学院の授業時間。今日のチーム練習は他の生徒たちに任せて、ジグルスはリーゼロッテと二人で他チームの訓練の様子を眺めている。参考にしようというのではない。リーゼロッテのチームと他の二チームの戦い方は大きく違う。真似るべきものは、あればもちろん取り入れるが、まずない。
二人が他チームの訓練を見学している目的は、主に主人公であるユリアーナ個人の強さを確かめる為。彼女の強さを見極めようとしているのだ。
「どうですか? 今の彼女と戦って勝てると思いますか?」
ジグルスはリーゼロッテに評価を求めた。二人は以前、戦っている。その時の印象と今の違いを知りたいのだ。
「……どうかしら? やっぱり彼女は強いわ。今、戦っても勝てるとは言えそうもないわ」
ユリアーナの相手をしているのはエカードだ。自分よりも実力が上のエカードと互角以上に戦っているユリアーナに勝てるとは、リーゼロッテは言えない。
「差は広がっていますか? それとも縮まっている?」
リーゼロッテも、合宿が決まる前から自分を鍛え直している。鍛錬の頻度、質は以前とは比べものにならない。その成果は確実に出ているはずだ。
「……縮まっていると言いたいけど、自信はないわ」
「大きく差をつけられたという感覚はないのですね?」
「それは、まあ、そうね」
「そうですか……」
リーゼロッテの感覚が正しければ、主人公の成長はそれほどでもないということになる。それで魔人と戦えるのか。ジグルスは心配になってきた。ただこの心配も、城で会ったワルター副団長の言葉が事実であればだ。
「彼女が強くなっていないと問題なの?」
これを言うリーゼロッテは少し不機嫌そうだ。ジグルスはユリアーナの成長を望んでいる、応援していると受け取って、それが気に入らないのだ。
「……魔人との戦いで彼女たちは重要な戦力になります」
「それは……そうね。あれだけの強さだもの。周りが放っておかないわね?」
「はい。王国がすでに目をつけている気配もあります」
ジグルスはユリアーナから聞かされた城での出来事を、リーゼロッテに伝えていない。王国が秘密にしようとしていたことをリリエンベルク公爵家のリーゼロッテに話すのは、話すこと自体ではなく公爵家が知ったという事実が王国に知られることが、良くないと考えたのだ。
主人公が魔人討伐に駆り出されるのは初めから決まっていること。それほど重要な秘密ではないという思いもあっての判断だ。
「……エカードの実家がそれを許すかしら?」
「そのあたりは俺には分かりません。でも王国とキルシュバオム公国のどちらに従うにしろ、彼女が魔人と戦うのは間違いありません」
「そうね……でも、ジーク。魔人の強さが分からなければ、彼女の実力を評価出来ないわ」
ユリアーナが魔人を倒せるかどうかは、魔人の強さを知らなければ判断出来ない。彼女がどれだけ強くても、魔人がそれ以上に強ければ勝てないのだから。
「そうなのです。でも……英雄と呼ばれている人よりは弱いそうです」
「それは……それは誰に聞いたの?」
ジグルスの父親のこと、という言葉は飲み込んで、リーゼロッテは情報の出所を尋ねた。
「この間、城の図書室に行った時に聞きました」
「誰に?」
「……王国騎士団の副団長らしいです」
「…………」
無言でジグルスを見つめるリーゼロッテ。その視線の意味が分からないほど、ジグルスは愚かではない。
「……えっと……その……隠すつもりはなかったのです」
「じゃあ、どういうつもりだったのかしら?」
「それはですね……忘れていました」
「嘘ね」
「はい、すみません……ちょっと皆の前では話しづらい内容でして……」
「ああ……そうね」
部室などで二人きりでいられたのは、リーゼロッテの下から従属貴族家の生徒たちが離れていった時だけ。彼等の一部が戻ってきてからは、そういった機会は一気に減った。
さらに合宿の開催が決まり、参加メンバーが固まった以降は、その準備の為に常に皆で集まっている。二人きりになる機会などない。
「その人も俺の父親を英雄だと考えている人で、それもその英雄を良く知っているようでもありました」
「それはそうだわ。副団長ですもの」
「う~ん。上司と部下というだけの関係ではないような気もしています。その人にも父への伝言を頼まれたのですが、その内容は……助けてくれと」
「……えっ?」
「その人は助けてくれと伝えて欲しいと言いました」
周囲に聞こえないように声を落として、伝言の内容を繰り返すジグルス。
「それは……魔人からよね?」
リーゼロッテもこれまでよりも声のトーンを落として、問いを返す。
「はい。魔人との戦いに参加して欲しいというのは、陛下と同じです」
「そんな……」
ジグルスの話にショックを受けているリーゼロッテ。王国騎士団の副団長ともあろう人物が、それだけ魔人との戦いに悲観的になっている。魔人の脅威に対する自分の認識の甘さを思い知らされたのだ。
「実際のところは分かりません。それでこの話だけが一人歩きするのは良くないと考えました」
「……ええ、その通りだと思うわ」
この話を聞けば、他の生徒もリーゼロッテと同じように強いショックを受けるはず。不確定の状況で、そうでなくても学院に広まるようなことがあってはならない。
「その脅威に対抗する為の重要な戦力が彼女、だけでなく今、目の前で訓練している人たちなのです。彼等には今よりも、もっと強くなってもらわなければなりません。最低でも英雄に並ぶくらいに。いえ、戦いの規模が違う可能性がありますので、超えてもらわなければなりません」
「そういうことなのね」
「その騎士団の人は今の段階では実力は劣ると言っていました。成長が見られないようでは困るのです」
「分かったわ、もっと真剣に見てみましょう」
事の重大さが分かったリーゼロッテは、もう一度ユリアーナの戦いぶりを確かめようと視線を戻したのだが。
「何を真剣に見るつもりだ?」
「えっ……あっ、エカード」
ユリアーナの相手をしていたはずのエカードがすぐ目の前に、不機嫌そうな顔で立っていた。
「何をこそこそと話していたのだ?」
「こそこそとは話していないわ。相談していたのよ」
「その相談内容を聞いているのだ」
「どうして、貴方に教えなければならないのかしら?」
少し話すようになったからといって、リーゼロッテのエカードに対する印象が変わった、戻ったが表現としては正しいが、わけではない。喧嘩腰の態度でエカードに言い返すことになった。
「……言えないような話なのか?」
「だから」
「あっ、いえ! ここでは話しづらいということです」
リーゼロッテの言葉を遮って、ジグルスが割って入ってきた。
「……どういうこと?」
声を潜めてジグルスの意図を尋ねるリーゼロッテ。
「だから、こそこそと話すな」
だが目の前にいるエカードには丸聞こえだ。
「誰にも口外しないと約束していただけるのであればお話しします。それとこちらの質問にも協力していただけるなら」
「……良いだろう」
とにかくジグルスの考えていることが、そしてリーゼロッテのことが気になっているエカードだ。多少の条件を出されても、拒否するという選択はない。
「では放課後、部室に来ていただけますか? ご都合が悪ければ別の日でも構いません」
「いや、今日で大丈夫だ」
「分かりました。では後ほど」
エカードとの約束をまとめたジグルスは、リーゼロッテを誘って、その場を離れる。もう用は済んだのだ。
「ジーク、何を考えているの?」
エカードに情報を流す理由がリーゼロッテには分からない。
「彼女の成長を知るには、常に対戦している人に聞くのが一番だと思いました」
「ああ、確かにそうね」
「それにエカード様であれば、もっと強くなってもらわなければ困るとこちらから言っても、真剣に受け止めてくれそうです……エカード様だけが、というべきですか」
「……分かったわ」
ユリアーナやレオポルドにそれを言っても、余計なお世話で返されて終わるだけ。かといってマリアンネでは話は真剣に聞いてくれても、周囲への影響力が乏しい。ジグルスが言う通り、エカードしかいないのだ。
◆◆◆
リーゼロッテたちの部室。エカードが訪れる予定になっているので、今そこにいるのはリーゼロッテとジグルスだけ。エカードとの話の内容は仲間たちにも知らせたくないものであるので、同席を遠慮してもらったのだ。元々、最近は部室での活動はほとんどない。放課後は体を鍛えたり、連携を確認したりと合宿に向けた訓練にあてているので、他の生徒たちはいつものように行動しているだけだ。
リーゼロッテとジグルスにとっては久しぶりの二人きりの時間。
だからといって何かあるわけではない。二人の関係はあくまでも公爵家の令嬢と従属貴族の息子。お互いに相手を大切に想う気持ちはあっても、それ以上の関係にあるという認識はない。そもそもどちらからも、きちんと想いを告げていない。告げられない。
今も変に誤解されないように部室の扉や窓は開けっぱなし。廊下から中が見えるようになっている。その廊下からエカードは中の様子を覗いている。
リーゼロッテとジグルスの間に多くの会話はない。一つテーブルに椅子を並べて腰掛け、その上に積まれている本の中から一つを選び、それぞれ読んでいる。何か気になることがあれば相手に問い掛け、すぐに答えが得られなければ二人で考え、他の本を調べるなどしている。
テーブルの上に置かれているカップ。その中身が空になったリーゼロッテは、ジグルスが本に集中している様子を確認すると、何も言わずに彼のカップも持って立ち上がり、すぐ後ろの棚に置いてあるポットから紅茶を注いで戻ってくる。
目の前に置かれたカップを見て、リーゼロッテに笑みを向けるジグルス。それにリーゼロッテも微笑みで返す。
――そんな二人の様子をエカードはずっと見ていた。
「……いつまで見ているつもりだ?」
「えっ?」
不意に掛けられた声にジグルスが振り向くと、そこにはタバートが立っていた。
「話を聞きに来たのだろ? 中に入らないのか?」
「……君も?」
「ああ。大事な話だから一緒に聞いたほうが良いと誘われた」
「そうか……」
「……二人が結ばれることはない。あんな二人でもな」
多くを語る必要などない。特に何かを行う必要もない。ただ同じ時の流れの中で過ごしているだけで、二人は十分なのだ。エカードがこれを知る以前からタバートはそんな二人の様子を知っていた。
「……君は何も思わないのか?」
「俺に何を思えというのだ? 憧れ、同情、嫉妬、罪悪感、どれであったとしても何の意味もない」
「……そうだな」
「さあ、行くぞ」
部室の入り口に進むタバート。そのあとをエカードも追いかけた。
「悪い。待たせたかな?」
教室に入ったタバートは遅れてきたことを詫びる。なんでも良かったのだ。教室の外でエカードと話したことを、頭から振り払うことが出来れば。
「いえ。何もしないで待っていたわけではありません。ずっと調べ物をしていましたので」
「そうか」
「どうぞ、座ってください。飲み物いりますか?」
「ああ、もらおうかな」
「分かりました」
ジグルスは、先ほどリーゼロッテが自分たちのお茶を入れた場所に行き、タバートとエカードの分を用意して戻ってくる。その間にリーゼロッテは、開けっぱなしにしていた窓と扉を閉めに行く。ここから先の話は他の人に聞かれたくないのだ。
「さて、情報元について、軍の関係者であるということ以外の詳細は隠させていただきます。迷惑を掛けたくありませんので」
席に戻ってすぐにジグルスは話を始めた。
「仕方がないな」
「その人はかなり魔人との戦いに対して、危機感を持たれていました。勝つ為には前回の戦いで英雄とされた人の力が絶対に必要だと考えているようです」
「それはそうだろう。実際に魔人と戦った人物の経験と知識は貴重だ」
「はい。でも、その人はこう言ったのです。助けてくれと」
「……助けてくれ、だと?」
軍の関係者がそんな情けない言葉を学生であるジグルスに向けるのか。タバートはすぐには信じられなかった。それは一緒に聞いているエカードも同じだ。
「その人も英雄と俺の父親を同一視しているようでして、頼まれた伝言がそれだったのです」
「それほど強いのか?」
「英雄はそうみたいです。ただまず気になるのは王国の軍人がそれほどの危機感を抱くほど、魔人は強いのかということです。魔人について何か情報を持たれていますか?」
これはエカードに向けた問いだ。主人公から何か聞いていることを、ジグルスは期待している。
「……記録や資料を見たわけではない。だがユリアーナは俺たちであれば倒せると言っていた」
ジグルスが期待した通り、エカードが答えを返してきた。具体的なものは何もない答えだが。
「それに何か根拠はあるのか?」
ジグルスが口を開く前に、タバートがユリアーナの自信の根拠となるものが何かを尋ねてきた。
「根拠を求められても何もない。ただ戦って勝つ自信は俺にもある」
最強メンバーの中でも中心人物であるエカードの言葉。以前であれば、その通りとジグルスも納得するところなのだが、今はそういうわけにはいかない。
「前回の魔人との戦いでは王国騎士団の中でも抜きん出た力を持つ人たちが集められて、討伐部隊が編成されました。これはご存じですね?」
「ああ」「まあ」
「その精鋭部隊はほぼ全滅しています。それでも勝てると言えるのですか?」
「勝てる。俺たちには王国騎士団に負けないだけの強さがある」
戦いに関して強い自信がエカードにはある。そう思うだけの才能があり、努力を続けてきたつもりなのだ。それを信じたい気持ちはジグルスにもある。
「……情報源の人が言うには、エカード様のところの女子生徒は英雄に遠く及ばないそうです」
「なんだって?」
「実際にどうかは分かりません。でも嘘をついているようには見えませんでした。本気でそう思っているからこそ、助けてなんて言葉を使ってでも、英雄に戻ってきて欲しいのでしょう」
「……そこまでその英雄は……魔人は強いのか?」
「それが分からないから困っているのです。あっ、誤解のないように言っておきますが、俺の父親は彼女より弱いと思います。だから英雄ではありません」
これで公爵家まで自分の父親に手を伸ばすようになっては困る。そう考えて、ジグルスは英雄と同一人物ではないことを訴えておくことにした。
「……その英雄は魔人に勝ったのだな?」
ジグルスに疑わしい目を向けながらも、エカードは父親についての話を深掘りすることはしなかった。追及してもジグルスは何も話さない。それよりも重要な話が今はある。
「そういうことになっているのではありませんか?」
「……思わせぶりな言い方だ」
「同じ問いにその人は勝ったと言ってくれなかったので」
「なっ?」「おい?」
勝ったのでなければどういうことなのか。ジグルスの話にエカードとタバートは動揺を見せている。
「魔人についてはお二人から情報をご提供頂きたいところです。やっぱり何か隠されていると思うのです」
「それは……リリエンベルク公爵に聞くのが一番なのではないか?」
「それは俺の父親に聞けと言っているのですか? さきほど申し上げた通り、俺の父親は英雄ではないと思います」
「しかし……」
英雄ではないことは証明出来ていない。王国からの召喚を無視するなど、怪しさのほうが強いのだ。
「もちろん、リーゼロッテ様にも確認してもらおうと思っていますが、これまで教えてもらえなかったことが、突然聞けるようになるとは思えません」
リーゼロッテに頼んで情報を得られるのであれば、こんな話は二人にしない。知る人を最小限にしておきたい内容なのだ。
「……戦いの勝敗に裏があるとすれば、俺よりもタバートだな」
「はっ? どうして俺なのだ?」
「君は次期当主だ。知るべき情報が俺よりも多いはず」
ラヴェンデル公爵家の当主はタバートの父親。一方でキルシュバオム公爵はエカードの祖父だ。公国に王太子という身分はないが、それと同等の立場であるタバートと、さらにその下の立場であるエカードでは得られる情報の重要度、量は違うはずだ。
「そう言われるとそうかもしれないが……俺の父が公爵を継いだのは前回の戦いの後だ。どれだけの情報があるかという問題もある」
代替わりしたラヴェンデル公爵は、前回の戦いの時点で公爵となっていたリリエンベルク公爵やキルシュバオム公爵とは持っている情報が異なる可能性がある。
「誰がどれだけの情報を持っているかは確かめてみなければ分かりません。皆さんで調べて頂きたいと思います」
「……そうだな」
「では次はいつにする?」
次回の予定をどうするかエカードが尋ねてきた。
「次?」
「それぞれが実家で調べた結果を持ち寄るのはいつにするのかと聞いている」
「……あれ?」
エカードとの打ち合わせがこれからも続くことになる。これはジグルスの頭にはなかった。
「……来週のこの時間でどうかしら?」
やや呆然としているジグルスを尻目に、リーゼロッテが次回の日程について二人に提案した。
「分かった。そうしよう」
「ああ、それでいい」
二人が同意して、日程は決まり。来週の同じ曜日、同じ時間に打ち合わせが行われることになった。そしてきっとその後も、打ち合わせは続くことになる。