先生が拠点から姿を消した後も、ヒューガたちは厳しい鍛錬を続けている。寂しさを感じていないわけではないが、鍛錬に限っては、以前よりも気合が入っているくらいだ。先生が戻ってくることがあった時、情けない姿を見せるわけにはいかない。皆がこんな思いを抱いて鍛錬に取り組んでいるのだ。
ただ自らの鍛錬と並行して、新しく合流したエルフたちの面倒も見なければならない。これはエアルとカルポが担当している。ハンゾウたちの鍛錬は特殊なもの。新人たちに教えられるのはこの二人しかいないのだ。
拠点そのものの整備はプロンテースの働きやルナたちの頑張りのおかげで順調。唯一、目処が立っていないのが大森林に生きる魔獣と戦える力を身につけること。今は鍛錬に重きが置かれている。
そんな鍛錬に明け暮れる日々の中、珍しくハンゾウが皆を集めた。折り入って相談したいことがあるという理由だが、相談事を持ち込むこと自体が珍しいことなのだ。
それに応じて皆が集まったのは会議室。使うことはないだろうと長く放置されていた場所だったのだが、拠点の人数が増えたことで、こうして一同に会する場所が必要だろうと見直され、整備が進められている。今のところは床に転がっていた家具の残骸などが撤去され、椅子が置かれているだけであるが。
その椅子に座って、皆がハンゾウの話を聞いている。
「ということで、我等が外に出る許可を頂きたいのでござる」
「う~ん。話は分かるけど。ハンゾウさんたちも鍛錬の途中だろ?」
「もちろん鍛錬は続けるでござる。交替で外に出ることを考えております」
ハンゾウは大森林の外に出る許可を求めてきた。彼の説明によると、自分たちの他にも祖国を失い行き場を失した人、生きる目的を失っている人がいるはずで、そういった人たちをこの場所に誘いたいとのことだ。
ヒューガも気持ちは分かる。だが積極的に人を増やすということにはまだ抵抗を感じていた。
「大丈夫か? 追われてるんだろ?」
それにハンゾウたちは追われる身だったはず。大森林を出て、無事でいられるのかという心配もある。
「はい。ですが逃げるだけであれば問題ない力は身につけたでござる。これについては先生にも確認をとっていたでござる」
「……その『ござる』って、いつまで続ける気? もう先生いないんだから元の口調に戻せばいいだろ?」
この言葉使いは先生の趣味。魔王から聞いていた異世界の忍び、とは限らないが、の口調を真似させていたつもりだ。だがそれを強制していた先生はもういない。無理に使う必要はないとヒューガは思ったのだが。
「もう手遅れでござる。今はそれほど意識してはおりませぬ」
「……だからか」
「はっ?」
ござる口調を使っているが、聞いていて何かがおかしい。ハンゾウたちはどう使うべきか知らないままに使っているのだから当然だ。
だからといって、ヒューガも正しい使い方を知っているわけではないので直せないが。
「何でもない。エアルとカルポはどう思う?」
「僕は良いんじゃないかと思います。人族が増えることも。そのほうがヒューガ様の国って感じですよね? このままエルフが増えていったら、やっぱりここはエルフの国になってしまいます。それはヒューガ様が望む国の形ではない。僕はそう思っていますが間違っていますか?」
「なるほどな。そういう考えもあるのか。エアルは?」
ヒューガは自分の国の在り方をカルポに教えられることになった。悪いことではない。エルフであるカルポがこう考えてくれていることは、喜ぶべきことだ。
「私? ……もしハンゾウさんたちがそれをするなら、私もしたいことがあるな」
「したいことって何?」
「ヒューガが許してくれるなら部族の仲間を探したい」
「……そっか」
エアルの部族、春の部族は大森林の外にいる。エアルが奴隷にされたことを思えば、相当に危険な場所なのは間違いない。
「今も元の場所にいるのか? それとも……もし、私みたいな境遇になっていたら助けてあげたいって思うわ」
「エアルが住んでいた場所って、何処にあるんだ?」
「東方連盟の小国にある森の中。大森林を南から抜けて……どれくらいかしら?」
大森林からの距離感がエアルは分からない。大森林に来るまでの移動中、そんなことを考えている気持ちの余裕はエアルにはなかったのだ。
「恐らく大森林を出てからその森までは二つの週くらいでござる。まあ、今の我等であればもっと早く着けますな」
エアルの誰に向けたものでもない問いに答えを返したのはハンゾウだった。
「知っているの?」
「ええ。エアル殿とは別に捕えられていたエルフを知ってござる。同じ場所だったのではないでござるか? そのエルフも赤い髪をしていました」
ハンゾウが言う別のエルフはリースのこと。リースもエアルも同じ貴族の下にいた。囚われた場所が同じである可能性は高いと考えたのだ。
「……そのエルフの名前を知ってる?」
「はい。リースといいます」
「……そう。同じ場所にいたのね。全然知らなかった。それでリースは?」
ハンゾウが考えていた通り、エアルとリースは同じ部族だった。
「死にました。我等がエアル殿と、その……出会う直前に」
「他にもいたのかしら?」
「詳しいことは知りませね。でも恐らくは……」
「そう」
エアルの目つきが変わっている。実際に部族の仲間が奴隷にさえていた事実を知って、助け出したいという思いが強くなったのだ。
それはヒューガも同じ。春の部族について真剣に検討することに決めた。
「ハンゾウさんたちの仲間はどこにいるんだ?」
「それは分かっていないでござる。ただ知っていそうな人間に心当たりがあるでござる。その者を辿って探そうと思っているでござる」
「その人って信用できる人か?」
「いえ、信用できるような者であれば、表に出ておりませぬ」
「それはまた……つまり初手から強硬手段ってこと?」
そういった人物が喜んで協力してくれるはずがない。仮に協力してくれても、何か見返りを求めてのことか、裏があるはずだ。そういった場合に取るべき手段は多くない。
「仕方ないでござる。それしか伝手はござらぬ故」
「それを許可しろと?」
「はい。危険はあるかもしれませぬ。しかし、今となってはヒューガ様は許可を出さざるを得ないのではありませんか?」
「どうしてそう思う? 見知らぬ人よりハンゾウさんの方が大事。僕はそう思ってるけど?」
ハンゾウの仲間は、現段階ではヒューガにとって見知らぬ人たち。リスクを負わせてまで、味方に引き込む価値はないとヒューガは考えたのだが。
「いえ、そうではなく、その伝手というのはリースとエアル殿を捕らえていた貴族でござる」
「……そういうことか」
「エアル殿の求めをヒューガ様は拒否出来ませぬ。今の目をしているエアル殿に限ってのことでござるが」
「……そうだな」
思い詰めた表情のエアルは、大森林に来たばかりの頃のエアルを思い出させる。そんな顔をしたエアルを、ヒューガは見たくないのだ。
「では?」
「許可する。だが段取りはきちんと考えよう」
「そんなの簡単でしょ? 屋敷に忍びこんで暗殺、それくらい出来るわよ。屋敷の中は私もハンゾウさんたちも良く知ってるし」
実行が決まったことにより、エアルは気持ちが急いている。これはヒューガの言う「段取りはきちんと考えよう」にはほど遠い。
「……いきなり殺すのは不味いだろ? 目的はエアルの部族の人たちの救出とハンゾウさんの仲間の行方を知ることだ。でも、その貴族は本当にハンゾウさんの仲間の行方を知ってるのか?」
「おそらく。奴は裏切り者でござる。仲間の居場所を売ることで今の地位を得ている。我等はそう考えてござる。元から何の才も持たないズル賢いだけが取り柄の男でござった」
「つまり、ハンゾウさんの仲間もそこにいるのか?」
「その可能性は少のうござるな。居場所を知った仲間を奴は次々と消しにいっている。そう考えたほうが良いでござる」
「それでハンゾウさんたちはよく無事だったな?」
他の仲間は消して、何故、ハンゾウたちは活かしておいたのか。それがヒューガは不思議だった。
「奴は我らの間者としての技量を利用しようとしたのでござる。実際利用されました。何人か仲間の居場所を見つけ出して、奴に伝えたのですが、迎えを出すと言ったきりで、一人も現れた者はござらん。それを疑問に思って探りを入れたところで奴の裏切りを知ったでござる」
「じゃあ知っていたとしても生きているとは限らないな。情報は過去のものである可能性がある」
「そうでござるな……」
「……それでも他に手掛かりがないんじゃあ、仕方がないか。でもハンゾウさんたちの祖国って、近いところにあったんだな。考えたらハンゾウさんたちっていくつなんだ? 僕が知る限り、最近、国が変わったのは傭兵王だっけ、その国くらいだと思ってた」
「我等の祖国はその傭兵王に滅ぼされた国でござる。リバティー王国。かつてそう呼ばれていたでござる」
「じゃあ、目標の貴族は傭兵王の国の貴族か……」
話に聞いていた傭兵王の国。その国の貴族が目標の人物だと考えて、ヒューガの警戒心が少し強くなった。だが、これは早とちり。
「いえ、マンセル王国でござるな」
「別の国? ハンゾウさんたちって祖国再興を願って活動してたんじゃないのか?」
「そうでござる」
「どうして関係ない国の貴族がそれを邪魔するんだ?」
ハンゾウたちの仲間の居場所を見つけ出し、その彼等を殺めているのは祖国再興を許さない為。このヒューガの考えは誤りだった。
「元は奴も同じ国の者です」
「それがどうして別の国の貴族に?」
「それは我等には分かりませぬ」
「傭兵王って東方連盟の盟主?」
マンセル王国も傭兵王に従う国。属国である可能性をヒューガは考えたのだ。
「少なくとも我等がここにくる前まではそういった事実はござりませぬ。加盟国を力で滅ぼしたのですから白い眼で見られていたはず。もっとも傭兵王国の軍事力は馬鹿に出来ません。表立って文句をいえる国もおりませんでしたな」
「それを恐れて裏でつながっている? それも貴族の地位を与えさせるくらいに……まあ、これについては今はどうでもいいか。とにかく速攻で決めなければいけないな。そいつがどんなに腐った奴といっても一国の貴族だ。事を起こしたらすぐに、マンセルだっけ、そこを離れる。となるとまずはエアルがいたエルフの集落に向かうのを先にしよう。貴族はその後だ」
東方連盟内の政治について考えるのは後回し。今はエルフを救出する方策を考えるのが先だ。
「どうやって皆を助けるの?」
「それこそ忍び込んで。ますは奴隷にされているエルフの確保。貴族はその後、捕まえて情報を吐かせる」
「貴族が先でしょ? 奴隷にされていたら間違いなく首輪をはめられているわ。貴族を脅して外させないと」
「そんなの自分たちで外せば良いだろ?」
「それってヒューガしか出来ないじゃない」
「だから、僕も同行するつもりだけど?」
「「「……………」」」
ヒューガの発言に声を失う人々。だがその反応は微妙に違っている。驚いている人、呆気にとられている人、そして呆れている人。
「……どこに王が自ら危険を冒す国があるのよ?」
エアルは呆れている一人だ。
「ここに?」
「ヒューガ、もしかして貴方、馬鹿なの?」
「エアルにまでそれを言われた。もしかして僕を置いていくつもりだったのか?」
「馬鹿なの」はセレネに何度も言われた台詞。それをエアルにまで言われるとは、ヒューガ本人は、思っていなかった。
「当たり前でしょ? ヒューガはここでやることが沢山あるじゃない」
「そうだけど……でも、それはカルポに任せればいいだろ」
「えっ? 僕は行けないのですか?」
エアルとヒューガが行くのであれば当然、自分も、と話を聞いていてカルポは思っていたのだ。
「だって、エルフにしてもハンゾウさんたちの仲間にしても、迎える人が必要だろ?」
「そうですね……」
「カルポには皆の鍛錬の場所を南に移してもらって、そこで鍛錬をしながら待ってもらおうと思ってた」
「はあ。仕方ありません。確かに皆の鍛錬を中断するわけにもいきませんね」
春の種族の救出に全てを振り向けるわけにはいかない。拠点の整備、そこに住む人たちの鍛錬を疎かにするわけにはいかないのだ。
「だろ? ということで、カルポよろしく」
「ヒューガもね」
「何で? 問題は解決した」
「今、ヒューガがここを長く離れたら皆が不安に思うわよ。それに鍛錬でいったらホーホーたちはどうするの? 私とヒューガの二人がいなくなったら、騎馬隊の鍛錬が出来ないじゃない」
「……まあ」
まだまだホーホーは、乗り手ではなく群れの長であるコクオウに従って、大人しく騎乗させているに過ぎない。そして長のコクオウはヒューガがそれを望むから、そうさせているのだ。ヒューガが、もしくはすでにホーホーと心を通わせているエアルがいなければ、騎馬隊は鍛錬にならない。
「でしょ? とにかくヒューガはここに残らなければならないの」
「じゃあ、首輪はどうするんだ?」
「それは貴族を脅して無理やりにでも外させるわ」
「他の所にもいるのがわかったら?」
「その主も無理やり……」
「力づく過ぎ……じゃあ、外し方を覚えろ。ここに残るのは渋々だけど受け入れる。その代わり、外に出る全員が首輪の外し方を覚えること。それが出来ない間は許可しない」
強引なやり方を繰り返していては、すぐに行き詰まる。エルフの救出は出来るだけ密やかに行わなければならない。ヒューガはそう考えているのだ。
「簡単に言わないでよ」
「簡単だよ。魔力循環はかなり鍛錬しただろ? その応用。回復魔法に近いかな? 自分の魔力を首輪に流す、首輪にも魔力が流れてるから、その流れと自分の魔力を同調させる。それが出来たら、くいって曲げるようにして流れてる魔力の輪を切る。首輪をはめられている人と繋がっている部分があるからそれも断ち切って終わり。こんな感じ」
「……全然、分からない」
「分かれよ。魔法はイメージ、出来ると思えば出来る」
何の苦労もなく出来てしまったヒューガの感覚ではこうなってしまう。ただ言っていることは間違いではない。出来ないと思っていて、出来るはずがないのだ。
「訓練が必要でござる」
「そっか……じゃあ、嫌かもしれないけどエアルがしてた首輪を使って練習するか?」
「……すごく嫌だけど文句は言えないわね。でも、あれ壊れたんじゃないの?」
「擬似的に復活できる。魔力を送り込んで循環させれば良いだけだし、首輪をされている人との繋がりは同じような感じを僕が流すからそれを切ればいい」
「ねえ、それって隷属の首輪をヒューガは作れるって言っているの?」
「擬似的にって言っただろ? 人を支配するような魔法を俺は知らない」
ヒューガが復元しようとしているのは魔力の流れだけ。首輪の魔法が持つ効果までは復元出来ない。
「その魔法を知ったら?」
エアルはしつこくヒューガに尋ねてくる。
「……出来るかもしれないけど、そんなことを試すつもりもない」
首輪の完全再現になどヒューガは興味がない。それをはっきりと言い切った。エアルの気持ちを考えてのことだ。
「……そうよね、ヒューガはそういう人。ごめんなさい。首輪のことになると私まだちょっと……」
「大丈夫か? 奴隷にされているエルフを見て感情的になるなよ?」
「今は大丈夫とは言い切れないわね。でも乗り越えないといけないことだと思う」
感情的になって、失敗するような事態はあってはならない。その結果、辛い想いをするのは囚われている人たちなのだ。
「……そうだな。ハンゾウさん、エアルを頼む。暴走しそうになったら無理やりにでも止めてくれ」
「止められれば良いのですが」
エアルの暴走を止めろと言われたハンゾウは不安そうだ。
「自信がないなら同行する人数を増やしてくれ、場合によって全員で行ってもいい」
「ちょっと、私はどんな化け物なのよ? ハンゾウさんたち相手なら一対一でも無理よ」
「いや、暴走したエアルは別」
「そうでござるな」
「……もう良い。とにかく、首輪を外せるようになれば良いのね? すぐに始めるから準備して」
「分かった」
こうして囚われているエルフ救出に向けて、ヒューガたちは動き出すことになる。これがどれだけ大それた、そして非常識なことかを深く考えることなく。
ヒューガたちはまた新たなる一歩を踏み出すことになる。大きな大きな一歩だ。