平民の生徒たちとの接近はリオンにも良い影響を与えている。
平民が王国学院に入学するには、かなり厳しい試験に合格する必要がある。元々、平民であっても国政の場に登用するだけの価値があるかどうかを入学段階で試すという意図だったので、その難しさは並大抵のものではない。
その試験を突破して入学した生徒。学問に関しての彼らの能力は、貴族の子弟が及ぶものではない。それでも彼らが成績上位者とならないのは、剣や魔法といった平民の生徒が全く点を取れない科目があるからだ。そして科目別の成績順も公表されること事はない。貴族の立場を守る為の学院側の配慮というものだ。
とにかく彼らは勉強が出来る。リオンよりもずっと。
リオンがそんな彼らを頼らないはずがない。ヴィンセントの家庭教師、それが、リオンが彼らに頼んだことだ。
それを生徒たちは喜んで引き受けてくれた。半分は侯爵家に近づけるという野心、そして残りの半分はエアリエルに近づけるという下心から。
「富の再分配? 何だ、それは?」
経済学を教わっている時に、急に男子生徒の一人が、この言葉を発してきた。ヴィンセントが初めて聞く言葉だ。
「今の王国は富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなっております。それでは駄目です」
「駄目なのは何となく分かるが、具体的には何が?」
「富める者というのは貴族や一部の大商人、貧しき者とは民衆です」
「まあ、そうだな」
男子生徒の口調には批判的な思いが込められている。ヴィンセントはその富める者の中でも頂点にある侯爵家の一員だ。少し気まずさを感じてしまう。
「民衆の富が一方的に貴族に流れていくだけ。これでは民衆はやせ細るばかりで、結果として、いずれ富の流れは止まってしまいます。富める者もいなくなってしまうのです」
「……なるほど」
男子生徒の説明はかなり極端だが、ヴィンセントには分かりやすかった。
「これでは、やがて王国は、それを支える民衆を失って、立ち枯れてしまいます」
「おい!?」
さすがに、この発言はヴィンセントも看過出来ない。
「あっ、ちょっと表現が不味すぎました。言いたいのは、国の財政を支えているのは民衆で、その民衆を苦しませては国の発展はないということです」
「……確かにそうだな。税を納める者がいなくなっては、何も出来ない」
「そういう事です。そこで富の再分配です。集まった富を公平に民衆に分配する。それによって民衆に貧富の差はなくなり、暮らしは安定し、不満はなくなる。それが結果として税収の増加を生み、国の財政を安定させることになります」
「なるほどな」
「それは違うのではないか?」
「えっ、違うのか?」
ヴィンセントが納得する素振りを見せたところで、別の生徒が異議を挟んできた。
「はい。彼の考えには欠陥があります」
「何だと? 言いがかりをつけるな! どこに欠陥なんてものがある!?」
欠陥があると言われた生徒は納得がいかない。声を荒らげて突っかかってきた。
「君は公平といったが、何をもって公平というのだ?」
それに対しても、割り込んできた生徒は冷静に、全く怯む様子も見せずに言い返した。よほど自分の考えに自信があるのだろう。
「何を、だと?」
「世の中には努力した人と、努力していない人がいる。当然、努力をした人がより多く富を手に入れるべきではないか?」
「それは……」
「君の説は人の努力を無視している。それでは頑張ってきた者に不満がたまり、頑張ることを止めてしまうだろう。それでは逆に税収は落ちることになる」
「そこは個別に評価して」
「それをすれば貧富の差はやはり生まれる」
「では、お前は今のままで良いと言うのか!?」
あっけなく自分の考えを論破された生徒は、若干キレ気味だ。ヴィンセントに認められるところを邪魔されたのだ。怒りもするだろう。
「良いとは言っていない。この国のあり方を変えるべきだと思っている。でも、それはお金の流れだけの問題ではなく、もっと根本的な部分だ」
「……それは何だ?」
「民衆の声が国政に届かない。だから国政は貴族だけのものになってしまう」
「そんなことは分かっている。だから俺たちはこうしてここで学んでいる」
「それで俺達は国政の場に上がれるのか?」
「それは……頑張り次第だ」
「恍けるな! 頑張っても無駄であることはお前だって分かっているはずだ!」
「では、どうすれば良いと言うのだ!?」
「学院のあり方だって間違っている! とにかく直すべきところは沢山あって……!」
こんな感じで冷静に話していた生徒までが、熱く語り初めてしまう。そうなると議論は止まらない。それぞれが思うところを述べ、考えを戦わせ、そして勉強どころではなくなってしまう。
「僕の……あの……次の試験が……」
ヴィンセントの呟きも無視されてしまうくらいに。
こんな風にたまに脱線しながらも、生徒たちは熱心に勉強を教えてくれる。そのおかげでリオンは教える側から、教えられる側に変わることが出来た。これが大きい。人に勉強を教える為の準備というのは、結構な時間を取られるものだ。
その時間から開放されたリオンは、空いた時間の全てを情報収集に使っていた。
「困ったものだわ。アーノルド王太子が内心では嫌がっていることにも気がつかないの」
「あの女、鈍感そうですからね」
「そうね。でも鈍感では済まないわ。それで怒る人がいるもの」
「エアリエル様ですね。それは当然です。エアリエル様は王太子殿下の婚約者ですから」
「何とか分かってもらえないかしらね?」
「……任せてください。私がしっかりと言ってきかせます」
「そう。きっと喜ぶわ」
「ええ。ご期待に応えてみせます」
(……恐い)
校舎の影で為されている会話を聞いて、リオンは女の怖さを知った。会話をしているのはシャルロットと、リオンは名前を知らない女子生徒。その女子生徒は見事にシャルロットの誘導に引っかかっている。
シャルロットも中々、巧みだ。エアリエルの名を自分では口にすることなく、それでいてエアリエルがマリアへの嫌がらせを望んでいるように女子生徒に思い込ませている。
以前、話した感じではシャルロットはもっと気さくな、人の良さそうな人物に思えたのに、これだけのことが出来てしまう。恋に狂った女性の恐ろしさをシャルロットによって、リオンは思い知らされた気分だ。
それはそれとして、とにかく現場を押さえた。後は今の会話の内容をまとめ、相手の女子生徒の素性と、実際に彼女がマリアに対して何をしたかまでを突き止めて、それも記録に残していく。
この段階で糾弾するつもりはリオンにはない。それをすれば、この先の嫌がらせは止んでも、これまでのことは変わらずエアリエルの責任にされるに違いないからだ。
リオンはただひたすらにシャルロットのやった事、やる事を記録するつもりでいる。相手がでっち上げだと言っても、周りが信じられない程の、詳細で大量の証拠を揃えるつもりだ。
今日、また一つそれが積み上がった。そしてきっと、この先も増えていく。
まずは一つ、エアリエルを守る武器を手に出来た感触をリオンは得た。
◆◆◆
更に、リオンの情報収集の対象は学外まで広がっている。これこそが時間が出来た恩恵だ。
リオンが張っているのは、ウィンヒール侯家の屋敷。その裏にある、リオンが存在を知らなかった通用口だ。本当はその奥にある離れで張っていたい所だが、さすがにそこまでの危険を起こすつもりはない。万一、張っている事だけでもバレてしまえば、それ以上、得られる情報はなくなってしまうだろう。
今必要なのは、深い情報ではなく、浅くても良いから数を揃える事だ。その中から、これだと思うものを見つけて、深掘りしていけば良いとリオンは考えていた。
そして、ようやくこれだと思うものを見つけた。疑っていた事に対して確信を得た、と言った方がリオンの感覚では正しい。
「次は三日後の予定だ」
通用口から出てきた男が次回の来訪予定を伝えている。男は、ウィンヒール侯爵家の従属貴族の筆頭といえるウスタイン子爵。そして、伝えられているのは、エルウィンの従者のウォルだ。
「あまり頻繁に来ない方が良い」
「離れに侯爵が来ることはない。使用人はお前が遠ざけてくれる。何の問題がある?」
「その侍女を遠ざけるという行為だ。何度も続けば疑う者も出てくる」
「お前とユリアが出来ているとでも?」
これを耳にしたリオンの顔に笑みが浮かぶ。
状況証拠としては固まった。上位貴族である侯爵の側室を呼び捨て、しかも男女関係をネタにウォルをからかっている。ウスタイン子爵はユリアに対して平気でそれが出来る関係という事だ。
「馬鹿な事を。そんな事になったら俺がタダですまない」
「バレやしない」
ウスタイン子爵の見事な悪党ぶりに、又、リオンの顔に笑みが浮かぶ。敵にするなら、善人よりも悪人の方が気は楽だ。善人であっても、躊躇するつもりはリオンにはないにしても。
「……どんな神経だ。そうなった時、俺と貴方の関係はどういうものになると思っている?」
「私とお前はもう他人。少なくとも私は気にしない」
「……彼女に同情するな。ただ利用するだけで、愛情なんてどこにもない」
ナイス発言。出来ることならウォルとウスタイン子爵にリオンは、こう声を掛けたい気持ちだ。
「それは向こうも同じ。野心で言えば、向こうの方が上だ」
「うまくいくと思えない」
「それはやり方次第だ。幸いにも今の嫡子はボンクラ。機会は充分にある」
「侯爵様はヴィンセント様を溺愛している。嫡子から外すはずがない」
「侯爵がどう思おうと、侯家の跡継ぎに相応しいのはエルウィン。そう周りに思わせれば良い。実際にそれは順調に進んでいる」
「……それでも絶対ではない」
影響力はあっても強制力はない。それは王家であっても同じだ。ウォルの側から見るとこうなる。リオンはその影響力を恐れて、こんな事をしているというのに。
「結果、失敗しても私は困らん」
「貴方は自分の……いや、もう戻られたほうが良い。どこに人の目があるか分からない」
実際にすぐ近くにリオンの目がある。ウォルはこれを言うのが遅すぎた。すでにリオンは充分と言える情報を手にしてしまっている。
「ああ。では又」
ウスタイン子爵が通用口を離れていく。その背中を見送ってから、ウォルも奥に引っ込んでいった。残ったのは物陰に隠れたままのリオンだけだ。
(実に興味深い話が聞けた。何だか複雑な人間関係って感じだな)
ユリアとウスタイン子爵との関係だけではなく、ウォルとウスタイン子爵、そしてもしかすると、エルウィンとウスタイン子爵の関係も意外なものかもしれない。二人の会話からは、ここまでの事が推測出来る。
ウォルには一線を引きながらも、どこかウスタイン子爵に慣れがあった。一方でウスタイン子爵にウォルへの遠慮は感じられない。それが意味する事をリオンは考える。答えはすぐに出た。後は裏付けを取るだけ。それはこの場所では得られない事だ。
(この世界にDNA検査とかあれば面白い事になったのに)
異世界の知識から、リオンはこんな冗談を頭に思い浮かべた。面白がってくれるのは、残念ながら、自分自身しかいない。
そして、また一つ、リオンはヴィンセントを守る武器を手に入れようとしていた。
◆◆◆
守る武器を手に入れる為とは異なる情報収集もリオンは行っている。検証作業と呼ぶほうが適当だ。
――校舎の影で待っていると、一人の女子生徒が歩いてくる。陽の光に艶やかな黒髪を輝かせて、歩いている女子生徒はマリアだ。リオンに気が付いている様子はない。
リオンもマリアに視線を向ける事なく、ただ頭の中だけで間合いを測っている。目的の場所まで、三十歩……二十歩……十、九、八、七……。
「マリア!」
ランスロットがマリアを呼ぶ声が耳に届く。リオンの口から舌打ちの音が漏れた。
呼ばれたマリアは反転して、ランスロットが居る方へ、手を横に振って跳ねるような足取りで駆けていく。可愛らしいと言う者がほとんどだろうが、リオンにはその様は無性にムカついた。
後一歩、届かなかった。マリアが去って少し経ったところで、マリアの歩いてきた後を辿るようにして、野良犬が歩いてくる。この世界で見ることなど、まず無い野良犬だ。
急に野良犬の姿が消える。それと同時に聞こえた辛そうな鳴き声。
野良犬の消えた場所に歩いて行くと、地面に穴が空いている。その穴の中で野良犬は、立てられていた杭に体を貫かれて死んでいた。
(又、失敗。これ埋めるの大変だな)
後始末を思うと、溜息が出る。それでも放置しておく訳にはいかないので、人目を気にしながら、リオンは作業を開始した。
そして、又、別の日。
リオンは校舎の三階を見上げている。窓に人影はない――ように見えるが、目を凝らしてよく見れば、隠れて下を覗いている女子生徒の頭が幾つか見える。
その女子生徒たちが、何を見ているというと、階下で地面に散らばっている荷物をブツブツと文句を言いながら、かき集めているマリアだ。
以前にも見た光景だ。誰かに窓からカバンを捨てられたのだろう。そして捨てた誰かは今、三階から下を覗いている女子生徒たち。
それだけで女子生徒たちの嫌がらせは終わらない。窓からバケツが姿を現した。
女子生徒が二人掛かりで重そうに持っている。中にはたっぷりと水が入っているのだ。彼女たちは手を離して、窓から離れていった。当然、重力に従ってバケツは下に落ちていく。
その瞬間にリオンが小声で呟いた。
「……氷結」
マリアの頭上に真っ直ぐに落ちていくバケツ。だが、それがマリアに当たることはなかった。リオンの呟きとほぼ同時に吹いた風。それによって、地面に落ちていたノートが飛ばされた。それを慌てて追うマリア。
そのマリアの背後に、ものすごい音を立ててバケツが落ちた。
「えっ!?」
その音に驚いたマリアが振り返ると、地面に埋まった状態で落ちて変形したバケツがあった。
「……酷い。こんなの当たったら大怪我だったじゃない」
バケツの中の水は完全に凍っている。頭に当たれば大変なことになっていたはずだ。
ブツブツと文句を呟きながらマリアがその場から離れると同時に、バケツの氷は一瞬で溶けて地面に染みこんでいく。女子生徒たちが、ずぶ濡れになったマリアを中傷しようと降りてきた時には、バケツの中には僅かに水が残っているだけだった。
又、失敗。だがリオンは落ち込んでいない。これは予想通りの結果だった。主人公であるマリアを殺すことは、やはり出来ないのだ。
マリアが頭から水を被せられるなんてことは何度かあった。だが同じシチュエーションでリオンが中身を凍らせると、それがマリアに当たることはない。落とし穴も同じ。何度か引っかかったことがあっても、それが大事になるような仕掛けだと、偶然がマリアを助ける。
偶然という名の世界の意思がマリアを守るのだ。
最後の手段。この武器をリオンは手に入れる事が出来ていない。