学院で臨時強化合宿の実施が公にされた。タバートが予想していた通り、合宿は現在、学院に通っている公爵家の子弟を中心にしてチームを編成し、行われることになる。つまりリーゼロッテ、タバート、そしてエカードがそれぞれ自分のチームを編成して、魔物と戦うことになるのだ。
これを実施する目的はどこにあるのか、主人公はどのような利を得られるのかという疑問について答えを得られないでいたジグルスだが、発表されてすぐにそれらしい理由が見つかった。
チームはジグルスたちが最初の合宿で戦った時と同じ三十名で編成されることになっているのだが、その人数が中々集まらないのだ。
「本当に参加されないつもりですか?」
リリエンベルク公爵家に従う貴族家の子弟たちに向かって問い掛けるジグルス。リーゼロッテのチームは彼等によって編成されるのが当然だ。だが多くの生徒が参加を拒否していた。
「……本気だ。俺たちはまだ死にたくない」
合宿となっているが、その中身は実戦。間違いを犯せば命を失うこともあるのだ。そんな危険な合宿に望んで参加しようと思う生徒はいない。誰だって命は惜しい。
「死ぬとは決まっていません」
「死なないとも決まっていない」
「……不参加であったことを恥じる結果になりませんか?」
合宿に参加しないのは魔物を恐れてのことだと周囲から思われる。実際にそうなのだから当然だ。それを貴族家の人として恥ずかしく思わないのか。ジグルスは彼等のプライドを刺激してみたのだが。
「それは覚悟の上だ。それに周りだって理解してくれる。リーゼロッテ様のチームなのだ」
合宿に参加するのであれば危険が少ない強いチームであって欲しいと思うのは当然のこと。ではそれはどこかとなるとエカードのチームになる。主人公とエカードにレオポルド、それにマリアンネも実家の系列を無視出来ずに参加することになる。ゲーム上の最強メンバーが、全員ではないが揃っているのだ。
その逆で参加したくないと思われるのはリーゼロッテのチーム。最近は共に行動することの多いタバートがいればまた周囲の見方も変わってくるが、彼には自分のチームがある。
そうなるとリーゼロッテのチーム内でもっとも強いのはリーゼロッテ自身。そのリーゼロッテは以前、主人公に手も足も出ずに負けている。最弱と評価されるのは仕方がない。
「……それでも従うのが忠義というものではないですか?」
「俺たちが忠誠を向けるのはリリエンベルク公爵家に対してだ。いずれどこかに嫁ぐリーゼロッテ様の為に、公家に貢献する機会を失うわけにはいかない」
「しかし!」
「リーゼロッテ様も許されている!」
彼等が拒否出来るのはリーゼロッテがそれを許しているから。危険な合宿に嫌がる生徒を連れて行きたくないといってリーゼロッテは不参加を許している。
これは優しさからだけで生まれた考えではない。信頼出来ない生徒とは共に戦いたくないという思いもあるのだ。その気持ちはジグルスにも分かるが、必要な人数を集められなければリーゼロッテは恥をかくことになる。それは受け入れられないと考えて、こうして部室に顔を見せなくなった生徒たちも参加させようとしているのだ。
「……どうしても駄目ですか?」
「……お、脅されても気持ちは変わらない」
ジグルスの顔に険しさが浮かんだのを見て、生徒は動揺している。ただこれは勘違いだ。ジグルスに彼等を脅すつもりはない。目の前にいる生徒たちはやはり信用ならないと、この先も信用出来ないと判断し、仲間に向ける表情を消しさっただけだ。
「脅すつもりなどありません。それではリーゼロッテ様の思いに背くことになりますから」
「そ、そうか」
「……ではこれで。さようなら」
「あ、ああ。じゃあな」
ジグルスの別れの挨拶の意味を理解することなく、言葉を返す生徒。ジグルスは、二度と顔を合わさないというわけにはいかないが、気持ちの上では決別を宣言したつもりなのだ。
背中を向けて、その場から歩き出すジグルス。頭の中では彼等の代わりをどうするか、代わりが見つからない場合はどうするかを懸命に考えている。
従属貴族家の生徒が全員、参加を拒否したわけではない。部室に顔を出している、ジグルスを含めて八名の生徒は参加を約束している。前回の合宿で共に戦った生徒たちだ。
リーゼロッテを加えて九名。残り二十一名が見つかる可能性は少ない。ではチームごと不参加とするか。それではリーゼロッテだけでなく実家のリリエンベルク公爵家まで恥をかくことになる。リーゼロッテがその決断を行うはずがない。そうなると三分の一での参加。それで戦えるのか、いや、戦う方法を考えなければならない。
すぐに思い付くことではない。また忙しくなる。そう思いながらジグルスは辿り着いた部室の扉を開けて、中に入る。
「……あれ?」
そこには思わぬ人たちがいた。
「ジーク。彼等が合宿に参加したいというの。貴方はどう思う?」
部室にいたのは合宿への参加希望者。これもまたジークには驚きだ。
「……受け入れるべきだと思います」
「そう……でも」
「絶対に受け入れるべきです! 危険な目に遭わせたくないというリーゼロッテ様のお気持ちは分かります! ですが! 彼等の申し入れを拒絶することは彼等の思いを、力を認めないことになります!」
「そ、そうね」
いつになく強い口調で、申し入れを受け入れるように薦めるジグルスに、リーゼロッテは少し戸惑っている。
「では、彼等の気持ちを受け入れるということで良いですね?」
「ええ。それで良いわ」
ジグルスの念押しにもリーゼロッテは了承を返す。これで参加を認められたことになる。
「……ありがとうございます。貴方たちが参加してくれると、とても心強いです」
参加を申し入れてくれた生徒たちに礼を告げるジグルス。
「いえ、そんな。僕は、僕たちはただ、もう一度一緒に戦いたかっただけです」
ジグルスの御礼に応えたのはウッドストックだ。彼の他にもクラーラなど前回の合宿で共に戦った生徒たちがいる。彼等を加えて総勢二十二名。これは驚きの数字だ。まったくその必要のない平民の生徒が十三名も、危険な合宿への参加を志願したのだから。もっともこの事実に気付いた周囲はそれほど多くない。
それでもこれ以上は参加者が増えることはなく、リーゼロッテのチームは人数不足のまま合宿に参加することになる。その状況でジグルスが何もしないでいるはずがない。
◆◆◆
「……お主はリーゼロッテの側にいなくて良いのか?」
ジグルスに問い掛けているのはカロリーネ王女。二人がいる場所は城の敷地内にある軍の調練場。合宿参加者に対して、これからの鍛錬の参考にするようにと見学会が開かれているのだ。
「リーゼロッテ様に仕えているのは俺だけではありません」
「それをそうだが……それでもわざわざ離れて、兵士の訓練を見学する必要はないのではないか?」
ジグルスとカロリーネ王女が見学しているのは兵士の訓練。リーゼロッテたちは騎士団のそれを見学しているのだ。もともとリーゼロッテたちが見ている騎士団の訓練が今回の見学対象。ジグルスはそれを放っておいて、この場所に来ている。
「他にも大勢いる中で王女殿下とひそひそ話をしているわけにはいきません。それに、俺は兵士の訓練を見るほうが役に立つと思っていますので」
「そうなのか?」
貴族家の生徒だけでなく、平民の生徒も実力ある者は騎士になる。その為に学院で学んでいるのだ。その学院の合宿に向けて、兵士の訓練が為になる理由がカロリーネ王女には分からない。
「魔物との戦いは集団戦ですから。それにリーゼロッテ様に怒られるかもしれませんが、俺たちのチームは弱いので」
ウッドストックは例外として、個の力で何倍もの魔物を打ち倒す実力はリーゼロッテのチームにはない。ジグルスは弱者の戦い方を学びたいと思って、兵士の訓練を見ているのだ。
「そうか……数が揃わないことを理由に辞退する選択もあったのではないか?」
数が揃えられなかった段階ですでに恥をかかされている。そうであればいっそのこと辞退してしまうという選択もあったとカロリーネ王女は考えている。
「俺は考えなくはなかったのですが、リリエンベルク公爵家に恥を掻かせるわけには……それに皆、やる気満々で」
ジグルスはぎりぎりまでその可能性を考えていたのだが、劣勢がかえって他の生徒たちをやる気にさせてしまっていたのだ。合宿の結果で馬鹿にした奴等を見返す。それが目標になっている。
「ふむ……悪いことではない」
「はい。でもそういう人たちをこんな下らないことで失いたくありません」
「こら。下らないは、この場所で言うことではない」
カロリーネ王女も下らないと思っている。だがこの場所は軍の施設、城の敷地内だ。王国を批判するような言動は慎まなければならない。近くにはカロリーネ王女の護衛もいるのだ。
「そうでした。気をつけます」
「ああ、そうするのだな」
ジグルスに王国批判を行ったつもりはない。今回の件は主人公が図った、まではなくても主人公の都合の良いシナリオだと考えていて、その状況に文句を言ったつもりだ。
「それでお願いしていたものは?」
「情報は仕入れてある。ただ、非公開情報を紙で渡すわけにはいかないので、口頭で教える」
「あっ、入手出来たのですか? それはそれで心配になりますね?」
頼んでいた情報が手に入っていると聞いて、ジグルスは驚いている。ダメ元で頼んだつもりだったのだ。
「…………」
「……いや、だって機密情報が、王女殿下とはいえ国政に関係のない方が入手出来るのって心配になりませんか?」
不満げな表情でジグルスを見つめているカロリーネ王女。怒らせてしまったと思って、ジグルスは慌てて自分の話に補足した。
「そうではない。妾はお主に良いように使われているのではないかと思えてきた」
「そんなつもりはありません。王女殿下の優しさに甘えている部分はあるかもしれませんが」
「……そうやっておだてて」
ジト目でジグルスを睨むカロリーネ王女。だがこうなるともう本気で怒っているわけではない。
「王女殿下にはいつも感謝しております」
「……良い。では伝える」
ジグルスに御礼を言わせたことで納得して、説明を始めた。王女であるカロリーネには誰もが恭しく接してくるが、彼女自身はその態度に溝を感じてしまう。学院に通うようになって、かえってそれを実感するようになったのだ。だがジグルスは違う。遠慮のなさが逆にカロリーネ王女には心地良かった。
「魔物の群れは十ほど確認しているようだ。もっとも大きな群れで二百、平均で百といったところだ」
「最大二百ですか……」
大きな群れにぶつかってしまうと味方の十倍。さすがにそれは厳しいかもしれないとジグルスは感じた。
「出没する場所は分かっているので、近づかなければ良い」
「そうなのですか?」
「縄張りがあるようだ。各群れは自分たちの縄張り内だけで活動している」
「なるほど……そうなると、それほど危険ではないというのは本当ですか」
学院側の、危険性は高くなく実戦の場としては最適、という主張をジグルスは疑っていたのだが、この情報通りであれば事実かもしれないと思った。危険に近づかなければ良いのだ。
「万一に備えて王国騎士も同行する。すでに何度も魔物と戦っている実戦経験が豊富な騎士だ」
「……元々はもっと魔物はいたということですか?」
「ん? どうしてそうなる?」
「王国騎士団は魔物の群れとずっと戦ってきたのですよね? その戦いで数はかなり減っているのではないですか?」
前回の合宿以降、王国騎士団がずっと合宿所にこもって戦い続けていたのであれば、かなりの数の魔物が討伐されているはず。ジグルスはそう考えた。
「ああ。それがどうやら繁殖力が異常らしい。討っても討っても数が減らないそうだ。それでもようやく先ほどの数まできた。残りは学院生を鍛えるのに使おうと考えたらしいの」
「そういうことですか……」
カロリーネ王女の説明は納得いくものだ。もしかしてこの合宿そのものには裏はないのか、と思ったが、すぐにそんなはずはないと思い直した。
「父上はお主たちに期待していると言っていた」
「えっ?」
「お主たち、これは学院の生徒全体を指しているのだが、その実力を認めていて、来たるべき戦いに戦力となって欲しいという思いからこうした鍛錬の場を用意しているのだと言っていた。妾はこの父上の言葉を信じたい」
合宿に裏があるのではないかとカロリーネ王女も疑っている。だが父である国王が、自分が良く知る人たちを謀略にかけるつもりだとは思いたくない。
「そうですね……きちんと備えていれば、良い鍛錬の機会になるかもしれません」
「……お主も優しいの」
ジグルスが容易に疑いを解くとは思えない。疑り深いというだけでなく、その慎重さがこれまでリーゼロッテを助けてきたのだとカロリーネ王女は考えている。
そのジグルスが自分の話に同意した。それは言葉だけのもの。自分を気遣ってのことだとカロリーネ王女は受け取った。
「そうですか? あまり言われたことありません」
「リーゼロッテには言われているのだろ?」
「……まったくないとは言いませんけど、記憶には残っていません」
「お主たちは……もっと……あっ、いや、そういうものなのか?」
ジグルスとリーゼロッテはもっとお互いの気持ちを話すべきだ、という言葉をカロリーネ王女は途中で飲み込んだ。二人がわざと言葉にしていない可能性に気が付いたのだ。特にリーゼロッテは、感謝の気持ち程度であれば良いが、それ以上の想いを口外すべきではない。
「……そういうものです」
苦笑いを浮かべてカロリーネ王女の問いに同意するジグルス。その笑みがカロリーネ王女に自分の考えは間違っていなかったと教えた。想いを告げられない二人を思うと胸が痛む。一方で言葉を必要としない二人を羨ましくも思う。
◆◆◆
ジグルスとカロリーネ王女が国軍兵士の訓練を見ながら話し合いをしている頃、リーゼロッテたちはすぐ近くの王国騎士団の訓練場で見学会に参加していた。
目の前で行われているのは立ち合いを中心とした鍛錬。それなりに激しいものではある。
「……なるほどな。彼がいないのはこのせいか」
その鍛錬の様子を見て、タバートがこんなことを言い出した。
「騎馬と重装歩兵。騎士団の戦い方は役に立たないと言っていたわ」
それに応えたのはリーゼロッテ。ジグルスの言葉をそのままタバートに告げた。
「あとは目の前で行われている個の戦い……見学会を開くのであれば、それなりの騎士を揃えて欲しいものだ」
今行われている騎士たちの鍛錬を見ていても、為にならない。タバートの辛口を止める生徒はいない。タバートが公爵家の人間だからというのではない。多くの生徒が同じように思っているのだ。
「今から要求しても良いのではないか?」
その一人、エカードも話に加わってきた。
「同じ要求するのであれば、我々の参加も申し入れたいところだが……」
「どうだろうな?」
公に認められることは決してないが、王国にとって公国は仮想敵。まったくの他国ほどではないが警戒すべき相手だ。その仮想敵の人間である彼等に対して、いざとなれば戦うことになる王国騎士団がどう出てくるか。
彼等の実力を甘く見て、叩きのめしてやろうと考えれば立ち合いを受けるだろう。だが学生相手に恥をかきたくないと思う可能性もある。
「強者がこの場にいないことが答えかもしれないわ」
リーゼロッテはタバートとエカードの二人が考えている以外の可能性を口にした。
「……実力を隠していると?」
「一つの可能性としてよ」
「そうであれば……立ち合いも何の役にも立たないか」
王国騎士は真剣に相手をしないかもしれない。それでは立ち合いを申し入れることに意味はなくなる。
「疑い過ぎかもしれない」
「慎重になるのは仕方がない。この合宿自体が怪しいのだからな」
「えっ?」
エカードの言葉にリーゼロッテは驚きの声をあげた。
「……何か?」
「いえ……貴方もそう考えているのね?」
「当然だ」
エカードはこう言うが、この合宿を実施するにあたってエカードの実家であるキルシュバオム公爵家は積極的に動いている。それこそが怪しい動きなのだ。
もしかするとエカードは何も知らされていないのかもしれない。リーゼロッテは、タバートもだが、その可能性を考えた。
「意味があるかどうかはやってみなければ分からないわ」
「「「…………」」」
突然割り込んできた声に三人は無言のまま。
「えっ? 私、何かおかしいこと言った?」
話の内容ではない。ユリアーナが三人の話し合いに割り込んできたことがおかしいのだ。爵位だけの問題ではなく、今回の合宿において三人は各部隊の指揮官といえる存在。指揮官だけの会議に平兵士が割り込んでくれば、普通に怒られる。
「……今は三人で話し合いをしている。君の意見は必要ない」
ユリアーナに文句を言ったのはタバート。自分が言わなければリーゼロッテが必ず注意する。それは避けたいと考えたのだ。
「そんな言い方はないわ。異なる意見にも耳を傾けるべきよ」
「それが必要な時はその為の場を作る。今はそうではない」
「貴方は何の権利があって――」
「控えろ!」
「えっ……」
まさかのエカードの怒鳴り声に、ユリアーナは呆然としている。
「授業の一環とはいえ、実戦に臨むのだ。真似事であろうと我々には軍としての規律が必要だ。それが分からないか?」
エカードの厳しい言葉は心の中にある不安感、危機感からのもの。それを持たないユリアーナには分からないものだ。
「……分かったわ」
それでもユリアーナは言葉ではこう答える。ここでエカードにまで刃向かうわけにはいかない。エカードの後ろ盾はまだ必要なのだ。
「うちの者がすまなかった」
さらにエカードはタバートに謝罪する。部下の監督不行き届きを詫びているつもりだ。
「今後、同じことがなければそれで良い」
タバートはその謝罪を受け入れた。謝罪は無用とは言えない。それではユリアーナの行為を認めることになる。
「……要求するのであれば、見学会の終了を要求してくれないかしら?」
タバートが謝罪を受け入れたところでリーゼロッテが口を開いた。ユリアーナの件はもう終わり、というだけでなく見学会そのものを終わらせたいのだ。
「……分かった。総意ということにして良いのだな?」
「タバートが良ければ」
「問題ない」
これで三チームの、三公爵家の総意ということになった。それに逆らえる人はそうはいない。仮にいても王国騎士団の側も早めの終了は望むところ。受け入れないという選択肢はない。
王国が企画した見学会は、何の意味もないものに終わってしまった。表向きは。