エアリエルが監察部に拘束された後。アーノルド王太子たちは、まさかの事態に青ざめた顔で茫然と立ち尽くしていた。
そんな中で唯一状況を理解していない者が居る。マリアだ。
「良かった。これで一件落着だわ」
こんな場違いな発言をしてしまう程に。周囲の視線が一気にマリアに集まる。アーノルド王太子たちだけではない。教室に居る全ての生徒たちの視線がマリアに注がれている。
どの視線も好意的にはほど遠いもの。明らかに睨みつけている者のほうが多いくらいだ。
「……私、何か?」
マリアにはどうして、こんな視線を向けられるのか理由が分からない。イベントが発生して、あらかじめ決まっていた形に収まっただけという認識しか、マリアにはないのだ。
「何かじゃないわよ! 貴女、ふざけているの!?」
マリアの態度にシャルロットが怒りを爆発させた。この反応は、マリアへの怒りというよりは、自分が仕出かしてしまった事態への恐れからだ。
「あの、私は別に……」
「じゃあ、何よ!?」
「それは……シャルロットさんは何を怒っているのですか?」
「……もう嫌だ。こんな人とは話もしたくないわ」
怒鳴りつけても、全く堪える様子のないマリア。これでは怒りのぶつけ先にもならない。シャルロットは苛ついた気持ちを人ではなく物にぶつける事にして、貴族の令嬢には相応しくない荒々しさで、激しい音を立てながら椅子に座った。あとはもう、マリアに背を向けたまま、頭を抱えて動かなくなった。
「マリア、もしかしたら、あの二人は死罪になる」
シャルロットの代わりにマリアに説明してきたのはランスロット。いつもの役割だ。
「死罪? そんなはずはないわ」
少なくともエアリエルは死罪にはならない。それをマリアは知っているつもりだ。
「監察部の人間は国家反逆罪と言った。国家反逆罪となれば死刑は免れない」
「でも、それはこれからの取り調べで誤解だと分かるわ」
さすがに国家反逆罪はあり得ない。マリアもそう思っているのだが、事はそんな甘い状況ではない。
「何故、誤解になるのだ?」
「えっ?」
「注進状に書かれている内容は真実だ。真実を認めたのだから、彼らは罪に問われる」
「ランスロット、何を言っているの? その内容は私たちが」
「調査結果に基づいて、事実をまとめたものです」
マリアの言葉をエルウィンが遮ってきた。多くの生徒が居る中で、マリアに不用意な発言をさせるわけにはいかないと思っての行動だ。
マリアも馬鹿ではない。エルウィンの意図をすぐに察した。
「……じゃあ、二人は死刑に?」
「その可能性はあります」
「そう……」
これで終わるのがマリアの非情さ。この世界の人々はマリアにとって、ゲームの登場人物に過ぎない。二人が死ぬのはそういうストーリーだから。こんな風にしかマリアは思えない。
「アーノルド様、これで良いのですか!?」
シャルロットはそうはいかない。アーノルド王太子への想いに捉われて、エアリエルを貶める様な真似をしたとはいえ、元々は善良な性格だ。今は罪の意識に押しつぶされそうになっていた。
「……監察部には父上以外、何も言えない」
「では陛下にお願いして」
「何と?」
「えっ?」
「父上に何を言えば良いのだ?」
「それは二人の助命を」
「それで死刑が免れたとして、その先は? 貴族の地位は剥奪、そして放逐か? それであれば、政治犯として監獄塔に閉じ込めたほうが良くないか?」
罪の意識によってシャルロットは自分を取り戻した。だが、全ての人が同じ反応を示すわけではない。罪の意識から逃れようと、逆に自分を失う者もいる。
「……何を言っているのですか?」
「しかしな。監獄塔では手続きが面倒で会いたい時に会えないか。いっそのこと、奴隷にまで落としてしまって」
シャルロットの問い掛けに答えることもなく、アーノルド王太子はブツブツと不穏な言葉を呟いている。その瞳から正気の光が失われていることにシャルロットは気が付いた。
「アーノルド様!?」
「放逐は駄目だ。それをすればエアリエルはきっと、あの男の所に行く、それは絶対に許せない」
自分がしてしまったことへの恐れ。それから逃れるために、アーノルド王太子は嫉妬心を言い訳に使っている。もちろん意識してのことではない。
「そんな……」
この世界の目的は決められた形を作ること。それによって、それに関わる人がどうなろうと世界には関係ない。
世界にとって、この世界に生きる人々は、自分の意志を実現する為の操り人形に過ぎないのだから。
◆◆◆
エアリエルたちを貶めた張本人であるランスロットたちは、結局、自己保身の為に何かをしようとはしなかった。アーノルド王太子は何かを働きかけているようだが、それがどんな方向に向かっているのかをランスロットたちは聞けていない。
時間が経って気持ちが落ち着いたおかげか、異様な雰囲気を見せることはなくなったが、それでもその時の印象が強烈過ぎて、ランスロットたちは腫物に触る様な感じで、アーノルド王太子に接していた。
何をするでもなく、ただ時が過ぎるのを待つだけの毎日を彼らは送っている。
そんな彼らとは対照的に、事態の打開に向けて精力的に動いている人物が居る。ヴィンセントとエアリエルを助ける為であれば、どんな手段でも使う人物だ。
「お久しぶりです、シャルロット様。なんて挨拶は侯家の方には慣れ慣れし過ぎますか?」
「……いえ。元気そうね、リオン」
いきなり自分の前に現れたリオン。その目的は分かり過ぎるくらいに分かっている。シャルロットは平静ではいられなくなっていた。
「目を悪くされましたか?」
「えっ?」
「今の状況で私が元気であるはずがない。そうは思わないのですか?」
「そ、そうね」
「シャルロット様もお顔の色が悪い。せっかくの綺麗なお顔が台無しです」
口調は丁寧ではあるが、今のリオンはシャルロットが知っているリオンではない。無遠慮に冷たい視線を向けられて、それだけでシャルロットは恐怖を感じてしまう。心の中にある罪悪感の影響もあるが、同じ人物とは思えない程、リオンの纏う雰囲気は冷酷そうなものだった。
「……用件はなにかしら?」
「ヴィンセント様とエアリエル様の助命に御力を貸して頂きたい」
「それは……」
「ファティラース侯家の人間であり、二人を陥れた張本人の一人である貴女が何もしないというのはあんまりではないですか?」
「張本人だなんて……あれは、ランスロットたちが中心になって」
平気でランスロットたちに責任を押し付けるシャルロット。もう彼らとの間には、かつて持っていた友情なんて感情は存在していなかった。
「それは訴状の件。貴女には、直接手を下した悪事があるはずです」
「私が直接?」
「ああ、直接ではないですか。裏から手を回して、やらせたが正しい」
「…………」
リオンが何を言いたいか、シャルロットには分かった。ただでさえ青ざめていた顔が、更に血の気を失って真っ白になる。
「シャルロット様が為さったことも王家に対する不敬。つまり国家反逆罪になるのでしょうか?」
「……どうして、そこまでのことを貴方が知っているのかしら?」
「それはどちらの話ですか? 御二人に掛けられた冤罪の件、それとも貴女が裏で糸を引いていたマリアへの嫌がらせの件?」
「……両方よ」
シャルロットは恍ける気にはなれなかった。リオンの態度には、それが出来ないだけの自信が見える。
「前者については、それを詳しく教えてくれる人がいました。後者はずっと前から知っていました。マリアへの嫌がらせだってエアリエル様への冤罪。それを私が放置するはずがない」
「でも、結果として」
「冤罪は疑いを解けば良いのです。貴女にはそれが出来る」
「私には、そんな力はないわ」
「では、私から証拠を出しましょうか?」
「証拠なんて……」
「私はもうウィンヒール侯家の人間ではありません。だからどんな手段でも取れる。まして御二人を助ける為であれば尚更です」
リオンはどんどんと胡乱な雰囲気に変わっていく。今はもう、貧民街を牛耳る裏社会の人間としてのそれだ。
「……何をするつもりなの?」
「貴女が嫌がらせをさせていた女子生徒は、全て洗ってあります。日常の行動も大体は」
「う、嘘でしょ?」
リオンは遠回しに言っているが、その示すところは明らかだ。証人を誘拐してでも白状させる、こうリオンは言っている。
「さあ? でも女性の口を割らせる方法って色々とあるものらしいです」
「……それは犯罪だわ」
今更だ。リオンがシャルロットに対して行っているのは明らかに脅迫。リオンはとっくに罪を犯している。
「聞こえていませんでしたか? どんな手段でも取る。私はこう言いました。必要であれば、シャルロット様に直接聞くことも厭いませんけど?」
「…………」
今二人が居るのは裏路地を入った所にある小さな食堂。入った時は数人いた客が今では誰も居なくなっている。人には聞かれたくない話と言われて、素直にここまで付いて来てしまった自分の間抜けさをシャルロットは呪った。
「冗談です。貴女にはしてもらうことがあります。使い物にならなくなっては困ります」
冗談と言われても、それでシャルロットの気が楽になるわけではない。それどころか最後の言葉の意味を思ってシャルロットはとうとう両肩を抱えて震えだした。
「それに、実際は既に貴女が言い訳出来ないだけの証拠は手元にあります」
これでもう落ちたと思ったリオンだったが。
「……そんな証拠は役に立たないわ」
思っていたよりもシャルロットの精神は強かった。もっとも落ち易い相手を選んだつもりだったが、さすがは侯家の一員と密かに感心するリオン。
だからといって、これで終わらせるつもりはない。
「法廷で争うつもりはありません。ウィンヒール侯家の手に渡せば、うまく使ってくれるでしょう」
「……それで二人が助かるとは」
「少なくとも貴女を道連れには出来るかもしれない。それに貴女が駄目だからといって、俺は諦めることはしません。でも、貴女には貴女を助けてくれる人は居るでしょうか?」
「…………」
シャルロットは答えを口に出来なかった、ランスロットたちはもう信用出来ない。では実家はとなると、動いてはくれるだろうが、自家に災いが及ぶと見れば平気で自分を切り捨てるに違いない。大切なのは個人より家。貴族家とはそういうものだと、その貴族の一員であるシャルロットはよく分かっている。
「さて、少しはその気になって頂けましたか?」
「……無理なの」
「まだ、駄目ですか」
「そうじゃないの! もう無理なの!」
シャルロットのこの言葉は、これまでのものとは違った、素の気持ちから出たもの。リオンもそれを感じ取った。それはリオンにとって、良い印象ではない。
「……無理とは?」
「助命については、言われなくても動いていたわ。でも、私の声なんてもう何の影響も与えないところまで来ているのよ」
「どういうことですか?」
「自分の実家を甘く見ていたわ。いえ、侯爵家を甘く見ていた」
「もしかして、今回の件を政争に利用しているのですか?」
ウィンヒール侯家を失脚させる絶好の機会。他の二家がそう考えるのはあり得ることだ。
「政争というわけではないわ。今回の件はデタラメの報告から来ているの。それを公にするわけにはいかないの。そうしなければ、罪は三侯家全てに広がるわ」
デタラメの報告で監査部を動かした。監査部は分かっていて動いたのだが、それを認めるはずがなく、報告の虚偽の責任はただそれをした者に及ぶことになる。
実は報告が虚偽であることが公になるのを望んでいるのは、訴えられた当人たちの周辺だけなのだ。
「……意地でも事実にしたいわけか」
「二侯家が工作に動いているわ。そうなれば、もう誰にも止められない。その侯家の人間である私だって無理なのよ」
言い訳には聞こえない。実際に二侯家が動き出せば、それを止められるのは国王くらいだろう。その国王でさえ、侯家には遠慮がある。ヴィンセントとエアリエルの為に無理をしてくれるかとなれば、答えは否だ。
逆に二侯家に貸しを作るくらいに考えてしまう可能性もある。
「……ちくしょう」
リオンは自分の失敗を悟った。一時期、二人の待遇が大いに改善したことで、この世界を甘く見てしまっていた。この日の為に万全の準備をしてきたつもりだったが、世界はそれをあざ笑うかのように、遥かに上回る力を見せつけてきた。
ただ、ヴィンセントとエアリエルを不幸のどん底に叩き落す為だけに。
「リオン……」
血が流れるくらいに唇を強く噛み締め、目から涙を溢れさせているリオンは先程までの自分を脅し、恐怖に震わせていたリオンではなくなっていた。
大切な人を守る為に全てを注いできた者の、そうでありながら、それが叶わない絶望に打ちひしがれている悲しい姿がシャルロットの目に映っている。
「それでも……諦めるわけにはいかないのです」
「その気持ちは分かるけど、貴方が何かをしても事態は変わらないわ」
「そうだとしても、出来ることをやるだけです」
「……そう」
何を言っても、リオンの決意が変わることはない。こんな状況でもシャルロットは、エアリエルを羨ましく思ってしまう。
「一つだけお願いがあります」
「お願いって……」
又、シャルロットの心に警戒心が湧いた。
「御二人の処分について、少しでも分かったことがあれば教えて下さい。どんな些細なことでも構いません」
「……それくらいなら。でもどうやって?」
「この店に来て下さい。貴女が顔を出せば誰かが接触してきます。その者に」
「リオン、貴方って」
リオンには、他に力を貸す人間が居る、それが分かって驚いているシャルロットだが、まさかリオンが王都の歓楽街のかなりの部分を仕切っている裏社会の大物とまでは分かるはずがない。
シャルロットでなくても分からない。リオンの存在は裏社会に属する者以外ではほとんど知る者のいない、トップシークレットなのだから。
――シャルロットは約束通り、それからしばらくして、二人の処分についての情報を持ち込んできた。
ヴィンセントは国家反逆罪というこれ以上ない罪を被せられて公開処刑。エアリエルは貴族身分の剥奪どころか、奴隷にまで落とされるという、伝えにきたシャルロットが、中々口に出来なかったほどの過酷の処分だった。
◆◆◆
表通りからかなり奥深くに入った場所にある建物。かなり大きな建物であるが、そこが何であるかを示すものは何もない。その入り口には屈強な男が立っており、出入りする者たちを厳重にチェックしている。特別な場所であるのは間違いない。
ここが何かは一般にはほとんど知られていない。知っているのは、関係者以外では、貴族か大商家の金持ちくらいだ。
彼らがこの場所で求めるのは奴隷。王国公認の奴隷市場、これがこの場所だ。
そんな場所に全く場違いな若者が訪れてきた。半分以上、顔を隠しているが、その若さと端正な顔立ちは明らかだ。
その若者が入り口に着くか着かないかの間に中から、入り口の見張り役とは違う、きちんとした身なりの男が迎えに出てきた。その若者が相当に高い身分であることがこれで分かる。奴隷を買いに来た貴族に対してでさえ、出迎えなど出ることはないのだ。もっとも貴族のほうも出迎えられたくはない、彼らが買う奴隷には、あまり大声では言えない目的の奴隷も居るからだ。
今日はそんな者たちにとって、是が非でも手に入れたい目玉商品が出る。今日の奴隷市場は、いつもとは違って、かなりの活気に溢れていた。
「支配人、ここは、いつもこの様なのか?」
中に通された若者が、案内役の支配人に呆れた様子で尋ねている。
「いえ、普段はここまでのお客様は参りません。今日は特別ですから」
「つまり目的は皆同じということか?」
「それはそうでございます。こんな出物は何十年に一度どころか何百年に一度。この場所の長い歴史でも数える程しかありません」
「それでもあるのか」
「記録の中で一番最近でも百年近く前でございます。傾国の悪女フランソワの話は殿下、いえ失礼しました。貴方様もご存知でしょう?」
一応はお忍びという事になっている。支配人は慌てて呼び方を改めたのだが、これは無駄な気遣いというものだ。自国の王太子の顔くらい、貴族であれば誰もが知っている。口元を隠した程度では変装にはならない。
「王子二人を騙して、壮絶な継承争いを引き起こさせたという?」
王族であるアーノルド王太子だ。百年前の話であっても知識としてある。
「正確には二人の王子を手玉にとって、奪い合いをさせた、ですが、まあ公式にはそれで」
「…………」
二人の王子の争いは国を二分するほどのものだったはず。それが一人の女性の奪い合いが原因だったと聞いて、アーノルド王太子は唖然としてしまった。
「それだけの美女だったということです。その絶世の美女が売りに出されたのですから、その時は大変なことになっていたようで」
「そうか」
「さすがに、その時には劣るでしょうが、今日は私が支配人になってから最高の賑わいです。これは競りがどんなことになるか楽しみです」
奴隷の売買は競りで行われる。希望者が多ければ競い合いも激しくなり、売値は高くなる。支配人は、自分の経験の中での最高値が生まれる期待で、興奮が隠せないようだ。
「……どれくらいになると支配人は考えている?」
「それを教えることは公平とは言えないのですが……」
「大体の目安でも良い」
「……では少しだけ。奴隷商の買値は、金貨二千枚と聞いております」
「なっ!? 二千枚!?」
アーノルド王太子であっても驚く程の金額だ。金貨二千枚あれば、庶民が贅沢をしなければ家族、どころか親戚一同が一生暮らせる。国家的な基準で測っても、王国騎士団はさすがに無理だが、それよりも規模はぐっと小さい近衛騎士団の年間予算であれば、軽く超えている、
「値段を聞いた時は私も驚きました。ですが、それだけ払っても元が取れると奴隷商は判断したのでしょう」
「……ここに居る客は二千枚以上の金貨を?」
「いえ、半分以上は冷やかしだと思います。更に始値を聞けば、残りのほとんども見物客に変わることでしょう」
「そうか……」
ほっとした様子のアーノルド王太子であったが、競争相手が少なくても、金貨二千枚よりも安くなるわけではない。どれほど高くてもこれくらいと聞いていた予算の倍に仕入れ値時点でなっている。足りない分をどう工面するか悩ましいところだ。
どんなに無理をしてでもアーノルド王太子は落札するつもりだ。王太子である自分に、最後まで心を向けなかったエアリエル。そのことを自分の足元に跪かせて後悔させてやる。奴隷として、全てを自分に捧げさせてやる。
こんな歪んだ思いを胸に秘めて、アーノルド王太子はエアリエルが檀上にあがるのを待ち続けた。
だが、アーノルト王太子の望みが叶うことはない。最大の目玉商品だったはずのエアリエルは、奴隷市場に出されることはなかった。次の回も、その次の回も。