月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

勇者の影で生まれた英雄 #40 胸に抱く想い

異世界ファンタジー小説 勇者の影で生まれた英雄

 戦争の準備が本格化し、軍部は大わらわ。特に指揮官クラスは連日、朝から晩まで会議と演習を繰り返す毎日だ。
 そんな中で唯一といっても良い例外が健太郎。勇者親衛隊の隊長である健太郎は指揮官ではあっても戦術を検討する会議に呼ばれることはなく、演習に割く時間も、これは怠け者であるからだが、少ない。
 日常より少し騒がしい程度の毎日を過ごしていた。

「……グレンは顔を出さないな」

 退屈な時間。それを紛らわす何かが健太郎には必要だった。それをグレンに求めるのは、必ずしも退屈凌ぎだけではないのだが。

「気になるのでしたら、呼びつければいかがですか?」

 健太郎のぼやきを聞いた親衛隊の副官であるマークが、グレンを呼びつけるように言ってくる。一度グレンに酷い目に合わされているマークなのだが、懲りていないようだ。

「グレンはトルーマン元帥の命令で仕事をしているらしい。その邪魔は出来ないよ」

「そうだとしても、少し話を聞くくらいは良いのではないですか?」

 トルーマン元帥の名を聞いても、マークはグレンを呼ぶように勧めてくる。それをする理由があるのだ。

「そうかな……」

「そうです」

「でも仕事の邪魔をしたと聞いたらトルーマン元帥は怒るよね?」

 トルーマン元帥には何度か怒鳴られている。勇者という肩書きが全く通用しない元帥が健太郎は苦手なのだ。

「こちらも仕事です」

「えっ?」

「……彼は今回の作戦について知っているはずです。それを説明させるべきです」

 勇者親衛隊は戦略や戦術を検討する会議から閉め出されている。マークはグレンからその情報を得ようと考えているのだ。

「ああ……そうだね」

 健太郎がグレンと会いたかったのは仕事の為ではなく、雑談をする為。多くが健太郎の愚痴だったりするのだが。

「……作戦が分からなければ戦功をあげようがありません。ケン様はそれでよろしいのですか?」

「それは困る」

「そうであれば彼に説明をさせて、我々がどう動くべきかを検討すべきです」

「そういえばグレンはどうして作戦を知っているのかな? 会議に出ているのかい?」

「いえ。ただあの者はトルーマン元帥に作戦計画の検証をするように命じられております。つまり、作戦計画を知っているということです」

「へえ。凄いな」

 作戦計画の検証と言われても、健太郎には何をどうするのか、さっぱり分からない。その分からないことをトルーマン元帥に頼まれているグレンに感心している。

「感心している場合ではございません」

 マークとしては、ただ感心しているだけでは困る。地位や報酬を得る為に、何とかして戦功を得る機会を作りたいのだ。

「でも作戦計画の検証って凄くないか?」

「作業を行っているのは、あの者と従卒たちだけ。まともな結果が出るとは思えませんし、そんな未熟な彼等が出した検証結果が取り上げられることもありません」

「……それなのにグレンに聞くの?」

 マークはグレンの仕事を評価しようとしていない。そうであるのに話は聞こうと考えていることに、健太郎は矛盾を感じた。

「説明させるのは作成計画についてです。それはあの者の能力には関係ありません」

「グレンは能力もあると思うけどな……」

 演習でグレンは見事に劣勢を跳ね返してみせた。公には自分の指揮だと言い張っていた健太郎だが、それが嘘であることを本人は当然知っている。

「本来であればその能力は、ケン様の為に使われるべきなのです。あの者はケン様の補佐役も命じられているのですから」

「そうか……」

 確かにマークの言うとおりだと思う。健太郎もグレンが側にいないことは元から不満に思っていたのだ。

「では、あの者を部屋に呼びます。よろしいですね?」

「……いや、僕がグレンの所に行こう」

「ケン様のほうから?」

「トルーマン元帥の仕事の邪魔は最小限にしたい。そう考えると僕が行くのが良いと思う」

「確かにそうですが……」

 マークはグレンの執務室に行くのには抵抗がある。その場には従卒たちもいる。今はもう、自分たちに従うどころか軽蔑の目しか向けない従卒たちの中でも、もっとも反抗的なジャスティンたちが。

「よし、決まり。そうしよう」

 マークの戸惑いを無視して、健太郎は自分がグレンの執務室に行くことを決定した。

「そういえば、トルーマン元帥の姪だったかしら? すごい美人が頻繁に訪れているそうね?」

 何故、健太郎はグレンの執務室に行こうとしているのか。その理由を結衣は察している。

「美人というか美少女だな」

「えっ?」

「…………」

「もう行ってきたのね?」

 健太郎はすでにグレンの執務室に行っている。美処女と言い換えた事実がその証だ。

「……通りがかっただけだ」

「通りがかっただけね……ふうん。そうなの」

 嘘に決まっている。

「そうだ。たまたま通りがかったら、その彼女がグレンの執務室に行くから」

「それで追いかけて執務室に行ったと」

「ち、違う。グレンの部屋には行っていない。仕事の邪魔したら悪いだろ?」

 結衣の考えを否定する健太郎。これは嘘ではない。

「……そっか。でも今回、仕事の邪魔をする口実が出来たので、行こうと考えたのね?」

「口実だなんて……」

「でもグレンは怒らないかしら?」

 怒るに決まっている。健太郎が得た口実など、グレンにはまったく関係ない。健太郎の都合だけのものだ。

「それは怒るかもしれないけど……それでも僕はグレンと話したい」

「グレンじゃなくて、その美少女とでしょ?」

「違う!」

「えっ?」

 軽い気持ちで発した言葉を、健太郎に強く否定されて、結衣は戸惑っている。

「僕はグレンに話を聞いてもらいたいんだ」

「……どうして?」

 健太郎の目的は本当にグレンと話すこと。健太郎の真剣な表情を見て、結衣もそれを信じることにした。だが、そうしたい理由が分からない。

「僕たちはこれから戦争に行く。僕は勇者として自分の役割を果たさなくてはならない」

「そうね」

「それを思うとプレッシャーで」

「……グレンと話すと解決するの?」

 泣き言を告げてもグレンが慰めてくれるとは思えない。やはり、健太郎の考えが結衣には理解出来ない。

「それは分からないけど……グレンは僕の気持ちを理解してくれた唯一の存在だ。グレンであれば何か大切なことを教えてくれそうな気がする」

「……そう。そういうことなのね」

 結衣にとってはグレンに説教された苦い思い出だ。それでも健太郎の気持ちは分かる。本気で自分たちに対して、厳しい言葉を向けてくれる人はグレンしかいない。そう思っているのだ。

「グレンにはやっぱり僕の側にいてもらいたいな」

「それは難しいと思うけど……でも分かったわ。じゃあ、早速明日行きましょう」

「あ、ああ」

 結衣の言葉に戸惑いを見せる健太郎。

「何よ?」

「結衣も行くつもりか?」

「もちろんよ。グレンに会いに行くのに、私が一緒に行かなくて何の意味があるの?」

「……意味はあるけど」

 健太郎がグレンと話をしたいのだ。結衣がいてもいなくても関係ないはず。

「今回は一大イベントだもの。きっと何かがあると思うの」

「それはそうだろうけど」

「この機会は絶対に逃せないわ」

「……そう」

 結衣が何に対して気合いが入っているのか、健太郎は分かっていない。他国との戦争。それは確かに大イベントだ。だがそのイベントで起こる事柄は勇者である自分にとってのこと。戦うことが出来ない結衣には関係ない。と健太郎は思う。
 そして分からないのはマークも同じ。彼はイベントという言葉の意味も分かっていない。ただマークに分かったのは、健太郎にとってグレンが、想像以上に大事な存在であること。そういう存在は自分たちにとって邪魔者でしかないこと。

 

◆◆◆

 ようやく空が白みかけてきた時刻。グレンの姿は鍛錬場にあった。こんな時間にこの場にいるのはグレンくらい。まだベッドの中で過ごしている人のほうが多い時間だ。
 トルーマン元帥に命じられた作戦計画の検証作業で泊まり込みの作業を続けているグレン。そんな忙しい日々の中でも、体を動かすことは続けていた。グレンとしてはとても満足出来る様な鍛錬時間ではないにしても。
 一度大きく深呼吸をして力を抜くグレン、暗闇の中に隠れていた城の姿が、今ははっきりと見えるようになっている。
 かつては出入りしていた城の中。とはいえ外から見てもどの窓がどの部屋のものかなど分からない。窓の奥を認識出来るような距離ではないのだ。
 視線を手元に戻して剣を握る力を強める。それから、ゆっくりとグレンは剣を振っていく。一つの一つの動きを確かめながら、それでいて一歩一歩踏み出す足にしっかりと力を入れて。
 だがすぐにグレンはその動きを止めた。

「……何か用ですか?」

 何者かの視線を感じたのだ。

「お、おう」

 グレンの問いに答える声。何か用かという問いへの答えにはなっていないが。

「……失礼ですが?」

 声の主は騎士ではない。服装が騎士のそれではなかった。では誰かとなるとグレンには分からない。初めて見る顔なのだ。

「見事なものであるな」

 グレンの問いに相手はまた求める答えを返してこなかった。

「何がでしょうか?」

 また問いを発することになるグレン。

「剣だ。剣の才能は皆無に等しい我だが、それでもお主の剣が見事なものだと分かった」

「……ありがとうございます」

 ようやく求める答えが返ってきた。それとともに、その前の問いの答えも分かった気がした。

「お主は騎士団の者か?」

「……厳密には異なると思いますが、そう考えていただいて結構です」

 細かい説明を行うと長くなりそうなので、グレンは相手の問いを肯定した。だが、そうするにはまだ余分な言葉が多すぎた。

「……よく分からない答えであるな。だが騎士ではあるのだな」

「いえ、自分は騎士ではありません。元は国軍の兵士で今は客将という地位を頂いております」

 結局、説明が続くことになる。

「客将……なるほど、お主がグレンか」

 相手は客将という身分でグレンであることが分かった。そういう情報を知る立場にある人物だ。

「恐れながら、貴方様はジョシュア王子殿下であられますか?」

「おお、良く分かったな」

「失礼いたしました」

 相手が間違いなくジョシュア王子、次期国王だと分かって、グレンはその場に跪いた。

「よい。直れ」

「しかし……」

「我がかまわぬと申しておる」

「……承知いたしました」

 ジョシュア王子に重ねて言われたところで、グレンは立ち上がった。

「しかし、お主はグレンだったのか……」

「何かございましたか?」

 ジョシュア王子にそのような言い方をされる覚えが、グレンにはない。

「妹とは親しいと聞いていたのだが……」

「……以前は何度かお目にかかったことがございます。しかし、親しいといえるような間柄では」

 変な誤解は解かなくてはならない。誤解ではなく、ジョシュア王子が悪意をもって、そういうことにしたいのであれば尚更、強く否定する必要がある。

「しかし仲が悪いわけではないのだろう?」

「それは……私はそもそも王女殿下と仲が良い悪いと言えるような身分ではございませんので」

 予想外の問いに少し答えを迷ったが、なんとかそれに合わせた否定の言葉を口にしたグレン。

「失礼な。妹は身分云々で人との付き合いを変えるような性質ではない」

 ジョシュア王子に怒られることになった。

「……申し訳ございません。そういう意味で申し上げたつもりはございませんでした。王女殿下は平民の私にも優しくしてくださいました」

「そうであろう。では、どうしてだ?」

「……あの、何がでしょうか?」

 またジョシュア王子の問いの意味が分からなくなった。

「妹はどうしてお主を見て、辛そうな顔をするのだ?」

「はっ……?」

「最近、いつも窓から外を眺めてはため息をついている。何を見ているのかと確かめてみれば、この場所で鍛錬しているお主だった」

「まさか。それは王子殿下の勘違いではありませんか?」

 グレンの胸に、あの時の切ない想いが広がっている。それを表に出さないようにして、ジョシュア王子の考えを否定した。

「そうなのかな……妹に確かめたわけではないので、そうなのかもしれないが」

 ジョシュア王子の言葉を聞いて、ホッとするグレン。そうであれば勘違いで押し通すことが出来る。

「勘違いに決まっております。どうして王女殿下が私の鍛錬の様子など気になさるでしょうか?」

 気が付いていなかった。気づくはずがない。城を眺めても窓の側に立つ人など見えない。それは城の側からでもそうであるはずだ。そうであるのにメアリー王女は……。

「では、どうして妹はこんな時間に窓の外を眺めているのだろう?」

「それは……ではどうして王子殿下はそのご様子に気が付かれたのですか?」

 ジョシュア王子の問いに対する良い答えが思い付かない。グレンは問いに問いで返して誤魔化そうとしている。

「我は割と早起きなのだ。といっても何をするわけではないのだがな。たまたま廊下に人の気配を感じて、それが妹だと分かって何をしているのだろうと気になって」

「そうですか……」

「妹に辛い思いをさせているのであれば、懲らしめてやろうと思って来たのだが、お主だとは……やはり勘違いか」

「……お優しいのですね?」

 ジョシュア王子の発言はグレンには意外だった。グレンはジョシュア王子に対して良い印象を持っていない。弟妹を政敵だと考え、貶めるような人物だと思っていたのだ。

「妹だからな。幼い頃と違って、今は話をする機会もほとんどないが、可愛い妹であることに変わりはない。弟もいるのだが、やはり妹は別なのだ。可愛いという思いはいつまでも変わらない」

「ああ、私にも妹がいますから、そのお気持ちは少しだけですが分かります」

「おお、そうか!? お主にも妹がいるのか?」

「はい。いくつになって妹は妹で。ただただ可愛くて、守ってやりたくて、誰にも触れさせたくなくて。出来れば箱の中にしまっておきたいと思います」

 ジョシュア王子の前でも、シスコン丸出しのグレンだった。

「……それはちょっと可愛がりすぎではないか?」

「えっ……そうですか?」

「我は……妹には幸せな結婚をして欲しいと思っている。愛し愛される相手と出会って欲しいな。我の立場ではただ願うしかないのだが……」

 メアリー王女は政略結婚が決まっている。それはジョシュア王子の意思でどうこう出来るものではない。ただ、その相手が良い夫であることを願うだけだ。

「……そうですね。もちろん、自分もそういう気持ちはあります。妹が幸せになってくれることを願っています」

「そうだな……無事に帰ってくるのだぞ。妹の為に」

「えっ……?」

「そんなに可愛がっている妹を悲しませるわけにはいかないだろう?」

「あっ、そうですね。はい。生きて帰ってきます」

 小さな勘違い。だがその勘違いにグレンは大いに動揺している。

「邪魔をしたな。鍛錬を続けるが良い」

「はっ」

 去って行くジョシュア王子の背中を見つめるグレン。その背中が小さくなって、グレンの視線は朝日に照らされている城に移った。
 思いがけないジョシュア王子との出会い。彼は自分が思っていたような人物ではなく、少なくともメアリー王女に対しては、妹思いの優しい兄だった。妹を苦しめている相手を懲らしめようと思うような。
 メアリー王女は本当に辛い思いをしているのか。それは望まない結婚の為か。それとも。
 それを確かめる術をグレンは持っていない。ただ思いを馳せて、城を見つめることしか出来ない。

◇◇◇

 そのグレンの視線の先。城の壁に並ぶいくつもの窓の一つ。その窓の側に立ってメアリー王女は鍛錬場を見つめていた。
 この位置からではグレンの表情などまったく認識出来ない。ただ顔が城のほうを向いているのが分かるだけだ。
 だがそれだけでメアリー王女の胸は高鳴る。決して届くことのないグレンとの距離に、胸が苦しくなる。溢れそうになる涙。こんな思いはもう何度目か。

「……メアリー様」

 背中から聞こえてきた聞き慣れた声。ミス・コレットの声だ。

「……何かしら?」

「もう、お止め下さい」

「何のこと?」

 ミス・コレットの忠告に、メアリー王女は冷静を装って惚けてみせる。

「グレン殿への気持ちは思い出に変えて、未来を向いて下さい」

 ミス・コレットは誤魔化しを許さなかった。はっきりとグレンの名を出して、メアリー王女に将来へ気持ちを向けるように告げてくる。近い未来に夫になる人に気持ちを向けるように。

「……出来ないの」

「メアリー様……」

「そうしようと思っているわ。でも忘れられないの」

「忘れる必要はございません。忘れようと思って、忘れられるものではありません」

 ミス・コレットもグレンへの想いを無かったことにしろと言っているわけではない。

「……でも辛いの。グレンのことを想うと苦しいの。恋愛ごっこなんて、望まなければ良かったわ」

 両手を胸に置いて、苦しげに呟くメアリー王女。
 恋愛は楽しいもの。そう思っていた。実際に楽しくはあった。グレンと過ごす時には胸が沸き立ち、何を話していても楽しかった。だが今はその時を思い出しても辛くなるだけ。

「それは違います」

「……何が違うと言うの?」

「恋愛ごっこではありません。メアリー様は本当の恋をしていらっしゃいます」

「ミス・コレット……」

 自分の想いを肯定するミス・コレットに、メアリー王女は驚いた。こんな会話は決して人に知られて良いものではない。

「好きだから会えないのが辛いのです。想いが報われないのが悲しいのです」

「ええ……そうよ」

「それは『ごっこ』ではなく、本当の想い。それを否定してはいけないと私は思います」

「でも私は……」

 グレンへの想い。それを肯定しても先に待っているのは、別の男性との結婚だ。

「はい。メアリー様のお相手はグレン殿ではなくゼクソン国王。それは変えられません。だからこそ、私はメアリー様に前を向いて欲しいと思います」

「それはどういうこと?」

「グレン殿に恋したことを後悔するようなことには決してしないで下さい。それでは、ただ時を無駄に過ごしただけになります。大切な想いがそんなものに変わってよろしいのですか?」

「……いえ、そんなの嫌よ」

 グレンを好きになったことを後悔して生きる。そんなことは絶対に嫌だ。今も、辛くても苦しくても、後悔なんて思いは全くないのだ。

「正直、今、私が申し上げているのは綺麗事です」

「えっ?」

「でも間違いないのは、報われない想いを抱いて生きているのはメアリー様、お一人ではないこと。そうであるからにはメアリー様もそれを乗り越えねばなりません」

「……そうね」

 自分だけではない。そうであろうとメアリー王女は思う。政略結婚という形ではなくても、好きな人と結ばれない人は数え切れないほどいる。好きな人と結ばれることのほうが少ないのだ。

「急ぐ必要はありません。ただ後ろだけを見て生きるような真似だけは止めて下さい。それは決して、人を幸せにはしません」

「分かったわ……ありがとう。ミス・コレット」

「いえ。まだお礼は早いかと」

「えっ?」

「まだ思い出作りの機会は残っております。贈り物の準備はまだまだこれからですよ?」

「そうね。そうだったわ。今度の騎士服はどのようなものにしようかしら? 鎧も素敵なものが出来あがると良いわね」

 苦しかった胸の内が、グレンへの贈り物について考えた途端に、一気に楽になる。楽しい思いがわき上がってくる。そんな想いが愛おしく感じられる。

「はい。そうなるように頑張りましょう」

 グレンへの想いが、良き思い出に変わるのはまだ先のこと。その日が本当に来るのかと不安に思う気持ちもメアリー王女にはある。
 だがミス・コレットの言うとおり、後悔だけはしたくない。グレンを好きになった気持ちを、ずっと誇りに思っていたい。そう強く願っていた。