次から次と馬車が到着しては荷物を降ろしていく。その荷物とそれを運ぶ人々で、校門の前はごった返している。
毎年、入学の時期に見られる光景だ。
混雑を避ける為に校門から少し離れた場所で、リオンはヴィンセントと並んで立って、その光景を眺めていた。
「来ました!」
目的の馬車を見つけて、リオンが声をあげた。
「あっ、そうだな。じゃあ、行こうか」
「はい」
校門に向かって、二人は駆けていく。そこには、ウィンヒール侯家の紋章がついた馬車が到着していた。
馬車から降りてきたのは二人の侍女。それに続いて、エアリエルが姿を現した。
「……リオン」
迎えに来ていたリオンを見つけて、エアリエルはその名を呟いた。
目の前に立つリオンに向かって真っ直ぐに手を差しだすと、少し驚いた表情を浮かべながらもリオンは、そっと自分の手を添えてきた。その所作に満足そうな笑みを浮かべて、エアリエルは馬車を降りる。
「どこで、このような事を覚えたのかしら?」
自分から手を出しておいて、エアリエルはこんなことを聞いてくる。
「ヴィンセント様がこうしろと」
「お兄様が? まあ、お兄様はいつの間に、こういう悪戯心を持つようになったのかしら?」
「悪戯心ではなく、気遣いだ」
「……それも意外だわ」
エアリエルは気遣いなんて言葉を、ヴィンセントの口から初めて聞いた。
「僕だって少しは大人になった。さあ、いつまでもこの場所に留まっていては他家の邪魔になる。荷物を運ぼう」
これも又、驚き。ヴィンセントが言葉だけでなく、実際に他人に気を遣う場面など、エアリエルには想像も出来なかった。大人になった、は本当のようだと、エアリエアルは思った。
そしてそれはきっと、早速、荷物を抱えているリオンのおかげもあるのだろうと。
「リオン、貴方が運ばなくても人手は足りているはずよ」
エアリエルは荷物を運ぶ事よりもリオンと話す時間の方が大事だった。
「エルウィン様の荷物もあるのではないですか?」
「……そうね」
リオンが人を気遣うのは珍しくないが、それがエルウィン相手となると、エアリエルは気分が良くない。
「そのエルウィン様はご一緒ではないのですか?」
「別よ。馬車の準備をしているのは見たけど、私の方が先に出て来たわ」
涙しながら、もっとゆっくり出発すれば良いと縋りつく両親を振り切って。
「そうですか。とにかく荷物を運びましょう。荷ほどきもあるでしょうから、急いで悪いことはありません」
「そうね」
「じゃあ、こちらです」
「どうしてリオンが女子寮の場所を知っているのかしら?」
「えっ? いや、それは敷地内にあるので、知っていて当然だと……」
「……それもそうだわ。じゃあ、案内して」
「はい……」
出会っていきなり、ヤキモチモード全開のエアリエルだった。これで、エアリエルの好意に気付かないのだから、リオンは相当に鈍感だ。
貴族であるエアリエルにとって、平民であり、従者である自分は男性ではない、というリオンと一緒に居る為にエアリエルが考えた口実を信じ切っているにしても。
そんな二人を見ているヴィンセントは、嬉しいような、切ないような、複雑な思いを抱いていた。
学院を卒業する年は成人の年でもある。成人を待って、エアリエルはアーノルド王太子に嫁ぐ事になるのだ。エアリエルとリオンがこうして居られるのも後三年。
その時間を大切に過ごして欲しいという思いと、三年後の悲しみを思って、あまり近づかないで欲しいという思いとの板挟みだ。
「お兄様! そんな所でぼっと立っていたら、他家の邪魔ですわよ!」
兄の悩みも知らないで妹はこんな声を掛けてくる。先ほどのヴィンセントの言葉を皮肉っているのは明らかだ。
「ああ、分かっている。今行く」
既に先を歩いているエアリエルたちの後をヴィンセントは追いかけた。
◆◆◆
荷物を寮に運び入れてしまえば、後は侍女の仕事だ。リオンはお役御免、とはならずに、エアリエルの御伴として、校舎を歩いていた。
目的の部屋はサロンだ。
ヴィンセントは付いて来ていない。面倒事が起きる事を避けての事だ。とにかく、マリアには、出来る事ならばランスロットにも、接触しないように、ヴィンセントは心がけている。当然、これはリオンの意向に沿っての行動だ。
マリアと接触すれば、敵キャラ、とういうよりは踏み台キャラとしか思えない、ヴィンセントは確実に評判を落とすことになる。こういった考えからだ。
リオンとしてはエアリエルにも接触して欲しくないのだが、エアリエルの場合は必ずしもそうはいかない。婚約者であるアーノルド王太子を避ける訳にはいかず、アーノルド王太子に接触すれば、常にと言って良い程、行動を共にしているマリアに会わざるを得ない。
今、サロンに向かっているのも、アーノルド王太子に入学の挨拶を行う為。エアリエルの立場では、当然行わなければならないものだ。
「ウィンヒール侯家のエアリエル様です。王太子殿下にご挨拶に参りました」
部屋の前に控えている従者に向かって、訪問の主旨を告げる。
リオンの話を聞いた従者が、部屋の中に入っていった。お伺いを立てに行ったのだろう。
「リオン」
「はい」
「ここは何ですか?」
「何……サロンですが?」
知っているはずの事を聞いてくるエアリエルにリオンは戸惑っている。
「誰もが、このように取次を願わないとお会い出来ないのかしら?」
「恐らくは」
「そう……」
エアリエルの整った綺麗な眉が、顰められる。気に入らない事がある時の合図だ。
「何かありましたか?」
「リオンはこの学院の理念を知っているかしら?」
この学院では王族と平民が共に学びの席につく。今となっては身分によって、クラス分けがされているので、そうはならないのだが、元々はそうだったのだ。
王族も貴族も、平民の声を知らなければならない。身分の垣根を越えて、国の為に共に切磋琢磨しあう等々、身分制に厳しい王国でありながら、何故か学院の理念は、身分を超える事を求めていた。
サロンの現状はこの学院の理念に反している。そうエアリエルは言っている。
「知っております。ですが、この件については、何も仰らない方が宜しいかと思います」
「……どうして?」
誤りを正すなとリオンが言った事でエアリエルは不満そうだ。
「エアリエル様の為になりません」
「……でも、過ちを正すのも」
「はい。妃としては正しい行為だと思います。しかし、エアリエル様はまだ妃ではありません」
「……そうね」
不満が消えた訳ではないが、リオンの気持ちも分かる。渋々ではあるが、エアリエルは了承を口にした。
「お待たせいたしました。少しの時間であれば、お会いになるそうです」
「……では、エアリエル様。中に」
取次の従者の言葉でリオンまで不満げな表情に変わった。婚約者であるエアリエルが来ているのだ、会うのが当たり前。自ら迎えに出るのが礼儀ではないか、とも思っている。
エアリエルの方はこの事には何とも思っていないようで、文句を言う事なく部屋の中に入っていった。リオンもその後に続いて部屋に入る。
部屋には案の定、いつものメンバーが揃っている。
中央に向かい合わせで置いてあるソファー。奥のソファーにアーノルド王太子とマリアが、その正面のソファーには、ランスロットとシャルロットが腰掛けていた。
この光景を見て、又、リオンの心に怒りが湧いてきたのだが、やはり、エアリエルは何も言おうとしない。
部屋の奥に進み出ると、アーノルド王太子に向かって、優雅に一礼して口を開いた。
「王太子殿下、お久しぶりでございます」
「……ああ、そうだな」
エアリエルの挨拶にアーノルド王太子は不機嫌そうに返しきた。
「本日より寮に入りました。王太子殿下と同じ学び舎で過ごせることを光栄に思いますわ」
「……そうか。それで何か用か?」
「いえ。ご挨拶にまかり越しただけですわ」
「では、もう用は済んだな」
「ええ。ですので、これで失礼いたします」
「んっ?」
アーノルド王太子にわずかに戸惑いの色が見えた。その態度が又、冷たい言葉を投げつけておいて何を、という思いをリオンの心に生み、アーノルド王太子への印象を悪くする。
「さあ、リオン。行きますよ」
「しかし……」
やはり、エアリエルは何の反応も示さない。冷静な声でリオンに促してくる。
「用件は済みました。お兄様を待たせるのは悪いわ」
「……はい」
エアリエルが何とも言わない以上は、リオンも黙っているしかない。そうでなくても王太子相手に文句を言う訳にはいかないのだが、エアリエルを悲しませるような事に対して、リオンは冷静を欠いてしまう傾向にある。
納得いかない気持ちをあからさまに表情に出して、エアリエルに続いて、部屋を後にしようとした。
「リオンくん」
リオンの内心の怒りに気付く事もなく無神経に呼びかけてくる声。こんな人物は一人しかいない。そうでなくても声と呼び方で誰かは分かる。
応える必要がないと判断して、リオンは歩を先に進めた。
「リオンくん! ちょっと待って!」
これに対しても全く無視してリオンは部屋の外に出ようとした。
「おい、お前! マリアが呼んでいるのに無視とは失礼ではないか!」
このリオンの態度を咎める男子の声が聞こえる。振り向く必要もなく、これも誰か分かる。
だが、さすがにこの声を無視は出来ない。リオンは振り返って、ランスロットに言葉を返した。
「何か御用ですか?」
「用があるのはマリアだ」
「では、マリア様。何か御用ですか?」
「せっかく来たのだから、お話をしない?」
「それはエアリエル様に申されているのですか?」
「違うよ。リオンくんに」
「では、御断り致します」
「どうして? わざわざここまで来たのだから話していけば良いのに」
「わざわざ来たのはエアリエル様の御伴をする為です。私の意志ではありません」
「おい、失礼ではないか? せっかくマリアが好意で誘っているというのに」
又、ランスロットが割り込んでくる。だが、リオンには全く意味が分からない。失礼なのは明らかにマリアの方なのだ。こちらが咎められる謂れはない。
普段であれば、慇懃な態度を崩さずに、適当にやり過ごすリオンだが、元からアーノルド王太子に腹を立てていた所に、これだ。
黙っている事が出来なかった。
「ランスロット様にお聞きします」
「何だ?」
「この部屋は、上位貴族の子弟のみが出入りを許された場所。そういった場所で平民である私が、談笑などしていて良いものでしょうか?」
「それは……良くはないが、マリアが話したいというのであれば特別に許す」
この返事を聞いて、リオンはランスロットとは話にならないと悟った。リオンの言葉は同じ平民であるマリアが我が物顔で、この場に居る事への皮肉に過ぎない。
だが、ランスロットはその皮肉に気付く事もなく、普通に返事を返してきた。しかも、平民であるマリアが望むから許すという、道理に合わない返答だ。
正常な判断が出来る状態とはとても思えない。
「ランスロット様にお許しを頂いても、私の方の居心地が良くありません。やはり、お断りさせて頂きます」
「おい、俺に逆らってただで済むと思っているのか?」
この言葉を聞くと、明らかにランスロットの方が敵役キャラに相応しい、そんな風にリオンは思ってしまう。
そんな事を考えて返答が遅れたのはリオンの不覚だった。空いた間にエアリエルが割り込んできてしまった。
「ただで済まないとはどういう意味かしら?」
「何?」
「耳が悪いの? 私はこう言ったの。ただで済まないとはどういう意味かしら? 今度は聞こえた?」
「最初から聞こえている」
「じゃあ、答えなさい。私は質問したのよ?」
「……その男の態度は侯家の人間に対する態度ではない」
「そんなことは聞いていないわ。私は、ただで済まないという言葉の意味を聞いているの。その答えを返しなさい」
「それは……」
エアリエルの発する雰囲気にランスロットは押されている。同じ侯家の者にも、こういう時にエアリエルが纏う覇気は通じるようだ。怒りを忘れて、リオンは心の中で感心していた。
「ふうん、どうやら答えはないようね。では仕方がないわね。こちらから伝えることにするわ」
「……何のことだ?」
「リオンに何かしたら、その何かに相応しい報いを必ず味わわせてあげるわ」
「何だと!?」「エアリエル様!」
「リオンはウィンヒール侯家の人間よ。そのリオンに対する攻撃をウィンヒール侯家への攻撃とみなすのは当然だわ」
「エアリエル様、それは」
「リオンは黙っていなさい。これは家同士の問題だわ」
「……侯家同士で争うというのか?」
エアリエルがいきなり話を大きくした事で、ランスロットは動揺している。実際は、たかが従者の事で、侯爵家が出てくるはずがないのに、それが分からなくなっている。
「そちらが売ってきた喧嘩だわ。非はそちらにある。違いますか? 王太子殿下」
「えっ、あっ、ああ」
いきなり話を振られて、思わずアーノルド王太子は同意の言葉を返してしまう。
「では、そういうことで。リオン、行きますよ」
「……はい」
後はもうアーノルド王太子が前言を翻さないうちに、この場を離れる。これで、この件はエアリエルの優位のままに終わる。
それが分かっていても、リオンは自分の迂闊さを呪わざるを得ない。順当で終わらないのが、この世界だという事を、ヴィンセントの件で、リオンは思い知らされていたはずなのだ。
「エアリエル様」
「何かしら?」
「無用な衝突は侯家にとって、よろしくないかと」
「……無用ではないわ。あれは必要な事よ」
「私を庇う為です。それは無用な事です」
「そんな事はないわ」
「私はエアリエル様の為に仕える身です。その私の為に、エアリエル様が揉め事に巻き込まれるのは、私の本意ではありません」
「でも……」
リオンの為の行動を、リオンが喜んでくれない。これを不満に思ったエアリエルは口をわずかに尖らせて、拗ねた表情を見せている。
「ご自身を大切にしてください。同じ侯家と対立し、しかも、それを王太子殿下の前で行うなど、エアリエル様の立場が悪くなります」
「……平気だわ」
「平気では」
「平気なの。私はとっくに嫌われているから」
「えっ?」
「王太子殿下に私は嫌われているわ。正式に婚約が決まるずっと前から」
「……どうして?」
こんな話をリオンは初めて聞いた。
「どうしてかしら? 王太子殿下の婚約者になる事は、物心がついた頃には聞いていたわ。その日からずっと王太子殿下にお会いする日を楽しみにしていて、王太子殿下に相応しくあろうと頑張ってきたつもりだったわ」
「であれば尚更、どうして嫌われるなんて事に」
「初めて会った時に張り切り過ぎたのかしら? 正式に決まっていないのに、婚約者として振る舞ったから? 他にも色々あって、どれかは分からないわ。全てかもしれない」
その当時は気が付けなかった事が、今はこうして冷静に分析出来るようになっている。大人になったからという事だけではない。エアリエルの気持ちが、当時と変わってしまっているのだ。
「しかし、エアリエル様が王太子殿下を思う気持ちは真剣なもので」
それがリオンには通じない。
「……気持ちは相手に伝わって、初めて意味があるの。伝わらない気持ちは何の価値もないわ」
「そんな事はありません。相手を思い、その人に相応しくありたいと努力すれば、そこにはきっと価値が生まれます。気持ちが伝わらなくても……」
リオンはここで一旦、言葉を止めた。軽々しく話す事ではないと気が付いたからだ。何よりも話している自分が、自分の言葉に納得していなかった。
「リオン?」
「……気持ちが伝わらないのは辛い事です」
「そうね」
「それでも大切な人を思い、その人の為に頑張れる事は、そこに何の価値が生まれなくても……」
「生まれなくても?」
「幸せだと、私は思えます」
「そう……そうね」
「思います」ではなく「思えます」とリオンは言った。この違いに気が付かないエアリエルではない。リオンは報われない思いであっても、幸せだと思える。では、自分はどうなのかと考えた時、エアリエルはリオンのようには思えないと考えた。理性では、そう思えなければいけないと分かっている。だが感情がそれを許さない。
大人ぶってはいても、そうしているから尚更、エアリエルの隠された内面の感情は、まだ幼かった。