リリエンベルク公国軍に割り当てられた陣営はそれほど広くはない。もっとも人数が少ない部隊なのだから当然ではある。ただその狭さはあくまでもここまでが陣営と線を引いた、実際には線ではなく壕で区切られている範囲内でのこと。その壕の外に出れば、訓練も出来る空地が広がっている。
その場所で今日行われているのは訓練ではなく鍋パーティーだ。特別遊撃隊にとっては恒例の、といえるものになっている。
「……なるほどな。これが同じ釜の飯を食うということだな?」
「窯の飯ではなく鍋です。同じ釜の飯は毎日食べていますよね?」
「……どうしてジークは妾に厳しいのだ?」
鍋パーティーにはカロリーネ王女も参加している。こういうイベントを無視出来るカロリーネ王女ではない。
「別に厳しくしているわけでは……事実を教えているつもりですけど?」
「大切なのは事実ではなく気持ち。こうして大勢で鍋を囲んでいる状況を妾は気持ちとして表現しただけだ」
「……なるほど。それであれば合っています」
ことわざとして使ったのであれば、カロリーネ王女は正しい。鍋パーティーは辛い訓練の毎日の中、気分転換を図る為に始めたものであり、それが結果として部隊の一体感を高めることにも繋がったのだ。
「しかし、よくこれだけの物資を融通してもらえたな。他部隊でも同じようなことをするのか?」
物資はまとめて管理されている。ローゼンガルテン王国軍のもの、リリエンベルク公国軍のものという区別はされずに人数に応じて支給されているのだ。その中でリリエンベルク公国軍だけ特別に鍋パーティー用の物資を回してもらえるとはカロリーネ王女には思えない。あるとすればリリエンベルク公国軍だけでなく、他にも同じように配られた可能性を考えた。
「ああ、これは特別に回してもらいました」
「……他の部隊が怒らないか?」
「商人から直接ですから。代金もきちんと払っています」
「商人……どうやって商人から仕入れたのだ?」
ここは戦場。しかもラヴェンデル公国領の西の端だ。商人が直接訪れるような場所ではない。
「アルウィンからです」
「……それはあのアルウィンか?」
アルウィンのことはカロリーネ王女もよく知っている。学院内でジグルスの記憶を共有している唯一の相手であったので、急速に親しくなったのだ。
「はい。王女殿下も良く知るアルウィンに運んでもらいました」
「……妾に挨拶がないな」
「はい?」
「ここに来たのであれば何故、妾のところに挨拶に来ない?」
親しいはずのアルウィンが自分のところに挨拶に来てくれなかった。それがカロリーネ王女は不満なのだ。
「ああ……忙しかったから?」
「何故、疑問形? 理由はどうであれ忘れていたということか……」
「時間がなかっただけです。ここまで商品を運んでくるのには結構時間がかかりますから。俺だって次があるからと言われて、必要最低限の会話だけして別れています」
「……商売繁盛なのだな」
ジグルスともろくに話をしないで帰って行ったとなると、忙しいというのは本当だろうとカロリーネ王女も思える。
「得意先がいくつか出来たようなので。一つ一つの商売はまだまだ小さいようですけど、疎かにするわけにはいきません」
ローゼンガルテン王国軍の地方担当との商売、それに関連する地方の中小商人との商売。大口としてはリリエンベルク公爵家だけでなく、ラヴェンデル公爵家も加わった。ローゼンガルテン王国領の半分を動き回っているといっても過言ではない。
「知り合いの商売が上手く言っているのでは喜ぶべきことではあるが、それが戦争のおかげとなる少し複雑だな」
「戦争で金儲けをしている、ではなくアルウィンも勝つ為に頑張って働いていると考えてやってください」
「なるほど。やはりジークは口が上手いな。近頃はその口でまさかの相手まで口説き落としたそうではないか」
「……はい?」
話が一気に、それも良からぬ方向に展開した。
「男たらしのあの女を逆にメロメロにしてしまうとは、さすがはジークというところだな」
「……そんな表現、どこで教わったのですか?」
メロメロなんて表現は王族が使うものではない。貴族だって使わない。カロリーネ王女が耳にする機会はないはずなのだ。
「ん? アルウィンだ。女性が男性を好きになった時の最大表現だと聞いたぞ」
「あの馬鹿……」
その時の光景がジグルスには見えるようだ。何かのきっかけでアルウィンが口にした言葉の意味をカロリーネ王女が尋ね、それに対してジグルスとふざけ合っている時のようにデタラメの答えを返したのだ。
「それでどうなのだ? 何を企んでいる?」
ジグルスが本気でユリアーナを口説くはずがない。ジグルスの想いはリーゼロッテだけに向けられているとカロリーネ王女は信じているのだ。
「まず訂正を。俺は彼女を口説いていませんし、彼女もそんな風には思っていません」
「だがジークのところに毎日のように来て、話をしているのだろ?」
「ここにほぼ毎日来ているのは事実ですが、俺と話す為ではありません。彼女には兵士の訓練の相手をしてもらっています。俺もたまに立ち合いをしていますけど」
「それがおかしい。お主とあの女は天敵同士のようなものではないか。まあ、お主は必要とあれば、そんなことは気にせず頼み事をするだろうが、相手のほうが何故それを受け入れる?」
ジグルスはリーゼロッテを陥れようとするユリアーナを嫌っていた。ユリアーナもことごとく自分の邪魔をするジグルスを嫌っていたはずだ。ジグルスの頼みを聞くとはカロリーネ王女には思えない。
「これは本人に聞いたわけではありませんが、王女殿下たちが相手をしなさすぎるからではないですか?」
「妾たち?」
「エカード様たちは彼女の話を聞いていますか? 彼女に話をしていますか?」
「……どうだろう?」
「分からないのですか?」
「妾も彼等とは話をしないからな」
カロリーネ王女もエカードたちと和気あいあいというわけではない。かつてはエカードを好きだったのだが、ユリアーナに誑かされ、リーゼロッテに理不尽なことばかりする彼を見てきて、とっくにそんな気持ちは消えている。今はどちらかというと避ける相手なのだ。
そんなカロリーネ王女がジグルスたちのところに来るのがユリアーナよりも少ないのは、怪我をした兵士たちの面倒を見ているから。救護部隊の責任者のような立場になっているので、戦闘がない日も忙しいからだ。
「……まったく。とにかく俺は特別なことは何もしていません。以前と変わらず、嫌々話をしていたのに、それでも彼女はここに来るのです。嫌そうでも話をしてくれるだけマシだと思っているのではないですか?」
「ふむ……」
ジグルスが話すユリアーナはこれまでの彼女の印象とは違う。だが恐らくは自分以上にユリアーナが嫌いなジグルスがそれを言うのだ。事実なのだろうとカロリーネ王女は考えた。
「ひどーーーい! こんな楽しそうなことをしているのに、どうして私を呼んでくれないの!?」
ただ、離れたところから聞こえてきたユリアーナの声は、以前と変わらない我が儘さを感じさせるものだ。ジグルスたちに別部隊のユリアーナを呼ぶ義務はないのだ。
「ねえ、どうして呼んでくれなかったのよ!?」
ジグルスの近くに来て、また文句を言うユリアーナ。
「呼ばなくても勝手に来るでしょ? 実際に来た」
「そうだけど……王女殿下は呼んでいるのに……」
「王女殿下と自分を同列に並べないでください。そういうのを不敬というのです」
「別に同列に並べているつもりはないわ。王家には敬意を表しているつもりよ」
「つもりは余計です。貴女はまず言葉使いを改めたほうが良いですね」
現れてすぐに間を空けることなく言葉のやりとりをするユリアーナとジグルス。その様子にカロリーネ王女は驚いている。ここまで話が弾む、とカロリーネ王女には見えている、とは思っていなかったのだ。
「それとまず、王女殿下に挨拶するべきです」
「……ごきげんよう? 王女殿下」
「ごきげんようって……どこの貴族夫人ですか。しかも語尾があがっている」
「うるさいわね! 相応しい言葉を考えたつもりなの!」
「……そういえばこういう時はどういう言葉を掛けるべきなのですか?」
ジグルスもカロリーネ王女に対して、きちんとした礼儀を守って接していない。こういう場合にかける言葉を知らなかった。
「かしこまった席ではない。こんにちは、で良い」
「普通の挨拶ですか……それはそうですね。だそうです」
「次からはきちんとするわ」
このユリアーナの言葉にカロリーネ王女はまた目を丸くしてしまう。ジグルスの指摘をユリアーナが素直に受け入れたことが驚きなのだ。
「……俺も気をつけないと」
ユリアーナに注意をしたことで、ジグルスは自分のカロリーネ王女への態度にも問題があると気が付いた。
「ジークは良い」
「でも周りが気にしませんか?」
とっくに気にしている。今周りにいる仲間たちは、自分たちが信頼するジグルスがカロリーネ王女と仲が良いことを好意的に見ているが、学院時代の護衛騎士たちは苦々しい思いを抱いて、二人のやり取りを見ていたのだ。
「ジークに畏まられたら妾が寂しくなる。お主は今のままが良いのだ」
「そうですか。ではこれまで通りに」
ジグルスも護衛騎士たちに白い目で見られても、カロリーネ王女とはこれまで通りの接し方をしているほうが楽であり、楽しい。
「……良いな。私もジークって呼んで良い?」
「駄目です」
間髪いれずにユリアーナのお願いを拒絶するジグルス。
「即答。少しくらい検討してくれても良くない?」
「たかが呼び方と思うかもしれませんが、貴女と俺では名前に対する価値観が違います。体に流れる血の半分がエルフである俺には名前はとても大切なものなのです」
ジークという呼び方を許すのは特別な相手だけ。今は家族とリーゼロッテ、そしてカロリーネ王女しかいない。
「……ハーフエルフだったの?」
「知りませんでした?」
「……言われると聞いたことがあるような気もするけど……耳尖っていないわね?」
「ハーフなので。耳に必ず特徴が出るなんて決まっていません」
「それもそうか……どこに特徴が出ているの?」
ユリアーナが見る限り、ジグルスの外見にはエルフであることを感じさせるものはない。よく見ればかなり美形だというくらいだが、エルフでなくても美形はいる。
「エルフの特徴と言われると特に……髪の色は母譲りだと思います。俺のほうが明るいですけど」
実際は髪の色以外も似ている。美形なのが母譲りなのだ。
「お母さんがエルフなのね。美人?」
「まあ、そうだと思います」
「私とどっちが美人?」
「普通そういうこと聞けます? 自分の外見に相当自信を持っていても、口にはしませんよね?」
「…………」
「……何か?」
またたまに見る反応。この反応の意味はかなり話すようになってもジグルスには分からない。
「別に……それでどうすれば呼ばせてくれるの?」
「どうしてということはありません。特別な呼び方は特別な人だけに許されるもの。貴女とはこうして話すようになりますけど、特別な関係ではありません」
「……ひっどーい! 何それ? 勿体ぶっちゃって。たかが名前じゃない。どう呼んだって良いでしょ?」
「おい! 何だ、その言い方は!? エルフにとって名はとても大事なもの。さっきジークが教えたではないか!?」
ユリアーナの言いようにカロリーネ王女が怒声をあげた。ジグルスに特別な人と言われたことが嬉しくて、だからこそ名前の呼び方を貶めるようなユリアーナの言い方が許せなかったのだ。
「王女殿下。この人のこういうのにいちいち腹を立てていたら、話になりませんから。貴女も鍋食べに来たのなら、自分で取ってきて下さい。待っていても運んできてくれる人は……あっ、いた」
「えっ?」
ジグルスが視線を向けているほうにユリアーナも目を向ける。たしかにお椀を持った兵士が近づいてきていた。
「……ユ、ユリアーナ殿!」
「は、はい」
緊張した様子の兵士。その態度にユリアーナは戸惑っている。
「よろしければどうぞ」
「……ありがとう」
差し出されたお椀を受け取るユリアーナ。
「ついでによろしければ!」
「……何?」
「自分と結婚していただけますか!?」
「……はい?」
まさかのプロポーズ。ユリアーナが自分の耳を疑った。だが周りの兵士たちに、ジグルスにも驚いた様子はない。こういう展開になることを予想していたのだ。
「自分は貴女のことが好きです! だから! この戦争を無事に生き延びられたら! 結婚してください!」
「……からかわないでよ」
「自分は本気です! 本気で貴女のことが好きです!」
「……ば、馬鹿じゃない!? どうして私が貴方みたいな男と結婚しなければならないのよ?」
「分かっています! だから自分は頑張って! 貴方に相応しい男になります!」
「……なれるわけないでしょ!? 良い!? まずは……顔、そう、顔よ。鏡を見てから言いなさい。その顔が私に相応しいと本気で思っているの?」
兵士の告白に対して、酷い言葉を返すユリアーナ。それにカロリーネ王女はまた切れて、怒鳴りつけようとしたのだが、ジグルスがあげた手によって制された。
「……動揺していますね?」
「なに?」
小声で話すジグルス。カロリーネ王女にはその声は聞こえている。ただ「動揺している」の意味が分からなかった。
「彼女、プロポーズされて動揺しています」
ジグルスに言われて、冷静にユリアーナの様子を見てみると、確かにそうかもしれないと思った。兵士に向けて罵声を飛ばしているユリアーナ。だが、その声は震えているようにも聞こえる。
「……どうして?」
「本心を隠すための罵声かもしれません」
「それは……好意的に見すぎではないのか?」
ユリアーナは、カロリーネ王女からすると、かなり酷いことを言っている。言われている兵士はかなり傷ついているだろうと思うのだ。
「そうかもしれません。だからカロリーネ王女がご自身で彼女を良く見て、判断してください」
「どうして妾が?」
「自分の判断に自信がないからです。ああいう彼女が俺は大嫌いでした。でも話す機会が増えて、もしかすると自分は勘違いしていたのではないかと思い始めました」
「勘違い?」
「彼女は自分に周囲の怒りを向けさせることで、兵士が恥をかかないようにしているのかもしれません。さっきの俺に対する言葉もそう。かなりきつく拒絶した俺のほうが悪者になってもおかしくない状況で、同情されるべき彼女はそれを拒否した。酷いことを言うことで、俺が同情されることになった」
「それは……どうなのだろう?」
ジグルスの説明を聞くとそうなのかもしれないと思う。だがやはり好意的に見すぎだという考えは消えない。ユリアーナは善人ではない。これは間違いないとカロリーネ王女は考えているのだ。
「俺も彼女の行いを忘れていません。許してもいません。ただ……今の状況はいじめっ子が、その悪事がバレて周りから無視されるようになった感じ。新しい虐めが行われているようで嫌なのです」
「妾たちが彼女を虐めている……」
「たとえです。ただ俺の気分が良くないだけです」
「ジーク、お主というやつは……あれだな」
「あれ?」
「あれは、あれだ」
普段はいつも素っ気ない態度をとり、人への関心のなさを感じさせるジグルス。だがその心の奥には人に対する優しさが潜んでいる。嫌いな相手のこともきちんと見て、弱者とみれば助けようとする。そんなジグルスを友人に選んだ自分の目は正しかった。
こんな台詞は恥ずかしくて本人には言えないカロリーネ王女だった。
「はい! これ以上ないほどの大失恋劇はここまで! カルもここまではっきりと言われたら、諦めがついただろ? 酷い言葉も彼女の優しさだと思え……あっ、だからって惚れ直すなよ? 俺は最初にいったはずだ。この女だけは止めておけって」
「ちょっと!? それひどくない!?」
「いや、貴方がカルに向けた罵声よりは酷くない」
「それは……貴方だって私の優しさから出た言葉だって言ったじゃない!」
「それはカルを慰める為に嘘をついただけです」
「嘘じゃないから! 私は彼に……彼に……馬っ鹿じゃない!?」
この反応でずっとやり取りを見ていた兵士たちも、ジグルスの言ったことが真実なのだと感じた。ユリアーナが告白したカルに酷い言葉を投げつけたのは、わざと嫌われる為なのだと。
それはユリアーナが現れ、ジグルスをほぼ独占してしまっていることにずっと腹を立てていたリーゼロッテも同じ。リーゼロッテの場合はそれにさらに別の思いも加わっている。
「……先にジークに会えて良かった。心からそう思うわ」
ユリアーナの今の姿はかつての自分と同じだと。ジグルスは周囲に誤解、だけではないのだが、されることが多かったリーゼロッテの良い面を引き出し、それを周囲にも知らしめることで印象を変えていった。
周囲に好意的な目が増えたことで、リーゼロッテも素の自分を出せるようになり、さらに悪いところを改めようという思いも生まれ、今の彼女があるのだ。
ユリアーナの側にジグルスがいて、自分の側にジグルスがいなければどうなっていたのか。想像したくもない仮定だ。リーゼロッテは運命に感謝した。ジグルスと結ばれることのない運命を恨んでいたことを少しだけ反省した。