろう。買い物だってしなければならないし」

「何だって?」

「責めないでよ? 健太郎は潔白なの。それなのに、どうして行動を慎まなければならないの? 違うわよね?」

「……そうだけど」

「とにかく、変な噂が流れたのは仕方がないわよ。それに目的は達したわよね。フローラの死を教えることだったのだから。もう皆知っているってことよ」

「……でも、疑いを掛けられたままだなんて。僕はフローラを救おうと頑張っていたのに」

「それも分かっている。それで良いでしょ。もう行きましょうよ」

 後はもう健太郎をほったらかしにして結衣は来た道を戻る。そうすれば健太郎が後を追って来ることは分かっているのだ。
 実際に健太郎は慌てて結衣の後を追った。そして騎士たちもまた。

「いやあ、殺されなくて済んだ。親分も酷ぇことを命令するもんだ」

 その姿が離れたところで男は口調をがらりと変えて話し出した。

「ねえ、本当なの?」

 話の相手はフローレンスだ。そのフローレンスは男に向かって問い掛けた。

「何が?」

「フローラが殺されたって」

「いや自殺だったらしい。でもその原因を作ったのは勇者。勇者がお嬢に何か仕出かしたからだ。少なくともグレンはそう思ってる」

「えっ!? レン生きてるの!?」

 男の言葉にフローレンスは驚いている。グレンをレンと呼んだフローレンス。そう呼ぶだけの関係が二人にはあった。

「あれがそう簡単に死ぬようなタマか」

「知らない。そんな親しくないし……」

「そうだったか? まあ、それは良いが、お前は何でそんな恰好をして勇者なんかの側にいるのだ。表通りで真面目に働いていたはずじゃあなかったか?」

「事情があるのよ」

「お嬢の仇討、なわけねえな。じゃあ何だ?」

「言えない」

 借金の形に身を売った。これを言葉にする気にはフローレンスはなれない。裏町では珍しくないことだとしても。

「そうか。人の詮索をしないのが裏町の掟だ。勝手にやってろ」

「父さんは?」

「相変わらずだ。もうあんな飲んだくれとは縁を切れ」

「切れないから困ってるのよ。弟だっているのよ?」

「そうだな。まあ、それも他人事だ。俺には関係ねえ」

 裏町の人間を詮索しても良い話など出てくるはずがない。お互いに相手を傷つけないように、傷つけられないように、一線を引くのが裏町の礼儀だった。 

「あたいが侍女なんてしてることは」

「他人のことを話すのも掟破りだ。そんな心配をするなんて、表に出て裏町の心を忘れたようだな」

 そして住む者の多くが犯罪者である裏町で、誰がどこで何をしていたなんて話をすることはタブー。裏町で暮らすには色々と決め事がある。

「……余計なお世話よ」

 男との会話を終えて、フローレンスは急いで健太郎たちの後を追った。