ローゼンガルテン王国軍の陣営のほぼ正面から森の奥に伸びる道。もともとは猟師やきこりなど森で育まれる資源で、生活の糧を得ている人たちが使っていた道だ。
かろうじて荷馬車が通れるくらいの道幅だったそれは、今はその何倍もの広さになっている。多くの犠牲を出しながらも、拡張してきた結果だ。その拡張工事がある距離まで進むと今度は周囲の木を切り倒して空間を作る作業。砦を構築する場所を切り開くのだ。
そこを起点にしてさらに道を延ばし、砦を築く。それを繰り返してエリアを制圧していく。魔人戦の為に考えられた作戦、となっているが実際は遠い昔から行われていた戦術だ。遠い昔には行われていたが正しい。
国が成立し、国境が確立して数十年、数百年のところもあるが、その間に重要な地には砦や城が築かれている。今の時代はその砦や城の奪い合い。戦場によっては敵の拠点に対抗する為の砦を築くことなどはあるが、ここまで大規模な陣取り合戦は行われることはなくなっている。余談だ。
ローゼンガルテン王国軍は最初の砦を構築する場所を切り開いている状況。多くの兵士が高く伸びた木と戦っている。
「周囲の警戒を怠るな」
そんな兵士の様子を時折眺めながらも、エカードの意識は切り開かれた空間の外に向いている。いつ魔人軍が襲ってくるか分からないのだ。
エカードの提案はリリエンベルク公国軍が拒否したことで完全には実現しなかった。だがそれで諦めるエカードではない。リリエンベルク公国軍を除いて精鋭を選抜し、護衛任務についている。
リリエンベルク公国軍の部隊がいなくても作戦は成功する。こう考えているのだが。
「……リリエンベルク公国軍は何をしているのでしょうか?」
クラーラはエカードがどう思うかなど気にすることなく、リリエンベルク公国軍について尋ねてきた。
「後方の安全を確保している、はずだ」
ここまで続く道の安全確保。退路を失うような事態は絶対に避けなければならないので、かなりの人数が後方に配置されている。その後方を守る部隊さえ、魔人軍の奇襲を受けているのだから実際にどれだけの意味があるのか疑問に思うべきだが。
「……それだけでしょうか?」
「それが彼等の任務だ」
クラーラが何を言いたいのかエカードは分かっている。ジグルスが戦場に現れて何もしないはずがないとクラーラは考えているのだ。
正直、エカードもそう思っている。誰よりも勝利に貪欲だと思える今のリーゼロッテが私情を優先するはずがない。自分の提案を断ってきたのには何か理由があるはずなのだ。
「でも……遠くから何か聞こえてきます」
「えっ?」
「争いの音でしょうか?」
「クラーラ、そういうことは……」
早く言ってくれ。これをエカードは呆れて言葉に出来なかった。気配りが出来て、几帳面のはずのクラーラなのだが、たまにこういったことがあるのだ。
「急いで指示しなくて良いのですか?」
そのくせ、こうしてエカードには文句を言ってくる。
「作業中止! 中央に集まれ! 護衛部隊! 周囲を警戒しろ!」
エカードの号令を聞いた兵士たちが一斉に動き出す。作業を止めて空地の中央、やや森の出口に近いところに集まっていく。それとは逆に森との境に近づいていくのは護衛部隊の面々。森の奥に、睨み付けても遠くを見通せるわけではないのが分かっていても、じっと視線を向けている。
「……北だ! 北のほうから来るぞ!」
エカードの耳にも森の奥の喧騒が聞こえてきた。それは他の人々も同じ。方向が分かったことで森から少し離れ、北を向いて、迎え撃つ体勢をとった。
喧騒はどんどん大きくなっていく。
「来るぞ!」
木々の隙間から見えた影。それはすぐに光の下に飛び出してきた。
「迎え撃て!」
エカードの号令が飛ぶ。それと同時に放たれた魔法が姿を現した武装したゴブリンたちに襲い掛かる。直撃を受けて地に倒れていくゴブリン。その後ろからも続々と木々の影から飛び出してくる。
更なる魔法が放たれ、それを逃れて近づいてくるゴブリンには剣が振るわれた。そしていよいよ姿を現したのは魔人。ゴブリンに比べれば遙かに大柄な鬼のように頭に角を持つ魔人だ。
森から出てきた魔人は待ち伏せていたエカードたちを見て、少し驚いた表情を見せた。だがそれもわずかな時間。後ろを気にする素振りを見せたかと思うと、一転もの凄い勢いで駆け出してきた。
その魔人に向かって放たれた魔法。だがそれは魔人の腕の一振りで弾き飛ばされた。
「中途半端では通じない! 全力で行け!」
より強力な魔法がユリアーナから放たれる。だが巨体からは想像出来ない魔人の素早い動きに付いていけない。
「うおぉおおおおっ!」
魔法が避けられたところで雄叫びを上げながらウッドストックが前に出る。もの凄い勢いで駆けてきた魔人と激突。大きく後ろに押し込まれながらも、なんとか耐えている。
「今だ!」
魔人の動きを止めたところで一斉攻撃。タバートの豪剣が、レオポルドの魔法剣が魔人に襲い掛かる。さらに周囲から襲い掛かる色とりどりの魔法。それら全ての直撃を受けた魔人は、ゆっくりと地面に倒れていった。
「よし! 警戒を緩めるな!」
魔人を倒してもエカードに油断はない。森の奥からさらに敵が現れるのではないかと警戒を向けている。
「……大丈夫か?」
森には静寂が広がっている。聞こえてくるのは風でざわめく木々の葉の音と、遠くで鳴く鳥の声くらいだ。
「ずいぶんと騒がしい奇襲でしたね?」
「えっ……?」
「いつもこうだと楽だと思いませんか?」
遠くから喧騒の音を響かせて魔人軍は現れた。まったく奇襲になっていない。
「そうだな……」
そんなはずがない。これまで何度か奇襲を受けた場にエカードたちはいた。その時は間近に迫られるまで、まったく気付けなかったのだ。
「……またです。騒がしくなりました」
「方向は?」
「……西、でしょうか?」
「そうか……西だ! 西で何か起きている!」
一旦、耳を澄ますのを止めて、西を向いて陣を組む。それが終わると沈黙。また今度は意識を西だけに集中させて耳を澄ませる。
何人かには聞こえたようで、何の音か聞き分けようとする仕草が見られる。
「……戦いの音だな」
「ああ、僕もそう思う」
耳に届いたのは、もうすっかり聞き慣れてしまった音。様々な声、金属と金属がぶつかり合う音。戦闘が行われている音だ。
「つまり、こういうことですか? 奇襲を仕掛けようとしていた敵に、奇襲を仕掛けた味方がいる」
「そんなことが……」
何故出来るのか。出来るのであればこれまで行われなかったのか。こう考えると答えは出る。
「来るぞ!」
西の木々の隙間から影が見えた。戦闘体勢にはいるエカードたち。その彼等の前に姿を現したのは。
「王女殿下! いますか!?」
背中に人を背負ったジグルスだった。
「はあ……護衛部隊に参加するか何故、聞いてきたのかと思っていたが……妾をこき使うことにかけてはジークに並ぶ者はおらんな」
呼ばれたカロリーネ王女はブツブツと文句を呟きながら前に進み出てくる。その彼女の姿を見つけたジグルス。人を背負ったまま駆け出してきた。
「お願いします!」
背負ってきた人を地面に降ろしたジグルス。怪我を負ったリリエンベルク公国軍の兵士だ。
「ふむ……かなり深い傷だな。傷そのものは綺麗か。血が流れすぎているようだが、そのおかげでもある」
傷の様子を確認していくカロリーネ王女。助けられない兵士の為に魔力を使うつもりはないのだ。これはこれまで多くの怪我人を治療してきた中で身につけたもの。非情なのではない。魔力切れで助けられなかったことを悔やんでのことだ。
「……じゃあ、俺は行く」
「あ、ああ……あ、あとから、追いかける」
「……無理するなよ。本当に無理しなければならない場面はこれからもっとあるからな」
「わ、分かってる。な、なんたって、き、教官、の下で、た、戦うのだから」
「馬鹿言うな。じゃあ、また一緒に戦おう」
「あ、ああ」
出てきた森の中に駆け戻っていくジグルス。
「さて、では行くぞ。自分でも強く願え。助かりたいと」
治癒魔法は基本、怪我をした本人の魔力、生命力を活性化することで治すもの。本人の意思も影響するのだ。
魔法を唱えるカロリーネ王女。淡い光が兵士の体を包み込んでいく。
「……完全には無理か。だが出血は止まっている。あとは自然に塞がるな」
傷跡は完全には消えなかった。だが出血が止まっているのであれば、まず問題にはならない。魔法に頼らない自然治癒で消えるか、そうでなくても戦場を経験した兵士であればこれくらいの傷跡、一つや二つはあるのが普通だ。
「……ありがとうございます。王女殿下に直々に治療してもらえたなんて一生の思い出になります」
「おだてるな。それにそんなにありがたみはない。ジークの馬鹿には何度治療してやったか」
「……王女殿下は教官をそう呼ばれるのですね?」
ジグルスをジークと呼ぶのは家族とリーゼロッテだけ。真似をして呼ぶことは許されていないのだ。
「ん? ああ、ジークに許して貰った。妾とジークは友達だからな」
「王女殿下と友達……まあ、あの人だからな。さて、じゃあ、俺は行きます。きちんとした御礼はまた後ほど」
「お、おい? 本気で戦いに戻るつもりか?」
傷は塞がった。だがかなり深くて、放置しておけば死んだかもしれないほどの深手だったのだ。すぐに戦闘に戻るなど普通ではない。
「教官が戦っていますから」
「……さっきのジークのあれは、お主を元気づける為だと妾は思うぞ」
ジグルスは彼に「また一緒に戦おう」と言った。だがそれは兵士を元気づける為に言ったものだとカロリーネ王女は想う。
「いや、それは分かっています。そんな言葉に関係なく、俺は教官の側で戦い続けたいのです」
「何故そこまで?」
「……教官は俺たちに、なんというのかな、戦う理由を与えてくれました」
「戦う理由?」
「俺は臆病で、死ぬのが怖くて、戦場に出るのが怖くて、早く徴兵期間が終わらないかなってことだけを毎日考えていて。軍では完全な落ちこぼれ。それはそれで除隊されて良いかななんて思っていたのです」
「そうか……」
兵士の気持ちはカロリーネ王女には分からない。だが死を、戦場を恐れる気持ちは普通だと思う。
「でも教官は、俺たち一人一人を決して見捨てることなく、俺等がどんなにダメダメでもずっと付き合ってくれて……それでいて自分はまた別に凄く辛そうな鍛錬をしていて……凄いなって」
ゆっくりと、その時のことを思い出しているかのように兵士はジグルスへの思いを語り始めた。
「この人みたいになりたいな、なんて、年下なのに思える人で……でも凄くその背中は遠くて……でもその気持ちはすごく自分たちに近くて……」
まるで今にも泣き出してしまうのではないかという表情で語る兵士。ジグルスへの思いの強さはその表情を見ているだけで良く分かる。
「ジグルスの為であれば何でも出来る、か?」
「はい。でもちょっと違うのです」
「何が違う?」
「この人の為というより、この人と一緒にいれば自分たちはきっと一人では見られない景色が見られるって思うのです」
ジグルスの為だけではない。自分の為であり、皆の為でもある。
「……英雄になりたいのか?」
「違います。英雄ってのは王女殿下たちのような特別な人がなるものです。俺たちが望むのはその真逆。名も無き俺たちでも歴史は変えられる。歴史は大袈裟ですね。大きな功績を残せることを証明したいのです」
兵士の心には特別な人への複雑な思いがある。憧れに近いものではあるのだが、憧れのままではそこに届かない。凡人でも憧れの存在に並ぶことが出来る。そう思わせてくれたのがジグルスなのだ。
「……俺、何を言っているんですかね? すみません。良く分からなくなったので、もう行きます」
「本当に行くのか?」
「行きます。教官が、仲間が戦っていますから」
最後に笑顔を向けて、兵士はジグルスが向かった方向に駆け去って行った。
「……馬鹿者が、お主が側で戦いたいと願うその人だって特別な人だろう。無名のままでいられるはずがない」
ジグルスが無名の存在でいられるはずがない。カロリーネ王女はそう思っている。そんなジグルスに名も無き兵士が付いていけるのか。
「……そうか。ジグルスに付いていくことが彼等の証明になるのか」
凡人が特別な存在であるジグルスの隣に居続ける。名も無き存在のまま、彼等は歴史で語られる存在になるかもしれない。彼が語った言葉は、真実になるのかもしれない。
カロリーネ王女は兵士の言葉の意味が、少し分かった気がした。
◆◆◆
その日の魔人軍の奇襲はことごとく失敗。ローゼンガルテン王国に気付かれないように潜んでいるはずが、逆にその場所で奇襲を受け続けた。
あり得ないことだ。森の中には魔人軍の情報網が張り巡らされている。奇襲を行ったローゼンガルテン王国軍の部隊はその網をことごとくかいくぐり、いくつもの部隊に攻撃を仕掛け、消えていったのだ。
「どうなっている!? 冥夜の一族は何をしているのだ!?」
魔人軍の本営では総指揮官のオーズが怒り狂っている。
「間もなく調査の結果を報告にくるはずです。それをお待ちください」
その怒鳴り声を受けているフェンは、苦い表情を見せながらもオーズを宥めようとしている。
「それは待つ! だがこの事態はどう説明する!? 我等のほうが奇襲を受けるのなどあり得るのか!?」
森の中は魔人軍のホーム。そうであるからローゼンガルテン王国をこの戦場に引き込んだのだ。この場所で戦力を削り、さらに大軍を投入して殲滅する。そういう計画、元からは変更になっているが、なのだ。
「……鼠一匹の動きも見逃さないというほどではありません。それを行うには人数が足りません」
「しかし……あの冥夜の一族だぞ?」
冥夜の一族は魔人の種族の一種。一族という呼び名は他にはない特別なもので、ただでさえ隠密性に優れる魔人の中でもその能力がずば抜けていることから情報部の役目を担っているのだ。
「かの一族は確かにそちらの面では特別優れていますが、過信はいけません。それとも総指揮官はかの一族に特別な思いでもあるのですか?」
「ま、まさか。そんなものはない。ただ……そうだな。戦闘種族には厳しい目を向けているのに、諜報係ということでつい甘くなっていたようだ。気をつけよう」
「それがよろしいかと。さて……では話を聞いてきます」
間者を務めている冥夜の一族が人前に姿を見せることは滅多にない。それは戦場でも同じだ。会うのは必要最低限の相手、この戦場ではフェンが窓口となっているのだ。
バルドスの側を離れて歩き出す。目的地がどこというのではない。こうして歩いていれば、相手のほうが勝手に姿を現す。
「……来たね。さて、話を聞かせてもらおうか?」
「……も、申し訳、ありません」
「私が聞きたいのは謝罪ではなく、敵を見つけられなかった理由」
「……も、申し訳ござ、いません」
相手の口から出たのはまた謝罪の言葉。苦しげな様子で言葉を発している。
「それは……」
それは失敗を咎められるのを恐れてのことか。そうではない。心の震えによるもので、ここまで苦しそうにするはずがない。目の前にいるのは冥夜の一族なのだ。
「……君、死ぬよ」
「…………」
「あっ、いや、駄目だ。僕は何も気付かなかった。君は何も言わなかった。だから何も分からない。もう良いよ。話は終わり」
慌てた様子で話を切り上げるフェン。その彼の終わりの言葉と同時に目の前で跪いていた影が消えた。
「……ああ、無理だ。でも聞かれなければ良いのか? いや聞かれるな。その場合はどう答えれば良い? どう答えれば嘘にならない?」
オーズにどう報告をしようかフェンは考えている。正しくはいかに報告しないでいられるかを考えているのだ。
「しかし……そういうことだとすれば……妹殿は何を考えている? 死ぬ、いや、ひと思いに死ねるならまだマシか」
フェンの想いは盟約の妹。血のつながりはないが兄妹の契りを交わした相手に向かっている。今頃、どのようなことになっているのかと。
◆◆◆
そのフェンが想いを向けている相手はその頃、ほぼ彼の想像通りの状態に陥っていた。
「うがぁあああっ! あぁああああっ!!」
「ヘル! 大丈夫か!? ヘル!」
床の上をのたうち回っている妻を、なんとか押さえ込もうとしているクロニクス男爵。だが彼女の力は強く、落ち着かせることは出来ないでいた。
「しっかりしろ! 死ぬな! ヘル! 死ぬな!」
必死の形相で妻に声を掛けるクロニクス男爵。だがその声に応えはない。妻は苦しそうにうめき声をあげ続けている。
「死ぬな……頼む……死なないでくれ」
妻に掛ける声はいつの間にか祈りに変わっている。クロニクス男爵にはそれ以外、何も出来ないのだ。
「……へ、平気」
「ヘル!?」
ようやく返ってきた妻の声。
「……ま、まったく……あ、あの子は……し、初回から、大活躍ね……」
「無理して話すな。安静にしていろ」
「病気、じゃないから……」
ジグルスの母は病気で苦しんでいたわけではない。安静にしていても、それをしなくても変わらない。
「……ジークに真実を話そう」
「話しても何も変わらないわ。変える為には……」
問題の根本を何とかしなければならない。それをする覚悟を彼女は決めているのだ。
「馬鹿なことを考えるな」
「馬鹿なことではないわ。もう舞台は整っている。私たちも舞台に上る時が近づいているわ。貴方も分かっているはずよ?」
「……俺一人でと考えていた」
いつか来ると思っていたその日は近づいている。それに対する覚悟は、クロニクス男爵にも定まっているのだ。
「ハワード、恩を感じているのは貴方だけではないわ。私のほうが受けた恩は重いの。それに……私を一人にするつもり?」
「ジークがいる」
「あの子が隣にいなければいけない相手は母親の私ではないわ。私たちはもう子離れをしないと」
「子離れか……」
妻がこのところ何度も口にしている「ジークの人生を歪めたくない」という言葉。歪めているのは父親である自分もだとクロニクス男爵が思っている。それを改める時が来たのかもしれないと。
「もう何度も言ったけど、私は幸せ。こんな幸せが自分の身に訪れるなんて、想像もしていなかったわ」
「……俺もだ。まさか、ここまでの想いを持てるとは、正直考えていなかった」
「良かった……本当に良かった」
終わりの時が近づいている。それは始まりの時でもある。その時に向けて、すでに舞台は整っているのだ。