――グレンたちが王都を発って数日後。
ウェヌス国軍の兵舎の会議室では、いくつもの会議が行われていた。今は三一○一○中隊が会議中だ。会議といってもその内容は第三軍の実質的な解散の通達だった。
「第三軍は丸々、勇者の直轄軍になることに決まった。所属は大将軍府。軍の名称は決まっていない」
「……それは嬉しくないですね」
ボリス中隊長の言葉に率直な感想を返したのは、ウォーレス第六小隊長だ。
「そもそも大将軍府って何ですか?」
更にロッド第十小隊長が質問を投げてきた。
「勇者の直轄軍の駐屯地だ。組織名でもある」
「王都を離れるのですか?」
「そうなる。場所はセンテスト。そこを軍の駐屯地として造りかえるそうだ」
「一つの街を……そこまでしますか」
何故そこまでする必要があるのか、この場にいる誰にも分かっていない。分かるはずもない。
「街の名も変わるようだ」
「一応聞いておきましょうか? 街の名は?」
「トキオ」
「……何の意味が?」
「勇者の故郷の地名だそうだ」
「……やり過ぎと思うのは自分だけでしょうか?」
勇者の街を造ろうとしている。そんな感想をロッド第十小隊長は持った。
「いや、普通の神経を持つ者は全員そう思っているだろうな」
ロッドだけではない。この場にいる全員が同じように思っている。
「何だか良くない方向に向かっている気がするのは?」
「それもまた、ちょっと気が利く者は全員そう思っているだろうな」
「閣下とゴードン大将軍の引退のせいですか?」
「さすがに上の事情は分からん。中隊長では情報が入ってこない」
軍の上層部の事情など、さすがに中隊長では分からない。そういった事柄に関われる権限がないのだ。
「大隊長であれば?」
バレル千人将であれば、まだ情報が入るはず。こう思ってロッドは尋ねた。
「一応聞いてはみた」
「何と?」
「反乱。この一言で口を閉じられた」
この世界にクーデターという言葉があれば、バレル千人将はそう言っただろう。実際に起こったのは、そう言えるだけの大きな変化だ。
「物騒な言葉です。しかし、それだけの変化があったということですか」
「それはそうだ。いきなり勇者が大将軍で好きなように組織を変えようとしている」
「そうですね。それで異動はいつからですか?」
「即日だ。準備が出来た部隊からセンテストへ移ることになる。だが」
「まだ何かあるのですか?」
「小隊長以上は全員解任となる」
「「「なっ!?」」」
全員から驚きの声があがる。それはそうだ。今の話が事実だとすれば、この場にいる全員が失職することになる。
「後任は騎士がなるそうだ」
「小隊長まで騎士が独占するのですか?」
「そういうことになる」
「……兵を何だと思っている。それで自分たちはいつお払い箱ですか? それも即日?」
「いや、自分たちには選択肢が与えられている。一つは退役。特に特別な手当はない。二つ目は平兵士に戻ること。手当は当然下がる。三つ目は他軍への異動」
「他軍への異動も有りなのですか?」
ボリス中隊長が説明した選択肢の中で、小隊長たちが唯一気になるのはこれくらいだ。
「今現在、まともな大隊は全部で二十二大隊。ここから第三軍の全五大隊が勇者直轄軍に引き抜かれて解散となる。残った大隊は十七大隊。第一軍に編成の変更はないが、第二軍は当然、不足大隊の補充がなされる」
「三大隊分ですか。まさか早いもの勝ちなんてことは?」
「さすがに、それはないだろう。希望者の中から選抜だな」
「選抜基準は? それは誰が?」
「それを教えると思うか? 全く知らされていない」
「それでも希望しないと可能性は生まれないと」
ロッド第十小隊長はもう他軍への異動を希望することに決めている。
「希望者は?」
「全員だと思いますけど?」
ロッドだけでなく、他の小隊長も全員、他軍への異動希望だ。こう考えるだけの理由があるのだ。
「だろうな。一応、理由は聞いておこう。聞かれた時に困るからな」
「……それは適当に」
「それでは分からないだろう」
「だって……ねえ」
本当の理由は軍には伝えられない内容なのだ。
「そうか……全員知っているのだな?」
そして、それをボリス中隊長も知っている。グレンに関することだ。
「それはまあ。さすがに報告は受けました」
「……どう思った? 率直な意見を聞きたい」
「中隊長はどう思われているのですか?」
「そうだな。グレン殿は軍に戻ってこなかった。ずっと軍を離れようとしていたのだから、これは不思議ではない。だが妹さんのことを執拗に調べる理由が分からない。大切にしていた妹さんのことだ。何があったのか知りたいと思う気持ちは分かるが、陰でこっそりとそれを行うことを疑問に思っている」
ボリス中隊長は自分の考えを述べた。
「ちょっと情報が足りませんね」
ロッド第十小隊長がボリス中隊長の情報不足を指摘してくる。第十小隊の小隊長であるからこそロッドには他の者たちが知らない情報がある。
「何か知っているのか?」
「それはまあ。第十小隊の人間は直接会っていますから。情報を集める手伝いをしたからにはグレン殿が何を知ったかも分かっています」
フローラの情報を得る為に、グレンが頼ったのは第十小隊の面々だった。もちろん、それだけでなく他にも当たっている。
「話せるか?」
「この場限りと約束して頂ければ」
「それはもちろんだ」
ボリス中隊長だけでなく、他の小隊長も頷きで同意を返した。グレンが何を考えているかは、全員が知りたいことだ。
「では。グレン殿の依頼で侍女から入手した情報を渡しました。内容はもちろん妹さんの死因のこと。分かったことがいくつかあります。妹さんは体に火をつけて部屋の窓から身を投げて自殺しました」
「……それは不憫な」
「自殺であることには間違いないようです」
「おい!?」
意味深なロッド第十小隊長の言葉にボリス中隊長は驚きを見せている。
「グレン殿はそれも疑っていたようです。ただ部屋には誰もいなかった。それは侍女がはっきりと断言したようです。ただ問題は」
「……何だ?」
「その直前に勇者が部屋にいたこと。そもそも妹さんを城に連れ込んだのは勇者の差し金で、かなり強引な手を使ったそうです。そして連れてきた後は、さかんに妹さんを口説こうとしていた」
「……まさか」
この情報を聞けば頭の中には、考えたくなくても、一つの可能性が浮かんでくる。
「さすがにはっきりとは分かりません。しかし兄を失くして傷心の妹を無理やり城に連れ込んで口説く。どんな悪党ですか? 侍女もかなり憤りを感じていたそうです。妹さんはすっかり正気を失っていて、見ているのも辛かったと。それなのに勇者はそれに構わずに、口説き続けていた。話に聞いただけで少し頭に来ました」
「そうだな」
「勇者が何をしたのかは分かりません。しかし、何もなくても、妹さんが亡くなったきっかけは間違いなく勇者が作っています」
「そこまでになるのか?」
不埒なふるまいをしていないとなれば、ボリス中隊長は、健太郎にはそこまでの責任はないのではないかと考えた。
「戦死者の発表はまだ行われていません。それはそうですよね? 何が起きたのか誰も知らないのですから。勇者と行動を共にしていた第二軍の兵士からも情報を仕入れました。ほとんど戦わないで逃げ出したので何も分からないと言っていました。当然、勇者だって何も知らないはずです」
「そんな状態でグレン殿の死を妹さんに告げたのか?」
ロッド第十小隊長の話で、グレンが死んだという確証は何もなかったと分かる。それで死亡したと告げるのは騙すのと同じだ。
「そうです。自分は勇者の悪意まで感じます。そして実際にグレン殿は生きていた。知らないまま家で待っていたら、それはそれで辛いと思いますが、妹さんは死ぬことはなかったでしょう」
「……城にさえ行かなければか。そうだな」
「そういうことです。自分がこう考えるくらいです。当然、グレン殿も同じ様に考えるでしょう。あの人ですから、もっと深く考えているかもしれませんが。とにかく勇者はグレン殿に恨まれていると思います」
「そうなるだろうな」
「筋金入りのシスコンと言われていたグレン殿が勇者を許しますか?」
「……しかし、相手は勇者だ」
許すはずがないとボリス中隊長も分かっている。だが勇者相手では分が悪いとも考えている。
「……それでもやってしまいそうで自分は恐いです。だから、勇者の側にはいたくありません」
「恨みは国ではなく勇者だったのか」
グレンが何をしようとしているか、ボリス中隊長にも考えていることがあった。
「結果として国になるのでは?」
結局は、ロッド第十小隊長の考えとボリス中隊長の考えは同じだった。ウェヌス王国はグレンの恨みを買っている勇者を軍のトップに据えてしまったのだ。
「……まあな」
「もし想像通りにグレン殿が我が国の敵に回るのであれば、本当は退役したいところです。でも自分にも生活がありますので、第二軍への異動願いを出します」
「それで避けられるのか?」
「二軍に運よく移れて、それでも二軍にゼクソンへの出動命令が出たら、その時にもう一度考えます」
「やはり、ゼクソンにいるか」
そうでなければ、この時に、グレンが一人で王都に戻ってこられた理由が分からない。
「皆さんもそう考えているのではないですか? 自分は新参の部類なので、まあ驚きました。この中隊は何ですか?」
「何とは?」
「曲者ばかり。小隊の奴らの話を聞いて、どこの諜報機関かと思いました。情報を集めて、それを分析して一つの結論を出しました」
「ではトリプルテン諜報機関の結論を聞こうか」
「グレン殿はゼクソンに仕えることになる。王都に戻ってきたのは、その約束を既にしているからではないか。恐らくは妹さんの死をゼクソンで知って、それがきっかけだろうと。ゼクソンでグレン殿が実力を隠す理由はありません。いずれ来るゼクソンとの戦いで、グレン殿が将軍としてゼクソン軍を率いていても不思議には思わないそうです。グレン殿が万全の準備を整えて待つゼクソンへは行きたくない。これが全員の意見です」
ロッド第十小隊長は一気にトリプルテンの面々が導き出した結果を説明した。さすがはグレンの側にいた者たちといえる内容だ。
「……だろうな」
ボリス中隊長も納得している。
「やっぱり。皆さん、そう思うのですね?」
「実力を隠しているのは知っていただろう? それでも漏れるもので、グレン殿は閣下に認められた。閣下は自分たちよりも、もっと良く見えていたのだろうが、その閣下もグレン殿の裏の顔は知らないかもしれない」
「裏の顔?」
グレンが中隊長になった後に第十小隊に異動してきたロッドは、グレンと一緒にいた期間は短く、グレンのことは他の者に比べれば、何も知らないといっても良い。
「自分も完全に分かっているわけではない。それでも近くにいると見えるものがある。非情、狡猾。目的を達する為には手段を択ばない。人の良さそうな惚けた仮面の裏にそういうものを隠し持っている」
「非情、狡猾ですか……まるで狼。なるほど銀狼の通り名は伊達じゃない」
「勇者相手だ。それを隠すことはしないであろう。牙を剥いた狼とは確かに向かい合いたくないな」
「そういうことです。では二軍への異動願いをお願いします」
「分かった。全員分を出しておく」
小隊長以上は、これで済んだ。だが兵士たちはそうはいかない。彼らには異動希望を出す選択肢は与えられていないのだ。そんな彼らの選択肢はただ一つ。軍を辞めることだ。
グレンを良く知る者で、グレンが何をしようとしているか分かっている者は、こぞって辞表を軍に出した。それで精鋭と呼ばれるようになった第三軍の中核であった三一○一○中隊は崩壊することになる。
◆◆◆
三一○一○中隊は極端な例としても、勇者直轄軍への異動を告げられた他の中隊の反応も同じようなものだ。
もちろん、他の中隊はグレンを恐れてというわけではない。
小隊長まで騎士が務めるという組織変更を嫌がってのことだ。騎士と兵士との溝は深い。特に兵士からすれば、高慢な騎士に直接指揮をされることなど真っ平ゴメンだという気持ちが強い。
兵士たちにも生活がある以上、大量離脱とまではいかないが、それでも、それなりの数の兵士が軍を去る事態になった。
そこに敗戦の影響が少なからずあることは、健太郎にとって救いなのかどうかは微妙なところだ。
「人数が集まらない? えっ、それってどういうこと?」
マークの報告を聞いて健太郎は驚いている。
「敗戦の影響でしょうか。退役を願い出る兵士がかなりの数にのぼるようです」
「ああ……そういうところにも影響が出るのか」
自分のせいである部分もかなりあると分からなかったことは幸せなのか、不幸なのか。もし、それを知って、考えを改めることになるのであれば不幸だろう。だが、そうなるかはかなり怪しい。
「所詮は兵ですから。騎士のようにはまいりません」
「命は大事だからな。責められないよ。それでどれくらい足りないの?」
「七百程です」
「何だ。その程度か」
一万のうちの七百。少ないように思えるが、七中隊分の人数になる。それを補充するのは容易なことではない。ただでさえ、八千もの兵の補充を必要としているところに、更に一割増だ。もっと言えば、引き抜こうとした五千の内の七百が拒否したということでもある。実は、その程度か、と言える数ではない。
「まあ、それも地方軍から抜きましょう。それで埋まります」
「そうだな。軍が集まったら、いよいよ調練か。トキオはどんな様子なのかな? かなり出来上がっている?」
「はい。工事に携わる者に手当を払うというのは凄い発想でした。おかげで作業者が予想よりもはるかに多く集まり、工事は驚く様な早さで進んでおります」
「まあ。元の世界では常識だけどね。それで効率が上がるのだから良かったよ」
自分の提案が効果を発揮していると知って、健太郎は自慢気な表情を見せている。
「出来上がりは予定よりも相当に早くなります。本格的な調練にも早めに取り掛かれます」
「楽しみだな。後は何かあったかな?」
「……特には」
「いや、あったよ。魔道士部隊の件は?」
「ああ、それですか」
分かっていたくせに、言われて気付いた振りをマークはしている。
「もっと人数を増やそうと言ったよね?」
「ですが適性のある者はそう簡単には見つかりません」
魔力は極めて特別な力だ。だからこそそれを持つ者は重宝されるのだ。健太郎の望み通りに行くはずがない。
「どうやって見つけているのかな?」
「貴族や魔導士の家系の者は、ある年齢になると試験が行われます。それで能力は分かります」
つまり、増やすために特別に何かをしているわけではないということだ。
「それじゃあ駄目だよ。血になんて拘らないで色々な人から探さないと」
それに文句を言う健太郎。何もしないことに文句を言うのは正しいことだが、後の言葉は少し間違っている。
「しかし、魔導の素質とは血に宿るものです」
マークの言う通り、魔道の素質は血に宿っているのだ。血縁というのがより正しい表現かもしれない。
「そういう常識に捉われているから、魔導士の数が増えないのだと思う。もっと調査の幅を広げないと」
「一つお聞きしてよろしいでしょうか?」
「何かな?」
「魔道士がそれ程必要ですか?」
「だって飛び道具の方が戦いは有利だよね? 威力も凄いし」
「強力な魔道を一度放てばそれで魔道士は役立たずになります。それでは戦いの役には立ちません」
マークは少し大げさに話しているが、嘘をついているわけではない。侵攻戦に魔導士部隊を参加させないのは、数が少ないというだけが理由ではないのだ。
「大勢いれば何発も使える」
「莫大な費用が必要になります」
「えっ? そうなの?」
「魔道士が使う魔道具は特殊な金属で作られます。それは非常に高価なもので、魔導士の数を増やせば、いくら必要になることか」
「それが無いと使えないのかい?」
「使えません」
これは嘘ではある。使えないわけではなく、効率が悪くなるだけだ。魔道具は増幅装置といった感じのものなのだ。
「でも詠唱を唱えて、パッと」
「出来ません」
「でも結衣は」
結衣は詠唱を唱えてパッと使っていると健太郎は思っている。正しい。
「ユイ様も魔道具をお持ちです。指に嵌めたリング。あれがそうです」
正しいのだがマークは否定した。金のかかる魔導士団の設立など、マークたちはやりたくないのだ。
「知らなかった。でもあんなので高いのかな?」
「魔導のことはどこまでご存じですか?」
「体内の魔力を使って火を出したり、風を吹かせたり。あと精霊の力を借りて」
「精霊……それはおとぎ話の世界です」
「精霊いないの?」
「少なくとも私は実際に存在するかは知りません」
「いないのですか?」
健太郎が質問を向けたのはジョシュア王太子だった。その質問を受けて、ジョシュア王太子は嬉しそうに口を開いた。
「では説明してやろう。まず魔導には内魔導と外魔導がある」
「あの、長くなりますか?」
「……これを知らなければ精霊の話にならない」
いきなり話を中断させられて、ジョシュア王太子は不満気だ。
「はい。じゃあ、どうぞ」
「内魔導とは体内の魔力を変換して作用を興す。ユイが使う回復魔法もそれだ。ちなみにケンも無意識に使っている」
「あれ? 僕は魔法を使えないって」
「外に出せないということだ。体内で魔力を変換させて、体の能力を高めているといえば分かるか?」
「分かる」
自分の能力を高める魔法についての知識は健太郎にもある。ゲームからの知識だが。
「そういうことだ。勇者とはそういう力を持つ者なのだ。内魔法は魔力を一定量持っていれば使える。外に出せるかで使える作用が異なるがな。ただ問題は、体内の魔力が作用の限界だということだ。これは分かるかな?」
魔力量、というだけではなく、魔力の密度、魔力そのものにも強弱がある。この説明は細かくなるので、ジョシュア王太子は省いた。健太郎に最初に長くなるのかと言われたことを気にしてのことだ。
「大体は」
「それを増幅させる役目を果たすのが魔道具なのだ。これがあるとないとでは威力が全然違う」
「なるほどね」
「そして作用によって、必要となる魔道具が果たすべき増幅効果は大きく異なってくる」
「ちょっと分からなくなった」
「……例えばユイが使う回復魔法の場合、増幅効果はわずかで良い。回復魔法は使う者の魔力だけでなく、相手の魔力も使うからだ。魔導の適正と言ったが魔力そのものは誰もが持っている。ただ量や質が魔導を発動させるには足りないというだけだ」
「じゃあ、凄い増幅効果のある魔道具を作れば」
「それが作れれば苦労はしない。仮に作れたとしても、とてつもなく高価で、とてつもなく大きな物になることが分かっている」
「……そうか」
「だから回復魔法を使うユイの魔道具は指輪程度で良いのだ。だが攻撃魔法となれば別だ。その作用は大きく、魔力も大量に使う。魔道具もそれなりの物が必要になる」
「ねえ、ちょっと気になったのだけど」
健太郎の横でジョシュア王太子の話を聞いていた結衣が会話に入ってきた。
「何かな?」
「私って魔力の量が少ないの?」
「…………」
「そうなの!?」
ジョシュア王太子の無言が答え。これは結衣にとっては衝撃だ。自分も常識では考えられない魔力を持つ特別な人間だと思っていたのだ。
「いや、ユイは魔力量が少なくても質、恐らく変換能力が凄まじく高いのだ。だから同じ魔導でも驚くような効果を発揮する。そういうことだ」
「……それなら良いけど。でもジョシュア様って詳しいのね」
「こういう類の本は沢山読んだからな。ちなみにユイの聖女という呼び名も我が付けた。伝説の術者がそう呼ばれていたのだ」
「そう。ありがと」
「いや、なに。それで……何だったかな?」
「精霊が一向に出てこない」
もともとは精霊がいないという話から説明が始まった。そうであるのに、いつまで経っても精霊の話にならない上に、結衣に話を脱線させられて健太郎は不満そうだ。
「ああ、そうか。まず、何故攻撃魔法には大量の魔力が必要かと言うと、火水風土の攻撃魔法は元々自然の力を少し借りて変換を行うものだったのだ。外の魔力を使うから外魔法だな。ところが現代は自然の力を借りることが出来ない。だから、全てを体内の魔力でこなすことになる」
「自然の力」
「そう。それが精霊の力だったと言われている。だが、この世界は精霊に見捨てられた。この世界から精霊は消え去り、自然は力を貸してくれなくなった。つまり外魔導は、現代には存在しない」
「何だか凄い話になった。精霊に見捨てられたって、どういうこと?」
見捨てられたという言い方は、かなり不穏なものを感じさせる。
「実はこれは太古の伝説の類なのだ。真実とは限らない」
「それでも興味があるな」
「じゃあ、少しだけ。話すととてつもなく長くなるからな。数千年の昔。この世界には人間だけではなくて、エルフ族や魔族がいた」
「おっ、ファンタジーっぽくなった。そういうのを待っていたんだ」
異世界となれば異種族。それがこの世界にいないことは健太郎にはかなり不満だった。その異種族の話が聞けるとあって、健太郎は嬉しそうだ。
「エルフ族はこの世界の自然を守る為に。魔族は人間に魔法を授ける為に天より遣わされた。ところが、人間は自分たちこそが世界の覇者だとエルフ族や魔族を何度も何度も迫害した。それに耐えかねたエルフ族も魔族も別の世界に去って行った。精霊もまた、エルフ族と共に去っていった。その時から、この世界は天に見捨てられた世界になった」
「……ちょっと重すぎない?」
精霊だけでなく、天にまで見捨てられた。天という言葉が正確には何を示しているか分かっていないが、元の世界の知識から考えれば、神のような存在だと分かる。
「おとぎ話のようなものだ。人間に自然を大切にしろ、天を敬えと教える教訓だな」
「ああ、そういうのあるね。でも神様じゃなくて天なのか」
「カミサマ?」
「神、ゴッド、メシア」
神様が通じなかったので、健太郎は言い方を色々と変えてみた。
「知らん」
だが結果は同じだ。
「えっと……天使」
「ん? テンシは天の使いのことか?」
「それ!」
「神族のことか。なるほど神、それに敬称を付けたわけだな」
天使をジョシュア王太子は神族と言いかえた。神様についても納得している様子だ。
「……こういうのには異常に頭が回るんだ」
「どういう意味だ?」
「あっ、いえ。理解が早いなと」
「大好きだからな。こんな本ばかりを読んでいて、よく怒られた」
「ああ、なるほど」
ジョシュア王太子の話を聞いて、今度は健太郎が納得した様子だ。ただ、これで納得するのはかなり失礼だ。
「……何が、なるほどなのだ?」
案の定、ジョシュア王太子に睨まれることになった。
「いえ……」
「ついでに言えば、魔導士を増やす件は我も反対だ」
「どうして?」
「昔に比べれば魔導士の数は確実に減っている。恐らくはこの先も減り続けるのであろう。このような状況で魔道に頼り続けるのは間違いだと我は思う」
いずれは失われるかもしれない技術。そうであれば、それに頼らないですむ方法を考えるべきだ。ジョシュア王太子はこう考えている。
「……分かりました。諦めます。そうなると本格的な飛び道具だな。火薬を作りましょう」
魔道が駄目であれば新兵器を、と考えた健太郎であったが。
「カヤク。異世界の知識か?」
ジョシュア王太子は火薬を知らなかった。
「そう。それを使って武器を作れば、この世界では最強だね」
「ほう。それは凄いな。どうやって入手するのだ?」
「材料を揃えて作る。それを使う武器については、僕がこんな感じというのを教えるよ」
「……だから、その作り方を聞いているのだ」
「それは軍に聞いて」
「我が国の軍にそんなものはない」
「……火薬がない?」
健太郎は驚いた顔を見せている。ただここで驚くのはジョシュア王太子のほうだ。
「今、知らないと言ったつもりだが?」
ジョシュア王太子は最初から火薬はないと言っていた。それを健太郎が勘違いしていただけだ。
「ジョシュア様が知らないのでは?」
「そうかもしれないが我だって王族。人よりは知識があるほうだと思うが」
「本当に?」
「どういう意味だ?」
また失礼な言葉を吐いて、健太郎はジョシュア王太子を不機嫌にさせる。
「いえ……作り方は知らない。でも火薬さえあればそれをどう武器にするかは分かります」
「……聞いてみる」
「火薬は後回しと。じゃあ火は火でも火計の方だな。策略と言えば火計。石油はどこで取れるのかな?」
火計なんて常に使えるものではない。これは健太郎も分かっているが、火薬の代わりに何かないかと、思いついたことを口にしたのだ。ただ、これさえも。
「セキユ?」
「えっ?」
石油も通じなかった。だがこれは少し考えれば分かるだろう。
「この世界の言葉で言うと何なのだ?」
「石の油」
この世界の言葉ではない。適当に口にしただけだ。
「石が燃えるはずがない」
「……油もない?」
「油は使っているだろうが。暗くなっても城内が明るいのはそのおかげだ」
「……魔法じゃないのか」
「何を言っているのだ?」
「いや、魔法で灯りが付いているのかと思っていた」
「そんな魔力があれば誰も苦労せんわ。確かに明かりを灯す魔導はある。だが一晩中など照らせるか」
「……じゃあ、その油で良いから大量に」
「大量とはどの程度だ? 軍には一定の量が備蓄されているはずだが、それ以上なのか? 生産量は限られていて、それなりに貴重なのだが」
「えっ?」
照明などに使う油は植物や獣脂から作られている。物凄く貴重というほどではないが、素となる植物の収穫量、獣の捕獲量に左右されるので、生産が安定しない時があるのだ。
「なあ、もう少し金のかからない異世界の知識はないのか? ケンの言うことはどれも金が掛かって仕方がない」
「……考えてみる」
所詮は高校生の知識である。この程度の知識で異世界の技術が実現出来るのであれば、とっくの昔に別の勇者が実現している。それを健太郎も結衣も分かっていない。
そして、この世界はかつて文明を奪われた世界。この事実は二人だけでなく、この世界の全ての人も知らないことだ。