アーノルド王太子に対する周囲の評価は高い。
成績は常に一番。魔法については、飛び抜けた力はないが、それでも優秀な部類であり、何よりもそれを補って余りある剣の才能を有している。剣と魔法を融合した魔法剣『炎剣』の使い手としては、この年齢ですでに王国でもトップクラスの実力だ。
そして何より、アーノルド王太子が纏っている威が、次代の国王に相応しい、それどころか歴史に名を残す名君になるだろう、という期待を周囲に抱かせていた。
攻略キャラの中で最上位に位置するアーノルド王太子だ。当然といえば当然、なのだが、生者である以上は全てが完璧であるはずがない。アーノルド王太子にも当然、欠点はある。
欠点というよりもコンプレックスに近い。しかもそれはヴィンセントが持っていたものと大元は同じだった。
周囲が自分を優れた王太子という、ある意味で偏見の目でしか見られないことへの憤りだ。
アーノルド王太子は、次代の国王に相応しくあろうと、幼い頃から懸命な努力を続けてきた。その甲斐があって今があるのだが、その努力を認めてくれる者は誰もいない、とアーノルド王太子は思っている。
誰もが、自分の優秀さを褒め称える。さすがは次代の王だと。そうではない、次代の王だから優秀なのではない。そうある為に自分が努力してきたからだ。こんな風にアーノルド王太子は褒められる度に思ってきた。捻くれた考え方だが、捻くれてしまうほどに、次代の王というプレッシャーがアーノルド王太子には重かったのだ。
この積み重ねは、やがてアーノルド王太子の中に、周囲への不信を植え付け、手放しで自分を褒めるよう者に対しては、露骨に冷たい態度をとるようになった。
そんな子供らしくない態度が威厳として捉えられ、さらに周囲の評価を高める事になったのは皮肉であり、アーノルド王太子にとっては、益々不満を募らせる原因になってしまう。
周囲が称えるのは、優秀な王太子を演じている自分であり、本当の自分ではない。そう思い続けてきた自分の前に、ある日、例外が現れた。それがマリアだった。
それまでアーノルド王太子の競争相手と見られていたのはランスロットだ。身分も年齢も、実力的にもランスロットはアーノルド王太子のライバルに相応しい。お互いにそれを認め、呼び捨てで呼び合うことも許している。そのランスロットでさえ、自分に負けても悔しがることは無く、さすがはアーノルドと褒めるだけだった。
だがマリアは違った。絶対に負けません、と堂々と宣言し、実際に勝つ為に、常に真剣に自分に挑んでくる。そんなマリアと接していると、ランスロットも又、本気で自分に向き合ってくれていなかったのだと分かって、アーノルド王太子は密かに落ち込んでもいた。
だがそれよりも、マリアという真のライバルに出会えたことの嬉しさのほうがアーノルド王太子には大きくて、そんなマリアと競い合う日々が楽しくて、それまでの鬱屈した思いは少しずつ薄れてきていた。
周囲を否定し、内に引き籠っていた気持ちが、少しずつ外を向くようになってくる。そして気が付いたのは、自分も又、周囲を偏見の目で見ていたのだという事実。自分の中で勝手に他人の思いを決めつけて、それに怒っていた自分の幼さにアーノルド王太子は気が付いた。そして、もしかしたら自分が傷つけてしまったかもしれない一人の少女のことを思い出した。
自分の婚約者であるエアリエル・ウッドヴィルのことだ。
エアリエルとは正式な婚約をする前に出会っている。お互いに将来婚約することが分かっていて、最初の顔見せというところだった。エアリエルの印象は最悪だった。初対面であったのに、何かと自分の世話を焼こうとし、周囲に対しても、やたらと愛嬌を振り撒いている。すでに婚約者、どころか王太子妃気取り。そんな風にアーノルド王太子は受け取った。
そして、当時のアーノルド王太子にとって最悪だったのは、ふとした瞬間に見せるエアリエルの疲れた表情だった。今、見せている態度は、エアリエルの本当の姿ではなく作られたものだと、アーノルド王太子は分かった。
その瞬間にアーノルド王太子の中で、エアリエルは受け入れられない存在として認識され、それ以降は周囲の薦めがあっても一切会おうとしなかった。
自分のそんな気持ちが相手にも伝わったのだろう。学院に入学してもエアリエルは、婚約者として必要最低限の礼儀を示すくらいで、それ以上は一切関わりを持とうとして来ない。たまに話すことはあっても、そういう場合はいつも自分を苛立たせる言動ばかりを見せてくる。
別にそれはどうでも良いことだった。久しぶりに会ったエアリエルは、驚く程、美しく成長していたが、その態度はいかにも大貴族の令嬢というもので、やはりアーノルド王太子が受け入れられるものではなかったからだ。
だが、今になってアーノルド王太子は思う。自分が嫌っていたエアリエルの態度は、自分が周囲に見せていた態度と同じではないかと。優秀な王太子を演じていた自分が、将来の王妃候補を演じていたエアリエルを責めることが出来るのかと。
今日、アーノルド王太子は見てしまった。侯爵家の令嬢という仮面を外した、エアリエルの輝くばかりの笑顔を。
そしてアーノルド王太子は思ってしまった。あの笑顔を自分にも向けて欲しいと。あの笑顔は婚約者である自分にこそ向けられるべきだと。
◆◆◆
リオンから見て、順調に攻略を進めていると思われていたマリアだが、実際のところはかなり焦っていた。
その原因の一つはアーノルド王太子。攻略法に従って、確実に距離を縮めてきた。その実感はあるのだが、どうにも最後の一線が越えられないのだ。体の関係という意味ではない。アーノルド王太子の攻略はエアリエルとの婚約破棄が実現されて初めて成功となる。そこに至る為には、そろそろアーノルド王太子の口から婚約破棄を望む言葉を聞かなければならないのだ。
その言葉を聞いて初めてマリアは、これまで受けてきた数々の虐めを告白し、それの裏にエアリエルがいる可能性を匂わせ、それに怒ったアーノルド王太子は皆と協力して、エアリエルの悪事の証拠を掴む為に動くことになる。
こういった筋書きなのだが、一向にアーノルド王太子の口から婚約破棄を匂わす言葉が発せられない。それではマリアも虐めを受けていると告白出来ない。それをすれば、エアリエルは厳しく叱責されて、虐めは止むが、婚約破棄にまで繋がらないことをマリアは知っている。
告げ口は主人公のキャラではない。エアリエルの様な女性と結婚する事は、アーノルド王太子の為にならないという想いが、渋々主人公に虐めを告白させる、という変な拘りによる設定だ。
(あの女の嫌なところを、もっと見せないと駄目よね)
アーノルド王太子の攻略が思う様に進まない原因がマリアには分かっている。エアリエルが、何故かアーノルド王太子に近付こうとしない為だ。
纏わりつくエアリエルをアーノルド王太子が不快に思うシーンはゲーム中に何度も出てくるのだが、この世界の二人は滅多に会うこともなく、会っても簡単な挨拶を交わして別れるだけ。
これでは仲良くはならないが、これ以上、仲が悪くもならない。マリアの望む状況ではない。
(失敗したかな。隠れキャラに拘って、設定がぶれたかも)
この状況に陥った原因としてマリアが疑っているのは、リオンの存在だった。リオンの正体に気付いたわけではない。リオンとエアリエルの関係を疑っているのだ。
攻略対象としてリオンを観察していたマリアには、二人の関係がただの主従関係には思えない。別に注意深く観察していなくても、二人の会話を素直に受け取れば誰でもそう思う。
侯爵家令嬢と従者の間に恋愛関係など生まれないという思い込みと、肝心の二人がお互いの気持ちに気付いていない鈍感さが、それを周囲に認めさせないでいるだけだ。
それも二人との接点が増えた平民の生徒たちは別。気付いていても、それが許されない関係だと分かっているから、口をつぐんでいるだけだ。
これはマリアには関係ない。
マリアが悩んでいるのは、二人の関係が恋愛関係であるなら、それは自分が原因だろうということだ。
マリアから見てリオンは攻略キャラの中でも最高難度のレアキャラだ。そんなリオンであれば、ライバルキャラがいて当たり前。それがエアリエルだとマリアは考えている。
自分がリオンを攻略対象にしたことで、本来はアーノルド王太子を攻略する上でのライバルキャラだったエアリエルが、リオン攻略のライバルキャラに変わった。当然、これはマリアの勝手な思い込みだ。
だが、この世界の主人公であるマリアにこう思われることは、リオンの不幸に通じる。
(つまり、アーノルドとリオンの二人の同時攻略は無理って事ね)
マリアの思い込みは、この結論に繋がった。そして、この結論が更に次のマリアの決断を生む。
(さすがレアキャラ。何とか攻略したいけど失敗するとね。リプレイなんてないだろうし。そうなるとやっぱり)
マリアが選ぶのはアーノルド王太子になる。アーノルド王太子攻略の先に待っているのは、グランフラム王国の王妃の座。他のどの攻略対象と比べても最高のゴールだ。
ゲームのストーリーが終了すれば、元の世界に帰れるなどとマリアは考えていない。そうであれば、攻略後に、どんなゴールが待ち受けているか分からないリオンを選ぶような冒険を、マリアが選ぶはずがない。
(設定を元に戻さないとならないけど……それをするには……可哀そうだけど、居なくなってもらうしかないか。丁度良いイベントもあるし)
エアリエルをアーノルド王太子攻略のライバルキャラに戻す方法としてマリアが考えたのは、リオンを攻略対象でなくすこと。隠しキャラであったリオンをストーリーから消し去ることだった。
可哀そうと口にしながらも、マリアにそれほどの罪悪感はない。マリアにとって、この世界の人々は全て、ゲームの中での登場人物なのだ。
◆◆◆
周囲に居る者全てが、マリアに好意を向けているわけではない。好意どころか、反感を持っている者が少なくとも一人いる。
ファティラース侯爵家のシャルロット・ランチェスターだ。
シャルロットがマリアに対して表立って文句を言わないのは、アーノルド王太子が認めてしまっているから。それが又、シャルロットのマリアに対する不満を膨らますことになるのだが、だからと言ってアーノルド王太子には何も言えない。
シャルロットのどうしようもない苛立ちは、そのマリアを引き寄せたランスロットに向く事になる。
「ねえ、どうするつもりなの?」
「どうするって何が?」
「マリアのことよ」
「いや、分からない。マリアがどうかしたのか?」
「どうかって……ランスロットは良いの? 最近は、アーノルド様ばかりに近付いて行っているわよ?」
マリアはアーノルド王太子に盛んにアプローチしているのは、攻略がうまく行っていないという焦りからなのだが、シャルロットにそれが分かるはずがない。そもそも理由なんて関係ない。どんな理由であってもマリアがアーノルド王太子に近付くことが気に入らないのだ。
「それは仕方ないだろ? 男の俺が見ても、アーノルドは良い男だ。外見だけでなく、色々な面で」
「貴方、マリアに好意を持っていたんじゃあ」
ランスロットの反応はシャルロットには意外だった。
「好意は持っている。だからといって相手を束縛する程、俺は小さな男ではない」
「それでマリアが別の男性のものになっても良いのかしら?」
「それは困るが、あり得ないな」
「どうして?」
シャルロットには何故、ランスロットがここまで自信満々なのか分からない。それだけではない。シャルロットに言わせれば、マリアは手当たり次第に男の気を引こうとうする淫乱女だ。もちろん、貴族令嬢であるシャルロットはこんな破廉恥な言葉を口にすることはないが、内心ではこう思っている。
何故、それを許せるのか。そんな女に好意を向けられるのか、シャルロットには理解出来なかった。
「アーノルドは王太子だ。マリアが隣に立てる相手ではない」
「それはそうよ」
「では他の男はどうかとなると、俺以上どころか、比較になる男も一人もいない。結局、マリアは俺を選ぶことになる」
「……そう」
知り合って初めて、シャルロットはランスロットが馬鹿であると知った。この自信過剰に気付かなかったのは隣に常にアーノルド王太子がいたからだ。アーノルド王太子の前では、ランスロットも謙虚になる。
「そもそもマリアを引き立ててやったのは俺だ。マリアも今の自分があるのは、俺のおかげだと、いつも感謝してくれている」
見方を変えるとこれも踏み台キャラの一つの形だ。マリアはランスロットを利用して、貴族の子弟たちの輪の中に入ることが出来た。アーノルド王太子に近付く機会を得た。
「感謝の気持ちと、恋心は別よ」
「……シャルロットは何を言いたいのだ? マリアと俺がどうなろうと関係ないではないか」
確かに、マリアとランスロットがどうなろうとシャルロットには関係ない。シャルロットの望みは、誰でも良いからマリアに手綱を付けて、これ以上、出しゃばらないようにして欲しいいう事だ。
「あの子の行動をあまり良く思わない人もいるのよ」
それを凄く遠回しに言った結果がこれだ。
「ああ、それは俺の耳にも入っている」
「えっ?」
「ウィンヒールの生意気な妹の事だろ?」
「……エアリエル」
「そうだ。マリアがアーノルドに近付くのが気に入らないからと、陰で嫌がらせをしているそうだ」
「彼女は婚約者ですもの。それは当然じゃない?」
「シャルロットはあの女を庇うのか?」
「彼女を庇うわけじゃなくて、婚約者がいるアーノルド様に、女性が近づくのはおかしいと言っているのよ」
「それはそうだが……でも、俺はこういう陰湿なやり方は気に入らないな」
「それは私も同じよ」
「あの小娘はアーノルドに相応しくない。悪行を晒して、何とか婚約解消に持っていきたいものだ」
「婚約解消って……」
ここまでのことを考えているランスロットにシャルロットは驚いている。王太子の婚約だ。それはもう国の政治に関わること。いくら侯家の人間とはいえ、学生であるランスロットがどうこうする事柄ではない。
「当然だろ? アーノルドの妻となれば、将来の王妃だ。陰でこそこそと悪事を働くような女を王妃になど出来るか」
「そうね……それは、その通りだわ。でも、婚約解消なんて出来るの?」
「事が公になれば陛下だって無視は出来ないはずだ。将来の王妃が、貴族に軽蔑されるような人物だなんて王家にとって問題だからな」
「確かに……」
「その為には確たる証拠を掴むことだ。そう思って探らせているのだが、中々、尻尾が掴めなくて。シャルロットも協力してくれないか? 女性であるからこそ入手できる情報もあるかもしれない」
「……ええ、分かったわ。考えておく」
「頼む」
この世界は悪役に厳しい。実際には悪人でなくても、役がそうだという事で、世界から迫害を受けることになる。
一方で主人公の側には世界は優しい。それの為すことが悪事であっても、世界はそれを許そうとする。この世界はそういう世界なのだ。
リオンは、この世界に抗おうとしている。それがどんなに無謀な事であったとしても。