月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

異伝ブルーメンリッター戦記 第55話 開戦

異世界ファンタジー小説 異伝ブルーメンリッター戦記

 ――その日は突然やってきた。
 すでに一年近く前からローゼンガルテン王国は戦時体制に移行し、開戦に備えてきたのだが、多くの人々がそういう感覚を持ってしまうほど、何の前触れもなく魔人軍は現れた。ローゼンガルテン王国の西の国境、ラヴェンデル公国領に。
 各公国もそれぞれ戦争に備え、ローゼンガルテン王国軍はどこで戦いが起きても対応出来るようにと四方の公国領への入り口に初動部隊、そして王都周辺に本隊を配置していたが、人々の意識は北、それも大森林地帯に接する北東部に向いていた。完全にその裏をつかれた形だ。
 魔人軍が現れたラヴェンデル公国も戦いに備えていたとはいえ、魔人軍は自領の北東、リリエンベルク公国側から現れることを想定して部隊を配置していた。もちろん、国境となる西の備えを疎かにしたつもりはない。だが、全体が北東に傾いていれば、普段よりも西の守りは薄くなる。しかも魔人軍は国境の外からではなく、いきなり領内に現れたのだ。
 ラヴェンデル公国軍は一気に自領の西部を魔人軍に制圧された。制圧といっても魔人軍は領地を押さえるわけではない。西部に配置されていた部隊をほぼ壊滅状態に追いやり、中央都市リラヒューゲルに迫ろうとしているのだ。

「……魔人軍の数は?」

 何の前触れもなく領地にやってきたリリエンベルク公国軍騎士団長にこれまでの戦況を聞いたところで、クロニクス男爵は敵の数を確認した。

「確認出来ているだけでおよそ十万。どれだけの魔人がいるのかは確認出来ていない」

「それが大事なのだが……ろくに戦っていない状況では難しいか」

「ラヴェンデル公国軍はリラヒューゲルに集結している。王国軍の西部方面部隊六千も公国内に入った。全軍で二万四千というところだ」

 ラヴェンデル公国軍、そしてローゼンガルテン王国軍は反攻の準備に入っている。

「王国軍はそれ以上、動かさないのか?」

「いや、中央からさらに一軍六千が送られると聞いている。ただ合流は少し遅れるだろう。魔人軍が待ってくれるとは思えない」

「……それはどうだろうな」

 騎士団長の意見に対して、クロニクス男爵は否定的な言葉を返した。

「待つ……? つまり、陽動だと考えるのか?」

「可能性はある」

「理由を聞かせて貰いたい」

 何故、陽動だと考えるのか。その理由を騎士団長は尋ねた。騎士団長がクロニクス男爵領を訪れた理由の一つがこれなのだ。

「十万という数だ。少なすぎる」

「十万の大軍を少ないと言うか……」

「魔人が十万現れたというのであれば、少ないとは言わない。陽動を疑うこともない。だが多くが魔物であった場合、ローゼンガルテン王国にとって十万という数は驚異だろうか?」

 各公国で多少の差はあるがそれぞれ三軍一万八千。中央の王国軍が五軍三万。常備軍だけで全軍十万二千。魔人軍を超えている。魔物の比率が多ければ、恐れる必要はない敵だ。

「一万が魔人であった場合は?」

「一万も魔人がいるのに従う魔物が九万。絶対とは言えないが、魔人軍がその程度とは思えない」

 一人の魔人、それなりに力のある魔人に限っての話だが、それに従う魔物は十や二十ではない。数百、千を超える魔物が従っているのが普通だ。もちろん魔物を従えることをしない魔人もいるので、クロニクス男爵も絶対とは言わない。

「……そんな数が」

「ローゼンガルテン王国の全国民を戦いに参加させたらどれくらいになる? 魔人、そしてそれに従う魔物は全て、子供は外れるだろうが、兵士。そう考えれば現れた何倍もの数がいてもおかしくない」

「しかしろくに訓練も……そうだな。一体一体の魔物の戦闘力はそれほどでもないのか」

 戦いのことだけ、それも数を増やすことしか考えなければ公国軍だって何倍にも出来る。とにかく領民を集めて、武器を持たせるだけなのだ。だが公国では、王国でもそんな真似は出来ない。

「正確に言うと魔物は持って生まれた力だけで戦っている。何もしなくても強い魔物だっている」

「……陽動だとすると次はどう出る?」

「それへの答えは持っていない。一番、考えられるのはここに攻めてくること。だが、もう一捻りしてくる可能性もある」

 ラヴェンデル公国にローゼンガルテン王国軍を引きつけた上で、リリエンベルク公国に侵攻する。この可能性が高いとクロニクス男爵は考えているが、これも絶対ではない。可能性が高いと言える作戦は、誰もが思い付くものでもあるのだ。

「……全体の数が分からなければ絞りきれないか。あと何カ所、攻めることが出来る数がいるのか」

 魔人軍がどれほどいるのか。三、四十万であれば本命であるリリエンベルク公国を狙ってくると決めつけてもかまわないと思うが、それがその倍となるとそうはいかない。さらに別の公国に現れる可能性も出てくるのだ。

「……ジーク、お前ならどうする?」

 クロニクス男爵は不意に同席しているジグルスの考えを尋ねた。

「どうする?」

「お前が魔人軍の指揮官ならどうする?」

「ええ……それ俺が答えること?」

 かなり重要なことを聞かれている。そんなことを求められてもジグルスは答えに責任を持てない。

「難しく考えるな。ちょっと意見を聞いてみたいだけだ」

「……中途半端な陽動はしない」

「中途半端な陽動とは?」

「たとえば十万ずつで各公国を攻めること。それではこちらの戦力だけでなく、魔人側の戦力も分散する。それに分散しては陽動にならない」

 陽動はそれを行った結果、敵に隙を作らせなければならない。分散させては、それにより各戦場で敵を圧倒できるのであれば話は別だが、そうでなければ戦況が膠着するだけだとジグルスは考えている。

「そうならない為には?」

「……本気でラヴェンデル公国を制圧する。いや、違うか。こちらに本気だと思わせるだけの攻撃を仕掛ける、かな?」

「さらにラヴェンデル公国に魔人軍は侵攻するか。一万八千、合流する王国軍一万二千を加えると三万二千か。それを西に引きつけて……北東。リリエンベルク公国から見て西だな」

 そうなるとラヴェンデル公国軍と王国軍は兵力を分散させなければならなくなる。だがその余裕がなければ他の部隊をラヴェンデル公国の北東に送ることになる。戦力は西に偏る。

「……ラヴェンデル公国に王国全体の軍を引きつけるのであれば、狙いは東。キルシュバオム公国になるのではないか?」

 騎士団長もジグルスの陽動作戦の考えについては肯定的だ。だがそうなった場合、敵が狙うのはもっとも遠くなる東のキルシュバオム公国になる可能性を考えた。

「可能性は否定しない。ただ……本拠地を空にするかな?」

「大森林地帯に攻め込む……いや、そうしないと決着しないか」

 魔人の本拠地は大森林地帯内。そこを放置しておけば、今回勝ててもまた何十年後かに戦いが起こる。ただ足を踏み入れるだけでも危険と言われる場所であっても、決着を付けるには攻め込まなければならないのだ。

「本拠地を空にするくらいの数でキルシュバオム公国に攻め込んだのであれば、こちらも大森林地帯に攻め込めば良い。危険を感じれば魔人軍は他の公国からは引くだろう」

「結局、決戦は北東部になる。これは変わらないわけだ」

「つまり北東部以外の戦いはすべて陽動か……」

 ジグルスに視線を向けて、自分の考えを言葉にするクロニクス男爵。ジグルスがここまで読んでいたのかを確かめようという思いからだが、表情からは読み取れなかった。

「分かった。私も納得出来た」

「まさかと思うが、この意見を聞くためだけにここに来たのではないだろう?」

「ここに来た理由の一つではある。公爵様のご指示だ。話を聞いて納得出来たのであれば、公爵様の考え通りに動けと言われている」

 リリエンベルク公爵の考えに騎士団長は納得出来なかった。公爵は無理強いすることなく、クロニクス男爵、ジグルスかもしれないが、の話を聞いて納得した場合には指示に従えと告げていたのだ。

「その公爵様の考えとは?」

「ラヴェンデル公爵家から支援要請が来ている。それに対して、特別遊撃隊を送る」

「えっ?」「なんだと?」

 ジグルスとクロニクス男爵の驚きの声が重なる。

「私はもっと大軍を送るべきだと考えていた。軍事的な意味だけでなく、ラヴェンデル公爵家との信頼関係を壊してはならないと考えてのことだ」

「公国の為を思ってのことだとは分かるが、騎士団長が考えることではないな」

 騎士団長であれば純軍事的な思考だけで物事を決めるべきだとクロニクス男爵は考えている。他の事情はそれを担当する人が考えることで、そのどちらを優先するかはリリエンベルク公爵が決めることだと。

「分かっている。ただリーゼロッテ様の婚姻がある。婚姻は軍事同盟的な意味合いが強いのだ。それを約しておいて軍を送らないのは問題にならないかと考えた」

「……なるほど」

 ジグルスの手前、リーゼロッテの婚姻についてはコメントしづらいクロニクス男爵だった。

「それに侯爵様は指揮官をリーゼロッテ様にすると」

「えっ……?」

「他に適任者がいない。それに孫娘であるリーゼロッテ様を戦場に送ることで、誠意を見せることにもなる。ヨアヒム様でも良いのだが……その、万一、相手を失望させることになってはあれなので……」

 最後のほうは煮え切らない。リーゼロッテの兄であるヨアヒムには軍事的な才能がない。無能なのではない。優れていないだけだ。その一方でリーゼロッテの軍才は認められている。実戦で証明されたものではないとしても。

「公国の防衛態勢を崩さないまま、要請に応えるにはそれしかないと……否定する点は見つけられないな」

 公国軍の主力を動かせば、その分、守りは手薄になってしまう。それではまんまと魔人軍の策に嵌まることなる。リリエンベルク公爵の考えをクロニクス男爵も否定出来ない。否定するとすればジグルスの気持ちを思ってだが、それを騎士団長に言うわけにはいかない。

「いざ特別遊撃隊を送るとなると時間がない。すぐに移動する必要がある。私はこのまま前線になるであろう北東部に留まることになるので、移動の段取りは任せたい」

「……承った」

 騎士団長の要請もクロニクス男爵は断れない。特別遊撃隊は公国軍であってクロニクス男爵家の軍ではないのだ。

「出来ればあとから合流した兵士は残したいのですが?」

 ジグルスが話に割って入ってきた。

「後から来た? ああ、最後に送った百人か。理由は?」

「まだ訓練が足りていません。今の状態で戦場に送り込んでも足手まといになります」

「足手まとい……教官である君がそういうのであればそうなのだろう。仕方がないな」

 最後に合流した百人は、ジグルスが考えた鍛錬をこなせなかったとはいえ、リリエンベルク公国軍では一人前の兵士扱いだ。ほとんどの兵士が鍛錬をこなせなかった中、たいして基準もなく百人が選ばれただけなのだ。
 だが足手まといになるとまで言われては、残留を認めないわけにはいかない。

「ありがとうございます。大きく遅れることはないと思います。王国軍があまりにも早く動いてしまうと別ですけど」

「……もし早く動いてしまった場合は?」

 思わせぶりな言い方。それが騎士団長は気になった。

「合流は出来ないかもしれません。ただ百名だけの部隊で何が出来るか……」

「そういうことか……侯爵様に伝えておこう」

 王国軍が早く動けば、それだけ西に引きつけられる時期が近くなる。そうなれば魔人軍は新たな動きを見せる。ラヴェンデル公国北東部からの侵攻だ。
 新手の魔人軍に、リリエンベルク公国とラヴェンデル公国軍本隊の間に割り込まれては、合流は難しくなる。そもそもその新手と対峙しなければならなくなるはずだ。百名だけでは何も出来ないだろうが。
 ラヴェンデル公国の北東部に魔人軍は現れる。その前提で対応を考えるべきだとジグルスは言いたいのだと騎士団長は理解した。

「ではあとを頼む」

 この場で話すことは全て話し終えた。そう考えた騎士団長はすぐに去ろうとしている。最前線の視察、それを受けて必要があれば再配置の検討と実行。考え得る限りの戦術のシミュレーション等など、やらなければならないことは山ほどある。
 しかも時間がない。クロニクス男爵、そしてジグルスと話して、魔人軍がどう動くかについての考えはまとまったが、それは絶対ではない。今この時、攻めてくる可能性だってあるのだ。

「……良いのか?」

 騎士団長が離れていったところでクロニクス男爵はジグルスに尋ねた。

「何が?」

「分かっているくせに。お前は行かなくて良いのかと聞いているのだ」

「教官だけという約束だった」

「そうだが……」

 その約束をさせたのはクロニクス男爵でもある。それで「良いのか」なんて尋ねれるのはなかったとクロニクス男爵は反省した。

「それにまだやることがある。残った百人を鍛えないと」

「そうだな……」

 言葉にしたことが本心ではないのは分かりきっている。だが、今この場でジグルスの思い通りにして良いと言ってあげることはクロニクス男爵には出来ない。その結果、苦しむのはクロニクス男爵ではない。妻なのだ。

 

◆◆◆

 特別遊撃隊は翌日には発った。数日分の食料と武具だけを持って向かったのだ。準備期間など必要なかった。それで足りない物があっても、それはアルウィンに運んでもらえば良い。それにシュバルツリーリエに行けば、リリエンベルク公国軍から必要な物資は支給されることになっているのだ。
 七百五十名から残ったのは百人。一気に寂しくなった感じだ。ただジグルスには感傷に浸っている暇はない。

「……始めに言っておきます。この先、訓練はこれまでよりも少し厳しくなります」

 感傷に浸っている暇がないのは兵士たちも同じだ。これまでも十分に辛かった訓練がさらに厳しくなるとジグルスは言っているのだ。

「皆さんには先発した人たちに追いつくのではなく、追い越してもらわなければなりません」

 兵士たちの間にざわめきが広がっていく。合流したばかりの頃こそ、自分たちが下に見られていることに反発していた彼等も、今となっては自分たちが落ちこぼれであることを十分に自覚している。
 その自分たちにジグルスは、先に戦場に向かった兵士に追いつくのではなく追い越せと言うのだ。

「公国の事情で特別遊撃隊は戦場に向かいましたが、まだまだ鍛えるべき点は残っていると俺は思っています」

 今の特別遊撃隊はジグルスが満足するだけの部隊にはなっていない。どこまでも高みを目指す、ということではない。ジグルスなりにここまでという目標があったのだ。
 だが兵士たちにとっては今の特別遊撃隊も精鋭に思える。これ以上、何をという思いのほうが強い。

「ここでの訓練では遅れていた貴方たちですが、それとは別の経験が貴方たちにはあります。この先はそれが活きることになると俺は思います……正直に言えば、少しだけですけど」

 兵士たちの顔に苦笑いが浮かぶ。持ち上げておいて、やっぱりこれか、という思いから浮かんだ笑いだ。

「でも、まあ大丈夫です。貴方たちなら出来ます。出来ると思うから、こうして残ってもらったのですから」

 もう一度、ジグルスは彼等を持ち上げる。落ちこぼれだから残したのではなく、期待しているから残って貰ったのだと彼等に思わせた。

「目指すのはリリエンベルク公国軍最強、ではなくローゼンガルテン王国軍最強の部隊です」

 淡々とした口調で、とんでもないことを言い出すジグルス。それに兵士たちは苦笑い、を浮かべていない。引き締まった表情でジグルスを見つめていた。彼等は知っているのだ。ジグルスが大言壮語を吐くような人物ではないことを。

「常識を越えましょう。俺たちはそれが出来るだけの努力をこれまで行ってきました。そしてこの先も行います。辛い毎日を乗り越えてきた自分を信じて下さい。自分の努力を信じて下さい。俺たちは強くなる。さあ、始めましょう!」

「「「おおっ!!」」」

 兵士たちの低い雄叫びの声が響く。
 その様子を少し離れた場所から見つめているクロニクス男爵。その表情は複雑だ。ジグルスの言葉に兵士たちと同じような静かな高揚感を覚えている。だが、それとは真逆の暗く沈む気持ちもある。

「舞台は整ったようね?」

「何?」

 いつの間にか側に来ていた妻の問いにクロニクス男爵は戸惑う。問いの意味を理解出来なかったのだ。

「準備は万全ってこと。それを私たちは『舞台が整った』と言っていたの」

「準備か……」

 舞台は整った。ではその舞台に昇る役者は誰なのか。運命は止められないのか。止めるべきではないのか。それを考えようにも、クロニクス男爵には運命が進もうとしている方向が分からない。