月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

異伝ブルーメンリッター戦記 第30話 イベント:臨時合宿(後編)

異世界ファンタジー小説 異伝ブルーメンリッター戦記

 自分は何をやっているのだろう。今は出来るだけ心を空っぽにしなければならない時だと分かっているが、そんな思いが心に浮かぶのを止められない。
 リーゼロッテを助ける為。確かにそうなのだろうと思う。だが自分の命を捧げてまで守るべき相手なのか。
 彼女のことは愛おしく感じる。だがジグルスも彼女もまだ子供だ。この世界では学院を卒業すれば、もう大人として扱われ、すぐに結婚する生徒もいる。もう一年もない。そうだとしてもジグルスの感覚では、やはり子供の恋なのだ。
 結局自分はまだ転生者であることに囚われているのではないかと、ジグルスは考えている。特別な才能のない自分。ゲームにおいて何の役回りも与えられていないモブキャラである自分。そんな風に思っていたはずの心の奥深くで、自分が特別な存在であることを諦めていなかったのではないかと。

(愚かな……)

 ジグルスの表情に自嘲の笑みが浮かぶ。
 そうだとしても、これからやろうとしていることは愚かなことだ。成功する可能性は低い。そして、失敗すれば死ぬ。
 自分の命を犠牲にして仲間を助けた。こんな風に思われることが自分の望みなのか。そうだとすれば、やはり自分は主要キャラではないとジグルスは思う。せいぜい小説などでありがちな主人公や主要キャラが挫折を味わう場面で、助けられなかった犠牲者の一人として名を残せるくらいだ。
 もしかすると、これはそういったイベントなのか。この時点では主人公たちが勝てない魔人が現れた意味は、そういうことなのではないかとジグルスは思った。

(リーゼロッテ様は大丈夫なのか……)

 犠牲者は自分で終わるのか。リーゼロッテまで犠牲になることはないのか。ジグルスの胸に不安が広がっていく。

(……卒業出来るはず。そうであれば、ここで死ぬことはない。ただ……)

 リーゼロッテはゲームストーリーではここで死ぬことはない。ウッドストックもそうだろう。だが他の生徒たちはどうなのか。
 ジグルスはウッドストックに、もしリーゼロッテが自分の不在に気付いて退却を止めようとしたら、引きずってでも良いから逃がしてくれ、とお願いしている。
 それさえもゲームによって言わされた台詞なのではないかと思った。

(……やることをやるしかない)

 他の仲間がどうなるかを考えても意味はない。やろうと思っていることを実行し、成功すれば良いのだ。その可能性は低くても。

(……こんなことなら……抱きしめておけば良かった。あの雰囲気ならキスも出来たかも……俺は馬鹿だ)

 昨晩のことを思い出して、理性など働かせなければ良かったと後悔するジグルス。
 雑念はこれが最後だった。思考を停止し、心の中を空っぽにしていくジグルス。その気配は徐々に森の中に溶け込んでいった。

 

◆◆◆

 森の中を全力で駆ける魔人。俊敏そうには思えないのだが、それは魔人の太めな巨体がそう見せているだけ。魔物とは比べものにならない速さ、前を行くリーゼロッテたちと比べても速く走っている。
 それでも目標はなかなか魔人の視界には入ってこない。向かってきた二十名の騎士は一人残らず殺したのだが、その戦いに時間をとられたことで、大きく差が開いてしまったのだ。

「役立たず共め」

 リーゼロッテたちを取り逃がしてしまった魔物たちに文句を言うが、彼等だけの責任ではない。彼女たちの素早い行動に対応出来なかった自分も悪いのだ。
 だが自分の非を素直に認める性格ではない。失敗は部下のせい。成功は自分の功。そんな人物なのだ。

「……逃がすものか」

 とはいえ、功罪を評価するのは彼よりも上位の存在。近い将来の戦いにおいて目障りな存在になるかもしれない若き英雄候補たちを一人も殺せなかったでは、どんな言い訳も通用しないだろう。
 これは、開戦が早まることへの懸念がある中で、やや強引に押し通して実行を決めた、彼にとっては大事な作戦なのだ。成功すればもっと上位の立場で戦いに臨めるという、個人的な都合だけだが。

「……真っ直ぐか」

 走りながら逃げた方向を探る魔人。難しいことではない。リーゼロッテたちは道なりに逃げている。足跡はすぐに見つけられる。だが魔人の目に入ったのは大勢の足跡だけではなかった。
 地面に広がる黒い影。それに気付いたのが先か、頭上の風切り音が聞こえたのが先か。とにかく魔人は咄嗟に体を捻ってそれを避けようとした。

「ぐっ……ぐぁああああっ」

 だが完全に避けることは出来ずに、肩口に槍を受けることになった。頭上高く、木の上から降ってきた槍を。

「……き、貴様ぁああああ!?」

 激痛を感じるとほぼ同時に、地面を転がった影。その影に向かって、魔人は叫ぶ。

「……失敗」

 叫ばれた相手、ジグルスは顔をしかめている。地面に打ちつけた体が痛い、ということもあるが、それ以上に一撃で魔人に致命傷を与えられなかったことが痛かった。
 木の上から狙いを定めて落下してきたジグルス。タイミングは最高であったのだが、地面に映った影の存在に気付かれたのが不運だった。

「ぶっ殺してやる!」

 当然、魔人はこうくる。手負いとはいえ、一対一で魔人に勝てるのか。楽観視するジグルスではない。相手が動く前に背中を向けて逃げ出した。

「待て!」

 その背中を追いかける魔人。左肩に受けた槍の傷は決して浅くないのだが、その動きに鈍った様子はない。ジグルスにとっては残念なことだ。
 背中に感じた物騒な気配。それが何かを確かめることなく、ジグルスは地面に転がる。頭上を通過する風切り音。今度はジグルスがそれを感じる番だった。
 素早く立ち上がり、また駆け始めるジグルス。だが、数歩進んだところでまた地面に転がることになった。さらに頭上から感じる嫌な気配。体の痛みを無視して、ジグルスは全力で横に転がる。そのすぐ横の地面を魔人の足が強く踏みつける。

「……こ、この、逃げ回ってばかりいないで、向かってこい!」

 なんて言われても、それに従う義務はジグルスにはない。立ち上がって逃げ、すぐに襲ってくる魔人の攻撃を避け、また逃げる。それの繰り返しだ。

「舐めるな! 小僧!」

 振り下ろされた魔人の腕。ギリギリでそれは避けられた、はずだったのだが。

「ぐっ……」

 激しい痛みがジグルスの背中を襲う。それでもその場に止まることなく、ジグルスは横に転がって、魔人との距離を取る。
 続けての攻撃は来ない。それを確認したジグルスは、魔人を警戒しながら立ち上がった。そのジグルスの目に映ったのは、つい先ほどまではなかったはずの長い爪を顔に近づけている魔人の姿だった。

「……小僧……貴様、ただの人間じゃないな?」

 血の匂いを嗅いだ魔人は、ジグルスが普通の人間ではないことに気が付いた。

「……だったら何だ?」

「何でもない。普通の人間じゃないのは好都合だ。死ね!」

 一足跳びでジグルスとの距離を縮める魔人。それを待つことなく、ジグルスは走り出しているが、その動きは怪我の影響でこれまでよりもわずかに遅い。その遅れを魔人は逃さなかった。
 頬を切り裂かれた感覚。それに少し遅れて、右足のふくらはぎにジグルスは痛みを感じた。それを無視して走ろうとしたが、怪我を負った右足は彼の体を支えられなかった。
 地面に倒れ込むジグルス。その体が地面につくまでに、魔人が放った蹴りによってさらに横に吹き飛ばされる。

「がっ……くっ……」

 木に体を打ちつけてうめき声をあげるジグルス。背中、頬、右足、脇腹、それだけに留まらず、痛みは全身に広がっている。

「手間取らせやがって。ほうら、死ね!」

 地面に倒れて動けなくなっているジグルスを蹴りつける魔人。

「まだ死なないか? これでどうだ!?」

 さらにもう一発。二発の強烈な蹴りをまともに受けたジグルスはもう、うめき声も上げられないでいる。

「……まだ生きているか。しぶといな。ではこれでトドメだ!」

 足を大きく後ろに下げて、トドメの蹴りを放とうと構える魔人。

「ブブカ殿。何をしているのですか?」

 その魔人に声を掛ける者がいた。

「……フェンか」

 現れたのも魔人。人間の一般男性に比べればやや長身という程度の体。長い銀色の髪、秀麗といえる顔。美形ではあるが琥珀色の瞳は人というより獣のそれだ。
 二人が並んでいる姿はとても同じ魔人とは思えないのだが、魔人とは元々そういうもの。いくつもの種族の総称なのだ。

「まさかと思いますが……獲物を逃がしたのですか?」

「逃がしてはいない。今一人、殺すところだ」

「一人……たった一人ですか?」

「何だ、その言い方は!? そもそも貴様が逃がさなければこんな苦労をすることはなかったのだ!?」

「私の役目は駐屯所にいた騎士の殲滅だけ。罠にかかった獲物を狩るのは貴方の役目です。違いますか?」

 駐屯所にいた騎士を、飛竜とそれに乗っていた騎士を含めて皆殺しにしたのは、このフェンと呼ばれた魔人だった。

「そうだとしても必要に応じて、臨機応変に振る舞うのが出来る部下というものだ」

 ブブカは、その部下に手柄を渡したくなくて、指示されたこと以外は何もするなと命じたことをすっかり忘れている、わけではなく、覚えているのだがなかったことにしている。
 そんなブブカの態度がフェンの癇に障る。

「ああ、そうでした。私にはもう一つ、軍監という役目もありました。この作戦の結果を陛下にお伝えするという大事な役目が。さて……その役目を果たしに戻りますか」

「ち、ちょっと待て!?」

 フェンはブブカにとって部下であるが、それと同時に作戦の結果を上層部に報告する役目も負っている。あくまでもこの作戦を遂行する上で一時的に付けられただけの部下なのだ。自分への忠誠心などないことはブブカも分かっている。

「待てと言われても、この先、状況が変化するとは思えません」

 最初の獲物を逃がしてしまっては、残りは駐屯所に近づくことなく引き返すに決まっている。この作戦は目的を一切達成することなく失敗したのだ。 

「一人捕らえている」

「……私が知る限り、待ち伏せにかかったのはリリエンベルク公爵家の令嬢だったはずです。そこに倒れているのは女の子には見えませんね?」

「情報にない大物がかかったのだ。俺は失敗したのではなく、それを捕らえることのほうを優先させただけだ」

「情報にない大物ですか?」

 作戦のターゲットは各公爵家の子弟とその取り巻きの何人か。ユリアーナやレオポルドといった実力のある、名の知れた生徒たちだ。それ以外の大物などいないはず。

「普通の人間ではない奴が混じっていた」

「……混血ということですか?」

「ああ、そうだ。血が混じっているのではっきりとは分からないが、純血でないのだけは確かだ」

「そうですか……」

 フェンの表情が陰る。
 人間の中に混血が混じっている。ほとんどの場合、その母親は不幸な境遇だ。その子供も望まれて生まれたわけではないので、辛い環境に身を置いている可能性が高い。それを思ったのだ。

「成長すればこの先、我々の脅威になる可能性が高い。見逃して良い相手ではなかった」

 任務失敗を誤魔化すことが出来る。ジグルスが混血であったことはブブカには好都合だった。

「確かめさせてもらいます」

 言葉だけで信じる気にはなれない。ブブカが平気で嘘をつく軽蔑すべき人物であることは分かっているのだ。
 木の根元に転がって動かないままのジグルスに近づくフェン。地に伏しているその顔を、足で体を転がすことで見えるようにした。同情すべき点はあるとしても、敵である以上は見せる優しさなどないのだ。

「…………」

 仰向けになったジグルスの顔をじっと見つめているフェン。

「どうだ? 間違いないだろう?」

 そのフェンの後ろからジグルスをのぞき込む体勢で、ブブカは、やや不安そうに問い掛けた。混血であることは間違いないと思っている。だが、その事実を上層部に報告するのはフェンなのだ。

「……なるほど。そういうことですか」

「何が、そういうことなのだ?」

「……作戦は失敗ということです」

「い、いや、ちょっと待て!? そいつは間違いなく人間じゃない! 俺の鼻は確かだ!」

「そんなもの、匂いを嗅がなくても見るだけで分かります」

「何だと……?」

「ただ貴方には分からなかったのでしょうね? 実力もないのに、陛下に取り入るだけで今の地位を得た貴方には」

「……き、貴様……直接の主従関係はなくても地位は俺のほうが上なのだぞ! そんな口を効いて、ただで済むと思っているのか!?」

 フェンの言葉に激高するブブカだが。

「済みますよ。だって……貴方はここで死ぬのですから」

「がっ……」

 最後まで言い切る前に、フェンの鋭い爪がブブカの喉もとを切り裂いた。血しぶきを宙にまき散らしながら仰向けに倒れていくブブカ。隙をついたとはいえ、一撃。それくらいの実力の差が二人の間にはある。

「馬鹿ですね。二人きりの場で無能者に偉そうにされて、私が大人しく我慢していると思っていたのですかね? ああ、それが分からないから馬鹿なのですね」

 絶命したブブカに向かって冷笑を浮かべながら話しかけるフェン。実力もないのに偉そうにしていたブブカに対しては、ずっと腹に据えかねるものがあったのだ。
 そういう相手はブブカだけではない。魔人の序列はかつての実力主義からは変わってしまっているのだ。

「さて、あとは……ブブカ程度に手も足も出ないようでは……それでも生き延びたと考えるべきですかね? 私がこの場にいたのは運命なのか……」

 ジグルスを見つめたまま考え込むフェン。

「いいでしょう。ここは手を出すことなく、流れに任せることにしてみましょう……貴方たちも分かっていたのでしょう? 私と貴方たちは同罪です。それで告げ口はなしにしてくださいよ?」

 宙を仰ぎ見て、誰にともなく問い掛けるフェン。それに応える声はない。それでも自分の意が通じたことをフェンは確信している。

「しかし……やってくれましたね、我が盟約の妹殿は。まあ、退屈しか見えなかった未来に少し興味が湧きました。それについては感謝することにしましょう」

◆◆◆

 順調というには少し時間をかけ過ぎだが、それ以外は問題なく目的地に向かっていたエカードたち。だが今は大混乱に陥っている。それは同行している騎士も同じ。騎士たちのほうが動揺は激しいくらいだ。

「本当に魔人が現れたのか?」

「そうとしか思えません。駐屯所にいた騎士の人たちはおそらく全滅。我々に同行していた騎士の人たちも現れたそれに立ち向かったところまでは見ていますが……」

 騎士の問いに応えているのはリリエンベルク公爵家従属貴族家の一人、フェリクス・ハイデン。本来、対応すべきリーゼロッテは、虚ろな表情で地面に跪いたまま動かないでいる。
 ジグルスが一人残ったと知って助けに戻ろうとしたのだが、それはウッドストックに止められ、無理矢理ここまで連れてこられた。途中まで半狂乱状態で暴れていたのだが、今はそれを通り越して茫然自失状態に陥っているのだ。

「しかし……」

 千を超える魔物が現れたという情報だけでも信じがたいのに、さらに魔人まで出現したと生徒たちは言う。まったく想定外の事態にどうすべきか判断がつかなかった。

「とにかく急いでタバート様のチームにも伝言を」

「あ、ああ、そうだな。それは行わないと」

 この情報を知らないままではタバートのチームは千を超える魔物と魔人が待つ駐屯地に向かってしまう。それは止めなければならない。指示を受けた飛竜騎士がタバートのチームがいるであろう方角に向かって飛び去っていく。

「リーゼロッテさん、気を確かに持って。起きてしまったことは、その、あれだけど……」

 騎士とフェリクスがやり取りをしている間に、ユリアーナは放心状態のリーゼロッテに近づいて声をかける。ユリアーナにとってもこの事態は誤算だ。本来は駐屯所でリーゼロッテを助ける、手遅れなのだが、予定だったのだ。だがリーゼロッテとその仲間たちは自分たちだけで魔人から逃げてきてしまった。
 それでもリーゼロッテが傷ついていることにはユリアーナも満足している。

「貴方の敵は私が取るわ。魔人を倒したあとも、出来るだけ力になるから」

 少しストーリーは変わっているが、それでもリーゼロッテは魔人に辱めを受けて、そのプライドを粉々に打ち砕かれたのに変わりはない。あとはこの状態のリーゼロッテを助ける振りをして、自分の足下にひれ伏せさせるだけ、とユリアーナは考えている。勘違いだ。

「……倒せるの?」

 茫然自失状態だったリーゼロッテが、ユリアーナの言葉に反応した。

「もちろんよ。私たちが魔人を倒すわ」

「……じゃあ、お願い」

「えっ? よく聞こえない。もう一度、もっとはっきりと言ってもらえるかしら?」

 リーゼロッテの口から「お願い」の言葉が出た。これもまたユリアーナの想定とは違っているが、この際なのでこの場でリーゼロッテをひれ伏せさせようと考えた。

「お願い! ジークを助けて! ジークは私たちを助ける為に、一人で残ったの!」

 ユリアーナの望む通り、リーゼロッテは土下座しそうな勢いで、懇願している。ただその言葉はユリアーナの思うようなものではなかった。

「……彼が残った?」

「そうよ! ジークは魔人を足止めする為に一人で残ったの! お願い! 彼を助けて!」

「えっと……手遅れではないかしら?」

 ジグルスを消す絶好の機会。そう思っていたユリアーナにとっては、ジグルスが一人残って魔人に立ち向かおうとしている状況は理想的な展開だ。

「まだ分からないわ!」

「分かるわ。そう、彼は仲間の為にそんな無茶をしたのね。彼の勇気には感心するわ」

 ユリアーナの心から魔人を倒そうという気持ちは消え失せた。自分の実力を示す機会を失ってでも、ジグルスを消すことを優先しようと考えたのだ。

「……魔人を倒すと貴女は言ったわ」

 ユリアーナの手の平返しに、怒りの表情を浮かべているリーゼロッテ。

「そうだけど……それは今日ではないわ」

 苦しい言い訳、にもなっていない、言い分。さすがにこれには周りで聞いていた人たちも引いている。

「ユリアーナ。たとえ可能性は低くても、やる前から諦めるのはどうかと思うが?」

 その引いている人たちを代表して、エカードが口を挟んできた。

「私だって助けられるものなら助けたい。でも相手は魔人よ。エカードは仲間たちを犠牲にしても良いと言うの?」

「それは……」

 仲間のことを言及されると、エカードも躊躇いを覚えてしまう。それでも助けに向かうべきだとは、すぐに言葉に出来なかった。

「出来るだけのことをすると言ったわ! それは嘘だったの!?」

「出来ることは何でもするつもりよ! でも……今の私たちでは勝てない……ごめんなさい」

 沈痛そうな表情をつくって、下を向くユリアーナ。エカードの言葉で、自分の態度に不審を抱いている周囲に気付いたのだ。

「そんな……」

 ユリアーナを責めても何の解決にもならない。ジグルスは救えない。またリーゼロッテの胸に絶望が広がっていった。

「……リーゼロッテ様。我々が向かいます」

「えっ?」

 声を掛けてきたのは騎士と話をしていたフェリクスだった。

「我々がジグルスの救出に向かいます」

「貴方たち……」

 まさかの申し出に戸惑うリーゼロッテ。彼等が戻っても魔人は倒せない。死ぬ為に向かうだけだ。

「ジグルスだけが命懸けで貴女に仕えているわけではありません。我々に命じてください。彼の救出に向かえと」

「……その気持ちは嬉しいわ。でも、貴方たちが」

「彼はリリエンベルク公爵家に必要な人材です。彼をこのまま失うことなどあってはなりません。我々はこの先も、彼と共にリリエンベルク公爵家に仕えたいのです」

 この先も。この言葉に彼等の想いが込められている。決して無駄死にするつもりはない、ジグルスと共に必ず戻ってくるとフェリクスは誓っているのだ。
 だが強い気持ちを持っていても、それだけで無事に帰ってこられるわけではないこともリーゼロッテは分かっている。大きく揺れるリーゼロッテの心。

「……フェリクス・ハイデン」

「はい」

「クリストフ・ヴィンクラー」

「はっ」

「ブルーノ・ドレクスラー」

「はい」

 一人一人の名を呼び始めるリーゼロッテ。その意味を呼ばれる彼等は分かっている。

「イザーク・マイスリンガー」

「はっ」

「ゼップ・クリューガー」

「はっ」

「ヴェルフ・フォスター」

「はい」

「ディルク・アイスラー」

「はっ」

「……私は、貴方たちの忠義の心を嬉しく思います。その想いを私は信じます。必ずジグルス・クロニクスを助け出し、そして、全員で戻ってくるのです。これは命令です。分かりましたね?」

「「「「はっ!!」」」」

 リーゼロッテは彼等を送り出すことを決めた。忠義の士に想いを向けられる公爵家の一人として、彼等の死を背負う覚悟を決めたのだ。

「ち、ちょっと待ちなさいよ!」
「リーゼロッテ、本気か!?」

 同時に響く声はユリアーナとエカードのもの。どちらもリーゼロッテの決断に驚き、考え直させようとしている。

「お黙りなさい!」

「…………」

 だがリーゼロッテの一喝が、二人に続く言葉を発することを許さなかった。今のリーゼロッテは、つい先ほどまでの取り乱していた彼女ではない。リリエンベルク公爵家令嬢、いや、公爵家の代表としてこの場に立っているつもりなのだ。

「これはリリエンベルク公爵家内の問題。部外者である貴方たちが口出し出来ることではありませんわ」

「しかし……」

「そして貴方たちも」

 何か言いたげなエカードから外れたリーゼロッテの視線は、同行しようと動き出していた平民の生徒たちに向けられている。

「僕たちは――」

「私に貴方たちの、そしてご家族の人生を背負うことは出来ません。捧げられた命に報いる術がないのです。だから私は貴方たちには戦いではなく、逃げることを望みます」

「リーゼロッテ様……」

 ウッドストックの言葉を遮って、リーゼロッテは自分の想いを告げた。
 もし従属貴族家の生徒が命を落とすことになれば、リーゼロッテは命の代償、など本当の意味では用意出来ないだろうが、として彼等の実家に対して、出来るだけの恩賞を与えてくれるように働きかけるつもりだ。それが命懸けで戦いに臨む彼等に報いる術。仕える臣下への義務だ。
 だが平民の生徒たちの実家はそれで納得するはずがない。平民の生徒たちにはリリエンベルク公爵家の為に命懸けで戦う義務などない。リーゼロッテに彼等の死を背負う資格はないのだ。

「では、リーゼロッテ様。行ってまいります」

「武運を祈っているわ」

 武装を整えて来た道を戻っていく七人の生徒たち。その背中をリーゼロッテはじっと見つめている。駆け足で進む彼等の背中はすぐに木々に紛れて、見えなくなった。

「……リーゼロッテ」

 それでもその場を動かないままのリーゼロッテに、エカードが声をかけた。

「私にはここで彼等の帰還を待つ義務があるわ」

「……その心がけは立派だと思う。だが……君を無事に逃がすことが彼等の目的ではないのか?」

「…………」

「万が一、君に何かあれば、彼等は……」

 無駄死にとなる、という言葉を口にすることは憚られた。だが、言葉にされなくても伝えたいことは分かる。

「……そうですわね。分かりました。私も後方に下がることにしますわ」

 自分を守る為に命懸けで戦おうとしているジグルスと、その彼の救出に向かった七人の生徒たち。彼等の想いを無にするわけにはいかない。リーゼロッテは、胸が引き裂かれたかのような心の痛みに堪えて、後方に下がることに決めた。
 その思いはリーゼロッテに一切視線を合わせてもらえないまま、すれ違うことになったエカードも同じだ。この事態に何も出来ない自分が悔しくて、情けなくて、屈辱に身を震わせている。それを沈痛な表情で見つめているマリアンネの思いも同じ。リーゼロッテとの関係が悪化したままのレオポルドでさえ、悔しそうな表情を見せている。
 彼等は自分たちの無力さを思い知った。そして強くなろうと心に誓った。この事態が、その為のイベントであればストーリー通りだ。

「……おや? あれは……戻ってきましたな」

「えっ……?」

 騎士の言葉に驚いて、後ろを振り返ったリーゼロッテ。その視線の先には、確かにさきほど駆け去って行った生徒たちがいた。

「……誰か!? 治療を! 急いで彼の治療を! 早くこっちに来て下さい!」

 叫びながら駆けてくるフェリクス。その言葉の意味を理解して、リーゼロッテは思わず、その場に座り込んでしまった。

「生きていた……」

 半ば諦めていた。それでも奇跡が起きることをリーゼロッテは願っていた。どうやらその奇跡が起きたのだ。